闇から現われたのは、三十がらみの男だった。 黒いサングラスに黒のスーツ。灰色の髪を乱暴に後ろに撫でつけている。 中背だが、分厚い筋肉のせいで着膨れしているように見えた。「誰だ」「戦いの仕掛け人さ」 誰何に答えたその声は、先ほど聞いた声と同じ。 だが、直に感じられる威圧は、別物のように強い。「勝ったほうを誘おうと思っていたんだ。お前ら、俺の仲間にならないか」 唐突に、男はそんなことを言ってきた。「一体、何者なの?」 ツンデレは警戒する様子を隠さない。 対して男は口の端を吊り上げた。獣の匂いのする、不敵な笑みだ。「名をブランと言う。開発者――Greed Island Onlineの作り手さ」 衝撃に、一瞬、思考が凍結し(こおっ)た。「Greed Island Onlineの……作り手?」 呆然と、言葉を繰り返すしかない。「ああ。そうだ」 そんな俺に対し、男――ブランは笑みを深めた。「だから巻き込まれた奴らを、もとの世界に還す義務がある。俺は、そう思ってる」「……どうやって?」 思わず、疑念を漏らした。こちらの世界に来た同胞、およそ三百人。手に余る人数だ。 返ってきたのはあきれ混じりのため息だった。「おいおい。学校じゃないんだぜ? ちっとは考えろよおぼっちゃん――おい。あんた、どうやったらこの世界から還れると思ってる?」 男の問いは、意外なものだった。 とはいえ、こちらの飛ばされてから八ヵ月、常に考えていた疑問だ。答えは口をついて出た。「“帰還(リープ)”」「そんなの、“帰還(リープ)”を使うしかないじゃない」 ツンデレと、言葉が重なった。「三十点だ」 ブランの指が三本、立てられる。「“帰還(リープ)”の効果ってのは、ゲームの外へ帰還する、だ。だが考えてもみろよ。それをどこで使う? ゲ-ムの外で使って、はたして効果はあるのか? だからといってグリードアイランド内で使っても、こちら側(・・・・)のゲームの外に出るだけじゃないのか?」 否定しようがない。 ブランの言うとおりだろう。“帰還(リープ)”の効果を厳密に考えるなら、このスペルカードでもとの世界へ還ることは出来ない。 いや。 そうではない。男は三十点と言った。俺たちの答えに、真実が含まれていると言うことだ。 “帰還(リープ)”がもとの世界への帰還に絡んでいるのは間違いない。 そうして考えると、ひとつの道筋が見えてきた。「……入ってきたときと同じ状態。すなわち正当な手段を経ずにゲームに進入し、そのうえ外に出る条件を満たす」「そうだ。やれば出来るじゃないか――だったら」 男の唇がめくれ上がり、犬歯が露出した。「俺たちがどんな方法をとってきたか、判るだろう?」 ああ。いやになるほど分かってしまった。こいつはジェルの仲間だったのだ。「……ゲームの外に出るもうひとつの条件。すなわち、プレイヤーを死亡させる」 はき捨てる。 グリードアイランドにプレイヤーの死を認識させれば、中身は元の世界に戻れる。“帰還(リープ)”を手に入れる労力と比べれば、はるかに容易い。 確かに、効率的な手段だ。納得してしまった自分に腹がたつ。「あらためて聞くぜ? 坊主、お前俺たちの仲間にならないか」 その問いに対する答えは、もう出ている。「ふざけるな」 湧き怒る怒りを、言葉にして叩きつける。「俺たちに同胞を殺す片棒を担げというのか? 第一、あのジェルがそんな義務で動いていたとは思えない」 あいつは、あきらかに殺しを楽しんでいた。「確かにそうだよ」 ブランは苦虫を噛み潰したような顔になる。「ジェルや、他の奴らも、楽しんでやってる奴らが多い。怖いねえ。バーチャル感覚だ……ま、だからこそお前みたいな奴が欲しいんだけどな」 なんだろう。 こいつの考えは、ジェルなどに比べればよほど健全だ。やり方こそ肯定できないが独特の“理”がある。信念すら感じる。 だが、それ以上に。ブランからはたとえようのないゆがみ(・・・)を感じた。「ひとつ、聞きたいことがあるわ」 ツンデレが、乾いた声あげた。洞内の湿気以上に、渇きを覚える。「何だ?」「こちらに留まりたいって人もいたんじゃない?」 その質問に、男は鼻を鳴らした。「ああ、いたな。向こうにいても良いことはない、なんてほざいてた奴らが」 ブランの声には、明白な侮蔑の響きがある。