ヨークシンに着いた瞬間、柄の悪い男たちの手厚い歓迎を受けてしまった。 ちなみに、文字通りの意味である。「ようこそ、アズマさん、ツンデレさん。お待ちしてやした」 などと中腰になる黒背広を筆頭に、下へも置かぬ歓迎ぶりである。 さすがに面食らったところへ、いきなり人の群れが真っ二つに割れた。モーゼの十戒の光景を見るようだ。「お二人とも、お元気そうで何よりです」 現れたのは白衣姿の老人――ヘンジャクの弟子の老医者だった。「すみませんね、アズマさん。事情は車内で説明させてもらってよろしいか?」 老医者の示すさきには、異様な長さのリムジンがつけてあった。 確かに。強面の男たちを見回しながら思う。 事情を聞いていられる状況ではなさそうだった。「さて、どこから話したものでしょうか」 ため息をついて、爺さんは説明してくれた。 天空闘技場で別れてから、ヘンジャクは多くの人間を助けた。老若男女、身分の貴賎区別無くである。 ところがその中に、本来死ぬ予定だった、死んでいなくては計算が立たない人間も含まれていて、それがどこかの組織の逆鱗に触れたらしい。 ヘンジャクを恨みに思ったある組織が、とある暗殺者に殺人を依頼した。そんな情報が、同じマフィアンコミュニティーの人間から送られてきたのだ。「その暗殺者と言うのが問題なのです」 老医者は言った。「ジグザグ――この名を、ご存知ですかな?」「ジグザグ?」「暗殺者を示す符丁です。最悪の、と言っていいでしょう」 老人の言葉の端に、冷めた怯えがこびりついていた。「質は、悪い。必ずと言っていいほど、ターゲット以外の死傷者を出しております。それでいて常に闇の名声を得ているのは、彼がどのような依頼であろうとターゲットを殺し損なったことがないからです」「どんな依頼でも?」「どんな依頼でも、どんな状況でも、です」 老医者は言い切った。「それに、正体がまったくつかめない。死んだかと思えばまた別の姿で現れる。神出鬼没にして変幻自在。相手を走り回らせて混乱に乗じてターゲットを仕留める。その手口から、ジグザグの名はつけられたのでしょう」 老医者は再びため息をついた。 ジグザグ。ジグザグに動き回り、ジグザグに動き回らせ、相手を殺す暗殺者。ヘンジャクは厄介なものにつけ狙われているらしい。「いま先生は、とある場所にかくまわれております。先生がお世話した、さる方の別荘でして」 そのさる方と言うのが、マフィアのボスであることは、想像に難くない。 あの黒背広たちを見れば一目瞭然である。「油断できない状況です」 老医者の一言が、事態が切迫していることを物語っていた。 屋敷に着くと、護送するようについてきていた車の大半が、回れ右をして来た道を帰っていった。「数を頼りに守りを固めておりますと、相手の思う壺ですので。残っていただくのはある程度実力のある方だけなのです」 そういうことらしい。屋敷の前に残った黒服は三人。いずれも身のこなしから、相当できる(・・・)とわかる。「どうぞ、お入りください」 老医者に案内されて、屋敷の中に入った。 ひやりとした空気が、肌をなで、思わず身震いする。冷房が効き過ぎているようだ。地階の奥まった部屋に、ヘンジャクはいた。 極上のソファに腰をかけ、茶色い液体に口をつけている。ここからでも甘いにおいが香ってくるシロモノを珈琲とは呼びたくない。いくつ砂糖を入れてるんだ。 黒服を二人、背にはべらせている姿は女王様――と言うには、やはり身なりが悪すぎる。ろくに梳かしてないぼさぼさの髪を無造作にひっくくり、薄化粧すらしてないのだ。胸がでかいのが、まだ救いと言えよう。「おう、久しぶりじゃないか」 ヘンジャクはひょいと片手を挙げ、口の端を曲げた。「右手の調子はどうだい?」 知らねえよ、このエロ医者。 命を狙われてるというのに、ちっとも変わってやがらん。「そのナチュラルなセクハラ発言――できる!」 お前は何で主人公キャラのポテンシャルに戦慄するライバルキャラみたいな顔してんだよ変態シスター。「それにしても、この上さらに女を増やすとはね。腎虚にならないか心配だよ」「あんたはどうしても俺をエロキャラにしたいようだな!」 第一ナチュラルにロリ姫まで数に入れてないか?「まったく、ある意味相変わらずのようだな」 もはやあきれすら通り越した。「ジンキョってなに?」「それはね、せい――」「そこの変態! 教えんな!」 ツンデレになに教えようとしてやがりますかこの変態シスターは。「おーこわ。そんなに青筋立てて怒んなくてもいいじゃない。ねえ、ツンデレちゃん?」「そうよ。ジンキョ、教えてくれてもいいじゃない」「保護欲全開だね。この年頃の少女なら教えても問題ないと思うがね」「そーだよ仏頂面のかほごー。黒服たちに掘られちゃえばいいんだー」 俺に味方はいないのか。つかこの変態どさくさにまぎれてなに言ってやがる。「何だかよく分からんが、察するぞ」 ロリ姫に励まされた。人の情けが身にしみる。 その気遣いをほかのやつらに分けてやってくれ。