clear!! ~頭で撮る記念写真の数々、決めポーズを記憶に残すよ編2~clear!! ~あの宮の内側がズクリと疼きだし空騒ぎの日々を送るよ編1~今回の種馬 ⇒ ☆☆☆~あの宮の内側がズクリと疼きだし空騒ぎの日々を送るよ編2~☆☆☆ ■ ぴったり(一刀、劉協、音々音、恋、華佗)呂布を迎え入れた翌日の朝に、それは起きた。眠っている時に感じ始めた重み、そしてそれと共に鼻をくすぐる甘くて良い匂い。寝苦しさを感じて薄ら眼を開けると、何か赤い物が自分の右腕に乗っかっている事を知った。モゾリと動いたその赤い物。僅かだが人肌のような物と、おうとつを作っている輪郭が見えた。寝起きにも関わらず、北郷一刀の意識は最速で起動する。息を吸うのを忘れたかのように、一刀は目の前の物を凝視して……その物体が上下に呼吸を繰り返しているのを確認すると同時に確信に至った。一刀の胸の近くを圧迫して寝苦しさを与えていた原因は、異性の人間、おそらく呂布。胸を貸して、さんざんっぱら泣きまくった彼女はそのまま眠ってしまったのは覚えている。寝具へと苦労して運び、その後に一刀は華佗と共に酒を飲んだのも。丁原が病を患ってしまったのは、或いは援軍を急かした自分のせいではないか、とかまさか本当に死んでしまうなんて、とか色々と愚痴をぶちまけていたのだ。華佗も丁原を救えなかった事は悔やんでいたのか、二人で結構な量の酒を飲み随分と深酒になってしまったような記憶はある。だが、呂布と一緒の布団で眠った記憶は全く無かった。今思えば、何故もう少し寝苦しさに負けずに、寝ていられなかったのかと思わずには居られない。一刀がその事実を知り慌てると同時に扉が開けられて音々音が現れた。その扉を開け放った音に、何故か床で眠っていた華佗が眼を覚ます。そして見る。布団の中で呂布と抱いている様に見える一刀を。「一刀殿、おは、っよなぁっ!?」「ふぁ……もう朝か……おはよう、一刀、音々音」「お、おまひょう」一刀は不自然な体勢で挨拶しきれなかった音々音と何時も通り極自然にあくびを一つかまして起きた華佗にピヨった朝の挨拶を交わした。基本的に毎朝、一刀は音々音に起こしてもらっているのだがその起こし方は様々である。それは一刀の眠っている顔をペチペチと叩いたり、肩の辺りをゆすったり華佗の目が覚めていない時には耳元で囁いたりする物であったが流石に、布団の中に入ってくる、或いは飛び込んでくる、潜り込んでいるというものは無い。眠る少女を抱いた状態で朝を迎えたことは、一刀……少なくとも本体にとっては初めての体験だった。自分の腕の上で気持ち良さそうに眠っている呂布を起こして、事情説明させる為の手を打ちたい気持ちと泣きつかれて眠っている彼女を起こすのは忍びないと思う気持ちがぶつかりあって中空に揺らいだ空いた左手は、特に目的もなく彷徨った。下手に動けば起こしてしまいそうなので、体制を変えることも侭ならない。とはいえ、このまま凍った時の中を過ごしたくは無い。一瞬でそれだけの葛藤を抱えた一刀の悩みを砕いたのは、同じように固まっていた音々音だった。「ちんきゅぅぅぅぅぅ」「ハッ! ま、まった、何をするつもり―――」「キィィィィッック!」一刀の制止は間に合わず、器用に一刀の居る場所を避けて叩き込まれる音々音の必殺技。わき腹の下辺りに鈍い音を響かせて、武名広まる呂布へと直撃させていた。その蹴りの衝撃を利用して空中でクルリと回り、ピタリ着地。陳宮のその動きは実に華麗で、思わず華佗が拍手するほどであった。「……ん?」流石に今の一撃は目が覚めたのだろう。呂布は吐息しながらゆっくりと身体を起こすと、ぐるり周囲を見回した。眼を擦りながら、自らに走った衝撃を起こした人物。異様にいきり立ちビシリと彼女へと指を向けている音々音と視線が絡む。そこで初めて、音々音は自分が蹴りを入れた人物が誰なのか気がついた。一人で3万の黄巾党を追い払い、分身体を作ることが出来る呂奉先その人であることに。「か、一刀殿を誘惑することはねねが許さないのです!」「……うん?」何が起きたのか分からない様子でビシリと指さす音々音を見て首を傾げ、拍手する華佗を見る。しばし茫洋と華佗を見てから、そして最後に視線を一刀へと向けて、再び頭から突っ込んでくる。「……ふわぁ……んっ」「そ、そこで寝るなですーっ!」流石に今度は呂布と分かったからか、それとも少し落ちついたのか両手を挙げて呂布の腰のあたりを引っつかんで力む音々音。体重差から考えて、動くはずは無いのだが音々音としては必死である。そんな中、どうしようかと思案していた一刀は動くと何か色々とまずいので、動くに動けなかった。朝のアレが襲い掛かってきていたからである。正直、圧し掛かる呂布のアレの感触のせいで悪化の一途を辿っている。「ん……うるさい……」「う、う、五月蝿いですとぉぉ!?」『あ、ちなみに余り五月蝿いと恋の戟が飛んでくるかも知れないから、静かにね』(そういうのは早く言えっ! ねねが危ないじゃないか)『ハハ……そういえば桃香が髪の毛斬られてたっけ……』黙っていた脳内が突然、あまり嬉しくない貴重な情報を齎してくれる。動くことままならぬ一刀は、とりあえず華佗に助けを求めることにした。「か、華佗、助けてくれ」「さて、朝食にするとしようか」いたってマイペースで華佗は立ち上がると、そんな事を言いながら歩き始めた。この件については見なかった事にするつもりらしい。真面目な顔してるのに頬を引く付いているのが、その証拠だ。そんな我関せずを心に決めたであろう華佗はきっと正しいのだろう。一刀は必死に懇願した。「か……華佗っ……頼む! 命を救うと思って……」「ぬぬぬ、そっちがその気ならばねねにも考えがあるのですぞ!」「一刀、先に食べてるからな」「……むぅ~」「は、薄情者ーっ!」「てぇーいっ!」一刀の怨嗟の声と殆ど同時、やたら気合の入ってる声が聞こえた瞬間に呂布の乗る右側半分ではなく、左側から何か柔らかい物が衝撃と共にひっついた。両手というよりも、両腕に花と言うべきか。男としてはこの状況は嬉しいのだが、朝っぱらからこんなに難度の高い状況は止めて欲しかった。嬉しいのだが。「はなれるのですー」 などと言いながら、手で呂布の肩や頭を押しだそうとする音々音に一刀は顔を青くさせながら地味に体勢を変えて、呂布を防御しつつそんな攻防など知らぬとばかりに 「う~~」 とか 「ん~~」 とか唸りながらも眠る呂布を眺めてる内に一刀はだんだんと、もう一度寝てしまおうかと考え始めた。一度そう考えると、凄く良案な気がしてくる。次に起きたときはきっと、この妙な状況も改善されていることだろう。そう思い、全てを忘れて眼を瞑ろうとした直前に、手の止まった音々音から妙な重圧を感じ取り視線を向けた。眼が、据わっていた。「一刀殿」「な、なにかな」「……後で、詳しく、お話を、聞かせて、戴くのです」一語ずつしっかりと区切って良く分かる様に言った音々音に、一刀は声を震わせながら短く了承を返した。ちなみに暫くの間、呂布が覚醒に至るまで三人でぴったり、くっついて寝転がる事になり一刀はとても落ち着かない時を過ごす羽目になった。 ■ 続・ぴったり「おはようございます、劉協様」「おはよう、一刀、ねね……うん?」「おはようございます、天代様」卓に並べられた、朝食と呼ぶには豪勢かつ、一人で食べるには少々過剰な量である皿を突きながら朝の挨拶を交わす。既に華佗は食事を終えて、戦で傷ついた兵士達を診察すると飛び出して行ったそうだ。椅子に座り、朝食を取ろうとする一刀をチラリと見る劉協。そんな一刀の隣に座った音々音に視線を移して、最後に音々音とは反対側に座った赤毛の少女を見やる。「今日も無駄に多いなぁ」「勿体無いのです」ここの生活にも随分と馴染んだのか、一刀と音々音は極自然に朝食を取り始めるのに対し劉協が箸を止めて観察する呂布は、料理の並ぶ器を前にじーっと動かず。そんな二人の様子を暫くしてから気がついた一刀は口を開く。「あ、劉協様。 この子は呂布です」「はぁ……呂布……え?」「で、このお方は帝の娘である劉協様。 隣に居る方は段珪殿だよ」「お噂は聞いております、呂布殿。 此度の戦はご苦労様でした」段珪殿は冷静だな、と一刀は感心しつつ呆けたように視線を絡める劉協と呂布を見た。昨日飛び込んできた呂布を、離宮に住まわすには目の前のお方、劉協の許可を得なければならない。他にもいろいろと面倒な手続きはあるのだろうが、まずはこの人からだ。丁原、そして泣きはらした呂布と約束した一刀が酒に溺れながら出した結論はこうだった。朝会わせてみれば多分なんとかなるだろう。そう力強く導き出した結論に従い、一刀はごく自然に振舞って食事を始めたのだが。「……」「……」『見てるな』『ああ、見てる』『大丈夫なのか?』