clear!! ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編2~clear!! ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編3~今回の種馬 ⇒ ☆☆☆~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編4~☆☆☆ ■ 決戦の火蓋は……官軍が30里先に陣を敷いている報告を受けて、波才は一度軍勢を停止した。規模はどうやら小さいようだが、陣を敷いているとなると打ち抜くのに時間がかかる。洛陽へ到着するまでに、大きな損失をしたくは無い。数で勝っている黄巾党だが、波才とて官軍全てが無能だとは思っていない。宛城を味方が占拠したという報告は受けてはいる。このまま勢いに任せて相手を貫くか、陣を迂回して確実に洛陽へと歩を進めるか。それとも援軍を受けて万全の体制を整え、官軍と相対するか。その選択に波才は頭を悩ましていた。「おい、孔明殿と士元殿を呼んで来い。 二人の意見を聞きたい」「はっ!」近くに居る黄巾兵に指示を出すと、波才は自身の天幕に戻ってどっかりと椅子に座った。手を組んで両手の親指をマジマジとすり合わせる。いよいよ、決戦の時が近づいてきたせいかじんわりと手に汗が滲んできた。馬元義が宮内へと進入し、洛陽で上げた狼煙が届いて波才は此処に居る。二人で夜を徹して話し合った、新たな世を作るための志を実現するために。今の朝廷は腐っている。疑いようも無い紛れもないその事実を看過して見過ごすことは出来ない。それは波才のような民草達が一番の被害を受けてしまう事に繋がるのだ。黄巾党として立ち上がった数を見れば、多くの者がその事実を直感していることが分かる。「お呼びですか」「……」孔明と鳳統が、二人揃って波才の天幕を潜ってきた。孔明は真っ直ぐに波才を見て、鳳統は目深に帽子を被り、対照的に。「……今から約30里の場所に官軍が陣を敷いて布陣しておる。 兵数は1万に満たない規模だ。 宛城からの援軍も、もうすぐ来る。 我々がどう動くべきか、意見を聞きたい」手元にある情報を言葉短く全て晒して波才は尋ねた。それを聞いて二人の少女は顔を見合わせた。官軍が陣を敷いて待ち構えている、洛陽の平原で。二人は短く言葉をボソボソ交わすと、やがて孔明が一歩前に出て波才へ言った。「洛陽の平野分で陣を敷く、いかにも迂回してくださいという様子です。 これは罠であると考えます」「う、迂回先には官軍とは別に諸侯の軍が待ち構えている可能性があります。 もしもそうであれば、陣から飛び出した官軍に後輩を突かれる形になり挟撃を受けるでしょう」「そうか、確かにそうだ。 迂回は危険か」洛陽へ向かう前に陣を構築した官軍とぶつかるのは、気分的に倦厭していたのである。こうして他人の口から説明されると、浮き上がりつつあった心も冷静になってくれる。「しかし、陣を構えている官軍は本隊ではなかろうか」「勿論、陣をすぐに打ち抜かれては罠にならないでしょうから、相当数が配備されているでしょう。 波才様の言うように本隊が待ち構えているかも知れません」「このまま陣を貫いてしまうのが上策と思います」「このままか? 援軍を持って数で圧せばいいではないか」「それは反対します。 官軍が陣を敷いているということは、我々の動きを把握しているという事です。 それでなお、一万の数を揃えることが出来ない理由は一つしかありません」「……時間がなかった。 そうでなければ中途半端な数だけで陣の構築を急いだ理由がないからです」もっともに聞こえる事を言われて、波才はここでも迷ってしまった。僅かな時間とはいえ、共に過ごした時間からもハッキリ判断できる。明らかに頭の良い二人、自分よりも軍略に優れていそうな二人が揃ってこのまま突き進む事を良しとした。確かに二人の言葉に変なところは見当たらない。が、逆に波才からすれば、蜂起に立った数日の間でここまで用意周到に罠を用意した官軍に策も無しに突き進むことに躊躇いを覚えていた。なによりも、波才自身はまだ孔明や士元を信用しきった訳ではない。彼女達を利用しているのは自覚しているのだ。今は自分に従ってくれているとはいえ、刃をちらつかせて協力させた人間がどれだけ真の事を自分に話してくれるのか。その事実に思い当たると、確実に信頼できる黄巾の兵の数を増した方が安全なような気がしてきた。今でも4万という大きな数を持っているが、援軍がたどり着けば5万にも6万にもなるだろう。それだけの兵が居れば、5千強しか居ない陣など吹き飛ぶように貫けるに違いない。たとえ後ろに官軍本隊が待ち構えていようとも、今の朝廷にどれだけ軍を揃えることが出来ようか。これほどの大事だ。中途半端にぶつかるよりも、万全な体勢を整えて突撃した方が利になるではないだろうか。「いや、やはりこのまま突撃するのは拙速に過ぎる。 陣が罠だというのならなお更だ。 貫いた先に官軍本隊や諸侯の包囲を受けたくない。 宛城からの援軍を待って陣を打ち破ろう」拳を作って波才は椅子の肘掛を一つ叩くと、そう結論した。その答えに、孔明も士元も反論はしなかった。波才の言い分も決して間違いではないからだ。兵数や士気、これらは黄巾が官軍に勝る数少ない要素だ。援軍がどれだけの規模になるのかは分からないが、許昌で立った黄巾の数だけで4万になる。兵数を揃えることは、どんな策よりも最善手であり強力なものなのだ。だから、自身の考えと波才の結論の食い違いも納得できる範囲にある。天幕を出て、孔明と士元はそれぞれ兵に引っ張られて別れた。此処に来てから、孔明は一人で居る時間の方が多い。波才の指示で、二人が逃げないようにだろう、士元と行動を共にすることを意図的に防がれているのだ。そうだ。波才は鳳統という素晴らしい知を持つ者と自分を利用するために、お互いを分けて従軍させている。自分が……そして親友が生きる道は官軍を打ち破ることのみ。もしも敗れれば、鳳統は殺されて、自分も死ぬ。それが官軍の手によるものか、波才の手によるものかは分からぬが。負ける為の策を提案すれば、自分ではなく親友が死ぬ。お互いがお互いに、波才の利になるように助言を行うしかない。そして、官軍に勝ち、初めて二人の安全は保証される可能性が出てくるのだ。その為には情報が必要だ。官軍の情報だけではなく、諸侯の状況、天候の予測、決戦の地の細部。自分に出来る手足は封じられて、不明瞭な戦場へ向かっている事実に言い知れぬ不安が心に渦巻く。「雛里ちゃん……」兵に連れられて歩く孔明は、視界に広がる草原を眺めて、ポツリと呟いた。3日後、宛城から来た増援1万7千を加えて波才は官軍の待ち構える陣へ突き進んだ。そしてまみえる。決戦の布陣を完全に引いた官軍3万5千と、波才の率いる6万7千の黄巾党。