年の改まった元旦早々……
多くの学生が実家への帰省を果たして閑散としたプリシアナ学園の廊下を、一人の女生徒が歩いてゆく。
長身にしてメリハリのついた肢体を学生服で包み、その上から白衣を纏った少女。
美しい顔のパーツは整然と配置され人目を惹くが、何より目立つのは四枚の翼。
その背中と、長い薄桃色のウェーブ掛かった髪から対になって生えた翼が、少女が人在らざる存在であることを声高に主張しているのだった。
大陸に十ある種族の一つ。
天使の血を引き、信仰心に富み、絶対的な正義を重んじると言われる種族『セレスティア』。
高潔にして純真な性格とされる種族柄だが、この少女の相棒に言わせると、彼女は生まれてくる種族を間違えている。
「……はぁ」
冬の空気に吐き出された少女の吐息が白くかすむ。
その吐息とは対照的に、少女の翼は漆黒に染まっている。
それはこの少女が学園にあり、『堕天使』の学科を納めた証であった。
堕天使は誰ともすれ違う事無く目的の場所にたどり着く。
プリシアナ学園西校舎に位置し、学園最大の施設である大図書館。
多くの生徒が卒業単位取得の為のクエストを受講しに訪れる、学生達に取ってはある意味最も重要な場所であった。
大きな造りと、やはり比例して大きな扉を開ける。
魔法で暖気を生み出しているらしいその室内は、小春日和を思わせる温かさ。
しかし冷たい廊下を歩いてきた少女にとって、室内の空気はやや暑い。
堕天使は白衣を脱いで腕にかけ、扉を潜ると後ろ手に閉める。
小さな音だが、それは無音の図書館には異質なるもの。
少ないが決していない訳ではない、元旦早々から勉学に励む生徒達……
幾人かが少女の方へ振り向き、その姿を確認して視線を逸らす。
興味を満たして自分の目的へ意識を戻した生徒が半数。
明らかな畏怖の視線を隠すため、手元の本へ目を向けた生徒が半数。
「……」
瞬間的な映像を脳裏に焼きつけ、誰がどの視線をくれたかを吟味した堕天使は、自分の無意識にして過剰な反応に自嘲した。
少女は学園ではそれなりに有名であり、彼女自身もその事を自覚している。
この程度の視線を気にしていては、ストレスで胃に穴が開くことは目に見えていた。
自分自身の目的を果たそうと、蔵書の列へ踏み込もうとする。
しかし彼女は違和感を覚えて今一度館内を見渡した。
其処には数もまばらな幾人かの生徒が、自分の本を探している。
今は誰も堕天使を意識しているものは……
「……ん」
いた。
たった一人。
受付のカウンターで佇み、扉の前から動かない少女を真っ向から見据えた学生の姿。
痩身にして端整な顔立ちの少年。
特徴的な長い耳は、彼が『エルフ』の出身であることを物語る。
怜悧な雰囲気は感情を読ませぬ無機的な瞳のせいか。
はたまたその瞳を遮る眼鏡のせいか。
「いらっしゃいませ」
少女が声を掛けようとしたその瞬間、タイミングを外すように少年からかけられた声。
意識の空振りを余儀なくされた少女は愉快になれる筈も無く、その双眸がすっと細くなる。
エルフは自身の間の悪さに気づかない。
この場合はそれを察しろというのは酷な話であったろうが、とにかく第一声から堕天使のご機嫌は低空飛行だった。
「……何か御気に召さないことでも?」
「別に、何もありませんよ」
堕天使の声音は暗く、少年としては胃酸の量が増したことを感覚的に自覚した。
お互いの間に小さくない緊張が巡る。
こんなやり取りをするのは初めてではない。
決して親しくは無いものの二人は顔見知りであったし、年単位で前の事なら同じパーティーを組んでいたこともあったのだから。