『どうだろうな……』(だ、大丈夫だよ、きっと)無言で見つめあう二人を眺めている内に、前もって一言くらいは言っておいた方が良かったのでは無いかと不安になり始めた一刀である。何せ昨日は、呂布が眠った後に戻った華佗を最速で誘い酒に溺れた。黄巾相手にはしつこい位に対策を考えていた一刀も、呂布に関しては全くノープランで突っ込む事になった。しかも、今回は音々音の援護も見込めない。むしろ、下手を打てば今朝の様子から敵に回りかねないだろう。そんな中、先に動いたのは呂布であった。視線をスッと下げて豪勢な料理を一瞥し、再び劉協へと顔を向けると手を合わせて頭を下げた。それは礼であった。身分が上の者に対して行う、忠を示す礼を受けて驚くように劉協は身を一つ震わせ、そんな彼女を凝視する。再び頭を上げた呂布は、そこで初めて口を開いた。「……食べて、いい?」「え? え、ええ、構いません」おそるおそると言った様子で、食事に手をつけると、やがてその勢いは増していき軽快に出された料理を口の中に入れていく。依然呆けたまま見つめる劉協に、一刀は口を開いた。「えっと、丁原さんが亡くなってしまって、呂布を引き取ったんです」「……はぁ」「それと彼女の家族……と言っても動物なんですが、面倒を見ることにしました」「ええ……」「というわけで、呂布も一緒に離宮に住まわせたいのですが」放心しかけているのをこれ幸いと、一刀は一気にそこまで畳み掛けた。最後の言葉に反応したのか、劉協はそこでようやく一刀へと視線を向けると一つ溜息。眼を瞑り、今の話を噛み砕いているのだろう。そんな時、それまで一連のやり取りの中で沈黙を保っていた段珪の口が動いた。「呂布殿と言えば長安方面の賊を一軍で蹴散らしたそうですな」「ええ、その噂は真のことですよ」「護衛にはうってつけですな」「それはもう……どうですか、劉協様」「はぁ、分かった……ちょっと驚いたけれど問題が無いのならば許可します」腕を組んで考えていた劉協も、嘆息と共に是を返してくれる。後で詳しい話を求められるのだろうな、と思いながらも一刀はほっとした。この離宮に居る中で最高位の地位を持つ者に、認められたのだ。呂布はこの時点で、此処に住めるようになったと言って過言ではないだろう。そんな安心した一刀を見て、話がひと段落ついたと感じたのだろう。呂布は食事の手を休めて一刀の腕に身を寄せた。驚く一刀と音々音を置いて、一つ首を傾げてから再び食事に没頭する。一拍遅れて、反対側の音々音も同じように一刀の腕へと身を寄せる。両腕を封鎖された一刀は、仕方なく卓上に箸を置いて食事を止めることになってしまった。「ほっほ、両手に花ですな一刀殿」茶化すように茶を飲みつつそう言った段珪。心なしかジト眼で見られている劉協へ向き直り、一刀は薄く笑った。「……問題がなければ、許可します」「ハハハ」先ほどより、やにわに声のトーンが下がった劉協がそう言った時であった。外から声が掛かり、劉協の許可を得て静々と一人の宦官と思われる男が入室すると挨拶もそこそこに、一刀へと視線を向けた。そして言った。「天代様、帝がお呼びで御座います」 ■ 籠の鳥(一刀、帝、趙忠、張譲)一刀は一人、指定された宮の庭園へと向かってゆっくり歩いていた。流れる雲を見ながら、考える。劉協が呂布と出会った日から連日、こうして一刀は帝の元へと招かれていた。こうして呼ばれるのも、もう既に2週間に及んでいた。何か大事な用事であるのかと思えば、他愛のない世間話に終始してやがて政務の時間になると帝と別れる。その、繰り返しだった。帝との関係が良好であるのは一刀としても好ましい。彼と実際に触れた人柄を、一言で表すならば『良い人』ということに尽きる。個人の感情として劉宏と仲が良くなる事は嬉しいのだが、消せない不安感は彼の権力と帝という地位。そして、周囲に必ず控えている宦官の存在のせいだろうか。何かしら感情の篭る視線をぶつけてきて、居心地の悪い事この上なかった。なまじ宦官によって漢王朝が腐敗しているという知識を持っている分、余計な先入観を抱えているという側面もある。はっきり言って、劉宏と会う際は何とも言えないモヤモヤした気持ちを抱えてしまう。一刀達は、幼女嗜虐趣味と噂が流れたのは天代という身分となり、一足飛びに出世した自分を疎んで宦官から流されたのではないかと、予想していたからなお更だった。『帝と会って仲を深める、か』「……実際、どうなんだと思う?」『なんとも言えないな……』『劉宏様自身は特に何か裏がある訳ではないと思うけれど』『宦官が何か考えてそうで』『裏、ありそうだよなぁ』「そうだよね……」「誰と話しているのかな?」脳内と会話を繰り広げていた一刀は、ふいに呼びかけられて振り向いた。光の照り具合だろうか、もしゃりとした茶色がかった髪。眼の下に僅かに見える刺青の様なものが印象に残る、幼い顔立ちを残した少女……と思ったのだが着ている服はいまや見慣れた宦官の物。両手で抱いている熊の人形は幼さを加速させているよう見えた。中性的な雰囲気を持つ宦官を見つめた一刀にクスリと微笑む。「はじめまして、天代様」「えっと、君は……」「え、見て分からない? 宦官だよ」「いや、それは分かるけど……男?」「そうだよ、何を当たり前の事を言ってるの?」腕を組み首を傾げて、眉を顰めながらじっと見つめる。見た目と仕草から、女性らしさしか感じない目の前の子は、どうやら立派な男らしい。確かに胸は無いし、良く見れば肩幅も広いような気もするのだがそれほど性差の出ない年齢ゆえか、女性と言えば通じそうな容姿である。「ああ、信じてない? 結構間違えられるんだよね。 ほら、これなら信じられるんじゃない?」「ちょっ、良い、分かった、信じるから止めてくれ」「あはははっ、冗談だよ、流石にこんなところじゃ脱がないよ」服を捲り上げようとする素振りを見せて一刀をからかった目の前の宦官。名を聞いて、一刀は再び空を仰いで雲を眺めることになった。心に冷静さを取り戻す必要があったのだ。彼は性を趙、名を忠と言うらしい。一刀は三国志で宦官の名前をほとんど覚えていない。覚えていたのは宦官の中でも特に存在感のある張譲と―――目の前に居る趙忠だけであった。名を聞いて驚き固まった一刀に、不思議そうな顔を向ける。「驚く人は多いけど、そんなに驚いた人は初めてだよ。 少し失礼なんじゃないかな、天代様」「あ、ああ、すまない、趙忠殿」「顔が戻ってないんだけど……器用だね」取り繕ったように本体は言ったが、脳内の衝撃が尾を引いて驚愕した顔のままであったようだ。手で顔の造詣を治すように何度か揉みしだく。基本的に、帝と会う場所はこの庭園であり、宦官とくっ付いて赴くので趙忠が此処に来るのは自然でもある。ただ、今までは重厚な雰囲気を醸し出す爺さんや中年の方ばかりだったので趙忠の容姿はかなりの変化球であった。熊の人形は帝から賜った物だそうで、随分と大切に扱っているとの事である。今日は趙忠殿が帝の側役なのかと問えば否と帰ってくる。何でも彼は一刀と会ってみたかったらしく、政務を預けて休憩中にこちらへ顔を出したというのだ。「おや、誰と話していると思えば」「あ、劉宏様」「……趙忠、政務はどうした」「気になって見に来ちゃった、ごめんね譲爺」「良いではないか。 趙忠も共に来よ」「帝、趙忠には外せない政務がありまする」「久しぶりなのだ。 少しくらい話す時間はないのか」張譲を連れ立って訪れた帝は、趙忠も誘ったが即座に断られてしまう。一度追いすがるも、強い調子で首を振られて劉宏は引き下がった。やれやれ、とでも言いたそうに頭を一つ振って仕草だけで趙忠に出て行けと指示する張譲。二人のやり取りを眺めながら、少し残念そうにして微笑んでいた帝だったがやがて一刀へと耳を寄せた。「待たせてしまったな、退屈だったか?」「いえ、大丈夫ですよ」「うむ、それならば良いのだが……さて、少し歩こうではないか また天の話を聞かせてたもれ」「じゃあ今日は、街の様子なんてどうですか」「おおう、天の街か、それは興味深い」帝の最近の楽しみは、一刀と共に過ごすこの散歩の時間であった。基本的に宮内の中で生活を終える彼に、一刀が話す世界はとても珍しい物であったのだ。楽しそうに話ながら歩を進めて、離れゆく帝と一刀を追いかけようと張譲が歩き始めた時だった。服の裾を引っ張って、彼の歩みを止める。「なんだ?」「ねぇ譲爺、天代様は何時まで居るのかな?」「……政務に戻れ、趙忠」「邪魔だよね、あいつ」「……」笑顔で語りかけてはいるが、その眼は笑っていなかった。眉根を顰め、目を細くし張譲は趙忠を見下ろした。威圧感さえ伴うその視線をものともせず、肩を竦めて熊の人形を振り回し踵を返す。やや歩き、何かに気がついたかのように趙忠は立ち止まって振り返った。