官軍との数差はおおよそ二倍強。防衛に適している形とはいえ、急造の為か形は酷く醜かった。抜ける。波才は、自分の選択が間違っていないと確信し、口角を上げて官軍を睨んだ。 ■ 切られた天幕の外で、皆が慌しく動いている中で資材に腰掛けながら月を見上げていた。その背を見つけて、周瑜は声をかけた。「雪蓮、どうしたこんな場所で」「んー、なんか落ち着かないのよ」一瞬、周瑜の声に反応して姿を確認すると、もう一度空を見上げる。手元にある酒を注いで、盃を掲げるように持ち上げると水に揺らいで月夜が反射していた。「初陣って、こんな気分なのね」「不安か?」「どうかしら、楽しみの方が強いかも」子供の頃から母の背中を追ってきた。その時分は江東が荒れていた頃である。隠れるように海賊が溢れ、宗教勢力も、中途半端に威を振る豪族も多かった。その江東をまるで障害が存在していないかのように駆け抜けて各地の乱を平定していく、そんな母の背中を彼女は最も近くで見てきたのだ。母は畏怖を、或いは敬意を込められて江東の虎と呼ばれるまでに至った。この大陸で、確かな力を持つ諸侯として認められて。そんな偉業を難なく果たしてきた孫堅は、偉大な人であるのに間違いは無い。「ずっと願っていたわ、ようやく、母様の隣に立てる時が来たわ」「ああ、雛で居られるのは今日までだ」「お互い、ね」「うむ、お互いな」クッと盃を仰いで一気に喉に流し込む。流れるように、もう一度酒を注ぐと、今度は周瑜の方へと差し出した。「やけに風情があるな、これも気分か雪蓮」「いいじゃない、たまには」「ふ、そうかもな」盃を受け取って、周瑜も孫策と同じように盃を仰いだ。度数が強いのか、カーッと喉を中心にして熱が広がるようである。大事な軍議の前に、酒を飲むなどとも冷静な部分が囁いていたがだが、これはこれで大事であるとも思った。「っ、やれやれ、これでは先輩方に怒られてしまうな」「ふふ、今日は冥琳も悪い子ね」「雪蓮……駆け上がるぞ」「ええ、江東の虎の娘なんて、もう誰にも呼ばせないわ 冥琳も負けるんじゃないわよ」お互いに拳を一瞬だけつき合わせて、孫策は腰掛けていた資材から飛び降りる。月見酒の時間は終わりだ。余計な感傷はもういらない。偉大な母に支えられて歩く事は、今日から止める。それこそ、自分が母を支えるくらいになるまで突き進む気概を孫策は持っていた。「行くわよ、冥琳! 私の初陣を勝利で飾る為にね!」勢い込んで走っていき、ある天幕へと入った孫策に、周瑜は一つ苦笑を零した。子供の頃から孫堅を見て育ったのは、彼女とて同じだ。たかが数を揃えただけの賊などに負ける筈が無い。何故ならば、そう。「初陣で泥に塗れるつもりは、私にないぞ雪蓮」孫堅とは対照的に、燻る情熱を胸に宿したまま彼女もまた天幕を潜ったのである。そして、その天幕の中では。天代の到着を受けて、諸将が一斉に集まっていた。金ぴかの鎧を上半分だけ身に着けた一刀は最後に入ってきた周瑜を確認して一つ頷いた。「ねぇ、冥琳。 あの趣味の悪いキラキラの鎧はなんなのかしら? いくら何でも目立ち過ぎじゃない?」「そ、そうだな……」室内は照明を灯しているとはいえ、薄暗い。一刀以外の諸侯は袁紹を除いて鎧の色など地味な者ばかりである。この場では、一刀と袁紹だけは何処に居ようとも即座に居場所が分かるであろう。それくらい、金ぴか鎧は目立っていた。「天代殿の鎧の趣味は、実に素晴らしいですわね、なかなか優雅ですわ」「え……あ、うん、ありがとうございます、袁紹さん?」「まぁもう少し本人に華麗さがあれば良かったですが こればかりは如何にもなりませんものねぇ」「天代様の趣味は悪いのね」「ほんとですよねー、私も冗談で送ったんですけど、まさか実戦で着用するなんて 思いもよりませんでしたー、ふふふっ」ぼそぼそと孫策が周瑜に声をかけていたのを聞いていたのか。袁術の隣に座っていた張勲が呆れたような口調で、しかし楽しそうに笑いながら同意していた。ちなみに、周瑜は失礼になるだろうことを鑑みて完全無視の状態である。「……」勿論、この声は普通に話している声なので思いっきり一刀には聞こえている。どうも孫家の皆様は人の心を抉るのが上手いようだ。孫堅や孫策と下手に舌戦とかしたら泣いてしまうに違いない。そもそも、鎧がこれしか無いので着ているにすぎないのに、その辺を考えてくれても良いんではないだろうか。そうは思ったが、大人の対応でスルーすることにした一刀は、とりあえず全てを忘れて軍議を始めることにした。ちなみに、他の皆様も大人の対応をしてくれていたので一刀は人知れず安堵していた。軍議が始まる前に諸侯から金ぴかフルボッコとか御免である。「諸将が揃ったので軍議を始めますが……その前に。 皇甫嵩さん、俺の言う通りに動いてくれてありがとうございます」開口一番に一刀は皇甫嵩へと再び頭を下げて、諸侯をどよめかせた。慌てて皇甫嵩は一刀に頭を上げるように言った。「私は自分のできることをしたに過ぎません」「それでも、こうして陣を敷いて事に当たれるのは大きい。 感謝します。 朱儁将軍も……ありがとうございます」「私も皇甫嵩殿と同じく、自分の責務を果たしただけです。 礼を言われることはございません」怪我を押して出席している朱儁もそうは言ったが、内心で喜んでいた。自分の怪我、そしてこの陣を構える時間を稼ぐ為に散っていった兵の死。それらが今の行為で報われたようであった。実際には、朱儁の行った作戦は失敗に終わり時間稼ぎの目的は果たせなかった。しかし、運があった。敵軍は、宛城からの援軍を受けることを優先して、陣の構築を終えるだけの時間が稼げた。何進将軍が皇甫嵩の元に辿りついて、2万に膨れ上がると、陣は瞬く間に完成した。相手の数が増えてしまったのは痛いが、目的は達せたのだ。一刀は顔をあげて、改めて集まった諸侯を見回す。そして音々音へと首を巡らすと、彼女は得心したかのように頷いた。今、皆が不安に思っている懸案を潰す為に、彼女は口を開いた。「長安の援軍は丁原殿の軍が抑えております。 陳留からは曹操殿の援軍が向かっているとの書を戴きました」「なんと!」「おお、それは心強い!」「数は大きいのですか」「丁原軍は7千、曹操軍は5500の兵数で出立したとの報告が来ていますぞ 仮に黄巾党がこの陣を迂回しても、曹操殿か丁原殿か。 どちらかの軍勢とかち合うことでしょう」 しかし、相手も援軍を受けたということは―――」「この陣を貫く選択をしたと考えていいわね。 数を頼りに、我々を打ち抜く事を決めたのよ」音々音の言葉尻を引き継いで、賈駆がそう言った。その隣で周瑜、田豊も頷いている。官軍にとって一番の急所だったのは、陣の構築を終えるまでの時間だった。ここを抜けられてしまうと洛陽までは直線状に結んで100里の距離。一日で駆け抜けれる距離だ。ともすれば、洛陽を包囲されていてもおかしくなかったのである。