髪をかき上げた少女は、意識して柔和な苦笑を作って声を掛けた。
「ごきげんよう、フリージア君。新年早々から、お勤めお疲れ様です」
「ごきげんよう、エルシェアさん。先日は忘年会の招待、ありがとうございました」
表情は動かさずに一礼したフリージアに、エルシェアは鷹揚に頷いた。
エルシェアは現在、相棒たる『英雄学課』の少女と、『賢者学課』に在籍している後輩の少女と、計三人のパーティーを組んでいる。
年末の『三学園交流戦』で見事優勝を果たした堕天使のパーティーは、準優勝だったこのエルフのパーティーを忘年会へ誘ったのである。
其処で両パーティーは相互互助の契約を結び、協力関係を約束した間柄であった。
未だ連携して日の浅い両パーティーに実績は無い。
そのため周囲の生徒はまだその連立を知らないが、明るみに出れば先程のような視線を受ける機会は更に増えるだろう。
近未来を予想し、少女の表情はやや曇った。
「何処か、お加減が悪いのですか?」
「未来に希望が持てないだけです」
「先を不安に思うのは、誰しも同じですが……」
「不安等ありませんよ。何となく、面倒くさいだけで」
歩きながら肩を竦めたエルシェアは、フリージアが佇む受付のカウンター前へやって来た。
本を読むのに邪魔な私物は、ある程度なら受付で預かってもらえる。
両手を塞ぐ白衣を少年に手渡す。
恭しく礼をしながら、少女の白衣を受け取る少年。
「本日はどのようなご用件で?」
「実はわたくし、新しい学課を始めてみようかなと考えておりまして」
「……新しい学課ですか?」
「はい」
「……七つ目ではありませんでしたか?」
「失礼な。八つ目です」
プリシアナ学園は冒険者の養成学校である。
若い人材に多くの技能を叩き込み、実戦を積ませる事によって一人前の冒険者へと成長させる事を目的とした学び舎。
当然ながら一つの学科を納めればそれで終わりということではなく、複数の学課を学ぶ生徒も多い。
しかし数だけをこなしても質が伴わなければ意味が無い。
一般的な生徒が履修するのは精々三つ。
四つこなす生徒は殆ど居ない。
それをこの堕天使は七つである。
そして今度は八つ目の学課に手を出そうと言うのだ。
フリージアは頭痛を覚えて額を押さえる。
堕天使の多彩な素質を褒めるべきか、節操の無さを嗜めるべきか、このとき判断がつかなかった。
「まぁ……実は正式に開講している学課ではないのですよね。だから独学になってしまいそうなのですが」
「どのような技能を学ぶのです?」
「メイドと、執事を少々」
エルシェアの返答を聞いたフリージアは、内心の違和感を表情に出さぬように意識する。
少なくとも彼が知る限り、目の前の堕天使が誰かに忠誠を誓うとは思えなかった。
「執事、メイド学課は数年前に無期限休講になってそれきりでしたね」
「はい。ですから、当時の教科書や資料を借りて、自分で何とかしようかなと」
メイドや執事と言うものは、仕える相手ありきの職業。
一応は学課として認められ、習得すべき技術や魔法は定められているのだが、いかんせんなり手が少ない。
よって学園側はこの学課を一時的に閉鎖し、現在ではこの道を学ぶものは殆どいない。
数少ない例外がこの少年。
彼は大陸屈指の名家、『ウィンターコスモス家』に仕える執事の一人であった。
「当時の資料でしたら、東の百五十七列目の奥から三つ目の本棚の上半分がそうだったと記憶しております」
「……もしかして、何処にどの本があるか全部暗記していらっしゃいます?」