その表情は拗ねたように口を尖らせていた。「ああ、そっか、もしかして劉宏様に会わなければ良かったのかな、僕」「……趙忠」「もう、少しくらいは話してくれてもいいじゃん。 頭硬いんだからさ」「何か話すことがあるとでも?」手の中で玉を転がし始め、それを眺めつつ尋ねた彼に趙忠は一つ笑うと手に抱く人形を抱えて真っ直ぐに見つめる。「無いの? 府抜けたね、譲爺。 誰かにハメられる前に僕が殺してあげようか?」「殺す? くっくは……ははは」そこで初めて、張譲は表情に変化を見せて、くぐもった笑いを零した。何が可笑しいのか、眉を顰める趙忠を無視して踵を返すと、手に持つ玉を懐に入れて言った。「太陽を見れば、眩しすぎて人は目を眩ませる物だ」「え?」「目が眩んでいる間、何かを見る事は難しくなる」「……何それ、様子を見ろってこと?」「政務に戻れ、趙忠」話す事はもう無いとばかりに、張譲は無言で帝と一刀の後を追いかけて歩き始めた。一瞬追いすがろうとも思ったが、これ以上問答を重ねても張譲が何かを話すことは無いだろう。靄っとした気持ちを抱えて、彼は大きな息と共に口を開いた。「意味分からないよ、本当に耄碌したかな?」一つ愚痴ると、趙忠は抱えた人形を振りまわしながら宮内へと戻って行った。―――談笑も一区切り。自分の知る街の様子を大体語り終えた一刀は、花壇に咲く花を見る帝を眺めていた。劉宏は背はほとんど一刀と変わらないが、横に随分と伸びている。この世界に降り立って、図体の大きい人は見ても、肥えたと言える様な人を街で見た事は殆ど無かった。体躯一つだけでも、宮内に居る人々と街に居る人々には違いがある。一刀は元の世界の町の様子を話すと共に、自分が見てきた洛陽、そして陳留の街の話も交えて語っていた。聞いている反応を窺っていると、帝も政務に無関心という訳ではなさそうだった。「一刀、天の国は素晴らしいところだのぅ」「そうですね……」「この漢にも、一刀の国の事を上手く取り入れられぬだろうか」眺めていた花を一つ摘んで手に取り、劉宏は呟くようにそう言った。出来るか出来ないかという話であれば、難しいと答える他ない。一刀自身、脳内の皆と共に考えた事はあったが、出てくる案は何をするにしても金と時間がかかってしまう。そして、その莫大な金と時間を使って出来上がる物が成功するとは限らない。更に、今の漢王朝は民から信を失いつつある最中だ。黄巾党の乱は洛陽での戦いを終えた今も、次々に各地で湧き上がっている。首都、洛陽を中心に歪な輪を描いて。「……張譲、どうかのぅ」「興味深いお話ですが、今は不可能でしょう」「そうか……我が民には苦労ばかりをかけているな」「仕方がありません。 今は民に耐えていただく他ないでしょう」そんな各地で乱が起きている現状は、劉宏も聞き及んでいる。何とかしてあげたいと思うが、何をすればいいのか分からないのだ。張譲を筆頭に、宦官達にも意見を求めたが今のやりとりと似たような形で同じような答えを返されてしまうのが常だった。一刀も同じ事を良く尋ねられるのだが、一刀とて一国の政治に携わった事など無い。脳内の自分が国政を取り扱った物も、この漢王朝では何処まで参考になるのかは不透明に過ぎる。故に、一刀もこの件については押し黙ることしか出来なかった。「仕方の無いことか。 そうかも知れん……」「劉宏様、では天代様とお話する機会を戴けませぬか」「ほう?」張譲の声に劉宏は疑問の声を上げる。一刀も思わず、彼の方へと訝しげな視線を向けてしまう。ここ連日、帝と共に一刀の話を横で聞いていて、その発想に甚く関心を呼んでいたらしい。一度腰を据えて話し合い、良いところは積極的に取り入れてみるのも面白いかも知れないと張譲はそう思ったのだそうだ。例えば、それは駅で使われていた待合掲示板の話であったり、メモの話であったり。大きく変革を起こすような改革などではなく、ちょっとした生活に役立つ話などに興味を引かれたのである。「ふむぅ、一刀どうだろう。 張譲に時間を取ってやれぬか」劉宏に尋ねられ、一刀はしばし黙した後に笑いながら頷いた。そして、張譲を見て口を開く。「俺は構いませんよ。 天代なんていう大層な身分を戴いたのですから。 少しくらいは役に立たないと、追い出されちゃいますし」「はっはは、洛陽を守った漢王朝の天の御使い、それを追い出すことなど誰ができましょう」「張譲さんにそう保証してもらえると、とても心強いですね」「心強いとは。 何か心当たりがお在りですか」「いえ、しかし張譲さんは権威あるお方でしょうから、そう申したまでです」「では私の余計な勘繰りでしたかな? それならば良い事です」コロリ、コロリと手の平で玉を転がし眺め始めた張譲は、薄い笑みを貼り付け言ってから、僅かに頭を垂れた。一刀は張譲の様子を見て一つ息を吐き、きょとんとした様子で二人を見やっていた劉宏へと向き直った。「じゃあ、これからは張譲殿と会う時間も設けることにします」「う、うむ……二人で力を合わせて漢王朝を良く導いてくれよ」「はい、頑張ってみます」「御意」劉宏と張譲が連れ立って去り、庭園に残された一刀は先ほどまで帝が眺めていた花に近づいた。一刀の脳内は、分からない、とか読めないなどと騒がせていたがとりあえずは様子見ということに落ち着いたようだ。立ち去る一刀を送り出すように、風が吹いて花は揺らいだ。陽に爛々と照り返す力強い赤い花をつけて、百合車は綺麗に咲き誇っていた。 ■ 友との再会(劉備、公孫瓚、皇甫嵩、盧植)洛陽の城へと入る門の前。二人の女性が中へ入ろうとし、微妙に騒いでいた。盧植と劉備である。「お邪魔しまぁ~す」「おい、不審者にしか見えんぞ。 早く門を越えろ」「だって、緊張しますよぉー」「緊張なんかしないで良いから。 そもそも……」そこで言葉を区切って、彼女はぐるりと周囲を見回す。門の前なので、宮内の警備と思われる兵がちらほらと見え、文官らしき人がちらりと覗ける。そのくらい、閑散としている場所である。こんな場所で変に遠慮していれば、それこそ目の前の兵士さんに何しているのか問われかねない。「誰もお前になど注目しておらん。 早く行くぞ玄徳」「ま、待ってください先生っ!」「……なんだい」「良いですか先生、あえて今の私の心境を言うならば 千尋の谷に突き落とされる獅子の子供が、崖に追い詰められて震えているような―――」「行くぞ」「ああっ、最後まで聞いてぇー!」劉備も、これが例えば地元の権力者などであれば尻ごみなどしないのだろうが事、漢王朝のお膝元である洛陽の宮内へ足を踏み入れるのは初めての事であり故郷では大陸に住む邑の一庶民であることを鑑みれば、こうして恐れ多いと思ってしまうのも仕方のない事だった。それは盧植も理解しているのだが、如何せん劉備の風貌は目立つ。門の前で騒ぐ彼女達に、様子を窺っていた門兵が近づいてきたのを視認すると盧植は一つ溜息をついた。「まったく、相変わらず手がかかる」それで居て、何故か嫌じゃないのだから羨ましいことだ。腰に手を当てて嘆息する盧植へ、一人の兵が代表するかのように前へ出ると口を開いた。「どうされました」「いや、皇甫嵩将軍の元に向かう途中なだけだ。 これを」「ふむ、確かに。 では私が案内いたしましょう」通交の許可を示す書を見せると、頷いた兵は案内を申し出たのでその好意に甘えさせてもらい、盧植と劉備は皇甫嵩の元まで向かった。初めての洛陽の宮内ということで、劉備は色々と落ち着かない様子を見せて時に綺麗に咲く花や草木に足を止めたり、華美な建物に釣られてふらりと道を外したりそのたびに盧植から頭を叩かれたりしながら、ようやく目的の場所に辿りつく。扉を何度か叩き、盧植が声をかけると何拍か遅れて物音が響く。僅かな間を置いて、皇甫嵩は扉を開いて盧植を迎え入れた。「久しぶりだな、義真」「ああ、何時振りかな。 元気そうで何よりだ子幹」「ふわぁ!?」言いながら握手を交わし、軽く抱擁を重ねてすぐに離れる。その二人の行動をバッチシ間近で見た劉備は、驚くと共に素っ頓狂な声をあげて頬を染めた。そこで初めて気がついたように、皇甫嵩は尋ねた。「この子は?」「劉備だ。 私の教え子でな……今日はこの子の為に来たと言ってもいい」「ほう……はじめまして。 私は皇甫嵩だ」「は、はじめまして、劉玄徳ですっ」「ははは、愛らしいな……まぁ座ってくれ。 茶でも出そう」暫しの歓談を交えて、皇甫嵩と盧植は昔話に花を咲かせた。劉備もその性格故か、しっかりと二人の会話の中に混じって思いのほか盛り上がる。楽しい時間はすぐに過ぎ、やがて話は本題へと移っていった。そう、劉備は天の御使いである北郷一刀に会いたい想いを抱えていたのだ。自らの師であった盧植に、どうにか会えないかと相談した所、彼女がかつて宮内で努めていた際に友誼を交わしていた皇甫嵩の事が思い出された。