英雄学課のトップとして、タカチホ義塾に短期留学したディアーネ。
彼女は早々に留学先での居場所を確保した。
ディアボロスの少女が廊下を歩くだけで、義塾の生徒が壁に避ける。
好奇と畏怖に満ちた視線が、ディアーネの神経を無形のやすりで削り取る。
表情はふてぶてしいまでに無表情だが、内面では胃痛でどうにかなりそうだった。
昼休みでごった返す廊下での一幕。
神話に名高い海割りを、人波で再現した悪魔の少女である。
「纏わりつかれるのとは逆方向にうぜぇ……」
「まぁまぁ、歩きやすくていいじゃない」
能天気な声を掛けるのは、隣を歩く金髪エルフの少女だった。
元々美しい容姿の種族であるが、ディアーネの目にはその中でもかなり上位に写る。
この学園で現在、ディアーネを怖がっていない数少ない生徒である。
「ロクロちゃん、人事みたいに言わないで」
「ああ、ごめんね」
「……なんでこんなことに」
「いや、何でって言われても自爆としか」
「私、頑張っただけなのにね?」
「限度ってもんがあるでしょうが」
この留学はディアーネが望んでいたものではない。
ただ慣例として、彼女が在籍している学課のトップが、この時期に交流として留学すると言うものがあっただけ。
それでも、ディアーネはやるからには手を抜かない少女である。
留学初日から積極的に課題をこなし、近場のラビリンスにも果敢に挑む。
講師からの指示で砂漠からマワシを運び、同級生の頼みで『炎熱櫓』から巨鳥の卵を入手し、この間は『蹲踞御殿』のモノノケ退治から帰還した。
普通ならば、ディアーネは示した実力にふさわしい尊敬と信頼を勝ち取ったかもしれない。
しかし彼女は普通ではなかった。
留学当初、こちらでの知り合いも殆どいない状態で様々なクエストを受け続け……
そのクエストをほぼ一人で、強引にクリアしてしまったのだ。
「毎年、こっちでそれなりのパーティーにくっつけてクエストに挑戦させるってのにさー」
「そんな事知らなかったもん。初めて留学にきたんだもん」
拗ねたように呟く悪魔の少女。
このような事情により、ディアーネはプリシアナ学園の名を高く轟かせる事となった。
一方で一部教師からは、やや協調性の欠ける行為とのマイナス評価を受けることにもなっているが。
元々ディアーネはパーティーに強い憧れと理想を抱いて、プリシアナでは出遅れた生徒である。
最初の熱病が冷めてしまえば、人懐っこい性格と圧倒的な実力を持って、ロクロのパーティーに居ついていた。
「ま、こっちとしては大助かりよ? カータロは役に立たないし、トウフッコは腹黒いし」
「私の相棒も腹黒いけど、あの子のは……まぁ、多少不安定になるのも仕方ないんだろうね」
苦笑したディアーネの脳裏に、雌雄同体であるというフェアリーの顔が思い浮かぶ。
出会った当初はその性格や言動に毒を感じ、嫌悪感すら覚えた悪魔の少女。
しかしディアーネはフェアリーの複雑な心境を知るにつれ、毒も気にならなくなってきた。
「……歓迎会の件は、説教しておいたから」
「あぁ、ありがとねロクロちゃん」
ディアーネから見るに、トウフッコはカータロに何らかの好意を抱いている。
その正体まで踏み込む心算はない悪魔だが、当のカータロ本人は隣を歩くロクロしか見ていない。
しかもカータロの好意の示し方は全く隠す気のない直球である。
そんなものを隣で見続けてきたフェアリーの心境は、いかばかりか……
「……」
想いの一方通行は辛い。
それがどれ程純粋なものであれ、或いは純粋な想いだからこそ、報われずに朽ちる時に毒を放ってしまうのだろう。
悪魔の顔にほろ苦い笑みが浮かぶ。
そんなディアーネの横顔を見つめるロクロは、このお人好しの悪魔がタカチホ義塾で恐れられている現状に溜息をついた。
