clear!! ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編1~clear!! ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編2~今回の種馬 ⇒ ☆☆☆~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編3~☆☆☆「それで、これを、最優先で届けて欲しいんですよ」「分かった、料金も随分多いしな、馬を潰してでも最速で届けてやる」「お願いします」一刀は勤め先であったの運び屋の店主の下へと訪れていた。つまらなそうに店の中をうろうろと物色している孫策と一刀の後ろに黙って付き従っている顔良を伴って。「しかしまぁ、ちっと見ない内に随分出世しちまったな、一刀」「はは、まぁ、自分でもなんだか良く分からない内にこうなっちゃいました」「しかも、こんな綺麗どころを共に連れちゃってよぉ」「ははは」乾いた笑いを返して、幾つかのやり取りを終えると、一刀は頭を下げ店主と別れて店を出る。綺麗どころ、それは否定しない。顔良も孫策も、街中で出会えば振り返ってしまうほどの美女だ。だが、どちらも一刀からすれば手を出すような勇気などあるわけが無い。孫策は言わずもがな。正直言って、一刀は孫堅に対して性格的に勝てないと思っていた。実は殆どの人間が、孫堅を相手にしてまともで居ることは難しいのだが、それは一刀の知らない事である。とにかく、一刀にとって孫策に手を出すということは自ら蜘蛛の巣に突貫する蝶のようなものである。まぁ、孫堅という人間を嫌っているわけではないのだが。むしろ、余り天の御使いと敬わない姿勢は一刀を安心させてくれても居る。上の立場に立つことに、まだ一刀は慣れていないのである。顔良に関しても、袁紹という巨大な名家と深いつながりを持つ女性であるだけでなかなかに対応が難しかったりもする。一刀は劉協に仕えているような物なので、彼女に悪い印象をもたれると袁紹を敵に回してしまいかねない。顔良本人とは、それなりに良好な関係を築けていると思っているのでそこまで神経質になる必要はないとは思うのだが。「ねぇ、御使い様。 どうして書を渡すのに民草の運び屋にまでわざわざ?」「そっちの方が足が速いからだよ」「ふーん……でもそれ、援軍要請なんでしょ?」「そうだけど、良く分かったね」「別に確信があった訳じゃないわよ。 ただの勘」「もしかして、引っ掛けられた?」『雪蓮は異常なんだ、勘が鋭いというレベルを超えてる勘を持っているんだよ』『あー、分かる。 それ』『戦場で嫌なところにしか出てこなかったのは、これが原因か』『そうそう、一番嫌な時に嫌な場所で出てくるんだよなぁ』『俺だけじゃなくて、お前らも涙目だったんだな……』「そんなつもりじゃないわよ。 でも、それが何なのか聞いても良いかしら?」「別に隠すような事じゃないから、構わないよ。 ていうか、何となく目星はついてるんじゃないの? 孫策さんは」「まぁ、多少はね」肩を竦めて孫策は首を縦に振った。本来、援軍の要請は然るべき手順を踏んでから、官史を派遣して請うのが通例だ。いくら足が速いからといっても、諸侯との面会が出来ねば、どれだけ早く辿りついたとしても意味が無い。民草のたかが一商人に会う暇など、基本的に偉い方には無いのだから。その辺は一刀も勿論分かっている。だが、彼はこの書は必ず届くと確信していた。送る相手は曹操。曹操の元には、荀彧も居る。彼女には残念ながら嫌われてしまっているのだが、むしろそれが良い。自分の名で差し出したとなれば放ってはおかないだろう。「陳留に居る曹操へ、援軍をして貰うように頼んだんだ」「わざわざ手紙を同封したのは何故なんです? 友人でもいらっしゃるのですか?」顔良が横から顔を出して尋ねてきた。そう、孫策が聞いたのもこの事だ。「あれは、まぁ読んでもらう為の保険かな」正式な援軍の要請書に挟むように、一刀の直筆で書かれた手紙を入れている。どちらも玉璽で印を押してあり、天の御使いが北郷一刀であることをハッキリと示してある。曹操も荀彧も、どちらも著しい興味を抱く確信がある。要請書の方には曹操を、手紙の方には荀彧にと名を宛てている。両方とも、一目見て分かるように玉璽の印が押されているのだから、彼女達には必ず届くはずであった。そんな事を話しながら城門を潜り抜けると、三人の下に走って近づいてくる少女の姿が。あれは董卓の元で知を奮う、賈駆という少女であった。息を切らせて一刀の元まで走ってくると、一つ深呼吸してから声を挙げた。「ちょっと、こんな時に何で町をほっつき歩いていやがるんですか、天代様」「どうしても外せない用事があったんだ、ごめん……あ、そうだ、丁度いいや」賈駆が一刀に会いに来てくれたのはある意味で渡りに船だった。董卓と直接会いたかったので、彼女に取り次いでもらおうと思っていたのだ。しかし、その事を一刀は口にすることが出来なかった。先を制して放たれた、賈駆の言葉で。「さっき皇甫嵩殿からの報告があったわ。 黄巾党への奇襲を行った朱儁将軍が―――」 ■ 龍と鳳、波に揺られる朝廷での軍議が喧喧諤諤としていた頃。二つの小さな影が宛と許昌の間道をひた歩いていた。紅いベレー帽の様な物を被り、短くまとめられたクリーム色の髪を左右に振る。大きなリボンが荒野に良く目立っていた。背中にはリュックを背負い、その荷物の両は小柄な体躯を隠すほどである。そんな彼女は諸葛孔明と呼ばれている。言わずと知れた三国志を代表する人物として名を知られ後世に名を轟かせる人である。一方で、その隣をひたひたと歩くのはまるで西洋の魔女のような帽子を目深に被り青い髪を二つにまとめて垂れ下げた少女だ。同じく背嚢を背負っているが、こちらはそれほど目立つほどの大きさではない。最近は司馬徽という人物から絶賛されて荊州で評判になっているそうだ。名を鳳統、字を士元と言った。二人は智者として名高い。特に荊州では、司馬徽という者から絶賛されたという噂が広まっており、姿は知らずとも名は知れ渡るという具合でありそしてそれは、かの人物評の通り疑いようの無い事実であった。今の世に漫然と漂う王朝の腐敗、それが原因とする暴徒や賊の横行。正直に言ってしまえば、二人の智者が出した結論として今の王朝は最早死に体であった。そんな二人が広大で危険が満載の大陸を歩いている理由。それは、崩れ去った龍の元に今更舞い降りた“天の御使い”と出会う為である。一体どうすれば今の漢王朝を相手にそんな肩書きを名乗れるのか。確かに、政治の内部を知らない二人の視点では見えないこともあるのかもしれないが外から見てハッキリと駄目だと分かる部分が大陸の至る所で見て取れるのだ。この国を、正常の形にするのは一度壊して直すよりも、遥かに困難である。“天の御使い”が降りたのは何故だ、どうしてだ、まだやり直せるとでもいうのか。華佗という天医との噂も、なんというかその、割と個人的なアレとはいえ。一度気になってしまったら、もう駄目だった。瞬く間に準備を整え終わると、二人は荊州を出て洛陽へと向かっていた。示し合わせた訳でもないのに、孔明も士元も似たような思惑の元、自然に旅立ちの日を迎えてそのまま飛び出してきたのである。「でも、徒歩だと何日かかるか分からないね雛里ちゃん」「やっぱり馬は手放さない方が良かったね」「うん、でも路銀が無いんじゃそもそも向かうことも出来なかったからね」「うん……」「と、突然だったからね」「うん……そうだよね」そう。