翌朝。 到着予定時刻に先立つこと、わずか二十分前。朝もやの中に、すでにヨークシンの街並みが浮かび上がっていたときだった。 いきなり、強い浮遊感に襲われた。 飛行船が高度を下げたらしい。そう思い、窓から外を覗くと、思いのほか地面が近い。 墜落する。そう感じるほど、飛行船は急速に高度を下げていた。見る間に地面が迫ってくる。 船体が一度、大きく揺れ、止まった。着陸したようだった。 船内が一気に騒がしくなった。乗客も、この異常事態に気づいたらしい。 喧騒の中、ふいに、船内放送で呼び出しがかかった。アズマ一行様、と、名指しである。 不審に思いながらも船内下部にある警備室を訪ねと、なかから船員が青い顔をして出てきた。「アズマさんと、そのお連れ様ですね」「ああ」 誰何に応えると、船員はまず謝り、そして船から下りるよう懇願してきた。 なぜ、と、問う必要は無かった。 開かれた搭乗口から外を見たそのときには、原因は九分通り理解できていた。 追われるように俺たちが地面に降りると同時、飛行船は待ちかねたように飛び立っていった。 それを悠然と眺めながら、待ち構えていた男はこちらに視線を戻す。 黒いサングラスに黒のスーツ。獣毛を思わせる灰色の髪を、後ろに撫でつけたその姿は、見まごうはずもない。「よう、アズマ。待ってたぜ」 同胞狩り――ブランは、俺のあらゆる想像を超えて、この場にいた。「なぜ、分かった」 端的に問うたのは、わざとではない。驚きのあまり、それしか口に出せなかった。 質問に対して、ブランは喉を震わせた。「おいおい。見くびってくれるなよ。俺はお前のこと、高く買ってるんだぜ? だったらお前を相手にして油断なんてできるわけねえだろ?」 高く評価するからこそ、それを相手にするときは油断しない。万難を排し、あらゆる事態に備えておく。 完全に見誤っていた。ブランがそこまで周到なやつだとは思いもしなかった。「とはいえ、想定していた可能性の中でも最悪のケースだ。よくあの念能力を外せたもんだ。素直に感心するぜ」 ため息が落ちる。ブランは顔を伏せ、くしゃりと髪をかきあげた。 その奥から、瞳がこちらをひと撫でした。「なあお前ら、俺とつるめよ。お前らと組めるのなら、同胞狩りは止めて、レイズのやつらと縁を切ってもいいんだぜ?」 ふいに、ブランはそんなことを言ってきた。 視線をツンデレたちに向ける。それだけで、意思が通じた。 そう。答えは決まっている。「断る」「冗談」「誰が」「ふん」 俺の言葉に、シスター、ツンデレ、ロリ姫が続ける。 たとえブランの言葉が真実でも、独善的な正義のもと、蛮刀を振り回すこいつの仲間になどなれるわけがなかった。 その答えに、ブランはかえって楽しげに、口の端を吊り上げた。「そう言うと思ってたぜ。実を言うとだな、お前を仲間にしたいのと同じくらい、俺はお前らと戦うのを楽しみにしてたんだよ」 むき出しにした野獣の笑みの奥に、燠火のごとき狂気があった。 これがこの男の本質。理性の仮面を外せば、その中にある貌はまちがいなく戦闘狂。「さあ」 ブランが手を広げる。同時に、ミナミの姿が現れた。おそらく飛行船から下ろさせた仕込みは、このひとの手だろう。「戦いを始めようか」 ブランはそう、宣言した。 四種のオーラが、同時に天に昇った。 ツンデレの髪が、音をたててアスファルトの地面に突き刺さる。 地面を食い破り、ツインテールの先端にできた巨大なドリルは、モーター音にも似た音を立て、高速回転する。 間合いは十メートル強。両者にとって無いも同然の距離だ。 ブランは両腕を開けて攻撃を誘ってくる。 ミナミは斜に構え、ブランの後ろに控えている。 そのオーラ量は、ざっと見積もって俺の倍近い。 もとより、相手は格上。修行の成果を絞りつくさねば、勝機すら見いだせない。 ――“加速放題(レールガン)”! パチンコ玉にオーラを込め全力で撃ち出す。 右目をピンポイントで狙ったのだが、ブランは首を傾けるだけでそれを避けた。 だが、これはあくまで牽制。本命はすでにブランの前まで飛び出している。 ツンデレだ。 ドリルがうなりをあげ、ブランを襲う。「軽いぜ!」 オーラを集中したブランの右腕に、左のドリルが打ち払われる。 だが、それもツンデレの目論見のうち。一のドリルに重ねるように、次のドリルがガードの開いたブランの胸を狙う。込められたオーラの量は、先に倍する。 