ヨークシンの中心部にほど近い、高級ホテルの一室。ブランたちとの戦いで負った傷を癒やすため、俺たちはそこにいた。 ラジオからは、シスターメイの歌が流れている。人を唸らせるような上手さはないけれど、澄んだ声に込められた想いが、心を打たずにはいられない。 最初、この歌を聞いたとき、泣きたくなった。 私はここにいるから。大丈夫だから。あんたたちは、振り向かないで前を向いてなさい。 そんなシスターの声が、聞こえてくるようだった。「シスターのカタキ、討たなきゃ」 最初に言い出したのはツンデレだった。 カタキを討つ、と言うのとは、少し違うかもしれない。シスターはブランたちにやられたわけではなく、俺を守るために自ら能力を使ったのだ。 シスターが消えたのは、ふがいないのは俺のせいで、ミナミは関係ない。 だが、もし彼女がこの場にいたなら、絶対にミナミを何とかしようと言い出すに違いない。 だったら、彼女に命を救われた俺たちがすべきことは、決まっている。「――無論じゃ。だが、どうやって倒す?」 腕を組んだロリ姫が、片目をあけて言った。 さすがのロリ姫も、思案しあぐねているようすだ。彼女の思考に添うように、ツンデレのツインテールがねじれていく。 どうやってあの怪物を倒すか。それが問題だった。 いまの俺たちの技量であいつを倒せるか。そう問われれば、否、と言うしかない。 少なくとも正攻法では無理だろう。「人を使うか? いまの俺たちの所持金、すべて使って賞金を懸ければ、大物狙いの賞金首ハンターも動く」「それはイヤ」 俺の提案に、ツンデレは即座に首を振った。「あいつは、わたしたちの手で倒さなきゃ」「……だったら雇って協力してもらうか? 相手を操る操作系の念能力者が理想だけど」「相手を操る操作系……シャルナークとか?」「無理無理無理。これ以上厄介なやつ引き込んでどうする」 即座に思いっきり否定する。実際問題協力してもらえるかどうかはさておき、いまの状況でこの上旅団と関わるなどありえない。 とはいえ、あの反則的なオーラに対抗するには、旅団(それ)クラスの実力が必要なのかもしれないか。 ツンデレは首をひねってうー、と唸る。「ねえ。それならヘンジャク先生とか、海馬とかに手伝ってもらうわけにはいかない? それから……イヤだけどシュウのやつとか」「……無理だろうな。ヘンジャクは人命救助に忙しいだろうし、あの海馬にしても、協力してくれるとは思えない。そもそもどうやって連絡を取ったものか。シュウも、グリードアイランドに入ってからあれほど時間が経ってるんだ。元の世界に返っていないとしても、大詰めにさしかかってるころだろう。こっちに関わってる余裕なんてないはずだ」「でも」「わかってる。同胞に協力を仰ぐにせよ、海馬やシュウクラスの実力がないと話にならない。だったら、当たってみるのもアリだ。ツンデレにはそっちを頼みたい」「わかったわ。三人に声をかければいいのね」「それと、ハンター。できれば操作系の念能力者がいい」 意気込んで出て行こうとするツンデレに、声をかける。「アズマ。お主は如何するのだ」 去り際にロリ姫が、そう聞いてきた。 組んだ手に力を込め、答える。「考えるのさ。勝ち方をな」 それから数日。部屋にはいろいろと物騒なものが集まっていた。「うわ、これどうしたの?」 さすがに、呆れたようにツンデレが聞いてきた。銃器や軍用兵器、得体の知れない物体が所狭しと並んでいれば、それも当然かもしれない。「電脳ネットとこの辺の闇ルートから」「これで勝てるの?」 大口径の拳銃を手に持って、ツンデレはいぶかしげに聞いてきた。 ちなみにその銃、彼女が俺を撃ったものである。