あまりに性急に決めた出立であったので、彼女達は十分な路銀を用意出来なかったのである。理由の半分が、書物による浪費だというのだから笑えなかった。勿論、それは天の御使いに会おう! という出立を考える前に購入したものであるのだが。結果、宛近くまでは馬での移動が出来たのだが路銀が尽きてにっちもさっちも行かなくなった為に馬を売却。それで得たお金でとある邑まで出ていた商隊に乗り合わせ、2日前から徒歩で移動している。後悔が無いと言えば嘘になるだろう。些か考えが足りなかったというのも否めない。しかし。「後もう少しで邑があるから、そこで商人さんが居れば乗り合わせよう?」「そうだね、私達の足じゃ洛陽まで何時までかかるか分からないもんね」「うん……でも、楽しいね」「え? そうかな……」「雛里ちゃんは楽しくない? こうやって歩いていると行楽に来てるみたいだよ?」「うん、考えてみればそうかも、朱里ちゃん」「だよね、きっと何でも気の持ちようなんだよ」「あわわ、朱里ちゃんが大人っぽいこと言ってる」「はわ、べ、別にそんなつもりで言ったんじゃないよ?」「わ、分かってるよぅ」本人達はそれなりに楽しそうではあった。それも、すぐに終わりを迎えることになる。邑も目で視認できるかという場所に近づいた頃だった。二人は思わずそれまで咲いていた会話を、どちらともなく打ち切って邑の異変に視線を傾けたのである。「……黄巾が翻ってる」それはどちらが言ったのか。孔明も士元も、どちらも自分の言葉だったのか、相手の言葉だったのか分からなかった。ただ、目の前に迫る騎馬の集団が、こちらに近づいてきているのを眺めていただけだった。逃げるには遅すぎた。そもそも、逃げても逃げ切れるような体力は持ち合わせていない。人と馬という、決定的な機動力の差もある。逃げれば追われ、そして捕まる。勿論、このままこの場に留まろうとも拿捕されるのは間違いない。ただ我が身の安全性が高い方は、間違いなく後者だった。「黄巾、最近噂になってる賊の目印だよね」「うん……間違いないよ」「……朱里ちゃん」「……雛里ちゃん」結局、賊と思わしき者が近づくまでに二人に出来たことは、互いの名を呼び合うことだけであった。一見すれば普段の姿と何も変わらぬ姿。特に争いも無く、特に喧騒も無く。普段と変わらない平和の邑を映し出していた場所だ。数多の黄巾が風にはためいて、小高い丘に元の住民と思われる死体が詰まれて居なければだが。その邑は、ただ許昌近くの黄巾拠点から洛陽へと向かう道を直線状で結んだ場所に存在していた小さな邑だった。この事実だけが、これ以上ないほど不幸であっただけに過ぎない。瞬く間に黄巾に飲み込まれ、邑に住む人々は犠牲になった。一夜を、この場所で過ごすというだけの話でだ。勿論、万に及ぶ黄巾党全てを収容することは不可能だ。この邑に居るのは黄巾党の中でも幹部、或いはそれに近しい将軍だけであった。結果。「波才様、不審な人物を連れてきました」「不審な人物?」「……」「……」「なんだこのチンチクリン共は」余りな言いようにムっと来る朱里であったが、ここで余計な事を言って立場を悪くすれば自分の命、隣に居る親友の命まで危険な事になる。少し頬が膨れてしまったが、なんとか周囲にバレずには済んだようだ。「それがですね、こいつら荊州から来た奴なんですが名が諸葛孔明と鳳士元なんですよ」「諸葛亮、鳳統の名は荊州じゃちょっと有名でして」そう報告を続ける黄巾を頭に巻いた男は、荊州の出身であった。つまらなそうに二人の少女を眺める波才は、報告の続きを仕草で促した。「波才様は司馬徽という人物をご存知で?」「ああ、噂には聞いたことがある。 人物鑑定が正確で有名な書生だな」「その司馬徽が、この二人の知を絶賛したという噂が荊州で広がっているのです」「ほう?」そこで初めて、波才は興味深げに孔明と士元を見つめた。遠慮の無い視線に晒されて、孔明と士元は波才から顔をそらした。まるで、その視線から逃げるかのように。「お前ら、とても槍を持てるようには見えないが」自身の脇に合った槍を掴み、波才は孔明へと近づいて無理やり手渡した。当然ながら、このような重い武器を彼女は持てない。下から掬い上げているにも関わらず、武器の重みに体は泳ぎ取りこぼしてしまう。「あっ……うぅ」ガランガランと、けたたましい金属音が部屋に響いた。その様子を見て、波才は口角を吊り上げた。武才を持たぬ者が絶賛される理由。それは果たしてどのような者であろうか。波才に報告した男の言葉が、やにわに真実味を帯びてきたのを実感する。「そうか、なるほど……おい、お前」「はっ」「良くやった、そこの布袋を持っていけ。 金が入っている」「おお、ありがとうございます!」金の入った袋を引っつかむと、報告に来た男は嬉々として外へと飛び出して行った。出て行くのを確認してから、改めて波才は二人へと振り返った。その顔には先ほどまで見せていた厳つい雰囲気は無く、柔和な笑みが浮かんでいた。「ようこそ、我が黄天の世を支える智者よ。 我等は二人を歓迎しよう」「―――なっ!」「わ、私達は―――」「……盃でも交わすか? そんな面倒なことは良いだろう? 血判状を押してもらうだけでいい。 なに、我が黄巾には勇奮う者は数多く居ても知を奮う者は少なくてな 今日という日に孔明殿と士元殿に出会えた事は実に喜ばしいことだ」嬉しそうに微笑む彼とは対照的に真っ青になって、二人の少女は波才を見た。黄天の世。この単語だけで神算鬼謀の頭脳を持つ二人は気がついてしまった。冗談でも何でもなく、この男は天、すなわち帝位を簒奪する、或いはそれに近しい大事を為す気であることを。或いは誰か別の人間を仰ぐつもりなのかもしれないが、それは現時点では大した問題ではない。何時の日か、それも自身が生きている内に不満から起こる内乱。そして其処から続く血みどろの群雄割拠の日が訪れるだろうと予測していた二人であったがこの場で不満が爆発する現場に居合わせる事など予想だにしなかった事であった。それは、先日首都・洛陽を存分に騒がせて瞬く間に広まった噂。“流行病”が蔓延しているという話も、関係している可能性があることに気がついてしまう。自然に発生したのではなく、目の前の男に、或いはこの黄巾党によって恣意的に起きた事件であることに。果たして、それらを知ってしまった孔明と士元は波才が此処から無事に逃がしてくれるなど到底あり得ない事にも察しがついてしまった。だからこそ、彼は持ちかけたのだ。死を選ばす、今の天を捨てて彼らが言う“黄天”を仰げと。逃げ場など無かった。鳳統は帽子を目深に被り、俯いてその小柄な体を震わせていた。孔明も、同じような物だ。実力で突破できるだけの武もない。今この時を切り抜けるにはより良い将来のためにと研鑽を積んできた知も役に立たない。孔明も、士元も志は同じである。将来、国を立て直すほどの器がある人を主君に仰ぎ、積み重ねてきた知を主の下で奮うこと。それが彼女達が出来る、世直しであると確信している。決して、目の前に居る男に利用される為に来る日も来る日も勉学に励んでいた訳ではないのだ。しかし。「……分かりました、血判状を押します」「しゅ、朱里ちゃん!?」「ただし、雛里ちゃんの血判は取らないで下さい!」それはもう、覚悟の上での言葉であった。