プリシアナ学園北校舎の一角にある保健室。
冒険者養成学校の救護施設ということで、それなりに設備の整った場所である。
一ダースのベッドと様々な医薬品を備えた、保険医リリィの持ち場たる療養所。
常ならば保険医本人しかいないこの空間に、珍しく二人の男女が居た。
「……動けねぇ」
ベッドで呻いたミイラ男は、この学園の生徒。
竜の祖先を持つ種族、バハムーンの少年である。
彼は手足を包帯で身体ごと巻かれ、『丁重に』ベッドに寝かされていた。
「動けない? 其れは結構。両手足の腱を切ったのに動けたら、わたくし困るところでした」
「切っ!?」
「冗談ですよ? あ、切ったのは本当ですけどもう繋ぎました」
物騒な事を平然と言うのは、薄桃色の長いウェーブヘアの少女だった。
その背中と側頭部に対の羽を持つ、天使の血を継ぐ種族セレスティア。
少女はプリシアナ学園指定の制服の上からサイズの大きい白衣を着込み、ベッドで呻く少年を見下ろしていた。
「此処は……保健室だよな? なんだ、俺負けたのか?」
「無様に這い蹲ったのは君ですよ、バロータ君」
バロータと呼ばれた少年は、渋い顔をした……様だった。
顔までしっかり包帯が巻かれていたため、表情の確認までは出来なかったが。
「おい、エル。ちょっと良いか?」
「どうぞ」
「随分大げさな格好にされちまってるけどよ、俺はどうなったんだ?」
「ふむ、何処から説明したものか……貴方は何処まで覚えています?」
「あー……開幕お前の顔面に一発お見舞いした筈だぜ?」
「……随分と都合の良い所だけ、記憶なさっているのですね」
深い溜息を吐き出して、セレスティアの少女は肩を竦めた。
この少女……エルシェアとバロータは、『三学園交流戦』において直接対決を演じていた。
きっかけはエルシェアが、この少年の魔宝石を奪おうと襲い掛かったことによる。
バロータは善戦したものの、最終的には地力で勝るこの天使が勝利を収めた。
彼は動けなくなるまで少女の剣に切り刻まれ、集めた七個の魔宝石を奪われたのだ。
当時の状況を思い出すにつけ、不甲斐無さに落ち込むバロータ。
「……負けちまったのか」
「……」
先制したのは彼だったが、エルシェアが短期決戦を諦めてからは戦況が完全に落ち着いた。
勿論少女に有利なまま。
エルシェアは魔法盾『アダーガ』を構えて徹底的な防御に専念。
そのままバロータが攻撃してくる都度、盾から展開する魔力刃で相手を削る。
攻める度に自らが痛んで行く現状に焦った彼が、やや雑になった所を『エストック』で刺して行く。
其れは一息に勝負を決めるモノではなかったが、バロータが倒れるまで、一度も流れが変わることが無い戦闘。
正に封殺と行って過言ではない勝負だった。
バロータは身を捩るように動かすと、見下ろすエルシェアと目を合わす。
特に思うことも無いのか、少女の表情は沈んでいるように見える。
しかし今一つ、彼には確認しなければならない事があったのだ。
「お前さ……俺を此処に運んだのか?」
「はい」
「その後、何してた」
「別に……何もしておりませんよ」
「……そうか」
バロータは勝利に喜ぶでもなく、微妙な表情をしている少女の様子を理解した。
エルシェアは何も、バロータ一人を標的にしていたのではない。
彼女は交流戦で確実に勝つために、魔宝石を手に入れた生徒から其れを奪うという裏技に踏み切ったのだ。
其れを察したバロータは、実力差を承知して彼女に挑んだ。
彼は自分以外の被害者を出さなかった。
この天使の戦略目的からすれば、バロータとの勝負に手間取り過ぎた失敗と言っても過言ではない。
「っへ、なら引き分けにしておいてやらぁ」
「誰の慈悲で生かされていると……」
頭を抱えたくなったエルシェアは、一つ息を吐いて椅子に座る。
其れが本来リリィが座る椅子だと気づいたバロータは、漸くこの場に居るのが二人だけだと理解した。
「リリィ先生何処行った?」
「先生でしたら、大聖堂です。交流戦の結果発表と、表彰式に出ていらっしゃいますよ」
「おめぇは?」
「私は神様の近くに行くと蕁麻疹が出るので、看病という名のさぼりですね」
そう言って笑う少女は、とても少年を切り刻んだ者と同一人物には見えなかった。
バロータは包帯を引き千切って起き上がる。
中からはしっかりと魔法で癒された、五体満足の少年の姿。
やはり完全に全身を拘束されたミイラスタイルは、腹黒い天使の嫌がらせだった様である。
半眼で睨み付けてくるバロータに、少女は口元を手で隠して微笑していた。
「蕁麻疹ってのは兎も角、ああいう場所が全然似合わねぇセレスティアってのも珍しいよな」
「ですよねぇ。普通は一番絵になる筈なんですけど」
「あ……似合うって言やぁよ、お前知ってるか?」
「お?」
「俺、前に奉仕活動で大聖堂の掃除を買って出た事があるんだが……」
「居眠り罰則は奉仕活動とは言いませんよ?」
「黙れ。まぁ……掃除やってるときな? お前さんの相棒が来た事があったんだよ」
「大聖堂に?」
「おう。ディアボロスじゃ珍しいだろ? 何やってるのかと思ったら、あいつ祈ってたんさ」
