ツンデレのまぶたが開いた。「起きたか」 ひとまず安堵の息を落とした。 状況が理解出来ていないのだろう。ツンデレの青い瞳は焦点を失い、はるか彼方に向けられている。「……骸骨は?」「いつの話だよ」 呆けた問いに、思わず突っ込んでしまった。 ツンデレとしては自然な問いなのだろう。だが、その後起こった決闘の印象が強すぎて、ツンデレが気絶するにいたった出来事など遠い過去のように思える。「って、あ、わたし」 気まずそうに目を伏せるツンデレ。そりゃばつが悪いに違いない。仮にもゴーストハンターが幽霊見て気絶したんだから。「全く、不甲斐ない。動く屍程度で心を騒がすとは。腹の据えようが足らんわ」 ここぞと言い募るロリ姫だが、あんたもけっこう怖がってただろ。 まあ、ツンデレは知らないのだから、いくらでも吹けるのだろうが。「ここは?」「山から下りてきたとこ。ぜんぜん目、覚まさないし、ロリ姫に運んできてもらった」「うわ」 ツンデレは、表情を隠すように頭を抱えた。 と思ったら下を向いた顔が、すぐさま跳ね返っってきた。「って、念能力、戻ったんだ」 ツンデレが目をしばたかせる。そういやそれも知らないのか。「何?」 ツンデレの言葉を聞いてロリ姫は目を見張る。なんであんたまで驚くんだよ。 山頂からこちら、ツンデレの操作に気をとられていたにしても、遅すぎだ。「よかった」 ツンデレは、胸を撫で下ろした。 あらためて言われると、こそばゆい。「あ」 視線の置き所に困っていると、ツンデレは声をあげた。 なにやらしきりに身をゆすっている。「アズマ」 遠慮がちに、ツンデレは声をかけてきた。「何だ?」 問い返すと、ツンデレは、すこしためらう風を見せた。 やがて、意を決したように、ツンデレは口を開く。「わたしのこと、どう思ってる?」 どういう意味だろう。 ツンデレの真剣な表情を前に、言葉を咀嚼する。 ツンデレのことをどう思っているか。そう問われて、答えるべき言葉がとっさに見当たらない。 大切に思っているかと問われれば、はいと答えるだろう。 頼りにしているかと問われても、肯定するつもりだ。 好意も否定しない。 だが。 どう思っている。 そう問われて、どう答えればいいのか。 考えていると、ツンデレが腕を取ってきた。そこに、妙な感触をおぼえ、あらためて見る。 念リンガルだった。目的、これか。「ツンデレ」 ツンデレが、念リンガルに表示された文字を読みあげる。「おお」 思わず、手を打った。 ツンデレのことをどう思っているか。 ツンデレ。 素晴らしい。これほど見事に俺の気持ちを表す言葉など、他にない。「普段言ってることと変わらない」 こんな素晴らしい回答にも、ツンデレは不服気だ。 そりゃそうだろ。言動に表裏はないつもりだし。奇抜な答えを期待されても困る。「ツンデレってなによ」「専門用語だ」 念能力も復活して。いよいよグリードアイランドへ挑戦する時がやってきた。 まず向かったさきは実家。 グリードアイランド本体を保管する場所をツンデレとも相談したのだが、結局実家がいいということで落ち着いたのだ。ツンデレが金をかけることを嫌ったとも言う。 空き巣に這入られたとこに置くのも抵抗があるけど。地元だし、多少融通も利くし、まあ問題ないだろう。 飛行船での長旅の末、故郷に戻ってきたのは七日目の昼過ぎだった。 故郷の空は、記憶にあるそれより深みを増したように思う。季節はもう初夏である。以前訪れたのは初冬の頃だった。 あの時は、こんな連れが出来るなんて思っても見なかったけど。 まあ、感慨は脇に置いて。 帰る前に、とりあえず食事だ。目に入った店に、空腹を抱えて飛び込んだ。 適当に入った店だったが、味はそこそこ。値段もかなり良心的だ。何より、ウェイトレスの着ている衣装が素晴らしかった。 至福の内に食事を終え、ツンデレの注文したデザートがやって来た――瞬間。 鈍器がツンデレの頭を直撃した。 悶絶するツンデレ。うろたえるウェイトレス。 ツンデレを襲ったのは、ドリル化したプランターだった。すなわち、襲ったのはロリ姫。 ロリ姫は遠慮なしにツンデレを操り、ケーキにフォークを伸ばす。「うむ。美味」 蕩けるロリ姫。 ツンデレを操っている間、味覚も共有できると知ったロリ姫は、時々こんな暴挙を犯すようになった。 飛行船の中でツンデレの体重を一キロ増やした件で大喧嘩になったのに、懲りない人だ。 ロリ姫のフォークがふたたびケーキに伸び。その先がぴたりと止まった。「――痛ったいわね、何すんのよ!」 