薄暗い、いやな天気だった。 樹木の海を背負い、孤島のような小高い丘。その頂上にぽつんとある建物は、館というより砦の趣がある。「ふんいき、あるわね」「ああ」 思わずツンデレと顔を見合わせた。 外壁をびっしりと蔦で覆われた洋館は、得体の知れないオーラを放っている。 さすが、幽霊屋敷といわれるだけのことはあった。 ゴーストハンターの仕事をしていると、実際はガセだった、といった場合が多い。 正味のところ、本物と向きあったことは、まだ数件しかないのだが……これは間違いなく本物だ。「では、アズマさま。屋敷の鍵はこちらに。わたくしは車で待機させていただきます」 依頼人は一礼を残して退いていった。初老の男で、黒背広に半白の髪を後ろに撫でつけたいでたちは、物腰とあいまって執事を思わせる。 彼の判断は、妥当なところだろう。 おとなしく除霊されるような悪霊は、希少価値だ。依頼人を巻き込む危険は、こちとしても避けたい。「わかりました。任せておいてください」 受け取った鍵で開錠し、扉を開ける。錆びた音が、屋敷の中に吸い込まれていく。 一歩。中に足を踏み入れた。 屋敷の中は、さらに薄暗い。 目を凝らして、ようやく輪郭が判る程度だ。「ツンデレ、懐中電灯を」「えーと、ちょっとまってね……はい」 ツンデレから受け取った懐中電灯を点ける。やっと、はっきりと足元が確認できた。 内装は思ったより新しい。幽霊屋敷というイメージから受ける印象とは、まるで違う。 ただ、建物自体はずいぶんと古いらしい。石畳を見れば、それが想像できる。 まずは屋敷を一周しよう。そう思い、歩き出すと、何かがぴたりと張り付いてきた。 ツンデレだった。「ツンデレ」「な、なによ」 ツンデレの肩が震えるのがわかった。「怖いのか?」「な!?」 そう尋ねると、ツンデレは飛び退るように離れた。図星らしい。「違うわよ! ぜんぜん怖くなんてないんだから!」 ムキになった。 いい方が悪かったか。 俺の手から奪うようにして懐中電灯をさらって、ツンデレは早足でさきに進んでいく。 手と足が同時に出ていた。「おい、危ないぞ――」「きゃあっ!?」 いったさきから転んだ。 いわぬことではない。「おい、ツンデレ、だいじょうぶか?」 倒れたままのツンデレに声をかける。 返事がない。 背中にナイスオンした懐中電灯が妙にシュールだ。 近づいていって様子を見ると、軽く目を回しているようだった。 介抱しようと抱き起こした、瞬間。 いきなりツンデレの目が開いた。「ツンデレ?」 薄闇の中でもはっきりと、ツンデレの目つきがおかしい。 ツンデレは自分の両手をしげしげと見つめる。「わはははははっ! やったぞ! 久方ぶりの肉体じゃっ!」 ツンデレが大変だった。 強く頭を打ちすぎたのだろうか。「輝ける朔北の華! 永代の至玉! リドル・ノースポイント姫! いまここに大・復・活!!」 いきなり飛び起きたツンデレは、高笑いしながら妙な名乗りを上げた。 素で引く。「と、こうしてはおれん! こうなれば早く征かねば!」 なんだか屋敷の奥の方に駆けていくリドル・ノースポイント姫(自称)。 あ。 ひょっとして。 取り憑かれたのか。 ゴーストハンターのくせに間抜けすぎる。 あっけに取られて見送ってしまったが、どこへいったのやら。 まあ、さいわいツンデレの懐中電灯がある。“送り屋(センドバッカー)” 能力を使う。 懐中電灯は、朧に光りながらゆらゆらと屋敷の奥へと向かっていった。 これはこれでホラーな光景だよな。 そんなことを考えながら、光を追っていく。 角を曲がると、地面が開いているのが見えた。 石畳が外れて、地下へと続く通路が口をあけている。