「へぇ……」
「ステンドグラス越しの光の中で跪いてよ……ありゃ、本当に綺麗だったね」
「……写真とか取ってません?」
「流石にねぇな……」
「……役立たず」
氷点下の視線で少年をねめつけるエルシェア。
理不尽な八つ当たりに苦笑したバロータは、当時の事を思い出す。
「もう半年以上前の事だぜ? お前らが組み始めたのって最近だよな」
「そうですね……本当に、まだ夏と秋を越えただけでした」
「うちの学校だって、自発的に祈りに来る奴なんて一握りだ。しかもそいつが悪魔で……美人と来たもんだ」
「……」
氷点下だった眼差しが、更に冷え切ってゆくエルシェア。
バロータはそんな視線に気づくことなく鮮明に口を滑らせて行く。
腕組みをして、瞳を閉じ、当時の状況を記憶から掘り起こしていく竜の少年。
エルシェアは椅子から立ち上がり、白衣を脱いで折りたたむ。
「ほら、そうなるとやっぱり興味も沸くじゃね? 一個下の後輩ってのも萌えだしよ」
「ええ、後輩っていいですよね」
天使は極力自然を装い、少年の戯言に答えてやった。
そして白衣の下に着込んだ学園の制服を、一つ一つ脱いでゆく。
「そこでコナかけねぇのは男じゃねぇだろ。俺は勿論お近づきに為るべく声を掛けたさ」
「まぁ、積極的な事ですね。男性の魅力の一つではありますわ」
「だろ? あ……勿論お祈りが終わるまではしっかり待ってだぜ? あの横顔見てるだけで、時間が経つのも忘れるってもんだ」
「――お羨ましいことです」
少年は自分の語りに熱中しているらしく、少女を気にした様子は無い。
エルシェアはバロータの背後からそっと近づく。
服を脱ぎつつ音も無く寄るというのは通常なら至難だが、彼女は天使の血族である。
純白の翼を閃かせ、床から数センチ浮き上がって音を消した。
「で、終わったところで尋ねてみたんだ。熱心に何を祈っているのか」
「彼女……なんて仰っていましたか?」
「何時か、運命の人に会えますように……って祈ってたんだ。ちょっと寂しげな微笑でさ、照れたみてぇにそう言ってた」
「へぇえ……運命の人ですかぁ」
エルシェアの翼が白から黒へ、一瞬で変色した。
『堕天使学科』への『転科』である。
更に音も無く愛用の片手鎌、『シックル』を右手に召還した。
少女の口元が歪む。
最も近い表情は笑みだが、纏う雰囲気は殺気である。
「俺はあの時、神の存在を確信したね! あの子の心の隙間を埋めるのは俺しかいねぇ! あの子の両の手を握りながら俺は……」
「……は……す」
「あ……あ!?」
叩きつけるような殺気と、呟くような少女の声。
地獄の底から搾り出されるようなどす黒い声音に、バロータが振り向いた。
そして絶句する。
黒染めの翼をはためかせ、下着姿で鎌を構えたエルシェアの姿。
ありえない光景に頭の中が真っ白になった少年。
しかし危地に陥ってからの思考停止程、愚かな事は無いのであった。
「あな……では……や……く……です」
「え……あれ?」
「あなたでは、やくぶそく、です!」
濃密な殺気と共に振り下ろされた片手鎌。
少年は鍛え上げた格闘家としての本能で、その手首を捉えて刃物を止める。
切っ先が顔の数センチ手前で停止した。
バロータは癖でそのまま手首を捻り、武器を奪おうと試みる。
しかし天使の筋力は竜の其れと拮抗し、鎌は全く動かない。
近づかないが、離れない。
「うお!?」
「私より先に出会っていた? 自慢していらっしゃいます?」
「ちょ、おま……」
エルシェアはベッド上のバロータに半ば圧し掛かるようにして、上から鎌で切りつける。
不利な体勢から必死に押しのける少年は、奥歯が折れ砕けるほどに喰い絞めた。
「貴方がディアーネさんを? 口説いたの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
「ま、待て……振られたから! って言うかおめぇ服着ろよ!」
「勿論です。この鎌を振り下ろしたら、直ぐにでも」
「お前っ……一応年頃の娘なら恥ってもんを……っぐ!?」
「大丈夫……数分後の死体に何を見られたところで苦にしません」
微笑と共に左の指先に即死魔法を展開し、少年に突きつける堕天使。
バロータはとっさに手首を掴み、迫る指先に抵抗する。
こちらも拮抗した筋力らしく、震える指先は動かなかった。
バハムーンと力比べするセレスティアというのも珍しいが、結果が拮抗しているというのは更に珍しい光景だった。
プリシアナ学園の片隅で、地味な命の危機に瀕した竜の末裔。
バロータの脳裏に此れまでの思い出が走馬灯のように駆け巡る。
その中には目の前の少女とのモノもあり……彼女が出てくるたびに、何故か死に掛けている自分に気がついた。
「……死神かお前は」
「随分な仰りようですね? 反省の色が無い場合、後五分あったものが八秒になるのですが」
「な、何だよ?」
「貴方の余命」
「おいぃ!?」
エルシェアは左の即死魔法を打ち消し、バロータの手を振り払う。
そのまま右手の鎌を両手に持ち直し、一気に振ろうと試みる。
