「〝パラドックス〟?」
「うん、それがそのロストロギアの名前」
時空管理局ミッドチルダ地上本部のとある通路にて、高町なのはとフェイト・T・ハラオウンは次の任務について話を広げていた。
高町なのはの次の任務、それはパラドックスという名のロストロギアを現地から回収し、本部へ輸送すること。
「最近遺跡から発見されてたんだけど、一緒に発掘された文献を解析してみたらなんでも〝因果律〟を操るとか〝時空〟に影響を与えるとか、物騒なことが書かれていたらしいの。
だから私が出張ることになったんだ。未知の危険物だし、いつまた誰かに強奪されでもしたらJS事件の再来になるかもしれないしね」
「……気をつけてね、なのは。本当なら一緒に行きたいんだけど私も任務があるし……」
「にゃはは、大丈夫だよフェイトちゃん。慎重に運べば危険なんてきっと無いよ。それに見た目もそんなに物騒に見えないし。
なんというか……銀色の鍵みたいな形をしてるんだ。結構アンティークみたいでお洒落だったよ?」
「……無事に帰ってきてね」
「うん、この任務が終わったらヴィヴィオを実家に連れていく約束をしてるし、ちゃんと無事に帰ってこないとね」
そんな何かのフラグ立ちそうなことを言いながら、あはははと笑いなのはとフェイトは別れた。
――あの様子なら、きっと大丈夫。最近は休養だって取ってるし、前みたいなことにはならない。きっと、きっとそう。
フェイトは自分の心にそう言い聞かせて、次の任務の準備を始めるために自室に向おうとして。
「――あれ?」
ふと足に違和感を感じてうつむくと……靴紐が、切れていた。何故か、全て。
「……大丈夫、だよね」
「カァ! カァ!」
たとえ窓の外にこちらを睨みつけるようにカラスが鳴いていたって。
「ニャー」
どこから紛れ込んだのか、怪しく光る瞳を持った黒猫が前を横切ろうとも、なのはなら――きっと大丈夫。
「……大丈夫、かなぁ……なのはぁ……」
一抹の不安を感じずにはいられないフェイトであった。
二日後の正午。高町なのはがロストロギア『パラドックス』の輸送中、異常な魔力反応を発生させ〝消滅〟したという連絡を受け、不安の的中したフェイトはショックの余り意識を失うことになるのだが、それはまた別のお話である。
■■■
『不覚』。ロストロギアを内包していたアタッシュケースから溢れる光に飲み込まれる直前、なのはが思えたことはそれだけ。
さすがのエースオブエースも、なんの予兆もなく一瞬にして発生した巨大な魔力の前にはなんの抵抗もすることが出来なかったのを誰が責められようか。
そして仮に抵抗出来たとしても、結果はおそらく変わらなかっただろう。
燦々と輝く光が収まり、暗んだ目が視力を取り戻していくと――なぜかなのはの目線の先には見知った天井。
「――――あれ? なんか、知ってる天井……って、ロストロギア!」
ガバっとかけ布団を取っ払いながらなのはは起き上がった。
いつのまにベッドに運ばれていたのだろうと疑問を頭に残しながら周りを見渡すと、やけに懐かしい風景が目に入る。
「……ここ、私の、実家の部屋!?」
思わず声を上げた。先ほどまでこの世界とは別の、ずっと離れた別の世界にいたのに。
それが、なぜかいまは魂の拠り所とも言えるこの場所にいる。
(というか……お母さんいつのまに私の部屋の模様替えしたんだろう……昔みたいになってる……)
可愛らしいヌイグルミなどが飾られた、小学生時代のような部屋の内装。
中学校、高校と歳を重ねるごとにそういったものは押入れにしまったはずだったのに。
(……駄目だ、わけがわからない。とにかく誰かに話を聞かなくちゃ……)
混乱が渦を巻く頭を無理やり落ち着かせながら、ベッドから飛び出そうとする彼女。
