clear!! ~あの宮の内側がズクリと疼きだし空騒ぎの日々を送るよ編2~clear!! ~あの宮の内側がズクリと疼きだし空騒ぎの日々を送るよ編3~今回の種馬 ⇒ ☆☆☆~あの宮の内側がズクリと疼きだし空騒ぎの日々を送るよ編4~☆☆☆ ■ 邪気眼-終焉工作室-随分と過ごし易い気候になったものだ。最近では服装も厚ぼったい物や長袖を着ればじわりと汗が滲んでくるほど、暖かい日が続いている。こうして歩く洛陽の町並も、この暖かさに浮かれているのか、どこか落ち着かない。そういえば、洛陽の町並も随分と見慣れている自分に気がつく。曹操は先日洛陽へ赴いた荀彧と合流し、今は大広場で待ち合わせた人と会う為に町へ繰り出していた。洛陽の街を見慣れたとは言っても、滞在している間、毎日フラフラと遊び歩いている訳ではない。陳留から毎日届く報告に頭を悩ませ、賈駆を勧誘したり、宦官の祖父の下に訪れたり、陳留の動向に気を配ったり田豊を勧誘したり、実に恐ろしきこの世の物とは思えない筋肉の塊を見かけて3日間もの間うなされたり、荀攸を勧誘していたりした。一昨日は、機知良く弁立ち器量良しと絶賛されていた司馬懿の元に自ら訪れたが、空振りに終わっている。そんな曹操も、今日は肩の力を抜いて街で楽しむ事に決めていた。ゆっくりと町の様子を眺めながら、歩くこと暫し。目的地には既に、待ち合わせの相手が居るようだった。優雅に椅子へと座り、店先の茶と饅頭を楽しんでいる様子が見て取れる。昼間まではまだ時間もある。間食を楽しむのも良いだろう。そう思いつつ、曹操は袁紹の座る卓へと椅子を引いて座った。「遅いですわよ、華琳さん」「あら、そんなに遅れていたかしら」「私を待たせた時点で遅れたのと同じようなことですわ」「はいはい、それは悪かったわね」そう、相手は袁紹だ。ここ最近、旧友ということもあってか洛陽に滞在している間、良く顔を合わせている。その原因の一つ……と、いうよりも殆ど原因の大部分を占めているのは天代、その人のせいである。どうやら一刀へ贈る物は武器に決まったようだが、特に武器が見たい訳でもなかった曹操は巧みに袁紹の思考を誘導して、自分の行きたい場所を巡っていた。その為、袁紹から都度誘いがかかってくる訳だが。「今日こそは天代様に送る武器を選びますわよ」「……まぁ、今日は付き合ってあげるわ」「なんですの?」「なんでも」ぶっちゃけると、自分の行きたい場所は殆ど巡ってしまった曹操である。今日こそは選ぶのだという気概が、袁紹から立ち上っているのを見てこの辺が頃合だったという部分もあった。そもそも、袁紹はあまり我慢強い方ではない。今まで一人で見に突撃して行かなかった方が新鮮で、驚きだったくらいだ。と、いうのも袁紹は正直見た目の美しさや己の価値観に基づく華美な物の判断は出来るのだが武器として実用性があるのかどうかの判断は余り出来なかった。今までも、そして恐らくこれからも自身が武器を奮って戦う事など来ないだろうと考えているのだ。ただ一刀に贈る武器の、実用性を求めるだけならば顔良や文醜でも構わないのだが「やっぱり、美しさも備えて欲しいですし」これは、袁紹が曹操に付き合って貰う大きな理由でもある。彼女の感性の良さ、それは袁紹も多少なりとも認めている物であった。正直、袁紹の好みはド派手とは言わないまでも、見た目からして煌びやかな物に惹かれる傾向がある。一方で曹操は、一見渋めな物でもその価値を見出せる審美眼の持ち主だった。「適当に宝剣でも贈ればいいじゃない。 名刀もあるわよ」「最初はそう思ったのですけど……」下手な鉄砲数打てば当たる、それを無意識に実践しようかとも袁紹は考えていた。数多に贈った物の中から、一刀が気に入った物を使ってくれれば良いと。ところが、その考えは田豊が強く却下した。建前として、宦官や高官達からの宴の誘いや賄賂と言えそうな贈り物を全て破壊した天代の清廉さから、受け取る可能性が低いと言う事を話されたのだ。この裏に潜む思惑は、下手に多くの物を贈るより、心の篭った一つの品を贈った方が心象に良いだろうという袁紹と一刀をくっ付けるのを良しとした、田豊の考えからだ。小一時間ほどだろうか。一頻り談笑を楽しんだ二人は、自然そろそろ向かおうかと、どちらからとも無く立ち上がった。ふと、曹操は今日向かう場所が何処なのか知らない事に気がつく。辿りつくまでのお楽しみにしようかとも思ったが、聞きたい欲求は抑えきれず袁紹へと尋ねた。「何処へ向かうの?」「邪気眼-終焉工作室-」「え?」「なんか、そんな名前だそうですの」「そう……」どうにも胡散臭そうな店の名であった。宗教のような物だろうか、少なくとも邪気などと書かれている時点で良い印象は抱かない。口ぶりから、この店も袁紹が自分で見繕った訳ではないだろう。一体誰が見繕ったのか。―――邪気眼-終焉工作室-そこは洛陽の中でも寂れている区画にポツリとあった。華やかな大通りから逸れ、住宅街を抜け、職人達の集まる工場の片隅に。しかし確かに、目立たない程度に誂えた看板が掲げられ、そこに店の名前はハッキリと書かれている。基本的に武器というものは店で並べられている物を選んで買うというより鍛冶技術を持った職人に作らせるか、作られた物を買い取るというのが普通だ。ところが、この店ではどうやら鍛冶場で打った物を直接店先に並べているようであった。その鍛冶場と店が、長屋のように連なって建てられている、珍しいといえば珍しい光景である。実際、目の前に数本の武器が立てかけられて展示されているので間違いないだろう。「ここ、ですわね」「みたいね……」「地図では此処の辺りなのだが」「うむ……ん?」曹操と袁紹がぼけーっと店の外観を眺めていた時、路地からひょっこりと顔を出したのは片手に地図を持って歩く周瑜と、その後ろを気だるげに歩く黄蓋。宮内でも殆どすれ違うことも無いのに、こんな街の片隅で出会うとは如何なる偶然だろうか。「周瑜に、黄蓋だったかしら。 この店は良く使うの?」「曹操か、戦の時以来じゃな」「孫堅様に薦められて、来ただけですよ」無視するという訳にもいかないので、お互いにそこそこの挨拶を済ましてその間に曹操は考える。周瑜と黄蓋、どちらも黄巾の乱で名声を上げた孫堅を主と仰ぐ将達。この二人、どちらも武に覚えがあるようで、普段の立ち居振る舞いからそれを見て取れた。そんな二人が訪れた、この店。孫堅の紹介ということから、少なくとも実用性のある武器を打って販売しているのは間違いないだろう。店の名前はともかく、少し興味が沸いてきた曹操である。そんな周囲のやり取りも、袁紹の焦れたような声から切り上げることになった。「時間が勿体無いですわ、早く覗きますわよ」「ふむ、袁紹殿は武を奮うようには見えないが、どうしてここに」「天代様の武器を見繕うためですわ」「……天代様に?」周瑜と黄蓋、どちらも片方の眉がくいっと上がる。袁紹は、後漢4代に渡って三公を輩出した、名門中の名門である袁家の候である。その権勢は筆舌に尽くしがたい。漢王朝の中でも、存在だけで影響力を与え得る数少ない勢力の一つであった。そんな袁紹が、時の権力者となった天代に贈り物を贈るということは様々な裏があると見て然るべきである。そんな理由から微妙に表情を変化させた周瑜達に袁紹は気付く事無く、扉を潜って店内へ入っていく。残された曹操に視線が集まり、彼女は肩を竦めた。「あまり深く考えなくても良いわよ、そのまんまの意味だから」この回答に、周瑜は曹操も一枚噛んで居るかも知れないと考えた。自らの主である孫堅にも気に入られている一刀の事を思うと、諸侯が天代と接触を持とうとするのも頷ける話だ。