あれから、40年ぐらいの時が流れた。
シャゴホッドの設計図は、今でも私の机の引き出しに大切に保管されている。
ザ・ボスの依頼は、設計図を処分することであったが、その目的はソ連の手に設計図を戻さないためだ。
ならば、彼らが絶対に追って来ることのできない月の都に持ち込めば、それで問題は無い。
私が設計図を処分せずに大切に保管しているのは、これがザ・ボスと出会ったたった一つの証になるからだ。
あれから、アメリカはアポロ計画で月面着陸を成功させた。
しかし、目論見どおり彼らは裏の月までたどり着くことは出来なかった。
地上人侵略の脅威が完全に去った今、私達はいつも通りの日常を過ごしている。
「桃李。物言わざれども、下自ら蹊を成す」
私は窓の外を眺め、その先にある桃を眺めていた。
少し、周りを見回して、あたりに誰も居ないことを確認する。
まぁ、自分の部屋なんだから他に誰も居ないのが当たり前なんだけど……。
「ん……っ!」
私は思いっきり窓から手を伸ばし、その桃に触れようとする。
しかし、これが思った以上に距離がある。
もう少しの所で、手は桃に届かない……。
届かないのであれば、届くようにするまで。
私は持っていた二本の扇子で、桃を掴むことを試みた。
そして、目論見どおり二本の扇子は見事桃を掴み……。
ブチっ!
「……っ!?」
悲しきかな。
桃は枝から取れ落ち、わが手にすること叶わず……。
「しょうがない。桃は私に運動をしろと言っているのね」
仕方なく、私は表へ出た。
で、折角表へ出たわけだから、ついでに残りの桃も取ろうと考えた。
運動がてら。
「だから、兎風情が綿月様に何の用事があるって言うんだ?」
唐突に、表門から声が聞こえてきた。
話の内容から察するに、何か揉めている感じがした。
「やれやれ、今の世も揉め事は耐えないと……嘆かわしい」
とりあえず、後で大事になっても面倒だし、ひとまず様子を見に行くことにする。
運動がてら。
門を超え、一気にそこへ着地……っ!
むぎゅっ!
「あ、あれ?豊姫様……!?」
私の登場が予想外だったのだろう。
門番達は微妙にうろたえ気味だった。
「桃を拾いながら運動をしていたら、なにやら表門が騒がしかったので見に来たの」
門番は、まだうろたえた様子だった。
よほど、私の登場が以外だったのかしら……?
「で、何をもめていたのかしら?」
「いや、その……豊姫様の足元で寝ている兎が、どうしても豊姫様と依姫様に会いたいと……」
「あや、そんなんで揉めてたの?」
とりあえず、その来訪者は私の足元で寝ているらしい。
視線を足元へ落としてみると、確かに私の足元で玉兎が一人寝ていた。
なるほど。これで、着地時の謎の効果音と門番達がうろたえていた謎が一気に解決したわけだ。
「ほらほら、そんなところで寝てたら風邪引くわよ」
「うぅ……あんまりです……」
私がどくと、その玉兎は立ち上がり、服を軽く払った。
「ごめんごめん。はい、桃」
「あ、ありがとうございます……」
彼女は申し訳無さそうに一礼して、桃を受け取った。
「じゃ、この子は私達のお客さんみたいだから、預かっておくわね」
「は、はい。我々に異存はありません」
私はその玉兎を家へ招き入れた。
聞くところによると、なんでも私達に手紙を届けにきたそうだ。
そしてその手紙と言うのが、驚くべき人物からのものだった。
「八意様から手紙……?」
「はい。綿月様にお渡しして欲しいと」
八意永琳様……。
今から大体1300年ぐらい前、月の都を去った偉人であり、私と依姫の師匠。
あれから一度も、八意様と連絡が付いたことなどなかった。
だから、千年以上も経った今、手紙を受け取れたことがどんなに嬉しかったことか……。
「お姉さま?」
その時、訝しそうに言い放たれた妹の声が聞こえてきた。
「また新しいペットですか?もう、いい加減にしてくださいよ……」
「残念ながらペットじゃないわよ」
呆れる妹。
私が勝手に桃を取った事にも原因があるのだけど……。
「まぁまぁ、それよりこれを見てよ」
依姫に八意様の手紙を見せる。
流石の彼女も、顔色を変えた。
まぁ、当然よね。
ひとまず、玉兎を居間に通して、いろいろ話をすることにした。
「八意様は、地上で元気にしているようで何よりです」
「地上へ逃亡した八意様を許されるのですか?」
逃亡……。
確かに、彼女は1300年前に地上へと逃げた。
自分の教え子である、輝夜様と共に……。