「その本は私も良く使うので正確に記憶しています。それ以外では、大まかな分類でおおよそ此処……と言う辺りまでしか覚えておりませんね」
「十分です。ありがとうございます」
微笑と共に一礼し、堕天使は踵を返して目的地へ向かう。
そんな少女の後姿を見た少年は、ある事を思い出して呼び止めた。
「エルシェアさん、少しよろしいでしょうか?」
「はい?」
肩越しに振り向いた少女は、やや逡巡するようなエルフの様子に内心で首を傾げる。
常に表情を殺して主の冷静な執事である事を旨とする彼には、珍しい事であった。
程度は分からないが、真剣な話のようだと身構えた少女。
過ぎ掛けた足を完全に止め、体ごと再び向き直った。
「実は、近々大陸中の執事、メイドの技を競う競技会が開催されるのです」
「へぇ……それは存じませんでしたね」
「関係者以外には興味を持たれる方も少ないでしょう。それを志すものに取っては、大きい大会なのですが」
「なるほど。知る人ぞ知る……と言った大会のようですね」
「はい。その競技会では、執事やメイドの仕事に興味を持ってもらおうと、体験コーナーの様なものもあるのです。此れが中々に好評なのですよ」
「……」
エルシェアの瞳が細くなり、真剣な面持ちで話を聞く。
少女には既にフリージアが言いたい事を大まかに察することができた。
「その体験コーナーと言うのは……貴方から見てどうなのですか?」
「完璧な初級講座です。基礎中の基礎を、しかし間違いの無いことを教えています」
「……いいですねそれ」
堕天使の口元が笑みの形に吊りあがる。
エルシェアは過去の資料をもとに、基礎から独学を始める心算であった。
しかし基礎とは絶対に間違えてはいけない部分であり、現在その道の知識が全く無い少女にとっては些か不安な所でもある。
その執事競技会で基礎を固めることが出来るなら、願っても無い事であった。
「流石に、最初の一歩から独学で歩み始めるのは不安もありましたし……この際はその競技会を楽しみに待つとしましょうか……」
呟くような少女の言葉。
聞いた少年は一つ頷き、彼にとっての本題に入る。
「では……今後しばらく、貴女の予定は空いたと思ってよろしいでしょうか?」
「ん? ……そうですね」
「……実は、貴女に一つ頼みごとがありまして」
「え!?」
エルシェアの脳裏で忘却したい過去が再現される。
かつて一度、堕天使はこの少年の相談に乗ったことがあった。
それは非常に重い内容の難題であり、後味の悪い出来事だった。
少女の脳内に、その事が原因で学園を去った同期生の後姿が蘇る。
「……惚れた腫れたの関係でしたら、今度は辞退したいのですが?」
「あれ以来、処理に困る事は起こっておりませんよ……幸いな事に」
フリージアもエルシェアと同じ件を想起したらしく、その表情は冴えなかった。
二人は同時に息をつき、思考を今の話に戻す。
「話を戻しますと、わたくしもその競技会に参加します。ですが此処で、少し困ったことがありまして」
「はい?」
「執事の必須技能の料理項目で、私は主たるセルシア様に、今回新たな創作料理をお出ししようと決めておりました。しかしお恥ずかしい事に、その材料を発注した業者と連絡の行き違いがありまして……」
「材料、足らないのですか?」
「はい……自ら調達しようにも、私はセルシア様のお傍を離れるわけに行かず、かと言ってこの件でセルシア様のお手を煩わせる訳にも行かず……」
「主人に使用人が調理する食材を自分で集めさせるのは、論外ですよね」
その行為の滑稽さがつぼにはまったらしいエルシェアは、声を立てないように笑った。
口元を隠し、俯いて体を震わせる少女の姿に苦笑した少年。