「あんたみたいな子が、どうして人様から避けられちゃうのかねー」
「ねぇ? 幾らディアボロスが嫌われてるって言ってもさー」
発言の内容とは裏腹に、能天気な口調と表情で話すディアーネ。
微笑するロクロだが、例えこの悪魔がセレスティアやノームであっても現状が変化していたとは思えなかった。
自分の事になるとやや無頓着なこの悪魔は、他人が驚くようなことを飄々とこなして、その事への評価を喜ぶでもなくさっさと次に興味を移す。
それが周りから見たとき、人によっては不気味に感じることもあるのだろう。
こんな会話をしながらも、廊下では現在進行形で人混みが真っ二つに裂けていた。
親しげにしているロクロでさえ、今の関係が築けたのは偶然だと思っている。
彼女はディアーネが突っ走り始める前から、訪れる留学生に好意的であろうと決めていた。
それは相手が常識的な人格をしていることが前提だったが、そもそも学校の顔として他校から送り込まれる生徒である。
優秀なことは勿論だが、それほど付き合いにくい者が来たりはすまいという計算もあった。
ロクロの予想は当たり、ディアーネは好意に対しては好意を返してくれる少女だった。
二人は直ぐに打ち解け、行動を共にすることになる。
「ディアーネ、午後は?」
「ウズメ先生と……鬼ごっこかな」
「鬼ごっこ?」
「うん。結構難しいんだこれ」
タカチホ義塾でディアーネが直接師事しているのは、クラッズの教師であるウズメだった。
これはリリィの紹介によるものである。
「リリィ先生……」
「だれ?」
「あ、うちの学校の保険医さん。良い先生なんだけどさ」
「うん」
「もしかして、各校で保険医ネットワークとかがあって、繋がってたりするのかなぁって」
「そういうのがあるって話は、聞いたこと無いけどね」
「そっか。いや、ちょっと気になっただけなんだけどさ」
ディアーネはドラッケン学園へ留学した相棒と、手紙による連絡を欠かしていない。
その中で、相棒がやはりあちらの保険医を師事していると知らされていた。
どちらもリリィの知り合いであり、紹介であると言う。
元々冒険者養成学校の三校は、それなりに交流が厚い間柄。
校長同士以外の教師の繋がりと言うのはあまり知られていないが、あったとしても不思議ではない。
「その追いかけっこってさ。あんたが鬼?」
「両方鬼かなー」
「で、捕まえられないんだ?」
「一方的になる。上手いんだよねあの先生」
ロクロはディアーネの強さを間近で見てきた生徒である。
彼女はどのような訓練をすればそうなるのかと言うほど、一対多数に慣れている節があった。
左右の手に一振りずつ剣を携え、正確な一振一殺で数を減らす。
その剣技は今までこのエルフが見てきた、どの生徒のモノより流麗であり酷薄だった。
炎熱櫓のスライムが、蹲踞御殿の白鯨が、彼女一人で屠られていく様は、白昼夢を疑うほどに現実味に欠ける出来事だったのを覚えている。
「ウズメ先生も大概だけど、あんたも相当の筈なのになー」
「私なんてまだまだっすよ」
「既にウチの裏番状態なのに?」
「言うなっ」
頬を引きつらせて反論するディアーネ。
この悪魔は本当に、大した事はしていないつもりだった。
事前に聞かされていた、タカチホ義塾周辺の強力なモノノケ達。
しかし実際に手を合わせてみれば、彼女が『冥府の迷宮』で見た魔物の方が遥かに強かった。
そして其処の魔物に完敗しているせいで、今一つ自分の強さを掴み切れていないのである。
彼女にすれば、未だに自分が英雄学課の首席にいることすら出来の悪い冗談に聞こえた。
「学課でいうと、ダンサーになるんだっけ?」
「ん……ダンサーとカンフーで、良い所取りかなぁ」
「何そのご都合主義学課?」
「まだまだ、こんなもんじゃ足らないっすよ」
