ヨークシンの郊外に、じいさんは眠ることになった。 ヘンジャクが手ずから立てた墓。その墓碑にはこう書いてある。 ――最も多くの命を救った医人、ここに眠る。「じいさんがいなければ、わたしは死んでいた。じいさんが救ったのは、わたし一人の命じゃあない。これからわたしが救うだろう億千万の命を助けたに、等しいんだ」 そう言ったヘンジャクは、墓を作ると早々に去っていった。「この一件で、だいぶ時間を無駄にしたからな」 ぶっきらぼうに言っていたが、彼女の思いは理解できる気がした。 墓碑銘の文言を事実とするため、より多くの命を助けるために、ヘンジャクはいち早く旅立ったのだろう。彼女が自ら刻んだ墓碑銘は、彼女の胸のうちにも刻まれている。それは、もっとも尊き誓いだった。 たぶん、じいさんの名は、ヘンジャクとともに永遠に語り継がれるだろう。 だが。ヘンジャクも、そして俺も、そんなものより生きたじいさんにいてほしかった。「――行こうか」 墓に手を合わせると、ツンデレたちに声をかけた。 俺たちには俺たちの、やるべきことがある。そのためには、いつまでも足を止めていられなかった。「ツンデレちゃんの修行レッスンⅡ!!」 島に戻って。 まだ重さを引きずった空気を吹き飛ばすように、シスターはハイテンションだ。「今回はツンデレちゃんの課題その二をやってみたいと思います」「俺は?」「あんたはもうクリアしちゃった」 尋ねた俺に、シスターは肩をすくめて見せた。「送り屋(センドバッカー)で、任意のオーラを選択し、発動させる。それがあんたの第二課題だったの」「なるほど」 知らないうちに課題をクリアしていたと言うことか。「となると、俺はレッスンⅢか?」「まだ早い――っていうか、レッスンⅢはツンデレちゃんと一緒にやってもらわなくちゃいけないんだけど……んー」 シスターは腕を組んで視線を虚空に投げた。 待つことしばし。「うん」 シスターが手を打つ。「どうせだからツンデレちゃんの課題、手伝ってもらおう」 と言うことで、ツンデレの特訓を手伝うことになった。 課題は“相手の攻撃を、相手のオーラで相殺できるようになる”こと。 本当にできるなら――シスターが言う限り、できるのだろうが――どんな相手の攻撃も無効化する無敵の能力になるかもしれない。「やろうか、ツンデレ」 訓練法を聞いて、早速対峙する。近い。ちょっと手を伸ばせば相手に手が届く距離だ。 目と目が合う。 ツンデレの顔が、いきなり横へ向いた。心なしか顔が赤い。「何故顔を逸らす」「うっ、うるさいわね! どうでもいいでしょう!!」 訓練とはいえ殺傷能力を秘めた拳が飛んでくるのだ。危険極まりないんだけど……深く突っ込まないほうがよさそうだ。 「じゃあいくぞ」 言いながら“堅”。オーラを爆発的に解放させる。 同時に、ツンデレのオーラも膨れ上がった。総量でいえば、ツンデレのほうがやや上か。 目で合図をして右拳を繰り出す。 ツンデレの前に突き出した腕に、鋭く拳をねじ込む。 手ごたえはなかった。 奇妙な感触だ。インパクトの手ごたえは無いくせに、自分のオーラとツンデレのオーラがぶつかる感覚だけが、確かに感じられた。 これがツンデレの念能力(ちから)か。 なるほど、面白い。だが。「いまのは自分のオーラで相殺したよな」「……仕方ないでしょ、初めてなんだから。いまのはちょっと失敗しただけよ。次!」 ツンデレは口をへの字にして声を張り上げた。負けず嫌いである。 まあ結局。 この日のうちに成果を見ることはなかったが。 手ごたえがつかめなかったためだろう。修行が終わっても、ツンデレはまだ消化不足な顔をしていた。とはいえオーラが無い以上、訓練を続けることはできない。 不承不承といった感じで、ツンデレは食事の準備に向かった。「不満そうね」 ツンデレの姿が船内に消えていくのを見ていると、シスターが話しかけてきた。「……ツンデレの能力だけどな。あれ――」「――実戦で使えない」 続けようとしていた言葉を口にしたのはシスターだった。「そう言いたいんでしょ?」「ああ」 思わず苦笑いを浮かべた。お見通しである。「両手でしか能力を発動できないのは、まあいい。たとえそれが未熟のせいだとしても、欠点じゃない」「わかる?」 シスターは口笛を吹いてみせた。「ああ。全身で、同じことができる必要はない。むしろいまの段階じゃ害になりうる。そう思ったんだろ?」 物理衝撃を相殺するのにオーラを消費する。それはすなわち、オーラに対する防御力が落ちると言うことだ。 強力なオーラを伴う攻撃。たとえば“硬”を相殺しようとすればどうなるか。ましてや体で受ければ……結果は考えるまでもない。 四肢などの、体の末端部分にはオーラを集めやすい。とっさの時も“流”で対応できる。両手が無敵の盾であれば、体はむしろ本来の、オーラによる防御に任せたほうがいい。「正解。ま、全身で攻撃相殺ができるようなレベルまでは、求めてないんだけどね」「そうなのか?」「覚えさせると、仏頂面がいま言ったように、危ないってのがひとつ。もうひとつの理由は、ツンデレちゃんにはロリ姫ちゃんがいるから」 シスターは理由を数え上げ、二本の指をひらひらさせた。「腕が四本あるようなものだからね、二本を防御に回してぜんぜん問題ない。