clear!! ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編6~clear!! ~都・洛陽・諸侯が御使いに興奮を抑えきれなくなるよ編7~今回の種馬 ⇒ ☆☆☆~頭で撮る記念写真の数々、決めポーズを記憶に残すよ編2~☆☆☆ ■ たすけてめいりんそれは、洛陽の決戦が行われた日の夕刻であった。一刀が黄巾の総大将、波才との一騎打ちに打ち勝って、敗残兵となった黄巾党を追い回していた孫策は戦場で泰然とそれらを見届けて馬に乗って佇む少女を見つけた。彼女達こそ、黄巾党の軍師として知をふるったという少女達であろう。幼い容姿であることは、報告で聞いていたが実際に見てみると本当に幼い。はっきり言って、袁術や陳宮のような子供に近い容姿に孫策は度肝を抜かれていた。「黄巾党の軍師ね」「……」孫策の問いに、声を発さずに頷いたのは諸葛亮であった。つっと脇を覗き見れば、どこかで見たことのある男がそっぽを向いて佇んでいた。うむむ、と唸ってみるがどうにも思い出せない。戦場のど真ん中でずっと考えている訳にもいかず、とりあえず少女が抵抗する様子が無いので兵に縄を用意させて拿捕する。「もう一人、居ます」「そう? もう大勢は決したし諦めたってとこかしら」「……彼女も一緒に、連れて行ってください」大きく息を吐いてそう言った孔明に、孫策は肩を竦めて頷いた。話を詳しく聞いて、孫策は馬を走らせ、やがて鳳統を発見すると孔明と同じように縄をかけて捕獲する。周囲を見回すと、どうも敵の姿も多くなく、殆ど抵抗らしい抵抗も無い。これはもう、引き上げ時か。「我が部隊は捕虜を連れて官軍本陣の下へ戻るわよ! 捕虜には猿轡と手縄をかけておけ」「ハッ!」どうやら孫策の武功は、正門の防衛と、横撃による敵軍混乱の誘発、そして捕虜の確保となるようであった。初陣であるこの戦場において、大きくは無いが確かな勲功を手に入れたことになる。主役は天代である北郷一刀に譲ってしまったが、それでも初陣であることを考えれば良いといえる結果だろう。概ね満足して、孫策は自軍の天幕へ向かって部隊を走らせた。手に傘をして顔を巡らし、孫策は一刀の事を捜していた。捕らえた軍師の事を報告せねばならなかったからだ。別に、孫堅や周瑜に丸投げしても良かったのだが、一応自分の手柄である為に自ら報告することにしたのだ。捜し続けること約数分。何進と華雄の部隊が大きい天幕を作り出している場所で、一刀はその様子を一人の少女と共に遠巻きに見守っていたのを彼女は見つける。「ねね、痛む?」「っっ、ちょっと響くのです」膝の上に官軍の知恵として働いていた陳宮を乗せて、患部の様子をうかがいながら談笑をしているようだった。孫策は一瞬悩んだ。仲良さそうに話し込む二人の邪魔をしていいものかと。本人達は知らないかも知れないが、一刀と陳宮の二人は恋仲なのではないかという噂が諸侯の間で出回っている。一刀が敵軍総大将と一騎打ちに応じたのも、陳宮が馬上から振り落とされからだという噂になっている位には。実際、それは半分くらい正しいのだが、もう半分は波才に強引に付き合わされただけである。とはいえ、遠慮して待ちぼうけしているのも馬鹿らしい。そもそも、これは大切な報告の一つなのである。ずっと二人のイチャイチャぶりを見続けるのも、失礼だろうし見てて楽しい物では無い。そんな事を心の中で繰り返しながら、孫策は彼らの背後から持っていた剣の柄の方を向けて一刀の肩をトントンと叩いた。「うわっ!」「うあっ!?」「ああ、ねね!?」「あ、ごめん、そんなに驚くとは……」突然だったからか、大げさに一刀は振り返る。その拍子に音々音の顔面へと一刀の右ひじがクリーンヒット。それはもう、流れるような動きであり、見事な肘打であった。「そ、孫策さん? なに?」「ただの報告。 悪いとは思ったんだけど、敵の軍師を捕らえたからそれをね」『軍師だって!?』『まさか、朱里かっ!』『雛里は無事なのか!?』『でも、波才は殺したって……』脳内の声を聞いて、一刀はとりあえず音々音に肘打した事を置いといて確認を優先した。孫策の口から出た言葉は、諸葛亮と鳳統、二人の名前であった。瞬間、一刀の体は動いていた。“蜀の”と“無の”が制御権を奪って、孫策の手を握り勢いのまま抱擁したのである。「孫策さん、ありがとうっ!」「ちょっ……え?」同時に身体を動かした反動か、脳内二人の意識は落ちて本体に戻った身体の制御。しかし、一刀は動くことができなかった。脳内の自分の行動は、暴挙と言っても良い。いや、そりゃあ嬉しいことは分かる。数時間前に、音々音の命がどうなったのか気が気でなかった本体だ。この戦で二人が生きている可能性など、かなり低いと思われていたのだ。生存を知り、二人の感情が爆発してしまうのは、十分に分かるのだが。「うぅ、一刀殿……やはり胸なのですかぁ……胸なのですねっ……」「な、な、な、何、を……あ?」孫策へと抱きついたまま動かない、いや動けない一刀。すぐに離れなければという思いもあるし、誰かに見られたら何か大変な事になりそうだし何より隣の音々音に凄く気まずいのだが、抱きついたのは客観的に見て一刀である。変に誤魔化せば、もっとまずい事になりそうだ。孫策の『あ?』が耳朶に響いた瞬間に、そのまずいという予感は確信を帯びつつあった。一方で孫策は突然襲い掛かってきた不可思議な感情の奔流に、一刀を斬り殺すという考えをする余裕もなく意味の無い言葉を繰り出すだけであった。正直、たまたま『あ?』と、言葉が上ずってしまっただけなので、すぐに離れて貰いたかったのが本音だっただろう。そもそも、抱きついて来た男は“天代”であり、孫策とは天と地ほど離れた身分であるので一刀が斬られることなど無に等しい可能性ではあるのだが、それはともかく。突然、熱い抱擁のように見える物をかわして、その状態で静止する一刀と孫策を見上げて音々音はなんだかこの場に居るのが辛くなってきて泣きたくなってきた。胸のこともあるし、鼻も痛いし。『おい、本体、俺に変われ、うらやま……じゃなくて、ええい、とにかく変わるぞ』(な、なんとかしてくれ)そして脳内の一人に丸投げした本体であったが、替わったのは“呉の”であった。瞬間、孫策の身体がビクリと跳ねた。少し遅れて一刀も彼女の胸の揺れに驚いてビクリと跳ねる。