フリージアはエルシェアが落ち着くのを待ってから続けた。
「いかがでしょうか? 非常に心苦しいのですが、その材料集めを引き受けてはいただけませんか?」
「暇そうな蜥蜴が一匹、其方のお友達にいませんか?」
「……バロータに頼むと、料理のおおよその内容がセルシア様に伝えられてしまう可能性がありまして」
「……ありそうですね」
二人は共通の知人たる竜族の少年を思い出す。
彼は口の軽い男であり、せっかく始めての料理を主に振舞いたいフリージアにとっては、なるべく今回の件からは遠ざけておきたい存在であった。
バロータは格闘学課を専攻しているが優秀なパティシエでもあり、材料からフリージアの作ろうとしているものを推察してしまうかもしれない。
そう考えたとき、フリージアの中でバロータに頼むと言う選択肢は、あくまでも最後の手段にならざるを得なかった。
「明確に引き受ける前に確認しておきたいのですが、材料は直ぐに手に入る物なのですか?」
「貴女方のパーティーであれば直ぐに手に入るモノが一つと、少し手間の掛かるかもしれないモノが一つですね」
「モノは?」
「『三色団子』と『ヒレ酒』です」
「ん……? それ、両方ともディアーネさんが持っていたような……」
「おお?」
エルシェアは同じパーティーの相棒である、悪魔の少女を思い出す。
体育会系な思考回路の所有者であり、大よそ悪魔らしからぬ陽気な性格。
人畜無害な笑みで凶悪な大剣を振り回す、英雄学課首席の『ディアボロス』。
一般的にはセレスティアとの種族相性は最悪と言われているが、エルシェアはこの悪魔を心底気に入っているのだった。
「ええ。やっぱり間違いありません。だって昨夜、彼女の部屋で両方美味しく頂いたし」
「貴女に最早学生の倫理や常識を問おうとは思いません。無駄ですし。ですが一言だけ、今の発言を聞いて言わせていただきたいのですが?」
「ええどうぞ? その一言で、見事私の膝を折って御覧なさい」
「夜酒は過ぎると肥えますよ」
「ぐふっ!?」
思わず本当に膝を折りかけたエルシェアは、下が床であることを思い出して気力で堪えた。
この堕天使は女性としての発育に恵まれた体型をしている。
容姿も自他共に認める美形なのだが、最近はやや目方が増加傾向にあるのがひそかな悩みであった……
勝ち誇るでもなく常の無表情で少女を見据えるエルフ。
エルシェアは無意識に自分のお腹に手を当て、氷点下の視線で睨みつける。
しかしどれだけ視線を凍てつかせようと、涙腺から滲む涙は凍ってくれない。
そして半分涙目で睨みつける少女の視線は、本人が思っているほどの圧力は無かった。
「……いいでしょう、今回は負けを認めることも吝かではありません」
「では、勝者にはご褒美があっても良さそうですね」
「ディアーネさんに分けていただける様にお願いしてみます……という事で、よろしいですか?」
「ありがとうございます」
フリージアは深々と頭を下げる。
そして先程受け取った白衣をエルシェアに差し出すと、少女は憮然とした顔で受け取った。
白衣の前は閉めず、腕だけ通してはおった少女。
無言で退出するエルシェアに、フリージアは声を掛ける。
彼にしては珍しく、からかいの篭った声色で。
「今回のお礼として……」
「……」
「お礼として、セルシア様にお出しした後ですが、私の新作料理をご馳走しますよ」
「……いりません。太りますから」
覇気の無い声音で呟き、肩を落として歩く堕天使。
セレスティアは飛べる筈だが、態々歩いているのは少しでもカロリーを消費するためか?