防御に専念できる状態で、無敵の盾が二枚あって、その上で体にまで装甲を施す? そんな時間があったら、オーラ量増やす特訓したほうがよっぽどいいと思わない?」 納得である。まったく同感だ。 ツンデレの、両腕の盾(ガード)をすり抜けたとして、その先にあるものが十のダメージまでを無効化できる力(ねん)か、ダメージを十減らす力(オーラ)か。大して変わらない。そしてオーラ量を増やせば、盾の性能も上がるのだ。「その件に関しては、俺もそう思う。だが俺が聞きたかったのは、相手の攻撃を、相手のオーラで相殺する。そんなことが本当に可能なのかってことだ」 分析能力があるシスターだが、やはり今回ばかりは荒唐無稽なことに思えた。「できるわ」 シスターは言い切った。「だけど、難しいことも確かよ。私はこの修行、三ヵ月の期間を見込んでるわ」「三ヶ月か……」 長い。 その間、あの人たちは、どれだけの同胞を殺すのか。「だけどね、仏頂面。私はあんたの第二課題も、同じだけの期間を見込んでたのよ。それをあんたは一息に駆け抜けた。たとえあの状況で、極限まで集中力が高まっていたとしてもね。ツンデレちゃんも、きっとやってくれるわ」 ぽんと、肩をたたくマネをするシスター。頼もしい笑みだった。 夕食時。いつもの保存食(メニュー)のほかに変わったものが並んだ。 薬である。「世話になった礼だ」 と、ヘンジャクがくれたものだ。「こっちの練り薬が疲労回復用で、粉薬のほうはオーラの回復用だって」 ツンデレが指をさしながら説明してくれる。 だがもうひとつ。茶色の小瓶に入った飲み薬が、俺の前にだけ置いてある。「それは仏頂面用って書いてあったよ」 シスターが言った。 ……何故わざわざ俺にだけ。「飲んでみれば?」 言われて、恐る恐る蓋をあけてみる。腹の底がむかむかするような匂いが漂ってきた。 何だかいやな予感がひしひしとするのだが……まあ、ヘンジャクの好意を疑うのも悪いか。 ままよ、と、一気に飲み下す。ひどく薬臭い。 吐き気をこらえていると、急に腹のあたりがが熱くなってきた。 戸惑っていると、熱が頭のほうに上ってくる。体が火照ってきた。「アズマ、顔真っ赤になってるけど」 耳が熱い。腹が熱い。そして、なんだか腹の下からこみ上げてくるものがある。「“分析解析一析(サンセキ)”――あー、仏頂面? これ精力剤だわ」「信じて損した!!」 思わず腹の底から叫んでいた。 マジで性質悪い。なに考えてんだあいつ。冗談にしても悪趣味すぎる。 いや、本気でむらむらしてきた。 目の前のツンデレが、なんだかすごくかわいく見える。 本気でマズイ。「すまん、ちょっと一人にしといてくれ」 ほとんど逃げるようにしてその場を離れていく。「アズマ、いきなりどうしたんだろ」「それはね、性欲をもてあますな状態になっちゃって一人で――」「悪質なデマを流すな変態シスター!!」 聞きとがめて思わず足を止め、怒鳴りつけた。 とんでもないやつだ。いきなりなんてこと口にするんだ。「いいか、絶対にツンデレに妙なこと教えるなよ!」「押すなよ? 絶対に押すなよ!? とかって誘ってるとしか思えないよねー」「頼むからせめて会話しろーっ!!」 まったく、切れるのかブチ切れてるのか。さっぱり分からない変態だ。 砂浜に寝転がって星空を眺める。 星が多い。あらためて、それが分かる。心が洗われる光景だ。こうやっていると、むらむらも……ぜんぜん収まってくれねぇ。どうなってるんだこれ。効果強すぎやしないか?「……だいじょーぶ?」 足音も立てずに、シスターが声をかけてきた。「ぜんぜん大丈夫じゃない」「のわりには発散させようと思わないんだねー。お姉さんてっきりズボン半分下ろしたとこが見られると思ってたよ」「覗きに来たのかよ!?」「三十分くらい前からね」「そんなに前からかよ!!」 この変態め。「はっはっは。こんな体じゃなかったらお姉さんが処理してあげるのにな」「さらっととんでもないこと言うな」 つーか無駄に刺激しようとするな。 結構いっぱいいっぱいなのだ。なんか視線が自然に胸とかに行ってしまう。「あんたがその性格じゃなかったら考えてもよかったけどな」 転がって相手に背を向けながら、憎まれ口をたたく。「むむ? そのココロは?」「外見だけは結構好みだから」「中身(わたし)全否定!? て言うかマイナス要素!?」 そりゃあマイナスもマイナス。大マイナスである。銀髪とかメイドとシスターの融合体のような格好はやりすぎだけど、基本、美人だし。スタイルいいし。 いやいや。 正直こいつにすら反応する自分にヘコむ。「つーか、おちょくりに来たんならとっとと帰ってくれ」「いやいや。覗いてたのはあくまで趣味と実益を兼ねた私の欲望の暴走のなせる業でして、決しておちょくりに来たわけじゃないんですよ」 変態はそう言って胸を張った。頼むからいま胸を張るな。「仏頂面に、大変残念なお知らせです」 シスターはニヤニヤ笑いを浮かべている。「その精力剤、効果は一晩中続くそうです」 なーむー、と、手を合わして、シスターは去って行った。「……あのエロ医者め。とんでもない置き土産していきやがって」 眠れない予感をひしひしと感じながら、エロ医者に対する恨み言をつぶやいた。