「なるほど……袁紹殿は天代様に恋焦がれたか」「祭殿、戯けた事を……袁家は名門、いくら袁紹殿と言えども、それを束ねる以上裏を考えない訳がありません」「はい、黄蓋殿が正解」「ば、馬鹿な……」まるで鉄壁の城砦が陥落したという報を聞いたかのように、周瑜は言葉を漏らした。よほどショックだったのだろうか、思わず後退りするほどであった。そんな周瑜の様子に、含むように笑い声を漏らし肩を震わした黄蓋であったがやがて我慢できずに豪放に笑い飛ばした。「はっはっはっは! 冥琳、このような人の機微に気付かぬとは、軍師として不甲斐ないのぅ」「くっ、祭殿はたまたま当たっただけでしょう!」「馬鹿を言うな、ちゃんと袁紹殿を観察しての答えよ、見苦しいぞ」「いや、しかし……」恥ずかしさだろうか、それとも悔しさか。周瑜にしては珍しく息を荒くして、言い訳染みた言葉を並び立てていた。頭の片隅に、袁紹と曹操が共謀している可能性があることに気がついた故でもある。まぁ、これは不正解な訳なのだが。とにかく、その可能性を思い浮かべてしまった以上、曹操の言葉をすんなり信用できなかったのだ。しかも目の前に曹操が居るため、黄蓋に説明しようとも出来ない状況だ。二人の舌戦で珍しく優勢なのは、明らかに黄蓋の方であった。曹操は、じゃれあう二人にしかし、袁紹が天代と繋がる可能性があることは大きな意味を持つと話した。周瑜、そして黄蓋も曹操の見解には同意を示す。袁紹その人だけでも、周囲に影響を及ぼすほどの大諸侯だというのに天代と関係を持つ事になったらどうなるだろうか。「まぁ、袁紹殿の性格を考えますと、少なくとも増長はするでしょう」「同感だわ」「策殿は先を越されてしまうかな? のぅ冥琳。 お主もうかうかしてられぬぞ」「祭殿、お願いですから蒸し返して茶化さないでください」「何? 天代様は孫家にも粉をかけているわけ?」ニヤニヤと笑いながらからかいの種を花咲かそうとする黄蓋に、周瑜は辟易しながらも諌めたが意外な事に食いついて来たのは曹操であった。ここで曹操は知る。孫堅の胸を見て会話したこと、雪蓮へ抱きついたこと。他にも孫家に絡んだ天代との話を、あれやこれやと。そして、極めつけは黄蓋から出た新たな情報だった。「わしの確信に近い予想だが、天代様は胸を好む」自らの豊満な胸をくいっと持ち上げ、ゆっさゆっさと揺らす黄蓋。思いがけない行為と新たな情報に、曹操の肩眉がピクリと反応する。更に周瑜から、追加の一撃が齎される。「確かに……そういえば、田豊殿の胸にも反応しておられました」「へ、へぇ?」「まぁ男は皆、胸は好きになるものじゃが……」「ふむ……しかし、それも人の性というものでしょう」正直、理解はしかねますが……などと言いながら周瑜も自分の胸に手をあて動かす。ふよふよ動く、たわわな果実達。曹操は、自然とそこから興味なさそうに視線を逸らし、周瑜と黄蓋から齎された情報を整理し始めた。彼女の名誉の為に付け加えさせてもらうと、現実逃避ではないし、現実逃避ではない。とにかく、曹操がその頭脳をフル回転させて現時点で手に入る情報から結果を纏めると天代である北郷一刀の好む異性の趣味著好は、幼女を好み、巨乳が好きで、その上虐待をする男という事になる。最低だった。ついでに言うと、袁紹の人となりに、かすりもしないラインナップでもある。「……」「曹操殿?」「どうなされた」「……いいえ、なんでもないわ」何かを振り払うように頭を振った曹操は、一つ断ってから店の中に入る。周瑜、黄蓋も一度だけ顔を見合わせて、彼女の後に続いた。―――店内に入ると、目の前に座る岩のようなという形容がしっくりする店主が、むっつりとした顔で視線を向けていた。しばし観察されるように見つめられた曹操達であったが、やがて興味をなくしたように視線を外される。そんな彼の腕……特に右腕は丸太のように太い。左腕と比べると余りにも差異が大きかった。まるでこの道一筋、打ちに打った右腕、30年と言った様相である。「なるほど、期待できそうね」ボソリと、自分だけに聞こえるように呟いた曹操である。店の奥の方で袁紹が、そして目の前に孫家の武将と自分が居るというのに媚びへつらう訳でもなく、興味すら向けないというのは自分の打った武器によほどの自信があるからだろう。黄蓋はそんな店主の目の前に行き、自らの武器である大弓『多幻双弓』を差し出していた。彼女の目的は武器の調整であった。武将である以上、自らの武器の手入れは日常的に行うもの―――多くの者にとってはそれが当然―――だが使い込めば、物である以上必ず疲弊する。こうして鍛冶職人に調整を頼むのは珍しいことではなかった。周瑜も途中まで黄蓋と共に話に加わっていたが、やがて品定めするように店内をうろつきはじめる。同じように曹操も、立てかけられている剣の意匠に眼を引かれ、何気なく手に取った。「ふむ、なかなか……あら、名も付いてあるのね?」手に取った武器の名は、†十二刃音鳴・改†だそうだ。名称や刃の質よりも、まず意匠の方が眼に惹かれた。派手に誂えた訳でもなく、一見地味だが、埋められた赤い玉は本物の宝石だろう。柄の部分に多くの逆トゲが付いており穴が空いているが、扱いに慣れれば問題は無さそうだった。穴が開いている分、強度の方は些か心配である。一つ腕を走らせて振ると、甲高い空気を切り裂く音が音色となって聞こえてきた。あえて擬音で例えるなら、ピーヒャララーといった感じだろうか。思いの他、間の抜けた音の鳴る剣であったが、曹操は感心した。馬に乗って駆けるだけで、戦場でも目立つ武器になりそうである。将が持てば、その鳴る音自体が兵の鼓舞の役目を持つかもしれなかった。しばらくして別の列の武器に視線を向けると、権力者を象徴することが多い両刃の剣が立てかけられていた。こちらも意匠は曹操の目に叶うほど素晴らしい。良くある龍を象った物で、名を『無龍・戟震』と書かれている。思いきり龍が二匹居るし、戟ではなく剣なのだが、見た目は良い。どうもこの辺は、実用性よりも麗容な武具が並べられているようだ。そんな風にあれこれ歩いては手に取って眺めていた曹操だが、ふと顔をあげると目の前に武器があった。袁紹が突き出したその武器は、先ほど華琳が手に取っていた物とは違い柄と、刀身があるだけの随分と地味な物である。「ねぇ華琳さん。 こういうのが実用性がありまして?」「これは流石に……悪くは無いけれど、重量も無いし雑兵用じゃないの?」「そう、良く分かりませんわ」「あっちの音の出る剣の方が、まだマシね」曹操の言葉に興味が沸いたのか、案内するようにせっつかれて渋々と連れ立って歩く。顔を巡らすと、今度は周瑜が、何やら鞭のような武器を持って店主と話をしていた。彼女は鞭使いか、などと曹操が心に留めている最中、重さによろめきながら武器を振り回してピーヒャラ奏でる袁紹。「おーっほっほっほっほ、華琳さん御覧なさい、間抜けな音が出ていますわ」「そうね、間抜けね」「良いですわね、意匠もまぁ、悪くはないですし……ちょっと重いし地味で・す・け・どっ、えいっ、えいっ!」すんでの所で、曹操は麗羽が、という言葉を飲み込んだ。どうも自分が気に入ってしまったようで、汗を掻いてまで振り回す袁紹は正直耳障りで迷惑だった。間抜けな音が店内に響く中、新たな客が入ってきた。扉の開かれる音に釣られて首を巡らした曹操。その時、電撃走る。黒く長い麗髪に、豊満な胸。凛とした顔立ちと、堂々とした立ち居振る舞い。微妙な所作からでも、武人とすぐに分かる佇まいは魅了して止まない。曹操に電撃を走らせた人物は、関羽であった。彼女は自分の青龍偃月刀の刃を研いで貰うためにこの店に預けていたのだ。