経緯はどうあれ、この黄巾の賊と血判状を取るということは彼らとの関係を示す揺るぎない証拠となり朝廷の軍とぶつかって敗れた場合、処刑は免れないことになるだろう。波才と呼ばれたこの男に、決定的な弱みを握られて骨の髄まで自身の頭脳を利用されることも必至だ。最早、彼女は朝廷軍を自分の知で持って完膚なき勝利を目指す決意を今、この場でしたのである。勝算は殆ど無い。如何に腐敗が進む官軍が相手とはいえ、黄巾党は賊である。装備、糧食、立場、風評、全てにおいて不利だと言える。孔明の持つ頭脳を持ってして、勝てれば奇跡という答えしか出なかった。現状をそこまで把握している訳ではないが、官軍がそこまで脆弱とは考えていないからこその答えである。だからこそ、孔明は選んだ。諸葛孔明という自分を贄として、鳳士元という鳳を生かすことを。勿論、鳳統はそんな諸葛亮の思いを即座に見破った。「待ってくだしゃい! け、血判状は私が―――」「両方押せ」にべもない返事が返ってくる。しかし、ここは二人にとっても譲れないところであった。「もし、二人共に血判を取ると言うのでしたら死を選びます」「う、うん、朱里ちゃんの言う通りです。 どちらも利用されるくらいなら―――」「じゃあ死ぬしかないな……残念だが」言い募る雛里の口は、波才の腰から引き抜かれた刀によって断たれた。首筋に刃を当てられ、雛里の薄皮を一枚剥いで波才は孔明を見た。「共に黄天を仰がないか、孔明殿」唇を噛み締める。その口の端には僅かに血が滲み、拳を作って震わせた。交差する視線は、やがて逃げるように地面に落ちる。「最後に聞くぞ、志を共にしないか」警告するように促す波才に、しかし彼女は地を見つめるだけで答えなかった。下手に答えてしまえば、胸に秘めた真の志が何処かに消えてしまいそうであった。返答しない彼女に業を煮やしたか、波才はついにその腕を何も言わずに大きく奮った。雛里の刃を見つめ動かぬ瞳、揺らぎの無い淀んだ波才の瞳、ゆっくり、ゆっくりとスローに迫る銀の光。情景はやけに長い刻をかけ流れ―――瞬間、孔明の決死の覚悟はあっさりと崩壊した。「分かりました! 二人共押します、押すから雛里ちゃんを殺さないでっ!」「朱里ちゃんっ……」我が身の命は捨てることが出来ても、親友という絆を切れなかったのだ。それを分かって利用されている。判るからこそ、悔しかった。「……良し、ならば我等は同志だ。 存分に活躍してくれ」首元に数センチまで迫った刃を引いて、波才は身を引く。ペタリと腰を落として尻餅を付く雛里に、そっと近づいてその震える肩を支える朱里。不安げな瞳を見つめて、朱里は首を振った。その様子を一瞥しながら質の悪い分厚い紙を一枚引き抜くと、それを机の上まで持って行き名前を書く。自身の親指を切り裂いて自分の名前の上にグッと押さえつけた。視線で促されて、孔明と士元は、それぞれの名を書き血判を紙に押し付けた。紅い判紋がしっかりと紙に滲み、ここに確かな三人の血判状が完成した。それをしっかり確認してから、波才は紙を丁寧に丸め懐に収めてからにこやかに笑って言った。「さて、新たな同志に今の我々の状況と目的を話そうか。 二人の助言に期待させてもらおう」この世界で始めて龍と鳳凰を手に入れたのは、劉備ではなく波才であった。二人にとって突然現れた黄色い黄昏は、闇夜の始まりであったのである。 ■ 騎馬400邑から10里ほど離れた森の中。月夜に照らされて、鎧と戟、そして数多の馬と人が犇めき合っているのが見えた。一際、大柄な男が腕を組んで俯き、忙しなく膝を揺すっていた。男の名は朱儁。大柄な体躯に似合う、大きく四角い顔に口ひげが顎からもみ上げまで繋がっており見る人によっては体の大きさも相まって厳つさが目立つ物の、その顔立ちは柔和でありそのギャップが溜まらないという人も居る程であった。それはともかく、皇甫嵩将軍の信頼厚く、賊の鎮圧時には協力しあって官軍の中でも多く実戦を潜り抜けてきた所謂ベテランの将軍だった。しかし、そんな数多の戦を渡り歩いた朱儁も、今は落ち着かない様子を見せていた。彼の元に息を堰切らした兵士が何人か近づいてきて、ようやく朱儁は顔を上げた。「来たか」「報告します」「うむ」「賊はおおよそ4万ほどで、邑を一つ占拠して一夜を過ごすようです」「様子はどうであったか」「は、特に警戒している様子はありませんでした。 このまま夜襲を仕掛けても大丈夫なほど弛緩しております……」朱儁は報告を聞いて顔を顰め、そして頷いた。村の者は? とは聞かなかった。そんなこと、聞くまでも無く殺されたに決まっているからだ。皇甫嵩が足止めの部隊として選抜したのは朱儁将軍を筆頭にした精鋭騎馬400。“天代”からの指令として出ていた最大数は1000であったが、皇甫嵩は防衛拠点の構築に重きを置いた事。それに加えて、精細を欠く騎馬兵を除いて集めた数が400でしかなかった。兵数の差は約100倍。足止めにすらならない数字の差である。「しかし……朱儁将軍、言わせて貰いますが、いくら夜間の奇襲、それも成功の可能性が高いとは言っても この兵数差は絶望的でございます」「そんなことは分かっている。 しかし、ここで敵が居ることを奴らに判らせなければ陣を構築する時間が稼げない」「し、しかし……」「戦いにならんというのなら、馬で駆け抜けるしかあるまい。 それで何処まで相手が警戒してくれるかは判らんがな」ため息を吐いて、朱儁は馬に跨った。これはもう、生き残るだけの戦だった。400の騎馬で持って、一気果敢に賊軍の合間を駆け抜ける。ただそれだけが命がけになるだろう。果たして、この中の何人が生還できるか。一つ瞑目した朱儁は、次に目を見開いた時には先ほどまでとは打って変わって精悍な顔付きとなった。「乗馬!」「「「「「「「「ハッ!」」」」」」」」「「「「乗馬!」」」」「「「「乗馬せよ!」」」」低く、しかし周囲に完全に伝わったその声は力強く響き、伝播していく。やがて、乗馬の掛け声が止み、全騎兵の準備が整ったことを隣の副官を横目で見て確認する。それを受けて、朱儁は自身の腰にぶら下げた刀剣を引き抜いた。同時に手綱を引き、一度振り上げると剣を進行方向に指し示して叫んだ。「賊の鼻っ柱に当てて駆け抜けよ! 怯んだ敵を相手にはせず、ただただ前に突き進めぇい! 全騎突撃ぃぃぃぃ!!」オオオオオオォォォォォオオオッォォオオォォォオ!大地を震わす、400の騎馬が目標に向かって突き進む。この世界で始めて、大規模な戦の先端を切ったのは間違いなく朱儁率いる騎馬400であった。 ■ 一兵でも「しかし、あの有名な二人の娘っ子……胸が無かったな」「子供に何言ってるんだ、まぁ胸が無いのは同意だが」「世の中には巨乳な子供も居るらしいからな……」「まぁ、小さい胸とか、笑えるくらいに価値がないけどな」「おいてめぇ、地和様を出威素ってんのか」「巨乳は母性、そして真理だろ、常識で考えれば」「死ね母愛症候群」「やんのかコラァ!」「おい止めろよ、この前の公演で天和様の事件があっただろ。 あれで巨乳派の声は大きくなってるんだから」「くっそ、なんで地和様のあのあどけない胸部の魅力に気がつかないんだ、世の中狂ってる」「やめろよお前ら、みっともない」「そうだそうだ、俺のように全てを愛でれる男になれよ」オォォォォオォォォォオォオオオオォオォ何かが唸っているような声が聞こえた。会話を交わしていた全員が同じように気がついたのか。