「そいつらは」「殺したよ」 あっさりと、男は答えた。本当に何でもないと言うような、一言。「てんでガキだ。むこうに残された親兄弟や友人知人、そんな奴らのことを考えもしやがらねえ。ほんとなら知ったこっちゃないんだがな。こんな状況に放り込んだ責任上、ガキの面倒くらいは見ねえとな」 ツンデレが唇を噛んだ。 俺たちがここにいると言うことは、むこうには居ないと言うことだ。肉親を、友人を、あるいは恋人を、突然失った人間がいると言うことだ。 なら、無理やりにでも戻すことは、おそらく正しいのだろう。 だが、そのために殺す。そんな行為が、はたして許されるのか。「……お前も、とっくに狂ってるよ」「だろうよ」 事もなげに、男は肯定した。おのれの狂気を、平然と是認した。 絶対に許容できない。 たとえそれで救われる人がいたとしても、俺はこいつを。「――許せない」「お前は、ここで倒す」 ツンデレの言葉を継ぐように、覚悟を口にした。ロリ姫も、想いは同じ。応えるようにドリルがうなりをあげて回転する。「そうか。残念だ」 それも、わかっていたのだろう。当然と言うように、ブランは背広のポケットをまさぐりだす。 取り出したのは、ハサミだった。何の変哲もない、ただのハサミ。「これか? ただのハサミだ。念能力じゃない」 男はハサミを手の内でもてあそぶ。「これは――こう使うんだ!」 ハサミが熔けた。熔けて腕を流れていく、と、そう見えた。 次いで腕が伸びた。いや、鋼の光沢に覆われたそれは象の角のごとく反り返り、鋭く尖っていく。 鋏。男の手首から先が、長大な鋏となっていた。纏うオーラも、凶暴なまでに研ぎ澄まされている。「あらゆるものと融合する能力。“九十九神(ザ・フライ)”――いくぜ」 男の屈めた足が、爆発的に伸びあがった。 十メートルほどの距離を一瞬でつぶし、大鎌のような腕がまっすぐに伸びてくる。 速い。とっさに半身になって避ける。 その右耳を掠めて刃が通り過ぎ――逆再生のように戻っていく。 二段突き。たまらず退がる。 そこに、横薙ぎの一撃。男の左湾曲刀(うで)がうなりをあげる。 巻き込まれる――寸前。「アズマ!」 高質量の物体同士が衝突する、重い金属音。ツンデレのドリルが男の刃を弾き飛ばした。「ちっ」 舌打ちとともに、ブランが退いた。 危ない。いまのは紙一重。加速も間に合ったか怪しいタイミングだ。 リーチが長い。受けることも出来ない。やっかいな鋏だ。その上ブラン自身、強い。「どうした。こんなもんで手も足も出ないようじゃ、見込み違いもいいところだぜ?」「なにを!」 ツンデレが怒りの声をあげた。 応えるように、高速回転するドリルが、男に襲いかかる。「――ふんっ!」 気合声とともに、ドリルだったものが地面に落ちた。男の鋏に一刀両断されたのだ。ロリ姫のドリルは、もとは岩石。とはいえ、念で強化され、さらには高速回転しているのだ。それを斬るとは、おそるべき鋭さ。 だが、同時に。ツンデレの拳が鋏に突き立てられていた。 オーラを破壊するツンデレの能力。その威力を証明するように、ブランの腕から伸びた大鋏が消滅する。もとに戻ったハサミが、コケに覆われた地面に突き立った。 もう一方ドリルがブランに突き刺さる。 弾かれたように、男は闇の際まで吹き飛ばされた。「やった!?」「いや、油断するでない」 拳を振り上げたツンデレを、ロリ姫がいさめる。「つっ」 あっさりと、ブランは立ち上がった。スーツこそ腹の辺りでらせん状に破れているものの、本人にダメージは見られない。「除念か念能力の無効化か。こりゃいい」 言ってブランは、犬歯を見せる。そして懐から取り出したのは――銃。 まずい。 見る間に、男と銃が融合する。ブランの半身が、丸ごと銃のようになった。右腕が銃口。それが、こちらにぴたりと照準を合わせている。 つんざくような音と衝撃。銃弾が放たれた。「おおっ!!」 同時に、ロリ姫がドリルを繰り出す。 銃弾と、ドリルの先端が合わさった。 衝撃が、肌を裂いた。火花を立て、せめぎあう両者。「っ負けるものかぁ!!」 ロリ姫が吠えた。 ツンデレの髪の一房が地面に伸び、ドリルを作る。それが、銃弾を側面から襲った。 わずかに軸がずれる。 銃弾はドリルの側面を滑り、吹き抜けていく。 背後で炸裂音が響く。 ふいに光がさした。 