「正面からやったんじゃバズーカでも効きゃしないだろうよ」 パソコンに向かいながら答える。「こいつらはあくまでパーツだし、何十通りか考えた戦いに合わせたものだから、実際には使わないものも多いと思う」「また無駄遣いを……これはなに?」「スターライトスコープ。星の明かりを拾って夜でも昼間みたいに見られる」 その値段を聞いたツンデレはまじめな顔をして、どう戦うか決めてから買い物しなさい、と、諭すように言ってきた。えらい迫力だった。 この街に来たのなら、立ち寄らねばならないところがあった。 ヨークシン郊外。じいさんの墓である。 十字を切ったものか、手を合わせたものか。作法より想いだろうと、故郷での慣習に従い、手を合わせた。 それはどんな奇縁か。 心の中で報告を済ませた帰リ道。遠くに見覚えのあるオーラを感じた。「アズマ」 ツンデレが抑えた声で話しかけてきた。「ああ」 小声で返す。 感じたオーラは、間違えようがない。ミナミのオーラだった。「どうする?」 ツンデレはすぐにでも飛び出して行きたそうな顔をしていたが、さすがにいまはまずい。「――尾行す(つけ)るか?」「ああ。尾行する。できれば潜伏場所を特定しておきたい」 声を押し殺したロリ姫の言葉にうなづく 国外へ出た形跡がなかったので、そう動いていないとは思っていたが、まさかこの辺りにいたとは。「ツンデレは待っていてくれ。ロリ姫がいるお前じゃ完全な“絶”はできないだろう」「……わかったわ。悔しいけど足引っ張るわけにはいかない。気をつけてね」 足を止めたツンデレは、悔しそうに唇をゆがめていた。 ツンデレと別れ、尾行すること小一時間。郊外の廃ビル群に、ミナミは足を踏み入れていた。 あたりは、昼でも薄暗い。慎重に身を隠しながらミナミの不気味な背を追っていく。 立ち並ぶ廃ビルの一軒に、ミナミは入っていった。おそらく、ここが潜伏場所なのだろう。 ――このあたりが限界か。 居場所さえ確認できれば十分と、きびすを返したところで。首筋を冷気がなめた。「お前か」 振り返った先に、ミナミがいた。 驚きのあまり、声も出ない。「何しに来た、とは、愚問か」 静かに。ミナミは尋ねてきた。 先日の狂気は影を潜めている。「連れはどうした。まさか一人で戦いに来たわけではないだろう」「いや……一人だ。尾行していただけだから」「そうか」 妙だった。ミナミには、殺気も敵意もない。「殺さないのか?」 乾いた喉から声を押し出すと、ミナミから、はじめて感情らしきものが漏れた。「ブランと融合したとき、頭は飛ばしたのだけどな。ブランの妙な性質を受け継いだらしい。いま俺は、ものすごく――戦いたいんだ」 ミナミはそう言って哂った。ブランそっくりの笑いだった。「すぐに戦え、とは言わないさ。考えられるだけのことを考え、準備できるだけのことをしてこい――と、ブランなら言うだろう」 つぶやくように、ミナミは言葉をつむぎだす。はじめて、目の光に狂気がさした。「だが、俺はブランほど気が長くない。三日、待つ。それより先は、俺がお前たちを追うものと思え」 禍々しいオーラが、猛っている。 それに負けぬよう、腹に力を込め、言い放つ。「受けた」 口にした、ただの一言が、腹を据えさせた。 準備は十分じゃない。人手も集まらない。三日の余裕も、ないも同然だろう。だが。ここで逃げたら、おそらく一生シスターに顔向けできない。 だから。戦うと、決めた。「お前は何者だ」 最後に、そう尋ねる。 ――お前は俺だ。 そう、ミナミは言った。こいつが先輩ではないことは確かだが、この言葉の真意は、図りかねた。「言ったろう? 