バロータも即座に開いた手で押さえ、両手の腕力で少女の膂力に拮抗する。
しかしその間隙に、堕天使は完全なマウントポジションを確保した。
いよいよ本格的な処刑の予感を感じる少年。
とっさにブレスを吐こうとするも、その時は少女も攻撃魔法を使うだろう。
緊張状態が少年の精神を蝕み、なりふり構わず悲鳴を上げそうになった時……
スライド式の扉が勢いよく開け放たれた。
「エル! 勝ったよ! でも……ぁ?」
飛び込んできたのは悪魔の少女。
先程からエルシェアの独占欲を刺激してやまない相棒のディアーネである。
「……」
話の主役の登場に、完全に固まる竜と天使。
ディアーネの視線が、下着姿の相棒からバロータへ……そして二人の間の鎌へと移る。
どのような状態なのか理解に苦しみ、悪魔も完全に固まった。
「……」
最初に理性を取り戻したのは、翼もお腹も黒い天使だった。
半泣きになっていた少年とベッドから降り、長い髪をかき上げながら息を吐く。
「いらっしゃい、ディアーネさん」
「あ……ごめんねエル、邪魔だったかな」
「そうですね。後十秒時間をくだされば、バロータ君を確実に葬ることが出来たでしょう」
「ん。後で私も手伝うから」
「お願いします」
「待てや」
命の危機を脱した少年だが、決して味方が来たわけではなかった。
エルシェアは脱ぎ捨てた服を拾い上げ、白衣と共に無人のベッドに持ち込んだ。
病床はカーテンで仕切られている為、ブラインドとして使える。
制服と白衣を着込むエルシェアの耳に、バロータの声が聞こえてくる。
「なぁ、お前さんさ……前に大聖堂で会ったの、覚えてるか?」
「バロータ先輩、奉仕活動してたっすね」
「その通り。で、だ……運命の人って見つけたか?」
「うぃっす。エルに会えたよ」
本人の前であっさりと言い切ったディアーネ。
着付け終わった堕天使は、手を掛けたカーテンを開けられなかった。
自分の顔が赤くなったのが、はっきりと解ってしまったから。
「……だ、そうだが?」
揶揄するような少年の声に、堕天使の何かが再び切れた。
躊躇無くカーテンから飛び出し、相棒の悪魔の下へ跳ぶ。
「……ディアーネさん」
「ん?」
「その男、一緒に埋めましょう」
「エルが言うなら」
「何でだおい!」
一瞬の迷いも無くエルシェアの提案を受け入れるディアーネに、少年が抗議の声を上げる。
其れを丁重に無視しつつ、エルシェアはディアーネを何時ものように緩く抱く。
表情から険が抜け、やっと機嫌を直したらしい堕天使。
バロータは漸く命の危険が去った事を感じ、心の底から安堵した……
§
やっと落ち着いた保健室。
三人の生徒はベッドと椅子を使って円座を組んだ。
「ティティスさんはどうなさいました?」
最初に口を開いた堕天使は、彼女の今一人の仲間の事を聞いてみる。
受けた悪魔は苦笑して、後輩の所在を語った。
「あの子は今、ジャーナリスト学科の子達に囲まれてるよ」
「お……?」
「ティティスってほら、転入直後からアレだったし話題性もあって……最近急に強くもなったからね、新人賞取ったんだよ」
「おお……此れは褒めてあげなければ」
「そうして上げて。あの子も其れを気にしてた」
共通の後輩を想う天使と悪魔。
そんな二人の会話に堂々と割りこめるのが、バロータという男である。
「其れは結構なんだが……結局何処が勝ったんだ?」
「ん……魔宝石の数は、うちと会長のチームが引き分けだったっす」
「引き分けですか……」
エルシェアとバロータは顔を見合わせ、それぞれに深い溜息をついた。
「バロータ君から七個削って、こっちの宝石にして尚同着……」
「結局あいつの一人勝ちか……?」
「まぁ、貴方が一人負けなのは確定でしょうね」
「うっせぇよ」
可哀想な者を見る目のエルシェアに、頭を撫でられるバロータ。
そっぽ向きつつその手を払い、彼は頭を掻き毟った。
ディアーネは一つ咳払いして、相棒の堕天使に向き合った。
「エル、ごめんね」
「何ですか?」
「エルは凄い手を尽くしてくれたのに、私がタカチホでてこずっちゃった」
「其れは確かに負着の一つではありますが、其処だけが原因というわけでもありません」
「ん……」
「私も、自分で考えていた程は動けませんでしたから」
そう言ったエルシェアは、バロータに再び視線を送る。
自身は敗北したが、エルシェアの略奪は阻止できた竜の少年。
複雑な内面をそのまま顔に持ってきたような表情が、天使の溜息を誘っていた。
「エルがさ、あんな裏技考えてたなんて気づきもしなかった」
「裏技というか……私今までなんで誰もやっていないのか、不思議でしょうがなかったんですが……」
「誰もがおめぇみたいな腹黒だと思うなよ」
「お黙りなさい爬虫類。蜥蜴男」
「んだと鳥類! 蒸して食うぞゴラァ」
常よりも直球の毒を遠慮会釈無く吐き出すエルシェア。
即座に言い返す少年もそうだが、ディアーネから見ても珍しい光景だった。
考えてみれば、彼女はエルシェアが同年代の異性とプライベートで話しているのを始めて見た。
先程エルシェア自身が公言したが、この天使と悪魔の付き合いはいまだ、季節を二つ越えただけ。