それら一部始終をしっかり目撃した音々音もビクリと跳ねた。三人して、ビクンビクンと動くさまは実に滑稽である。「か、一刀……?」「んなっ、孫策殿、一刀殿の名を呼ぶのは失礼―――」「……アウアーッ!」「おぶっ!?」「こ、こらー、待つのですっ!」名を呼ぶ、という行為は実はかなり失礼なことである。よほど親しい者か、その人の信頼を得なければ呼んではいけない物であるのだ。真名を持たない一刀からすれば、孫策に名を呼ばれることは真名を呼ばれたことに等しいだろう。これには流石の陳宮も反応して、孫策を諌めようと声を出した瞬間であった。物凄い勢いで一刀を突き飛ばすと、謎の叫びを発してバックステップ。瞬時に踵を返して脱兎の如く駆け出したのである。並みの者では到底出来ない、武才溢れるしなやかな動き。身体能力の高さを生かした、見事な逃亡であった。『これ、多分間違いないよね?』『ああ、桂花、顔良、袁紹、それに今の孫策……俺達の想いの断片が届いているのかも』『顔良も、袁紹もそうだったけど孫策もきっと』『ああ……多分俺達の事がわかってる訳じゃないよな……』突き飛ばされた本体は、脳内の会話を聞きながら、今まで触れた人たちの顔を思い出していた。まだ脳内の大切な人と直接的な接触は4人としかしていないが、話は納得できるものであった。それは、本体にとって悲しいことのように思えた。荀彧が真名を呼んだ自分を許したのも、突然疑いを晴らして談笑していた斗詩も袁紹が笑みを向けて馬を譲ってくれたのも。それは、脳内の自分達から伝わった想いの断片であり、本体に向けた心ではないという事にならないだろうか。借り物の信頼。そんな言葉が脳裏を過ぎって、やるせない気持ちを抱いた。しばし脳内の会話に顔を伏せていた一刀は、ようやく音々音の方を向いて謝った。「……ねね、鼻は大丈夫?」「聞くのが遅いのです、一刀殿……ねねは知らないのです」口をすぼませて頬を膨らませる少女を眺めて本体は薄く笑った。それでも、きっと、本体が歩んできた道には信頼できる人が居る。他の誰でもない。この目の前の少女だけは、自分で得た確かな信頼だと断言できた。手招きをして、一刀は声をかける。「ごめん、ほら見せて?」「ぶー……」「ははっ、拗ねないでくれよ……ほら、ねね」「わっ、か、一刀殿っ」そっぽを向いて不機嫌そうな音々音を、一刀は突き飛ばされて寝転んだままの体勢で引き寄せて骨折した場所を響かせないように注意しながら自分の上に乗せると、そのまま腕に抱いた。顔を真っ赤に紅潮させて、後ろから抱かれる音々音の耳元で、一刀はささやいた。気持ちを、乗せて。「ねねが居れば良いよ、俺は」「―――っ……」感じていた、居づらさや鼻の痛みも全部どこかへ吹っ飛んでしまった気がした。それ以上に顔が熱い。一刀の体温を背に感じたまま、音々音しばし緊張に身を硬くしたが、やがてその身を委ねた。ぼうっと遠くを見つめる一刀を見上げ、同じように前方に視線を向ける。兵の数人がこちらをチラリと見ていたが、特に気にならなかった。音々音にとって、一刀とこうして一緒に居ることが余りにも自然であると思えたから。「一刀殿……」「なに?」「鼻が痛いのです」「そっか、じゃあ洛陽へ戻ったらお詫びの品を送らなきゃね」「詫びは、“金の二重奏”で良いですぞ、一刀殿」「あれかよ……別のシュウマイにしない?」「それは譲れぬ話なのです」穏やかな時間が流れて、一刀はこの景色を忘れたくないと思った。音々音と共に過ごす、この時間を。二人は、何進と華雄が指揮して作られていた天幕が立ち、兵が酒宴を開くと呼びに来るまで夕日に差されながらずっと、そうして居たという。一方、逃げ去った孫策は感情のままに天代を突き飛ばした事にパニックに陥っていた。良く覚えていないが、一刀の隣にいる陳宮も怒っていたような気がする。たかが諸侯、しかもその一武官に過ぎない孫策だ。天代、帝の代わりというとてつもない役職を戴く一刀を、江東の虎の娘が突き飛ばしたとなれば母は言うに及ばず、孫家の評判にさえ傷を付けかねない。それらの要素も含まれて、更にこの持て余す感情。とてつもなく自分の中で尊い気がするのに、何なのか良く分からない突き上げてくる想い。心の中を突然引っ掻き回されて、はっきり言って冷静な思考など今の彼女にはできなかった。とにかく、孫策は周瑜という自らの最も信頼する友を求めて孫家の天幕へと飛び込んだ。周瑜がお茶を容器に入れており、その奥では孫堅が怪我の様子を黄蓋に看られながら茶を楽しんでいた。興奮したように息を荒げて頬を紅潮させて入ってきた孫策に、顔を顰めて周瑜と孫堅は尋ねた。「雪蓮?」「どうした、そんなに慌てて」「て、天代様に抱かれたのっ!」瞬間、周瑜の持つ容器は地に落ちて割れた。孫堅は物凄い笑みを浮かべて立ち上がり、黄蓋は呆気にとられ替え布の手を休めてしまう。気が動転して居る孫策の言葉は間違いではない。確かに、抱かれたのは事実ではある。孫策の顔は真っ赤で、息を荒げている様子が微妙に真実味なアレを漂わせていた。「おぉーしっ! よくやったぞ雪蓮!」「ほ、ほう……」卓を一つ叩いて、孫策へ親指を立ててガッツポーズのような物を上げ、雪蓮に突き出す孫堅。超良い笑顔だった。対照的に、震えた声で短い言葉だけを絞り出せた周瑜である。言ってから、自分の失言に気がついた孫策は慌てて言葉を取り消した。「ち、違うのよ、抱かれたけど、最終的には突いたというか」「ほう、自らか! いいぞ、もっとやれ!」「母様は黙ってて! 最後に突き飛ばして逃げちゃってっ!」「かぁーっ、馬鹿娘が! そこまで犯ってなぜ途中で投げ出すかっ!」孫策は必死に、天代を突き飛ばしちゃった、どうしようヤバいよ、と説明しているのだが如何せん混乱している彼女の言葉は要領を得ず、孫堅のテンションを上げていくだけであった。最終的には、黄蓋にも「策殿、大人になりましたな……」と、柔らかい笑みをたたえて涙を拭うような仕草をされつつ勘違いされ孫堅はそんな黄蓋の言葉に満足そうに頷いて二人を見回し「なんだかんだ言いながら、結局二人共においしく頂いたという事か、うむ、やはり男だな」「ちがうわよっ!」「違いますっ!」孫策と、動揺からか一連の流れに反応できないで居た周瑜の言葉が見事に重なった瞬間であった。ちなみに、全身全霊をかけて挑んだことによって無事に二人の誤解が解けたのは勝利の酒宴が始まる数分前であったという。 ■ 恐ろしいものに跨っていたそれは諸侯が集まって酒宴を開き、陣の撤去が始まる頃。それらを眺めて時に手伝いながら、馬上でかっぽかっぽと練り歩いていた男が一人。天の御使いである北郷一刀は袁紹から貰った馬の名前を考えながら陣内を馬に乗って練り歩いていた。この馬、特に名のある馬では無いそうなのだが、袁家で所有している軍馬でも一等価値のあるものなのだそうだ。もともと、馬体が立派であることと、鬣と尻尾が金色であることからいたく袁紹が気に入って大金を支払って買い取ったという馬の一つであったそうなのだ。つまり、一刀はそれを譲られたことになる。酒の席で顔良から聞かされているので、これは事実なのだろう。袁家が『大金』と言うのだ。素面であったならば敢えて聞こうとはしなかっただろうが一刀は自爆による天の言語に精神的ダメージを与えられ、さらに酒の力が手伝っていたので聞いてしまった。大きな屋敷を5つは整地して建てられそうな金額であった。買うではなく、建てるである。「あー、どうするかなぁ……」『……ううん』『下手に変な名前をつけると、怒られそうだしなぁ』『相変わらず袁紹には困らされるなぁ……』『むぅ……』そんな訳で、一刀は悩んでいた。他にも色々と……例えば洛陽へ戻った後に下される諸葛亮と鳳統についての事など考えることはそれこそ沢山あるのだが、重苦しい物ばかり考えていても気分が沈んでしまう。そういうわけで、とりあえず考えるのに労力を使わないような物を考えようということになり平民が低頭しそうな価値を持つ馬っころの名前を考えているのだが、これが中々難しい。最初に思いついたのは、三国志に登場する馬の名前であったのだが絶影とか名付けて、曹操の持っている馬と名前が一緒だとかなると、ややこしい問題になるような気がしないでもない。モジッて、似たような名前を付けてみようかとも思ったがどうもしっくり来る良い物が思いつかなかった。『麗羽なら、何かしら呼び名はつけてると思うけどね』“袁の”の言葉に、本体、脳内共にすがりつく事にした。貰った本人に馬の名を聞くのはどうかとも思ったのだが、元々は袁紹の馬である。そこから、何かしら良い名前が思い浮かぶかもしれないし、聞くだけ聞いてみようということになった。馬を譲り受けたのだし、手土産か何かを持っていった方が良いのかなとも思ったが一度自分の天幕に戻るのも面倒だったので、そのまま直接向かうことにした。「あら、天代さん」「おはよう、袁紹さん……忙しいところ悪いね」「別に平気ですわよ」貰った馬から下りつつ、一刀は袁紹の休む天幕へと足を運ぶと、捜す手間なく本人が出迎えてくれた。せっかく来たのだからと一刀は天幕の中に案内されて、しばし茶を飲みつつ談笑をかわす。注がれた茶に口をつけると変わった味わいが口の中に広がって一刀は驚いた。「これ紅茶?」「まぁ、天代さんは茶にも詳しいのですわね。 西域の方で取られる茶葉を使った物らしいのですけど、残念ながら商人も詳しい事は知りませんでしたわ」大陸に訪れてから飲んでいる茶も、最初は同じように驚いた物である。よりおいしく、より楽しめるようにと加工されている現代のお茶や紅茶に慣れていた一刀は味わいや風味などが物足りなく、お湯に僅かに味がついてる感じだとしか思えなかったのだ。それもまぁ、半年以上この地に足をつけて生活しているので慣れてしまって問題は無いといえば無い。久しぶりに飲む紅茶の味に驚いて、ついつい反射的に尋ねてしまった一刀であったが本題を思い出して、紅茶を買った時の様子を話始める袁紹を遮って切り出した。間に聞こえた紅茶の値段は聞こえなかったことにした。馬と紅茶で、合計して屋敷を8つ建てることができる様になったことなど、聞こえなかった。「そういえば、あの馬の名前はなんていうんですか?」「馬? ああ、天代さんに差し上げた軍馬ですわね?」「そうそう、袁紹さんなら、いい名前をつけてると思ってね」「まぁ、口が上手いですわね。 でも事実ですわ。 あの馬の名前ですけども……」一刀はこれで問題の一つが解決すればいいなぁ、と思いながら袁紹の続く声に集中した。「農獅ですわ」「……脳死?」「ええ」「そ、そうなんだ……」『『『『『『『……』』』』』』』微妙な沈黙が降りた。由来を聞いてみると、農家で生まれた馬だからだそうである。馬体はがっしりしており、獅子のように立派な鬣を持つことから農地で生まれた獅子のような立派な馬という意味を込めて名付けたそうだ。文字に書いて説明してもらった時に脳死でなかった事に、深い安堵の溜息を吐いていた。確かに、ありそうな名前だし、悪くはないかも知れない。しかし、語感がまずい。「天の御使いであられる天代さんに、立派な馬格を持つ農獅はお似合いだと思いますわ」「……う、うん、農獅が似合う、か」「褒めてますのよ?」「あ、はは、いや嬉しいよ、ありがとう」微笑を浮かべる袁紹に、一刀は曖昧に言葉を濁して上っ面の言葉を返すことしかできなかった。それから、慌てるように一刀は袁紹の天幕を後にして名前が判明した超高価な馬である農獅に跨って立ち去った。本体が言われた訳でもないので、本体の一刀的には脳内の彼らに気を使って立ち去ったのだが。袁紹の名付けた物は参考になるどころか悪意のない笑顔で、脳内死ねよ、と暴言を吐かれた気分であったのだ。実際には全然そんな事を思っていないと知っていても、脳内の一刀達にとって、かなり衝撃的な事であったのだ。『袁紹、何て恐ろしい名をつけるんだ……』『ああ……そして俺達は、何て恐ろしい物に跨っていたんだろう』「名前は……変える、よね?」『『『『『『『『『『頼むから変えてくれ』』』』』』』』』』久しぶりに脳内全一刀の想いが重なった。結局、馬の名前は毛色と凄い高価な馬である事実。それに加えて袁紹の名付けた獅子をあわせ、『金獅』となった。ちょっと格好良すぎる気がしないでもないが、 『農獅よりはマシ』 という意見により決着をつけたのである。新たな名を授けると同時、一つ高く鳴いて金獅はしょうがねぇな、と言った顔つきで答えた。一刀にとって、長い相棒となる金獅の誕生の瞬間であった。 ■ 覚悟、その違い立ち去った一刀を見送りながら、袁紹はふぅ、と一つ溜息をついていた。どうやら、自分の下に訪れたのは馬の名前が気になったからであるようだ。