皇甫嵩は、先の洛陽での戦の際に天の御使いと共に戦場を駆けたそうである。そこで盧植は、聞いてみるくらいならば良いかと皇甫嵩へ会わないかという書を認めて打診。先日、返って来た書と門の通行証によって、今日会うことになったのである。この話を聞いた皇甫嵩は、腕を組んで渋い表情をした。如何に旧友の頼みとは言え、天代である一刀と引き合わせる事は憚れたのだ。たった今、知ったばかりの少女の人柄は暖かい物を感じさせるがそれでも帝に気に入られ、最近では宦官とも仲が良く、政務に励んでいるという一刀に一般の庶人に過ぎない目の前の少女を紹介して万が一何かあればそれこそ皇甫嵩は悔やむ事になるだろう。何より、天代である北郷一刀の人気は凄まじい。変に引き合わせて余計な波紋が広まれば、彼女自身も何かしら言われておかしくない。むしろ、後ろ盾のない劉備の方が危険になる可能性もある。「すまん、この話は受けれないな」「そ、そんなぁー」「そうか、いや駄目で元々と言う話だったんだ。 駄目だというならば仕方が無い」肩を落としてうな垂れる劉備を見ながら、盧植は苦笑を混ぜて彼女の肩を叩いた。盧植としても、時の人となった天代にホイホイと会えるとは思っていなかったのだ。この皇甫嵩の返答には、彼女自身も予測していたので劉備の反応も想定内だ。「駄々を捏ねるなよ。 良い酒を用意してあるんだ、一緒に飲もうじゃないか」「……先生、最初から分かっていたんですね」「馬鹿をいうな。 9割以上駄目だろうと思っていただけだ」「それって全然期待してなかったって事じゃないですか……」「そうとも言うか」二人のやり取りに、だんだんと心苦しくなってきた皇甫嵩は話題を逸らそうと盧植へ向き直り口を開く。「そうだ、子幹。 お前もこっちへ戻ったらどうだ。 今は宦官共も天代様に目を向けているし、党錮の禁も解けた。 私が口を利いてやれば、尚書くらいにならば斡旋できるぞ」「ふむ……しかしな」「それに、お前が尚書になれば宮内との繋がりが出来るではないか。 劉備殿も、天代様と出会える機会に恵まれるかも知れない」話題を変える為に振った話ではあったが、話してから妙案ではないかと皇甫嵩は思い至った。盧植という人物を知ると、どれだけ清廉であることかが分かるだろう。面倒見が良く、聡明で、武にも文にも通じる一時は太守も任される程の者だった。党錮の禁により、不遇な時代を迎えてからも腐る事無く、庶人達に文字を教え学問を説いてきた彼女を在野の士のままで居させることは、漢王朝にとっても損失となるだろう。それに、皇甫嵩は何かしらの役職を与えれば、目の前の女性はその仕事を怠らないことを知っている。「っ! 先生!」「……ふぅむ」「やります! 皇甫嵩さんっ! きゃぅん」「人の道に勝手に答えを出すな、馬鹿者」「おふっ!?」室内に何処から取り出したのか、竹の棒のような物が見事に劉備の頭部にめり込んでいた。余りにも大きな音が鳴り響き、茶を飲んでいた皇甫嵩の方が驚いて、口と鼻から溢してしまう。目の前の劉備と盧植に飛ばさなかったのは、彼の意地であろうか。「いーたーいー! 冗談だったのにぃ」「とても冗談とは思えなかったが……しかし、考えさせて貰うよ、義真」「あ、ああ……」曖昧な返答を返して、皇甫嵩の仕事の邪魔をするのも悪いと言う事で二人は皇甫嵩が書いた竹簡を受け取って退室した。不満そうな劉備の頭を軽く叩いて促し、宮内の門を目指す。何かを考えるように歩く盧植は、来た時とは打って変わって背後に縦線が見えるほど沈んだ劉備を従えて門の出口の近くに辿り着くと共に足を止める。「ここは、境界だな」突然、奇妙な事を言い出した盧植に不思議そうに顔を上げた劉備。視線は開けた門の先に在る、洛陽の街の大通りへと注がれていた。釣られるように、劉備も外へと視線を向ける。大きな馬車がこちらへゆっくりと向かっており、何人かの兵を連れ立っていた。何処かから来た諸侯だろうか。その諸侯の兵と思われる者が、通行証と思われる物を持って飛び出してきた。「公孫瓚様のご到着です。 これを」「む、確かに受け取った。 馬はこちらで預かる由、伝えておいてくれ」「分かりました」兵のやり取りが聞こえてきて、盧植と劉備は顔を見合わせた。とても聞き覚えの在る名が呼ばれた気がしたからだ。馬車を預ける為だろう。そこから降りて見えた人影は、二人にとって懐かしい面影をしっかりと残す公孫瓚その人であった。「わぁぁぁ! 白蓮ちゃぁーん!」「ん? うわっ!」「何者だ貴様! ご無事ですか!」「あいたたた、痛い痛い」駆け出した劉備が公孫瓚の胸元に飛び込んで、当然のように周囲の兵に押さえつけられる劉備が騒ぎ立てた。驚き戸惑った公孫瓚ではあるが、その下手人の顔を覗きこむと同時に歓喜の声をあげる。「桃香じゃないか! おい、大丈夫、私の知り合いだ。 離してやってくれ」「うう、なんか先刻から痛い思いばかりしてる気がするぅ」「ごめんごめん、でもいきなり飛び込んでくるのが悪いんだぞ」「それは、えへへ、嬉しくて」「変わらないなぁー、先生と一緒だった時以来じゃないか……って、え? あれ? 盧先生!?」公孫瓚が気付いたのを見て、彼女は片手で片眼鏡を治しつつ開いた腕を振った。慌てて公孫瓚は劉備を起こして、共に盧植の元へと近寄ると礼を取る。「お久しぶりです、先生!」「元気だったか、白蓮」「おかげさまで……劉備といい、懐かしい顔ぶれに思いがけず再会して嬉しいです」「あはは、白蓮ちゃん固いよー」「もう、茶化すなよ……ところで二人とも、どうして此処に?」理由の説明は、殆ど桃香が話した。劉備の行動力に呆れた顔を向けたり、盧植に役職が与えられるかも知れないという話に喜んだり逆に公孫瓚がどうして此処に来たのかを問われたり。公孫瓚は、異民族との緊張状態がやにわに解消されたのと同時に舞い込んできた洛陽の変事を知ると、即座に軍勢を率いて急いで向かったのだという。結局、この洛陽に到着する前に波才率いる黄巾党が敗北したのを知って彼女の行軍は無駄に終わった。戻ろうかとも思ったのだが、せっかく向かったのだからと兵だけを帰して洛陽へと色んな街の視察を兼ねつつ来たのだそうだ。「でも、戻らなくて良かったよ。 こうして桃香にも会えたしね」「うんうん、本当だよぉ」「桃香、今日は白蓮の元で過ごしたらどうだ。 積もる話もあるだろう」「え? うーん、いいのかな?」「私は構わないよ、話は通しておくからさ」再び宮内へと楽しそうに会話を交わして劉備と別れると、盧植は一つ息を吐いて皇甫嵩に貰った竹簡の上を指でなぞる。漢王朝の今の在り様には、強い不信感を抱いている。尚書として働くのもいいが、庶人の生活と営みを知った今では前のように働けるかどうかは疑問だった。そういえば。劉備と共に飲もうと酒を頼んでいたのだった。「しまった、無駄になってしまったな」結構な値段な上、前払いで支払ってしまったので取りに行かなくては勿体無い。一人で飲むには量が多いし、何より寂しい。今から劉備と公孫瓚を呼ぶのも、間を外しすぎていた。今日は深酒になりそうだと思いつつ、彼女は門を潜って洛陽の街へと繰り出した。 ■ 荒ぶる天代のポーズここ最近の一刀は、帝に宦官にと引っ張りだこである。離宮へ戻ってくるのは何時も夕食を過ぎてから。その日一日の出来事を遅い夕食をとりながら音々音と話して、疲れているのか早く寝てしまう。音々音は補佐をしながら、一刀と宦官の纏めた書を机に置いて頭を悩ます時間が多くなった。離宮で一刀に頼まれた物を処理しているので、あまり外に出る機会には恵まれない。故に、彼女は一刀と同じく仕えている劉協や、護衛として置かれる呂布と共に過ごしているのだが。「むぅ……」二人共、何かをするでもなく日々を過ごしているのに気がつきこう、なんというか音々音としてはちょっと不満を抱いている訳だった。劉協はまぁ、分かる。彼女は任された仕事など無い。強いて言うならば、見識を広め知識を蓄え、何時か政に参加する時の為に勉学をすることくらいだ。そして、定められた時間はしっかりと勉強し、音々音に限らず一刀にも街の様子などを聞いたり庶人の生活にも興味を示しているし、良い傾向だと思う。だから、これはいい。しかし、問題は恋である。彼女は一刀と劉協の護衛という立場ではある。しかし、音々音が観察した限りでは食べているか寝ているか、はたまた動物と共に戯れているか。当然、一刀が離宮を離れる時は一緒に外へ向かう時もあるのだが護衛というよりは、怠惰な生活を送っているだけの様な気がしないでもない。音々音にとって、仕事をしない人間というのは印象に良くなかった。ついでに、やたらと一刀へと身を寄せるのも心象に良くなかった。と、言うわけで。「恋殿ー! ねねが仕事を用意しましたぞ!」「……ん?」