俺は東カイリだと――もっとも、いまとなってはそれでさえなくなったが」 そう言ったミナミの表情からは、何も読み取れない。虚ろが、貌に浮かんでいた。「俺こそ問いたい。お前は何者だ、と。俺がいる以上、お前がここにいるはずがない」 わけのわからない言葉だった。 俺には東カイリの記憶がある。知識がある。何より、俺を俺たらしめているのは、“アズマ”ではない。“東カイリ”だ。俺が東カイリであることは疑いなかった。 ミナミはどうなのだろうか。いや。 俺は心の中で首を振った。こいつの正体など、考えなくていい。 素性がどうであれ、こいつは敵だ。俺とこいつは、ともに天を戴くことなど、けっしてできない。 それだけは確信できた。また、それで充分だった。 月明かりの照らす廃ビル街。ツンデレと並んで歩いていた。 二人。ロリ姫を加えて三人である。 連絡は、つながらなかった。ヘンジャクにも、海馬にも、むろんシュウにも。頼みの操作系年能力者も、期限内には見つからなかった。それでも勝つことをあきらめずに俺たちはここに来た。 闇の、はるかむこうからは、取り違えようのない、強大なオーラが感じ取れる。 ツンデレは、意気込みが過ぎるのかしきりに肩を震わせている。「落ち着くのじゃ、ツンデレ」 そんなツンデレを、ロリ姫がいさめた。「戦う敵は強大で、味方も少ない。じゃが、見よ。妾が居る。アズマが居る。妾を信じよ。アズマを信じよ。そして、妾らが信頼するツンデレ、おぬし自身を、信じるのじゃ」「ロリ姫……ありがとう」 肩の震えが収まった。 まったく。ここぞと言うときの腹の据えようは、さすがと言うほかない。 俺も信じよう。ツンデレを、ロリ姫を、そしておれ自身を。できるだけの準備と、策を用意して、俺たちはここに来たのだ。 プレッシャーを押しのけ、歩を進める。 道のむこうに人の姿が、月明かりに照らされてはっきりと見えた。「待っていた」 こちらの姿を認め、ミナミが哂う。無機質な表情しか持たないミナミだが、この笑いだけは違っていた。「決着をつけに来たぞ」 覚悟を込めた言葉とともに、天に向けて引き金を引いた。俺とツンデレで立て続けに三発。空で、爆発が起こる。 用済みになった擲弾筒を地に捨てた。「何のつもりだ?」「わからないか? お前の念能力を封じたんだよ(・・・・・・・・・・・・・)」 その言葉に不穏さを感じたんだろう。ミナミは空を仰いだ。降ってきたのは氷晶にも似た、金属質にきらめく薄片だった。「それ自体は、ただの金属フィルムだ。ただし、ここではビル風が巻いている。数十分はこの空間を漂っているだろう」 さすがに、俺の意図が読めたようだ。ミナミの眉がピクリと動いた。“移送放題(リープキャノン)”は高速移動ではなく空間転移。壁の中に出てしまうようなアクシデントを防ぐために、転移先に物体があれば能力自体発動しないようになっている。 雨が降れば最高だったのだが、残念ながら今日の降水確率は10パーセント未満。代替手段として擲弾筒でチャフをばら撒き、この空間での念能力使用を封じたのだ。“移送放題(リープキャノン)”は俺の考えた念能力。それゆえ、弱点もわかっていた。「さあ――はじめようか」 オーラを爆発させ、戦闘体勢に入った。 呼応するようにミナミのオーラが天を衝く。「いくわよっ! ロリ姫!!」「応っ!」 ツンデレのツインテールが地面を穿ち、二本のドリルをその先に造りあげる。「来い」 言って、ミナミはおのれの腹を打ってみせた。このあたり、ブランの性質を深く受け継いでいるようだ。 望むところだ。 こちらとしては放出系オーラの差しあいになるのが一番怖い。誘いに乗らぬ手はなかった。 身を沈める。 足もとにオーラを炸裂させ、一気に間合いをつめる。 