「……あんた何処まで行く気なのよ?」
「そりゃ、相棒において行かれないようにねー」
緩んだ顔で過酷な修練をこなす悪魔の原動力が、まさに此処にあった。
ロクロが見る限り、この悪魔は本当に嬉しそうに相棒の話をするのである。
留学の初日から行動を共にする間柄だけあり、その話は既に幾度も聞かされているエルフ。
ロクロはまだ見ぬディアーネの相棒、エルシェアの事を想像する度、全体像が掴めずに苦笑する羽目になる。
才媛、百合腐女子、サディスト、へたれ、美人、利己主義、人情家……
等々、それに纏わるエピソード添えで語られるのだが、いかんせん同一人物の話をされているような気がしないのである。
しかし話の最後には、必ず同じ言葉で〆られるのだ。
「エルが本気出したら、私なんか足元がせいぜいだもん。頑張らなきゃ」
「あんたより凄いって言うのが信じられない……」
「んふふ、何時か紹介するっすよ。自慢の嫁」
「嫁?」
「そ。嫁」
其れはコンビを組んだときの女房役と言う意味だが、ロクロがどう捉えたかは分からない。
それにディアーネにはこの時、発言や表情の軽さほど、心穏やかだったわけではなかった。
タカチホ義塾に留学し、早一月。
出会ったときから才能の塊のようだった天使が、一体どれほど伸びているのか……
傍で顔を見ることが出来ず、実感が乏しすぎる。
しかし、必ず歩みを進めているという点には何の疑問も無いディアーネであった。
「負けてらんないっすね」
「相棒に?」
「いや、自分にさ」
負けられない、負けたくない
ロクロが見るディアーネは、必ず最後にそう呟いた。
急速に和やかさが減じた悪魔の横顔を、エルフの少女が興味深げに眺めていた。
§
タカチホ義塾……
それは移民の文化を色濃く残す、大陸南端の冒険者養成学校である。
校長のサルタは穏やかな人となりで知られ、各教師陣も優れた文化の継承者達が集う学園。
生徒達の制服も、異国情緒に溢れた個性的なものであった。
その中に在り、一際異彩を放った装束の女生徒が居る。
「来ないのん?」
「……」
板張りの屋内訓練場で向かい合う二人の女。
余裕の笑みで誘うのは、タカチホ義塾の校医にして教師であるウズメ。
一方、鋭い視線を向けるのみで、動かない女生徒。
少女は赤を基調とした自校の制服に身を包み、襟に光る校章はプリシアナ学園のソレ。
ディアーネは木製の刀を二本、それぞれの手に納めている。
やがて彼女は、右の刀を右肩に担ぎ、左の刀を右の脇に構える。
「行きます!」
やや右に捻った体幹から、その身体がはじけ飛ぶ勢いで前進する。
ウズメの目から見るその動きは、やはり未熟なものだった。
最初に体の右側に刀を纏めたその姿勢は斬撃を放つ構えであり、移動する構えではない。
右に溜めた刀を左側に振るときに真価を発揮する構え。
其れを意識して駆けるディアーネは、走る姿勢がやや不自然であり加速が鈍い。
開幕の姿勢から、少女のミスが見て取れた。
「うふふ」
ウズメは身体を一度右に傾け、反動で左側へ。
ディアーネが二刀を構える反面へ滑り込む。
「っち」
右に溜めた重心を更に右に移すことは、人体が二足歩行をする以上、不可能ではないにしろ困難である。
それでも悪魔は上体の力だけで右の刀を打ち下ろす。
ウズメは一歩踏み込むと、ディアーネの刀の握りを掴む。
そのまま手首を極め、ひじを極め、肩を順に極めていく。
「ぎ!?」
「ほーら」
右手を逆手に捻られながら、背中に嫌な汗をかくディアーネ。
彼女は力に逆らわず、ウズメの捻る方向に身体を逃がして自分で飛ぶ。
もしも無理に逆らえば、関節を拉ぎ折られたろう。
クラッズとディアボロスの身体能力の差は、この際あまり関係ない。