仕切りに周囲を見回して、しかしそれは何が原因で起こっていることなのか理解できなかった。「な、なんだ……」「お、おい。 波才様が仰ってたことって、もしかして此れの事か?」「そ、そうに違いない!」「不思議な事が起きたら、すぐに報告しろって言ってたな」「よ、よし、俺が行って来る!」「俺も行くぜ!」「頼むぞ!」彼らが慌しく会話を交わす間も、音は強く、激しくドンドン近づいてくる。何人かが縺れるようにして足を動かし、その場を離れて行く。そして、遂にそれらは闇を切り裂いて彼らの前に現れた。「て、敵襲だぁあああ」悲鳴のような声が響いて、周囲を揺るがした。喧騒は波紋のように広がり、やがって大きな混乱を巻き起こす。「道を開けよ叛徒共! この朱儁の前に現れれば即刻命を落とす物と思え!」「駆け抜けろ! 賊を相手取る必要は無いぞ!」「行けっ! 行けぇっ! このまま賊の巣を突き破って駆けぬけろぉ!」「武器を取れ! 応戦するのだ!」「うわあああ、止めてくれぇ!」「敵は大群だぞ……っ!」「き、騎馬兵だ! 逃げろぉぉ!」混乱は加速した。たかが400の数を大群だと勘違いし、殆どの者は圧倒的な馬による突撃に戦意を失い逃げ惑った。乾坤一擲、駆け抜けることだけに集中した騎馬隊は、まるで人など居ないかのように黄巾の間を矢のように駆け抜けていた。運悪く進路に重なった者は、無残にも馬の圧力に吹き飛ばされて命を散らした。その勢いは留まる事を知らず、奥地、奥地へと突き進んでいく。「頃合だ! 火矢を番えろ!」「火矢準備!」「火矢準備ぃっ!」「射てぇぇ!」朱儁の号令が響き、次々に黄巾党の作った天幕へと突き刺さり周囲に火が燃え広がった。それらは黄巾党の恐怖を煽り、混乱を拡大させ、心身を強硬させた。「行けるぞ!」興奮をそのままに朱儁は叫んだ。可能であればこのまま逃げ出したかったが、生憎と突撃している400騎もの馬の進行方向を変える事は容易ではない。後はこの混乱が長引き、このまま徐々に進路を変えて駆け抜けることが出来れば良い。先頭を走って兵を率先していた朱儁は僅かに緩んだのだろう。邑の入り口付近を駆け抜けた瞬間に、彼は背筋に震えるものを感じた。「こ、これはっ!」開けている。明らかに此処だけ、人の波が途切れ、不自然に空間が造られていた。混乱によって自然に開けた場所ではない。確実に人の手が入っている、意図的に作り出されたスペース。「今だ! 奴らはわざわざ苦労して自分達から死地に入ったぞ! 死にに来た馬鹿を歓迎してやれっ!」一際高い建物の上で、一人の男が叫んだ。思わず朱儁はその声に顔を上げる。若い男であった。少なくとも、朱儁よりかは10歳以上離れているかもしれない容姿だ。夜の為、ハッキリとした顔は見えないが、あの男が賊徒を率いているに違いなかった。その背後には、小柄な少女らしき人影がいた。両者共、俯いている為に顔を見ることは出来ない。果たしてあの少女達は何者か。だが、それよりも、何よりもまず、今しなければならないこと。「蒼天已死!」「黄天當立!」「蒼天已死!」「黄天當立!」「蒼天已死!」「黄天當立!」「蒼天已死!」「黄天當立!」前方より、居なかったはずの賊徒の群れが、地中から続々と現れたのだ。恐らく、土を掘って潜っていたに違いない。この夜襲は、初めから見抜かれていたのだ。罠。そうとしか思えなかった。故にこの場は男の言ったとおり、既に死地。留まる事は死を意味する。そしてそれは、官軍の敗北となるのだ。それは防がなくてはならなかった。今しなくてはならぬこと、それは何としても、ただの一兵でも構わない。この死地から生きて抜け出すことだけだった。「ぬぅ! 全騎反転だ!」「反転ですか!?」「迷ってる暇は無い! 開いてきた道を戻るしか―――でぇぇい邪魔だぁぁああ!」「く、くっく、見ろ、無様に狭い場所で踊るだけであるぞ、腐った王朝の犬が! ハァーハッハッハッハッハ!」会話の最中に襲い掛かってくる男を相手に、朱儁は必至に戟を水平に振り、打ち払う。黄巾と同じように、僅かに開いた邑の入り口で無様に反転し駆け戻ろうとする朱儁を見て、波才は腹の底から笑いが込み上げてくるのを押さえきれなかった。自分達に苦しみだけを与えてきた朝廷。それが今、苦しめられていた自分達が逆に、富を溜め私腹を肥やしていた連中を苦しめている。これを笑わずして何を笑おうというのか。「死ねっ! 死ねぇぇ!」「蒼天已死!」「黄天當立!」「ぬぅぅ、朱儁将軍だけでも抜けさせるのだ! 皆よ命を張れぇ!」「朱儁将軍を守れ! 道を開けぇい! ぐうぅ!?」「一人も逃すな! 俺達を苦しめてきた奴らの血で埋めろぉぉぉ!」「殺せぇ! 一人も逃す―――ガッ!?」「転倒した馬は盾にしろ! 朱儁様を中心に方円陣を組っ、がはっ!」 「蒼天已死!」「黄天當立!」次々と騎馬を反転する合間に、賊徒の槍が、戟が馬に突き入れられ転倒しその上から必死の一撃が官軍に降りかかる。腕を貫かれ、目を貫かれ、腸を吐き出させた。後ろから来る騎馬に押されて、そのまま転倒する者も少なくない。先ほどまで黄巾党が上げていた闇夜に響いた悲鳴は、今度は官軍のみの悲鳴となって空気を振動させていた。我を失ったかのように叫びを上げて襲い掛かる黄巾の兵士達。それらは一人残らず、官軍を震え上がらせていた。「……無理です、抜けられません」「戻っても、同じなんです……」狂ったように笑う波才の隣で、二人の少女が悲痛な声でそう呟いていた。もしも、彼女達が波才に目を付けられる前にこの夜襲が行われていれば、結果は変わっただろう。この死地を作り出したのは他でもない。朱儁が目にした二人の幼い二人の手による物であったのだ。自らが、この死地を作り出し、朝廷と完全に敵対したことを示す悲鳴が二人の耳朶を打つ。最早、引けぬ場所へ来た。お互いに、無念を抱えながらも、自らが引き起こした惨事を胸裏に刻み込むように最後まで、最後までその光景を眺めていたという。 ■ 手は打てるだけ「そう……」一頻り、報告を聞いた一刀は頷いて淹れられた高級な茶を一口含んだ。足止めの為に割いた別働隊は、ほぼ全滅という憂き目にあったようだ。数に大きな差があるのだ、敗走することは予想していたがほぼ全滅とは。夜襲を予期されて朱儁が敗走したという事実に、しかし一刀は思いのほか冷静であった。ただ、此処では見えないが確かに命を散らした人々が居る。それだけが言い知れぬ恐怖を一刀の心にこびりつけていた。『本体の言う通りだな、だいたい合ってる』『やっぱり細部は違うみたいだけどね』『そうだな』そう、本体の一刀はこの事実を知っていた。この報告は予定通りといえば予定通りだ。「やけに冷静ね、もっと慌てると思ったのだけど……」隣に座していた賈駆が眉を顰めて一刀を見た。この緒戦、相手の足を鈍らせる為にも、また今後の戦の展開の為にも落としたくは無かった所である。結果だけみれば、容易に官軍の先手を追い払った賊軍は気炎を上げることだろう。「大丈夫だよ」「……」ため息を吐き出して、一刀は自分に言い聞かせるようにそれだけを口にした。何の根拠も示さず、ただ大丈夫だとそう呟いた彼に賈駆は鋭い視線を向けた。この男、自分が黄巾の幹部として疑われているのを忘れているのだろうか。今の状況で官軍が負けて笑っていられるなど、普通は出来ないのではないか。不信感を募らせる賈駆であったが、それは何かの間違いだと思いたかった。この場に居る者は、みな黄巾党と戦う為に集まったのだと、そう信じたかったのである。