真っ青な草原に、風が走っている。 某月某日。俺たちはグリードアイランドに入った。 のだが。 目の前に立つ少年の姿に、口をゆがめる。 シソの木から出てきて、いきなりこいつと会うとは。「……まあ、遠からず会うとは思ってたけど」 少年――シュウは、目を眇めながら、わざとらしくため息をついてみせる。「何でこんなとこで出くわすんだよ」 それはこちらの台詞だ。 言うかわりに、似たような視線を返した。 どうもこいつとは相性が悪い。 頭は切れるし実力もあるのだが、どうしても好きになれない。 俺はシュウを無視して、シソの木にもたれかかる。 シュウも、こちらを無視する事に決めたのだろう。無言で背を向けた。「……何だよ。行かないのかよ」 しばらくして。 背をそむけたまま、シュウはそんなことを聞いてきた。「俺は連れを待ってるんだ。お前こそ、どこかいけ」 目も向けず、言い捨てる。「オレも人を待ってんだよ。目障りだからよそで待ってろよ」「うるさい。お前こそ消えろ」「てめえが消えろ」 もういい。話してるだけで腹立ってきた。 無言の内に時が過ぎる。 ツンデレ、遅いなぁ。何とかならないのかこの気分悪い空気。 ほんと、早くどこか行かないかな、こいつ。 心中で毒づきながら、待つことしばし。「アズマ」 やっとツンデレが下りてきた。 その気配を感じていたのだろう。シュウはすでに木の裏手に回っている。 まあ、ツンデレもあいつのこと嫌ってたみたいだし、よかったけど。 やっとシュウのヤツから離れられる。 そう思うと清々する。「とりあえずどこ行く?」「ルビキュータ」 ツンデレの問いに、特に声を押さえるようなこともせず、答えた。むろん、シュウにも聞こえたはずだ。 これで間違っても向こうで鉢合わせることはないだろう。 グリードアイランド攻略の前任者、レンド。 彼の残した手記には、その死までの約一年に及ぶグリードアイランドでの冒険記録が残されている。 手記によれば、ルビキュータ郊外で、入手難度の高いレアアイテムが手に入るらしい。 指定ポケットカードではないものの、売り値は超高額。今後役に立つこと受けあいだ。「さあ、いざアイテムゲット!」 町に入り、必要な情報を集めて。 ツンデレは早速アイテムを手に入れようと意気込む。毎度思うんだが。なんか金がらみになると目の輝きが違うよな。 意気揚々と進むツンデレの後姿を生暖かい目でながめていたときだった。 不意に、風に煽られて何かが顔に張り付いてきた。 慌てて取り払う。 紙切れだった。「なにそれ。なんの紙?」 ツンデレが振り返って聞いてくる。 見れば、紙にはなにやら絵が描かれている。「……地図だ」 紙に描かれた模様をつぶさに調べながら、答える。 町と、木、それに丘が記されただけの単純な地図だ。 町はルビキュータ、木はシソの木と書いてある。丘の絵には注釈などなく、ただ矢印が描かれているだけだ。 位置関係から考えて、この町から南南西に十キロほど行った辺りだ。 これは、さて、どんなイベントのフラグなのか。「行ってみる?」 ツンデレは、後ろ髪引かれるような調子で聞いてきた。そんなに金が欲しいか。 まあ、後まわしにしても問題ないだろうけど。 指定ポケットカードがらみのイベントなら、早めにこなしておいたほうがいいかもしれない。「行こう」 そう決めて。 目的地に、視線を投げかけた。 ルビキュータの町から内地へ進むと、緩やかな丘陵が見えてきた。地図が示す地点は、その頂上付近らしい。 地図と照らし合わせながら、そこを目指して登っていく。緑豊かな草原に、不自然に盛り上がった丘陵は、どこか陵墓を思わせる。 頂上まで来たところで、その感想が正しかったことが証明された。 丘の中心にぽかりと穴が開いている。 近づいて見れば、石造りの階段が、中の闇に向かって続いていた。壁も石造り。明らかに人工物だった。 一歩、足を踏み入れる。 張り付くように、ツンデレが続く。 暗い。が、よく見ると、奥の方がほの明るい。 奥に何かあるらしい。 明かりを頼りに、石段を下りていく。 やや段差のある石段を、二十段近く下りただろうか。足場が、平らになった。 暗がりに立つと、奥に見える薄明かりも際立つ。 どうやらこのさきに石室があり、そこに光源があるらしかった。 壁に手を沿わせながら進み、石室の縁に手がかかる。 