セキトと共に戯れていた恋は、ピシャンと音が鳴りそうなほど引き戸を思い切り開け放ちながら現れた音々音の言葉に首を傾げた。そんな彼女を無視して、音々音は人差し指を顔の横に持っていき口を開いた。「最近、一刀殿に送られる物が多すぎるので整理をして欲しいと段珪殿が仰ってたのです。 しかし、段珪殿もねねもちょっと手が飽きそうも無いので 手の空いている恋殿に掃除をお願いしたいのですぞ」「掃除……掃除は得意」思いのほかあっさり頷いた上、得意だと豪語する恋に、コクリと頷き後に付いてくる様に言うと何故か愛用の武器、方天画戟を握りしめて音々音の後ろを素直に付いていく。階段をくだり、それなりに広い部屋へと辿りつく。そこには確かに、多くの物が乱雑に積み上げられていた。それは宝石の類が貼り付けられた刀であったり、高価そうな装飾が施された壷であったり使えそうな物から、何に使うのか分からない不思議な形状の物まで。この部屋に在る物全てを市に放出すれば、それだけでそこそこ稼げそうなほどの物の数である。とはいえ、一刀に送られてくるこれらの品は、正直扱いに困るのが本音だ。受け取ってしまえば、賄賂と呼ばれ後ろ指指されても否定できなくなる。漢王朝に降りた、天の御使いであることを名乗ってしまった以上一刀には清廉であることが求められるのだ。そうでなければ、今の民草に広まる爆発的人気が一転して憎悪に変わっていくことが容易に想像できる。勿論、純粋な好意から送られてくる物もあるのだろう。しかし、何も知らぬ者にとって受け取ってしまえば、それは賄賂と同じことなのだ。では、突っ返せばいいではないかとも思うが、それも難しい。食べ物など、そういった腐ってしまうような物はすぐさま突っ返してはいるが受け取ったものは一時預かり、折を見て返さなければ敵を増やしてしまう事になる。すぐに返せば、打算を含んでいるとはいえ相手の心象は良くなくなる。天代という、高位の権力を得た一刀は様々な思惑から様々な人に近寄られる立場であるのだ。自ら敵を増やすような事は、あまりしたくないと言った所だろう。そんな贈物攻撃に耐えるのに、大きめの部屋を一つ丸々使っているのだが連日連日、ドンドコ積み上げられていく荷物の量は増えていきついに整理しなければ部屋を飛び出してしまう一歩手前にまで追い詰められたのである。「数が多くて大変だと思うのですが、一日でなくても結構なのでよろしくなのです」「……分かった、でも一日で大丈夫」「うむ、その意気ですぞ、恋殿……道具はこちらに用意してあるので」そう、音々音が恋へと事を託した時であった。音々音は、恋の言葉を意気込みと捉えたのだが、実際には違った。恋は、本当にこの量をただの一日で終わらせるつもりであったし、その方策が見えていた。「すぐ、終わる」言うが早いか。手に持った方天画戟を肩に担ぐと、真っ直ぐに振り下ろす。大陸でも一番の武を持つと言われる、呂奉先の戟は寸分違わず贈物を押し潰しあるいは引き裂いて積み上げられた一角が、一瞬で崩壊した。「ああああーーーー!?」恋は、音々音の叫びを無視して思うままに戟を奮い、品々を破壊していく。時に方天画戟が床にめり込み、壁を砕き、窓を割った。ソレは最早、掃除というよりも何かの解体に近かった。確かに早い。これを繰り返せば、遠からず部屋には残材しか残らないだろう。破壊が掃除とイコールで結ばれているならば、恋は大陸一掃除が上手いことだろう。「だ、駄目なのです! いったん止まるのです恋殿!」「……ん?」「これでは、ただ壊しているだけですぞ!?」「壊した方が、片付けるの早い。 後で拾うほうが、楽」「そ、それは確かにそうなのですが……」音々音はここで後悔した。掃除といわず、整理と言えばよかったのだ。青い顔をして二の句を告げない音々音を見て、しばし黙考した恋は得心したように頷くと口を開く。「ん、窓とか床は、気をつける」「そ、それはありがたいのですが、最早手遅れというか」「大丈夫、注意する」そして再び、唸る方天画戟、揺れる建造物、飛び散る残骸。破壊の音を響かせて、その場で諦めたように崩れ落ちた音々音の耳朶を響かせ結局、数刻後に部屋は綺麗さっぱり片付いた。後に、この一事を立ち直った音々音が利用して天代は多くの者から差し出された賄賂を、全て破壊したという噂が流行した。これに民は、更に天代の事を褒め称える事になるのだが。結局、壊してしまった物はしょうがない。止める手立ては無かったのだ。そう割り切って、床に散らばった贈り物だった残骸を片付けている時に、恋はある物に気がついた。それは奇跡的に、振り回された方天画戟の一撃から逃れ、全く傷を残さない布地。パッと見は余り高価そうには見えない。屈んで手に取ると、それは服であることが分かった。何となしに広げてみれば、赤と白で構成された随分と簡素な服であった。ただ、使っている布は触った事もない肌触りで気持ちがいい。「恋殿、何を見ているのです?」「これ……触ると気持ちいい」「服、ですな……ふむ、確かに見たことも無い布を使ってるのです」この部屋に在るという事は、天代へと送られた贈り物の一つだろう。ただ、どう考えても男物のようには見えなかった。確かに、男が着ても変ではないがどちらかと言えば趣は女性向けだ。しばし見つめてた恋と音々音だが、自らの服に手をかけて脱ぎ始める恋。その様子を見て、彼女が着てみるつもりである事を理解した。どうせ捨てるものだし、一度も着られないで捨てられるのは服にとっても不幸な事だろう。「ふむ、丁度いい大きさですし、ねねも着てみるとするのです」「……着たら、多分もっと気持ちいいかも」「むむぅ、そうかも知れないですな」恋の声に、服を手に取った音々音は同意を返した。丁度よく、恋にも音々音にも着れそうな物が2着で置いてある。触り心地は、確かに今まで見てきた服のどれよりも滑らかであった。ただ、この服。どうも着付けが複雑なようで、どうやって着ればいいのか分からなかった。上下で別れているようで、とりあえず袖はあるので、音々音はそこに腕を通してみた。基調が赤い下の服に足を通して、そこから困ってしまった。紐は沢山垂れ下がっているので、これでどこかを縛る事は想像できるのだが何処をどうやって縛り付ければいいのかサッパリ分からなかったのだ。「これは中々の難問なのです」「……こっち?」「そっちに通すと、腕の裾が引っ張られて変ですぞ。 それに、この帯は~」「あ、ねね。 分かった……ここ」「おお、確かにこれならば安定するのです。 それとこの赤い帯は腰で固定するようですぞ」お互いに謎解きのような服の着付けを一つ、一つと解いていく。帯を前で結ぶのか、後ろで結ぶのかで悪戦苦闘している音々音をマジマジと眺めて恋はふいに言葉を漏らした。「一刀は……ねねが好き」「ふあっ!? と、突然なんなのです!」「恋も……ねねが好き」「……れ、恋殿?」音々音の持つ帯を、恋は手に取って腰の後ろに回してやる。一瞬、手を引いた音々音だが、結局は恋に任せて着付けてもらうことにした。正直な話、音々音は恋を邪魔に思っていた。正当な理由があるとはいえ、一刀へと近づいてぴったりとくっ付こうとする恋は音々音にとって突然現れた邪魔者も当然だったのだ。だって、それまで一刀の膝の上は音々音の場所だった。朝、一刀の隣で食事を一緒に取るのも、あれも、これも。なのに、恋が来てからというもの一刀は丁原に頼まれた事もあるせいか音々音に構う時間は減っていたのである。それが独占欲から来る嫉妬であることは、自覚はしていた。恋にしたって、やむを得ない事情で一刀の元に転がり込んだのも分かっている。仕事に関しても、護衛であるのだから一緒に居る事が仕事なのだ。当て付けのように仕事を割り振ったのだって、きっと。「ねねが可愛かったら、一刀も……嬉しい」「……」音々音は自分を恥じた。いつか、荀彧という者に嫉妬心を抱いて悪戯というには悪質な事をしてしまった。その時に突き上がってきた罪悪感を、ここでも抱いてしまっている。まるで、成長していないでは無いか。「……申し訳ないのです」「……ん?」「恋殿は、ちゃんと、仕事をしているだけなのに、ねねは……」「……大丈夫。 お手伝いだけでも、頑張れる」「恋殿……」「ねねも、一刀も好き。 二人共、優しい」ニコリと笑った恋に、音々音は強く心を揺さぶられた。そして、小さく礼を言った。ありがとう、と。そんな二人の作った和やかな空気を破ったのは、丁度離宮へと帰ってきた一刀であった。ガタリ、と盛大に扉の音を鳴らして、音々音と恋は視線を向ける。何故か、鼻の辺りを押さえて一刀はよろめいていた。『見たか!?』『ああ、見た!』『巫女服だ!』『ああ、巫女服だ、間違いない』(くっ……うお……)『しかも半裸だった』『半裸じゃないよ、ちょっとだけ見えるだけだよ』『おい、本体の鼻から血が出てるぞ、皆おちけつ!』