いよいよ両軍は激突する。
帝国軍の思惑、共和国軍主流派閥の一つ、ロボス派の狙い、フェザーンの蠢動を他所にヤン・ウェンリーは起死回生の一手を打ち出してきた。
それは三個艦隊を分裂させたまま、各個撃破するというものである。
さて、アスターテ星域会戦の前に銀河帝国設立を振り返ってみよう。ルドルフの築いた帝国は100年ほど共和国の探知外に存在した。
そう、彼らの言う長征1万光年は伊達ではなかった。
そして銀河共和国では彼らの国葬が執り行われた。共和国政府、国民は本気でルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの新領土開拓が失敗に終わったとそう信じていたのだった。
が、彼は、ルドルフは生きていた。
以後国家建設と打倒共和国を合言葉にゴールデンバウム王朝の黄金期が始まる。
彼らはヴァルハラ星系第3惑星に首都「オーディン」を築き上げたのだった。
またノイエ・サンスーシに代表される古典的な建物は、宇宙暦550年代に登場し、580年代に成熟した政治家、共和国再興の父アーレ・ハイネセンによる対外宥和政策の間隙をもって建設されている。
ノイエ・サンスーシは一種の公共事業であった。そして、帝国は共和国に対して何ら興味を持たないという一種の政治的アピール、メッセージでもある。
事実、ノイエ・サンスーシ建設を依頼された共和国資本家はその余りの広大さと
古典趣味に馬鹿馬鹿しさを覚えた。
そしてこんな馬鹿な工事と歪な政治体制、国力で圧倒的に劣勢である銀河帝国を舐めてしまった。
『あいつ等は馬鹿だ、気が狂っている』
これは工事関係者のヤマト・インダストリー(後のNEXT11加盟会社)の役員の一言だが、正にこの一言に当時の共和国世論が集約されるだろう。
ところで疑問点がある。何故ルドルフはイゼルローン回廊開拓に成功したのか?
あの暗礁宙域をどうやって個人の力で、10億の民を率いて突破できたのだろうか?
それは、彼個人が一種の株式の株券でありヒーローであったからだと言われている。
長征において幾人もの人々、支持者を失ったルドルフではあったが、共和国に残した親ルドルフ的な政治的な基盤、軍部からの支援、企業や民間支持団体からの大規模な援助はイゼルローン回廊開拓に大きく役立った。
確かにルドルフ=地球政権、圧制者という構図があったが、それを信じない人々も存在したし、サルガッソスペース、所謂、暗礁宙域より先に存在するであろう恒星系とその開発に莫大な富を夢見た人々がいたのだ。
実際、接触戦争前の銀河共和国と銀河帝国の関係は良好であり交流も活発であった。
そして、共和国は移民とそれに繋がる企業の進出により第二の黄金期、アーレ・ハイネセン時代を迎える。(最も、銀河帝国に進出した企業は人員とともに戦争開始と同時に接収されたが)
時を宇宙暦300年代に戻そう。そんな経済界の欲望、あるいは願望を利用したルドルフは驚くべき程の犠牲の少なさで宇宙の暗礁宙域を突破した。
・・・・・そして、自らの痕跡を抹消し一切の連絡を絶った。
余談だが、先にも述べたように、このルドルフ開拓艦隊消失事件は共和国国内に大きな波紋を呼んだ。
彼らが数億の民と共に全滅したのだと考えられ、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは国葬を持って処遇された。
なお、大規模な資金援助をした団体の半数は倒産や解体を余儀なくされルドルフ不況というべき状態に共和国は入ってしまう。
やがて銀河帝国と銀河共和国が接触すると共和国の市場開拓、経済原理という状況と負い目もあった事から数十年の蜜月時代を迎える。
接触時、銀河共和国大統領を務めていた第二の国父アーレ・ハイネセンはこう語ったという。
「我々の先祖は罪深いことをした。いくら急進的とはいえ、その思想を持って個人を抹殺するなど民主主義の行うべきことではない。失意の中に消え去った彼、ゴールデンバウム氏の為にも、また我が国民にいらぬ犠牲を出さぬ為にも我々は銀河帝国と不可侵協定、ならび相互通商条約を結ぶべきであろう」