そうなってしまう可能性があった事を考えると、ここで援軍を受けた黄巾党には感謝しても良いくらいであった。「報告では、明日にでも賊軍は攻め寄せてくるでしょう。 今夜の内に布陣を終えてしまいたいと思います」一刀はそう言ってから一枚の腰から竹簡を取り出した。読み上げようとしたところに、手を上げた一人の男を見つけて一刀はそちらに首を向けた。「天代殿、お願いがあります」「なんでしょう、劉表さん」「兵数に差が出てしまうかも知れないが、諸侯の率いている軍をなるべく混ぜないで戴きたいのです」「それはどういう事だ」この言葉に、何進が眉を顰めて問い詰めた。「ここには官軍と共に、諸侯の私軍が集まっている。 混ぜっ返してしまうと兵の動きがおかしくなってしまうかもしれん」「国家の大事に、そのような事が……それに敵との数の差は二倍にもなっているのだぞ 下手に分けてしまえば、大軍に晒されて蹴散らされる恐れがある」「大将軍、兵卒では大将軍のような気概を持つ者は稀です。 何進殿の言葉も正しいですが、劉表殿の話も頷けます」「む……むぅ、それは分かってはいるがな黄蓋殿」「承知の上で劉表殿も仰っているのでしょう」何進の不安も分かる話なのだ。要はバランスの問題だ。どこかを抜けられては、数の差で不利な官軍は一気に崩壊する恐れがある。些事に気を取られて数差を突かれ、そして敗北することになれば笑い話にもならない。とはいえ、劉表の話にも説得力がある。命令を受け取って、即座に行動に移す。それが出来なければ兵数で負けている官軍がまともに黄巾党と戦う事は出来ないだろう。兵が普段どおりの力を出せないというのは、現状で考えると致命になりえる。どちらの不安も分かるし、それらを考えて組み込んだ布陣は一刀の手元にある。「とにかく、布陣を発表します。 意見があれば、それを聞き終わってからで」「分かり申した、手間を取らせてすまない、天代殿」「……お願いしよう」劉表と何進が頷いて一刀へと視線を向けたのを確認して、改めて一刀は竹簡に目を落とした。「中央には何進大将軍を中心に、皇甫嵩将軍が詰めてください」「ハッ!」声を上げる皇甫嵩に黙って頷く何進。それらを一瞥して、一刀は続きを読み上げた。誰に交代しなくてもいい、これは音々音を中心にした三国志を代表する軍師が作り上げた布陣なのだ。本体でも、読み上げることに不安は無かった。「孫堅さんと黄蓋さんも此処です。 お二人には官軍を率いて貰う事になりますが…… 慣れない兵を率いることになりますが、戦場での経験のあるお二方なら上手くやれると思います」「任せてもらおう」「承知した」「右翼は袁術さんと劉表さんが詰めてください。 勇猛な華雄将軍を先頭におきます。 兵数差が一番厳しいところになりますので 無闇に攻勢に出ず、軍師の賈駆さんの言葉に良く従ってください」「七乃ー?」「はい、とりあえずふんぞり返って無問題と言っておけばいいですよー」「承知」「分かった、賊など我が戦斧でなぎ払ってくれる」勇猛、というフレーズが気に入ったのか、華雄は満足げに頷いて力強く宣言する。音々音の隣に居た賈駆が、僅かにメガネを手で上げて口角を吊り上げた。やる気は満々のようである。「任せて頂戴」短く、しかし力強くそう言った賈駆の言葉を聞いて、一刀は袁紹へと視線を巡らした。「左翼は袁紹さんが中心になります。 兵数は万に届いておりますが、数で劣勢なのは間違いないです。 田豊さんと周瑜さんの二人の意見を尊重して袁紹さんを補佐してあげてください きっと華麗な勝利を収めることが出来ます」袁紹軍は諸侯の中でも飛び抜けて兵数を保有していた。孫堅の連れてきた兵を合わせずとも、8千5百という数字だ。本拠地である南皮にも兵を残してきている筈なので、個人で2万の軍勢を保持していることを意味する。袁紹の力である人員、その一端がここでも垣間見れたといえよう。その隙間埋めるのは、孫策と周瑜、そして孫堅が率いて連れてきた千と5百の兵である。「おーほっほっほっほっほ、私に任せておけば万事上手くいきますわよ!」「頑張ります!」「お、珍しく斗詩がやる気だしてんなー、よし、あたいも頑張るぜ!」「……周瑜さん、よろしく、本当に宜しくお願いしますねぇ」「あ、ああ、精一杯補佐させてもらおう」「母様に負けないように名を上げさせて貰うとするわ」「ふ、不安になって来たのです」「大丈夫だよねね。 皆やる気があるだけさ」「だと言いのですが」「天代殿、すぐに準備に取り掛かっても宜しいか」孫堅から声が飛んできて、一刀は頷いた。夜の内に布陣を終えて、明日には黄巾とぶつからねばならない。「今すぐにでも準備をお願いします、皆さん、必ずこの戦を勝ちましょう!」「「「「ハッ!」」」」諸侯の声が響いて、次々に一刀の天幕から離れていく。慌しく動く音と声を残して。「ねね、水は運んできているよね?」「当然なのです。 動く必要の無い皇甫嵩殿と何進殿に手伝って貰いましょう」「なんのことですかな?」「いえ、ちょっと夜の内にやっておきたい事があるんです……」「小細工に過ぎませんが、やらないよりはマシなのです」一刀と音々音は皇甫嵩と何進へと近づいて、ひそひそと考えを伝えた。そして。時は来た。・波才は腰にぶら下げた刀剣を引き抜いて、全兵に見えるように掲げた。刀剣が陽光に反射する光は、黄巾党だけでなく官軍の陣にも煌いていた。「敵は我らに比べて小勢! あつかましくも陣を敷いて我らの天道を塞ぐ愚か者どもを 一気に駆逐する! 旗を揚げよ! 胎から声を出せ! 官軍の犬どもに、我々の怒りを全てぶつけよ! 我らの苦しみ、張角様の大望、そして黄天の世を築くために叫べ! 叫べ! 叫べぇ!」「「「「「おおオォォォォオオォォオォォォオォオォォォ」」」」」」」「全軍、敵を見据えて前に進めぃ!」「「「「「おおオォォォォオオォォオォォォオォオォォォ」」」」」」」その轟音とも呼べる相手の気勢に負けぬよう、馬に跨る何進は先頭にまで走らせ同じように刀剣を引き抜くとあらぬ限りで叫んだ。その何進の叫びはとてつもない声量で、確かに黄巾の怒号が強く響く中を切り裂いて官軍全てに轟いたのである。「来たぞ! 卑しくも良人の財産を漁り、自らの欲望だけをぶつける猛獣が! 守るべきものを忘れ、敬う事を忘れた奴らは最早、理性を持つ汚らしい悪鬼よ! ただ暴れる獣と化した物は躾けなければならん! 槍を構えよ! 剣を引き抜け! 正義は我らにあり! 天は―――我らにあるぞ!」「「「「「うおオォォオォォォォオオォォオォォオォオオオオォオォ!!!」」」」洛陽の戦いが、今始まった。 ■ 洛陽の戦い・初日真っ先にぶつかったのは、袁紹率いる右翼と、孔明率いる左翼であった。小高い丘を駆け下りるように、怒涛の勢いで黄巾党の騎馬隊が突撃してくる。「おーほっほっほっほっほ! まるで蝗のようですわね! さぁ、文醜さん、顔良さん、やっておしまいなさい!」