第五話 分岐点
『お前たちを叩きのめしたのはこのブルース・アッシュビーだ。そして次に叩きのめすのもブルース・アッシュビーだ。よく覚えておけ』
『我々は屈しない。銀河共和国から苦節1万光年、ついに我々は新天地を得たのだ。余はここに銀河帝国ゴールデンバウム王朝の成立を宣言する。そしていつの日にか必ず正当な支配者として共和国を僭称する輩に反撃するであろう』byルドルフ・フォン・ゴールデンバウム
『帝国は怖いのさ。自国の権益を我ら共和国が全て掻っ攫うのではないかとね。だがな、それも仕方ない。圧倒的、とまではいかないが国力の差は歴然としているし、なにより人口差が違う。貴族制という一種の専制政治は確かに効率の良い制度だ。その結果ルドルフの作り上げた帝国は、軍事面において我が国とほぼ互角といって良い・・・・もっとも、我々が限定戦争を望んでいるのに対して向こうは常時戦時下のようなもの。いずれ破綻するのは目に見えている。だから大規模な出兵などする必要はないし、イゼルローン要塞が落ちた今、選抜徴兵制度も廃止すべきなのだ・・・・・まあ、人口差を10対5にまで埋めた歴代皇帝の多産政策は賞賛に値するがな』by ジョアン・レベロ
『イゼルローン要塞は陥落した。それも半個艦隊で。成功させたのはヤン・ウェンリー少将。これで我々は帝国領土へ約30年ぶりに侵攻できる。宇宙暦795年1月は記念すべき年月となるだろう。彼を二階級特進させ軍を嗾けさせよう。彼に、魔術師ヤンに続け、とね。そうすれば戦略的劣勢で戦力を削がれてきた軍部のことだ、喜び勇み出兵命令に賛同するであろう(そして再選だ)』byラザフォート大統領
第五話 分岐点
第13艦隊は凱旋の途上にあった。三方向から包囲されながら2個艦隊を殲滅し、更にもう1個艦隊を半壊させ味方の損害は1割にも満たない。まさに、圧勝である。
それは初期の予想を大きく裏切る形であった。
特にダゴン会戦の勝利の再現を目論んだフェザーン、共和国軍首脳部、帝国軍の者達にとって凶報以外の何者でもない。
「全艦警戒シフトに移行」
ムライ参謀長の命令が各艦に伝達される。
「各艦はフィッシャー提督の命令に従い、秩序ある行動を行うように」
当たり障りのない命令。弛緩した空気。
誰も彼もが笑顔を浮かべ、今日生きていることを喜んでいるようだ。
(無理もない)
ヤンは思う
(本来なら殲滅されるのは私たちの筈。それが逆に敵艦隊を殲滅した・・・人事でなければ私だって無邪気に喜べただろう・・・)
ヤンの思考は続く
(しかし、それでも私は喜ぶことは出来ない。1289隻、戦死者13万17名。帝国軍の方はざっと400万はくだらないだろう)
(そして私はまた偶像にまつり上げられる。英雄という名の監獄に・・・)
(・・・そんな私が・・・)
「参謀長」
「何でしょう?」
「私は数時間ほど私室にもどる。何かあったら連絡をくれ」
side フレデリカ・グリーンヒル
化粧室の前で念入りに彼女は化粧をしていた。
それはこれから彼女自身の一世一代の賭けに出ようとしていたからだ。
(思えば14年前から私はあの人に憧れ、恋してきた)
14年前、宇宙暦782年、帝国軍が威力偵察兼労働階級確保(共和国内部では組織的拉致行動として強く非難されている)を目的とした軍事行動に出た。目標は共和国外縁恒星系エル・ファシル。参加兵力は一個分艦隊2000隻
無論、反撃した共和国軍であったが、アーサー・リンチ司令官は戦闘途中にエル・ファシルに帰還、指揮系統を失ったエル・ファシル駐留軍2000は壊乱してしまう。
そんな混乱の中、任官して一年の若い中尉が民間人脱出計画の最高責任者となった。
一方帝国軍は慢性的に不足する労働力を少しでも増やし、各貴族領土の荘園に働く平民階級を手に入れるべく艦隊を増派。戦力比は1対5にまで膨れ上がりエル・ファシル駐留軍は玉砕か撤退か、降伏を迫られることになる。
(そしてみんながパニックに陥った・・・・大人で冷静だったのはあの人くらいの者かしら)
パニックに陥った市民をなんとかなだめる新米の中尉。
一方でリンチ少将は一部司令部幕僚ともに独自に脱出計画を進める、それはあまりにも常識的な、故に帝国軍にも察知される行動であった。
(・・・・あの日に遡る・・・・あの人の初めての奇跡の日を)
司令官敵前逃亡。その報道はエル・ファシル全土に駆け巡った。
そしてそれを待っていたかのように中尉は動いた
『お静かに。何、司令官が一部の幕僚と共に逃げただけです。それよりみなさん、我々も脱出します。急いで割り当てられた便の船に乗り込んでください』