差し上げた物なのだから、彼が決めてしまっても良かったのだが。ちょっとした心遣いであるのだろう。その一刀の思いが透けて見れて、嬉しいか嬉しくないかと聞かれたらまぁ、嬉しい袁紹であった。天幕の中で腕を組みつつ、一刀の容器を見てむぅと一唸り。半分ほど無くなった紅茶をじぃーと眺めて手の先で容器をコンコンと叩く。勿体無いことに、飲みかけで中座されてしまった。正直、もう少し一刀と話がしたかった。その為に高く買い付けた茶葉もこうして用意したというのに。いくら袁家が大金持ちであり、大陸に名を轟かす超名家であろうとも流石に茶葉一つに家が建つような品物は高価ではあるのだ。まぁ、その位で財政が揺らぐような家名ではないので、大金持ちであるのは間違いないが。「麗羽様ー」「猪々子さん、斗詩さん、どうでしたの?」「報告受け取ってるだけですから特には、って麗羽様こそ何してるんですか?」顔良と文醜が天幕の中に入って来るのを見て袁紹は尋ねた。軍の事は基本的に良く分からないので全部目の前の二人と田豊に放り投げである。その方が文醜たちも話が早くなるので、放棄に等しい袁紹の態度も特に文句は無い。「天代さんが来ていらしたのだけれど……」「一刀様が?」「え?」「え?」「あ……」それは余りにも自然に口から滑り出していた。顔良は、自分の失言に気がつくと手を口元に寄せて狼狽した。が、詰問されると思っていた彼女の思いとは裏腹に、袁紹は頷いて微笑んだ。「そう、斗詩さん……そういえば、監視役として天代さんと一緒だったのよねぇ」「いえ、別にその……えーと、あはは」「ままま、待った、姫も斗詩も何の話をしてんの?」「失礼するわ」三人で話し込んでいると、許可もないのに勝手に天幕へと入り込んできた少女が居た。その姿を認めて、三人が三人とも眉を顰める。入ってきたのは曹操、その人である。「あら、華琳さん。 何か私に用かしら?」「軍部の指示が粗方終わって暇なのよ。 珍しい茶があるから誰かを誘おうと思ったのだけど あいにく暇そうな人が麗羽しか居なそうだったからね」「ふぅん、珍しい茶?」「そうよ、紅茶、という物らしいわ」許可された訳でもないのに、曹操は袁紹の卓に椅子を引いてさっと座る。先ほどまで一刀が座っていた場所だった。「うん? 誰か来てたの?」「天代様がいらしてたのよ。 馬を譲ってさしあげたから、それでね」「ふぅん、そう……それで、この茶は何なの? とても私が持ってきた物と似ているのだけれど」中途半端なところで話を中断することになってしまったが袁紹は曹操を歓迎して茶を楽しむことにしたようだ。宙ぶらりんになってしまった話題に後ろ髪惹かれつつも顔良と文醜はしょうがなく、麗羽へ軍の指示を続けてくると断って席を外した。紅茶を実はもう飲んだことがある、曹操よりも先におーっほっほっほ、と袁紹に自慢されたり実は袁家ということで足元を見られ、曹操の3倍の値段で商人から茶葉を買っていた事を曹操にからかわれたりたまに口論を交わしたり、曹操が呆れたり袁紹が高笑いしたりちょっと言い争ったりしながらなんだかんだと楽しくお茶の時間を過ごしていた。そんな、旧友を暖めている二人の話は、なんとなく一刀の話になっていく。「そういえば、麗羽は北郷一刀をどう見ているの?」紅茶を一口含んでいた袁紹は、ピクリと身を僅かによじり、視線だけ曹操へと向けた。つまらなそうに、如何にもとりあえず聞いておくか、という様子で。そんな曹操の態度に、袁紹は天幕に入ってくる前に話を盗み聞きしていたのだろうかと思った。目の前の女ならその位の失礼はやりかねない事を知っているので、袁紹は肩を竦めて言った。「そうですわね……ヤバイですわね」「そう……麗羽もただの馬鹿って訳じゃないわね」「誰が、お馬鹿、ですって?」「あー、もう、鬱陶しいわね。 いちいち反応しないでちょうだい」追い払うように詰め寄ってくる袁紹を手首だけで返して、曹操は考えた。実は、曹操は北郷一刀をどう扱うか決めかねていたのである。漢王朝はもはや、ゆるりと死に行く国。何度か宮内へ足を運んで、そう判断を下した曹操は、自ら私軍を形成し徐々に地位を高めつつそう遠くないであろう来るべき混乱に備えていた。人材を広く求め、漢王朝ではない、曹操の軍を作り、国を作ろうと。今はまだ水面下での準備に過ぎない。漢王朝が在り続けるのであれば、それもまた良し、という考えも持っている。そして、自ら天の御使いと名乗り未来を知るだろう北郷一刀は、死にゆく漢王朝に檄を入れている。しかし、一刀が荀彧に宛てた、真名を詫びるという名目で送られた手紙には確かに『魏の王』という言葉が書かれていた。矛盾しているではないか。漢王朝が存続できるのならば、魏の王、などと言う言葉を自分に贈る事などしなければいい。その言葉を贈るということは、漢王朝が死を迎えることを示していたのではないのか。彼が見えている未来と、本人の意思は食い違っている?それとも、漢王朝に未来があるのだろうか。状況は、どう考えても朝廷の未来は暗いはずであるのに。「読めないわ……何を考えているのかしら」「華琳さん……?」真剣な顔をして悩み始めた曹操に首を傾げた袁紹だったが、やがて得心がいった。つまるところは、こうだ。曹操も、袁紹と同じように北郷一刀という人間が気になっている。あの時、自分に戦場へ行こうと笑いかけた彼に、何か尊い物を感じて自然と泥臭い戦場へ向かう事に嫌悪を抱かなくなった。泥にまみれて戦うなど、無様だ。華麗さなど、微塵も帯びて居ない、格好の悪い事だと思っていたしその考えは今でも間違っていないとも思う。しかし、北郷一刀という男に手を取られ、声をかけられた時に悪くないと思ってしまった。軍議の席で初めて出会った男だ。そんな感情を抱く筈は無いのだが、でもやはり一刀には感じ入る物がある。それは、敵軍総大将、波才を斬ったあの場面。天と太陽、そして虹を背負った一刀を見て確信したのかも知れない。あの光景は、袁紹が見たどの景観よりも優雅で華麗なシーンであったようにも思える。袁紹は、昔から手に入らない物は無かったと言ってもいい。生まれた時から不自由の無い暮らし、生活、食事、風呂。この時代、誰もがうらやむ権利を生まれた時から持っていた。そんな彼女も、一つだけ手に入れることがままならない物がある。人の、心。