そもそもセレスティアは種族柄かなり軽い生き物なのだが、年頃の少女に取ってはそんな事は関係ないらしかった。
「ねぇ、フリージア君」
「は?」
「オ ボエ テ オ キナ サ イ」
「ッ!?」
地の底から響くような呪詛を残し、黒翼天使は図書館を後にした。
§
エルシェアのパーティーは、現在全員がプリシアナ学園に集まっている。
身内の誰も実家に帰らない事に苦笑した堕天使は、遠慮なく学生寮の相棒の下へ向かった。
扉をノックすると、中からは堕天使と同程度に長身の酔っ払いが迎えてくれる。
「おー。エルだー。エルが三人ー……あれ、五人? 増えた……うぃっく」
漆黒の髪を真っ直ぐに背中まで伸ばし、エルシェアに比べると肉付きの薄い身体を学生服に包んだ少女の名はディアーネと言う。
どちらの体型に魅力を感じるかは見る者の趣味で変わるだろうが、先程のエルフとの会話で傷ついた堕天使は細身の悪魔が羨ましかった。
機嫌の良いディアーネに誘われて入室したエルシェアは、今一人先客がいた事を此処で知る。
「あー……エルせんぱーいだー」
満面の笑みでそう言ったのは、エルシェアのパーティーメンバー最後の一人。
賢者学課に在籍しつつ盗賊技能を学んだフェアリー。
長い金髪と碧眼の少女であり、種族柄の特徴として身長が百センチ強しかない。
妖精は堕天使の入場にケタケタと笑い、手にしたワンカップをクイッと干した。
すっかり出来上がっている後輩妖精の名は、ティティスと言った。
「この、アホの子は……っ」
妖精の手にしたカップの中に種別不明の魚のヒレを見つけた堕天使は思わず泣き崩れそうになったが、今はまだその時ではない。
背後から、やはり酒面の悪魔が三色団子を手にやってくる。
堕天使は悪魔がお団子を口元に運ぶ作業を神速の左フックで中断させ、とりあえず酒盛りに終止符を打つ。
三色団子を間一髪保護したエルシェアは、再び妖精に視線を戻す。
其処には最後のヒレをお煎餅の如くポリポリと齧る後輩がいた。
よりにもよって、入手が面倒な素材が無くなったのは最早お約束と言うべきか。
頭を抱えたエルシェアは催眠魔法でティティスを寝かせると、その足で購買部に直行する。
高額の為あまり使いたくなかった『飛竜召喚札』を一枚購入し、悪魔の部屋に急いで戻る。
其処にあるのは意識を無くした仲間達が、幸せそうな寝息を立てている光景。
思わず踏み抜いてやりたい衝動を堪えた堕天使は、問答無用で飛竜を呼び出し強制拉致に踏み切った。
行き先は山岳の街『ノイツェハイム』。
街の中央に突如降り立つ飛竜に人々は驚きの視線を向ける。
しかし降りてきたのが冒険者養成学校の生徒であることが分かると、何事も無かったかのようにそれぞれの生活に戻っていった。
このような事は、この世界の町に住む者であれば日常茶飯事である。
堕天使はいまだ寝こける相棒と後輩を驚異的な腕力で抱え上げ、最寄の宿に連れ込んだ。
三人部屋が無かったため、四人の大部屋をとりあえず借りきり、宿の女将さんが呆然としているうちに部屋へ直行。
「起きなさい」
備え付けの風呂場に放り込まれた悪魔と妖精は、桶いっぱいに張られた真冬の水を頭から被る。
「ひぎぃ!?」
「ぴぎゃ!?」
心地よい酔いの果てに貪る惰眠から、強制的に現実へ引き戻された二人の少女。
ディアーネもティティスもそれぞれに周囲を見渡し、満面の笑みで怒る堕天使の姿を発見する。
悪魔と妖精は、この時二つの思考においてシンクロした。
一つは、いきなり頭から冷水をぶっかけると言う悪逆非道を行ったのはこの堕天使に違いない事。
そして今一つ……
―――今のエルシェアに逆らってはいけない
「目、醒めましたか。ディアーネさん?」
「イエスマム!」
「そうですか。所で、貴女のお部屋でティティスさんが酔っ払っていましたね? 私、忘年会の時、ティティスさんにお酒を勧めるのは止めてくださいと言いました。何故でしょう?」
「はい! 妖精は体が小さく内臓も弱いため、私達と同量のアルコールでも体に溜まる比率が高くなるからであります!」