最早長年連れ添った気さえしていたが、まだまだ過去より未来を遥かに多く持つコンビであった。
「実はね? 一部の先生からは随分批判も出たんだよ」
「それは予想済みですが……リリィ先生は何か?」
「なんか頭痛そうにしてたけど怒ってはいなかった。困ってたのかなあれ……」
「まぁ、そんなところですか」
「だけどね……ティティスが、真っ赤になって怒ってた。マニュアルを先生に投げつけて、何処に禁止が書いてあるって」
「あの子……其れは私の仕事ですのに」
「……私もそう思って自重したらさ、後輩に全部持っていかれた」
苦笑したディアーネに、エルシェアは同じ笑みを返した。
「でもさ……エルが一人で背負い込んだのと、私が不甲斐無かったせいで後輩に負担かけたのは……忘れちゃ駄目だと思う」
「……同感です。交流戦の前日までには、貴女とは相談すべきだったかもしれません」
「エルは、私とティティスの為に一人でやってくれたんだよね。私其れが解って、だから我慢しちゃった……そしたら、あの子がキレた」
「……正直、あの子が怒る所って想像がつきませんね」
「私もね……まだまだだなぁ」
一時騒然となった、交流戦の閉会式と表彰式。
事態を収めたのは、校長たるセントウレア当人であった。
彼はティティスの投げたマニュアルを拾い上げると、微笑して少女に返す。
ディアーネにとっては意外なことだが、セントウレアはルール上で、エルシェアのやったことがまかり通る事は承知していたのである。
それでも明文化して先に禁止を作らなかったのは、生徒自身に考えて欲しいと願ってのこと。
問題が起き、其れを事例として理由付けすることで初めて大勢の者への説得力を持つ。
彼は『何年の交流戦でこのような事態が起きたため……』この一文をマニュアルに付け加える条件が揃うまであえて手を入れなかった。
同時にセントウレアは、生徒達に目的達成の為の道筋を自ら切り開く力を身につけて欲しかった。
ルールを理解し、目的を把握し、其処にいたる道を定めること。
エルシェアがやったことは倫理上の問題はあれど、多くの生徒達に発想の転換を見せた。
そう言って笑う校長を見て、ティティスは漸く自分のしでかしたことに気がついた。
そしてそれ以降、真っ赤になったり真っ青になったりしながらもディアーネにしがみ付いて離れなかったのである。
「まぁ、おめぇらはあの嬢ちゃんに好かれてるからな」
「……」
「お前らが慕われている分だけ、大きなベクトルがそのまま裏返って敵に向かう。今後あいつに、そんな一面があるって事を解っていてやるんだな」
「ご忠告、ありがとうございます」
天使と悪魔は顔を見合わせ、お互いに深く頷いた。
この二人にとって、やはりあの妖精少女は特別な存在なのである。
「それにしても、同点たぁな。この場合って二班同時優勝か?」
「いや、それがね……」
「同着班が出た場合は、優勝決定戦で直接対決になりましたよね?」
「うん。先生方、そうなるって言ってた」
「このルールで同着って言うのは、中々ねぇよなぁ?」
三人はお互いの顔を見合わせる。
ややあって、竜と悪魔の視線は極自然に天使に集まった。
エルシェアは顎に手を当てながら記憶を手繰る。
彼女は思い出せる限りの年度の優勝校とそのパーティーの検索する。
「ん……少なくとも……此処二十年で、同着が出たことはありませんね」
「だけど、これまではなるべく直接対決を避けさせるルールだったのね……」
「そうですね。私もこの交流戦の性格を考えたとき、優勝校が決まった後で、その先まで争うと言うのは、首を傾げる部分がありますが」
「そうか? やっぱり一位ってのは、ちゃんと決めたほうが良くねぇか?」
エルシェアが首を傾げるのは、この交流戦が学校単位の対抗戦であった事。
プリシアナ学園の生徒は、自分の学校を優勝させるために魔宝石を集めていた。
このルールだと、エルシェアがバロータから宝石を奪い取ったのは身内の同士討ちになる。
しかし同時に最後まで同着を許さない、パーティー単位の個人戦と言った側面も持った大会なのである。
どちらを重視するかにもよるが、此処に其れまで同じ目的の為に魔宝石を集めていた、プリシアナ学園の生徒同士が相打つという構図が生まれてしまった。
「確かに、それならそれで私も構いませんけど」
苦笑して肩を竦めたエルシェアは、不意に視線を扉に向けた。
その動作で、残りの二人も近づいてくる足跡に気がついた。
廊下から足音が届く距離のこと。
直ぐにスライド式のドアが開かれた。
「やぁ、元気そうだねバロータ」
「おう、セルシアじゃねーか。そっちは終わったんだな」
「いや……全く動けなかったんでね。フリージアに任せて自由にしてもらったんだ」
やって来たのはプリシアナ学園生徒会長、セルシア・ウィンターコスモスである。
エルシェアはその姿にひらひらと手を振り、ディアーネは軽く会釈した。
セルシアは微笑と共に頷き、少女らの挨拶に答える。
「失礼します」
「先生も居ないのに、律儀なことですね」
「何となく、言っておかないと落ち着かなくてね」