そう述べて。
それが正しかったのか、それとも一方的に戦火を開いて銀河帝国がまだ20億に満たない少数勢力、弱小国家であるうちに併呑すべきだったのか。
それは今も尚、歴史学や政治学、軍事戦略を学ぶものに問いかけている。
宇宙暦796年4月 アスターテ星域
side ヤン
結論から言うと、魔術師の戦術は功をそうし、第13艦隊は勝利を収めつつあった。
ヤンの構想どおり比較的近距離にいたエルラッハ中将の艦隊は約1.6倍の第13艦隊の強襲をうけ前方集団3000隻が瞬時に壊乱、その後艦隊中枢に第13艦隊得意の一点集中射撃を受け指揮官であるエルラッハ中将が戦死、その後は残敵掃討といって良い段階まで追い詰められていた。
(・・・・そろそろ頃合か)
ヤンは思う。
「グリーンヒル大尉」
副官を呼んだ。
「はい、なんでしょう?」
ヤンはフレデリカ・グリーンヒルに確認を取ってもらう。
「敵艦はあとどのくらい残っている?大雑把な数で良いんだ」
後何隻残っているかと。
彼の目論見では・・・・・
(3000隻程度か)
そう思っていたが。
予想とは違った。
「そうですね、報告によりますと残り2000隻程、更にその半数が損傷しているとの事です」
予想以上の戦果。
(・・・・2千隻。撃沈艦艇数約1万隻。対して味方の損害は約500隻・・・・悪くない)
そしてヤンは続ける。
味方の損害、6万の死者を数字でしか見れない戦場の自分を嫌悪しながら。
「そうか、ならば良いか。ムライ参謀長」
参謀長に命令を下す。
個人的な感傷に浸っている場合ではない。
まだ艦隊には230万名もの将兵がいる。
そしてかのナポレオン・ボナパルトが言ったように最も貴重な、『時間』を浪費するべきではない。
「ハッ」
彼の反応に自身の命令を乗せて続ける。
「アッテンボロー少将達に連絡。フィッシャー少将の指導の下艦隊を急ぎ再編せよ、とね。」
それに驚くのは副参謀長のパトリチェフ准将だった。
「眼前の敵を放置して、でありますか?」
そう、敵は組織的な交戦力を失ったとはいえ、未だ2千隻もの艦艇が存在している。
戦果の拡大を図るべきではないか、というのが常識だろう。
「パトリチェフ副参謀長の意見はもっともだ。でもね、もはや敵は艦隊と呼べるものではない。放置しても構わないさ」
だが、艦隊として見た場合、最早目前のエルラッハ艦隊は脅威ではない。
ランチェスターの法則を使えば、10の三乗、つまり1000倍近い戦力差がある。
これだけあれば帝国軍強といえども最早動けないだろう。
(それにこれ以上の殺戮は無意味だ)
「なるほど」
その言葉に周囲の空気が納得したものとなった。
「それに戦いはまだ3分の1が終わったに過ぎない。更にロボス元帥の厳命でここで引く事も出来ないからね」
そう、ロボス元帥は勝利を、しかも大戦果を期待していた。
それに応えなければ、自分はともかく部下たちが危うい。
ヤンには自分を信じて付いてきてくれた部下を軍内部の政争の渦中に放り出すことなど出来なかった。
政争が誰よりも苦手だと自覚しているヤン・ウェンリー。正に矛盾の人である。
「それとだ、グリーンヒル大尉、敵艦隊に向け通信を送ってくれ。内容はこうだ『これ以上の追撃はしない、生存者の捜索・救出と貴官らの退路は保障する』、以上だ」
それから30分、銀河共和国最精鋭と謳われた第13艦隊は整然と列を整え漆黒の中に消えた。
次の獲物を求めるかのように。
宇宙を遊泳する肉食の、かつて地球にいた人食い鮫と呼ばれたホオジロザメ、その大群の様に。
ヤン率いる第13艦隊は漆黒を進む。
side ゼークト艦隊 エルラッハ艦隊壊滅から8時間後
艦橋内に艦隊司令官の怒声が響き渡る。
ゼークトは怒っていた。
せっかく2倍の戦力で敵を包囲し殲滅する。そうしてイゼルローン失陥の汚辱を少しでも注ぐ、そのつもりだった。
それが、通信妨害とそれに続くエルラッハ艦隊交戦せり、の電文。加えて更なる通信障害。
「どう言う事だ!! 敵は密集隊形をとり我々を迎え撃つつもりではなかったのか!?」
艦隊司令官の怒号が艦橋にいる幕僚たちに降り注ぐ。
誰も応えられない。