「覚えていてくださって嬉しいです。にも拘らず、ティティスさんが酔い潰れていた事への釈明は?」
「いや、ほら、美味しいヒレ酒だったから、私とエルだけで飲むのは忍びない! ティティスちゃんにも、是非大人の味を教えてあげるのが先輩の役目と――」
「あぁ?」
「すいませんでしたっ!」
土下座したディアーネから、座り込んだまま脅える後輩に視線を移すエルシェア。
「ティティスさん?」
「はいっ」
びくりと身体を震わせる妖精に、堕天使は自らもしゃがみこんで目線を揃える。
このような時でも、いや、このような時だからこそ上から見下ろして話すべきではない。
そう考えるエルシェアに呼応するように、ティティスは脅えながらも堕天使を見つめる。
相手に聞く準備が出来たことを理解したエルシェアは、深い息を吐きながらお説教を始めた。
「飲酒自体を咎める心算って無いんですよ? 私も、ディアーネさんもやっていますし」
「……はい」
「ですが、アルコール濃度の高いお酒がフェアリーの体質には合わないこと……此れは貴女の方がよく知っていますよね?」
「……はい」
「その上で飲む、飲まないは貴女の自由ですが……貴女は私と約束をしてくれましたね。強いお酒は控えると」
「……」
「その約束を蔑ろにした事については、貴女を咎めたいと思います」
「……ごめんなさい」
しょぼくれるティティスは小動物に通じる愛らしさがあった。
反射的に抱きしめたくなったエルシェアは、心に三重の鍵を掛けて衝動を自制する。
一つ目の鍵がはじけ飛び、二つ目の鍵に亀裂が入り……
危うく手を出そうになった所で悪魔の少女が割り込んだ。
「ごめんエル! 私が推しちゃったから……」
堕天使はやや気まずそうに言ってきた悪魔を一瞥し、泣きそうになって落ち込む後輩に視線を戻す。
それを三回ほど繰り返した後、エルシェアは後輩の頭に手を置いた。
「大人になると言う事は、自分の酒量を弁える事だ……なんて言う方もいらっしゃいます」
「……」
「今後は、初級の催眠魔法に抵抗できなくなる程の深酒は、控えることをお勧めしますよ」
「はい」
はっきりと頷いたティティスに微笑し、堕天使は相棒に向き直る。
ディアーネはエルシェアの表情が戻った事を感じて安堵した。
「ところで此処何処っす? 後エル、メイドになるって言ってたよね? 帰ってくるの早かったけど収穫あった?」
首を傾げつつも周囲を見渡すディアーネは、とりあえず思いついた疑問を端から投げる。
堕天使は苦笑しつつもその一つ一つに答えていった。
フリージアから語られた内容を今一度説明し、ヒレ酒と三色団子を探していること。
団子は間一髪で保護したが、ヒレ酒が手に入らなかったこと等。
「じゃあ、その執事競技会の体験コーナーで基本は教えてくれるんだね」
「はい。基礎さえ固めることが出来れば、後は自分で必要な部分を煮詰めていくだけです」
「本当に、教え魔の先生方にとっては鬼門だよね。エルのスタンスは」
「どうせ私は可愛げも教え甲斐も無い、駄目な生徒ですよ」
拗ねた振りをしつつそっぽを向いた堕天使に、悪魔と妖精は顔を合わせて苦笑した。
二人は今更エルシェアに方針変更など求めない。
ただ器用に見えてその実、不器用な堕天使が少し心配なだけである。
「まぁ、そういう訳でして……耳寄りな情報をくれたフリージア君に、多少の義理を返そうかなと思った訳です」
「エルにしては珍しく殊勝な心がけっすねー」
「単にフリージアさんに借りを作りたくないだけのような……」
「一応、ティティスさんが正解ですね。他にも動機はありますけど」
半眼できっぱりと告げる堕天使の脳裏に、少年の端正な顔が思い出される。
同時に年頃の少女に向かって、肥える等とほざいた事もうっかりと思い出してしまう。
フリージアにしろセルシアにしろ、本当に女性の扱いが分かっていない。
エルシェアが重い溜息を吐いたとき、今度はティティスが声を掛ける。
「ヒレ酒は、此処にあるんですか?」