入室したセルシアは、ディアーネと向き合った。
「君達の代表は、ディアーネ君だったね。優勝おめでとう」
「うぃっす、ありがとうございます……って、会長の所も優勝っすよ」
「ああ。それで優勝決定戦の日取りが決まったからね……君は式が終わるとあっという間に消えてしまうものだから、伝えに来たんだ」
「あ……とにかくエルに教えなきゃって思ったら……」
「良いよ、大した手間でもない。本来は直ぐにと言うことらしいんだが、こっちはバロータが居なかったからね」
「こっちもエルがバックレてたっす」
セルシアとディアーネの視線が、それぞれの仲間に注がれる。
堕天使と竜は視線を合わせ、やや気まずそうにそっぽを向いた。
少女に負けたバロータも、此れで終わりだと思っていたエルシェアも、それぞれの甘さに気恥ずかしさを覚えたのだ。
「決定戦は明日の十時から。場所は大聖堂で、午前の講義は取りやめ。見学者は自由参加らしい」
「見学者を巻き込んだり、盾にしたりして宜しいので?」
「そうしてはいけないと言うルールは無いけれど、殊更僕が目の前で其れを許すと思うかい?」
挑発的に微笑むエルシェアに、穏やかな笑みで答えるセルシア。
「折角巡ってきた舞台なんだ。僕としては、君との純然たる決着を望んでいるよ」
「決着などとうの昔に、貴方の勝ちで着いているでしょうに」
セルシアの発言を暑苦しいと感じ、エルシェアは深い溜息を吐いた。
やる気のなさそうなその様子に、セルシアは再び苦笑する。
エルシェアはセルシアが入学した時、既に学園で頭角を現していた才媛だった。
半年先に入学していたバロータの伝手もあり、初めて組んだパーティーメンバーの一人。
やがてこの堕天使は少年達から離れていったが、セルシアに取っては兄以外で生まれて初めて壁として立ちはだかった少女である。
再戦を望む気持ちは、非常に強いものがあった。
「始めて会った時は君の背中が遠かったよ。追い抜くのに三ヶ月も掛かった」
「それから、もう二年半も経っているのですが」
「ああ、本当だよ。僕は君が直ぐに抜き返してくると覚悟していたのにね?」
嬉しそうに語る天使は見ずに、堕天使は椅子から立ち上がる。
一つ息を吐き髪をかき上げ、白衣を揺らしてその脇を通り過ぎた。
「会長」
「なんだい?」
「ティティスが何処に行ったかご存知ですか?」
「僕が開放される前に逃げ出していたからね。此処にいないとすると、寮の自室に引き篭もったんじゃないかな……」
「成る程、其れはありえそうですね」
エルシェアはある意味で、ティティスの成長をこの学園で最も評価している少女である。
しかし彼女のイメージでは、部屋の片隅で小動物のように震えている印象が強い。
ティティスはどれだけ強くなろうとも、エルシェアとディアーネの前では懐っこい子猫になる。
それは出会った頃から変化しない妖精少女の姿であった。
「少し様子を見てきます。ディアーネさんは?」
「私も行くっす。放り出してきちゃったし」
椅子を蹴って立ち上がった悪魔は、相棒の下へ駆け寄った。
極自然に手を繋ぎ、少女達は学生寮へ向かう。
セルシアはその背を見送ると、ベッドで胡坐をかいているバロータに声を掛けた。
「……と言う事だが、大丈夫かい?」
「おう。俺は今すぐだって良いんだぜ」
「頼もしいな」
バロータはベッドから飛び降りると、セルシアに復活をアピールする。
苦笑した天使の少年は、一つ頷いて彼の相棒の肩を叩く。
「彼女、どうだった?」
「強かったぜ」
「そうか。最高の答えだね」
バロータの強さは、セルシアが一番よく知っている。
そんな彼が迷い無く、エルシェアの強さを認めた。
願い続けた直接対決。
しかも学校公認の勝負である。
セルシアは何時の間にか握り締めていた拳を開いた。
「直接対決してぇのか?」
「ああ……実はフリージアにも頼んである。君も頼まれてくれるかい?」
「そうだな……まぁ、俺は今日負けてるしなぁ」
「そうだったよ……君はずるい。事情を聞いたとき、森担当の君がどれだけ羨ましかったか……」
「っへ、わりぃなセルシア。でも、其れは結果論だろ?」
「承知してはいるんだが……」
天使の少年は一つ息を吐き、明日の優勝決定戦にはやる心を落ち着けた。
何処か子供っぽい仕草が、バロータには懐かしい。
常のセルシアからすればらしくない事この上ないが……
エルシェアがいた頃は、そんな年相応のセルシアの姿をよく見かけたのだ。
「エルシェア君に、感謝しないとね」
「ああ」
彼女はバロータを倒した後、彼を放置しないで学園に引き上げている。
怜悧な少女の中に確かに在る優しさ、或いは甘さが、両パーティーの突出を許さず引き分けに落ち着いた要因の一つ。
その他にも様々な偶然と、各学校の生徒の奮戦が絡み合い、明日の優勝決定戦にもつれ込んだ。
最高の舞台で最強の相手に望める幸福。
セルシアは何時の間にか浮かんでいた、自分の笑みに気づかない。
彼は遠足を明日に控えた少年の心地で、相棒の竜に声を掛けた。
「さぁ、フリージアが待っている。行こうバロータ」