淡い光が、一面を覆っていた。部屋自体が発光しているような、不思議な空間。その中央には、直方体の石細工――おそらく石棺がある。 侵しがたい雰囲気に、息をのんだ。「きれい。部屋中が蛍みたい」 ツンデレの嘆息が聞こえた。「ヒカリゴケの一種であろう。土地によっては灯り代わりに使うと、伝え聞いたことが有る」 ロリ姫の言葉が、おそらく正しい。さすが古い人だ。 警戒しながら、部屋へ一歩踏み出した――瞬間。 奇妙な浮遊感とともに、視界が暗転した。 冷えた空気が、肌に染みる。 湿気が強い。 明かりひとつない闇の中だ。どうやら、どこかへ飛ばされたらしい。「ツンデレ」 声をかける。気配から近くにいるのはわかるが、まったく見えない状態では、不安になる。「アズマ?」 しっかりした声が返ってきた。無事らしい。 それにしても、なにも見えない。こんな中で立っていると、平衡感覚がおかしくなってくる。座り込んでしまいたいが、危険を考え、自重した。 「ここはどこなの?」「わからない。たぶんイベントだと思うが」 周囲に気を配りながらながら、目が慣れるのを待つ。 と、闇の中から声が聞こえてきた。「ようこそ。ここは古の闘技場。あなたたちは、これから剣闘士として敵と戦っていただきます。勝ち抜くことが出来れば、ここから脱出することが出来ます」 無機物が発するような冷たい声だった。 ――なるほど。そういう趣向か。「どうぞ、こちらへ」 重いものが擦れる音が響く。それとともに、淡い光が差し込んできた。 扉が開いたのだ。 明かりに照らされて、初めてわかった。いままで小さな石室に閉じ込められていたらしい。 扉の向こうには、ヒカリゴケで照らされた通路が浮かび上がっている。 こちらに進め、ということだろう。 道をまっすぐに進んでいくと、広まった場所に突き当たった。 天井が高い。この薄明かりでは、部屋の向こうまではつぶさに見えないが、見えている範囲から類推するに、直径百メートルほどの、ドーム状の空間なのだろう。 風を全く感じないあたり、外とは隔絶しているようだ。「では、第一試合、始めてください」 言葉とともに、薄明かりのむこうから何者かが近づいて来る気配。 身構える。 現われたのは、三体の巨人だった。 でかい。 体長は俺の五倍はありそうだ。見上げていると、丸い単眼で睨まれた。 って、あれ? 雑魚じゃないか。 ロリ姫のドリルで二体、俺の加速放題(レールガン)で一体。仕留めるのに五秒もかからなかった。 続いて出て来たトラのような怪物も、入手難度はE。難なく撃破して、続く三回戦。現われたのは三人の剣闘士。「――人?」「いや」 ツンデレの言葉を否定する。 十把ひとからげのモブ顔だ。一人だけ鎧が豪華なヤツがいるが、おそらくそいつがリーダーだろう。「たぶんこのイベントがらみのキャラクター。平たくいえば人間型のモンスター」 すばやく“凝”で確認する。 リーダーだけ、オーラ量が違う。他の剣闘士よりワンランク上に見ておいたほうがいい。「――加速放題(レールガン)!」 ロリ姫のドリルが雑魚を押さえ、出来上がった道を一直線。加速を乗せた肘撃の前に、剣闘士は沈んだ。「おめでとうございます。あなた達には勝者の栄誉と――」 いきなり、声が途絶えた。 不審に思い、顔を見合わせていると、ふたたび声が響く。「なかなかやるな」 声が変わった。抑揚のきいたしぶい声だ。出所はわからない。だが、この声の主は、間違いなく生きた人間だ。「何者だ」 虚空に声を投げかける。「ジェルの仲間、といえば、想像がつくだろう?」 その言葉に、思わず絶句した。 ジェルの仲間。であれば、この状況におかれた意味が、全く違ってくる。 相手はこの地を致命の罠に変えているかもしれない。 だが、どういうことか、声からは敵意が伝わってこない。「お前たちは、なかなか見所がある。だが、本当に使えるか、ためさせてもらうぜ」 声の主が、そう言った途端。闇の奥に気配が生じた。 また、怪物か。 闇の奥に目を据える。「――さあ、最後の試験だ」 言葉とともに、気配が闇から生じた。 姿は見えない。だが、纏っているオーラは、間違いなく一級。 無言のまま、闇の中から現われたのは二人の人間だった。 二メートル近い長身とそれにふさわしい体格のボクサー。