「恐らく売っていると思います。まぁ、お使いだけなら私一人で来ても良かったんですが……」
「先輩、何か思うことでも?」
無邪気に聞いてくるティティスに対し、エルシェアは反射的に本音を吐露しそうになる。
彼女はどうせ新年を暇に過ごしているのなら、この機会に新たな街を三人で見て回ることに魅力を感じていたのである。
しかし天邪鬼な堕天使は素直にそう認めることを癪に思い、口に出したのは別のことだった。
「いいえ? 私がお勉強している隙に、楽しそうにお酒を飲んでいた貴女方への嫉妬と意趣返しに巻き込みました」
「そういえば、此処って何処っすか? さっきも聞いたけど」
「あぁ、その質問に答え忘れていましたね……ノイツェハイムの街ですよ」
答えを聞いて反射的に納得しかけたディアーネだが、半瞬の間を置いて首を傾げた。
やっと思考から酒が抜けてきたらしい悪魔の少女は、脳裏に大陸見取り図を描きながら聞き返す。
「ノイツェハイムって山っすよね?」
「はい」
「ヒレ酒って海に近いところで作るもんじゃない?」
「一般的にはそうなのですが……」
其処で一度言葉を切り、溜めを作って相手の興味を惹き付ける。
ディアーネがやや身を乗り出してくる。
堕天使はにっこり微笑むと、相棒の耳元で囁いた。
「此れは極秘情報なのですが、この街には幻のヒレ酒があるらしいのです」
「ほう!?」
反射的に食いついてきた相棒。
予想以上の勢いに若干退きながら、エルシェアは続ける。
「この地には『水に守られし宮殿』という古い迷宮がありまして、其処で取れる魚のヒレを使ったヒレ酒が、秘蔵の地酒として有名……ではありませんね……この街の市場にしか出回りませんから。でも美味しいということです」
「あの……エル先輩は、どうしてそんなお酒をご存知なんですか?」
「リリィ先生は大変な地酒通でいらっしゃいます」
再び顔を見合わせた悪魔と妖精は、楚々たる美人といった風貌のリリィの姿を思い浮かべる。
「うっわ……」
「あーぁ……」
自棄酒を飲んだくれて潰れているイメージが良く似合った。
生徒と地酒の話をする教師という点に突っ込む者は、残念ながらこの場に居ない。
「なので、リリィ先生へのお土産を仕入れて媚を売ろうと思ったのが一点」
「自分で飲むんじゃないっすか?」
「ティティスに飲むなと言った手前、今回は諦めますよ。そしてもう一点……実はこっちが本命だったりするのですが」
「お?」
「セルシア君に壊された『シックル』、買い直しておきたかったんですよね……此処は良い鉄が出る街ですから」
「ああ、交流戦で武器破壊されてたっけ」
「えぇ、困ったものですよ。とりあえずお二人はそのまま、酔い覚ましにお風呂に入っていらっしゃい。このままだと風邪も引きそうですし」
「うぃっす」
「分かりました」
苦笑したエルシェアは、話は終ったとばかりに脱衣場のほうへを出て行った。
この後は三人で、初めての街を観光する事になるだろう。
思わぬイベントにはしゃぐ妖精を尻目に、悪魔の少女が苦笑する。
きっとお買い物の荷物持ちは、ディアーネの仕事になるに違いなかった。
§
山間の街であるノイツェハイムは、近郊に鉱山を持つ街である。
発掘された良質の鉄はこの街に運ばれ、腕の良い職人に加工される。
中でも冒険者御用達の武器防具の種類には定評があり、隣接するドラッケン学園の購買部とは専属契約を結んでいる店もあった。
エルシェア達が訪れた交易所は武器防具は勿論、食料品や一部薬品まで取り扱っている一般冒険者向けの販売店である。
「いらっしゃい、プリシアナのお嬢ちゃん」
店番をしている老齢のクラッズの旦那が愛想良く声を掛けてくる。
この種の店を営むのであれば、お得意様になる冒険者養成学校生の事は良く知っているのだろう。
三人とも学生服を身に付けているため、どの学園の所属かは直ぐに分かる。
堕天使は店主に、やはり愛想良く応えた。
「お邪魔しますご主人。新年早々からご精が出ますね」
「嬢ちゃん達もねぇ」