「おーし! 面白くなってきたぜー!」「うーんと……ここは素直にぶつかるべきでしょうかねー?」「相手の士気が高い内にぶつかるのは得策ではないですが……」「止まりそうもないですからねぇ」「はい、野戦を挑んだ以上、仕方が無いかもしれません」のほほんと困ったように頬に手を当てて田豊が尋ね、周瑜が冷静に返す。やる気になっている将軍の士気を挫くのも、最初から及び腰で相手に調子付かれるのも困る。しかし、歩兵で騎馬を食い止めるのは難しい。そこの対処だけはしなくてはならない。「御使い様も、水をこちらに下されば良かったのに」「文句を言っても始まらないでしょう。 賈駆殿が居る右翼の方が兵数が少ないのですから」「そうですね、気持ちを切り替えましょうか……斗詩さーん!」「顔良殿、弓隊を!」「分かりました!」田豊と周瑜の声に頷いて、顔良は今にも突撃しそうな文醜と袁紹の前に自分の隊を出す。もう既に、敵の騎馬は目の前だ。何処に射っても何かに当たるだろう。「弓隊構え! 敵の騎馬隊の勢いを削ぎます! 番えぇぇぇーーーー!」「顔良将軍の弓で騎馬の足を止める! 勢いを失ったら槍で引き摺り落としてしまえ!」「冥琳、ちょっと私も前に出てくるわ」「おい、雪蓮!」「だいじょーぶ、無理はしないわよ……初陣で死ぬなんてかっこ悪い事できないしね 行くわよ! 江東の勇ある兵よ!」「射てぇええ!」顔良の掛け声が響いて、空気を切り裂いて数多の矢が天空を埋め尽くす。何処を見ても黄巾の布がはためいている。一枚の旗を貫いて、先頭の騎馬を駆る黄巾党に目を貫き落馬し、乗り手を失った馬は嘶いて転倒した。それを契機に、何百と居るか判らない黄巾党が悲鳴を上げて倒れていく。「今ですよ、袁紹様。 華麗に優雅に突撃する時は」短く声を上げた田豊に袁紹は首だけで了承を返すと高笑いをかましつつ、文醜を先頭にして混乱する黄巾党の渦中へ飛び込んで行った。いや、飛び込んでいったのは文醜とそれに付き従う兵だけだ。袁紹はその場で高笑いを続けていた。「おーっほっほっほっほっほ! おぉーほっほっほっほっほっほっほ! 今ですわぁ、文醜さん! ほら、あそこにも雑魚が居ますわよ! 蹴散らすのですわ! おーほっほっほっほっほっほ!」「田、田豊殿、あの高笑いは何とかならないのか」「なりませんよ。 それにある意味、色々と嫌な効果がありますしねぇ」確かに、相手にしてみれば苦しんでいるところにあの高笑いと罵声だ。逆上して冷静さを失うかもしれない。味方の将兵にも、袁紹が健在していることを即座に知らしめるだろうし何よりも敵からすれば必死に戦っている横で高笑いを響かせる存在その物がうざいことこの上ないだろう。自分が同じ目に合っているすれば、間違いなく袁紹を目の敵にする。これはある意味での心理戦のような物か。よくよく考えて、止める必要が無いような気がしてきた周瑜である。「なるほど、勉強になる」「いえ、冗談ですけどね。 私もあれは嫌いなんですよ」「……」しれっと言った田豊に呆れた目を向けていると、戦況に変化があった。顔良の驚きの声が響く。「黄巾党の後ろから砂煙を確認!?」「何!?」「うーん……やられましたね」文醜と共にくっついて暴れていた孫策も、戦場の渦中で気がついた。「騎馬隊の第二波ですって!? 弓隊は?」常の彼女であらば、尋常ならざる勘が働いてこの第二波に気がついて控えて居たかもしれない。だが、彼女はこの洛陽での戦が初陣であった。それは当然、周瑜もそうなのだが。とにかく、二人共に初陣ということもあり些か頭に血が上って冷静さを欠いていたのは事実だ。つまり、貴重な戦力をホイホイと目の前の餌に釣られて出してしまった訳である。「い、いかん! 今は黄巾党の第一波の渦中に突撃してしまっている。 この乱戦の最中、騎馬に蹂躙されてはたまらん!」「斗詩さーん」「分かってます、同じように弓隊で援護を―――!」周瑜の焦れた声を耳だけで聞き流して、田豊は腕を上げた。合図一つ、顔良は自身の隊を率いて賊軍の側面から弓で打ち込む為に移動を開始した。乱戦になっている場所を迂回し、死角になった丘を乗り越えたところでであった。「居たぞ! 官軍の弓隊だ!」「奴らをぶち殺すのが俺達の仕事だ!」「潰せぇ! 敵が居たぞ!」賊の歩兵であった。距離にして約1里。 数こそ少ないものの―――それでも2千は越える規模だが即座に対応していなすには難しい数。とても弓の援護による一斉射撃は、この敵を相手にしていては出来ない。「槍に持ち替えて目の前の敵の前に突き出して! 流形から三段陣に! 急いで!」「はっ! 槍に持ち替えよ!」「三段陣だ! 隣の者と組め!」「機先を制します! 陣形が組み終わり次第、私の後に続いてください! それと一人伝令を、弓隊は足止めされたと!」「ハッ!」矢継ぎ早に顔良は指示して、自身は相棒でもある金光鉄槌を取り出して歩兵隊の前に構えた。チラリと横目で見れば、敵の騎馬隊は何の障害も無く乱戦の場へと向かっている。敵を駆逐し、騎馬の足を止める援護は間に合いそうもなかった。「伝令です! 顔良将軍、敵歩兵部隊と接敵! 弓による援護は難しいそうです!」「分かりました、下がってくださいー」「田豊殿、案がある」「ここにある兵で鶴翼の組んで相手を反包囲するつもりですか?」「うむ、その通りです」「でも、私弱いんですよね、護衛が欲しいです」腕を組んで瞑目しつつそう言った田豊に周瑜は困った顔をした。周瑜自身も孫堅に鍛えられて武芸を嗜んでいるので、彼女が嘘を言っている訳でないのが分かってしまった。だからこそ、困った。今、この場で兵を率いる将は自分と田豊しかいない。基本的に、将は兵に守られているので、早々危機が及ぶ事はないのだが状況によっては距離をつめられて槍を手に戦うこともあるだろう。その護衛が欲しいと彼女は言ってるのだ。うーむ、と唸っていた田豊であったがふいに顔を上げて周瑜を見上げると突然尋ねた。「周瑜さんは賢いので分かってると思うのですが、この兵数で鶴翼を敷けば薄くなりますよ? 各個撃破にはどう対応を取りますか」「そう動かれたら挟撃するしかないかと思います。 一応、中央には雪蓮や文醜殿がいらっしゃるから、そう安々とは相手も自由に動けないはずです」「不安ですねぇー……しかし、敵騎馬の第二派は目の前、動くには今しかない、となると仕方ないですかね?」何故か最後に疑問符をつけられた。良し、と自分の手のひらに自分の拳を当てて、田豊は頷き周瑜の案を採用することを告げる。即座に兵を二つに分けて、二人はそれぞれ右翼、左翼の役割を持って別れていく。「さて、こちらの手札をいきなり使い切ってしまったのですが あちらさん、まさか第3波は用意してないですよね? 