『“仲の”がおけちつ!』『メイド服は無いのか!?』一刀の精神を一瞬で破壊した、巫女服だろう物を着付け途中の恋と音々音。何故か白衣や襦袢を無視して、千早から身に着けているためチラリと見える肌の色。そして普段の格好からは及びも付かない故郷を思わせる変化に対して、一刀の対ショック機関は余りに無力であった。何故この三国志の時代に巫女服が、とか、巫女服よりはメイド服の方がとかそうした一瞬頭を過ぎった思いなど一撃で粉砕し、よろけるハメに陥った一刀である。よろけた身体を壁で支え、鼻から吹き出る血を片手で抑えながら片足は地につかず浮き妙なポーズで固まり音々音と恋の半裸姿をニタリと笑いながら凝視する姿は、ハッキリ言って変態以外の何者でもなかった。結局、鼻血の手当てをすると言いながら一刀は逃げるように退室した。「くっ、流石に予想外だったよ……」『ああ、仕方ない』『うん、仕方ないな』懐にしまっていた布を取り出して、一刀は血を止めようと暫く上を向く。ようやく落ち着いた頃に、部屋の扉が開いて完全に着付け終わった音々音と恋が姿を現した。「一刀殿、大丈夫ですか?」「……血、止まった?」「うん……なんだろう、俺、今すごい幸せな気がする」ふがふがと布を鼻に当てつつ、柔らかい顔を二人に向けた一刀はここ最近顔を突き合わせていた宦官や帝とのうわべで笑って腹の内を勘ぐるという地味に精神的な鍔迫り合いが続いていた緊張感が、一気に抜け落ちたような気分であった。意図せず着た物であったが、そう言って喜ぶ一刀を見て、音々音は嬉しくなった。後に、最初に見たときには気付かなかった破壊された室内をしっかりと認識して赤くなった顔が一瞬で青くなってしまったのだが、許してしまった一刀である。部屋の惨状によるショックよりも、その部屋で見た二人の貴重な姿の方が何倍も心に響いた結果であった。 ■ 見つけた導その日、一刀は珍しく誰に呼ばれる事もなく、ブラリブラリと散歩をしていた。と、いうのも皆から毎日の政務には休息も必要だろうと言われ、休日のような物を貰ったのである。しかし、ここ最近の目まぐるしい忙しさは異常だったのでこうしてポンっと休日が降って沸いてくると、何をすればいいのか分からないのが本音だ。ただ、一つ。そろそろ解決しなければならない悩み事がある。波才率いる黄巾党を洛陽郊外で打ち破ってから1ヶ月が経過する。その間に、荊州、幽州、冀州、徐州でも、漢全土と言っていい位に次々に黄巾党蜂起の報告が相次いだ。ただ、残していた軍でも対応できているのか、曹操や袁紹など主だった者は洛陽に留まったままである。当然ながら、帰らねばならない時になれば洛陽を発つのだが。実際、徐州での反乱は規模が大きいようで袁術と張勲は自分の治める街へと戻っている。黄巾党に攻め取られた宛城だが、先ごろ奪還の為に出立した皇甫嵩将軍から、見事に奪い返したとの報告が揚がっていた。何進大将軍と共に1万を越える大群を率いて、一夜の内に攻め立てて一気に落としたらしい。今日、宛城へと支援の物資を送る手筈になっており、それは朱儁が担当している。軍部の事だけではない。最近は宦官だけでなく、政務に携わる官から天の政策に興味を抱いたのか引っ切り無しに質問攻めにあっていた。現代で政治を行っていたわけでも、専攻して学んでいた訳でもないので詳しいことを答えることは殆ど出来ていなかったのだが、概要を掻い摘んで話すだけでも十分なのか朝から夕日の射す時刻になるまで、室内に閉じ込められていることもざらだった。ようやく自室に戻れば、たんまりと机の上に載せられた竹簡の山。中には、脅迫状の様な物や意味不明の言葉が連ねてあるだけだったりと、地味な嫌がらせも混じっていた。そんな慌しい日々を過ごしていたせいで、ついに、と言うべきか。殆ど取り組めなかった問題が最近浮上しつつあるのだ。諸葛孔明、そして鳳士元の二人のことだ。宛城から送られてきた報告の書簡の中に混じって、何進大将軍から処罰をせっつく物が混ざっていた。もう捕虜として捕らえてから一ヶ月にもなる。牢屋で過ごす孔明と士元には、時間の空いた隙に覗きに行っているのだが日の光に長いこと浴びていなかったせいだろうか。最近、少しずつ見せる笑顔にも力が抜けているように見えたのだ。そんな二人をどうにかしようと、策を練ってる一刀もいっこうに解決策が浮かばずに手詰まりの感が否めなかった。劉協のこともある。離宮に隔離されているせいで、諸侯との接点が見つけられない。袁紹や董卓など、力のある候と会わせてあげたいのだが監視の目が強くて難しい。それは自分にも言えることであった。諸侯と下手に関係を持つと、何か言いがかりをつけられそうな雰囲気が漂っているのだ。それはもしかしたら、一刀の勝手な予想なのかもしれない。諸侯と会っても何も言われないかもしれないが、しかし。芝の生えている、少し開けた場所を見つけて一刀は寝転んだ。空を見上げれば、青空が広がり雲ひとつない。悩みもあの青空に溶けて、無くなってしまえばいいのに。それは少し、贅沢な願いだろうか。こうして地面に寝っ転がるのは何時振りだろう。音々音と共に洛陽の郊外へ、また気を抜きに行きたい気分になってくる。今度は、恋も連れて。「あー……」「あーーー!」「え、何? なんだ?」「天代様だぁー!」気を吐くように息を吐くと、悲鳴のような少女の声が聞こえてムクリと起き上がる。こちらへと向かってくる少女は、一刀には見覚えが無かったが『あ、桃香……』脳内の呟くような真名を呼ぶ声に、それが誰かの大切な人だという事が分かった。走り寄ってきた桃香と呼ばれる少女が、立ち止まったと思うと急に頭を下げる。「はじめましてっ、私、劉玄徳と言います!」「あ、うん……え、劉玄徳!?」「はいっ! あの、天代の北郷様……ですよね」「ああ、そうだけど……これが」一刀は顔を上げて柔らかい笑顔を向ける少女を凝視した。曹操、袁紹などの英傑を見てきた一刀であるが、目の前の少女とは違って何処かピリリとした雰囲気を持っていた。今まで見知った三国武将の中でも、こんなにも女の子然とした者は董卓くらいだろうか。それでも、董卓には女の子らしさと言うよりも高貴さの方が雰囲気としては強く感じられた。じろじろと観察していると、身じろいだ劉備から声が漏れる。「あの……」「あ、ごめん。 無遠慮だったね」「いえ、あのぅ……少し時間あったら、お話しませんか?」「今日は休日なんだ。 暇だったしいいよ、話そうか」「ありがとうございますっ! えへへ、隣、いいですか?」一刀が頷くと、先ほどまで寝転がっていた草っぱにちょこんと座る。それに倣って、一刀も腰を落ち着けた。それを確認すると、劉備は振り返るように喋り始める。劉備は天の御使いの噂を聞き及び、一刀と会いたい一心で郷里を飛び出してきたこと。こうして会えたのは、自分の為に力を貸してくれた人が大勢居ること。傍らで感情を乗せて身振りを交えながら話す劉備を見ながら一刀はふと思った。劉備といえば、関羽と張飛の二人の存在が思い浮かぶ。「それで、頼んだんですけど―――」「あのさ、劉備さん」「はい?」「関雲長って人を知ってる?」「……うーん? 関雲長さん? ふぅむー?」『知らない、のか?』『まだ愛紗と会ってない……?』『そうかもね』顎に手を当てて上を向き、うんうんと思い出すように唸り始めた劉備はどうやら関羽の事をまだ知らないようである。そうなると、一つ、大きな歴史の曲がり具合が認識できた気がした。黄巾の乱が起きたときに、劉備は関羽と張飛に出会い、義勇軍を立ち上げて乱世へと飛び出す。そして戦功を上げて群雄の中へと混ざって行くのだが、今回は義勇軍を立ち上げることもなく天の御使いである自分が気になって会いに来たのだ。こうして思うと、細部ではもっと大きく変化が訪れていることだろう。それは例えば、劉備が関羽を知らないという事も含まれるのではないか。「天代様、あの私……」「うん?」「私、実は漢王朝はもう駄目なのかもって思ってたんです……」「待った!」「へ!?」何かを―――少しここでするには危険な話だったような気もするが、話そうとした劉備に手をかざして、一刀は制止した。と、いうのも一刀の脳内から劉協と合わせてみないかという声が掛ったのである。『劉協様と合わせる?』『それってさ、ねねと同じような感じになっちゃわない?』『そうかもしれないけど、義勇軍を立ち上げて勇躍するのにはもう遅すぎる』『今からでも立てるとは思うけど、まぁ難しくはなったよね』黄巾の乱は未だ続いているが、諸候の動きは素早い。それも天代として働く期間に、一刀の方から規模の大きい場所を特定し、集中的に軍を運用したからである。勿論、一刀の記憶違いからくる間違いもあったが、大体に於いて的確な指示を出せていたのだ。