幾らディアーネでも、ウズメの両腕の腕力を手首一つで跳ね返すのは不可能だった。
ディアーネは自分の身長の三分の二にも届かない相手から、綺麗な投げを極められる。
信じがたい光景であったが、ディアーネは既に受け入れていた。
本人の語りを信じるなら、ウズメは此れでバハムーンすら投げ飛ばせると言うのだから。
「良い反応ねぇ。自分で飛ばないと、肘から逝っちゃったわよン」
「初日それで折られてますから」
床に身体を打ちつけながら、ディアーネは怯まず刃を振るう。
ウズメの足元を狙う右の刃にと、クラッズの低い身長故に、比較的近い喉を狙って突き上げる左の刀。
教師は微笑のまま、足元に来る刃を踏みつける。
「はぁ?」
「一本目~」
上げた足を下ろす。
それだけの動作の、何処にそんな力があるのか。
そう疑いたくなる光景だった。
ディアーネの右刀は、ウズメの足の下で真っ二つに圧し折れる。
同時に突き出した左刀は、仰け反ったウズメの身体を捕らえられない。
彼女は刀を引こうとし……全く動けず固まった。
「引かないのん?」
ウズメは刀の峰部分から、小さな手の平で腹部分を握っている。
木刀は片刃の作りなので実際でも手は切るまい。
生徒と教師が握り締める木刀が、両者の中間で震えている。
穏やかに微笑するウズメに、歯を食いしばるディアーネ。
両者の間に込められた力が尋常でないのは、木刀の軋む悲鳴が物語っている。
「ふっ!」
「あん?」
ディアーネは戻せないと悟ると、逆に突き出しながら立ち上がった。
生徒の引きに対して、等量の力で引いていたウズメ。
逆に押されたその時に、小さな体が踏鞴を踏む。
悪魔の少女は舌打ちし、相手に合わせて退いた。
よろめいたウズメに追撃はしない。
「今来なかったのは、どうして?」
「あんた下がりながら溜めたでしょうが」
「あら……もう視えるのねぇ」
満足げに頷くウズメに、苦笑するディアーネ。
元々、ウズメはバランスを崩してさえいなかった。
刀を出されたときにふらついたが、重心は全くぶれていない。
常に自分の体重を腰の中心で捕らえ、相手の前進に合わせて逆撃を入れる事の出来る体勢だった。
ディアーネは最早、ウズメの見せ掛けの姿勢を当てにしていない。
それでも、ありえない姿勢と状態から、体重の乗った打撃を食らい続ける日々だったが。
「今私に投げられた時、左手を使えなかったでしょう?」
「はい」
「二刀使いでも、加重を乗せた斬撃を撃てるのは一方向のみ。カバーできる範囲はそう広くないのよ」
「うぃっす」
「それと、あんなに簡単に持ち手を取られるのは軌道が単純だからよん。二刀流の弱点、一刀流より剣閃が単調になるわ」
「……マジで?」
「えぇ。今もっている刀を両手で握って御覧なさい? 左手は柄尻に小指が掛かるように、拳一つ半開けて右手を添える」
言われた構えを取りながら、ディアーネは刀を正面に構える。
其れはこの地方で正眼と呼ばれる構えである。
「そのまま左手だけ動かして?」
「お……おぉ?」
ディアーネの左手が一寸動くだけで、その切っ先が一尺動く。
初めてとった構えだが、ディアーネは刃の動きに魅入られた。
盾を持つのとは違う、二刀を使うときとも違う。
一つの刀に腕の機能を全て使う事で、初めて得られる一体感がある。
そして気がついた。
両手で刀を握るこの姿勢であれば、そう簡単に持ち手をとって捻ることなど出来ない。
「二刀を使えると言うことは、其れ相応の腕力もついたと言うことよね」
「そうっすねー。先ずは握れないと意味ないっすから」
「その腕力をたった一つの得物に全て捧げる……それによって得られる一体感は、どうかしら?」
「うん……これ、凄い……悪くない」
ディアーネは刀を二度、三度と振りながら身体の新しい使い方を覚えていく。