斗詩さんもすぐに戻ってくれればいいんですけど、うーん、不安です」歩兵300に囲まれた中央で、悩ましげに首を左右に振る田豊が独り言をぶつぶつと呟いて、やがて2人の兵へと伝を預けて左翼へと回っていった。その伝令を持った兵の後ろを、赤い鎧に身を包んだ孫家の兵が後を追うのを彼女は見た。どうやら周瑜も、自分と同じ不安に思い当たったようであった。・「そろそろ最後の方達は乗馬してください。 恐らく、乱戦を受け入れて相手は反包囲していることでしょう」「良し、乗馬だ! 乗れぇい!」「乗馬だ!」「はっ!」「第3波の騎馬に続くように歩兵の皆さんは追いかけてください。 殿の方は接敵後、報告を私に送るように。 もしも第3波で反包囲が敷かれて居なければ、最後の騎馬隊である第4波をつぎ込んで威圧します」羽扇でもってキビキビと黄巾の右翼で指示を出しているのは紅いベレー帽を被った一人の少女。諸葛孔明その人であった。彼女が悩み、出した結論は官軍を打倒すること。別に波才の言った黄天の世を支えたい訳ではない。そう、いわばこれは私戦。ただ親友の命を繋ぐ為だけに、数多の命を秤にかけて選んだ、自分の為の戦だ。最低な、そして選ばなければならない選択肢を突きつけられて、その中で自らが選んだ道。孔明とて、戦場で羽扇を振るのは初めてなのだ。盤上の中でしか経験を積んだことの無い、いわば遊戯でしか戦を知らない。それでも雛里以外を相手にして無敗であった。羽扇を握り締める拳を強くして、彼女は声を上げる。自らの親友を、そして自分を守る戦に勝つために。「第4波で揺れれば、このまま本隊を突撃させます! 皆さん、準備をして報告を待っていてくだしゃい!」孔明の決まらなかった声に、周囲が気炎を上げて叫んだ。そして彼女は首を向ける。 彼女の指揮を振るっているだろう場所へ。雛里ちゃんは……雛里ちゃんは、どうするの?そんな思いが孔明の胸の内を走っていた。―――「よぉぉし! 死地に乗り込んだ敵に弓矢で歓迎してやれぃ!」「はぁーい、皆さん、今から一斉にお馬鹿な賊さんを殺しちゃいましょー、番えー!」劉表の掠れた声と、間の抜けたような張勲の声が同時に響いた。左翼でも同じように、黄巾党の騎馬が火の玉になって突っ込んできていたのだが敵は弓による一撃を受けるまでも無く、転倒し、土にまみれて混乱していた。当然、何もしていない訳ではない。地面に大量の水を含ませて、ドロドロのヘドロ状態にしただけである。田豊と周瑜の話の中にもあった水のことだ。乾いていた大地を蹴っていた馬の殆どは、突然の地面のぬかるみにはまり込んでバランスを崩した。一馬でも倒れれば後は雪崩だ。倒れた馬に躓き、その馬にまた躓いて、瞬く間に地は赤く染まり自ら命を散らしていった。そこに、今言った二人の死の宣告が実行される。「ありったけの矢をくれてやれ! 射てぇ!」「バーッっとやっちゃいましょー!」風を切り裂いた甲高い音が響いて賊の顔を、肩を、胸を、足を抉っていく。今の一斉射だけで、一体どれだけの人命が失われたのか。運よく、急所を外した者も人と馬、そして意図的に作られたぬかるみに足を取られて動くもままならない。そして、それは地獄の最中での儚い足掻きにしか過ぎなかったのだ。「あのぬかるみに嵌った者共を生かして返すなよ、もう一度斉射の準備だ!」「あらほらさっさー」「良し、まずは天代様の作戦が図に当たったわね! 華雄、この騎馬隊は数が少ないわ。 ボクの予想だと敵は第二波、或いは第三波まで騎馬隊を分けているかもしれない。 それを逆に利用して相手を作った沼地に誘い込むのよ、できるわね?」「ふん、愚問だな、できるに決まっている! 早くこんなくだらん戦を終えて、私は孫堅殿に再戦を申し込まねばならんのだ!」「上等、さっさと終わらせるためにも作戦通り動くのよ」「承知した!」「……さて、後は袁術に一つ頼みたいんだけど、うーん」賈駆は一人、黄巾党の騎馬隊に違和感を覚えていた。敵騎馬隊を死地に誘引するのは華雄に任せてある。間隔が短ければ、誘引は失敗してしまうだろうが、この騎馬隊を分けて突撃させるという作戦にはどうしても時間の間隔が必要であるのだ。短ければ、それは乱戦になる前に相手が気付いて引いてしまう。遅ければ、わざわざ分けた騎馬隊を有効に使えない。そして、騎馬隊と騎馬隊の間には、必ずその隙を補うように歩兵が配置される筈だ。そうでなければ、弓隊の攻撃を受けて突撃力を失ってしまうからだ。その歩兵にぶつける駒が必要になる。それがこの場では袁術なのだが……「なんじゃ? 人の顔をジロジロと見て失礼じゃのう……」「不安だわ……ほんっとに」「ふ、任せてみようじゃないか詠。 袁術殿とて、一人の諸侯なのだ」「適当な事言わないでよ、華雄……ていうか、あんたはとっとと配置につきなさいっ!」「っ! ちょっとくらい良いじゃないか!」華雄の尻を蹴り上げて、凶暴性を発揮した詠はふと真顔になると戦場に蔓延る黄巾を見据えた。姿は見えない。しかし、賈駆には確実に見えた。この数多の黄巾を操る、知を奮う者が黄の道の先に居ることが。「……獣が知恵を手に入れたってわけね。 でも残念、ボクが居る限り、この場を抜く事は出来ないわよ!」手を前に突き出し、ずれそうになるメガネを片手で抑えて賈駆は叫んだ。呆けた目でそれを見て、袁術はポソリと呟き、後に不満を爆発させた。「変な奴なのじゃ……七乃ー、わらわは退屈じゃぞー!」「はいはーい、劉表さん、しばらくここお願いしますね?」「おい、待て待て待て、張勲殿! 張勲ど……ぬえい! まてまて、相手はあの袁家だ、落ち着くのだ、偶数を数えるのだ。 偶数は割り切れる素直な数字、心を―――」――――「て、て、敵は陣の前に沼地を意図的に作り出して、我らの足を封じた模様。 瞬く間に先陣が潰されたとのことです!」「あ、あわわ、分かりました、下がって、下がってくひゃい」(噛んだ……)(ああ、噛んだな……)(くっ、静まれ……俺の人和ちゃんへの愛はこんなことで……)周囲の喧騒がまるで耳に入らぬかのように、鳳統は頭の中で考えを纏め始めた。戦場が、彼女の脳の中で盤をとなり、そして部隊が駒と替わる。普段どおりとまでは行かないが、こうなると彼女の思考は現実から切り離されたかのように目まぐるしく展開していった。相手は沼地を用意した。それも、一つの騎馬隊を丸ごと屠れる程だ。恐らく、敵の狙いは騎馬の排除。何故ならば騎馬は、この戦場において最強の駒であるからだ。幾つかの条件さえクリアできれば、騎馬隊に叶う部隊など存在しない。つまり、敵はこちらの最大の脅威を最優先で排除することを目的としている。そう、この場合問題となるのは沼地だ。ここ最近、雨は降ったか。答えは否、そろそろ降りそうな空模様ではあるが、昼夜問わず最近ここいらで雨が降った事実は無い。それではどうやってこの場所に沼地を作り出したか。水であることは間違いないし、それを陣に持ち込んで夜の内に作り出したのだろう。