この調子で順調に討伐が進んだ場合、脳内の一刀達が駆け抜けたどんな黄巾の乱よりもその規模は随分と小さくなるだろう。なれば、彼女の立ちあがる機会は無くなると言っても良いかもしれない。それは果たして、目の前の少女にとって幸福であるのかどうか。『これからも、乱は続くし漢王朝もどうなるかは分からないだろ。 そうなれば桃香は絶対、自分で立ってくる。 それだけの強い意思は持っているんだ……その時に支える人が居ないのは不安すぎる』『むぅ……』『そっか、いっそ本体の元に置いといた方がってことか』『頼む! 俺の我がままかも知れないけど、聞いて欲しい!』『本体に任せるか』『……そうだな』意見のまとまったらしい脳内の声に、一刀は頷いた。劉備と言えば、三国志を代表する『蜀漢』を立ち上げた英雄だ。勿論、彼女自身の意思が最優先ではあるが、会わせてみてから確認しても遅くはないだろう。音々音の時とは違い、今の一刀の立場ならば劉協を諭す事もできる。ぼやーっと待っていた劉備に向きなおり、一刀は口を開いた。「……劉備さん、ちょっと俺と一緒に来てもらいたい所があるのですが」「え? いいですけど、どうしたんですか突然」「ここじゃ会えない人の所に案内したいんです」そう言ってから、一刀は立ち上がった。義勇軍を立ち上げてすらいない今はまだ、劉備はただの庶人でしかない。彼女がいずれ立つ事になるのかどうか、それは分からなかったが。どちらにしろ、彼女が今話そうとした内容は、恐らくあまり大きな声で言えない類の物だろう。今はこの洛陽も、平和を保っている。この平和が何時までも続く保証は、歴史を知っている一刀にとって出来ないものであった。その中心に自分という異物が在ったとしても、だ。「ああ、一刀……此処に居たのか」「華佗、どうした……ん?」一刀は劉備を連れ立って、離宮へと向かう途中に華佗と出会った。その格好に違和感を覚えて立ち止まる。何時もと変わらない服装ではあるが、背嚢を一つ背負っていた。「……華佗、行くのか?」「ああ、帝の容態は安定した。 戦で傷ついた兵の処置も、一通り終わった。 ここに俺の見る患者は居ない……一刀だけだ」「そうか」その話だけで理解した。一刀は天代としての役職を貰い、ここ最近は未だ続く黄巾の乱の対策と指示。政務に関しても、天の御使いという立場から関わっている現状、洛陽から離れることは出来ない。恐らく、華佗は洛陽に留まる事よりも、旅立つことを決めたのだ。気が複数ある……つまり、脳内の北郷一刀に気がついた華佗は、自分の身を心配して一緒に居てくれたのだ。こうして日々を過ごす中で、突然暴発することは無いことを知ったのだろう。何より、華佗は大陸で病魔に苦しむ人たちを助ける事を己の使命とし毎日、医に関連する書物や薬の開発などに勤しんでいた。つい最近は一刀のちょっとした言葉から、麻酔技術を思い立ち研究していたのだが。こうして旅立つことになったからには、その研究も一段落が着いたのだろう。多分、華佗も悩んでいたはず。こうしてわざわざ、報告に来たのだ。引き止めるのは、無粋という物だろう。「……そうか、寂しくなるよ」「洛陽は大陸の中心だ。 ちょくちょく見に来るさ」「ああ、何処へ行くんだ?」「そうだな……とりあえず、西だな」そう言って、華佗はくすりと笑うと拳を一つ突き出した。差し出された拳に、自らの拳を当てる。「じゃあまたな、一刀」「ああ、またな」踵を返して、振り向くことも無く歩き去っていく華佗を見届けていると隣から感嘆のような息を吐く声に気がつき、一刀は視線を向けた。胸の前で腕を組みつつ、劉備が呆けた顔で一刀を見ていた。「どうしたの?」「天医様、ですよね、今の」「そうだけど、用があった?」「いえいえ、なんというか男の友情を見たというか、その、素敵だなぁって」そう言われて一刀は照れた。華佗の雰囲気から自然に行ったことではあるが、考えてみれば確かにちょっと気取っていたかもしれない。気恥ずかしげに肩を竦めると、早足で離宮へと向かう。「あ、待ってくださいっ!」割と早いペースで歩く一刀に置いていかれそうになった劉備が慌てて、一刀の背を追いかけた。―――劉協と劉備を引き合わせ、最初こそガチガチに緊張していた劉備であったが本来の性格のせいか、それとも少しはこの空間に慣れたのかそう時間をかけずに劉協とも自然に接するようになった。お互いに自己紹介をすまし、茶を一つ入れたところで、一刀は本題へと切り込んだ。「……劉備さん、さっきの話、此処でしてもらってもいいかな」「え、あ……えーっと」「大丈夫、劉協様はちゃんと聞いてくれるよ」「何のことだ?」一刀に促されて、劉備は何度か喉をならし、やがて意を決したかのように話し始めた。最初の一言。漢王朝は駄目かも知れないと感じた、そう切り出した劉備に、劉協は自然に険しい表情となる。一刀はそんな彼女を押さえ、劉備に続きを促した。劉備は幽州の邑で暮らしていたこと。その邑から一人の人間として世を見て、感じ思い入った素直な気持ちを吐露していく。乱れていく世の中、見ているだけなんて事はしたくなかった。そんな劉備の憂う気持ちは一つの邑という小さな規模から、段々と膨らんで行き洛陽へ向かう旅路の中で大きくなった。自分の居た邑、そんな狭い世界で抱いていた燻る気持ち。それが大陸全土に広がっていることを、道すがらその身で体験してきたのだ。「でも、どうしたら良いのか、洛陽へ向かってる途中から分からなくなっちゃいました。 私一人で出来ることなんて、たかが知れていて。 差し伸べる手も引っ込めたくなる位に力がなくて。 だから天の御使いである天代様に会いたい気持ちが大きくなっていったんです」徐々に。徐々に思いは強く吐き出されていく。劉備の抱える憂いの気持ちは、最初に切り出した漢王朝に対して見捨てる様な物ではなく強く憂う、漢王朝を思う気持ちであった。一刀と会いたっかたのは、自分すら見捨てかけていた王朝に対し天の御使いを名乗った事。そこに、劉備は大きな希望を見た。誰も立ち上がらないのならば、遠からず自分が立ち上がっていたかも知れなかったとも口にする。「朝起きて、働いて、遊んで……眠る、そんな一日一日を笑って暮らせる世になってほしい。 だって、知ってるから。 あの時、楊さんは笑ってた。 あの頃、朱君は元気に走り回ってた。 みんなが笑って楽しく暮らしていた時を、知っているから感情だけが先走って、何も出来ない自分がもどかしくて。 それで、居てもたってもいられなくて……」言葉尻は萎んでしまう。彼女の声は、今、まさに天下万民の抱える夢。近くに居た人が笑えなくなった、それがもしかしたら劉備の志の最初に在った物なのかもしれない。きっと彼女の言葉は、この大陸に住む多くの人が訴える声にならない声だ。そして劉備と言う少女は、誰もが想っていても出せない声を、口に出して言える者だった。劉協は、そんな彼女の言葉に心を震わし目尻を潤ませた。王朝を生まれた時から見続けている劉協は、彼女の声が心に強く刺さっていたのである。そして強い共感の意を抱かせていたのだ。何とかしたい。でも、何をすればいいのか分からない、できない。それは、劉協もずっと抱えていた想いなのである。「天代様……」「ああ」「平和は……天はまだ、漢王朝を照らしてるのですか」熱の篭った静かな声に、一刀は答える事は出来なかった。斜陽を迎えたこの国を想う。一刀にとって、その思いを抱えることは世界の違いからという事も在り、困難であった。だが、複雑な経緯を経て辿りついた天代という身分を持った今の一刀に劉備の声は忘れかけていた大切な物を、思い出さずにはいられなかった。だからこそ。「天は、まだ晴れないよ……」軽率な事は言えない。自分がいるから変わるだなんて、大言壮語は吐けないのだ。目の前で、強い想いから此処に立っている少女を前にするならばなお更だ。「ただ……」そう、ただ。「晴れれば良いと思って、俺は頑張ってる」そう言って窓から空を眺めた一刀を、劉備はハッとした様に見た。目の前の天代と呼ばれる男は、何とかしようと足掻いている最中であると言う事を知ったのだ。劉備にとって、答えの出なかった物が北郷一刀の見た先に広がっているように思える。そんな天の御使いを名乗った一刀にも、先など見えて居ない事が分かってしまった。嘆いていただけの自分があさましく思えた瞬間。どんな人間であろうと、先の見える者は居ないのだ。夢のある未来を見て、進まなければ希望は無い。劉備はそれをきっと知っていたはず。なのに、見失ってしまっていた。呆けた様に見つめる劉備に、劉協はそっと立ち上がって近付いた。「なぁ……劉備の想いは私の抱いた想いとまったく同じだ。 私や一刀を支えてはくれないか」「っあ……」劉協は彼女の手を取って、それを包む様にもう一方の手を重ねた。