其れは傍で見ているウズメに、感嘆の目を見開かせるほどの進歩だった。
僅か三回の素振りで、ディアーネは両手の刀に加重をかける身体の使い方を覚えてしまう。
四度目からは刀の風切音が全く違い、切り裂かれた空気が一瞬遅れて戻る様子が、視認出来ると錯覚するほど鋭かった。
「だけど、此れだとちょっと……大人数相手に厳しくないっすか?」
「そうでもないわよん? 貴女は一振りで一人を倒していく天性があるわ」
「……それ出来ないと、敵が後衛に手を出す余裕をやっちゃうっすからね」
「其れも正解ねぇ」
ウズメはそう言いながら、無造作に歩いてくる。
ディアーネの視線が細くなり、殺気に近い感覚が木刀を通して放たれる。
其れは二本の刀を構えていたときとは、桁違いの威圧感。
肌で感じたウズメは、やはりこの生徒には一刀に入魂するほうが向いていると感じるのだ。
「その攻撃力は貴女の武器よん。その上で、貴女に必要なものがある」
「防御力?」
「んーん。不正解」
ディアーネの答えを否定しながら、ウズメはふと気がついたように小首を傾げる。
「あ、もしかして防御力のほうが欲しい?」
「……どっちかって言うと、斬られる前に斬りたいっす」
「あぁ良かった。貴女が守りたいっていうなら、先生そっちを教えないといけなかったわん」
ウズメの瞳が鈍く輝き、爬虫類のような鋭さを宿す。
「貴女の才能が、それで磨耗するって分かってても……ねぇ?」
「生徒の過ちを正すのは教師の役目じゃないっすか?」
「自主性の尊重が今の主流だもの。生徒が自己実現出来るように導いてゆくこと……それが教員試験の模範解答なのよぉ」
「良いね、良いっすねそれ。あんた生徒が不幸になるって、分かってても止めねぇだろ」
「望みの先にあるのが破滅だとしても、其れを自ら悟れない子に興味無いわン」
自分の持っている才能を正確に自覚し、その方向性を自ら定められるもの。
それはウズメが自らの弟子たる相手に望む、唯一にして絶対の条件である。
そんな生徒が道に迷った時に、ウズメは初めて歩き方を伝授する。
ウズメは自分が、一対多数の講義に向いていないことを内心で知っていた。
「ま、あんまり地を出すと嫌われちゃうから、本腰は入れないようにしてるんだけどねぇン?」
「私には良いんすか?」
「貴女は、リリィが期待してる子だもの……実はもの凄いワクワクしてたのよぉ~」
「うっわ……」
唇を舐める仕草が、ぞっとするほど艶かしい。
子供のような見た目の種族でありながら、その芳香は成熟した大人の其れである。
ディアーネは奥歯をきつく噛み締めると、下腹に力を入れて睨み返す。
この艶こそが、ウズメの気当りなのである。
叩きつけるような威圧感や、刺すような殺気ではない。
虫を粘度の高い蜜で絡め殺す、食虫植物の気配。
構え直すディアーネを見たウズメは、蕩けるような吐息で感嘆する。
「切り替えたか。ズルイわぁリリィ……自分ばっかり美味しそうな生徒独占して」
「……ドラッケンで相棒が、保険医が毒婦だって言ってた。あんたも相当っすねっ」
「私とカーチャが似てるというなら、自ずと分かるでしょう? 保険医としてはリリィの方が、マイノリティなのよん」
ディアーネはプリシアナに入学を決めた過去の自分を、心の底から褒めてやりたい心情に駆られた。
甘い相手ではないことは知っていたが、此処まで徹底しているとは思わなかった悪魔である。
そして、ウズメがこのような一面を見せたと言う意味も、ディアーネには分かる。
自分はこの時、初めてウズメに認められたのだ。
此処から先にある講義こそ、ディアーネの望んだ領域。
ウズメの技法の奥義の一端がある。
快感で背筋が泡立つのを感じた悪魔。
その刃の一歩手前で、ウズメは足を止める。
「ちょーっと……待っててねん?」