ぬかるみが存在する、そしてその規模も中々に大きい。騎馬隊を分けて運用する事は、相手の誘引の計に嵌れば最強の牙をむざむざと欠いてしまう。自分が相手ならばどうする?裏をかかれれば、数の差から劣勢に追い込まれることは予測できるはず。それ相応に、裏をかかれた場合の対処も考えていることだろう。ならば、どちらに転んでもその思惑を突き破れるほどの兵数で圧するのが最善か。殆ど時間をかけずに、鳳統は答えを導き出して俯いていた顔をあげた。彼女が波才に迫られて一人で出した結論。それは孔明と同じ物であった。「あ、相手の作戦は読めました。 恐らく、騎馬隊を誘引する部隊と、歩兵を足止めする部隊に分けられています。 わざわざ少ない数を敵の方から分けてるから、かきゅ、各個撃破できましゅ」(噛んだな……)(ああ、噛んだ……)(くっ、皆、俺から離れろ! ぼ、暴走する……っ!?)「歩兵部隊を呼び戻して、数差で押し潰しましゅ。 騎馬隊は、部隊をまとめて歩兵から距離を取りつつ、敵を視認したら歩兵を盾にして側面を取って突撃してください」恐持ての男達……微妙に表情が変であったが、それらに囲まれて所々を噛みながらも鳳統は作戦を告げた。波才から、鳳統の指示に従うようにといわれているので、男達はすぐさま彼女の指示に従った。噛んだとかああ、噛んだとか頷きあったり右手を押さえつけてぶんぶん振ったりしながら。そして、その話を聞いて動かぬ者が一人。頭に黄巾を巻いて、やや凛々しくなった顔、そして顎と鼻の下にチョビ髭を誂えている中肉中背の男が鳳統の前から動かずにその姿を見つめていた。(……やべぇんじゃねぇか、御使い様)「あの、何か……」震える声を出し、帽子を目深に被って視線を逸らした雛里。すこし遠慮なく視線を向けすぎたようだ。「いえ、えーっと、一つ聞きたいんですが、あー、名前がわかんねぇが……つまりその、この戦をどうお考えで?」「え? あ、あわわ、どう、とは……」(奥の手って言ってたからな……勝手に言っちまって、御使い様の作戦をバラす訳にもいかねぇし……)むぅぅぅ、と深く唸る黄巾の男。何か上手い言い方は無いものか。例えば、そう、なんというか、その、なんだ、こう、凄い感じの。意味の無い言葉だけがグルングルンと男の脳内を駆け巡り、結局何が聞き出したかったのかもだんだんと分からなくなってくる。というか、そう、無謀なのだ。こんな頭の良い娘っ子を御使い様の為に自分が内応の手を引いてやろうなど、無理だ。現状、どう足掻いても彼女は黄巾の幹部……馬元義と仲の良かったという波才の味方なのだ。(仲間にするより、もしかして殺した方が手っ取り早いか?)男は自分の腰にぶら下げた刀剣をひそかに垣間見た。そうだ、天の御使いに勝利を齎すためには、黄巾の味方をする頭の良い少女など居ない方が良いではないか。なるべく目立つ行動は避けるようにとも言われていたがこの女が居るせいで官軍が勝てないとなれば、意味は無い。ここで排除した方が確実だ、そうだ、それはきっと間違いない。震え、潤み、恐れている少女は、自分でも容易に切り殺す事が出来るだろう。人を殺すことなど、既に数えるのを止めた程こなしてきた。今更少女を一人殺すことなど。そう、容易い。そう判断するが早いか、彼の口と体は驚くほど滑らかに動いた。「軍師殿……ちょっと俺の用事に付き合って貰いたいんですがねぇ?」男はスラリと腰から刀剣を引き抜いた。それを見て、雛里は数歩、自然に後ずさった。雛里は混乱していた。自分は黄巾党に勝利を齎すために、親友である孔明の命を繋ぐ為に最善の努力をしてきた筈だ。なのに、これは何だ。どうして、目の前の黄巾党の男は自分の傍で刀剣を引き抜く?何かを言わねば、命を失う。それだけは分かっていたが、雛里の口から突いて出たのは人を疑ったものだけであった。「しゅ、朱里ちゃん、まさか……?」「恨みはないんだがな……世の為に―――」「おい! そこで何をしているんだ!」「―――っちっ」別の男から声が飛んできて、舌打ちをかまして男は刀を引いた。その顔には、明らかな怒気を孕んでいる。疑いようが無い、この目の前の男は雛里に確実な殺意を抱いていたのだ。「いえね、先ほど自分の剣が折れちまったんで、ちょっと新しいのを受け取ってただけですよ」呼び止めた男は、雛里と剣を持つ男を見比べてやがて納得したようだ。そして、男に名を聞いた。「俺か? 俺はアニキって言われてるぜ、名前と真名は捨てちまったから、そう呼んでくれや」「そうか、アニキは歩兵の部隊に加わってくれ、部隊の人手が心もとないのだ」「おう、分かったぜ、黄天の……そして天和ちゃんの為にも命を張ってくるわ」「ああ、俺の地和様の分も忘れるんじゃねーぞ」「へへ、あんたは地和様派か、親友のデクってのが同じ趣味してるぜ」「そうか、今度紹介してくれよ!」「生きてたらな!」「馬鹿野朗、縁起でもない事言うな、またほわぁあああぁぁしようぜ!」「おう!」「……っと、鳳統様に報告だったんだ、鳳統様……あれ? どうしました?」(おうとう様、か)微妙に名前を勘違いして、アニキは立ち去った。呆然とそれらを見つめていた士元は、報告に来た男に胡乱な目を向けるだけであった。そして小さく呟いたのだ。それは、目の前に居る報告をしに来た男にさえ届かない、小さなものであった。「そうだよね……普通は、親友よりもそっちを選ぶんだよね、朱里ちゃん……私は」ここで意気地を張ることが、酷く愚かしい事に思えた雛里だった。だって、意味が無い。確かに、普通は数多の人を、漢王朝を生贄に一人の親友を選ぶことは愚かである。逆もまた、然りでもあるのだが。それでも、大勢で見て殆どの人にとって正しい道なのは前者の方だろう。後者を選んだ自分は、あまりに愚かで醜く見えた。「う……わ、私……あ、あぅ……うぅ、わたしぃ……」「ほ、鳳統様!? あ、えーっと、ほ、ほ、ほわあ、ほわあぁぁああぁぁぁぁあぁ!」突然に両の目の端から涙を零した雛里に、報告に来た男はテンパって慰めようとしているのか笑わせようとしているのか分からない不思議な踊りをしつつ意味の無い叫びを言い始めていた。他の者がこの光景に気がついたのは、僅か数分後。報告に来た男は、鳳統に嫌がらせをして泣かせているとして、軽い鞭打ちの刑に処された。・「報告! 田豊殿から至急とのことです! 敵の時間差による騎馬隊の突撃に乱戦に持ち込まれ、反包囲をこれから敷く予定。 しかし、相手の騎馬隊は第三、第四の突撃が来る可能性を否めないとのこと! 対策を本陣の方で願いたいと仰ってます!」「報告です! 周瑜殿から、騎馬隊の第3波の可能性が指摘されました! 左翼では対策が難しいとのことで、本陣に援軍の要請が届いています!」「賈駆殿より敵騎馬隊を沼地に引き摺り込む作戦が成功したとのことです。 これより複数隊に分けた敵騎馬隊を各個で誘引すると仰ってます」「報告いたします! 