何もかも手に入る彼女はいつか、目の前に居る曹操を欲した事があった。だが、曹操は決して自らの芯を曲げることなく、袁紹にへり下る事は無かったのだ。そんな彼女を見たときに感じた物を、一刀にも感じていた。すなわち、人の心を掴む力を持つと。それ故、袁紹は曹操の悩みに気がついた。曹操は一刀に惚れた。袁紹の導き出した答えは、かなり斜め上にすっ飛んでいったが、彼女からすれば経験を踏まえた結論である。「華琳さんの悩み、分かりますわ」「へぇ……少し見ないうちに随分変わったわね、麗羽」「華琳さんほどではありませんわよ……天代さんは確かに、中々華麗なお方ですから」「ふふ、言うわね」言ってニヤリと笑いあう。曹操は、一連の会話で袁紹をかなり見直していた。自分の危惧、そしてその悩みに同感を得るとは。もしも乱世となった時、もしも乱世でぶつかりあった時、最大の敵は袁紹となるかもしれない。軍事力、金、家柄、風評。これほどの条件を兼ね備え、さらに上に立つ者が求心力さえ持ち始めたとなればとてつもない難敵になることは間違いない。かつて親交を深めた友は、正直言って刹那的な生き方をしており、決して賢いとは言えなかった。そんな彼女が、自分と覇権を競い合う龍となろうとしているのか。無数に伸びる未来の枝の中、曹操は目の前の友との決戦を夢想して笑った。「まさか、麗羽がね」「華琳さん、負けませんわよ」「私に勝てると思ってるの?」「当然ですわ、私は名門袁家を束ねる袁本初ですわよ? おーほっほっほっほっほっほ!」「あら、手強そうだわ」この会話を持って、袁紹は自分の気持ちに気がついた。曹操へ向けていた時と同じ感情を抱いた。それは、つまり、北郷一刀に懸想している自分に気がついたのである。そうだ、袁紹という女は北郷一刀という男と一緒に話をしたい。彼のことを知りたい。自らの胸を突く、不可思議な感情を分かりたい。同じ恋心を抱く相手が、友である曹操というのも面白いではないか。一度目の前の少女で失敗しているのだ。この経験があるだけ、彼女に気持ちで負けることはまず在りえない。失敗を経験しない者に、成功は無いとも言うし。たとえ、この恋が実らずとも目の前の少女には負けたくないのが本音だ。そうした気持ちがスラリと袁紹から吐き出されていた。「けど、それも……」曹操は呟いた。もしも漢王朝が再び立ち上がれるのならば、この会話も夢想となる。そして、本当に漢王朝が息を吹き返すことができるのであれば。不可能なはずの、腐りきった今の世を変えられるのならば。それは不確かな未来で、酷くあやふやだ。胸に灯した覚悟を捨てるには遅すぎるし、自分の志の火は消えないだろう。しかし、北郷一刀が自らにとっての水龍となって道を示してくれる可能性は、ある。目の前に居る友と、手を取り合って国を支える未来の枝も、確かにありえるかも知れない。曹操はすでに冷えてしまった紅茶に目を落としながら言った。「それも、北郷一刀次第、ということね」「そうですわね」そう、結局選ぶのは北郷一刀なのだ。どちらの想いを汲み取るのか、それは曹操や袁紹の想いとは別の事。袁紹は、そのことを知っている。或いは、二人共、ということもあるのかも知れないがそれはそれで悔しいし、しっかりと格を決めてもらわなければならないだろう。袁家の長である自分ということになれば、後継者問題というのもある事だし。そんな思いから、同じように紅茶を見つめていた袁紹は、呟くように言った曹操の言葉に同意を返したのである。そして、二人は同時に盃をあおって、同時に茶を飲み干した。ほのかに香る紅茶の後味。なかなか美味しい茶であった。高くついた物だが、それだけの価値はあっただろう。「とても楽しかったわ、麗羽。 高い茶を持って親交を暖めに来た甲斐があるというもの」「そうですわね、華琳さん。 私も華琳さんと話をして覚悟が決まりましたわ」「そう……またね、麗羽」「ええ、また」顔だけ向けて袁紹へ別れを告げると、振り返ることなく曹操は天幕を去った。曹操、そして袁紹。時代の英雄達は覚悟を決めて並び立った。お互いの真意を知ることなく、顔を突き合わせて話しているのに、何故か真っ向からすれ違って。 ■ 趣味、道楽、もしくはホビーそれは、曹操が袁紹と天幕で話をしていた時であった。賈駆は、陣の撤去の指示を取りながら、ある場所へと視線を向ける。自分の知と同格……あるいは、それ以上かも知れない敵の軍師。諸葛亮と鳳統という少女達をチラチラと見ながら、兵の指揮を奮っていた。そんな賈駆に、ふと声が聞こえてくる。「ふん……」「はわわ……」「あわわ……」「良く聞け、賊徒共。 お前達の意志は砕かれ、もはや貴様らが掲げる黄天の世を迎える事は無いだろう。 身柄を預かったのは天代殿だが、下す処罰は厳しい物になるはずだ。 例えば、それは拷問かも知れないし、慈悲を与えた斬首かもしれん。 志を挫かれ、官軍に楯突いたお前達に与える罰によって 黄巾党にとって絶望になる、いわば見せしめとなるのだ」諸葛亮と鳳統に向かって、低い声で睨みながらそう言った男。名を何進という。孫策が捕らえたという黄巾党の軍師をしていた少女達。この二人、当然のことながら官軍の兵や将からは厳しい視線を向けられていた。隣の友が死んだ。一緒の釜の飯を食っていた仲間が、次の日には居ない。それは、紛れもなく牢の中で子羊のように無力な二人の知によって引き起こされた物だ。どんな美辞麗句を語ったとしても、その事実は覆せない。もしも天代という役職を貰った一刀が居なければ、何進によって即斬首の刑を受けてもおかしくないのである。一応、兵の不満を抑える手前、こうした脅しを行っている何進であったがその内心は複雑ではあった。自分の子と、さして変わらない見た目の少女を脅すのは心苦しい。顔を俯いて、下唇を噛み、震えている少女を虐めるような趣味などないのだ。とはいえ、このまま放置しておけば官軍の兵は幼い二人に怨嗟から傷つけるのは間違いない。そんな兵の感情は確かに正しい。何進も二人が黄巾党に参加した理由はどうあれ、孔明と士元に情状を汲む余地は無いとしているがそれでもこうして行っている少女への脅迫は、気分の良い物ではなかった。とりあえずは、これで兵達の溜飲を下げてもらうしかないだろう。何進は一つ溜息をつくと、孔明と士元を無視してその場を後にした。