ウズメは稽古靴の脱ぎ捨て、やはり艶かしい仕草で靴下も脱ぐ。
素足になった教師は、一つ二つをステップを踏み自分の足場を確かめた。
その足捌きは、傍で見ていたディアーネが戦慄するモノだった。
小柄なこの教師が、まるで樹齢千年の大木のように錯覚する程、凄まじい安定感で動いている。
ディアーネには例え相手が上体を九十度傾けても、絶対に崩れないと言う確信があった。
「さ、それじゃ……絶招見せてあげるわね」
「こぉ……」
ディアーネは深く息を吸い、今一度下腹に力を込める。
そのまま体内に酸を形成し、肺の中で練磨する
吸った息すら甘く感じるほど、ウズメの気配が艶を帯びる。
其れを錯覚だと否定しつつ、呼気と共に気を放った。
「かぁあああアァアアアぁっ!」
ディアボロス種族特有の、アシッドブレス。
当てる為ではなく、避けさせて動かすことを目的である。
読み通り、ウズメはブレスを避け様にディアーネの右手に回り込んだ。
気合と共に、ディアーネの刀が迸る。
先程の二刀時より遥かに速い斬撃はウズメの前進をはじめて阻んだ。
足を止め、右手を挟んで凌ぐウズメ。
その腕ごと圧し折る心算で悪魔の刀は振り切られ……
ウズメの服の下に仕込んだ、手甲に遮られた。
「真剣、使う?」
「どうせ切れないなら、硬いこっちが……あ」
応えかけたディアーネは、不意に戦闘態勢を解く。
額に落ちかかる髪を掻き上げ、一度だけ深呼吸する。
殺気立っていた自分を内心で苦笑し、人懐っこい笑顔でウズメを捕らえる。
「ちょっと、武器交換していいっすか?」
「なに使うのん?」
「木刀、もう少し重い奴が欲しいなー」
そう言って踵を返し、訓練場の器具室へ歩いていく。
無防備に背中を向けながら遠ざかる生徒に、ウズメは一人呟いた。
「あの子……いいなぁ」
ウズメは大勢に対して自分の技術を仕込むことに向いていない。
しかし自身が会得した技術を、誰にも伝えずに朽ちる心算も無いのである。
ある意味で、この学園で誰よりも貪欲に才能との出会いを求め続けてきたウズメ。
そして今、漸く巡り会えた逸材がある。
あと二ヶ月と言う留学期間がもどかしかった。
「あの子、欲しいなぁ」
苦い笑みを浮かべながら、訓練場の天井を見つめるウズメ。
無いもの強請りする子供の心境と理解しながら、旧知たるリリィが本気で羨ましいウズメだった。
§
「いいわねン。一刀両手持ちも、スムーズに切れてるわ」
「ありがとうございます」
幾度かの攻防の末、ウズメが生徒に休めを命じる。
ディアーネは切っ先を正眼から自在に変化させ、多様のタイミングで間合いに浸透するウズメを阻み続けた。
一度も捕らえられはしなかったが、その度にウズメを退かせることは成功している。
避けてくれているというのは、ディアーネ自身も理解している。
しかし斬撃が及第点に達していなければ、ウズメは手痛い反撃を叩き込んでいるだろう。
その点では、ディアーネは自分の剣技にそれなりに満足できた。
「一度も足を止めなかったわねぇ。一撃離脱を狙っていたみたいだけど?」
「離脱というか……本当は一撃必殺を繰り返して戦い続けたいんですよね」
「動きの中で必殺の力を溜め込むのは、発想としては悪くないわン」
「でも、其れだと手数が出せないんすよ」
「……だから二刀に手を出してたのねん」
「ええ。試験的にではありましたけど……」
二人は修練の内容を語り、それぞれの情報を交換していく。
ディアーネは此れまでの結果と、今後目指したい目標を。
ウズメはその道筋を、自分の経験から導き出す。
「前衛は一撃必殺の手段を持っていなければ、相手に圧力をかけられない。貴女は一刀の方が向いてるわん」
「うぃっす。もう少し煮詰めれば、上体の動きに足も追いついて来れそうっす」