懐中電灯は、そこへ吸い込まれていった。 地下への道は、いっそう暗い。さきを行く光を見失わないよう、急いでもぐりこむ。 湿気を含んだ空気を感じながら進んでいくと、奥からなにやらさわぎ声が聞こえてきた。 ツンデレの声だ。「あんた! いきなりなにすんのよ! ひとの体を!」「五月蝿いわたわけ! 妾の肉体として使うてやろうというのじゃ! 有り難く思うのじゃな!」「ありがたく思うわけないでしょ! とっとと出ていきなさいよ!」「出ろ、といわれて出て行く馬鹿は居るまい! そもそも輝ける朔北の華と呼ばれた妾の肉体に、不足ながら使うてやろうというのじゃ。喜んで然るべきじゃろう」「ふ、不足? アズマにもそんなこといわれたことなかったのに!」「だいいち、チチが足りん。腰も細すぎるわ。これではろくに子も産めんではないか」「産むもん! 男の子と女の子ひとりづつ!」 以上全てツンデレの発言。 えーと。 なんだか割って入りにくい雰囲気なんだけど。 とりあえず近づいていって、ひとり上手しているツンデレの頭をはたく。 何か出てきた。 もやもやしてわかりにくい。 わーん、と、いきなり耳に響いた。 なんだかもやがこっちに詰め寄ってきてる。“凝” オーラを目に集めると、姿がくっきりとみえてきた。 宝石のような青い瞳。流れるような金糸のごとき髪は、渦を巻いて流れている。白地に淡く朱をさしたような美しい意匠のドレス。それを飾る種々の宝飾。 十歳前後の、少女だった。 少女はなんだか口をパクパクさせている。 耳にオーラを集めてみる。「――聞いておるのかお主!? 第一妾に手を挙げるとはどういうことじゃ!」 耳をつくような甲高い声が聞こえてきた。 どうやら頭をはたいたことがご不満らしい。「えーと、あんた誰?」「妾を知らんのか!?」 なんだか驚いたようすの少女。いや、そんな驚愕、みたいな表情されても困る。「輝ける朔北の華! 永代の至玉! リドル・ノースポイント姫とは妾のことじゃ!」 いや、さっきも聞いたけど。 こんなちびっ子にそんな形容を奉った奴はロリだろ、常識的に考えて。「ロリとはなんじゃ?」 聞いてくるロリ姫。口に出していたらしい。とりあえず専門用語だということにして誤魔化す。「で、そのナントカ姫って誰?」「おぬし、このような短い名も覚えられんのか? リドル・ノースポイント姫じゃ!」「で、そのリドル・ノースポイントヒメが何でこんなところにいるんだ?」「たわけ! もとよりここは妾の居城じゃ! 気がつけばずいぶん様変わりしとった気もするが」 何百年経ってるんだよ。 砦っぽいとか思ってたけど、建物の基礎といい、もとは城だったのか。「で、この屋敷に住んでる奴に悪さしてたのはあんたか?」「違う」 ロリ姫は否定した。「この地には、死後悪霊と化した父君を封じてあるのじゃ。永の年月、妾はそれを見張っておった」「そうなのか」「最近ここに来た輩は地下をいじるような話をしておったから、警告もかねて脅かしてやったが」「完全にあんたのことじぇねえか」 どこから突っ込んだものやら。「うむ。妾としてもこのような生活は飽いた。そこに丁度強い異能の持ち主が来たのじゃ。まさに好機。いっそのこと父君を退治てくれようと思うてな。ここに来たわけじゃ」「そう、なのか」「うむ、というわけで、つがいの身を頂くぞ」 いそいそとツンデレの体にはいろうとするロリ姫。「誰がさせるかぁ!!」 ツンデレがいきなり飛び起きた。「さっきから聞いてたら、なに勝手なこといってんのよ! っていうか、つがいって何よ! わたしとアズマは、まだそんなんじゃないんだから勘違いしないでよねっ!!」「ええい! あきらめるがよい! 