ブランは犬歯をむき出しにして哂い、後方に飛んだ。足に集中したオーラを瞬時に爆発させ、跳んだのだ。“流”の速さが尋常じゃない。 だが。 着地点、ブランの右足を狙いパチンコ玉を放つ。 それを避け、体勢の崩れたブランに、“加速放題(レールガン)”のつるべ打ちを見舞う。 それをことごとく防がれるのは、半ば予測どおり。 ツンデレの追撃が、“加速放題(レールガン)”に続く。 打ち合いになった。 片方は拳。片方はドリル。 手数も重さも、ブランが上。だが、ロリ姫のドリルはツンデレの筋肉の緊張、意思、闘志、いずれからも読み取れない。 自然、“視て”から対応することになる。その一瞬のタイムラグに加え、ドリルの軌道はブランの死角を狙える。 それが、彼我の戦闘力の差を大幅に縮めていた。 二人の攻防に目を凝らす。 ブランには、必ず隙ができる。それを、待っていた。 二人の攻防は続く。 左脇を狙うドリルが弾かれ、正面からのドリルはブランの頬を浅く裂いただけ。 ストレート。 ブランの攻防力の大半を裂いたパンチが、ツンデレをガードごと打ちぬく――はずだった。 音すらない。 ツンデレの身にまとう白いオーラが、ブランのパンチを完全に無力化していた。 そこに、吹きぬけたドリルが返ってくる。 ブランの意識がそちらに裂かれた、一瞬。 ツンデレはブランの仲間になっていたとはいえ、彼女の念能力を知らない。それは確認済みだ。 だからこそ、このチャンスを待っていた。 ありったけのオーラをパチンコ玉に込めて、ブランに放つ――寸前。 背中に悪寒。「後ろよ仏頂面!」 シスターの声を最後まで聞かず、とっさに前へ転がる。 寸前までいた空間を、すさまじい勢いで何かが吹きぬけていった。 肩越しに目をやると、先ほどまでブランを挟んで反対側に控えていたミナミの姿がそこにあった。“移送放題(リープキャノン)”。三次元座標さえ把握していれば、自身の移動には何の制約もない。逆に言えば、常におのれと敵、そして常に変化していく周りの状況を把握しておかねばならないのだ。 ブランにできた隙。それを狙う俺の動き。それを確認してから飛んだのだとすれば。化け物と言うしかない。 肩越しに“加速放題(レールガン)”を撃つ。同時に念弾が飛んできた。“加速放題(レールガン)”で無理やり体を浮かし、念弾を避ける。間一髪だ。 ミナミは放出系の念能力者。“移送放題(リープキャノン)”だけに気を取られていると命とりだ。「きゃっ!?」 ツンデレの悲鳴に、あわてて目を向ける。 ミナミが放った念弾がツンデレを掠めたらしい。 狙っていたのか。「おら、余所見は禁物だぜ?」 一瞬の隙。ブランの拳が、ツンデレのガードを抜いた。 肩口を打ちぬかれ、ツンデレは数十メートルも吹っ飛ぶ。「ぐうっ!」 ツンデレはなんとか堪え、すぐに体勢を整えた。“流”でのガードが間に合ったらしい。「おらぁっ!」 ブランの追撃。 その拳が、ツンデレの体を貫くさまを、幻視した。 ――“加速放題(レールガン)”!! とっさに加速する。 ブランとツンデレのあいだに、身を割って入ろうと。 だが。 ツンデレは、逆にこちらに向かってきた。 その動きを、迷わず受け入れ――交錯する。 同時だった。 俺の拳がブランの攻撃をかいくぐって命中し、ロリ姫のドリルは俺の背後の空間を突いた。 それが俺を狙ったミナミに対しての攻撃だと悟り、会心の笑みが浮かぶ。「おおっ!!」 拳を体に張り付かせたまま、“加速放題(レールガン)”。体の中心から拳を結ぶ線を精密にたどって、加速する。 不可避の寸剄による追撃に、ブランはたたらを踏んだ。 彼我のオーラ量の差が、ダメージを大幅に軽減したようだ。「痛っ、無拍子かよ。まさかそんな技まで身につけてくるとはな」「無拍子?」 顔をしかめてブランがつぶやいた、耳慣れない言葉に、思わず聞き返す。 ブランは目を見開いた。「知らねえのか? 攻撃の初動を“隠す”ことで、相手に知覚も予測も許さない体術の究極域だ。武術の精華とも言える超高等技術だぜ?」 先ほど見舞った拳の痕をさすりながら、なおブランは哂う。「そしていまのはそれどころじゃなかった。初動は隠したんじゃなく――おそらく、無かった。念能力によって攻撃に必要な動作を大幅にはぶいた予測不可能な神速の体捌き。無拍子の概念をより純化した――言わば純正無拍子ってとこか」 派手に名づけてくれるが、やったことはシュウとの戦いの焼き直しだ。 