だが、何故か思い通りに体が動かず、バランスを崩しベッドから転げ落ちそうになってしまう。
「うわっと――――」
地面に身体を打ち付ける前に、片足を床に突きつけてバランスを取ったその瞬間。
「っ!?」
『ゴキッ』っと骨が不気味な音を鳴り響かせ――。
「痛ったああああああああああああああぁ!?」
足、折れた。
■■■
「なのはちゃんまたベッドから降りようとして骨折ったん? 先月も同じことして骨折ったんやで。学習せなあかんて何度もいうてるやんー」
「うん、そうだねはやてちゃん。というか〝先月〟もベッドから降りようとして骨折したんだ……」
死んだ魚のような目をしながら、ブツブツと廃人のように棒読みで生返事を返すなのは。
そんな彼女に話をかけていたのは、同じ病室、真横のベッドで寝そべっている〝小学生時代の八神はやて〟その人であった。
あの後、足が折れたなのはの悲鳴を聞きつけ現れたのは、まったく歳を取っていない家族達。親友の月村すずかの姉と結婚しお婿にいったはずの恭也もいた。
突然折れた足。歳を取っていない家族。迅速に病院へまるで日常茶飯事のように慣れた手つきで運ばれたこと。
そして何よりも、与えられたベッドの横で、親友の八神はやてが小学生時代の容姿でそこにいたこと、病室の鏡に写った自分の姿が、同じく小学生時代の容姿だったことで――なのはの頭は完全にショートしていた。
(わからないわからない意味がわからない……これは、あれなの? タイムスリップって奴? ロストロギアが発動したせいで精神を過去に飛ばされた?)
何とか現状に起こったことを論理的に説明付けようとするが、如何せんまったくなんの情報もないので確証がもてない。
そもそも例え本当に過去に飛ばされたとしても――。
(私、ベッドから降りるだけで骨折るような貧弱じゃなかったよね!? たしかにあの頃は運動神経悪かったし体もそこまで強い方じゃなかったけど……)
ということである。本当に過去に飛ばされたのなら、小学生時代の高町なのははここまで貧弱ではなかったはずなのだ。
そして現在は小学2年生らしいのだが、この時点では八神はやてと知り合っているはずがない。だが、この世界では高町なのはは実際に病弱で、八神はやてとは知り合いどころか遥か昔に病院で知り合い、今では親友であるという。
なのはの担当医という人からさりげなく聞いたがこの高町なのは、驚くほどに貧弱で病弱だった。
筆頭するのはポッキーもびっくり、マッチ棒の方がまだ硬いとさえいわれる骨の脆さ。
激しい運動をしようものなら全身骨折を覚悟しなければならないらしい。過去には指パッチンを練習していて指の骨を折ったり、柔軟体操で骨が折れたり、酷い時には何をしていなくても骨を折ったことがあるという。脆い、あまりにも脆すぎる。日常生活が困難どころではない。
(……SFはあまりよく知らないけど、〝別の世界〟の過去の私に意識がトリップしたってこと? ロストロギアパラドックスは〝因果律〟を操り〝時空〟に影響を与える〟って話だったけど……それならありえない話じゃない、のかな)
ロストロギアは、はっきりいってしまえば〝なんでもあり〟という現象を起こしてしまえるものが多い。
それは過去に封印したジュエルシードしかり。ミッドチルダでも時間移動の魔法は研究されているらしいが、いまだ一歩も進んでいないのが現状だ。
しかしロストロギアはそれをいとも簡単に実現させてしまう。無論、それ相応の危険性を内包してはいるが。
ならば、違う世界のありえたかも知れない高町なのはに、別の高町なのはの精神が乗り移ってしまってもありえない話ではない。
だが――そうだとしたら“この体の持ち主である高町なのは”の“精神”は……どこにいったのだろう?