「おうよ」
セルシアの笑みに気づいていたのは、傍で見守る竜の少年。
彼は胸中で同期生たる少女に合掌した。
明日のセルシアは間違いなく、メンタルまで含めたベストコンディションになるだろう。
§
学生寮を訪れた天使と悪魔は、後輩の個室の前で立ち往生をしていた。
外界との接触を拒むかのごとく閉ざされた扉は、しっかりと鍵を掛けられている。
其れはまだ良いのだが、問題は扉正面の廊下と壁。
明らかに高威力の魔法で破壊されたと思われる其れは、随分と風通しの良い作りに生まれ変わってしまっていた。
十二月の風に曝される二人。
エルシェアは白衣を、ディアーネは千早を、それぞれの胸元を押さえて身震いする。
ディアーネが扉に耳を当てると、中からはブツブツと何かを呟いている後輩の声がした。
「ティティスさーん?」
「え、エル先輩?」
「はい。エル先輩です……此処、開けてくださいませんか?」
「ほ、本物?」
「は……? 本物だと思うんですが……」
「嘘です! エル先輩は皆そうおっしゃるんです!」
意味の解らない答えに、顔を見合わせる先輩コンビ。
「ティティスちゃん。廊下寒いんで、そろそろ入れて欲しいっす」
「ディアーネ先輩も……いらっしゃる……?」
「いるよー。ってか、どうしちゃったのよティティスちゃん?」
「うぅ……あーうー!」
再び顔を見合わせたエルシェアとディアーネ。
二人はベッドの上で、頭まで布団を被って震えているティティスの姿が想像できる。
「あの子、どうしたんでしょう?」
「ん……私が聞きたい」
「ジャーナリスト学科の方々から、何か言われたんでしょうかね……」
何かに脅えているらしい後輩に、堕天使の少女が優しく問いかけた。
「えぇと、ティティスさん聞こえますか?」
「……」
「貴女が何に脅えているのか、私には解りません。だから質問に、其処から答えてください。『YES』or『NO』で構いません」
「……YES」
とりあえず返答があった事に満足しつつ、エルシェアは質問を重ねていく。
「セルシア君のパーティーと、明日優勝決定戦を行います。日時と場所はご存知ですか?」
「……YES」
「次。ジャーナリスト学科の方々は、ちゃんと撒けましたか?」
「……NO」
「次。貴女が此処に引き篭もった後、私かディアーネさんが来ましたか?」
「……NO」
エルシェアはそこで質問を切り、肩越しにディアーネへと振り返る。
相棒は黙ってやり取りを見守っていたが、その視線には隠し切れぬ好奇が見て取れた。
堕天使の少女としても、見学に回れればそのほうが面白そうだと思うのだが……
「口ぶりからすると、私かディアーネさん……或いはその両方と、会話をしていそうな雰囲気でしたよね?」
「うぃっす。『エル先輩は皆そう言う』っていうのは、複数のエルに遭遇してそうな発言っすね」
「私、何時の間に細胞分裂して増える生物になったんでしょうねぇ……」
「ティティスちゃんの口ぶりからすると、私もっぽかったけどね」
ディアーネはタカチホ義塾の留学中に、他人の顔真似を生業とする一族の少年と出会っている。
それ程親しかったわけではないが、その技術は幾度かの宴で披露してもらっていた。
関連性は見えなかったが、同じモノマネという発想から彼女には閃くものがある。
「声だけ、私達の真似をする人がいたんじゃない?」
「ジャーナリスト学科の方々が?」
「もしかしたら……だけどね。アイドル学科の連中とかなら、声真似とか上手そうだし。技術提供か、若しくは連携か」
「ふむ……扉を開けた途端、記者連中と鉢合わせ。其れだとこの大惨事も納得ですね」
「ん、とりあえず私……下の瓦礫に生存者が居ないか見て来るっす」
「お願いします。まぁ、ティティスも加減したようですから死者は居ないでしょうけど」
「手加減……まぁ、紙一重だろうね」
苦笑したディアーネは破壊跡から身を躍らせ、階下まで一気に飛び降りる。
その様子を見送ったエルシェアは、着地してサムズアップする相棒に手を振った。
今一度瓦礫と化した部分を観察した堕天使。
激しく破壊された形跡はあるが、崩壊部分は極狭い範囲で納められている。
それは後輩が人ではなく、彼らが踏んだ廊下と背後の壁を対象に、効果範囲を絞り込んだ構成の魔法で粉砕した証拠だろう。
此れを見たからこそ、彼女は死者がいないと断言できた。
「魔法の構成が本当に巧くなりましたね……そうか……賞もいただいているんですよね……」
エルシェアはティティスの成長のささやかな一端を垣間見た。
恐らく堕天使自身でも、此処まで精密な魔法は使いこなせないだろう。
「……」
エルシェアは扉に視線を戻す。
外界との接触を只管拒む後輩の意思を示すように、硬く閉ざされた木製の扉。
堕天使の顔には微笑と苦笑を混ぜたような、曖昧な表情が浮かんでいる。
本来のエルシェアならば、拒まれた時は全く執着せずに退いたろう。
例え相手の本心が、踏み込む事を願っていると解っていても。
それは浅く付き合い、深入りしない事で面倒事を遠ざける彼女の処世術である。
今回もそうすべきだったのだろうか?