銃弾が壁をくりぬき、地上まで貫通したのだ。とんでもない威力だ「っはあっ! はぁっ!」 ロリ姫が肩で息をしている。相当オーラを消耗したらしい。 見れば、ドリル全体にヒビが入っていた。 ヤバイ。 弾いても消耗が激しすぎる。銃弾は、あと何発残っているのか。自動式拳銃なら最低でもあと――考えるだけ無駄だ。あきらかに許容量を超えている。 どうするか。 すこしの逡巡の後。「ロリ姫」「アズマ」「ツンデレ」 三人の声が揃った。 視線が、すべてを語っている。おそらく想いは同じ。ならば、迷う事はない。「ふたりとも、俺に命を預けてくれるか」 その言葉に、二人は笑顔をそろえた。「もちろん」「無論じゃ」 後ろからツンデレを抱く。へその辺りで頑強にフック。 ツンデレの二本の髪が地面に撃ち立つ。それが、ひとつの巨大なドリルと化す。 ――加速放題(レールガン)! 敵にめがけて一直線。迷う事はない。全速の加速放題(レールガン)。「そうだ! そうでなくっちゃな!!」 男の顔が歓喜に歪む。 たて続けに、銃声が聞こえた。 とたんに衝撃。 だが、そう簡単に壊れはしない。この覚悟が、砕けてたまるものか! 二度。衝撃が後ろに流れていき、そして轟音。 銃弾とドリルの先端が、がっきと噛みあう。 ドリルが、壊れる。ロリ姫に限界が訪れたのだ。だが同時に、銃弾もまた、微塵と化した。「いけっ! ツンデレ!」 フックを外す。加速を受け、ツンデレが矢のように飛ぶ。 次射より速く、ツンデレの拳が銃身に突き刺さった。「やるな! 相打ちか」「――いや」 ブランの言葉を否定する。 すでに、この手には勝利の鍵が握られている。 地面に落ちた、男の所有物であるハサミが。「俺たちの勝ちだ」“返し屋(センドバッカー)”、“加速放題(レールガン)”。必中の一矢を、全オーラを込めて放つ。 その速度は音を切り裂く。「甘い!」 男は神速の反応でハサミを避けた。「――甘くはないさ」 言葉の意味を悟らせる暇も与えないままに。 高速をもって、ハサミの刃が男を貫いた。「ぐっ」 ブランの膝が落ちる。ハサミは男の背中から、おそらく内臓を傷つけている。 すでに戦闘不能だろう。「勝負あったな」「いや参った。やるじゃないか。ますます欲しくなった、が。まあ、とりあえずは置いておこう」 怪我など無視するように、ブランは笑って見せた。痛みを感じていないはずはない、どころか、下手に動けば命を縮めかねない状況で。「逃がすと思うか?」「さてね。どうする? ミナミ」 構える俺たちなど無視するように、男は虚空に声をかけた。「――別に、お前の好きにすればいい」 応えるように。そいつはいきなり現われた。 高速移動とか、気配を消していたわけじゃない。完全に居なかった。「じゃあ、とりあえず尻尾を巻いて逃げるか」「逃がすわけないでしょっ!!」 ツンデレが飛びだす。 ミナミと呼ばれた男は、ブランをかばうように立つ。そこへ、ロリ姫のドリルが襲いかかった。 ミナミは、動く気配もない。「――移送放題(リープキャノン)」 眠たげに、そいつは言った。 瞬間。大岩がツンデレに衝突した。いや、いきなり出現した大岩に自ら突っ込んだのだ。 ツンデレは、倒れて起き上がる様子もない。ロリ姫も、消耗が過ぎたのだろう。姿を見せない。 息をのむ。 移送放題(リープキャノン)。物質を、瞬間移動させる能力。 そんな馬鹿な。ありえない。「あばよ、また来るぜ。それまでにまた、考えといてくれよ」 ブランが懐から出した紙を破きながら、口の端を吊り上げる。 ブランの姿が、かき消えた。「おい」 訪れた静寂に逆らうように。ミナミに、声をかける。 声が震えていた。「お前は誰だ」「さて」 心底どうでもいいというような、そんな様子だ。「その能力、移送放題(リープキャノン)は俺の考えた能力だ」 そして、それを知る者は、たった一人しかいない。この世で、たった一人しかいないのだ。「そうか、おまえか」 そこで、ようやく。ミナミは感情らしきものを表した。 背筋が凍った。それほど凄絶な笑みだった。「それは、素晴らしい」 口癖のようだった、あの人の言葉。それを残して、ミナミは消えた。 あとに残されたのは、地に伏す三人だけ。「なんなんだ。どうしちまったんだよ」 歯軋りの音が聞こえた。俺の口からだった。