真っ赤なジャケットを着込んだ、熱血漢めいた顔立ちの、しかし、どこかそれを裏切る――ぶっちゃけしょぼい男。 怪物などではない。おそらくプレイヤー。ジェルの仲間だろう。「うわ、少年少女っスよ。どっちも目つきひねくれてそうだけど」 赤ジャケ男がこちらを指さして言ってきた。 開口一番それかよ。腹立つな。三下っぽい癖に纏ってるオーラは強いし。「俺は男の方をいただこうか。レット、お前はあのドリルの嬢ちゃんのほうだ」 ボクサーの方がそう言って、こちらに構えを取った。 いい雰囲気を纏っている。 間違いなく強い。「……らしいよ」 ふり返らず、ツンデレに声をかける。「わかった。じゃあ、とっととぶっ潰してサポートするから」「此方は任せておけい」 自信に満ちた、そんな声が返ってきた。 まったく、頼もしい。 ツンデレといると、負ける気がしない。 虚空に、目を向ける。 ――試験と言ったな。上等だ。なにを試したいのか知らないが、そう思い通りになると思うなよ。 自然、口の端がつりあがる。 意識を集中し、身構える。 相手はボクサーか。ガタイからしてヘビー級。グラブをはめているが、そのままでも並の人間の頭部くらい粉砕できるだろう。 接近戦は分が悪そうだ。 指先をボクサーに向け、念弾を放つ。 それが開始の合図。念弾を避け、猛然と迫り来るボクサー。 放たずにおいた念弾三発をすかさず解放する。 唸りをあげて飛ぶ三つの念弾は、パーリングでたやすく弾かれた。 心中で舌打ちする。足止め以上のことを期待するつもりはなかったが、足止めにもならない。 ボクサーは瞬く間に距離を詰めてきて――ステップイン。 それに反応し、左側の空間に体を押し込む。 同時に巨大な塊が吹き抜けていった。 速くて、重い。威力のほどが想像できる。 ――と、悪寒。 本能に任せて身を沈める。 しなう大鉈が、頭のあった位置を刈っていった。 右ジャブから右フックのコンビネーション。視界の外から襲ってきた拳は、まったく見えなかった。 まずい。こいつ、上手い。 体勢を整えるために、加速放題(レールガン)で上空へ逃れる。 天井は高い。とはいえ、闇の中に身を投げる作業は、神経を削る。 天井への衝突に備えて身を翻したものの、足は虚空を掻くばかり。もう少し高く飛べそうだ。 これならまた、違った戦い方が出来る。 逆さの地面を“凝(み)”る。 闇の中に立ちのぼるオーラが、人の姿を浮かび上がらせている。 と、ボクサーが身を沈めた。足にオーラを集中している。 跳びあがってくるつもりか。 だがそれは、好都合。 ボクサーの足元で、オーラが爆発した。そう見えた次の瞬間には、ボクサーの拳が間近に迫っている。 だが、加速放題(レールガン)の発動の方が一瞬早い。 力を加減し、動いたのはほんの数メートルほど。 しかし、ボクサーの狙いを外すには充分。 目標を失ったボクサーが吹き抜けていく。その上昇が限界に達したところで、加速放題(レールガン)。身動きのとれないボクサーに切り込んでいく。 俺は勝利を確信し――だが、ボクサーは、得たりとばかりに笑った。 ボクサーが身を縮ませる。今度はこちらが吹き抜けて行く軌道。行きがけの駄賃に、蹴りを打ち込む。 それより、わずかに速く。 急速に、ボクサーの体が伸びあがってきた。 無駄なこと、地面を噛んでない状態で、活きたパンチが打てるものか。 構わず打ち込む。 それが、仇となった。「魔法仕掛けの足(グレイトフット)」 パンチが肩口に命中した。刹那。 強烈な衝撃とともに、吹き飛ばされた。否応なしに体が回転し、切りもみ状態で天地を失っているうちに、地面に突き刺った。 すかさず身を起こす。地面がコケに覆われていたおかげで、衝撃自体はたいしたことはない。 だが、肩に喰らった一撃は効いた。 痛みは当然として、当たり所が悪かったのだろう。強い痺れで右腕が言うことを聞かない。 それでも、こちらの蹴りで狙いがそれた結果だ。もし頭に喰らっていたら、間違いなく沈んでいた。 間違いなく生きたパンチ。それを為したのは、足。 おそらく、空中を蹴る念能力。 シンプルだが、やっかいな能力だ。空中戦の利点が消えたと思ったほうがいい。 考えている場合じゃない。着地したボクサーが、すかさず襲いかかって来た。 強いステップイン。 ――ストレート! 読んでしゃがみこむ。 大砲のような拳圧が、空気を焼いていった。 