脱出船団は対レーダー装置を働かせる、という固定概念とエル・ファシル惑星上に展開した500隻あまりの無人艦隊に気を取られ見事民間人400万人を脱出させる事に成功した。それは一人の英雄の始まりであり、いまや偉大な英雄となった者の第一歩であった。
そして、現在。フレデリカは司令官室の前まで来た。
『ヤン司令、この会戦が終わって生きていることが出来たならお話をさせてもらってもよろしいでしょうか?』
返ってきた答えは『YES』
アラームを押す。程なくして『どうぞ』という掛け声が扉越しに聞こえた。
side ヤン
『卿が、あのヤン・ウェンリーか。卿らのアスターテにおける各個撃破の活躍は見事である。私が国政の全権を掌握した暁には良き関係を築きたい』
『また、共和国が攻撃せぬ限り、こちらからも攻撃はせぬ様、ラインハルト・フォン・ミューゼルの名で確約しよう』
『卿らの勇戦に敬意を評す。お互い再戦の日まで壮健でいたいものだ』
(敗軍の将の中にこれほどの器の持ち主がいたとはね)
あの通信で初めて話した相手。ラインハルト・フォン・ミューゼル。
まさか自分より若い若者が艦隊司令官とは思わなかった。
そして匂わされた野心も。
(たった数言の会話の中で彼は私に伝えた)
(いずれゴールデンバウム王朝は自分の手で滅びるであろうと)
灰色の頭脳と呼ばれた彼の知略は、若い金髪の司令官の思考を読み取った。
(大胆な青年だ。如何に言葉を選んだとはいえ不敬罪とやらにあたるかもしるぬというのに)
その自信の表れにも驚嘆させられる他なかった。
(全く、味方には嫉妬されるは、敵には賞賛されるは・・・・普通逆じゃないのかい)
その時アラームがなる。
心当たりは・・・・・ある。
(グリーンヒル大尉・・・だな)
「どうぞ」
『失礼します』
ドアが開き、グリーンヒル大尉が入ってきた。
その瞬間、あのヤン・ウェンリーが、色恋沙汰にそれ程縁のなかった灰色の頭脳が直感を感じた
(・・・・私もどうして・・・・度し難い低脳だな)
side フレデリカ
鼓動がとまらない。こんな事は初めてだ。
「あ、あの」
ヤンは何もいえない。何故ならサーブを打つ権利は彼女にある。
アスターテの前夜、わざわざヤンを捕まえて話があるといったのは彼女だったのだから。
「閣下」
「・・・うん」
「わ、私と、その、あの、えっと」
「私と付き合ってもらえませんか!!」
(言ってしまった!!)
side ヤン
(やはり・・・・・そういう話題か)
「あの?」
グリーンヒル大尉の思いは知っていた。知っていた上で躊躇してきた。
はっきりと分かったのはイゼルローン攻略戦後だった。
そして、今、自分の気持ちに嘘をついてきた、あるいは向かい合わなかった報いを受けているのだろう、ヤンはそう思った
「グリーンヒル大尉」
「ハイ」
彼女の声が震える。顔が強張る。
「私は人殺しだ」
彼は言い放った。まるで断罪を望むかのように。
「それに、生活能力はないし、見ての通りさえない人相だ。しかも政敵もいる・・・・・そんな私で本当にいいのかい?」
(私の心は決まっていたんだな。彼女と再会してから・・・・ずっと)
それは彼女のもっとも聞きたかった言葉
『私でいいのか』
side フレデリカ
「はい。そんな貴方だからこそ、私はここにいます」
そして彼女は驚くべき事実を告げだした
「実は今回の出兵に対して父から艦隊を降りるよう申し付けられました。『もはや命令の撤回は叶わぬ、ロボス元帥はヤン提督を生贄にするつもりだ』と」
彼女は続けた。たった今、自らの伴侶に選んだ人物に。
「父は続けてこうも言いました『卑怯者と罵られようとも構わない。恨まれても構わない、だからお前だけでも』と」
それは父が、ドワイト・グリーンヒルが全てを捨てる覚悟の発言であり行動であった。
そこまで娘を想う父親の気持ちを振り切ったフレデリカにヤンは改めて問うた。
「何故、残った?」
と。
「決まっています。どうせ死ぬのなら貴方と一緒に死にたかったからです」
その言葉と共にフレデリカはヤンに抱きついた。
そして口付けを交わす二人。
ヤン・ウェンリーは生涯のフレデリカ・グリーンヒルという伴侶を得た瞬間である。
このときを後世の歴史家はこう批評する。
「ヤン・ウェンリーが政治の世界を目指すきっかけのひとつは間違いなくこの出会いであったろう。彼は守るべきものが出来た。正確には増えたというべきか。どちらにせよ政敵から自分の大切な人々を守り通す力を彼は手に入れざる負えなくなったと言ってよい。その事はフレデリカ・グリーンヒルに告白された当時のヤン・ウェンリーには分からなかった。だが、嫌でも分かることとなる。それは別の男との出会いによってもたらさるのだった」