「店主、預けていた武器を受け取りに来たのだが」「そこだ」「うむ」「……」「華琳さん、天代様に送るのはこれでも良いかしら?」「……良いわね」「そうですわねぇ、天代様の奮う剣が音を奏でるというのも悪くないですわ」呆然と言った様子で、曹操は関羽が店主から武器を受け取るのを見やりつつ、袁紹の問いかけに適当に答えていた。いや、むしろそれは独語と言っても良かったかもしれない。「それより、華琳さんは、愛する天代様に贈らなくてよろしいの?」「そうね……贈りたい位には惚れたわよ」この言葉に反応したのは、関羽に店主との会話の席を譲った周瑜であった。曹操が惚れたと言った瞬間、周瑜の耳が史実の劉備のように大きくなる。やはり、贈り物の件は曹操も噛んでいたか、という気持ちと同時に、惚れている……だと……というショックも重なった。ちなみに袁紹は、ようやく本音が出ましたわね華琳さん、と言った様な表情で満足げに頷いていた。「何か選んで差し上げては?」「……でも武器は……愛用してるのかしら、駄目ね」「あら、遠慮しなくても宜しいのに」「遠慮はしないわ、別の物を贈って誘うとするわ」どうやら曹操は武器ではなく、別のものを贈って天代の興味を惹こうとしている。そう判断した袁紹と、そして周瑜である。思い切り勘違いした周瑜は、何となく危機感を覚えてしまった。今、この時勢において天代との関係をしっかり築いておくべきではないかと。既に周瑜が認めている力のある諸侯の袁紹と、曹操が結託して関係を築こうとしているのに、孫家は動かなくて良いのか。袁紹は先も言った通り説明はいらないし、曹操も語らずに理解できる覇気を持つ。「……やはり孫堅様は先見の明があるな」呟いて、周瑜は素早く孫家において最も天代と仲が良い者を考えた。深く考えるまでも無く、真名を許したと言った孫策の名が思い浮かぶ。次に周瑜は、今後の動きを考えた。曹操、袁紹が贈り物を送るのに便乗するのも良いが、もっと良い方法は無いかを頭の中で捻り始める。そんな、自分の考えに没頭し始めた周瑜を置いて曹操は武器の具合を確かめている関羽に徐に近づいていき、そして言った。「ねぇ、あなたの名は?」「ん? 申し訳ありませんが、どちら様でしょう」「我が名は曹操。 字は孟徳よ」名を聞いた瞬間、関羽は驚き眼を見開いた。ついでに店主の眼も見開いた、おそらく知らなかったのだろう。曹操、その名は先の黄巾の乱の戦でも大きく勇名を馳せた諸侯の一人だ。そんな人物に名乗られて、黙る訳にはいかない。「! これは失礼致しました。 我が名は関羽。 字は雲長です」「関羽……素敵な名ね、覚えたわ」「それで、庶人である私に何か用があるのでしょうか」「私の元で働く気はないか、関羽よ」「なんと……」この曹操の申し出は、関羽にとって衝撃であった。そして同時に、嬉しさも心の内からこみ上げる。自らの武には、それ相応の自信がある関羽にとって諸侯の一人、それも勇名を馳せる曹操の誘いであれば嬉しくもなろう。ただ、彼女はこの申し出には頷くことは無かった。確かに認められて嬉しい気持ちもあるが、彼女の頭の中に、気になる人の名が刻まれている。そう、劉備の事である。関羽は一度『玄徳』という人に会ってから答えを出したいと考えた。「そう……残念ね」「曹操様のお誘いを私は忘れません。 光栄に思っております」玄徳。その名を忘れぬよう、深く心に刻み込んだ曹操である。欲しいものは何であろうと手に入れてきた彼女にとって、玄徳という者は今、敵になった瞬間だった。負ける事など、まず在り得ない。そういう自負があるからこそ、曹操は関羽が断る事を寛大に受け止められた。「縁あらば、またお会いしましょう、曹操様」「ええ、楽しみにして待っているわ」そう言って礼を取って店を出た関羽を、名残惜しそうに見送った曹操の後ろでひそりひそりと声を交わす周瑜と黄蓋の姿。「……のぅ冥琳」「なんですか、祭殿」「曹操が誘った関羽と言ったあの者、どう思う?」「……ふむ、確かに雰囲気はありますね」「よし、わしも誘ってみるとしよう」「本気ですか」「本気じゃ」言い残し、後を追うように―――しかし極自然に―――店の扉をくぐって、関羽の後を追った。今の一連のやり取りから、関羽が素直に頷く事は無いだろうことは黄蓋も承知の上だろう。言葉は悪いが粉をかけておく、つまりそういう事だ。本当に関羽と言うあの者が、一角の将になれる器であるのならば黄蓋を止める理由を周瑜はもたなかった。そして、袁紹の買い物が終わると、早速関羽の関心を引こうと考えた曹操が彼女を急かして店を出て街へと繰り出す。そんな風にドタバタと店内を騒がせた者が立ち去って鞭「白虎九尾」を受け取るために残っていた周瑜に店主は落ち着かない様子で一つ目を向けた。「な、なぁ、あれは、偉い方々なのですか」「ん? ああ、袁紹殿に曹操殿、そして私達は孫堅様所縁の将をしている」「……」「ところで店主、ここにある武器は変わった名前が多いな」「は、はぁ、息子の趣味で付けさせてますからね。 本来、武器には名など必要ありませんし俺ぁ打てればそれでいいんで」「そうか、質が良いだけに名前で損をしていると思っていたのだ。 少し考えてみたほうが良いかも知れんぞ」「は、はい、後で相談してみやす……」沈黙した店主に、満足そうに頷いた周瑜は再び店内を一人、見渡し始めた。実際、この店主の打った武器は、孫堅が薦めたように質は素晴らしい物であった。江東で帰りを待つ孫権や、小喬にも何かしら買っていってやろうかという考えから『白虎九尾』を受け取る直前まで悩んでいたが、武器を贈るのも無粋かも知れないという結論に達して彼女は自分の鞭を受け取ると、洛陽の街へと去っていった。そんな周瑜を見送った後、店主はその場で店仕舞いを始めて、そして。翌日、店の名を示していた看板が変わっていた。曹操様と袁紹様と孫堅様が使う邪気眼-終焉工作室-、と。わざわざ新調した高級な作りの調度品に、達筆な文字で描かれたその看板は職人の集まる場所にしては、やたらと目立っていた。そして確かに、その看板の効果は高く、店主はしばらく金に困る生活を送る事はなくなったという。 ■ 渡されて、受け取ってその日の一刀は貴重な休みを貰っていた。日々の激務から開放されるひと時。明日には、諸葛孔明と鳳士元の刑を実行する事になっている。段取りは殆ど整え終わっているし、帝からのお誘いも珍しく無かった。今日は本当の意味で久しぶりの完全休日だ。朝食を終えた一刀は、そのままお茶を楽しみながら談笑を交わしている劉協と桃香の二人を眺める。何やら楽しそうに笑いあう二人。一体何の話をしているのだろうか。「ええ、華佗様と一刀様が!?」「うむ、そうなのだ。 本人達は誤解だと言っているが、あの雰囲気はなんとも言えない空間を―――」傾けた耳をパタリと閉じ、一刀は半開きになった音々音の部屋へと首を向ける。恋に抱えられた音々音が、鼻歌を歌いつつ服を畳んでいる姿が覗けた。服といえば、巫女服は良かった。後から冷静に考えてみると、何故巫女服がこの時代、この世界にあるのか分からなかった。あの部屋は一刀へと贈られた物を纏めていたのだから、官僚の誰かが贈りつけてきた物だとは思う。誰が送ってきたのかは分からないが、巫女服を選ぶとは。良いセンスだ。ちなみに、一刀が着る為に贈ってきたのでは無いかという懸念は、既に投げ捨てている。結局、件の巫女服は捨てる事になってしまい、一刀としてはちょっぴり残念だった。「待てよ、巫女服があるということは他の服も作れるのでは無いか」『ようやく気付いたようだな、本体』『忙しかったからしょうがないかも知れないけど』『正直見損なってたぜ』「好き勝手言うなぁ。 