あの時、八意様は地上に幽閉された輝夜様を、他の月の使者達とともに迎えに行った。
その際、八意様は私達に月の使者のリーダーの座を譲ってくれた。
もしかしたら、八意様はその時から月に戻らないと決めていたのかもしれない……。
八意様と輝夜様が逃亡する際、八意様は残りの月の使者を皆殺しにした。
少なくとも、記録にはそう残されている。
それと、事実あの時輝夜様を迎えに行った者は、誰一人として月に帰っては来なかった。
それでも、八意様は私達の恩師だ……。
「許すも何も、あのお方は私達の恩師です」
「私達から見たら、地上に追放された形になってるけど、間違ったことをする方じゃないからね」
「もちろん、建前上は月の使者のリーダーである私達が討伐しなければならない相手……と言う事になっていますが、きっとその日は永遠に来ないでしょう」
私達の話を聞いて、その玉兎は安堵の表情を浮かべた。
私が表の地上へ降り立った時、ザ・ボスに惹かれた理由が今になって分かった。
私は、ザ・ボスと八意様の影を重ねてみていたのだ。
初めてザ・ボスと話した時、彼女は自分が残した一人の弟子の事を気にかけていた。
名は、「ジャック」と言ったそうだ。
ジャックは、彼女の弟子の中で一番優秀だったらしい。
そして、彼女の弟子の中で一番、心が弱かったという……。
八意様は、本当に頭の良い方だった。
彼女に教えを被り、弟子となったものは数知れず。
自意識過剰と思われるかもしれないけれど、八意様はその沢山居る教え子の中でも私達を特に良くしてくれた。
私達も、その期待に応えるため、八意様の仰ったことは何でも吸収していった。
それでも、只一つだけ理解することの出来なかったものがある。
それは、月の使者のリーダーとしての心構えだ。
心だけは学ぶことができない。
どんなに必死になって勉強しても、私は私のままだった。
知識や技術と違い、心だけはどうしても八意様になれなかった……。
ザ・ボスは教えてくれた。
心は教えることは出来ない、と。
多くの実績、経験を得ることでしか心は成長しない。
今、八意様に会うことが出来たなら、きっと八意様も同じことを言っただろう。
ザ・ボスは任務のため、ジャックの前から忽然と姿を消したという。
彼に、自分の心以外の全てを教え込んだ後に……。
八意様も同じだった。
私達に全てを教え、彼女は私達の前を去った。
後になって私は知った。
ザ・ボスを殺したのは、他ならぬジャック本人だったことを。
彼はアメリカの指示で、最愛の恩師、ザ・ボスを抹殺した。
そして私達もまた、ジャックと同じ境遇に立たされている。
月の使者のリーダーとして、王より八意様の討伐を命じられている身。
でも、私には出来ない。
最愛の恩師を討伐することなんて……。
私達は、ジャックとは違う。
最後の最後で、私は都に忠を尽くせなかった。
己の信じた道に忠を尽くせ。
ザ・ボスとの約束を、私はまだ果たせて居ない……。
「さて、貴方が地上に逃げた罰を与えなければなりませんね」
「えっ!?な、なんで!?」
玉兎は身を乗り出して、私達に問うた。
「月の兎には、課せられた仕事があるはずです。それが嫌だからって逃げてしまえば、罰があるのは当然の事」
玉兎は、先ほどとは打って変わり、これ以上ないぐらい真っ青な顔になった。
悪いけれど、それを見た私達は思わず噴出しそうになってしまった。
やっぱり、玉兎ってみんな純粋なのねぇ。
「貴方への罰は、この宮殿に住み私達と共に月の都を守ること。もう、餅搗きの現場には戻れないでしょ?」
玉兎は、今度は気の抜けたような顔をした。
「晴れて、新しいペットになれたね」
私はそっと、玉兎の頭を撫でてやる。
「今日から、貴方の事はレイセンと呼ぶわ。これは昔、地上に逃げたペットの名前。貴方には丁度良いわね」
最後に、玉兎……レイセンは、満面の笑みで答えてくれた。
「はいっ!」
レイセンを稽古場へ案内させた後、私達は居間に戻り、桃とお茶を愉しんだ。
「あ~あ、私達は甘いなぁ……」
「あら、八意様が手紙を託すくらいなんだから、罰を与えないでやってくれって言ってる気がしたけど」
「でもねぇ、これで玉兎を束ねるリーダーにまた目をつけられちゃうよ」
依姫の心配はもっともだ。
只でさえ、八意様を野放しにしている私達を、都は厳しい目で見ている。
でも、私は間違ったことをしたつもりはない。