それらを一部始終、耳をタコにして聞いていた賈駆もまた複雑な感情を抱いていた……約二時間後くらい。賈駆は、華雄と夏候惇が持ってきた昼食を一緒に取ることになった。ふと目を向けると、今度は別の男が諸葛亮と鳳統の前で何かを言っているのが聞こえてきた。賈駆の視線に釣られたのか、華雄と夏候惇も同じように賈駆の向いた方へ首をめぐらした。「はわわ……雛里ちゃん……」「あわわ……朱里ちゃん……」「お前達の意志は砕かれた。 こうして自ら捕虜に下ったのは潔い。 身柄を預かったのは天代殿だが、それでも下す処罰は厳しい物にならざるを得ん。 例えば、それは拷問かも知れないし、慈悲を与えた斬首かもしれん。 この乱が、漢王朝の腐敗が原因であることは我らも分かっているが それでも死は免れんだろう。 覚悟をしておくことだな」どこかの誰かが話した似たような事を言いながら、険しい顔でそう言ったのは皇甫嵩であった。静かな威圧感というのだろうか。そうした物が彼から立ち上がっていた。一頻り脅した皇甫嵩は、周囲をぐるりと見回してから渋面を作りつつ立ち去っていく。隣で聞いていた華雄が、首を傾げて賈駆へと尋ねていた。「あれは一体何をしておるのだ?」「天代様が、やってるんでしょ。 敵軍の捕虜なんてこの場では恨みの吐け口にしかならないわよ。 場所が無いから、兵にも見えるあの場所へ牢を設置したのかと思ったけど 何進大将軍や皇甫嵩将軍を見ていると、どうやら、わざとみたいね」「何を言ってるのか全然わからん。 もっと簡単に説明しろ」「そうだな、全然わからんぞ」「……つまり、天代様は彼女達を虐めてるかもってこと」かなりあんまりな意訳になってしまったが、賈駆を責めるのは酷であろう。要点を抽出すると、こうなってしまったのだ。話の流れや雰囲気から、今の話を理解できないのであれば、要点のみを話して説明することしか出来ない。兵の溜飲を下げる為に、将兵はこまめに敵の軍師であった少女達に罵声を浴びせていた。それは賈駆もしっかりとこの場で目撃している。牢を少し、兵から遠ざけるだけでこの現象は回避できたはずなのだ。「すぐに斬首しないのは慈悲と思ったけれど、認識を改めないといけないわね。 敵対した者には容赦しないか、あの男……」彼女達は彼女達で、大きな志を持って蜂起したのだろう。それは、確かに漢王朝に敵対するという愚挙であったが、しかし。裏を返せば民……それも農民を中心とした漢王朝打倒の旗を掲げた乱だ。どれだけ、今の漢王朝に民草は不満を抱いているかが分かるというもの。敗将に慈悲を与える必要などない。それは分かる。しかし、あの少女達は同じ軍師である賈駆にとって哀れな物に見えて仕方なかった。折を見て、天代には牢の位置を変えてもらうように進言するべきだろう。「むぅ、纏めると、天代である北郷一刀という男は、あのような幼女を嗜虐する趣味を持っているということか?」「なるほど、分かりやすいな元譲殿」「ちょっ、あんた達、あんまり滅多なこと言わないでよ」直で一刀を批判するような夏候惇の声に頷く華雄に、賈駆は慌てて黙るように人差し指をたてた。自分の目上の人に、幼女嗜虐趣味などという暴言を吐いたに等しいのだ。誰かに聞かれて天代の耳に入ったら溜まった物ではない。董卓の将と曹操の将がそんな事を話していると知られたら、どうなるか。少なくとも、今回の劇的な一騎打ちによる勝利によって生まれた、一刀の爆発的な人気から董卓軍と曹操軍の風評は悪くなることだろう。曹操軍だけならばともかく、董卓軍に悪評が広まったら溜まったものではなかった。「しかしな、賈駆。 私も天代が軍師の陳宮殿に見事な肘打ちくれているところを見てしまった。 元譲殿の話は納得できるものだ」「え? そんなことしてたの?」「ああ、この目でしっかりと見た。 しかもその後、泣き喚く陳宮殿を無視して孫策と抱きついてた」「えええ? 抱きっ……そ、孫策と!?」華雄から齎された衝撃の真実に賈駆は驚愕した。ちなみに陳宮は泣いてなどいなかったのだが、鼻の痛みから目尻を潤わしていたのは確かだ。肘打ちしたのも、抱きついたのも、まぁ事実である。「そんな趣味の男と文通しているとは、趣味が悪いにも程があるな」「文通?」「ああ、我が曹操軍でも最も小さい口うるさくて喧しい女とな」「……最も小さい」夏候惇の話もまた、真実ではある。文通かどうかはともかく、一刀が荀彧に手紙を一度ならず二度も送ったのは事実だし許緒や程昱などが、まだ陣営に参加していない曹操軍では確かに、荀彧が一番小さいだろう。何となく、嫌な符号が一致しつつあった。そんな時だ。少女の声が響いたのは。「か、辛いのじゃぁ~!」「ああ、ごめん、って、これで辛いのか!?」「も~天代様ったら、甘党の美羽様に唐辛子入りの食事を持ってくるなんて鬼畜すぎですよ!」「七乃ぉ~」「はいはーい、こっち来て吐き出しちゃってくださいね~」「張勲さん、コレでも駄目なの?」「そうですねぇ……んくっ……ああ、これじゃ美羽お嬢様には辛いですねぇ」「舌がピリピリするのじゃ……」「そうなのか……ごめんよ」おおよそ、1里ほどは離れているだろうか。ある天幕の近くで昼食を取っていたであろう袁術が飛び上がって張勲に泣き付いていた。怒ったように一刀へと何かしらを言っている張勲へ、一刀は笑いながら袁術へと頭を下げていた。笑いながら、だ。夏候惇も、華雄も、賈駆も。将であるだけに目は良い。その光景をしっかりと捉えたが、距離からか、一刀達の声は流石に聞こえなかった。つまり、彼女達にとっては一刀が袁術に何かして、泣かした上に笑っているという事実だけが残った。なんとなしにその光景を見ていた中で、すくりと無言で賈駆は立ち上がった。「……華雄、ちょっとこの場は任せるわ」「ん? おい、どうしたのだ?」「月のところに行って来るから!」「ちょっと待て、ここはどうするのだ!」「任せたって言ったでしょ! 今、この場の指示よりも重要な用事が出来たのよ!」そうして結構な速度で自らの天幕を目指して賈駆は走り去った。残された夏候惇と華雄は、仕方が無いので適当に兵士へ指示を出してその後、洛陽へ戻った時に仕合う約束をして別れた。そして。「よ……幼女嗜虐趣味だって、しゅ、朱里ちゃん……」「はわ、そ、そんな事無いよ、きっと……」「それに、その、優しい人だったもん……ね?」