でも、そう言うからには作れるって事だよな」『『『『『『『ああ』』』』』』』声を揃えて是を返す。脳内は既に、経験済み―――或いは既に実践済みのようであった。テンションが上がりつつある一刀は、椅子を浮かせて前後にゆらりゆらりと揺らめいた。音々音は言うに及ばず、此処には劉協も恋も桃香も居る。明日、一刀の思惑が成功すれば諸葛亮と鳳統もここへ来る事になるだろう。着せ替えで遊ぶのは正直言ってどうなのかとも思ったが、妄想の中でくらいは楽しんでも良いだろう。脳内と共に、あれが似合う、これを着せたいなどと、思いのほか白熱した議論になって一刀は一人、椅子の上で薄く笑ったり鼻息を荒くしたりしていた。当然、それは周囲から見れば気持ち悪く見える。いつの間にか音々音や恋達も桃香の話に加わって、一刀の事をひそひそと話していたがそれには全く気付かない一刀だった。「一刀様ー」しばらく、妄想に耽っていた一刀であったが桃香の声に我を取り戻して振り返る。気がつけば、先ほどまで談笑を楽しんでいたはずの劉協や音々音達が居ない。確かに小一時間ほどゆらゆらと茶を飲みながら、揺れ続けていたような気がする。「……どれだけ夢中になって議論してたんだ」「何をです?」「いや、こっちの話だよ……何?」「あの、今日お暇だったら白蓮ちゃんと会いませんか?」この桃香の提案に、一刀は頷いた。正直言って、暇だったからだ。公孫瓚の予定もあるだろうから、昼過ぎにでもしようという事になった。ついでに音々音から伝言があり、恋が董卓と会いたがっているらしい事を聞いた。確かに、恋は離宮に住まいを移してから余り外出していない。したとしても、一刀にくっ付いて来る時くらいだったので董卓とは久しく顔を合わせていないだろう。一刀も、董卓とはゆっくり話をしてみたかった。「分かったよ、董卓さんに聞いてみる。 それと、公孫瓚さんとも一緒に、桃香の勉強を見ようか」「へ!? あー、そのー、今日は一刀様もお休みだし、私もーって……あはは、駄目かな?」「良いよ、って言いたい所だけど、桃香の休みは他にちゃんとあるじゃん」「うぅ、そうですけど……」あっさりと一刀に退けられて、桃香はうな垂れたがすぐに顔を上げて公孫瓚に下話をしてくるとだけ言って、部屋を出て行った。一刀は桃香の勉強に付き合う為の用意だけはしておくかな、と軽い気持ちで問題集を作り始めた。一刀の母国、いわゆる天の国での話を交えるのも面白いかもしれない。そんな事を考えながら、案外と先生という役職を楽しんでいた一刀だった。―――午後。劉協と共に昼食を取っていると、段珪が一刀へと声をかけた。桃香と公孫瓚が待っているという話を聞いて、早めに昼食を切り上げ、作ったばかりの問題集を手に取って中座する。離宮からしばし歩いた場所に、確かに公孫瓚と桃香の姿が見えた。仲良く語らっている二人の少女。良い絵だな、と思いつつ一刀はそんな二人の間に割って入った。「待たせちゃったみたいだね」「あ、一刀様」「初めまして、天代様……って、あれ? どこかで見たような……」「はは、怪我した時はお世話になりました」「怪我? ……うーん……あ、え? ええーーーーー!?」「きゃあっ、何、白蓮ちゃん!?」「……まぁ、驚くよね」そう言われて公孫瓚は、しばし記憶を探るように思い返し、やがて気がついた。もう数ヶ月前になるだろうか。洛陽の街、その中央広場にて四股を水雑巾のように捻られて、語るも無残な状態に陥っていた青年。正直、誰がどう見ても手遅れな状態であり、こうして立っている事自体が信じられないというのに。なのに、その彼が今の世に轟く天代、その人だったのだ。公孫瓚からすれば、死人が蘇って超出世したのに等しい。実際、彼女は一刀を運ばせた後に苦しまぬよう逝ってくれと手を合わせつつ、幽州へと向かったのだから尚更驚いた。「でも、貴女のおかげで俺も助かりました。 本当にありがとう」「あ、うん……いや、当たり前の事をしただけですので」「それでもです。 本当は言葉だけでなく、礼を尽くしたいのですが……」「一刀様の立場だと難しいですよね」言葉を濁した一刀であったが、桃香が続きを引き継いだ。王朝での地位は最高位ともいえる天代の一刀は、友誼を育んだ一個人であるならばともかく公孫瓚のような朝廷での身分がある者に贈り物をしてしまえば、それだけで裏を勘ぐられてしまうのだ。勿論、公孫瓚も一刀と桃香の言葉から、その事ははっきりと理解して問題無い由を伝えた。が、桃香は何かを思いついたかのように両手を合わせて言葉にする。「あ、そうだー、一刀様が直接贈るのがまずいなら、私が贈ればいいんだよ~」「あ、そうか」「いや、本当に気を使わなくてもいいんだ」しばらく固辞し続けた公孫瓚であったが、盛り上がった桃香と礼をしたい一刀に押し切られて後日、桃香の方から一刀の贈り物を受け取ることに承諾した。しばし三人での会話を散歩しながら楽しんでいたが、公孫瓚と桃香の後を歩く一刀は、手に持っていた問題集の存在に気がつく。「あ、そうだ。 桃香の勉強があったんだね……」「ああ、そうだよ桃香。 皆も集まってるだろうから早く行った方がいいかも」「もぅ、二人共。 ちゃんと覚えてるもん」「皆……?」「天代様の教えがあるって、桃香から聞いたので諸侯にも声をかけておいたんです」「うんうん、皆行くって言ってたよね」今、目の前の二人は何と言ったのだろうか。皆と言った、ついでに諸侯とも言った。確かにそう言った。嫌な予感を抱えつつ、桃香、そして公孫瓚に連れられて訪れた部屋に入り、一刀は呻いた。それほど広い部屋ではないが、それでも数十人は収容できそうな室内に見覚えのある顔ぶれが勢ぞろいしていた。曹操、荀彧、孫策、周瑜、董卓、賈駆、袁紹、顔良、田豊。何故か何進と皇甫嵩まで居る。そこに元からの劉備と公孫瓚が混じれば総勢13名……しっかりと律儀に教壇が用意されておりその教壇から全員を見渡せるような形で机と椅子に座り、並び立つ英雄達。ここはどこぞの学校か。嫌な予感は的中していた。「あ、盧先生も来たんですね」「天の世界の授業なのだろう? 興味が沸くよ」公孫瓚の声から察するに盧植まで来たようである。一刀は、もはや声も出ない様子で周囲を見回して顔ぶれを確認するばかりだ。なんということだろうか。相手は歴史に名を残す、偉人ばかり。しかも、何の因果か8割以上が女性である中で今から自分は、一体ここで何をするのか。そう、先生としてこの部屋に入った北郷一刀は、教鞭を取らなければならないのだ。この事実を理解するに至り、一人で勝手に精神への衝撃を受けた一刀は、よろめきながら思わず助けを求めた。「おま……ら、ライフライン……っ!」『オーディエンスしか無いんだけど』『テレフォンは? とうおるるるるる、とうおるるるるる』『北郷一刀殿と電話が繋がってます』『そりゃそうだ』呻くように助けを求めた本体の使ったライフライン。鋭い突込みと下らないボケが入ったが、この状況を何でもいいから何とかして欲しい本体である。そもそも、この場に居るということは、曹操や周瑜にも何かを教えろということである。一体何を教えればいいのか。むしろこっちが色々と学びたいくらいであるのに、コレはどういうことだ。正直、今の脳内の会話を聞いているとあんまり期待できそうにないのだが苦しい時は何時も一緒に戦ってきた彼らを、本体は信頼していた。『本体、落ち着くんだ』『そうだ、爺ちゃんの言葉を思い出すんだ!』「れ、冷静になれ……」脳内の檄に、一刀はなんとか持ち直して改めて周囲を見回した。