あの時は加速放題(レールガン)の命中精度の拙さもあって手足を加速させていた。それゆえ、こちらにも深刻なダメージがあったのだが、いまの俺なら重心加速を、寸分たがわず拳撃方向に合わせることができる。その結果が、ブランの言う純正無拍子なのだろう。「面白れえ。目をつけていただけのことはあるぜ」 犬歯をむき出しにしながら、ブランはポケットから拳銃を取り出す。 拙い。グリードアイランドで十メートル以上ある洞窟の壁をぶち抜いたあれだ。「本気を出すぜ」 ブランは哂う。 見る間に、拳銃が溶けだした。“九十九神(ザ・フライ)”。あれを使わせてはいけない。「ツンデレ! ロリ姫!」 言いながら、地面を蹴る。 ツンデレの除念は本命。俺は前に出て露払いを引き受ける。「――“移送放題(リープキャノン)”」 正面に、ミナミが割って入ってきた。 とっさに。“加速放題(レールガン)”で体当たりしていた。 ミナミの体ごと、吹き飛んでいく。 その先にブランがいた。 音もなく、ミナミはブランにぶつかった。 ミナミの頭がブランにめり込む。肩まで入り、彼の体が胴まで埋まったところで、おぞましい可能性に気づいた。「がっ、ぐ、ぐ、ぐ、ぐ」 苦しみながらも、なおブランはミナミを体に取り込んでいく。 間違いない。ミナミとブランが融合しているのだ。 ミナミの体は、もはやすべてブランの中に納まり、かわりとでも言うようにブランの顔に、体に、ミナミの特徴が浮かびだす。 そして。破滅的なまでにオーラが膨れ上がった。「あ――あ――はははははははははははははははははははっ!」 オーラが、爆発した。そうとしか思えないほどすさまじいオーラが、彼から放射された。 馬鹿だ。 俺は、決してやってはいけないことをやってしまった。「ツンデレ!」「わ、わかったわ!」 悲鳴に近い声で、俺はツンデレに賭けた。彼女の除念なら、あるいは二人を元に戻せるかもしれない。 だが。 彼の体に突き刺さったツンデレの拳は、何も起こさなかった。「なんで? 何で何で何でっ!?」 狂ったように拳を打ち込んでも、何も起こらない。 おそらく。理由は単純。 彼が自然に放つオーラがすさまじすぎて、それを相殺するのが精一杯なのだ。肝心の“九十九神(ザ・フライ)”には、ツンデレの除念は届きもしない。「おいおい、こりゃあ、まじかよ」 ブランの声で、彼は驚きをあらわした。 いや、表に浮かんだその哂いも、ブランのもの。ミナミの特徴は、外見以外には見受けられなかった。「へっ。参ったな、こりゃあ、一方的に決まっちまうかも知れねえが――恨むなよ?」 ブランが腕を払う。さして力を込めたとも見えないそんな一撃に、ツンデレの体は弾丸と化し、吹き飛んでいった。「ツンデレ!」 一瞬。ツンデレの行方を目で追ったほんの一瞬のうちに、ブランは目の前にいた。「うわああっ!!」 恐怖を振り払うように純正無拍子で拳を打ち出す。全身のオーラのほとんどを攻撃に回したその一撃は、たしかにブランの体に当たった。 だが、ブランは小揺るぎもしない。 攻撃は、当たる。彼の技量が伸びたわけではない。ただ、圧倒的なまでのオーラ量が、ダメージを許さないだけだ。 シンプルな答えだ。シンプルで、かつ、絶望的。「おらよっ!」 上から、はたかれた。それだけで、俺の体は地面にめり込んだ。 衝撃が、体を通り抜けた。巨大な圧力をかけられたように、身を起こすことすらできなくなった。「さて。悪いがもう酔狂は起こさねえぜ。きっちり止めをくれてやる」 喜悦を含んだブランの声が、降ってきた。 絶望するしかない。そんな状態で。「――ごめん」 と、謝って。シスターが飛び出してきた。 その表情には悲壮な決意が見える。何をやろうとしているか、明白だった。 ともる術も、手段も、俺には残されていない。 シスターの口から、言葉がつむがれる。「――“分析解析一析(サンセキ)”」 嘘のように澄んだ声だった。 時が止まった。 そんな気さえ、した。刹那の光景が、いまだ残像を残している。 このまま時が止まることを願い、だが、時間は残酷に流れていく。 シスターのオーラが消えた。その事実だけを残して。「ち、早まりやがって」 目の前に、腰を落としたのはブランだった。「……素晴らしい」 そして、視界の端に足だけ見えているのは、ミナミだろう。「なにが素晴らしいだ。ばか。くそっ! 乱暴に分解しやがって。体中ぼろぼろじゃねえか」 ブランが毒づく。