「う、うん、天の御使い様だもん……そ、それに私達、別に幼女じゃ……」「あわ……よ、幼女じゃないよ、うん」「そ、そうだよぅ、きっと」賈駆へと声が聞こえていたということは、しっかりと彼女たちにも聞こえているわけで。ある意味で皇甫嵩や何進とは違った意味で、精神的な攻撃を加えることに成功していた賈駆達であった。ちなみに、一刀は後に皇甫嵩と何進の報告から状況に気がついて牢を設置した張勲に命令し、牢の場所はしっかりと移動されることになった。 ■ いつか自慢しても良い明日には洛陽へと凱旋する予定の官軍。その日の夜に、孫策は一人で陣内の丘で蹲っていた。記号的表現が空間に現れるとするならば、縦線で埋められていたことだろう。簡単に言うと沈んでいた。理由は簡単だ。初陣で上げる筈だった、孫策という名が全然広まっていなかったことを知ったからである。何故だ。何故、こうなった。親友の周瑜の名は、官軍の知者として知れ渡ったのに、どうして自分の名前がないのだ。限りなく落ち込んでいく孫策は、今日の出来事を振り返った。―――兵士達の談笑を何気なく耳にすることは多い。陣にいるのだ。天幕の中に居たって、時たま意図せずに話が聞こえてしまうことだってある。そんな聞こえてくる声の中で、自分の名前がないことに気がついた。呂布を筆頭に、袁紹の二枚看板である顔良、文醜。自らの母である孫堅は言うに及ばず、曹操の大剣と呼ばれた夏候惇。董卓軍一の猛将として名が広まった華雄。天の御使いに重用されているとして、陳宮は『天の軍師』と呼ばれ始めていた。門を守りきった賈駆や周瑜、張勲や劉表、そして部隊運用で光る物を見せた皇甫嵩。大将軍である何進は、もともと名が広まってるから良いし、天代に関しては言うに及ばず、だ。袁紹ですら、はっきり言うと、彼らや彼女達に比べて自分の活躍が劣っているとは思わない。同じように名が広まらなければ、おかしいではないか。そう感じた孫策は、ちょっとした意識調査を周瑜へとお願いしたのである。その様子を見ていた周瑜は呆れた声を出して孫策に溜息を吐いていた。「しっかり見ている者は見ているよ。 雪蓮の名が広まっていないはずないだろう」「でもでも冥琳。 よくよく考えてみると、私の部隊はともかく、名乗りを全然あげてなかったわ」「まさか、門の防衛の時に言ってたではないか」「そうだっけ……熱くなってたから、良く分からないわ」「……うーん、確か言ってたような気がしていたが」「むぅ、冥琳が言うならそうなのかも知れないけど……」「たまたま、雪蓮を知らない兵だけの会話を捉えたのだろう」「でも気になるのよ、お願い、冥琳!」「はぁ、仕方がないな」懇願されて溜息を吐きつつも孫策という武将について、それとなく聞き出す草を放った周瑜である。フォローした周瑜だが、彼女自身も門の防衛時にはクールに熱く燃えていたので、思い違いをしてしまったのだろう。武を見せ付けるとは宣言したが、孫策は一言も自分の名を名乗っては居なかった。それ以前も同様に、陣の防衛の為に名乗る機会は恵まれなかった。初陣となるため、基本的に孫堅が鍛えていた私軍を率いていた孫策である。結果だけを言ってしまえば、孫伯符を知る者は実は少ないのだ。兵、曰く。「ああ、系の旗の将軍様でしょう?」「江東の虎の娘ってこと以外は特に……すみません」「知ってますよ! 頭が桃色の人ですよね?」「馬鹿、それは髪の色だ。 通り名は“桃色頭”だったろ」「袁術様に命を救われた方でしたよね?」「あれ、逆じゃあなかったか?」「孫……策……? 孫堅様の間違いでは」「呂布様じゃなかったか?」「いや、呂布様の分身だったよ、見たもん俺」「なるほど、分身か……呂将軍ってすげぇな」ご覧の有様だった。続々と報告に来る、周瑜の放った草達は、皆一様に言いずらそうに時に脂汗を流して視線を外し、呂律が回らないような調子で不機嫌になっていく孫策へと報告した。『呂布の分身という名が広まっております!』という報告を受け取った孫策はついに切れた。「人が、分身なんぞするかぁーっ!」「ひ、ひぃぃぃ、そ、それは恐らく、呂布並の武力を持つ孫策様という意味でしょう!」「もういいっ! 下手な慰めをしなくていいからゆっくり出て行って!」「は、ははっ!」勇ある伝令は、孫策を慰めようとして逆に怒られながら天幕を律儀にゆっくりと飛び出して行った。その間、孫策に睨まれるようにして眺められていたので、伝令兵は滝のような脂汗を流していた。はぁっ、はぁっ、と大きく肩で息を吸って、一つ大きな呼吸をして精神を落ち着ける。全然落ち着かなかったが、とにかく冷静にならなければならない。自分の武名が広がらずに暴れた将、江東の虎の娘、孫伯符。厄介な気性だけを引き継いだ、孫家の次代を担う孫伯符。そんな形で名が伝われば自殺物だ。ちょっと切れて怒ったけど、ギリギリなんとか自分を抑えて兵に八つ当たりすることは防いだ。言い散らして睨んだ気はするが、この位なら許容範囲だ。そのはずだ。荒々しく酒を容器に注ぐと、孫策は一気に煽った。お酒は美味しく楽しく飲みたいのだが、流石にショックで味が分からない。「ううっ、最低ね」不味い酒を飲むのは、逆に失礼だ。酒瓶を卓に戻して、孫策は何度も深呼吸を繰り返しつつ体をほぐして、怒りの溜飲を下げる努力を続けた。それは数分後にようやく成果を出した。冷静になった頭で考えると、この事でちょっとくらい泣いても良い様な気がしてきた。そうだ、もう泣いてしまおうか。そうすれば、逆にこの気持ちもスッキリするような気がする。「冥琳に慰めてもらお……」孫策は力なく呟いて立ち上がると、フラフラと周瑜を求めてさまよい始めた。そして見つける。黄蓋と談笑をしている周瑜にゆらりと近づくと、孫策は迷うことなく胸に飛び込んだ。近くに他の誰かも居たような気がするが、とりあえず彼女の目的は周瑜の胸である。「め~~い~~りぃ~~~ん!」「うわっっと、どうした雪蓮……昼間から酒くさいぞ……」「策殿、どうなされた? 飲むのならば誘ってくれれば良いのに」「全然、私の名が広まってなかったぁ~~!」その言葉と様子から、大よその事情を察した周瑜と黄蓋は顔を見合わせて孫策を慰めた。そんな彼女の肩を叩く、一人の少女。肩を叩かれた条件反射で、孫策が振り向くと、赤毛のアホ毛がピリリと伸びる呂布が立っていた。「呂布殿?」「え、呂布? ……ん? 何?」「……元気、出して」様子に心配したのだろうか。