突き刺さる視線を受けて、もう一度よろめきたくなったが、グッと踏ん張って耐える。桃香と公孫瓚が空いている席に座るのを見届けて、一刀は静々と教壇へと向かい歩き始めた。やたら一刀の所作が遅いのは、出来る限りの抵抗であった。勿論、その間も脳内との会議は加速度を増している。「お、俺はどうすればいいんだ」『事ここに至っては、なんとかやり通すしかない』『下手な事を言えば、即座に突込みが入るだろうな』『この面子じゃそうなる可能性は高いね』『かといって、突っ込まれない自信は俺には無いよ』『俺も……』『確かに……』『現代の話でなんとか誤魔化すしかないんじゃない?』『それにしたって限度があると思うけど』『諸侯同士で議論させる方向に持っていけばいいんじゃない?』『『『『それだ!』』』』「議論……現代の……」脳内の慌しい会話に混じって、本体は誰にも聞こえないような声量でぶつぶつとこの危地を切り抜ける為の方策を確認するように呟いていた。そんな考える時間は、一刀が教壇に辿りつく時に終わってしまう。ずいっと前に出た袁紹が、顔良を従えて一刀の目の前で一礼すると「お久しぶりですわ、天代様。 自ら教鞭を取ると聞いて、飛んで参りましたのよ」「あ、うん、久しぶり袁紹さん、ははは」「斗詩さん、手渡して差し上げて」「は、はい~」そう斗詩へと声をかけて、一刀の目の前に差し出される包装された長い物。脳内、本体共に少なからず精神的動揺が走っていたので、思わず受け取ってしまう一刀である。そして、受け取ってからハッとして固まった。それは、つい先日に購入した武器、『†十二刃音鳴・改†』であった。諸侯が集まる中、堂々と目の前で贈り物をした袁紹、そして自然に受け取った一刀。この行為は当然、多くの者に衝撃となって襲い掛かった。「おーっほっほっほ、とても素晴らしい物ですわ、大事にお使いなさって下さいな」目的を果たせてご満悦なのだろう。袁紹は大きく高笑いを一つあげると、満面の笑顔で一刀へとそう言った。こんなにも喜んでくれている袁紹に、一刀は受け取った物を突っ返す事がどうしても出来なかった。むしろ諸侯の目の前で突っ返せば、それは袁紹を貶めてしまっていると受け取られかねない。状況的にも、一刀はこれを手にとった時点で、受け取らざるを得なかったのだ。「麗羽……こう来るか、抜け目ないわね」「この場で渡すか。 袁紹殿も上手い手を使うな……」「袁家と天代が繋がっている……?」順に曹操、周瑜、賈駆の呟きがきっかけになり、室内をざわめかせていた。一番後ろの席で座って、一連の流れを見ていた田豊はやにわにほくそ笑み、書で口元を隠す。ざわついた室内を鎮めるように、桃香は立ち上がると声を挙げた。「みなさーん、そろそろ一刀様の話を聞きましょうよー」視線が桃香へと集まる。袁紹が一刀へ贈り物を捧げた事実に無関係である彼女が、こうした声を挙げるのは当然だったかも知れない。一刀としてはこのまま忘れ去ってくれた方が良かったのかも知れないが。そんな視線を集めた桃香へ、孫策の声があがる。「あのさ、あなた誰なの?」「……そういえば、自然に居るから分からなかったが、見ない顔だな」「ああ、この子は劉備、字は玄徳。 私の教え子だった者だ」「劉玄徳です、皆さんよろしくお願いしますっ」諸侯からの不審な声に答えたのは、盧植であった。皇甫嵩も盧植の声に大きく頷いて、彼女の言葉が真実であることを示した。そして―――「玄徳、ですって?」「はい、そうですけど?」「そう……貴女が玄徳……ふっ」「?」「華琳様?」「なんでもないわ」曹操は過剰に反応し、それを不審がった荀彧の目線を流して一人納得する。この間、ずっと黙っていた一刀は諸侯の話など全く耳に入っておらず、脳内との会議を繰り返していた。「まずは話を拝聴しますか、我々はそれで集まったのですから」「天の知識、興味あるわ」「どんな物があるか今から楽しみね」「とにかく先生の話を聞くことにしようではないか」「違いますよ、皆さん。 一刀様はただの先生ではなくて、調教先生なんです」「はぁ?」「……やだなにそれ、この部屋に居たら妊娠しちゃう……」胸を揺らしてそう訂正した桃香に、賈駆の一際大きな声と、何処かの誰かの怯えを含んだ嫌悪の声が室内に響く。ついでにまた、室内はざわめき始めた。「大丈夫だから安心しなさい」「か、華琳様、早く帰りましょう……は、吐き気がします……」「吐かないでね、桂花……それにしても北郷一刀……やはり巨乳か……」「ねぇ冥琳、この場合は喜んでいいのかしら」「ああ、いや……うむ、その、孫堅様なら喜ぶだろうが……」「やっぱ此処に月を連れてくるんじゃなかったわ……狙われるわ、確実に」「詠ちゃん? 何を一人でぶつぶつ言ってるの?」ここでついに、一刀は諸侯の尋常ならざる視線に気がついて、待たせすぎて不審がられていると思い込み慌てた様子で一つ咳払いし、口を開いた。「えー……コホンッ、よし みんなきけ」テンパッたまま言葉を連ね始めた、歴史に残る北郷一刀の初調教が始まった。 ■ 調教後一刀の調教は陽が傾くまで続けられた。と、いうよりも途中からは諸侯の白熱した議論になって、会議になっただけのような気がしないでもない。一刀が思いつくまま、何となく議論の白熱しそうな話題を適当に並び立てたおかげだろう。例えば、それはうろ覚えに過ぎない兵農分離の話だったり、治水に関して覚えている文禄堤の話だったりした。いずれも諸侯の関心高く、一刀が概要を説明すると、どれもこれも一気に議論が白熱した。勿論、質問される事も多かったのだが、曹操や賈駆などに、どう思うかを聞くとつらつらと自分の考えを述べて、そこに周瑜や盧植などから横槍が入って―――そんな形で、一刀はこの危難を何とか無事に乗り越えたのである。ぶっちゃけ、先生として教壇に立っていた間、緊張で手に汗がずっと滲んでいた一刀である。大きな溜息をついて、椅子の一つに背を預ける。周囲に居るのは物を片付けている桃香と、そして一刀に言われて留まっている董卓だけだ。残るように言った時、賈駆に怒髪天を衝くように物凄い勢いで抗議されたが、なんだったのだろうか。別に賈駆も居て問題なかったのだが、その勢いに押されて正直ちょっと怖かった一刀は居ても良いとは言えなかった。「お疲れ様でした」「ああ、桃香……出来ればこういう事は事前に知らせて欲しかったよ」「でも、皆さん凄かったです。 色んなことを知っていて、色んな考えができて……」ある意味で、桃香には良い経験になったのかも知れない。一刀は今日の諸侯会議になったと言えそうな授業を振り返る桃香を見ながら、そう思った。「詠ちゃんも楽しそうでした。 小声で天代様のこと、発想が凄いって褒めてたんですよ、ふふ」「そっか、さっき凄い怒ってたから、満足行かなかったのかなって不安になってたんだ」「そんなことないですよ? あれは詠ちゃんがたまになる発作みたいな感じですから」「一刀様の話は聞いたことも無い物が多くて、驚かされちゃいます」くすくす微笑む董卓と桃香に、一刀は癒された。この二人の笑顔が、先ほどまでの緊張と苦労を和らげてくれた気がする。しばしゆっくりと談笑、そう行きたいところであったが、部屋の外で待つ賈駆が怖いので一刀は早速本題に入ることにした。そんな一刀の様子を見て、会話の輪から外れ、桃香は一人で部屋の掃除を始めた。「あの、董卓さん」「はい?」「恋が、会いたがってるんだ」一刀は単刀直入に董卓へと告げると、彼女はコクリと頷いて同じように会いたいと言ってくれた。どうにかお互いに時間を取って、会える時間は無いかと尋ねると彼女は少し顎先に指を当てて考えて「丁原殿の墓が、先ごろ出来上がったそうなのです。 