エルシェアの脳裏に浮かぶのは、やはり小動物のように震えているティティスの姿。
……抱きしめてやりたかった。
肺が空になる程の溜息を吐き出す堕天使。
少女は自分の節を曲げてサービスしてやることにした。
「さて、続きの質問です。可哀想に……こんなに脅えて、怖かったでしょう?」
「……YES」
「きっと、強引な質問とかもされたのでしょうね?」
「……YES」
「だから今、貴女の部屋の前で凍えている私を締め出すのですね?」
「……」
最後の質問からは明らかな愉悦を滲ませて、エルシェアは問いかける。
ティティスは答えに一瞬詰まり、頭だけ布団から出して扉を見つめた。
今まで此処を開けたとき、喜色満面の記者団に取り囲まれたのである。
扉の中に足を引っ掛け、ティティスへの取材を敢行しようとしたイエロージャーナリスト達。
其れはまだ学科に入って日の浅い連中ではあったが、嘗て似たようなことをされた経験が、彼女の対応を過激にした。
やっと訪れた平穏に、またやって来た先輩の声。
開けたい心情と先程の記憶がせめぎ合い、ティティスの身体を縛る。
そんな後輩に、堕天使の質問が続く。
「次……貴女はジャーナリスト学科の方々を、怖がっています?」
「……YES」
「……で、それは私の怒りを買うより怖いのですか?」
「え……先ぱ――」
「お黙りなさい。私は『YES』or『NO』で答える様に言いました。それ以外の発言を許可した覚えはありませんよ」
「……」
「理解しまして?」
「……YES」
段々と高圧的になっていく堕天使の声音。
それに比例するように愉悦に染まってゆく問いかけに、ティティスは否応無く悟る。
彼女が最も愛し、そして恐れる堕天使は、扉の前にいる。
絶対にいる。
思えばジャーナリスト学科の声真似は、優しいエルシェアを演じていた。
コロッと騙された自分であったが、こうして本物と対峙した時、なんと稚拙に感じる演技だったか。
彼らの演技には、ティティスの背筋を凍らせつつ快感で泡立たせるような、サディスティックな刺激が無い。
「質問を続けます。此処を開ける気になりましたか?」
「YES!」
「次……私、凄い寒くて震えているんです。開けた後、この仕打ちに見合うお仕置きを受ける覚悟がおありですか?」
「NO!」
「今一度……此処をあける心算は、あるのですね?」
「……イ、イエ……ノ……イ……」
「……中から自分で開けるのと、外から私に撃ち抜かれるの、どちらがお望みか十秒以内に行動で示しなさい」
最後通告をしたエルシェアは、扉の蝶番側に移動する。
部屋の中から響くガタンという音は、へたれ賢者がベッドから転げ落ちた音だろう。
そのままバタバタと音が響き、廊下側へ押し出すように扉が開く。
ティティスが扉を開けた瞬間、扉自体がブラインドになってエルシェアの姿を覆い隠す。
堕天使は同時に『テレポル』の魔法を唱え、ティティスの部屋の玄関へワープした。
扉と向き合っていた妖精は、至近距離で無防備な背中を堕天使に曝している。
「っ! しまっ!?」
其れは盗賊としての修練を積んだ賜物か。
背後に生まれた気配までは感じ取ることに成功したティティス。
しかし、其処までだった。
「捕まえた」
「ひぃぃいいいイいいいぃいっ!」
後ろから冷たい腕に絡め取られた妖精さん。
片手で身体を抱え上げられ、刹那の間すら置かずに部屋の中に連れ込まれる。
扉は閉まり、鍵を掛けられ、完全に密室で二人きり。
これでお姫様抱っこでもされれば、ティティスが夢見た理想的シチュエーションの一つである。
しかし現実は甘くない。
エルシェアは驚異的な握力で、ティティスの頭頂部を鷲づかみに持ち直して宙吊りにする。
「嗚呼、寒かった……手間、掛けさせてくださいましたね?」
「あ、あわわわわわわ……」
「『YES』or『NO』……OK?」
「YES!」
先程まで後輩が潜り込んでいたベッドに腰掛たエルシェア。
そのまま自分の膝の上に小さな妖精を座らせると、その腕深くにしっかりと抱き込んだ。
凍えていたと言うのは本当らしく、エルシェアの手足は相当に冷たかった。
「お布団にいたからでしょうか……暖かいですね貴女」
「……」
「ふふ、学習の後が見て取れますね。質問を続けても宜しいですか?」
「YES」
妖精は冷たい堕天使に抱えられ、深く静かに息を吐く。
ティティスにとって、此処こそが新たな生を与えられた揺り篭である。
例え危機的な状況だろうと、此処に収まると無条件で力が抜けた。
妖精の体が弛緩し、意識は眠りに落ちそうになる。
「次……貴女は今、疲れている?」
「……ノ……YES」
反射的に否定しようとしたティティスは、背中のエルシェアに身を預けて肯定しなおす。
堕天使の問いかけは甘く優しく、妖精の心に滑り込む。
気のせいではなく、エルシェアの声音は先程と互い、愉悦も高圧も存在しない。
ただ、慈しむ様に囁かれるだけ。
エルシェアは後ろからティティスの髪を指で梳く。
「次……先生方に食って掛かったんですか?」
「……YES」
「私を、守ってくれたんですね?」
「……んぅ」
ティティスは答えず、エルシェアに後頭部を押し付けるように擦り寄った。
苦笑したエルシェアは、これ位はオマケしてやろうと言葉を続けた。
「無理なさらないの……私とディアーネさんが悪い部分もありますが、貴女の行動にも軽率な面がありますよ?」
「……YES」
「ディアーネさんまで、私の意図を汲んで自重してくださったのに……本当は彼女が一番怒っていて、其れを飲み込んでいたんですよ?」
「……YES」