ツンデレの表情が、急に怒りに染まる。 意識を取り戻したらしい。 まあ、何度も喰らってたら学習するか。「ふん。小娘の分際で、妾を差し置いてその様な物を食べようとするからじゃ」「あんたね! つい三時間前に泣く泣くモンブランを譲ってあげたでしょ!?」「其れと此れとは話が別じゃ!」「――あ、すみません。こういう奴なんで、気にしないでください」 恐怖に近い目を向けてくるウェイトレスに声をかけ。 さて、この喧嘩が収まるのはいつだろうか。考えながら、なんとなく窓から風景をながめることにした。ウェイトレスを観察してたら、怒りがこっちに向きそうだし。 店から見えるのは、繁華街の賑わい。道行く人の流れは、止むことがない。ツンデレたちの喧嘩も、止む気配がない。 と。大きなオーラを感じた。 念能力者だろうか。こんなところで珍しい。何の気なしに目をやって。 釘付けになった。 女だ。 綺麗すぎて、嘘のようだ。そう評すしか術を持たない。顔の造作から体のラインまで、そのすべてが異様に整っている。作りものだといわれれば、信じてしまうだろう。 身に纏うのも、いわゆるゴスロリ。それがまたどうしようもなく人形を連想させられる。 目が、離せない。「……アズマ?」 冷えた声が、水をさした。 ツンデレだ。いつの間にか、喧嘩をやめてこちらをにらんでいる。目が怖い。「別に、知り合いに似ているな、と思っただけだよ」「え?」 ツンデレの目が、丸くなった。「え? リアルであんな美人な知り合いいるの?」 ツンデレは急に焦りだした。「ああ。まあ、顔見知りって言うか……」 仲間と言うか、相憐れむ仲と言うか。そんな感じなんだけど。「ふむ」 ロリ姫が口の端を吊り上げた。「不安か? 此奴に見目麗しき女が居る事が」「なっ!? ち、違うわよ! そんなことなんて、全然ないんだから!!」 いや、いじるなよ。「隙有りっ!」「って、わっ!?」 ふたたび飛んできたプランターを、ツンデレは片手で防いだ。「あんた、さてはまだケーキを狙って」「ふふふ。あやつの事となると兎角隙が出来るからの」 ふたたびデザート戦争が勃発した。よくやる。 まあ、ちょうどいいか。 席を外して店を出る。まだそう遠くまでは行っていないはずだ。 姿は、もう見えなくなったが、あの気配だ。一キロ先でもわかる。「さて、追いかけるか」 店の中では、いまだツンデレの怒鳴り声が聞こえていた。 気配を追いかけ、女の後ろ姿が見えたとき。ふと、こちらに向けられる視線に気づいた。 ねっとりと粘性を帯びた視線。その中に淡い殺意が揺れている。何者か。問うまでもない。 ――タイミングが悪い。 息を落とす。奴が来た以上、向こうはあきらめざるをえなかった。 脇道に入り、通りから遠ざかっていく。気配が動いた。視線の主は確かについてきている。 誘いに乗る気十分らしい。 路地裏の、人の気配がなくなった辺りになって、滑るように。水溜りが目の前に現われた。それが唐突に、目の高さまで盛り上がり、人のかたちを取る。「久しぃぶりだなぁ」 それは、三日月のごとき笑みを浮かべた。 ジェル。シュウと敵対していた、そして俺を恨んでいる同胞だ。 性懲りもなく命を狙ってきたか。「しねぇっ!!」 問答無用。ジェルの腕が、まるで槍のように伸びてきた。それを避け――枝分かれして襲い来る水の槍を、首を振って避ける。 紙一重。頬が浅く裂かれた。 面倒な攻撃だ。 だが、不思議と怖くない。 コンクリートの壁に、拳を打ち込む。砕け散った破片から、手ごろな物を選んで――加速。 それが直撃する寸前、ジェルが縦に潰れた。 いや、水溜りと化したのだ。 「この前のようなぁ手がぁ通用するとおもうなぁ」 水溜りから、笑いを含んだジェルの声が聞こえてくる。 確かに。今回のジェルに油断はないようだ。 だが、それでも。まるで負ける気がしない。 足元に転がる石塊の中で、ひときわ大きい物を選び、拾いあげる。 覚悟も、信念も、それを貫徹する強烈な意志も、ジェルからは感じられない。あるのは、粘質の執念と生ぬるい殺気だけだ。 シュウや海馬のような凄みがない。そんな奴は、怖くない。 地を滑るように襲ってくるジェルに向けて、口の端を吊り上げる。 体を液体と化す。確かにやっかいな能力だ。 だが、無敵の能力ではない。 電撃に弱い。熱に弱い。冷気に弱い。毒に弱い。その他あらゆる反応物に弱い。穴だらけだ。 むろん、それらは手元にない。だが、もっと手軽なものが、ここにある。「ガチンコ漁法って知ってるか?」 地面に向け、全力で加速放題(レールガン)を撃つ。 