呂布は彼女が気付くと、ゆっくり、しかし確かにそう言って孫策を励ました。コクリと頷く様子を眺めて、思わず目を丸くしてしまう。まさか、分身体の自分に、本体が慰めてくれるとは。いい子だ。「あ、ありがとう」「……いいよ、えっと、呂布?」「そ、孫策よ!」「……私と同じ名前だって、兵が言ってた」「それは違うのよ! も、もういいわよ馬鹿ーっ!」孫策は、本体にトドメを刺されてその場から逃げ出した。慰めてもらうどころか、傷を抉られてしまったようである。「あ、雪蓮!」「呂布殿、悪意がないのは分かるのだがのぅ……ああ見えて策殿は繊細なんじゃ」「……?」呂布は表情を変えずに首を傾げた。そんな彼女を見て、黄蓋は苦笑して首を振り周瑜は肩を竦めた。「冥琳、今夜は策殿に付き合ってやりなされ」「はい、そう致します……まったく」「……孫策」ポツリと、呂布はそう呟いて彼女が消えた方へ視線を向けていた。―――とまぁ、そういう訳で目に見えて沈んでいた孫策である。陣を出たすぐ近くで膝を両手に抱き、ちょっと高くなった荒野の丘で徳利のような物を持つ彼女の背中は正直なんというか、少し煤けていたように見える。そんな鬱々としている孫策を最初に見つけたのは、彼女とは対照的にその名を爆発的に上げて、今もなお大陸に迸っている天代、北郷一刀であった。陣の外で黄昏ている孫策に、一刀はそっと近づいた。「孫策さん、そんなところで何してるの」「あ、えーっと……」振り返って一刀の姿を認めると、孫策は身を硬くした。考えてみれば、突き飛ばして逃げてから一度も会っていなかった。正確には酒宴の時に会っているのだが、話そうとしたら物凄い勢いで飲みまくった彼に彼女は乗り遅れて会話をすることが出来なかったのである。それはともかくとして、突き飛ばした事は謝らねばなるまい。「あの、この前は突き飛ばしちゃって悪かったわ」「え? ああ、それか。 別に全然気にしてないよ」「そう? それなら良かった……じゃなくて、良いのだけれど」なんとなく隣に立った一刀は、空を見上げて星を見る。そういえば、彼女はどうしてこんなところに居るのだろうか。「天代様って……」「ん?」「……」不自然にそこで言葉は切れ、沈黙が降りる。孫策自身、なにを言おうとしたのか分からなかったのかも知れない。相も変わらず地を見つめて、ブルー将軍となった孫策を眺め一刀は何となく立ち去る雰囲気でも無くなったので、隣にゆっくりと腰を降ろした。ツン、と一刀の鼻腔を擽る酒の匂い。見れば、彼女の膝を抱えた右手には徳利のような物が納まっていた。「それ、入ってるの?」「もう、からっぽ」そう言って、孫策は容器を地に落とした。カラカラと乾いた音が響いて丘を転がり、やがて止まる。『こんな雪蓮を見るのは、初めてかも』『何かに悩んでるのかな?』『うん、心配だね』「……何か悩み事かい? 俺でよかったら聞くよ?」「うーん……」一刀が脳内の声も手伝って尋ねると、孫策はジト目で一刀を見た。正直、この話を一刀にするのはちょっと恥ずかしい孫策である。しかしまぁ、程よく酔いも回っていた彼女は話してもいいかと思った。どうせ、一時の恥だ。今回は名を広めることが出来なかったが、いずれは、きっと。そう一人で飲みながら考えが纏まっていたので、暫しの沈黙を破って孫策は語り始めた。『なるほど……』『確かに、この時代じゃあ孫策は初陣でもおかしくないんだよな』『雪蓮にも、こんな時があったんだね』『ははは、なんか新鮮だな』『うんうん』『王としての彼女しか見たことなかったからね……』脳内の言葉と、孫策の話を同時に聞きながらという地味に凄い事を成し遂げて本体は慰めようと口を開いたが、急に立ち上がった孫策に噤むことになった。「でも、きっと何時かは私も名を広めて見せるわ! 母様と同じ……ううん、孫文台よりも大きく大陸に響かせて見せるわよ」手を胸に当てて、目を瞑り、宣言するように決意を話す孫策。一刀はそれを見て、ゆっくりと立ち上がって孫策が下に転がした徳利を拾う。先ほどまで、真横に居た一刀の気配が移動したのに、彼女は気付いた。「大丈夫だよ」正面から聞こえた“呉の”一刀の声に、孫策は目を開いた。振り返った一刀が、それを確認してから「俺が保証するよ。 孫伯符の名は、絶対に大陸に響くさ」「……ありがとう、慰めでも嬉しいわ」「慰めじゃないさ。 孫策さんの名を知ったのは“ここ”じゃ俺が最初だ」「え?」「孫策の名が広まった時は、俺が最初に孫策を知ったんだ、ってみんなに自慢しても良いだろ?」そういって一刀は優しく微笑んだ。呆気にとられたように孫策はしばし一刀を見やり、やがてクスリと笑った。なるほど、天の御使い。確かに、人の心を掴む求心力があるのかもしれない。だって、孫策自身、正直少しばかりクラっとしてしまった。「ちょっと格好つけすぎ」『同意すぎる』『ほんとにな』『まったくだ』『ウィンクしてたらタッチしてた』「はは、似合わなかったかな。 でも……うん、俺の本心だよ」意識を失った“呉の”をフルボッコにした脳内の声を無視して本体も確かにそうなった時は、自慢しても良いかなと思った。戦場で確かな武を振るって官軍の力となってくれた事は、誰よりも総大将である一刀が見ている。きっといつか、大陸へと孫策の名は轟く。それはもう、あやふやな未来じゃなく、確かな一刀の確信だった。「でも……うん……」孫策の声に一刀は彼女を見た。一瞬、逡巡したような様子を見せたが、一つ肩を竦めると一刀を真正面から捉えた。丘の上で両の手を腰に当てて、胸をそらし。そして、笑った。その笑顔のなんと綺麗なことか。「孫伯符、誇ってみんなに言えるようになって見せるわ、一刀」見入ってしまった一刀は、その孫策の声にハッとして言葉の意味を理解すると同時、自分の名がしっかりと孫策の口から飛び出したのに気がついて一刀は同じように笑顔を向けて返した。「……ああ、楽しみにしてるよ」翌日、一刀が許された孫策の真名をさらりと自然に呼んだことにより孫堅が超エキサイティングになって、雪蓮のストレスがマッハになったそうだが、それは余談である。 ■てれてれてってってーかずと は のうない CG を手に入れた!・膝の上に在る信頼(音々音)・いつか大陸へと轟く名(孫策)なんと かずと は あらたな称号 を手に入れた!・天の御使い・天代・チンコ・幼女虐待趣味 ← NEW!