「貴女が私を守ってくれたのと同じくらい、私も、ディアーネさんも、貴女を守りたい。其れは、解ってくださいますか?」
「……YES」
「ん……良い子です」
堕天使は妖精の金髪を一房手に取り、そっと唇を落とす。
ジャーナリスト学科とは言え、学生に追い立てられて脅えていた少女。
こんな臆病者が、上位者たる学園の教師を怒鳴りつけるほどの怒りを顕にした。
「私の後輩……本当に良い子……」
「……」
「眠い?」
「……YES」
「いいですよ、このまま……お休みなさい」
初めての行事で人々の注目を浴び、他者に対して激しい怒りを爆発させたティティス。
彼女が疲れていると言ったのは、本当の事だろう。
やがてティティスの吐息が安らかな寝息へと変わってゆく。
エルシェアは自分の腕の中で蕩けている後輩に、微苦笑して髪を梳き続けた。
そのままゆっくりと五百を数え、ティティスが動かなくなったことを確認する。
堕天使は一つ息を吐き、扉に向かい……正確には扉の外で震える相棒に向かって声を掛けた
「……ごめんなさいディアーネさん、良いですよ」
「さ、寒かったっす~」
ディアーネは薄刃の短剣を扉に差込み、掛け金を素早く跳ね上げた。
あっけなく鍵を無力化し、凍えた悪魔が入って来る。
「救助終わりました?」
「いや、ティティス苛めた連中だもん。先生呼んで、後任せた」
「結構。うちの娘を……」
「エル、過保護だよね」
「お互い様だと思います」
お互いに揶揄しあい、挑発的な笑みを交換する。
ディアーネは床に落ちた毛布を拾い上げ、エルシェアの肩にかけてやった。
「ディアーネさん、寒いんですけど」
「ん?」
「この毛布、二人だと少し大きすぎません?」
腕にティティスを抱いたまま動けないエルシェアは、そう言って相棒を招く。
悪魔の少女は冷え切った自分の身体に躊躇する。
「あぅ……でも……」
「風邪引きますよ? 明日は長い一日になるでしょう……だから今は、私の傍にいらっしゃい」
「……うぃっす」
ディアーネは堕天使の隣に寄り添うと、一緒に毛布に包まった。
吐く息まで凍えるような寒さに縛られた身体が、心地よい熱に癒される。
悪魔の少女はこのような時、エルシェアが年上なのだと意識するのだ。
「ねぇ、ディアーネさん」
「うぃ?」
「私、この交流戦に意義を見出していませんでした。そんな私が、こんなことをお願いするのは気が引けるんですが……」
「……私、バロータ先輩抑えればいいんだね?」
「良いんですか?」
「うん。会長もエルと戦いたがってるし……私も、本当なら完全に観客として観たい位」
無邪気な悪魔の発言に、噴出しそうになるエルシェアだった。
正直に言えば、エルシェア自身も観戦に回りたい心情はある。
彼女が知っているセルシアは、自分を超えていった瞬間までの彼だった。
期間にして二年半。
其れは彼が歩み続けた時間であり、エルシェアが戸惑い続けた時間である。
そんな自分が、光の翼に勝てるのか……
しかし勝てないとしても、エルシェアにはセルシアとの勝負が必要だった。
これだけは回避出来ないということは、エルシェア自身で理解している。
その先を歩き、更なる上を目指すために。
「不安っすか?」
「えぇ……まぁ……」
「大丈夫。私とティティスは、エルが勝つって信じてるから」
「前も言ったと思いますが、其れは……」
「昔は昔、今は今だよ。今のエルなら、私とティティスが信じることは信じてくれるでしょう?」
「……最大限可能性があるかどうか、吟味してみようとは思うようになりましたね」
「それなら大丈夫。エルが本気出したら、絶対何とかなるんだよ」
聞き様によっては無責任に聞こえる発言。
しかし其処には鷹揚で揺ぎ無い信頼があった。
だからこそ、エルシェアも偽ることなく思う所を話すのだ。
「正直な所、私と彼がぶつかれば七対三で彼が勝ちます。いや……三もあるのか微妙なところです」
「……」
「でも私も前とは違います。今の私には貴女と、ティティスがいますから」
「うん。勝とうね、エル」
ディアーネは横からエルシェアにしがみ付いて瞳を閉じた。
冷えた身体が温まり、意識を睡魔が侵食してくる。
急速に重くなった目蓋を薄く開くと、幸せそうに眠るティティスの姿。
今日は特等席を後輩に譲ろう。
ティティスが本当に頑張ったのを、ディアーネは傍で見ていたのだ。
「エル……」
「はい?」
「これ終わったらさ、皆で忘年会しよう」
「良いですねぇ。実は私もその心算でして、ドラッケン学園で珍しいケーキ等、仕込んできたんですよ」
「おお、エルの手作りとな?」
「ええ。お楽しみに」
「ん……」
片腕でティティスを支え、もう片手でディアーネを抱き寄せる堕天使。
片方が小柄な妖精だから出来る芸当だが、これも留学中に仕込まれた筋力トレーニングの成果だろう。
エルシェアは師たるカーチャに珍しく感謝し、両手の華を堪能していた。
後書き
この間は色々と迷走してすいませんでした……
暖かいお言葉をいただき、本当にありがとうございます。
恐らく今度戻ったら絶対出て来れないと思いますので、もう少し此処で頑張ってみようと思います。
今回は優勝決定戦前のインターミッションとして組ませていただきました。
いや、何故か私の脳内で大聖堂に全員揃っていなかったのでw
総力を挙げてほのぼのさせてみました。
この程度か? 此れが私のマックスでしたorz
次からは只管戦ってもらう事になると思います。
実は少し書いているんですが……戦闘描写ってどうすりゃいいの!? 。・゚・(ノД`)・゚・。