近い内に参ろうかと思っていたので、恋さんにも来ていただければと悩んでいたんです」「そっか……丁原さんの……」離宮に居る一刀、そして恋とどうやって連絡をつけようか迷っていたそうだ。手紙を送ろうとしたのだが、基本的に一刀に贈られてくる物や書は全て段珪が処理している事を聞いてどうにか会えないものかと彼女も思っていたらしい。こうして講義の場を設けてくれて助かったと、董卓は嬉しそうにそう言った。「時間が作れたら、こちらから連絡をするようにするね」「はい、ありがとうございます……」「じゃあ、賈駆さんが待ってるだろうから、いいよ」そう言って退出を促した一刀であったが、片付けの手伝いをすると董卓は断り机を動かそうとした彼女がよろけた所を、思わず支える。一刀の胸に肩を当てるように。「え……?」「大丈夫?」「……あ」何かに気がついたかのように顔を上げ、交わる視線。見る見る頬が紅潮していく董卓。その変化は、一刀が見ていてもはっきりと分かるくらいの変わり様であった。心なしか董卓の瞳は潤み上気した息を吐き出して、そして―――部屋の扉がピシャーンと開いた。「現場は全て見させて貰ったわ! 調教チンコの御使い様!」敬称と蔑称が混ざり合った、彼女の心情がハッキリと分かる微妙な罵倒が響いて、室内に踏み込んでくる賈駆。声は殆ど発してなかったので、恐らく覗き見をしていたのだろう。一刀は賈駆の剣幕に、思わず身を引いたが、肝心の董卓から離れることが出来なかった。彼女は一刀の服襟を手に掴んで、離さなかったからである。董卓自身、どうして離れようとする一刀を引き止めるように、服を掴んでいたのか分からなかった。ただ、そうして居たかった。何よりも、自分の中に在るこの感情がそれが正しいと董卓に認識させていた。そんな中で、蛇のように睨む賈駆が早く離れろと一刀へ視線だけで威嚇し睨まれた蛙のように慌てふためく一刀は、どうしろっちゅーねんと視線だけで投げ返した。今この瞬間、二人は目だけで会話が出来ていた。「……あの、と、と、董卓さん……」「ご主人様……?」「ゆえぇぇぇぇええぇぇぇ! 正気になってぇぇぇええぇ!」「わっ、え、詠ちゃん!?」董卓の発言に、靴の裏で一刀を蹴飛ばして無理やり離すと、賈駆は抱きつくように董卓の肩を持って揺さぶった。どこぞの軍師のごとく、はわわ言いながら目を回す董卓。余りの声量に、流石に桃香も気付いたのだろう。パタパタと動かしていた手を止めて、一刀と賈駆の方へ視線を向けていた。その余りの賈駆の揺さぶりように、流石の一刀も賈駆の剣幕に恐れず声をかける。「あの、少し落ち着いて……」「こんな短時間でこんな風になるなんてっ、どんな調教したのよあんたっ!」「してねーよっ! ていうか覗いてたなら分かるだろっ!」「あんたが言葉で誘導して机を罠に、月を引っ張って押し倒したところからしか見てないわよ!」「ええっ! 一刀様、全然こっちの手伝いしてくれないって思ってたらそんな事してたんですかっ!?」「半分以上嘘かよ!?」「くっ付いてたじゃない!」「いや、それは違わないけど、細部が全然違うんだよ! ほら、董卓さんも何か―――」「月に近づかないでっ!」証明してもらおうと手を伸ばした一刀だが、その拒否っぷりと言ったら。汚物が近づいて来ていると認識されているかのように、足を上げて振り回し拒絶している賈駆と胡乱気な視線を突き刺す、桃香の様子も加わって一刀は結構な勢いで傷ついた。それでも一刀は諦めずに董卓を見たが、完全にノックアウトされたようで、クルクルと眼を回していた。『×董卓 VS 賈駆○ 肩部揺さぶり』『やはり脳への揺れが激しかったのでしょうか』『ですね』『月、平気かな……』「ひ、人事だと思ってお前らっ……!」結局、賈駆はそのまま汚物を見るような視線を向けつつ、董卓を介抱しながら部屋を飛び出して行った。最後に、こんな風に月をするなんて、悪魔、鬼畜! とか言いながら。正直、董卓を追い込んだのは賈駆なので、謂れの無い罵倒に一刀も思わず そんな風にしたのは賈駆だろ、と言い返した。賈駆から返って来たのは開いた時と同じようにピシャーンと閉まった扉の音であった。「……ち、畜生……」久方ぶりに襲ってきた、自らの理不尽に一刀は机を叩いて悔しがった。そんな一刀の肩を叩いて、桃香は彼を慰めたという。微妙な視線だったので、効果は薄かったようだが。久しぶりの一刀の休日は、こうして終わった。 ■ 代償で得るもの(一刀、朱里、雛里、音々音)明けて翌日。一刀は朝早くから眼を覚ました。まだ音々音も、劉協も起きておらず、陽も昇る前の時間であった。「うっ……」短く呻き、一刀は左腕をなぞった。そして、長袖に手を通し、ゆったりとした服に着替える。自室で準備を整えていると、一刀の部屋の扉が開く。「華佗か?」「ああ、こっちの準備は終わった……一刀は?」「大丈夫、終わったよ……良し、行こう」そう、今日は諸葛孔明、そして鳳士元への刑の執行日であった。ただ死ぬことよりも辛い生を与える。ごく一部の者を除いて、殆どの人間にはそう言う風に申し渡してある。刑罰の流れも、通常とは少し異なることになった。二人の仕出かした事は、洛陽の中央広場で見せしめに刑罰の一部始終を晒されてもおかしくない。だが、そんな見晴らしの良い場所で刑を行えば、間違いなく一刀の考えている事はバレる。そんな訳で、二人があつ眼の刑を受けるのは、執行の為に一刀が用意した室内で行われる。用意した部屋はそれなりの広さを持つが、30人を越えれば一杯になってしまうだろう。そんな部屋の奥に孔明と士元を押し込んで、眼を刳り貫く作業を行うのだ。当然、一番前に居る者たちには見られてしまうかも知れないが、孔明と士元の身体は小さい。子供と言っても信用してしまいそうな程に。一刀と華佗が覆いかぶされば、まず間違いなく細部は見れない。生きるよりも辛い生を与える、この一文があるおかげで、華佗が一刀の隣に控えていても問題ないのだ。「それで、鑿は?」「ああ、一応2本用意した。 大きい方が深く抉られる」「そうか……」華佗が懐から出した鑿。先端に光る鈍い刃が洛陽の建物の間から登った陽に照らされて、僅かに顔を顰めた。雲が多いので、陽の光はすぐに隠れたが。しばし二本の鑿を観察して、一刀は華佗へと返した。今、一刀と華佗が離宮から出て向かっている場所は、帝の元だ。帝に、これから二人の処刑をしますよという旨を話に行くのである。実際に処刑が始まれば、一刀や華佗ではなく、別の人間が都度、帝へと報告することになっている。眼を刳り貫かれた時、そして視力を失った孔明や士元は、洛陽の街を皇甫嵩や何進に連れられ歩く事になっている。これは、未だ大陸を騒がせている黄巾達に対して恨みや遺恨を、彼女達にぶつける為の措置だ。民たちには目先の仇に怒りをぶつけてもらい、とりあえず不満を納得して貰おうという考えなのだろう。最初こそ一刀は難色を示したが、多くの者に諭されてこれは実行することになってしまった。その連れだって歩く時の兵の中に、一刀は苦肉の策として恋を配置した。恐らく孔明や士元に向かって飛来するであろう投石や、鍬の刃などから守ってもらう為に。「一刀」これから刑の執行をするにあたって、思考していた一刀は華佗の声に顔を上げる。どうやら物思いに耽っている間に、帝のおられる宮へと辿りついたようだった。「華佗、先に行っててくれ」「ああ、分かった」ここから、一歩間違えれば孔明や士元の命だけではない。一刀自身にも大きく関わってくる。これまで一刀が築いてきた帝や諸侯への信頼は、一気に失われるだろうし疎まれている宦官や高官達から、都合の良い攻撃の理由を与えることにもなるだろう。