一刀はそんな複雑な思いの篭った賈駆の視線を必死に受け流して、たった今したためた書を彼女へと手渡した。「それより、董卓さんにその手紙を必ず渡してくださいね、出来るだけ早く」「……分かった、頼まれたわ」直接会いにいければ話は早かったのだが、目の前の少女にやんわりと、しかし思いっきり暗に董卓本人とは絶対に会わせるかチンコが、と言われてしまったのでまだるっこしいがこうした形を取ることになったのである。「ねー、天代様、うろうろしてるだけじゃつまらないわよ」「そ、孫策さん」部屋の壁によりかかって座していた孫策が、不満を垂らした。今日一日、朝を起きてからずっと行動を共にしているが、一刀は確かに傍から見ればうろうろしているだけだった。朝食後に町をうろつき、柄の悪い三人組に書状を渡して、援軍の要請だという書を運び屋に渡してそして今度は董卓と接触するために賈駆に与えられた部屋へと乗り込んだだけである。監視の名目で一緒にくっ付いてきている孫策にはただの散歩と同じことだろう。一刀が今回の戦の為に精力的に動いている事で、必要に駆られてうろついてるのは承知の上だろう。「ごめんね、今のうちにやっておかなくちゃならない事が多すぎてさ」一刀が孫策へ言葉をかけると彼女は肩を竦めた。理解はしているので、これはただの愚痴であることも知っているのだろう。「分かってるけど、与えられた仕事が暇すぎるっていうのも苦痛だと思わない?」「あんた、孫策だっけ? 天代様の疑いを早く晴らしてあげれば? そうしてくれれば、私も安心するんだけど?」「べっつにー、私にはあんまり関係ないことじゃない」「私は、もう特に疑ってないんですけどね……」「根拠はあるの?」「えっと、それは無いんですけど……」「「駄目じゃん」」三人でわいわいやり始めたのを一瞥して、一刀は腕を組んで椅子の背もたれに寄りかかった。董卓がこの書の通りに動いてくれれば、黄巾党が陣を迂回することなど出来なくなるだろう、多分。脳内の自分達と、音々音と共に頭を捻って出した策。まぁ、策というには随分と運の要素が絡んでくるし、本体と脳内自分の持つ知識を前提として描いた物ではあるのだが。「あーでも、チンピラ相手に何かを渡してたのは疑わしいっちゃ疑わしいわよね」「草のような物だって言ってましたけど」「何それ?」「さっき天代様が此処に来る前に町をうろついてたでしょ? その時にね……あ、このお菓子美味しいわね」「そうなの? このお菓子は最近洛陽で生まれたものよ。 江東では珍しいでしょうね」「私も食べたことありますよ、お茶に合うんですよね」「お茶淹れましょうか?」「おー、いいわね、お願いね賈駆ちゃん」「ちゃ、ちゃん!? ちょっと止めてよ」「あはは、じゃあ私が淹れてきますよ」『ぬぅ』『どうした』『いや、一緒に居るのに蛇の生殺し状態だな、とな』『『俺もだよ、“呉の”』』『“袁の”……“董の”もか』『まぁそりゃそうだろうな』『目の前で見れるだけでも良いよ、俺は何時会えるんだろう』『南蛮は遠いもんな』『あの会話に参加したい、あー、本体、俺と代わってくれよ』(俺的には盛り上がってる女子の会話に入り込むのは凄い勇気が居るんだけど……)『ええぃ、役に立たない』『それ、自分自身の事だからブーメランだぞ』『確かにちょっと尻込みしてるな、俺も』『実を言うと、割って入るのって結構勇気いるよね』『『『うん』』』なんだかそのまま世間話に移行してしまった孫策達と脳内達を置いて、本体は立ち上がって窓から覗く景色を眺めた。しばらく意味も無く、辺りを見回していた一刀だったが、ふと気がつくと見覚えのある顔が誰かを伴って歩いているのが見えた。「あれ? 孫堅さんだ」「え?」「母様が居るの?」「隣に居るのは誰?」「華雄じゃない、どうしたのかしら」ふと呟いた一刀の声に、三人とも反応して窓から覗く。どうやら、孫堅の隣に居るのは董卓軍の猛将と呼ばれる華雄将軍のようであった。華雄将軍は董卓軍の将であった覚えがある。なにやら話あっていた二人であったが、やがて話がついたのか、お互いにある建物の中へと入って行きその姿は見えなくなった。「あれは何の建物?」一刀が尋ねると、顔良が顎に手をやって答えた。「えーっと、確か練兵場だったような気がするけど」「おお、面白そうじゃない! ねぇ天代様、行ってみない?」「あの馬鹿は一体何をやってるのよ……」結局、一刀達も様子を見に練兵場へと向かう事になった。孫策に押し切られる形になったが、何をしようとしているのか気にならないと言えば嘘になる。まぁ、普通に合同で兵士の練兵を行おうという話なのかも知れないが。「じゃあ賈駆さん、董卓さんに渡しておいてね」「承ったわ。 華雄のことよろしく」「ああ」それだけをお互いに言い合って、一刀は練兵場へと足を向けた。 ■ 恥ずかしい穴を一日中おっぴろげて「ハアアァァッ!」裂帛の気合と共に振り下ろされる戦斧。常人では受け止めることさえ困難な、激しい一撃が脳天に迫る。引き抜いた宝剣を斜に構えて、その激烈な一撃を交わすと共に刃を滑らせて喉元へ迫る。一瞬の間で繰り広げられ、その身に危険を感じた華雄は無理な体勢で斧を勝ち上げて柄の部分で切っ先をそらした。安堵するには早い。瞬時に距離を詰めて奮われる腹部への拳を、空いた左手で弾こうと手を振るがそれは空を切ることになる。完全に体勢を崩された華雄は、続く攻めから逃れる為にも自らの身を投げ出すように横へ飛んだ。「痺れるな! 華雄将軍!」「ぐっ、馬鹿にするなこの程度!」お互いに奮う剣戟は激しさを増し、徐々にだが孫堅に有利に働いていた。それを自身も理解しているから、鋭く切り込もうとして荒い剣閃になっているのに華雄は気付かなかった。「大振りが過ぎるぞ!」「ぬあぅ、しまった!」肘を激しく打ち据えられ、獲物である戦斧を取りこぼしてしまう。目の前に孫堅の宝剣が迫る。戦斧を拾う暇は無く、もはや後退するしか道は無かった。それが、決定的となる。この剣は言わば、本命を叩き込む為の布石。後方へ身を引いた華雄を追いかけて、完全にバランスの崩れているところに武器を持っていない拳を振り上げる。防御を行おうと両手を構えた華雄はしかし、孫堅の脇から現れた自身の戦斧が飛び込んでくるのを確認する。拳が迫る。 斧も唸りを上げて飛んでくる。華雄はダメージの少ない方、拳の一撃を受けることを覚悟して戦斧を手で叩き落した。顔面を思い切り打ち抜かれ、華雄は自分の跳躍した力も加わって大きく吹き飛ばされる。丁度、その瞬間に一刀は扉を開けて入ってきた。真横を通り過ぎる華雄が一瞬だけ目に入って、続いて壁に打ち据えられて響く鈍い音。ようやく一刀は反応して、その場を咄嗟に離れて事態を確認する。頬を押さえて呻く華雄将軍と、手を振り上げ宝剣を掲げて喜ぶ孫堅をそこで初めて見た。「ぐぅっ……」「私の勝ちだな、華雄将軍!」「あー、もぅ、もたもたするから終わっちゃったじゃない」「いい拳撃が思い切り入ってましたねー」「ええ……いや、ちょっと待った、何でそんな普通なの?」華雄将軍の傍らの床に突き刺さっている戦斧を見て、一刀はドン引きした。確かに、将軍同士で組み手のような物をすることもあるだろう。真剣勝負であるのならば、こんな時代だ。刃を潰していない本物の武器で戦うことだってあるだろう。だが、今は戦を目前に控えているのだ。練習試合で怪我して本番で戦えませんでしたとなれば洒落にならない。というか、刃を潰してても骨くらいは折れるし。