焼き物、蒸し物、揚げ物。テーブルの上にくまなく並ぶ料理たち。 非常識なボリュームである。 満漢全席もかくや、といえば、いいすぎだろうか。だが、あれも数日がかりで食べるのだ。一食あたりに直せばこちらのほうが多いに違いない。 あきらかに、胃の許容量を超えていた。 向かい合うように座るツンデレが、箸をつける様子はない。 じっとこちらを見ている。 ものすごく落ち着かない。 絡みつくような視線を感じながら、ちょうど目の前にあった魚の煮付けに箸をつけた。「美味い」 そういうと、とたんにツンデレの顔がほころんだ。「そ、そう。ありあわせのものだったけど、口に合ってよかったわ」 冷蔵庫の中身を全部ひっくり返して作った料理は、はたしてありあわせというのだろうか。 字面的には正しい気がする。 意味的には完全に間違いだろうが。 とはいえ、好意は非常にありがたい。 おまけにお世辞抜きで美味い。なによりのことだった。 空き巣を捕まえて金を取り戻したはずの俺が、なぜこんな状態になっているのか、といえば、話は単純だ。 空き巣はすでに俺の金を使い果たしていたのだ。 早すぎる。もっと計画性を持て。 そういってやりたいところだが、計画性があればそもそも空き巣になどなっていないだろう。世界を狙えそうな俊足が空き巣狙いとは、才能の浪費というしかない。 とまあ、そんな事情で晩飯代が消え失せて。結局ツンデレの世話になることになったのだ。「よかったらこれも食べて! これも、これも、これも!」 ツンデレはものすごい勢いで料理を進めてくる。 手間をかけたのはわかる。それだけに、食べる人の反応が気になるのも、わかる。だが、こうも凝視されては落ち着かない。 それにツンデレは俺に料理を進めるばかりで、まだ箸をつけていなかった。 割り当てを増やされても、非常に困る。「わたし、あんまり食欲ないし、よかったら全部食べちゃって!」 ツンデレは、なんだかすごくいい笑顔だった。 水にも致死量がある、と、聞いたことがある。 はたしてこのご馳走の致死量はどれくらいなんだろうか。そんなことを考えながら、腹をくくった。 結局死なずにすんだ。 「ねえ、これからどうする?」 食事を終えて。 ツンデレが聞いてきた。「そうだな。金ないし、職探さないとな」「っていや、あんたハンターでしょうが。プロの」 そういえばそうだ。 プロハンター。 よく考えれば自分が何ハンターか、設定もしていない。 フリーのハンター。略してフリーター。 弱そうだった。「じゃなくて、もとの世界に帰るために、これからどうしようかっていってんのよ」「俺もそのつもりでいってんだけど。まずは先立つものがないと困る」 所持金はゼロだった。どこに行くにしても、その前に干上がる。ハンターライセンスでは、食費まではまかなえないのだ。「まったく。仕方ないわね出してあげるわよ。わたしが」「いや、それはよくない」 ツンデレの提案は、断らざるを得ない。 女に養われるなどあってはならないことだ。ヒモじゃあるまいし。「ヒモってなによ?」 また口に出してたらしい。 専門用語だ、と誤魔化す。女の子に説明するのは、はばかられた。 だが、本当にどうしたものか。 短い期間で稼げる職とかあるといいんだが。 むろんその手の職は危険が伴う。この場合、それもやむなしだろうが。「じゃあ、いっそのこと天空闘技場に行かない?」 考えていると、ツンデレがそんな提案をしてきた。「天空闘技場?」「戦って賞金もらえるところよ。あそこなら手っ取り早くお金を稼げるわ。どうせあぶない道わたるなら、どんと稼げるほうがいいでしょ」「ああ。そんなとこあったな……って、お前も行くのか?」「べ、別にあなたが心配なわけじゃないし、心配してるのはわたしじゃなくてエストなんだから!」「前半があれば後半要らないと思う」「う、うるさいうるさいうるさい! いいから黙って連れて行きなさい!」 ツンデレの顔は真っ赤だった。 うん。こいつ、素敵すぎる。個人的にはツンデレマスターの称号を奉りたいほどだ。 とはいえ、これからどうするか。 とりあえすのところは決まったようだ。 飛行船に揺られること、たぶん数日。天空闘技場へは、まだ着かない。 ずっと個室に引きこもっていたので、時間の感覚がぼやけている。 