失敗は出来ないぞ、北郷一刀。一つ大きく深呼吸をして、一刀は宮内に入って帝の元に向かった。―――執行場となった部屋には、諸侯は既に集まっていた。室内はあまり明るくない。太陽の光も、薄く雲がかかった天候のせいで、そこまで室内を照らしはしなかった。時刻にして、今で言うところの朝8時過ぎ。狭い室内に、あの洛陽郊外での戦に参加した諸侯は勿論のこと、劉備や宦官の趙忠などもこの場に居る。誰もが黙し、視線を少し高くなった壇上の上に在る二つの椅子と、処刑に使われるだろう台座そして、ただ一人壇上で佇んでいる天医の華佗に向けていた。異様な雰囲気の中、音が響く。二つある扉のうち一つが開いて、官軍の兵に連れ添って孔明と士元は木で作られた手枷をした状態で現れた。周囲が見えないようにだろう。覆いかぶさるように、帽子と黒い布で顔を隠されていた。兵にゆっくりと押し出され、壇上へ上った二人は華佗に手を取られ椅子に座らされる。この椅子は拘束具でもあった。肘置きに皮のベルトのような物が誂えており、足にも木と銅で作られた枷が嵌めこめる。顔も、真正面を向くように首に閉まらない程度に調節できる革帯が飛び出している。静々と壇上に上った執行を手伝う者達が、孔明と士元にその拘束具をしっかりと嵌めこんでいく。時に金属がぶつかり会う音を鳴らして。やにわに室温が上がったような気がした。桃香はまだ10分もこの場に居ないというのに、嫌な汗が額を伝っていく。昨夜一刀から、この刑罰の執行においての全てを聞かされた今でも、この雰囲気からは眼を背けたくなってしまう。何より、一刀の考えに桃香は全て賛成したわけではない。二人を救うように懇願した自分は、この場に来て初めて彼の大きな決意を知ったと言える。喉を鳴らし、孔明と士元に視線を注ぐ。二人にかけられていた帽子と布が外されて、その相貌が露になった。不安そうな面持ちで、顔を前に向ける二人の少女。目の前に居る諸侯からの視線を一身に浴びて、身じろいだが、拘束具のせいでそれも出来なかった。しばしの時間を置いて、執行人が孔明達の入った扉とは別の方から軋みを挙げてドアを開き入ってくる。長袖に身を通した、一刀であった。壇上にのぼって、集まった諸侯を見渡し彼は短く告げた。「これより、諸葛孔明のあつ眼の刑を執行する」そして一刀は、華佗へと眼を向けると、彼はコクリと頷いて孔明の元へ鑿を持って立った。一刀も同じく踵を返して、孔明の前に立つ。諸侯から見えるのは孔明の足と、そして僅かに一刀と華佗の隙間から覗ける口元だけだった。華佗から鑿を受け取り、一刀は一瞬だけ視線を諸侯と共に立つ桃香へと向けた。それを受けて、僅かに顎を引く桃香。「……孔明、気をしっかり持って」「……」下唇を噛んで、孔明は動かぬ首を振ろうとした。そんな彼女の目をしっかりと見てから、一刀は鑿をゆっくりと孔明の顔の高さまで持っていく。華佗も懐から針を一本取り出して、一刀の動きに合わせるように近づけていった。そして、身体を震わすように一刀は鑿を突き入れた。「っあ”っ! うぁ”ぃあ」瞬間、孔明の身体も、華佗の身体もビクリと震えて、赤い鮮血が一刀の手元から滴り落ちる。僅かに遅れて、孔明の悲鳴が室内に響いた。容赦なく鑿を突き入れ、その度に人の声とは思えぬ悲鳴が轟き、身体を震わせた。先に左目からだったのか、孔明の左の頬は肌から赤く、赤く染め上げていく。ポタリと落ちる血は溜りとなり、徐々に床へその輪を広げていった。「右目を行う」一刀はそれだけを言って華佗と入れ替わるように体勢を変えた。口から大きく息を吸うように、胸を上下させた孔明に、今度は何も言わずに鑿を突き入れる。同じように悲鳴を挙げて、室内は孔明の声に包まれた。それらを隣で一部始終、横目でとはいえ見ていた士元は絶句していた。僅かに歯を鳴らして、しかし、孔明に施される刑から視線を逸らすことは出来なかった。ふいに。一刀と華佗の動きが止まる。荒い息を吐き出す孔明を一瞥し、華佗から木板と布に載せられた物を受け取ると一刀だけ諸侯の前に戻って、台座の上にそれを置いた。置かれた時に、コロリと転がる、白い玉。それは間違いなく、目玉であった。決して動物の目ではない、瞳孔が開いた人の眼球。この場に集まった全ての人間が、その台座に置かれた孔明の目玉に視線を向けた。その間、華佗は孔明の目が在っただろうその上に布を当てて、巻きつけるように頭へと巻いた。しっかりと縛り、決して解けないように。僅かな時間であるのに、その布は徐々に赤黒く変色していく。「続いて、鳳士元のあつ眼を行う」そんな周囲の反応を完全に無視して、一刀はそう宣言すると、孔明の時と同じようにゆっくりと近づいた。彼の額には、夥しいほどの汗が浮かんでいた。「あ……」「大丈夫だから」何かを言おうと口を開いた鳳統に、一刀はそれだけを告げて鑿を握りなおして士元へと向けた。ゆっくりと迫る鑿に、鳳統は思わず眼を細める。ズプリと何かを抉るような音が駆け抜け、瞬間激痛に士元は全身を震わせた。同時に、自分の者とは思えないような声が肺から押し上げられて吐き出される。「ぐっべあぁ”」全く同じ行為を4度、無表情を貼り付けて繰り返した一刀は、同じように台座の上へ士元の眼球を置くと一つ大きな息を吐いてから部屋に集まった人物を見渡し、告げた。その声は、かすかに掠れていた。「これであつ眼の刑を終える。 次に洛陽の街へ準備を進めるため、ご退室ください」「……」終始沈黙が降りた部屋は、桃香が後退りするかのように鳴らした足音をきっかけに退室を始めた。たったの数分で、部屋に残されたのは一刀と華佗、そして執行人の手伝いを行っていた者と刑罰を受けた孔明、士元だけになった。「水を被せて起こして。 手伝いの人は起きた両名を連れて準備を急いでください」「は」「分かりました」用意してあった桶を頭からかぶせ、気絶していただろう孔明と士元は大きく咳き込みながら眼を覚ます。その間、拘束具が外されていき、突き飛ばされるように床へと自ら倒れこんだ。すぐに身体を捕まれて起こされ、彼女達は抱えられて来た扉へ引っ立てられて立ち去っていく。扉が閉まり、室内に居るのが一刀と華佗だけになる。瞬間、華佗は少し離れた一刀の元に走って近づいた。腕を押さえ込むようにして、屈んだ一刀を寝かせ、心臓よりも高い位置に患部を持っていく。「一刀!」「ああ、大丈夫、麻酔が効いてるから痛くないよ……見た目はグロいけど、ははっ」そう、一刀の左腕の手首より下。そこからは夥しい出血をしていた。鑿で抉り出したのは、孔明と士元の眼球ではなく、一刀の腕であった。即座に華佗は彼の長袖を捲り、自傷した傷跡を触診する。先に教えたとおり、傷つけてはならない場所はしっかりと避けており、重要な血管もしっかりと避けている。安堵の息を吐きながら、華佗は針を一刀の腕に刺しつつ、持っていた布を巻いて止血を始めた。「華佗……眼、ばれなかったかな?」「大丈夫だ、あれは本物の人間から取ったものだ。 勿論、死んでいる人からだが」「悪い、嫌な思いさせちゃって」「……気にするな」医者が、死者の体をもてあそぶなど、嫌悪感が先んじたに違いない。一刀はそれを華佗に謝っていた。当然、ボロが出ないように孔明、士元の視力は実際に失われている。それも、今夜までの話だ。華佗の突き刺した針は、痛覚を刺激する物でよほど痛みに強くなければ我慢することなど出来なかった。事実、一刀も一度試してもらったのだが途轍もなく痛い。何でも眼というのは、脳の一部と言っても良いくらい繊細な場所でありその周りには脳に直接刺激を与え得る点孔が幾つも存在するという話であった。