「いくら何でも熱くなりすぎじゃあ……」「おう、天代殿。 どうしたこんな所に」「それはこっちの台詞ですって、戦の前にこんな危険な試合をするなんて」「待て、孫堅殿を責めてくれるな」意外な事に、咎める様な口調でそう言ったのは吹き飛ばされた本人である華雄であった。殴られた頬を隠しもせずに立ち上がった彼女は、床に突き刺さった戦斧を担ぎ上げ「私から頼んだのだ。 孫堅殿の武勇は各地に響いている。 私も武人だ、自らの力がどれほど通じるのか、孫堅殿と手を合わせて知りたかったのだ」「そ、そうですか……」「気持ちは分かるかなー、私も武人だし。 顔良もそうでしょ?」「どうでしょう、あんまり強い人とは戦いたくないかなぁ」「そうなの? 結構強そうだけど」「あはは、一応これでも、袁紹様を守る為に鍛えましたから」「ふふ、まぁ武を修める者は大抵根っこの部分は同じなのだ。 それに、華雄殿の武は悪くなかった。 経験しだいでこれからもグングンと伸びることだろう」「我侭を聞いていただき嬉しかった、孫堅殿」宝剣を鞘に収めた孫堅が華雄の礼に答えるように伸ばした腕を掴んで握手する。その光景を見て何となく綺麗な話に終わったなぁと思った一刀であったが重要な事を思い出してハッとする。別に武将同士の親交を深めるのは一向に構わないし、それに関しては何も言わないが戦の前にガチの勝負をすること事態、非常識なのだ。そうだ、それを忘れていた。「えっと、まぁ事情は分かりましたが真剣を使うのは事故にも繋がりますし せめて刃を潰した物を使って―――」「さて、では華雄殿」「分かっている、約束は守る」「うむ、それは重畳。 ではこれを着けてもらおうか」「なっ、これは―――!?」一刀の説教は1秒たりとも聞いてもらえず、孫堅と華雄は話を進めていた。そんな二人の会話に、顔を引きつらせる孫策。それを見て不思議そうな顔をする顔良が、孫堅の取り出した何かを見て慄いた。完全無視の事実を、なんとか心の中で噛み砕いてから一刀もそれを見た。「は、鼻フック?」「こ、これを身に着けろというのか」「そうだ、これは孫家の決まり事でな。 勝負事に負けた者はこれを着用し 負けたという事実を胸裏に刻み込むのだ」そりゃあ胸裏に刻み込まれるだろう。羞恥を煽る器具でしかないこんな物を、公衆の面前で身に着ける神経は普通もてない。孫家とか言ってたから、恐らく孫策も何か忘れ去りたい過去があるのだろう。黒歴史という物だろうか?「まさか董卓軍の将軍である華雄将軍に二言はあるまい」「くっ、分かった、着けよう」「ああ、ついでにそれは一日中着ける事になっているからな」「ダニィ!?」恐ろしい事実が聞かされ、怒鳴る華雄。一刀は思わず孫策を見た。 隣の顔良も丁度視線を向けたようだ。ふいっと顔を逸らす孫策。どうやら真実の事らしい。「本当はこの服もセットで着るのだが、流石に宮内だしな。 これは勘弁しておこう」「ぐっ、こんな恥を受けるのは初めてだ……」鼻フックを完全に装着した華雄は、鼻をおっぴろげて吐き捨てる。言ってる事は憐憫を誘うのに、その姿は滑稽であった。ちなみに、服のことは精神安定的な意味で見なかったことにした一刀である。「で、では失礼するっ!」「うむ、明日のこの時間まで外すなよ、華雄将軍」「分かっているわぁっ!」恥ずかしいからか、それとも単純に怒っているからか。彼女は声を荒げて練兵場から早足で立ち去ってしまった。「明日まで華雄将軍を見る事は出来ないかもしれませんね……」『華雄が孫家に持つ因縁って、もしかしてこれか?』『なるほど、これだったのか……』しみじみと言った顔良の言葉に思わず頷いていた脳内。本体は一連の出来事を忘れようとした。董卓軍と孫堅軍を同じ場所に配置しないようにしようと心に留めて。 ■ 吉報<凶報朱儁敗走を受けてから4日後。早急な造りではあるものの、手元にある兵数をほぼ全て動員したおかげか陣としてはかなり強固な者に出来上がりつつあった。陳宮や賈駆、周瑜と言った知者からの助言もあって、仮に4万もの軍が一斉に襲い掛かったとしてもこの陣を抜く事は容易では無い物になりつつある。それも周囲が平原で無ければの話だが。「こんなただっ広い場所に陣を構築して、果たして効果があるのかどうか……」「既に洛陽から、何進将軍率いる援軍2万2千が援軍としてもうすぐ辿りつくとの事ですが」皇甫嵩の呟くような声に、部下の一人が難しい顔をしてそれに続いた。こんなにも開けた場所に陣を築いて、迂回しようとしない馬鹿は居ない。いかに迂回しにくいようにと左右に簡易な柵を作って、今も伸ばしているとはいえ、だ。草を放って黄巾党の動向はつぶさに監視しているので、洛陽へ一直線に……そう構築しているこの陣と別の方向へ向かっているような事は無いようだが。「相手だって馬鹿じゃなければ草を放つ。 遅かれ早かれ気付かれれば それでこの陣は無駄になる」「そうですな……」「天代殿の言う事は分かる。 数的不利を覆すには盾を用意するしかなかろう。 しかし、この陣を迂回されれば我々はただの馬鹿だな」「まったく」それでも命令は命令なのだ。今できることは早急にこの陣を構築し終えること。それだけだった。皇甫嵩は自身の天幕に戻ると、コップに水を注いで一気に煽る。黄巾党の出足を潰す作戦は、こちらの思惑を利用されるようにあっさりと潰された。精鋭400で当たった騎馬隊は、朱儁将軍本人を除いて誰も戻ってこなかった。将軍自身の怪我も酷い。聞けば相当に絶望的な状況からの脱出となったようである。もう此度の戦で朱儁将軍を戦力に数えることは難しいだろう。「報告!」「どうした」「はっ、黄巾の旗を多数確認、ここから約30里の所で留まっているそうです!」「来たか! よし、すぐに外へ向かう。 下がれ」「はっ!」「皇甫嵩将軍! 火急の報告でございます!」鎧を着込んでいた皇甫嵩は、入れ替わるようにして入ってきた男達に顔を向けた。誰もが汗をたっぷりと掻いている。どうやら随分と長い距離を踏破してきたようだ。「楽にしていい。 それで何だ、一人ずつ報告せよ」「はっ、黄巾に援軍あり。 長安から潼関を抜けて数多の黄巾が立ち上がったようです」眉間に険が寄るのを、皇甫嵩は自制できなかった。ここにこの報告が上がったということは、洛陽の方でも届いていることだろう。何進将軍率いる援軍だけがこちらに向かう理由。そう、天代率いる本隊がこちらに向かえないのは、これが原因だろうかと皇甫嵩は予測した。そこまで考えた彼は、とりあえずそれを横に置いておき、目線を投げかけ報告を控えている男を促す。「宛城が黄巾の者に奪われたとのことです。 これによって、賊の援軍が出る可能性があると」「なんだとっ! あ、待てよ、黄巾の連中は既に目と鼻の先に居るとのことだったな。 そうか、奴ら、援軍を受けて更に数を増やそうというのだな」一人納得して、皇甫嵩は報告を下がらせると、うろうろと室内を歩き回り始めた。今手元にある情報で考えると、かなりの劣勢である。洛陽に居る本隊は恐らく動けない。長安、しかも潼関を抜けているということは殆どその道に障害が無いことを意味する。どれだけの規模かは不明だが、今から自分が相対するだろう黄巾党の数を考えると少なく見積もるのは危険だ。宛城占拠ということは、許昌から来た賊と宛城を奪った賊、両方を皇甫嵩が戦わねばならないことになる。何進将軍の援軍が辿りついても官軍は総勢3万に届かない。対して相手は許昌から登ってくる軍勢だけで4万を越えている。