「なのはちゃん、どうしたん? そんなに考えこんで……」
「……あ、ごめんね。ちょっと色々思うことがあって」
「……元気だそう、なのはちゃん! 骨が弱いのがなんなん! 病弱なのがなんなん! 他の人にはない自分だけの個性だって考えれば不思議と愛着わくで?」
「嫌だよ骨がポッキーみたいに折れるアイデンティティーなんて! 痛っ!?」
「ああ、大声だしたら怪我に響くやん」
「うううぅ、なんか昔の事故を思いだすよ……」
「事故? どの? なのはちゃんの足の骨が折れるなんて日常茶飯事やったからぱっと思いだせんなぁ……」
「……なんでもない、ぐすっ、なんでもないよ……」
折れた足をさすりながら涙目になるなのは。そしてはぁーと深い溜息をつく。
(これからどうしよう……もしかしてこのままこの世界で病弱なまま暮らしていかなきゃ駄目なのかな……元の世界はどうなってるんだろう。ヴィヴィオやフェイトちゃん、皆に心配かけちゃってるのかなぁ……ん? あっ!?)
ここで、大切な人達の名前を思い出して――初めて重要なことに気がついた。
(もしこの世界も元の世界と同じようにPT事件や闇の書事件が起きちゃったら、私どうしよう!?)
もちろん、過去のようにまた同じ事件が起こったとしても、同じようにユーノを助け、フェイト達と出来れば関わり合いそして分かり合いたい。
例え違う世界の別人だとしても、それでもなのはにとっては同じ親友そのもの。元の世界と同じような人生を歩んでいるのなら――是が非でも助けたい。
そして、できることならば助けることの出来なかったプレシアを助けたい、リインフォースだって助けたい。
元の世界で助けれなかった人たちを救いたい。それは高慢な考えかもしれない。それは間違った考えなのかもしれない。
それでも――きっとどんな困難が立ちはだかろうと、彼女は身を挺してそれに立ち向かうだろう。
誰よりも優しい、不屈の心を持った魔法使い。それが高町なのはという存在なのだから。
しかし……。
(こんな走るのものままならない状況じゃ、何も出来ないよー!)
走ったら、折れる。脅威の軟弱さを誇るこの高町なのはでは、フェイトと互角の勝負どころか同じ土俵に立つ前に負ける。
過去に何度も行った激しい戦闘でもやろうものなら、全身の骨が文字通り木端微塵に砕けるだろう。
(……いや、待ってよ? そういえばこの〝私〟は魔法を使えるのかな)
深呼吸をして、前の体と同じ要領で自分の中の魔法の素であるリンカーコアを探しだす。
(……あった! 魔力は全然変わってない……というか寧ろ多い!? 凄い、ユニゾンしたはやてちゃんより多いかも)
嬉しい誤算である。前の体よりも魔力だけは圧倒的に多い。これほどの魔力があるのならば前よりも遠くから砲撃が出来る、前よりも強い砲撃が出来る。
(今の私がフェイトちゃんやヴィータちゃん達に勝ってるのは〝魔力量〟と〝情報量〟そして〝経験〟だ。この3つを駆使すれば、なんとかなるかもしれない!)
見えた一筋の光明。助けることが出来るかもしれない大切な人達を思い浮かべる。
(……やろう。皆を、助けたい! 元の世界に返る方法や、この世界の高町なのはのことは後から探そう――。
この世界の大切な人達を助けてみせるんだ! ごめんね、ヴィヴィオ、フェイトちゃん……ちょっと寄り道していくよ……)
はやてに気がつかれないようにこっそりと手のひらを重ね、つぼみ状態にして。その中に小さな一個の魔力弾を形成する。
過去の自分ではデバイス無しでは出来なかった芸当。しかし未来の“なのは”ならばこのくらいは軽いもの。
(……出来る! 身体もなんともない! よーし、いまは小学二年生だっていってたから、猶予はあと一年くらいだ。それまで魔法の練習をして戦いにそな)
「ごぼはっ!?」
大量の血がなのは口から噴出した。それはさながら噴水のようで。
「うわあああああああぁ!? なのはちゃんが血吐いたー!? 先生、石田先生ー! 誰か! 誰か先生呼んできてえええええぇ!」
はやての悲鳴を聞きながら、ごぼごぼ血を流しぴくぴくと痙攣するなのは。どうやら魔法もアウトらしい。
血を垂れ流しながら、心の中で涙の滝を流しながら、なのはは心の底から思った。
『詰んだ』。