どうも乗り物に長時間乗るのは苦手だ。 生活のリズムがぶれて、頭の回転まで鈍る気がする。 時計を見れば、正午過ぎ。 扉が、開いた。 両手に皿、口に割り箸わきにペットボトル。そんないでたちでツンデレが入ってきた。「んー」 ツンデレがなにかいってきた。咥えた箸のせいでなにをいっているのかわからない。 とりあえず箸と、ペットボトルを取ってやる。「ありがと。アズマ、ご飯にしましょ」「すまない」 見事ツンデレに養われている自分が、情けない。 天空闘技場で稼いだら、きちんと返そう。 ツンデレが買ってきてくれたのは、焼きそばっぽいものとフランクフルトっぽいもの。旅行中のジャンクフードってやけに美味そうにみえる。 どうでもいいが、ひとつの皿に二人前ってのは、パーティーっぽくてなんとなく楽しい。「焼きそばだけどね」 また口に出していたらしい。 そのうち致命的なことを口に出してしまいそうで怖かった。「あと何日かかるんだ?」 焼きそばっぽいものをつつきながら、ツンデレに尋ねる。 どうでもいいが、正式名称を知らないせいで、いつまでもポイモノが取れない。「二日ほどだって。なんだか気流の関係で遅れてるみたい」「そうか。早く着かないかな」「あんたも景色でも見てくればいいのに。楽しいわよ? 見にいかない?」 ツンデレはそわそわしている。「……行きたいのか?」「わたしは行ったわよ。何回も。あんたが誘っても来ないからひとりでっ!? か、勘違いしないでよねっ! ひとりだと張り合いないだけで、別にあんたと行きたいわけじゃないんだからっ!」 見事なツンデレ語だった。 乗り物の中を動き回る、というのは苦手なんだが――うん。せっかくの旅なのだ。いっしょに楽しむというのも、悪くない。 ――と思い、飛行船の展望スペースに来てみたのだが。「雲しかないじゃないか」「雲を見るのが楽しいんじゃない」 どうやらツンデレとは、感性に隔たりがあるようだった。 飛行船のゴンドラ最後部。奥面と底面の一部がガラス張りになっているが、そこからみえるものといえば雲と海、太陽くらいだ。いまは雲の比率が多い。 あまり面白くない。 とはいえ、楽しそうなツンデレを見れば、口にするのは野暮というものだろう。 展望スペースには、ほとんど人の姿がない。 出発して数日もたっているのだ。空の景色を見続けるのも、飽きたのだろう。 貸しきり状態だ。 しばらくツンデレに付き合って雲を眺めていた。 ぼうっと見ていたのがよかったのだろうか。不意に、気づいた。「ツンデレ」「なによ――ってか、ちゃんと名前で呼んでよ」 ツンデレは顔をしかめるが、いまは構っている場合じゃない。「おかしくないか?」「おかしい――って、なにが?」 首を傾げるツンデレに、俺は雲間に見える太陽を指差した。「太陽の位置だ。微妙にずれてきてる」「どういうことよ?」「軌道修正にしても、大きすぎる。たぶん回ってる。大きな円を描く軌道だ」 それが示す意味を悟ったのか、ツンデレの顔がこわばった。「いくぞ、操舵室だ。なにかがおかしい」 なるべくなら面倒事はごめんだが。そうもいってられそうにない。「ああ、お客さん。どうされたんですか?」「すまん。この飛行船の軌道、おかしくないか?」 操舵室に向かう途中。船員を見つけたので問いかけた。 意外な質問だったのだろう。船員は面食らったようすだった。「いえ? 気流の関係で、多少遅れていますが、ちゃんと目的地へ向かっているはずですが」 いいながらも、不安そうな顔つきだった。 どうも彼も、漠然とした不安を抱いているようだ。「どうも見ていたら、方向がおかしいんだ。調べてみてくれないか」「え? そ、そんなはずは……この時間は船長が操舵にあたって――」 その瞬間、揺れた。「きゃっ!?」 ツンデレが、肩につかみかかってきた。 とっさに、なにが起こったのか分からない。 だが、さすがに船員にはわかったようだ。「船が――急旋回!? そんなはずは!」 あわてて駆けだす船員。行く先は――操舵室しかない。 船員の後ろについていく。「船長!? 船長!!」 同じように以上を察知したのだろう。操舵室の前には、すでに数人の船員がいた。 扉を叩いているところを見ると、鍵がかかっているらしい。