「用兵に差があれば、勝つことも出来るだろうが……」そう、敵は軍人ではなく、殆どがこの世に不満を持つ者。戦のいろはを知らない民草ばかりだ。戦術というものを使わず、火の玉になって攻めかかってくるだけだろう。それでも、数の差は脅威ではあるが。「……良し、決めたぞ!」皇甫嵩は天幕を出ると、すぐ傍に居る部下に自分の考えを告げた。そして、陣地を構築している兵士を一兵残らず休息を取るように言ったのである。更に、備蓄している食糧の一部を開放し、満足行く食事と酒を振舞った。これは賭けだった。報告を受け取った皇甫嵩は、今、30里先に居る黄巾党4万が宛城から送られてくる援軍と合流する。それまでは動かないと判断したのである。もしも、この判断が間違えば、皇甫嵩の持つ5500の兵は鎧袖一色に吹き飛ばされてしまうことだろう。しかし、陣の構築を急かしたせいか、皇甫嵩率いる部隊は疲労が色濃かった。この状態で敵とぶつかれば、いかに防衛に適した陣を構えているとはいえ士気の差で瞬く間に敗れてしまう可能性も高かった。「……何進将軍、急いでくれよ」皇甫嵩は構築されつつある陣を睥睨する場所で一人、呟いていた。 ■ 一枚目の矢それは朝議のことであった。ここ近頃活発になった黄色い布を纏った賊の対応に右へ左へと忙しなく動いていた者が居るためこの場に参内できなかった者も多かったが。今、この場に居ないのは夏候淵と許緒、楽進に于禁であった。「全員集まったわね」「朝議を行うわ、それぞれ順番を守って報告をするように。 みだりに質問を挟まないで全て聞いてから口を出すこと、いいわね」荀彧の言葉に、全員が頷くと彼女は曹操へと目線を向けた。それに頷いて、朝議が始まった。殆どの人間からは、黄巾党に対する報告が相次いでいた。普段は金銭の管理などを行う文官も、同じように黄巾党の話をするのだからここ陳留でも被害は目に見えて出ていると言っていいだろう。それら全てに的確な対処を曹操が、或いは荀彧が答えてそれぞれが納得していく。ある程度の指標を宣言して、今日の朝議は終わりとなった。次々に自分の役目を全うする為、朝議の場を離れていく者を尻目にして残ったのは後の魏の重鎮である荀彧と夏候惇だけとなる。「それで、桂花。 貴女のところにも手紙が来たって言ってたわね」「は、華琳様。 こちらになります」一刀の送った援軍の要請書は、複雑な経緯を辿って最終的には荀彧の手元に収まったようだ。勿論、彼女は差出人の名前を見て条件反射でゴミ箱へ投入したのだが投入する直前に目にした玉璽印を見て、慌てて引き上げたのは言うまでもない。ところどころ、書の端っこが折れて曲がっているのは投げ捨てた時に受けたダメージだろう。握りつぶされていないだけ、マシであった。その手紙を受け取った曹操は、裏表をマジマジと眺めてから言った。「なるほど、桂花に宛てた個人的な手紙にも玉璽印か。 北郷一刀が天の御使いというのは、どうやら本当のようね」「はっ、どんな妖術を使ったのか分かりませんが、噂にある天の御使いは北郷一刀のようです。 援軍の書にも玉璽が用いられていますから、真実の物でしょう」「と、いうことはこれは官軍からの援軍要請ということになるわね」「はい、断る術はありません」「手紙には何て書かれていたんだ?」「……個人的な物を話すつもりは無いわよ、春蘭」「む、そうか。 ならば仕方が無いな」天の御使いという噂は、ここ陳留でも既に広がっていた。曹操も荀彧も、殆ど疑ってかかっていたが、その天の御使いの肩書きを持つ男が北郷一刀であるというのならば話は別だ。陳留、数ヶ月前この場所で泳いでいた大魚は、どうやら龍であったらしい。曹操は内心で僅かに笑った。自身の目を付けた陳宮という少女が仰いだ主、彼女の人物評がやにわに現実味を帯びてきた。ついちょっと前までは職を探しているだけの一人の民草に過ぎなかった。それが今では自分を駒として動かそうというくらいにまで出世しているのだ。あの、平和そうな顔をした青年が。面白いではないか。未来をおぼろげにとは言え知る男が描く戦場。何時か、覇を争う相手になりえるかも知れない。その姿は龍か、それとも。「春蘭、今用意できる兵数は?」「先ごろ徴兵した新兵ばかりが五千程です。 しかし、はっきり言って訓練をし始めて間もないので、精鋭とはとても言えません」もしも、この援軍の話が無ければ十分だったろう数は途端に少なく感じた。夏候淵や楽進を呼び戻せば援軍として立派な精鋭を率いることができるだろうがそれでは陳留の安全が疎かになってしまう。とはいえ、新兵ばかりの軍を派遣しても諸侯の笑い者になってしまうだろう。「我が領内でも黄巾の賊の動きが活発です。 これ以上の徴兵を行えば、民草の不満が随所に現れることでしょう」官軍の援軍を断ることは出来ない。現状では、漢王朝はまだ死んでは居ないのだ。この黄巾の乱を切っ掛けに、ゆっくりと漢王朝は滅んで行くことになってしまうだろうがそれでも現状で敵対することなど愚の骨頂である。「華琳様、秋蘭を呼び戻して兵の再編を行いましょう」桂花が提案した。それは確かに現実的な案だ。新兵と元から仕えていた精鋭を混成して部隊を作ろうというのだろう。だが、それを行うには時間がなかった。「駄目ね、一刻も早い援軍を、とここには記されてあるわ。 暢気に部隊を再編していれば、何を言われるか分かったものではないわよ」「しかし……」「この書が変な経緯を辿ってここに辿りついたのも、全ては拙速を求めたからでしょう。 本来踏まねばならない面倒な手続きは全て省かれているのだから 即座に出立しなくてはならないということよ」そして恐らく、そうせねばならない事情が官軍にはある。それが何かは分からないが、何かしらの事情があるからこの書が今自分の手元にあるのだ。曹操はそこまでこの援軍要請の書が手元に来た時点で読み取っていた。荀彧も分かっているのだろう。敢えて、それを無視した逆の意見を曹操に述べているのだ。それは軍師として当然のことである。「華琳様、ならば私に提案があります」胸を逸らして言った夏候惇に胡乱な目を向ける荀彧。曹操は面白そうに微笑み、夏候惇へ続きを促した。「新兵5000、鍛えながら行軍し、援軍へ参りましょう!」「ちょ、馬鹿じゃないのあんた! そんなことすれば辿りつく頃には 兵はヘロヘロ、馬はボロボロで戦どころじゃ無くなるわよ!」「ふん! そんな惰弱、我が曹操軍にいらぬわ!」「いいわね、それ。 採用しましょう」「か、華琳様!?」「はっはっは、そら見ろ!」狼狽する荀彧に腰に手を当てて勝ち誇る夏候惇。曹操はその様子を満足げに眺めて、宣言した。「私と春蘭で援軍に当たる! 桂花、陳留を任せたわ それと、天の御使いへ援軍に向かうとの旨の書状を送りなさい。 これは最優先よ!」「は、はい、お任せください」「春蘭、すぐに出陣の準備をしなさい! 兵五千を率いて官軍の援軍に向かうわ! 一直線に最短で、間にある手続きもすっ飛ばしなさい。 兵糧も片道だけで結構。 官軍に請求してしまいましょう。 強行軍について来れぬ者は捨て置くと、全兵に伝えておきなさい!」「はっ! 承知しました!」「たとえ1千の兵しか残らずとも、それが精鋭に化けるのならば良し。 ……ふふ、相見えるのが楽しみね、北郷」こうして陳留から曹操率いる五千の兵が出立した。片道だけの兵糧。 つまり、脱落すれば飢えて死ぬ可能性すらある過酷な物であった。