敵本陣に動きあり、我が方の左翼側に進路を取りつつ 大群の歩兵を率いて前進を始めた模様です!」戦が始まって、既に1時間か、2時間か。事態は次々に動き出して、目まぐるしくその状況を変えていた。しかも、これらの情報は最新の物ではないのだ。一刀は音々音へとそっと近づいた。「敵本陣が左翼に動いたってことは、賈駆さん達が劣勢?」「そう見せかけて、右翼に援軍を送らせないようにしている可能性もあるです」「報告を聞いた限りでは、賈駆の方は優勢のようだけど……」ひそひそと話を交わしていると、細身の男が一刀の元に勢い込んで走りこんできた。汗を大量にかいている。気温は暑い訳でも、寒い訳でもない。一度、戦場に出て指揮を執っていたのだろう。「天代殿!」「なんですか、皇甫嵩さん」「朱儁将軍の報告で、黄巾党を率いる者の近くに少女らしき影があったという話を覚えてますか」「ええ、それが何か?」「もしかしたら、彼女達は黄巾共の軍師かもしれませんぞ!」『やっぱり、俺もそうだと思うよ』『この動きは獣の動きじゃない、荒すぎるが、統率は取れてるしな』『黄巾党はもっと、合図の銅鑼が響いたら敵襲と勘違いして突撃するような奴らだったよ』軍師。そうかもしれない。騎馬隊を分ける、などという戦術を黄巾党が使った事実は脳内の自分達に確認しても無かった。一級の軍師でなくても、二級、三級の軍師でも黄巾にとっては十分な力になる。それはひとえに、官軍との数の差があるからに他ならない。こちらは少ない兵でやりくりしなければならないのに、奴らは倍の数を同じ戦術でも投入することが出来る。ただ兵数差があるだけでも陣を構えねば相手取れない程の物量差なのにそこに軍略の才を持つ人が居るとなれば、かなり厳しい戦いになってしまう。たとえ、官軍に有能な者が多くても、裏を掛かれないという保証は無い。まして数的不利という物が今の官軍にとって重く圧し掛かっている。盤上のゲームや演習、遊びじゃないのだ。偽報一つで戦線を崩して敗走してしまうことさえあり得る。それが分かっても、今この場で具体的な対策は取れない。ただ、取る選択は慎重にならねばいけないだろう。「皇甫嵩殿は、どう見ますか?」「私としては、目に見えて劣勢に追い込まれた袁紹殿の援軍に赴くべきだと思います。 本陣は何進将軍に預けて、自分が援護に向かおうと進言しに来たのです」「うむむむぅ……そうだ、一刀殿、皇甫嵩将軍に3000の兵を預けましょう。 左翼はこれで持たせてもらい、右翼に2000の兵で黄蓋殿を後詰めに置くのです」この言葉を受けて、一刀の脳内は一斉に騒ぎ出した。それまでじっとしていたのは、考えに没頭していたからだろう。それは本体も同じことであり、本体と脳内一刀は音々音の言葉に神妙になりながら考え始めた。『本体、賈駆が裏をかかれたら各個撃破の的になる。 音々音の言うように黄蓋という武将を派遣するのは賛成だ』『左翼には皇甫嵩将軍と、もう一人武将が欲しいね』『孫堅さんに頼むか?』『そうすると中央が薄くならないか?』『相手の本陣も左翼に傾いているんだ。 こっちの本隊も少し移動すればいい、様子を見ながら決定すれば』『陣を一瞬とは言え空ける事になるぞ、それは危険だろ』『そうだ、この陣は生命線だぞ、相手も抜くことを第一に考えてるはずだ』『孫堅さんを送るのが手堅い、あの人なら、早々負けたりしない筈だよ』『ちょっと待った、朱儁将軍に預けてある本陣の後詰めの数はどの位だっけ?』『まってくれ、孫堅さんは右翼に送れないか? 前線で武を奮えるのが華雄だけなのは……』『そうか、武将の層が薄いかも……』『裏を掛かれると、武将の指揮次第だからな、武を見せ付けて混乱を抑えられる人が居るのは大きいよ』『確かに』『話を遮ってごめん、それで朱儁将軍の後詰めの数は?』『2000弱だったかな』『2000位だったな』『その兵を本陣に入れて……ああ、でも後詰めは必要だよね』『後ろを抜かれれば今度こそ何も無い平原だけだ。 どうしたって後ろに兵を置いていかないと洛陽に突撃されてしまうよ』『陣の傍まで、朱儁将軍を呼べば良い。 それだけで後詰めでありながらも陣に居るような物になる』『『『それだ!』』』『なら、朱儁将軍に預ける兵は3000くらい足そう。 彼も酷い怪我もしてるし、陣の防衛にこれくらいは割かないと数的にまずいよ』『朱儁さんには悪いけど、怪我を押して頑張ってもらうしかないか……』『だな、何進将軍には一度部隊を引いてもらって左翼側に傾いてもらおう。 左翼に直接応援に行くのは提案通り皇甫嵩さんに任せて、孫堅さんと黄蓋さんで右翼の支援に回ってもらうか』(それが一番か……な……?)『現状では、多分』結論が出て、一刀は口を開いた。と、同時に陣の中に二人の兵が慌てた様子で転がり込んでくる。あれは董卓軍、そして袁紹軍の鎧であった。嫌な予感が駆け巡り、そしてそれは―――「ほ、報告いたします! 右翼の袁術様、張勲様が黄巾党に包囲されました! 華雄将軍は敵の騎馬隊に足止めされ、劉表様が援護に出陣しましたが 数の差で攻められて包囲の突破が難しいそうです! 至急の増援を請われています!」「報告です! 敵の騎馬兵、第3波の突破を許したそうです! 次いで、騎馬隊の第4波と右翼本隊だろう歩兵の大群を確認! このままでは左翼は壊滅の憂き目にあってしまいます! 増援を願います!」現実となっていた。『(くそっ! 後手に回った!)』『落ち着け、本体、“蜀の” 俺達が取り乱したら兵に伝播するぞ』『そうそう、まずは象のようにおおらかに……』『『『なれねーよ』』』『突っ込み早いよ……っと、まぁそれはともかく』(ハハ……お前ら変わらなくて羨ましいな畜生)『そうだな、だから普通にしてろ』一刀はその場で伝令に頷くと、動揺をひた隠して再び腕を組んでその場で空を見上げる。皇甫嵩と音々音が、じっと彼を見るのも気付かずに。(分かってる……それで、どうする?)『……右翼も左翼もだいぶ崩されている。 丸裸になった本隊の何進さんが包囲されるかも知れない』焦れたような声。恐らく、危機に陥っている将兵の案否を思っているのだろう。『多分“袁の”が言ったそれが狙いだね』『何か、敵の狙いを覆せそうな物はあるかな?』『……あ』『なんだ、“呉の”』『いやいや、ちょっと待て、でもこれは在り得ない』『なんだよ、言ってみろよ』『そうだよ、何か気付いたんでしょ?』『……本体、前線に出る勇気ある?』『『『あっ!』』』『『げ、総大将を囮にするのか?』』『『『ありえんだろ』』』(え……俺ぇ?)音々音の方は、時たま一刀がこうなることを知っていたので黙って見守っていることにしたようだが脳内会話が盛り上がり、黙っている一刀についに焦れた皇甫嵩が声を上げた。「天代殿! すぐに対処をせねば、戦線が崩壊いたしますぞ!」