当然だ。
こんなケースは出征前には想定していなかったのだから。
最も、それでは軍の高級参謀としては失格であろう。
そんな中、一人の情報参謀が進言する。
「閣下」
誰が進言したのか、確認後一瞬嫌気が差す。
「新任のオーベルシュタイン大佐か。なんだ。何か策があるのか?」
ゼークト中将は内心思った。
(こいつは優秀だ。だが、その目が気に入らぬ。第七次イゼルローン攻防戦の時もそうだ。
反乱軍の策を尽く当てて見せたが、その薄気味悪さゆえに、そしてルドルフ大帝の定めた劣悪遺伝子排除法に引っかかるくせに30前後の若さで大佐までのぼりつめた・・・・・気に食わんが、他の者が何も言わない以上聞くしかあるまい)
ゼークト中将の内心など思いもせずにその男、パウル・フォン・オーベルシュタインは発言する。
「ハイ。今すぐ艦隊を転進させるべきです」
味方を見捨てろ、と。
シュターデン艦隊と合流し戦力を整えろ、そう言ってきた。
「窮地にある味方を見捨ててか!?」
思わず幕僚の一人が叫ぶ。
が、これを無視してオーベルシュタインは正論を展開する。
「残念ながらエルラッハ艦隊は既に壊滅しているものと思われます。なによりこの『我、敵艦隊と交戦中至急来援を請う』という文ですが、本当にエルラッハ艦隊から発信されているかが怪しいものです」
通信妨害の中届いた不自然な状況報告。
オーベルシュタインはそれを罠だと考えた。
だが、世間一般の常識は違うようだ。
「卿の意見ではこれは敵の偽電だと言いたいのか?」
ゼークトの問いに肯定する。
「左様です、ここは敵の手に乗らず」
だが、
「いや、ここで味方を見捨てるわけにはいかん。唯でさえ国力で劣るわが国が味方を見捨てたとあっては平民階級に動揺が走る」
ゼークトはあくまで初期の三包囲の案を捨て切れなかった。
また、大将時代の悪い癖が出た。
後一歩で上級大将昇進、そして、巧くすれば帝国元帥への昇進も可能であったあの時代の政治的な判断を戦場に持ち込んでしまった。
共和国軍上層部が大統領と結託して出兵を許可したことを考えると、両軍似たようなモノであったが。
オーベルシュタインは続ける。
馬鹿な上官とともに犬死はごめんだ、そう言わんばかりに。
それがゼークト提督との軋轢を本格化してしまうのだが、それを気にしない辺り、オーベルシュタインにも責任はあるだろう。
これは参謀という職があくまでスタッフでしかない旧暦=西暦のアメリカ軍時代からの弊害なのかもしれなかった。
「しかし、今ここでは生き残ることが最優先。政治的な問題は帰国してからの宣伝でどうとでもなりましょう」
オーベルシュタインの言は正しい。
「・・・・だが」
たて重ねにオーベルシュタインは続ける。
「それに、国力の点をご指摘なさるのでしたら既に一個艦隊を失った以上全軍撤退をも視野に入れるべきではないかと」
全軍撤退。
そう、既に総兵力数で互角の可能性が高い以上、共和国と帝国の国力差を考えれば最適な判断なのかもしれない。
だが、それを選ぶことは即ち、現皇帝フリードリヒ4世の私財を無駄に消費したことになる。
「・・・・・・・」
そしてゼークトは決断した。
「いや、敵将はまだ若い。それに対してエルラッハ中将は歴戦の勇士だ。今尚彼の艦隊を引き付けているに違いない」
対するオーベルシュタインが珍しく声を荒げる。
「閣下! それは希望的な観測に過ぎません。数で劣るのはエルラッハ艦隊です。
ランチェスターの法則を考えるまでもなくエルラッハ艦隊は」
ゼークトはオーベルシュタインの正論を聞きつつも、自身の政治的判断からそれを遮断する。
「もう良い!!全艦全速前進。艦隊の最高速度でエルラッハ艦隊を救援に向かうぞ
各艦に伝達、最大戦線側を出せと・・・!?」
その時、艦橋が揺れた。
そしてスクリーンに多くの光の華が咲いた。
「なんだ、どうしたのだ!」
通信参謀に状況を確認させる。
「左舷後方に敵艦隊。ジャミングが激しくそれ以上のことは分かりません」
「何!」
絶句する。
(何故だ? 何故ここまで気が付かなかった!? 敵のジャミング能力はそこまで高いというのか!?)