「どうしたんだ!?」 手近な船員に尋ねる。「わかりません! 鍵がかけられていて。ひょっとして――いや、その」 客にいうべきことじゃないと思ったのだろうか。船員は口をつぐむ。 だが、そんな場合じゃない。「扉、破ればいいんだな?」 返事は聞かずとも分かる。 鋼鉄製の扉を思い切り殴りつける。 金属がこすれる異音とともに、扉の取っ手付近が陥没する。「うわ!?」 驚く船員たちに構わずもう一発。さらに深く陥没する。 あと一、二発。「――どいて!」 いきなり、後ろから掌が伸びてきた。 その手が扉に張り付く。 次の瞬間。金属がきしむ音とともに、扉がたわんだ、と、思った瞬間。蝶番も鍵も外れたのだろう。扉が奥に向かって倒れた。 唖然として振りかえる。ツンデレだった。 しばし呆然としていた一同だが、室内の光景に、ふたたびあっけに取られることになる。「わはははっ!! 雲の海はオレの海だっ!! オレの果てしないアコガレだぁ!!」 操舵室では、船長が舵輪を手に、トリップしていた。「せ、船長!」 さすがに我に返ったのだろう。船員たちは舵輪をぐるんぐるん回す船長を止めようとすがりつく。 だが。「わはははっ!!」 まったく止まらない。 船員たちはひとまとめにして吹き飛ばされる。 俺も思わず止めに入る。 振り払うような横なぎの一撃をガード、した瞬間。 体が浮いた。 部屋の入り口近くまで飛ばされ、やっと地面に足が着いた。 力が強いとかそういうレベルじゃない。常識はずれだ。「アズマ! だいじょうぶ!?」 戸口に立っていたのだろう。 ツンデレが心配そうに覗きこんできた。「ガードした。にしても、いったいなんなんだ」 なんにしても尋常じゃない。いろんな意味でタガが外れていた。「……悪霊の仕業よ」 真剣な面持ちで、ツンデレは船長に顔を向けた。「ツンデレ」「なによ」「病院行け」「なんでよ!!」 叫ぶツンデレ。 いや、いまの発言は、正気を疑われてもしかたないと思うが。「あのね――まあいいわ。“凝”してみて」 半信半疑で“凝”をしてみた。オーラを集中するのは苦手なんだが。「うわ」 見えたのは、ほんとに幽霊だった。 船長の頭から人型のオーラが生えている。「本編でもいってたじゃない、死者の念。あれを一般には幽霊といって」「死んだ奴の執念ってやつか」 そういえば、そんなこといっていた気がする。「だけど、どうする? あれ、半端じゃないぞ?」 悪霊から感じられるオーラは、異常に強い。しかも悪霊のオーラが船長を強化している。 決して倒せなくはない。 だが、悪霊本体を倒さない限り、操舵を取る人間が次々に乗っ取られるだけだ。「だいじょうぶよ」 ツンデレが自信ありげに口の端を吊り上げた。「わたしの念能力、除念だから」 除念。といえば、念をはずす能力。“怨念”もその範疇だろう。 確かに、あつらえたようにうってつけの能力だった。 ツンデレが、前に出る。 オーラの質が変わった。 色で例えるなら黄色から白。 オーラ量にして、俺とほぼ同量か。ただ、散漫な俺のオーラに対して、より収束した印象を受ける。 静かで、強い。神々しささえ感じられるオーラだ。 ゆっくりと、ツンデレは船長に歩み寄っていく。 その拳が、強く握られた。「悪霊――」 オーラが拳に集まっていくっておい!「――退散!!」 アッパーカットが、見事な軌道で船長の顎を貫いた。天に舞ったのは船長――ではない。その頭から生えていた悪霊のみ。 理想的な弧を描いた悪霊は、虚空に消えていった。祓われたのだろう。 それすら見ずに、ツンデレはこちらを向いた。「これがわたしの能力よ。物理的な衝撃を、対オーラに変換する。つまり、念を破壊する念能力」「……だいぶ変換されそこなってるようだけどな」 ツンデレの後ろ、倒れた船長を指さす。 船長の顎には、見事なまでに拳の痕がプリントされていた。「え? ああっ!? 船長!!」「ふはは。星が、星がみえるぞ。オレは星の海に出るんだ……」 船長は素敵にトリップしていた。 能力はすごいが、まだ未熟、ということだろう。それは俺にもいえることだが。 しかしまあ、それは今後の課題として。 あとはツンデレが、さっきから冷たい目でにらみつけてきている船員に、うまく説明してくれることを祈るばかりだ。