「ちょ、ちょっと待って、すぐ終わるから」思わず地が出て、思い切り敬語を忘れて言い放ってしまったが皇甫嵩も焦っているのか、そこを指摘されることは無かった。逆に、終わるという単語に興味を抱いたようだ。「すぐ終わる? どういうことでしょう?」「皇甫嵩殿、とりあえずお茶でも飲んで落ち着くのです。 一刀殿がこうなったときは、大抵驚くことを言ってくれるのです」「むむぅ、急いでくれねば困るのだが……」『時間がない、こうなったらもー“呉の”の提案でいこう』(ま、待て、俺、だって戦の前線なんて―――ていうかいきなり投げやりになってないか!?)『『基本、馬に跨ってるだけだ、大丈夫だ!』』『『『『雑兵くらいなら、俺達でも十分戦えるぞ』』』』『おいおい、総大将前に出すってことは、一斉に群がってくるってことだろ? お前らは良くても俺はお前、死ぬかも』『でも、敵の目は必ずこちらを向くはずだよ。 そうだ、“呉の”、一度本隊を突出させる振りをして中央に敵を纏められないか?』『危険だな……援軍に兵を割いてしまうからどうしても中央が薄くなるぞ』『連携が取れれば、それも可能かもしれないけど』『やっぱそうか……しょうがないね』暫くの間、本体は大きな葛藤と戦い脳内と議論を交わして結論を下した。口を開いて、その一刀の決断を聞いた皇甫嵩はまず、含んだ茶を盛大に噴出した。続いて顎が外れるのではないかと思うほどあんぐりと口を開けたのである。音々音も同じく、口を開けて目を剥いた。なんせ、その口から出た言葉は、一刀と何進大将軍が率いる本隊が戦場で突出することであったからだ。一刀は、目を剥いて固まった二人に素早く説明し、伝令を送る用意をさせた。ただ、出した結論は先ほどの議論よりはやや消極的な物であった。総大将を囮にするのは決まった。これ以上の餌は確かにこの場に存在しないし、本来ならば在り得ない。一刀が本隊の前線に出る事は非常に危険だ。前線にホイホイと出て行って討ち取られましたなんて事になったら洒落にならない。総大将を討ち取ったとなれば、敵の士気はもりもり回復し青天井になるだろう。逆に、こちらは天代=つまり帝の代わりとなるものを失ったことになるのだ。そうなれば、求心力を失った官軍の兵は黄巾党との戦に勝てない。その辺は盛り上がっていた脳内達も自重して賛同を返したのである。陣を空にすることも出来ない。帰る家を失くすなど、それこそ馬鹿も笑うという物だ。よって、先ほどの会話の通り、朱儁将軍には5000の兵で持って陣の直後5里ほどの場所に待機してもらう。目下、苦戦の最中である右翼と左翼には予定通り、3000の兵で皇甫嵩を左翼に。孫堅と黄蓋を2000の兵で右翼へと派遣。これ以上、兵を本隊から割くのは不可能だった。帰り道を確保するために兵を置くことを考えれば、少なくとも2000は欲しい。何進とすぐにでも合流できれば、もう少し融通が聞くかも知れないが現状、どう戦況が動くのか予想が難しいので、将兵の判断によって状況は枝分かれすることだろう。ある程度柔軟性のある対応を心がけるしかなかった。袁術、張勲の部隊は包囲を脱出したら早急に纏め一目散に本隊と合流するようにと伝えた。袁紹率いる右翼も、余力が無いようなら本隊へ合流するようにと伝令を走らせる。余力があるのならば、そのまま敵軍左翼を圧してもらえばいい。黄巾党が突出した官軍本隊に釣られて食いつけば、方円陣を敷いて徐々に後退することで戦線の崩壊を防ぐとともに、体勢を立て直すことも出来るだろう。その後も黄巾党が陣に追ってくるようであれば陣を盾にして篭城するしかない。袁術、袁紹が本隊に加わっても、援軍に送る5千の兵と後詰めに預ける3千。合計で8千の兵の分だけ本隊は薄くなる。本隊に残る兵の数は何進将軍が黄巾党とぶつかっている場所から皇甫嵩が3千の兵を引っ張っていくので官軍本隊に残る数はおおよそ7千。黄巾の数はやや削れただろうが、それでも4万は越えているのは間違いない。一斉に中央へ群がってくるだろう黄巾党とまともに野戦でぶつかれば平原であるこの場所ではとても耐え切れない。罠を作るような余裕も、勿論無かった。敵が篭城することに気がついて陣を迂回しようとすれば朱儁将軍の5000の兵をぶつけ足止めし、挟撃するしかないだろう。それで破られたらこちらの負け。耐えれば再編した部隊を陣から出してもらって押し返すことも出来よう。「方針は陣への篭城! 敵が本隊に食いついた所を狙って戦略的撤退だ!」「仕方ありませぬな! それでは、至急兵を整えて援軍に向かいます!」「一刀殿、右翼、左翼ともに伝令を走らせましたのです!」「良し……そうだ、ねねは朱儁将軍へ3000の兵を纏めて事態の伝令を行うと共にそのまま後詰めについて」「か、一刀殿、しかしねねは……」「頼む、ちゃんと戻ってくるから」音々音は気がついた。一刀の腕がやにわに震えているのに。一瞬の逡巡の後、音々音はしかし頷いたのである。「武運を祈るのです、一刀殿!」「ああ、ねねも、しっかり頼むよ」駆け出した音々音の姿を一瞥して、一刀は踵を返した。自分のやるべきことは決まった。精々目だって、諸侯が陣へ戻るまでの時間稼ぎをしようじゃないか。それくらいしか、今の一刀にはできないのも事実だ。金ぴかの鎧を身に着けて、腰に一刀でも扱えそうな剣を二本選んで差し込む。「……やっぱこの鎧、目立つよなぁ」『今、この状況なら望むところじゃないか』『キラキラの餌は目立つね』「まったく。 袁術ちゃんは先見の明があるよ」『張勲さんじゃないの?』『ふふん……』『“仲の”がえばる所じゃないだろ、それ』『まぁね……』『うぜぇ』「ははは、良し、頑張ってみるか!」金の鎧を煌かせ、全ての準備を整えた報告を受けてから天幕を出る。一刀は自らの馬に跨ると揃った兵を見回した。これから、自分の命を預ける兵である。馬上で失礼だとは思ったが、一刀はそこで一礼した。一刀に視線を集中させていた者は皆一様に驚いてどよめいた。“天の御使い”であり“天代”である総大将、北郷一刀が頭を下げたのである。ただの、雑兵、一兵卒相手にだ。これは彼らにとって、驚天動地の出来事に等しかった。帝が、一兵に頭を下げるなど無いのだから。「みんな、すまないけど、俺と一緒に戦ってくれ」数は千かそこら。今まで、其処に居た者達は劣勢であることを知っている。そして、それは確かに恐れとなって心身を蝕み始めていた。しかし、どうしたことか。ただ、頭を下げて短く言葉を連ねただけだ。自分達の総大将が行ったのはそれだけのはずなのだ。なのに、自身の心は今までに無いくらいの活力に満ち溢れていた。正義は確かに、官軍にあるのだ。だから自分は此処に居るのではないか。だから、賊と戦う為に武器を拵え、鎧を着込み、この場に参じたのではないか。天は、漢王朝はまだ、目の前に居る天の御使いと共に生きているのだ。官軍の陣で、今まで以上に無いほどの気迫が叫びとなり天を衝いた瞬間であった。 ■ 外史終了 ■