ゼークトは瞬時に判断した。
彼とてイゼルローン要塞駐留艦隊司令官に任じられるほどの実力者だ。
その原因を瞬時に突き止める。
もっとも、突き止めたところで現状はそうそう打つ手が無い。
「閣下、敵はやはり戦場を移動したのでしょう。ここは迎撃を」
そんな中、オーベルシュタインの冷静な声だけが旗艦の艦橋に響き渡る。
「やかましい。言われなくともわかっておるわ」
このやり取りの間にも戦火は拡大していく。
そして義眼の参謀は、最早見切りをつけていた。
(ゼークト提督も所詮この程度の人か)
そして一人、幕僚たちの間から離れ、脱出用のシャトルに向かった。
彼にはなすべき事がある。
その為に、自分を扱いきれない上官と共に、或いはゴールデンバウム王朝を神聖視する、もしくは受け入れる愚者に付き合う必要を認めなかった。
side 第13艦隊
側面を突いた第13艦隊は浮かれていた。
緒戦のエルラッハ艦隊、無論その艦隊名称を知るのは会戦後になるが、を破った第13艦隊は士気の面で帝国軍を圧倒していた。
そして帰還を絶望視していた将兵たちも、この敵艦隊、即ちゼークト艦隊を撃破すれば生きて本国に帰れると分かり、否おうにも活躍する。
・・・・・全ては自分たちが生き残る為。
それは各分艦隊司令官も変わらない。
「よーし、後はドンちゃん騒ぎだ。みんな着合い入れて行けよ!!」
アッテンボローが士官学校の学園祭ののりで発破をかける。
それに答え砲火を集中させるアッテンボロー分艦隊。
壊滅し、壊乱して行く目前の帝国軍。被害は殆どない。戦術的に無視して良い位だ。
更に、
「はは、こいつは良いどっちを向いても敵ばかりだ。撃てば当たるぞ。弾薬を惜しむなよ」
敵陣へと強行突入しゼークト艦隊中央を分断そのまま反時計回りに分断した後方の更なる中央に突撃したグエン・バン・ヒュー少将も気勢を上げる。
ヤン・ウェンリーの絶妙な突撃の指令、そのタイミングに合わせただけでこの戦果。
グエン分艦隊は熱狂的な攻勢をかける。
加えて、
エドウィン・フィッシャー少将は二人の分艦隊司令を援護すべく、冷静に帝国軍の分艦隊旗艦周辺へと砲火を集中させる。
或いはアスターテ会戦、いや、現代の宇宙戦争ではこれが一番厄介かもしれない。
なにせ、帝国軍は指揮を取ろうにも、その指揮官ばかりが集中的に討ち取られていくのだから。
「慌てず、焦らず、敵艦隊の通信量が多い部隊を集中して叩くのです」
フィッシャーの的確な艦隊運用がその輝きを見せる。
第13艦隊は敵の後背を取った。圧倒的な有利の下、ヤンはグエン分艦隊を先頭に突撃を命じた。
それを支援するアッテンボロー、フィッシャーの両艦隊。
「ヤン提督、敵がワルキューレを発進させつつあります」
ジャン・ロベール・ラップ大佐が進言する。
(・・・・愚策だな)
ヤンは自問自答しつつ、新たな命令を下さす。
「了解した、ラップ大佐。各艦に伝達、敵空母部隊に砲火を集中させよ、と」
「ハッ」
空母部隊への集中砲火は迅速に行われた。
ワルキューレという艦載機発進途上を狙われた帝国軍は成す術も無く撃破されていく。
それを確認しながら、
(どうもラップに敬語を使われるのは違和感があるな・・・やりにくい)
思ってしまうヤンだった。
戦況は確実に共和国軍に優位のまま進んでいる。
そして、戦闘開始から2時間後、ゼークト艦隊はエルラッハ艦隊同様の損害を出してしまう。
違うのは指揮官が未だ健在かどうかといった程度であろう。