見上げる劉備の目に、潤んだ瞳を向ける劉協の姿が映り……そして横から一刀の声が飛んでくる。「君の意思を尊重するから、ゆっくり考えてくれれば良いよ」「……」今の王朝に在る民の不満に、しっかりと向き合って立ち向かう人たちを支えてくれと言う二人にどうして劉備が否を言えるだろうか。霧に隠されて見えなかった道が、見えた気がした。劉備は二人を交互に見て、しかし一つ頷くと美しいと言っても良い笑顔を見せて。そして礼を取った。「精一杯、仕えさせて頂きます」 ■ 閃く「さて、とりあえず今日は余っている私の部屋を使ってくれ。 明日には自室を用意しておく」あっさりと答えを出した劉備には、一刀も驚いていた。もう少し戸惑うのではないかと思っていたのだが、ちゃんと良いのか確認したところ逆にしつこかったようで、彼女の頬を膨らませる事になってしまった。本人がしっかりとした意思を持って承諾したのだから、まぁ良いかと納得することにした一刀である。これからの事を確認するように話す劉備から、真名を預かって欲しいということで一刀は劉備から真名を頂いた。勝手に呼んでしまえば、命を取られてもおかしくないという真名という風習。これを預かったからには、桃香は命を預けてくれたのと同じことだ。一刀も精一杯、信頼を持って接しようと決意する。そして、話は今後の事になるのだが、そこで事件は起きた。主に、一刀にとって不名誉な形で。「では一刀、暫くの間は桃香の面倒をみるようにせよ」「分かった、よろしくね」「宜しくお願いします、一刀様」「はは、様って……別に呼び捨てでも良いよ」「そんなこと出来ませんよぉ」『今回はご主人さまじゃないのか……』『『『何!? ご主人様と呼ばせていたのか、お前』』』『『あ、俺も呼ばせてた』』『もげれ』『『『なんでだよっ!』』』「……あー、まぁいいや」「何がです?」「なんでもないよ、うん」脳内の何人かがご主人様プレイをしていた驚愕の事実が知らされて、『一刀様』くらいはジャブ程度なのかも知れないと本体は感じ入り、変に言ってしまうと自分がご主人さまと呼ばれそうなので無難な所に落ちつけた本体である。二人のやり取りを見届けつつ、劉協は尋ねた。「ところで、劉備は字は読めるのだろう?」「はい、盧植先生の元で学んでいたので、字を読むくらいは……」「そうか、では政務を手伝えるな」「はあ……あの、でも正直、自信がないです、けど」両手の指をちょこんと合わせて、俯きながらそう言う劉備は、本当に自信が無さそうであった。そんな劉備に劉協は安心させるように笑顔で頷き「大丈夫だ、ちゃんと一刀に教わればいい……そうだな、少し時間を割いてもらって 一刀に学べばいいだろう、平気か?」「まぁ、少しなら平気だよ」「あ、じゃあ北郷先生ですね!」「ふむ、今や天代である一刀に先生というのも味気ない……」そうのたまいつつ、劉協は顎に手をやり机の上で考えやがて何かを思いついたのか、彼女は硯に墨を垂らすと、シャカシャカと音を鳴らして擦り始める。そんな突飛な行動に、一刀と劉備は互いに顔を見合わせた。やがて書きあがったのか、それを二人に良く見えるように掲げ―――一刀は吹いた。口から唾を、鼻から水を垂らして。貴重な紙が使われて、達筆に描き出された黒々とした文字列。「えーっと、ちょぉーきょーし?」「ふふ、我が事ながら素晴らしい閃きだった」そう、調教師、と確かに紙にはそう書かれていた。仮に、このまま一刀が大陸で一生を過ごし、何時か歴史書に乗ったとしよう。遥か未来で、子供たちは授業で教わるのだ。北郷一刀という者は、後漢時代に天の御使いとして現れると重用され、役職に天代、調教師を戴いて活躍した、と。嫌だった。天代はともかく調教師は嫌だった―――それを訴えたところ「嫌だ」「そ、そんな……」「良い言葉ではないか。 教える者と一目で分かる役職だぞ」「分かりやすいですけど、何が不満なんです?」いや、調教というのはちょっとアレな感じの言葉だから嫌なんだよ、とは言えなかった。そもそも、劉協と劉備、どちらかでも調教という言葉の意味を知っていれば話は早かったのだ。劉協は年齢故に知らなくてもおかしくないし、劉備は盧植先生が教えなかっただけだろう。それなりに裕福な者、或いは劉備のように先生を迎えて学を習う事ができれば知っている事でも庶人では一般常識はともかく、調教師などと言うマニアックな言葉など知る方法は無い。ここで必死に否定しても、彼女達からすれば頭がおかしくなったか調教師という名を嫌がって苦し紛れの嘘を吐いていると捉えられるのが関の山だ。分かる話だ。だが、分かる話であろうと調教師という肩書きを得るのは一刀も嫌だった。何とか取り下げて貰えないかと粘ったのだが、よほど劉協も自ら編み出した調教師という言葉に執着しているのか、なかなか縦に首を振らない。そして。一刀と劉協の熾烈な争いの末、妥協案にて決着を迎えることになる。在る意味、悪化したと言える役職名となって。新たに取り出された貴重な紙に描かれた文字を見て、一刀は強烈な一撃を頂戴し、項垂れた。紙を突き出す劉協から、これ以上の変更は無いと態度で見て取れる。その白い紙にはハッキリと映し出されていた。調教先生、と。―――落ち込んだ一刀であったが、この位の不条理は黄巾の乱に関わった時から稀に良くある事では無いかと、自分を奮い立たせて何とか立ち直る。所詮は役職の名前。一刀自身を揶揄している言葉では無い。それに、調教先生よりも恥ずかしい役職はきっと何処かにある。とりあえず何かもっと、他の事を考えて気を紛らわそうと思った一刀はふと劉備の方を向くと目があった。そういえば、劉備といえば諸葛孔明の三顧の礼などが有名だよな、などと思いながら眺めているとふと思い至る。それは、先の劉協のことではないが、閃きにも似た天啓であった。「……皆、ちょっと相談したいんだけど」『何?』『どうした?』「……死ぬよりも辛い刑って何があるかな」それを聞いた脳内は、それぞれに今まで見てきた、或いは聞いて来た刑罰を上げて本体が自信無さそうに思いついた事を連ねると、脳内から力強い返事が返って来る。今までずっと考えていたのに、見えなかった孔明と士元を救う道。その一本の道が、本体の閃きから徐々に照らされて形作る。一気に盛り上がった脳内の会話を拾いつつ、一刀は頷いて部屋に居る劉協と劉備へと声をかけた。「二人とも、急用が出来たから席をはずすよ!」「なっ、おい一刀!?」「一刀様っ!?」劉協の部屋を飛び出して、一刀は全速力で離宮から厩舎へと向かうとそこに居る驚いた人々を無視して、一気に金獅の元へと走った。閃いたこの案。どうしても医者の助けが……いや、華佗が必要だった。「久しぶりだね、金獅。 悪いけど、全速力で頼むよ」「ブルッ」華佗は西へ向かった。それだけしか聞いていないが、まだ旅立ってからそう遠くには行って居ない筈だ。鞍をつけて、宮内の中から馬を走らせると、一刀は西門を目指してすっ飛んで行った。そして、見る。夕焼けの荒野の中、一人歩く華佗の姿を。「華佗ぁーーーーーー!」「ん?」振り向いた華佗の目に、金獅に跨る一刀を捉えて立ち止まる。荒い息を人馬共に吐き出して、馬上から見下ろす一刀に尋常ではない様子を感じ取り華佗は真剣な顔を向けて尋ねた。「どうしたんだ、一刀」「……ハッ、ハァ……華佗、頼む、力を貸してくれないか!」「……なんだ、急いでいるから何事かと思ったぞ」「……すまん、旅立ちの邪魔をして」馬から降りて頭を下げる一刀に近付いて、華佗は彼の胸を一つ叩く。一刀が顔を上げて華佗を見ると、彼は笑って言った。「友人だろ」「あ……ああっ、ありがとう!」一刀は同じように華佗の胸を叩いて、嬉しそうに笑った。 ■ 名族は見ていたそれは、一刀が馬で飛び出し華佗を追っていた頃であった。毎日、一刀に会えないものかと意味も無く外をぶらりぶらりと散歩していた袁紹は陽も沈むことだし、そろそろ部屋に戻ろうかと考えていた時だ。ふと視線を向けた先に、宛城へと賊の討伐に向かっていた何進の姿を捉えた。誰かと何かを話して、別れたところで在るようだ。何進の姿はすぐに建物に隠れて見えなかったが、袁紹には何か紙のような物を持っていた風に見えた。そして、何進と話していたであろう人物を見る。宦官、それも十常侍を示す服に、遠目であるせいで何かは分からないが人形を抱えて歩く者を。「……十常侍に、大将軍。 きな臭いですわね」嫌な物を見てしまったな、と思いながら彼女は今日の天代捜索を終えることにし自分に与えられている部屋へと戻って行った。冬を過ぎ春を迎えた洛陽に、暖かい風が優しく吹いていた頃であった。 ■ 外史終了 ■・脳内恋姫絵巻天代の巫女(音々音&恋)道を見た大徳(桃香)・一刀はあらたな称号を手に入れたぞ!天の御使い天代チンコ幼女嗜虐趣味調教先生 ← NEW!