割いたオーラは攻防力八十ほど。全力で送り出した拳は、ミナミの差し出した腕に突き刺さる。 衝撃に拳がしびれた。パンチの威力ごと跳ね返されたような感触だ。 だが。 委細かまわず連打する。その背中から。 ロリ姫のドリルがミナミを襲った。 さすがのミナミも、貫通力のあるドリルを手で受けることはできないだろう。 だが、ロリ姫の、全精力を注いだと言っていいドリルの一撃に、ミナミが差し向けたのは片腕のみ。 左腕の一振り。それで、ドリルは粉砕された。「ちっ!」 ロリ姫は舌打ちし、すかさず髪の毛を側面のコンクリートに打ち込む。 瞬時に、新たなドリルが出来上がった。 再び、拳とドリルが乱れ舞う。 それも、あるいは受けられ、あるいは砕かれ、微塵も通用しない。 だが、ミナミの攻撃も当たらない。 オーラが爆発的に増加したと言っても、動きまで強化されているわけではない。ツンデレはボルトで固めたように中間距離を維持しているし、俺のほうは純正無拍子で先読みの効かない動きができる。“移送放題(リープキャノン)”が使えないいま、おいそれと当たるものではなかった。 それでも、一撃当たれば終わりなのは変わらない。ミナミの拳が吹き抜けるたびに、背筋が凍る。 集中力が切れたときが最後だった。 二対一。しかもこれほど有利な場を用意したにもかかわらず、戦況は圧倒的に不利。 だが。そんなことは承知の上で挑んだのだ。 重心を前に預けたまま、“加速放題(レールガン)”で後方に飛ぶ。ツンデレも呼吸を合わせて退いた。 腰に下げていたものを手に取る。 狙いは最初からひとつ。ツンデレの除念で“九十九神(ザ・フライ)”を解除することだ。“九十九神(ザ・フライ)”さえ解除されれば、この状況下でなら必ず勝てる。 だが、それを成すためには、ミナミの桁外れのオーラが障害となる。 ミナミが自然と放射するオーラが、ツンデレの除念を“九十九神(ザ・フライ)”まで届かせない。 そのための対策も、用意してきた。 念能力封じの神字が刻まれた手錠。ツンデレを取り戻すときにも使ったものである。 即座に、間合いをつめる。 俺の手の内にある物を見て、ミナミの瞳に警戒の色が浮かんだ。 ――遅い。 純正無拍子で繰り出した腕が、ミナミの腕を狙う。 刹那、ミナミが哂った。 次の瞬間。ミナミの念弾が、手に持ったものを砕いていた。 念リンガルを。 むろん、ミナミは自分がいま砕いたものの正体を知るはずもない。 切り札のひとつを打ち砕いた確信が、いままで距離を一定に保ってきたツンデレの急接近に気づくのを、コンマ一秒、遅らせた。 充分過ぎる時間だった。 ロリ姫のドリルが、ミナミを襲い。 ミナミがそれを砕こうと、腕を振り上げ。 ツンデレが、ミナミの腕に向け手錠を振り下ろした。 手錠がミナミの右手にかかる。 直後、ツンデレの左拳が、ミナミの顔に打ち込まれた。 完璧だった。 思い描いた図を、そのままトレースしたように、策はハマった。 しかし。「う、そ」 拳を引いたツンデレの顔色が変わる。 ミナミに変化は見られない。 除念が効いていなかった。「目のつけどころは素晴らしい――だが、死者の念を甘く見たな」 ミナミは口の端を吊り上げた。 言葉と同時。ひやりとした冷気が首筋を通り過ぎていく。 ミナミの手を見る。ミナミの左腕には、いつの間にかハサミが握られていた。そこに赤い滴りを見たとき――首筋が一気に灼熱した。 人は死ぬ直前走馬灯を見ると言う。 おのれの一生分の回想を、死ぬまでのわずかな時間に見る。時間が限りなく圧縮される。だから、見て取れる光景が限りなくスローになったのも、そのせいだろう。 