間一髪。だが。「魔法仕掛けの足(グレイトフット)!!」 ボクサーの体が、斜めに傾いた。 そんな体勢から撃てるはずが――加速放題(レールガン)! 本能の赴くまま、体を後ろへ逃がす。 激しい衝撃が、地面を炸裂させた。 ヒカリゴケで覆われた地面に闇の線を刻みながら、やっと二本の足で地面を踏み締める。どっと冷や汗が流れた。 きわどかった。 ボクサーの持つどのようなパンチも届かない死角だったにもかかわらず、パンチは俺の残像を貫いた。 おそらく、敵の念能力の、これが本命。 ボクシングはルール上相手の上半身前面しか打てない。自然、パンチの打ち方も、それに特化している。“ボクシング”で戦う以上、どうしても出来る攻撃の死角。だがそれも、空中を蹴ることが出来るなら、消える。 空中戦を行うためなどではない。“ボクシング”で戦うための、これは念能力なのだ。 強敵だ。しかもジェルなどにはなかった“信念”を感じる。「――っ!」 いきなり目の前に、ドリルが打ち込まれた。次いでツンデレの体が吹き抜け――ピンと張られた金髪が、それをとどめた。 ツンデレは、片膝をついて着地する。 敵の攻撃に吹っ飛ばされたらしい。「やれるか?」 尋ねる。が、愚問だった。「冗談」 ツンデレの瞳が、燃えている。 ロリ姫が腕を組んで、相手をにらみ据えている。「ちょっと油断しただけ。あんな三下、すぐに四つ折りにしてやるわよ」 おそらく、それはおのれを奮い立たせるための言葉。 だが、その言葉が俺の心にも火をつける。「征くぞ小娘。心してかかれ。二対一で遅れを取る様な無様は、許されぬ」「――ええ」 ツンデレが征く。俺も休んでなどいられない。“練” オーラを奮い起こす。「へっ」 ボクサーの、喜ぶような声。 呼応するように、相手のオーラも膨れ上がった。 思考しろ。 オーラ量はほぼ互角。にもかかわらず、これほどの痛撃を食らうのは、純粋な筋力だけの問題ではない。念能力系統の差。 おそらく相手は強化系。 だが、あの能力。魔法仕掛けの足(グレイトフット)は放出系、ないし操作系の念能力。 習熟度を考えれば、無制限に空中をかけ回れるわけではないと見た。 接近戦では、あきらかに分が悪い なら。 ボクサーの拳が迫る。それより早く、上空に向け加速。ボクサーは迷わず追ってくる。誘いに乗ってきた。 避けるように、軽く加速。 追うようにボクサーは空中を蹴ってきた。それを避け、さらに天へ向け、加速する。 一蹴り、二蹴り。 敵は迷いなく追ってくる。それを――加速して側方に逃れる。 ボクサーの目に、わずかにためらいが浮かんだのを、見逃さない。そろそろ限界か。追ってきたボクサーから逃れ、さらに加速。 今度は下方。ボクサーを掠めて地面に向かう。 相手は追ってこない。 地面を蹴って折り返し、敵の懐へ飛び込む。 だが。ボクサーの足が空を噛む。 ――フェイントか? だが、呼び込みが甘い! 逃げるのではなく、むしろ前に――加速放題(レールガン)。 拳をが飛び出すより速く、二段加速で敵に衝突する。 だが、崩れない。倒しきれない。この大男のタフネスを、見誤っていた。 代償を求めるように、ボクサーの両腕が後ろに回された。 逃れる暇もない。 体が締め上げられる。骨がきしむ。 強化系の力だ。このまま締め落とすのも、容易いだろう。 だが。 こちらから、相手の体に抱きつく。そのまま体勢を入れ替え――加速放題(レールガン)。 地面に向けて、加減なし。 意図に気づいたボクサーがもがく。 だが、遅い。 逃げる暇も与えず、ボクサーの脳天を地面に打ちつけた。 今度こそ、確かな感触。 充分にそれをかみ締めて、跳び退る。 地面に杭のように突き刺さっていたボクサーは、ゆっくりと崩れていった。 そのまま、微動だにしない。 勝った。 小さく拳を、握りこみ。「よしっ! 大勝利!!」 ツンデレの高ぶった声が聞こえてきた。 見れば三下は、ツンデレに足蹴にされ、目を回していた。ドリルにまで突きまわされているのは、すこし哀れな気もするが。 ともあれ、これで勝った。 ということは、当然、黒幕が出てくる算段だろう。 その予測どおり、それは、虚空から現われた。 闇に沈んで、見えない。だが、纏うオーラは、強大そのもの。「素晴らしい」 ぱちぱちと、手をたたきながら、そいつは闇から現われた。