「貴女の性格を考えても、小手先で戦うのは向いてないしねン」
「だけど其れだと、先生みたいな達人には当たらないんすよねー」
「……難しいわねぇ。必殺と必中は、両立させなければ意味が無い。出来ないときは必中の方が優先順位高いのよン」
「むぅ……」
二人は腕を組んで考え込んだ。
とにかく、基本方針を定めなければこの先の訓練が迷走する。
最初の一ヶ月近くをタカチホのクエスト攻略に勤しみ、ウズメとろくに顔を合わせなかった時間が痛かった。
「パーティーで一緒に戦うなら、仲間と状況を作るって無理っすか?」
「……まぁ、其処までお友達におんぶ抱っこされる前衛に納まるなら別に止めはし――」
「嫌っす」
「孤戦を凌げない前衛だと、安定感が乏しいわねぇ。安定感の無い前衛って後衛にとっては胃痛の種よン」
甘い考えを切って捨て、ウズメは思考を巡らせる。
ディアーネの剣技は多数を相手に動きながら振ることを前提としている。
その発想は間違いではないと思うし、実践で使える領域まで練り上げられてもいた。
既にタカチホ義塾の生徒達に畏怖の目で見られているこの留学生は、『生徒』の枠の中では十分に強いのである。
最もこの段階で本人も、そしてウズメ自身も満足する気はさらさらない。
「とりあえず、貴女が苦手そうにしている間合いの穴埋めが合理的かしら?」
「苦手な間合い……剣の外とか」
「ハズレ」
「あ!?」
ウズメが眼前に沸いた。
そうとしか形容出来ない自体が、目の前で起こった。
確かに向き合って語り合っていた教師が、唐突に至近距離……
其れも腕を伸ばしきらなくとも触れ合える、密着間合いを取られていた。
「此処から出来ること、あるかしらン?」
「うぐっ」
この距離で武器を振り回すことは出来ない。
至近距離とはいえ、ほんの少し離れれば刀の鍔や手元を使った打撃もある。
しかしこれほど隣接されてしまうと、小柄なクラッズを引き剥がす術が悪魔には無い。
「まぁ、この間合いに入れない事が至上命題になるんだけどね?」
「……」
「でも、一対多数を相手にするなら避けられない状況でもあるわぁ」
解説を聞きながら、ディアーネは全く動けなかった。
わき腹に添えられた、ウズメの左拳。
此れがディアーネを完全に威圧し、あらゆる行動を妨げている。
どのように動こうとも、ウズメの初速はディアーネのそれに勝る。
この状況から、ディアーネに避ける術は無いのである。
背中に冷たい汗が伝うのを、悪魔はこの時自覚した。
「因みに、遠い敵の魔法なんて考えなくてもいいのよ?」
「其処まで寄って、切れば良いっすね」
「そ。つまり貴女の穴は、この間合いに入られた相手を突き放すゼロ距離打撃……」
「是非、ご教授願いたいっす」
「勿論よぉ……だけどその前に聞かせてねン?」
「うぃ?」
ウズメは顔を上げ、邪気の無い笑顔で悪魔を見据える。
普段から艶を振りまいているこの教師の無邪気。
其れは、相手を馬鹿にしている時の顔。
「加減いる?」
挑発の返礼は、数倍の苛烈さを持って見舞われた。
「本気で来いババァ」
我が意を得たりと、ウズメが動く。
ディアーネはウズメの左足が踏みしめる床が爆発したような錯覚を見た。
同時にディアーネは身を捻る。
最早回避が不能なのは、十分承知していた悪魔。
挑発によって打撃のタイミングを限定し、軸をずらして凌ぐしかない。
「……」
一方、ウズメは左足の更に先……親指を使って床を噛む。
其処から足首、膝を通る力を、腰で回して倍加する。
威力が肩まで昇った時に、右脇を締めて腕を胸側に畳む。
その動作で背筋を引き絞り、上体の捻りを咥えて左の手首を硬く締める。
足の先端から腰の捻り、上体の振りに加重移動……
人体で練成出来るあらゆる力が、ウズメの左拳を媒体にして悪魔の身体に透される。