ツンデレの驚きの表情。ミナミの無表情。ロリ姫が、怒髪天を衝くさま。ツンデレはまだ理解が追いつかない。ミナミの興味はツンデレたちに移る。やるならいま。そう思って挙げようとした手が、微塵も動かない。むしろ膝から力が抜けていく。 首筋から、何か大切なものが抜け出ていく。それとともに、恍惚にも似た感覚が、全身をやさしく包んでいく。 それが死だと、おぼろげながら感じて―― ふいに。冷えた手の感触が、俺の背中を支えた。 世界に音が戻ってきた。「――“死線の番人(グリーンマイル)”」 言葉とともに、三度、首筋に衝撃を受ける。それで、噴水のような出血はぴたりと止まった。 ミナミが顔をしかめて退き、ロリ姫の繰り出したドリルが空を切った。「あ……あ」 ツンデレの貌に、喜びの感情が浮かび上がった。 背後に目をやる。 そこにいたのは、いるはずのないヘンジャクの姿だった。「なぜ?」 驚きで、それしか口にできない。次に会ったら言ってやりたいと思っていたことが山ほどあったのだが、そんなものは一瞬にして吹き飛んだ。 そんな俺を見て、白衣の奇人は笑う。「妙なこと言うもんだ。ホームコードにメッセージくれたのは、そっちだろうに」 その飄々としたもの言いが、いまはとてつもなく頼もしい。「来てくれたのね、先生!」 ツンデレが破顔した。ヘンジャクも、からりと笑う。「ほかならぬあんたらの頼みなら、来なきゃなるまいよ」「……新手か」 無表情のまま、ミナミが哂う。 その様子を見て。ぼさぼさの髪を掻きながら、ヘンジャクは目を眇めた。「ふん。そんなにうれしいかい?」「ああ。なぜだろうな。強いやつと戦えるのは――すごく、うれしい」 念能力を封じられた状況で、それでもミナミは哂っている。無邪気な子供のように、戦えることを喜んでいた。 ふと思う。こいつは本当に子供なのではないかと。“九十九神(ザ・フライ)”で最初にブランとミナミが融合したとき、精神面にミナミの影響は、まったく見られなかった。いまは逆に、ミナミがベースであるにもかかわらず、ブランの影響はミナミを大きく蝕んでいた。 ミナミという人物が幼児のように純粋で、染まりやすい精神の持ち主なのだと考えれば、今の彼の状態を、説明できる。 一瞬、視界が暗くなった。失血のせいだろう。手足の指先に、痺れを感じた。 意識を集中し、拳を握りこむ。まだ、戦いは終わっていない。 対峙する中、金属のきらめきが夜を彩る。 銀光が走った。次の瞬間、ミナミの右の親指は地に落ちていた。 その結果。念能力封じの手錠は、ミナミの腕から滑り落ちた。 最優にして狂気の判断。ミナミは親指一本と引き換えに、おのれの絶対的なアドバンテージたるオーラを取り戻した。 顔に狂気の哂いを貼り付けて。「っは――さあ、戦おう」 ミナミは、悦びもあらわに腕を突き出してきた。 ――念弾! 判断して備える。 オーラが、ミナミの手のひらで爆発的に膨れ上がった。 でかい。人の身長ほどもある。 それは、無造作に放たれた。 オーラの玉が尾を引いて迫る。 とっさに避けた、その背後で、念弾が炸裂する。コンクリートが飛び散り、鉄筋が捻じ曲がり、そして俺たちは嫌応なしに衝撃に巻き込まれた。「くっ」“堅”の上からでも息が詰まるような衝撃だった。見れば、ビルには直径五メートルほどのトンネルが造られていた。 だが、その威力に、ミナミは首をひねる。「何をした」 ミナミが目を向けたさきは、ヘンジャクだ。「別に。強力な回復薬を打っただけだよ」 とぼけて言ったヘンジャクの右手には、注射器が握られていた。ヘンジャクとミナミが交錯したのはただ一度、俺を助けたときだけだ。呆れた早業である。