必死に食らい付く兵に容赦情けなく曹操は前へ前へと進んで行きそれは多くの脱落者を伴う、凄まじい強行軍であったという。 ■ 二枚目の矢綺麗に枝葉が切り取られ、小さな池には幾つかの水葉が浮かんでいる。平時であれば、景色を眺めて楽しめたであろう。しかし、今は自分の持つこの書を届けなければならない。特徴的な紫色の目、小柄な顔に小柄な体躯。儚ささえ感じるだろうその少女は、非常に高価で動きづらそうな服の裾を上げながらとてとてと早足に歩いていた。額にある、目立たない宝石が陽光に反射してきらめいている。彼女の名は董卓。天の御使いである北郷一刀からの願いで、荊州刺史である丁原が居るという館へ訪れていた。「火急の用事ゆえ失礼致します」「ああ、董卓様でございますね。 お話は伺っております」「……伺って?」「はい、先日洛陽の方から」連絡もいれず、真っ直ぐにこの屋敷へ馬を走らせた董卓である。一体どこの誰が、自分よりも早くこの場に参じて自分が来ることを伝えたのだろうかと首を捻った。そんな事を考えていると、入り口が開けられて初老の男性が姿を見せる。「これは、董卓殿。 お話は賈駆殿から伺っております」「あ、詠ちゃんだったんだ……」「うん? 何か?」「いえ……その、この書を至急届けていただきたいと」「ふむ、しかし董卓殿を伝令に走らせるとは。 天の御使い殿も自分の地位が突然上がってしまい混乱しているのでしょうかな?」確かに、たかが書を渡すのに候である彼女を使うのは如何な物かと思われて仕方が無い。しかし、月にとってはどちらかと言えば戦となる場所から遠ざけられていると感じてしまっていた。それは半分正解だった。賈駆と、そして“董の”、“蜀の”の提案を受けて、丁原へ渡す役目を董卓に預けたのは間違いではない。勿論、それだけが理由ではなく、この二人が面識ある者だからというのも含まれている。だからこそ、董卓を行かせることに賈駆が頷いたというものもあるのだ。「これです」「ふむ……なるほど。 天の御使いというのも伊達ではないという事ですか」「あ、内容は見ていないので、私は分からないのですが……」「では見てください、ご納得戴けるかと」促されて、董卓は丁原に宛てた書を見た。そこには援軍の要請と、玉璽印。そして、呂布の事について書かれていた。「呂布さん……ですか?」「呂布という者、私が囲っているのは事実ですが今までそれを世間に知らせた覚えはありませぬ。 それを知って書いているということは、呂布に援軍を率いてもらおうと言う事でしょう」「はぁ……」「誰も知らぬ呂布の才を見抜く、そこに感心して私は天の御使いが伊達ではないと言ったのです」そうであった。丁原は、呂布という少女と出会った時、電撃にも似た衝撃を受けた。詳しい事は省くが、ただ日銭を稼ぐために人を殺していた少女の不遇にも然ることながらその驚異的な武威は、正に天下の無双であると確信を抱いていたのである。武にかけてならば、何処の誰であろうが今生負けることは無いだろう、と。だからこそ、その天下の力を無駄に奮わせない為にも丁原は彼女に金を与え大切にしている家族を養い、自分の護衛として雇って囲ったのだ。それこそ、何処の誰に知らせることも無く。「……これも時代だろうか」玉璽印がある事から、援軍の要請を受けた丁原が出陣しない訳にはいかないだろう。そして、この書にある賊の数字が真実ならば、呂布の力を借りずに退けられないことも丁原は確信していた。「董卓殿、漢王朝の危機、良くぞ知らしめてくれました。 お休み戴きたいところですが、すぐにでも出立しなければなりません」「はい、大丈夫です。 分かっておりますから」「それでは出陣の準備中、出立してからも呂布を董卓殿の護衛に宛てさせて貰います」「お心遣い、ありがとうございます」礼を言う董卓に、丁原は大きく頷くと、慌しい様子で部屋へ戻っていった。丁原が兵8千を揃えて援軍へと向かうために出立するまでに、約2時間がかかった。こうして一刀の用意した二本の矢は放たれたのである。 ■ 総大将 北郷一刀「一刀殿、曹操から書が届きましたぞ!」何故か袁術から、天代様へ着て欲しいとの事で用意された鎧をしげしげと見つめ金色に塗装された鎧は、いくら何でもちょっと恥ずかしくないかと脳内会議を開いていた。だって、とてつもない派手な鎧だ。多分、これで戦場に赴いたら「あの金ぴかが総大将だ、間違いないぜ!」ってくらいに目立つ筈だ。もうこれは、なんというか嫌がらせの類なのではないだろうか。きっと、あの張勲という調子の良さそうな可愛い子が思いついたに違いない。そんな下らないことを考えていた一刀だったが慌てた様子で飛び込んできた音々音が開口一番に言った言葉にすぐさま反応した。「ねね、見せて」金ぴか鎧についての考察を途中で放り出して、一刀は一も二も無くその書を引っつかんだ。すぐさま封をあけて、文面を目で追う。それは荀彧の字で援軍の了承と、既に出立した事を告げる物であった。「……来たか」「一刀殿?」『来たな……』『ああ、黄巾党と激突する時が』『本体、初陣だな』『俺達がついてる、頑張ろう』『あれだけ策を練ったんだ、成功するさ』『そうだね』(ああ……守る為に)『大切な人を』『ああ』「……ねね」一刀はそこで音々音を一つ見て、柔らかに微笑んだ。顔を真っ赤にして思わず後ずさる音々音。そう、大切な人を守る為に。全てはこの時に勝つために、一刀はここまで慣れない環境に全力を尽くしてきた。「……諸侯に出陣の準備を。 皇甫嵩さんの援軍に行く」「ええ? いや、確かに曹操殿の書が届いてから援軍に行くことは話しておりましたが 今は状況が変わったのですぞ? 長安で立った黄巾党が潼関を抜けて―――」「それは、きっと来ないよ」『そう、そこには何よりも大きな物理的な壁が存在するからな』『ああ、最強の武将がね』「では、迂回されるのを防ぐには……」「大丈夫、陳留の方面から迂回すれば曹操さんの軍が。 逆をついても丁原さんの軍が塞いでいる。 ここから皇甫嵩さんの陣までどっちに進んでも距離は短い、絶対に挟撃できることになるからね、多分」「うぅむ……なるほどなのです、しかし一刀殿、絶対の後に多分は無いのです」「ははは、そうだね。 ……出陣の準備を。 洛陽に在る全兵力で持って許昌と宛から攻めてくる黄巾党を打ち倒そう」「分かりました、すぐに準備をさせるのです!」かくして、きっかり一時間後に集まった洛陽の総勢1万8千の兵を目の前に“白の”が覇気のある口上を7秒間演説、“袁の”が皆頑張ろうー的なことをぶちまけて兵の気炎を上げさせ、意気揚々と洛陽を出陣した。総大将、北郷一刀を筆頭にして董卓軍の猛将、華雄が先頭に立ち物資を運び終えた孫堅、劉表の軍も本隊に加わっている。かくして、金ぴかの鎧に身を包んみ、キラキラと(鎧が)輝く目立つ総大将、天の御使いは夜間の内に賭けに打ち勝って防衛に徹していた皇甫嵩や袁紹達と合流して中央、右翼、左翼を編成し黄巾党本隊とぶつかることになったのである…… ■ 外史終了 ■官軍 総大将 北郷一刀 大将参謀 陳宮 中央・本陣 皇甫嵩 何進 孫堅 黄蓋 兵数:約1万5千 右翼 劉表 袁術 張勲 華雄 賈駆 兵数:約8千 左翼 袁紹 顔良 文醜 田豊 孫策 周瑜 兵数:約1万 後詰 朱儁 兵数:約2千官軍援軍将軍 曹操 夏候惇 兵数:約5千5百 将軍 丁原 呂布 兵数:約7千 総兵数:約4万7千5百黄巾党 総大将 波才 大将参謀 諸葛亮 鳳統 兵数:約5万6千