言葉のとおり、ブランは体中にダメージを負っていた。おそらくミナミも同様だろう。 好機、と、言いたいところだが。あいにくこちらの体も、ろくに動かない。 だが。“加速放題(レールガン)”で垂直方向に体を持ち上げ、直立する。 シスターが身を挺して作った好機、逃すわけにはいかない。 ――“加速放題(レールガン)”! 体当たり。それしかないと決め、ためらうことなく体ごとぶつかっていく。「ぐっ」 オーラの壁にぶつかる感触。骨がきしむ。 ブランはあきらかに本調子ではない。オーラ量が激減していた。 さらに――加速。 同時に、今度は本物の壁にぶつかった。 確認できなかったが、おそらくミナミの仕業。岩塊でも移送させたか。 衝撃で、意識が飛びかける。暗闇が視界を遠くに追いやっていくのを、かろうじてつなぎとめた。「アズマっ!!」 遠くから、ツンデレの声が聞こえてくる。「ミナミ、こりゃあ拙いぜ。もう一度、やろう」「わかった」 ミナミは頷いた。 なぜ、ブランにそれほど忠実なのか。疑問は口まで上らなかった。意識をつなぎ止める作業で精一杯だった。「“九十九神(ザ・フライ)”」 声とともに、ミナミがブランに飲み込まれていくさまが、おぼろげながら見えた。 そして。 ミナミの最後のパーツ――右腕が、ブランの体に吸い込まれる直前。 ブランの頭が吹き飛んだ。“硬”。オーラを集中したミナミの拳が、ブランの頭にぶち込まれたのだ。 血しぶきを撒き散らしながらも、融合は進む。人と人との融合体は、人の姿を取り戻す。 首から生えてきたのは、ミナミの顔だった。 ミナミは、おのれの新しい手を握り、また開く。 体は傷だらけ。頭を飛ばしたせいで、血すら足りていないはずだが、オーラだけは、禍々しく放射されている。「ははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!」 ふいに、爆笑が巻き起こった。 そこに込められたあまりの狂気に、怖気がふるう。「素晴らしい! 自由だ! これで俺は自由だ!!」 天に向かって、ミナミは叫んだ。 ありえない。 こいつが、先輩だなんて、絶対にありえない。「お前は……いったい何者だ」 俺の問いに、ミナミは瞳をこちらに向けた。人語を解す獣に観察されているような、異様な感覚だ。 そしてミナミは答えた。「気づかないか? 俺はお前だ。東カイリ」 謎の言葉を残して、ミナミの姿が消えた。「アズマ、大丈夫?」 駆けつけてきたツンデレが、声をかけてきた。見れば、ツンデレもぼろぼろだ。「おお。無事だったか」 ロリ姫も、心なしか煤けているように見える。 意識は、まだ手放せない。シスターのことを、話さなくてはいけなかった。 OTHER'S SIDE「……あー、やってしまいましたよ、私」 シスターメイは、目の前に広がる光景に、捨て鉢気味につぶやいた。 風景から、人の姿が消えている。“ガラス越しの風景(スタンドアローン)”が強まった結果だ。 もう、どれだけ念をふりしぼっても、仲間の姿は見えない。完全に独りだ。「何で後先考えないんですかね、私というやつは」 後悔しても仕方ない。もう、すべてが遅い。「……んー、よしっ!!」 だが、シスターメイは。彼女は、絶望を振り払うように声をあげた。「姿が見えなくても、声が聞こえなくても、伝える手段はきっとある! それを、探そう!」 あんな別れ方なんてしたら、あの仏頂面も、ツンデレも、ロリ姫も、きっと気に病む。 ――だったら伝えよう。私はここにいるよって。 手を振り上げて、シスターメイは歩き出した。「手紙とか……は、あいつらがどこにいるかわかんないし、やっぱりどうせやるなら派手に伝えたいわね」 迫りくる孤独感に抗うように、彼女は声を張り上げる。「そうだ、歌とか、いいね。ラジオとか公共の電波使ってド派手にやっちゃおうかな」 シスターの孤影は、荒野の向こうに消えていった。 数日ののち。 公共の電波で、一曲の歌が流れた。聞くものが聞けば、それはこの世界ではないどこかの国のヒット曲だと気づいただろう。 通常の番組を乗っ取って流されたこの曲は、のちに国を超えた大ヒットとなるのだが、それはともかく。 この歌を流した彼女の、本当のメッセージは、受け取り手には確実に伝わった。 しかし、それを知る手段は彼女にはない。 だから今日も彼女は歌い続ける。大切な仲間たちに、声が届くように。 ――みんな、この声が、届いてる?