父君の封印はもう解いたのじゃ! おとなしく体を永久に明け渡せぃ!」「あんた! よく聞いたらどさくさにまぎれてなにあつかましいこと要求してんのよ! 何で永久なのよ!」「妾だってこの時代で生を満喫したいのじゃ! ちょっと百年くらいいいじゃろ!」「百年って、ほぼ一生じゃない!!」 ん? いま、会話の流れに、聞き捨てならないことがあったような。「おい」「なによ」「なんじゃ」 割って入ると、両方からにらまれた。怖い。目がぎらぎらしている。「いや、いま、えーと――ドリル・ナースポイント姫だったっけ? なんていった?」「リドル・ノースポイント姫じゃ! なんじゃその物騒なオーラ漂う名前は!?」「いや、父君の封印を、解いたって」「うむ。完全に、後腐れなく。きれいに解いてやった。あとは滅殺するのみじゃ」 ロリ姫は自信たっぷりにのたまった。 よく見れば、ツンデレたちの足元には、妙な鉄の杭と鎖が落ちている。どこかで見たような、ミミズがのたくったような字が掘りこんであった。 とてつもなく嫌な予感。 ちょうどそのとき、低く呻くような地鳴りが起こった。 激しい衝撃。 雷が落ちたような錯覚すら、した。「外じゃ! 父君め、逃げよった!」 ロリ姫が飛んでいく。 できれば行きたくない。が、一応仕事だ。ついていくしかないか。「ツンデレ、いくぞ」「ちょ、おいてかないでよ!」 声をかけて、走り出した。 玄関口まで戻って来たところで、姫君の背中が見えた。腕を組んで、しきりに戸口のほうをにらんでいる。 不意に、扉があいた。 その奥に立っていたのは、依頼人の老紳士だった。 しくじった。依頼人を巻き込んでしまうとは。見通しが甘かったといわざるをえない。「ふ、ふ、ふふふはっははははははっ!!」 笑う依頼人。目つきが尋常じゃない。封じられたという君主の剣呑さをあらわすような笑い声。「極北の黒獅子! 狂奔する雷声! ガイトス・ノースポイントここに復活っ!!」 ノリが同じだった。「娘よ! 久しぶりじゃなっ!」「父君こそっ! お久しゅう御座いますっ!」「それはそれとして死ねえっ」 なんだかいきなり家具が浮き上がり、飛んできた。 オーラつきで。 さすがに、直撃すればただで済みそうにない。次々と襲い来る家具の群れを避け、またいなす。 ロリ姫、俺の影に隠れるな。「よくもワシを封じてくれたな!」「それは父君が、死んだ後も城で騒ぎを起こすからでしょう!」「うるさいわっ! ワシだって寂しかったんじゃ! 誰もワシだと気づいてくれんし!」「ポルターガイストを起こすだけでは性質悪い悪霊だと思われるに決まってるではありませぬか! ちょっと父君を封印する過程で城を平らにしてしもうたくらいで、もろともに封印喰ろうた妾のほうこそいい迷惑じゃ!」 なんだこのはた迷惑な親子。性質悪いのは両方だろう。「えーい、今日こそ引導渡してくれるわ!」「小娘! おぬし体を貸せぃ。肉体がないと話にならぬ!」「嫌よ!」 ロリ姫がツンデレに取り憑こうとまとわりつく。 さすがに起きているときでは取り憑けないらしかった。。「えーい、つべこべいわずに体を貸せい!」「絶対嫌っ!」 なんだか見えないところでものすごい綱引きがなされてる気がする。 そんな中でも飛んでくる家具の嵐。「ツンデレ、なんとかならないのか?」「こんな状態じゃ無理よ! わたしの能力じゃ、オーラは消せても飛んでくる家具はどうしようもないし、とても近づけない! あんたのほうこそなんとかならないの!?」 ツンデレの声は悲鳴に近い。「俺の“加速放題(レールガン)”じゃ下手したら即死だ。依頼人殺すわけにはいかないだろ」「えーい、七面倒臭い! おぬし、疾くこの小娘を気絶させるのじゃ! 