華佗が行ったのはツボを針で刺激しているだけなので、二人の眼を傷つけるような事は無い。視力は問題なく戻るだろうことを、華佗は約束した。「……なぁ、これってやっぱ治るの時間かかるかな?」「そうだな……出血は激しいが深くは無い。 上手く抉ったな、1ヶ月もすれば治ると思う」「はぁー……良かった、ちょっと怖かったんだ」「そうだろうな……痛みは?」「今のところは。 でも夜は痛くなりそうかな」「麻酔薬は洛陽に全部置いておく。 バレないように痛み出したら使うことだ」「何から何まで悪い、華佗」「いいって、頼むから謝らないでくれ」その場で腕の縫合を始めた華佗にされるがまま、一刀は薄く笑って頷いた。良かったと思う。腕が元に戻るなら、迷うことは無かったし、華佗も抉る場所を間違わなければ大丈夫だと言ってくれた。きっと、華佗が居なかったらこの行為に踏ん切りはつかなかっただろう。間違いなく諸葛亮と鳳統の命を救えたのは、今も自分の治療を続けてくれている目の前の男のおかげだ。この腕の痛みが、少女二人の命に変わったのならば。傷は治るが、死体は直せない。傷一つ、それを代償で得られるのなら。「華佗、人の命を救うのって大変なんだな」「……そうだな」それきり、一刀は喋ることを止めて華佗の治療が終わるまで天井を見つめていた。一刀の腕を縫う華佗の衣擦れの音だけが、響いていた。―――その後、孔明と士元の二人は一刀の予想通り、街で多くのものを罵声と共に投げつけられた。それはゴミであったり、石であったり、とにかく手元にあるものを手当たり次第に住民達は放り投げた。周囲に不自然にならないよう、傍に居た恋が長大な方天画戟を巧みに動かして言いつけ通りに二人を守っていた為、大事になるような事は無かったが。最後に傷の治療を終えた一刀は、長袖を再び身に纏って宮内に入る門で孔明達を迎え入れるとその場で刑の執行は終了となり、最後に一刀の声で締めくくられた。「今後、二人の傷が落ち着きを見せ次第、行軍に参加させる。 配属は後ほど決めるため、追って通達を待て。 以上で、諸葛孔明、鳳士元の両名の刑を終える」帝の元に、一刀の言葉を伝えに行く者を見送り、その場はぞろぞろと解散の雰囲気になっていく。一刀も、恋の元まで歩くと孔明と士元が未だに荒い息を吐き出していたのに気がついた。二人には、演戯だとバレないように、刑罰の内容だけしか教えなかった。あの激痛に加え、眼を刳り貫く振りをした状況を考えれば、ショックが大きくても仕方が無いだろう。その上、市中を連れられて歩き、罵倒を繰り返されたのだ。精神的に大きな傷を負っていても仕方が無いだろう。そんな様子を見ていた一刀は、一瞬の躊躇いの後、赤黒い布で目線を隠している孔明と士元の手を取った。瞬間、二人の身体が大きく震える。それは、今までのような痛みから来る震えではなく、どこか柔らかく暖かい感情からこみ上げる震えだった。「……人の感情を弄るみたいで、納得いかないけど」『……変わるよ』「ああ……」“蜀の”と“無の”に触れられ、その想いはより強く、孔明と士元の気持ちを揺さぶった。引っ立てられる時に何度も眼を隠され、手を握られていた彼女達は、その人肌に恐怖を覗かせていたのだが今、自らの手を引くこの手は不安よりも安堵の方が勝った。徐々に呼吸が落ち着いたのを見て、一刀は優しく柔らかい笑みを向けた。この笑顔は視力を失っている二人には届かないだろう。それでも、“蜀の”と“無の”は優しく、優しく朱里と雛里に微笑み続けていた。彼女達に脳内の自分が贈れる数少ない笑顔は、こういう時にしか訪れないだろうから。―――離宮へと戻った一刀達は、明日に旅立つという華佗の為に送別会の様なものを開いた。労わる様に一刀の腕を手で包む音々音と、三人で。その最中、精神的な疲れからだろう。眠っていた孔明と士元の短い声に気がついて、三人は顔を見合わせて席を立った。二人を安静に眠らせていた部屋を覗き込むと、丁度むくりと身体を起こしたところであるようだ。一刀は手で周囲に何があるのかを探す様に、さ迷わせていた孔明と士元の手を取った。「痛みはあるかい?」「あ……天代、様?」「あの、手……」「今解くから待ってて」一刀の声に、華佗は頷いて、二人の頭に巻かれた布をゆっくりと解いていった。ずっと暗闇であっただろう孔明、そして士元の為に、音々音は蝋燭の火を吹き消して室内には月明かりだけが照明となる。そして、孔明と士元の眼に飛び込んできた景色に、彼女達は呆然とした。見える。牢の中にまで、天代と言う身分を持つお方が足しげく通ってくれた。その人の覗きこむ笑顔が。あの、死んでしまうかも知れないと思った痛みの中、どのような魔法を使えば一刀の顔が見えるように刑を執行したのだろう。確かに刑は執行されたはずだ。ここが牢屋で無い事が、あつ眼の刑が実行された事を何よりも証明していた。「あ……」「朱里ちゃん……」「雛里ちゃん……」お互いに名を呼んだのがきっかけとなったか。堰切ったように声を殺して泣き始めた二人を抱えて、一刀は音々音へと視線を向けた。実は、彼女達を救う話をした時に、最後の最後まで首を縦に降らなかったのは音々音だったのだ。それは、一刀の身を犠牲にする事もあったが、一番の懸念は一刀の立場のせいである。しかし、事ここに至って一刀を責めることなど、誰が出来るだろうか。両手を挙げて降参を示した音々音は、一刀に微笑んで頷いた。元より、何処までも一刀に付いて行こうと音々音の気持ちは固まっているのだ。彼の選んだ道が、こうあるのならば、その後ろを支えてあげるだけ。とはいえ、直前まで相談もせずに孔明と士元の事を抱え込んだ一刀には、文句の一つも言いたかった。「こうなったからには、一刀殿と地獄の淵まで覗くまでですぞ」「はは、地獄って……」「孔明殿と士元殿にも、ねねと一緒に付き合って貰うのです」「……うん、ありがとうねね」そんな音々音の気持ちに一刀は気付いた。気付いたから、謝るのではなく礼を返した。孔明と士元の柔らかな髪がさらりと流れて、一刀は二人の頭を泣き止むまで撫で続けた。 ■ 罪に貴賎なし諸葛孔明、そして鳳士元の二人の刑罰が終わってから3日。当然、その場で居合わせた曹操も、二人の刑の執行の事を知っている。しかしなんだか、どうにも腑に落ちない点があった。それは、彼女達の出血の量であった。ちょっと余りに多すぎるような気がしたのだ。それに、孔明の元から離れる時にチラっと見えた彼女の顔。薄暗く、血のせいでよく見えなかったが眼球がまだ存在していたような気もする。「……まぁ、下衆の勘繰りはやめておきましょうか」「華琳様」「なに?」「陳留から、このような書が……」考えに耽ることをやめて、曹操は手渡された書を開き文字を追った。しばし眺め、傍に控える荀彧へと首を巡らす。「桂花、陳留に一人走らせて。 罪に貴賎は無しよ」「御意……では、変態も一緒に処理してよろしいでしょうか」「変態? 誰のこと?」「街中を連れまわして散々に貶めた賊将孔明と士元に、満足そうに微笑を向けていた幼女虐待趣味を持つ最低な下衆です」「……え、なに、あの男、そんな良い笑顔を向けてたの?」「はい、それはもう、この笑顔よ見えぬ視界に映れとばかりに……」「……噂に間違いは無いようね」そんな間の抜けた会話が行われた、その3日後。宦官、十常侍である蹇碩の叔父の命が、陳留にて消えた。この一事は、一部の人間から漏れ出して、そう遠くない内に洛陽へも届くことになる。もう長袖では暑い日の方が多い、花と緑が色濃く咲く頃であった。 ■ 外史終了 ■・脳内恋姫絵巻映した景色(朱里・雛里)・かずと は あらたな 称号を てにいれたぞ!調教チンコの御使い様