「―――……!?」
痛覚は、都合よく寝てくれた。
しかしそれ以外の感覚は研ぎ澄まされていた。
ディアーネは生まれて始めての直線的高速低空飛行を体験し、忘我の数瞬の後に訓練場の壁へ叩きつけられる。
「ぐぃいいいいぎぁああっ」
其れを合図にしたように、痛覚が目を覚ます。
床に落ちた悪魔の身体は、床をのたうつ様に転げ……回れない。
身動き一つ取れない身体は、只管に痛みを訴えてきた。
全身がバラバラになったような痛覚が駆け巡り、打たれた場所すら自覚できない。
そんな悪魔に歩み寄り、何時もの艶めいた微笑を向けるウズメ。
「……ふっ、っぐぅぁ」
驚嘆すべきであったろう。
ディアーネは直前まで上げていた悲鳴を、ウズメの気配でかみ殺した。
必死の思いで首を上げ、見下ろす教師と目を合わせる。
「今の作戦は悪くないわん。だけど私に対してってことなら、最悪手と言ってもいいわぁ」
もがく事も出来ずに呻くディアーネの傍にしゃがみ、見上げる生徒の頭を撫でる。
ウズメの目が、全く笑っていなかった。
ディアーネは極々純粋な恐怖で、一瞬だが痛みすら忘れる。
「女性を歳で挑発すると、藪に蛇じゃすまないのよン?」
「……肝、に銘じ……ま」
「打撃のタイミングを誘導する……その意図は二重丸上げちゃうわ」
「……うぃっす」
「あの打撃は接触面から破壊力を通して、内部から外に奔る衝撃で、対象をばらばらに粉砕する打法ね? 私、指先からでも撃てるわよぉ」
「……私も、出来る?」
「覚えさせます。覚えたら次に歩法の基礎ね? 留学中に貴女に仕込めるのは、この二つが限界かな~♪」
「……あい」
がくりと首から力が抜け、悪魔は完全に倒れ伏す。
屈服したディアーネは、奇しくも遠いドラッケンへ留学した相棒……
堕天使エルシェアが到達した真理と同じものを噛み締めることとなった。
「はい。じゃあ、今のでずれた骨格矯正しましょうか……加減、いる?」
「……お願いしますお姉さま」
「ん、良い子良い子」
「保険医、こえぇっす」
「世界で一番恐ろしいのは、保険医なのよん?」
「今、身に染みて理解してます……」
破壊と治療を全て自分でこなしてしまう学園保険医。
ディアーネはエルシェアも、同じような相手を師事していることを知っている。
顔も見れない相棒の近況が、この時はっきり分かった気がした。
きっとあの堕天使も、自分と同じような目に遭っているに違いなかった。
§
後書き
こんにちわりふぃです。
今回はディアーネさんの魔改造編になりました。
前回の堕天使に引き続き、フルボッコにされているだけともいうかもしれません(*/□\*)
タカチホ義塾は、書くとき少し難儀しました。
あくまで私個人の感想ですが、原作のこのルートは、序盤かなり理不尽に感じる丸無げ戦闘をさせられる事が多く、進行が苦痛になるレベルでした。
しかしある時……確か三学園交流戦の最後、タカチホ義塾内での同級生戦だったと思います。
私のゴーストが囁きました。
『トウフッコ→カータロ→ロクロ→?』
この相性図が閃いた瞬間、生暖かい瞳でこいつらを見守るお母さん視点が確立されまして、快適すぎるプレイ環境に一変したのは懐かしい思い出です(*/□\*)
トウフッコが妙にカータロに毒がきついのはツンデレ乙!
こっちに理不尽な戦闘投げてくるのは、仕方ないですよねこっち女性六人パーティーだもの!
ライバルになりそうな相手は円滑に排除するとかもう戦場では当たり前!
頑張れトウフッコ! 私は君を応援するぞ!(*/□\*)
なのでロクロちゃんはこっちに任せてくださいな!
こんな感じで突き進んだタカチホルートだったと思います。
このシナリオ、一番妄想で悪乗りしてた気がするなぁ……w