妾ならこの程度!」「あんたの力はなんなんだ!?」 必死に避けながら、ロリ姫に問う。城を平らにするくらいだから物騒な力には違いないだろうが。「父君を滅殺するに足る代物じゃ!」 胸をそらすロリ姫。だから、殺しちゃだめなんだって。だめだこいつさっぱり理解してない。「俺じゃだめか? それなら、この家具を何とかしながらツンデレの除念でいける」「だめじゃ」 俺の提案に、ロリ姫は首を横に振った。「なぜだ?」「男に取り付くなぞ、淑女のすることではない。だいいち気色悪いわ」 そんな場合じゃない。 といっても、耳を貸さないんだろうなこのわがままっ子。「兎に角体を寄越せぃ!」「いやっていってんでしょ!」 ロリ姫の体が、完全に体にもぐりこんだ。 と、いきなり。 ツンデレの髪が縦ロールになった。「良し――って何じゃこれは!?」 髪が、ぴょこぴょこ動いてる。 なにこれ。 唖然として肖像画に自分からぶつかるところだった。 どうやらツンデレ本人じゃなく、ツンデレの髪にとり憑いたらしい。むちゃくちゃすぎる。「ちょっと、人の髪勝手になにしてんのよ!?」「貴様が素直に体を明け渡さぬから妙なことになったのじゃろうが!」 自分の髪とケンカするツンデレ。 妙な図だ。 そしていい加減突かれてきたんだけれど。「ええい人を無視するでない寂しいではないか!!」 完璧に蚊帳の外だった悪霊が、妙に情けない自己主張をしてきた。 飛び交う家具の勢いが三割増しになる。 これは、さすがにヤバイ。「ええい、小娘! いまは構うておる暇はないわ!」 そんな声が聞こえたかと思うと、いきなりツンデレの髪が伸びた。 うねる髪が槍と化して飛んできた燭台と飾り鎧に突き刺さった――その瞬間。「“天元突破(スパイラル)”」 声とともに、燭台と飾り鎧がいきなり円錐状に変形した。円錐に刻まれた螺旋の溝は、まさしくドリル。「なっ!? なによこれーっ!?」 髪の毛がいきなり有線式ドリルと化し、ツンデレは悲鳴を上げた。 ツンデレの動きが、一瞬止まる。 そこへ、衣装ダンスが襲いかかってきた。 避ける間もない――避ける必要もない。 ドリルが、衣装ダンスを木っ端微塵に粉砕した。 なぜかモーター音を上げて回転するふたつのドリル。 正直、ちょっとかっこいい。「行くぞ小娘!!」 ツンデレから半分はみ出し、腕を組んだ姿のロリ姫。「もうやけくそだぁっ!」 走るツンデレ。「なにぃ!?」 飛び来る家具の群れを微塵に粉砕して、ツンデレの拳が依頼人を打ち抜いた。 霧散する悪霊。吹っ飛ぶ依頼人。 衝撃を対オーラに変換してるなら、理屈の上では相手を傷つけようがないはずなんだけどな。 まあ、悪霊のほうはきっちり除霊できたみたいだけど。 一応これで依頼達成、になるのか。 もうひとりやっかいなのが残っている気がするが。「やったな、ツンデレ」「うむ、よくやった小娘。褒めてつかわす。これで妾も晴れて自由の身――」 ロリ姫の言葉が、止まった。「どうした?」 なんだか、抜けようと思っても抜けられない。みたいな感じでロリ姫はひたすらもがいてらっしゃる。「え? 後ろでなにが起こってるの?」 不安そうなツンデレ。まあ、当人には見えてないのだから、当然か。 やがて、ロリ姫はあきらめたように動きを止めた。「――むう。妙に馴染んでしまったようじゃな。抜けられぬ」 間抜けすぎる言葉だった。 呆れるしかない。 まてよ? よく考えれば、これで完璧に依頼達成になるのか。 変わりになんだかとんでもないものに憑かれた気がするけど。「――ま、いいか」「わたしはちっともよくなーい!!」 ツンデレの声が、館中に響いた。