それほどまでに甚大な損害を受け、生き残りの半数は司令官の命令を無視したのか逃げ出し始めた。
その動きは各分艦隊に、生き残りの帝国軍ゼークト艦隊全体に広がる傾向にある。
このとき、ヤンは決断した。
「敵艦隊司令に連絡を入れてくれ。降伏せよ、しからざれば退却せよ。追撃はしない、とね」
だが、ヤンの期待は最悪の形で裏切られる事になる。
side ゼークト艦隊
ゼークトは一瞬何を言われたのか分からなかった。
だが、理解した途端に爆発した。
「降伏だと!? しかもそれが嫌ならば逃げろだと?馬鹿にしおってからに!!」
敵艦隊司令官を確認させる。
もしも、このときの司令官が1年前に自分を汚辱の淵へと叩き込んだヤン・ウェンリーではなかったら話は変わったかもしれない。
だが、通信士は無情にも、そして薄情にも現実を告げる。
「通信相手は第13艦隊司令官ヤン・ウェンリー大将です」
ゼークトから正常な判断を奪うのには十分だった。
自分を屈辱の汚泥に突き落とした男が、もう一度同じ事をしようとしている。
そう受け取った。
「あの、あの、あのヤン・ウェンリーか!!!? イゼルローンのみならずここでも恥辱を受けろというのか!!!」
「閣下!」
流石に戦況を理解している参謀の一人が止めに入るが、それを突き飛ばすゼークト。
怒りの度合いが分かるというものだ。
「砲撃だ。これほど無残に敗北して我々はおめおめ帝都には戻れん。
よもやここにきて命を惜しむ者はおるまいな!!」
この敗戦で生きて帰れないのは司令官であって、将兵ではない。
それに気が付いたものがどれ程いたのかは・・・・・戦後半世紀を経過しても尚不明である。
side 第13艦隊
「ヤン閣下、返信です。」
ラップ大佐が手を震わせながら続ける。
(ラップが怒っている? 嫌な予感がするな)
ヤンは目線で読めと促した。
「読みます。『汝は武人の心を弁えない卑怯者である、我、無能者とのそしりを受け様とも臆病者と誹りは甘受できず。この上は皇帝陛下の恩顧と帝国の繁栄の為全艦玉砕し帝国軍の名誉を全うすべし』以上です」
その瞬間、ヤンは椅子から立ち上がった。
余りの変貌振りに驚くグリーンヒル大尉たち。
オペレーターやマシロ艦長も同様だった。
ヤン・ウェンリーはどんな時でも冷静沈着である、それがこれ程までの怒気を発するとは。
「武人の心だって!? 臆病者の誹りは受けられないから玉砕するだと!!」
普段のヤンらしからぬ態度に幕僚たちの視線が集まる。
そして彼らしくない冷徹な命令が下される。
「敵旗艦を判別できるか?」
(死んで詫びるなら一人で詫びれば良い。なぜ部下を巻き添えにする!)
砲術長が少し怯えながらも答える。
「出来ます」
それを聞き、決断する。
「集中的にそれを狙え。これがこの戦い最後の砲撃だ」
各艦の砲術士が慌てて敵艦隊旗艦周辺部へと照準を合わせる。
「照準完了」
その報告と共にヤンは、恐らく人生史上最も苛烈な命令を下した。
「撃て」
こうして、光が貫き、炎の花が宇宙に咲き、ゼークト艦隊旗艦は消滅した。
ゼークト提督は戦死し、他の生き残った艦艇も四散して逃げ散っていく。
そんな中、砲撃で撃沈される前に一機のシャトルがゼークト艦隊旗艦から脱出した事を気に留めたものはこの時点では誰もいない
宇宙暦796年1月、アスターテ会戦前半戦と後に言われる戦いは終わった。
これ以上の犠牲を出したくないヤンは、艦隊を帰路に着かせようとしていた。