「ただ、この手の薬には、自己回復力を高めるため、大なり小なりオーラの発生を抑制する成分が含まれていてな。“絶”状態とはいかないが、なかなか効果があるだろう?」 はじめて。ミナミは怒りを面に出した。 憤怒とともに念弾がつるべ打ちに放たれる。 減じたとはいえ、いまだミナミのオーラ量は俺たちよりはるかに上。無造作に放ったように見える念弾の一つ一つが、重い。 受けるは論外。避けるにしても、余波で傷つくことを覚悟せねばならなかった。 だが。 突然頭上を掠めるように放たれた光の奔流は、そんなことなど委細かまわずすべての念弾を飲み込んでいった。「おおっ!?」 その先にいるミナミすら、巻き込んで。光の奔流は吹き抜けていった。 見覚えのある、攻撃だった。 忘れようもない、一撃だった。「滅びの……バーストストリーム」 こんな能力を使うやつは、世界で一人しかいない。 ミナミの驚愕の視線の向く先を、振り返る。 青眼の白竜(ブルーアイズ)が、空を舞っていた。 その背の上。眼下を見下すように睥睨する姿はまぎれもなく、海馬瀬戸。「妙な花火があがったと思えば、やはり貴様らか」 頭上に留まる青眼の背で、海馬は心底不機嫌そうに鼻を鳴らした。「海馬」「ふん。勘違いするな。この男にせがまれて送ってきただけだ」 口をひき結んだまま、海馬はあごで後ろを指し示す。 入れ替わるように前に出てきた男は、ためらうことなく青眼より飛び降りる。 ミナミに向けて一直線。それは、さながら白い流星。「流星――ブラボー脚!!」 朗々たる声が、気合とともにほとばしった。 避ける時間は、おそらくあった。だが、男の姿をみた瞬間、ミナミは一瞬、硬直した。それが、致命的。 次の瞬間。人間大の白い大杭は、ミナミの体を地面に縫い止めていた。 衝撃は地面に小規模なクレーターをつくり、足は完全にミナミの体を貫いている。 致命傷だった。 男は、その足でミナミを貫いたまま、黙然とそれを見下ろす。 白の防護服に身を包んだ、キャプテンブラボーそのままの姿。纏うオーラは強靭にして歴戦による練磨を感じさせた。 「ずいぶんと、暴れていたようだな。放置していた俺の――責任だ」 おのれを責めながら、ブラボーの声に揺らぎはない。そこに、強固な覚悟と意思を感じた。「お、まえは」 消え入りそうな声でミナミは尋ねた。「お前の製作者(・・・)だ」 ブラボーの答えは短かった。「そうか……貴様が」 怒りの表情を浮かべ、ミナミはブラボーを睨みつける。「だが、俺は、もう東カイリではない。俺を俺たらしめているものは、お前の組んだプログラムではない。それ(・・)に従うしかなかった東カイリは、すでにない」 だんだんと、ミナミの息が切迫してくる。 ブラボーはそれを無言で見つめている。「俺は……俺だ」 最後に大きく息を吸い、ミナミははっきりと、そう言った。 目を見開いたまま、瞳に虚ろを映して。ミナミはそれきり動かなくなった。 かける言葉などない。 どんな事情があろうとミナミは敵であり、最後まで敵であり続けた。斟酌すべきものは、なにもない。 そして。 あらためて、ブラボーを見る。 涙が出てきた。 東カイリを知り、東カイリを模したAIプレイヤーを製作できる。そんな人物は、この世に一人しかいない。「せん……ぱい?」 震える声で、そう言った。 驚いたように。ブラボーは視線を向けてきた。「ひょっとして……カイリか? ――ブラボーだ(すばらしい)」 その言葉が、むこうでの先輩の口癖と重なった。 それで、安心してしまったのが悪かったのだろう。かろうじて意識をつなぎとめていたものを、手離してしまう。 スイッチが切れるように。そこですべての感覚が途切れた。