「……やはりロリか」「こらそこの変態シスター、ロリとか言ってんじゃねえ」「だって、男女がだよ? 一ヶ月近くも無人島で一緒に住んでてなにもないっておかしくない?」「馬鹿なことをまじめな顔で言うな」「その話、詳しく聞きたいものだねぇ」 エロ医者まで入ってくんな。収拾つかねぇよ。「――よろしいですかな!!」 いきなり。じいさんの大音声が喧騒を吹き散らした。「先生、いまは暗殺者に対する術を講ずるのが火急事と存ずるのですがいかが」 有無を言わせぬ迫力である。さすがにエロ医者と変態シスターも首をすくめた。「まったく、先生は命を狙われていると言う自覚をお持ちなのですか」「いや分かった。悪かったよ」 エロ医者は平謝りである。少しいい気味だった。 さておき、とりあえず部屋の間取りとセキュリティーの類を図面で見た後、屋敷を見て回ることにした。 実際に歩いてみてどこになにがあるか把握しておく必要を感じたのだ。 といって、エロ医者を放置しておくわけにもいかないので、ツンデレとシスターには残ってもらった。 じいさんに案内され、部屋を見て回る。 と。唐突に、銃声を聞いた。「アズマさん!」 じいさんの声を聞くよりも早く、とっさに走っていた。 断続的に発砲音が続く。 その発生源を求め、庭に飛び出したとき、すでに銃声は止んでいた。 倒れているのは三人の男。そのすべてが絶命していると知れた。そのうち二人は黒背広である。いずれも傷は頸部のみ。頚動脈をナイフで一撃されていた。 残る一人は、うって変わってひどい状態だ。全身くまなく銃弾――しかも大口径のものを浴びて、人の形をとどめていない。両手と右足が千切れ飛び、頭は丸々吹き飛んでいる。おびただしい血の臭いに、吐き気がした。「すまない。ここの掃除を」 血の絨毯と化した庭の後片付けを黒背広たちに任せて、逃げるようにじいさんと中に避難した。「なにがあったの!?」 肺に残った臭気を吐き出すように深呼吸していると、様子を見に来たツンデレたちと出くわした。「見ないほうがいい。敵が襲ってきて二人死んで、敵はミンチになった」 聞いただけで、ツンデレの顔が青ざめている。 ロリ姫やシスターは平気な顔をしているが。「それってジグザグ? にしちゃあっさり死んで……」 シスターが首を傾ける。「おそらく、ジグザグの手の者かと。手探りに送りこんだのでは?」 じいさんの推測が、正しいものに思える。 と、そのとき。黒背広の一人が屋敷に入ってきた。「うっぷ」 嘔吐を我慢しているのだろう。口を手で押さえながら、奥に小走りで駆けていく。 さすがに、マフィアの武闘派でも、あんな死体の始末は精神的にきついものがあるか。 ツンデレはそのさまを青ざめて見送っている。「仏頂面! 追いかけて!」 いきなりシスターが叫んだ。 この状況でこんな言葉が出て、その意味が分からないはずがない。「あれ(・・)か!?」「あれ(・・)よ!!」 言葉にするのももどかしい。黒背広、いや、それに扮した刺客(・・・・・・・・)を追いかける。 すでに刺客はヘンジャクの部屋の扉を開けようとしている。 ――くそっ! とっさにポケットからパチンコ玉を取り出す。 ――加速放題(レールガン)!! 風切り音は一瞬。 狙いたがわずパチンコ玉は刺客の、右のくるぶしに命中した。 刺客はつんのめって膝を落とした。「先生っ!!」 爺さんが走っていく。 狙いをつけるのに、足を止めたおかげでじいさんが先行する形となった。「ツンデレ! 頼む!」 言いながら、駆けだす。 猛然と突き進む二人をまったく避けようとせず、刺客はにやりと笑って――己の首をかき切った。「ひゃひゃひゃびゃひゃひゃはらびゃあ!!」 空気と血泡の混じった狂笑をあげながら、血の海に沈む刺客に、思わずみな凍りついた。 屋敷中が静まり返る。「先生っ!?」 我にかえった老医者が、部屋に駆け込む。「――仏頂面! あのお爺さんを止めて!」 考えもしないシスターの言葉に一瞬、動きが止まり。「じいさん!? どうしたんだ!」 ヘンジャクの悲鳴が聞こえた。「あいつは相手を乗っ取る(・・・・・・・)念能力者よ!」 シスターの言葉に、やっと足が動く。 すでに敵(・)はヘンジャクに襲いかかっている。 遠い。 五メートルほどの距離が、限りなく遠く見える。「このぉっ!!」 先行していたツンデレが壁をドリルと化し、さらに微塵に砕いた。 壁がなくなり、最短距離をツンデレが突き進む。 ぽっかりと開いた穴から、姿が見える。 ヘンジャクと、襲いかかる老医者との間に巨大なドリルが割り込んだ。 瞬間。 老医者の足元でオーラが炸裂し、その体が真横に吹き飛ぶ。その先にあるのは――窓! 止める間もない。老医者の体は窓の外に吸い込まれていった。「じいさん――!」 青息をつきながら、ヘンジャクは唇をかみ締めた。 みな、血の気が引いている。 ほんの数十秒の間の、取り返しのつかない出来事だった。 その日の夜、一通の手紙が届いた。 ――爺の命が惜しければ一人で来い。 ヘンジャクを止めるすべを、俺たちは持っていなかった。