月人は大抵、玉兎を道具のようにしか扱わない。
月の使者担当が嫌で、逃げ出す玉兎は後を絶たない。
だけど、他の持ち場に居る玉兎だって、決して良い環境で働いているというわけじゃない。
私は私なりに、玉兎の事を考えているつもりだ。
もう、あの時のような思いはしたくないから……。
「最近は、月の都に不穏な空気が流れているからね。私達の人手は大いに越したことはない」
どうあれ、レイセンをうちで引き取らなければ、何かしらの処分は下されただろう。
それを黙って見過ごすことだけは、出来ない。
私達は、八意様の手紙の封を切った。
「それにしても、八意様の手紙なんて、もう千年以上見てないわ。一体、何の用件なのかしら?」
期待に胸を躍らせながら、手紙を開いてみる。
「月に戻って来るって言うのなら、私は大歓迎ですけど……」
「私もよ」
しかし、そこに書かれていた内容はあまりにも不可思議な内容だった。
地上から、月の都への侵略者がやって来るというのだ。
不確かな噂が飛び交う中、私達が信じられるのは八意様の手紙だけだった。
かくして、地上からの侵略者がやって来た。
ロケットで真正面からやって来た巫女達は依姫が。
スキマからこっそりとやって来た妖怪は私が、それぞれのしてやった。
奴等の計画は破綻した。
私達は、侵略者から月の都を守った。
それで、めでたしめでたし。
だけれど、物語はそう単純には終わらない。
すべてが終わり、私達が家で一息ついたとき、お酒が一瓶無くなっているのに気が付いた。
玉兎たちは誰もその行方を知らなかった。
しかし問いただすと、あの騒ぎの中、何者かがこの宮廷に忍び込んでいた事が分かった。
あの妖怪の仲間が、もう一人居た。
私達は見事に、騙されてしまったのだ……。
あのロケットも、スキマ妖怪自身も、すべてが囮だった。
本当の目的は、その後……。
第二次月面戦争は、無血の終戦を迎えた。
私達の敗北で……。
無くなったのは、お酒の一杯。
その一杯のために、奴等はこんな大掛かりな事をしたのか……。
私達は正直、呆れた。
私達はその一杯を取り戻すつもりは無かった。
どうせ、奴等はさっさと飲み干すだろうから。
それで、すべてが終わった……ハズだった。
でも、それでやはり終わりではなかった。
私は、一つだけいやな予感がしていた。
無くなったのは、本当にお酒一杯だけなのか……?
そのためだけに、奴等はこんな事をしたのか……?
私は他にも無くなったものがないか、家中を調べた。
そして見つけた……いや、正確には見つけられなかったからこそ、見付かったものだけれど……。
無くなっていた。
40年前。
ザ・ボスから渡され、月の都へ持ち帰り、大切に保管していたもの……。
シャゴホッドの設計図が、跡形も無く消え去っていたのだ。
「そんな……バカな……」
あいつらにとって、あんなものは何の意味も、価値も無い。
なのに、どうして……?
「八雲紫……貴方は、一体何を考えているの……?」
運命の歯車は動き始めていた。
1961年、アメリカ大統領のあの声明が発表されたその時から。
私達、姉妹の運命の歯車は、狂い始めていたのだ……。
あとがき
というわけで、今回は豊姫が主役です。
そして、舞台は月の都です。
何でかと言うと、月の技術ならメタルギアの一個や二個は軽いだろうと……。
安易な考えですね、全く。
ちなみに、儚月抄は漫画版しか読んでおりません……。
あと今回から、ちょっとフォント大きくしました。
自分のPCのせいか分かりませんが、ルビが小さくて読めなかったので……。
それにしても、長い序章でしたね。
書いてみたら、案外長くなってしまったので二分割に……。
まぁ、ドラマとかも一話目は、初回二時間スペシャル!とかやりますよね。
問題ない、問題ない。
この間、綿月姉妹の話を書こうとしたら、目上の知り合いの方から、
「君は、どうしてそう超絶不人気キャラばかり使うんだい?」
と言われました。
そんな言い方って、あんまりじゃないですか……っ!
豊姫、可愛いじゃない!
依姫、かっこいいじゃない!
とか言いつつ、最近は秘封倶楽部に浮気気味な自分……。
さて、次回からはいよいよ本編です。
戦闘描写なんかも、ちらちら入ってくるかな……?
実は自分、ト書きとか下手なんで、ちょっと心配……。
まぁ、その辺は習作と言う事で、思いっきり練習していきたいと思います。
では、ぼちぼち長くなってしまいましたので、この辺で。