ジェルの悲鳴が上がった。 たとえ液体になっても、いや、だからこそ自身を奔る音の衝撃波を防げない。まともな聴覚を備えているのなら、それだけで気絶ものだ。 ジェルは動かない。人間の姿に戻っているところを見れば、気絶しているのだろう。 いや。わずかに、その手が動いた。手にあるのは、紙。 ジェルの緩慢な動きを制し、紙を奪い取る。 見れば何の変哲もない紙だ。これ自体に仕掛けがあるようには見えない。 だが、確かに、ジェルはこれを破って瞬間移動していた。 仕掛けではない。たぶん制約を積極的にメリットにする……シズクのような念能力。この紙が無事な間だけに限った瞬間移動とか、そんなものだろう。 しかし、この能力。まさか。「う、う」 うめき声を聞いて、思考を振り払う。 いまの内に、殺しておくべきか。 その覚悟があるか、と問われれば、ある、と言える。 だが、思わず口が歪む。自問した時点で、迷いがあったということだ。 しかし、こいつが生きていれば、間違いなく仇を為す。見逃す理由などない。 ためらいを振り払い、拳をあげて。 不意に。ツンデレの気配を感じた。 気になって探しにきたらしい。距離は離れているものの、速い。ここに着くまで数十秒ってとこか。 ――ツンデレに、死体を見られるな。 そんな思考がよぎったとたん、殺意が失せた。 まあ、ここは見逃してやるか。 だが、釘はさしておく。 ジェルがうめき声をあげるのに構わず、顔をひねり上げる。「また来いよ。殺してやる」 言葉とともに、殺意ををたたきつけてやる。本気だ。次に会ったら、即座に殺す。 それがわかったのだろう。うめくジェルの、焦点の合わない瞳から反抗の色が失せた。 明らかに、牙が折れた。 こんなところか。ジェルを放り出す。 すくなくともしばらくは襲ってくる気も起きないだろう。確信して、その場を後にした。 OTHER'S SIDE「畜生」 ジェルは歯噛みした。完膚なきまでに、反抗の意志をたたき折られた。 あの、アズマの目。言葉に込められた強い覚悟。 アズマは自分を間違いなく殺す。そのために、手段はいとわないだろう。ジェルにはそれがわかりすぎるほどわかる。 怖い。二度と手を出したくない。 だが、ミナミにどう釈明するか。 板ばさみに悩まされるジェルを、ふいに悪寒が襲った。 見れば、通りの角を曲がり、女が近づいてくる。「こんなところで、何をしてるのかしら?」 女はそう言った。人形めいた美女だ。等身大のビスクドールを見ているようだった。 だが、身に纏うオーラは、桁外れだ。間違いなく念能力者、そして同胞だ。それも。 ジェルの思考はよどみなくひとつの推理を生み出した。「その力。あ、あんたぁ、ひょっとしてぇ。お仲間かぁ?」 ジェルの問いに、女は目を瞬かせた。「その言いよう。ただ同胞に向けた言葉、と言うわけでもないようね。なら問います。――はどこかしら?」 女は、逆に問うた。 その名前は、ジェルがよく知る者の名だった。「知らないぃ。仲間はぁ数人集まっているがぁ、あいつとはぁ、まだぁ出会ってぇない」「そう」 ジェルの答えに落胆する風でもなく、女はただ、鼻を鳴らす。 それっきり、興味を失ったらしい。女はジェルに目もくれず、きびすを返した。「ま、待ってくれぇ。助けてくれぇ」 ジェルは焦って呼びとめた。 彼女を行かせるわけにはいかない。失敗を重ねたジェルには、多少なりともその穴埋めが必要だった。“仲間”の知人だ。あわよくばグループに引き込めるかもしれないと、ジェルは皮算用していた。 だが、女は、首だけ返して視線を投げ落としてくる。「あの人がいない以上、あなたに用はないわ。わたし、忙しいもの」 そうはいかない。ジェルにとって、彼女は格好の手土産なのだ。「仲間のぉ連絡先をぉ教えるぅ。見つけたらぁ連絡するぅ。ひとりで探すよりはぁ、いいだろうぅ?」 ジェルの必至の言葉に、女は息を落とした。「まあ、それはもらっておきましょう」 言いながら、女は仲間のホームコードを要求してきた。気ぜわしい。思いながらジェルはそれを教える。「あなたの名前は?」 ホームコードを確認して、女が尋ねてきた。「ジェルだぁ」 何の気なしに、ジェルは答える。「では、ジェルは死んだと、伝えておきましょう」「何?」 あっさりと、女は言った。 その意味を理解する暇もなく。ジェルは闇に呑まれた。 あとにはなにも残らない。「面倒ですものね」 そう言って女は踵を返す。人形めいた容貌に、微塵の揺れもない。 その背後から、肉と血の混ざったものが落ちて地を汚した。