エルシェアを先頭に入店した三人娘は、真っ直ぐにカウンターへ向かう。
武器防具の類は非常に高価なため、盗難防止の意味もあり普通店先には陳列しない。
この店も例外ではなく、ざっと見渡す限りに物騒な品は置いていなかった。
もっとも冒険者が使う交易所の店主ともなれば、殆どが若かりし頃、自らも冒険をやっていた猛者である。
駆け出しから引退までを生き抜いた彼らは生半可な事で盗難など許すはずも無く、その様な無謀な行いは、店の主の武勇伝を増やすだけなのだが。
「此れを、見ていただきたいのですが」
「ん……」
エルシェアは主人に、交流戦で切られたシックルを差し出した。
受け取った店の主人は神妙な面持ちで刃部分の傷や、切り離された断面を観察する。
一頻り見終わった店主だが、やや不思議そうに聞いてくる。
「此れはうちがドラッケンに委託して売ってもらっていたやつじゃの」
「あ、そうだったんですか……其処までは存じ上げませんでしたが、良い品でしたので愛用させていただいておりました」
「ありがとう。じゃが此れは、同じモノの新品を買いなおすのかい?」
「はい。その心算です」
「んー……」
老クラッズは首を傾げ、エルシェアを見る。
そして背後に控える仲間らしい少女達に視線を送る。
たった三人と言う最小限の人数構成。
重い鎧の類を一切身に付けず、学生服を基調として整えられた装備品。
「……」
学園指定の学生服を脱いでいない生徒は、大きく分けて二種類ある。
一つは完全な駆け出しであり、支給品以上の装備を用意できない者。
今一つは既に学生の域を脱しつつあり、身を護る防具に自分の趣味を優先させる事が出来る者。
学生服の上に白衣を着込んだ堕天使に、同く制服の上から『千早』を纏った悪魔の少女。
妖精の少女は、何か特別なものを着込んではいない様に見えるが……
学生にしてはかなり鍛えこまれている雰囲気が、このパーティーが駆け出しではない事を教えてくれる。
しかし素人でないのなら、このような時に買い直しを選んだりしないはずなのだ。
「此れね……いや、うちも商売だから買ってくれる分にはありがたいんだけどさ……」
「はい?」
「これだけ綺麗に『廃品』にされたなら、そのまま『練金』した方が、ぶっちゃけ費用も格段に安く済むぞい?」
各学園には標準設備として『実験室』なるものがあり、其処では武器防具、または薬の調合等が出来る練金施設がある。
多くの生徒達は高額な装備を直接買うより、練金書を買ってレシピを調べ、材料を集めて自分で作る。
手間は掛かるものの、店頭販売している装備との差額を考えると大幅なコストダウンが見込めるのであった。
店主の言葉に苦笑したエルシェアが答えようと口を開く。
同時に背後から白衣の裾を引っ張られた。
「ねぇねぇ」
「――何ですか、ディアーネさん?」
「練金って何?」
「……は?」
「なぁに?」
プリシアナ学園英雄学課首席の少女から飛び出した爆弾発言に、完全に凍りつく一同。
店主は自分の見る目が間違っていたかと疑い、堕天使はもう片方の仲間に驚愕の視線を送る。
エルシェアの視線を受けたティティスは思い切り首を横に振り、堕天使の疑惑を全力で否定した。
「……ティティスさん」
「はいっ」
「其処のアホの子に、練金の何たるかを教えてあげてください。大至急、店の外で」
「ちょっとエル!? アホの子って私っすか!」
「ディアーネ先輩、ちょっと外、出ましょうか」
「ティティスちゃん!? 何その可哀想な子を見る目は!」
このままでは学園の恥になると判断した堕天使は、店主に愛想笑いを向けつつ相棒を退場させる。
ティティスが黙って従った所を見ると、大よそエルシェアと同意見のようだった。
悪魔の少女も非力な妖精に抵抗せず引き摺られて行ったからには、とりあえず大人しく練金初級講座を受けてくれるだろう。
「……待ちな、嬢ちゃん」
店主はカウンターから何かを取り出し、苦笑しながらティティスに放る。
それは全ての学園で始めて練金を学ぶ者に支給される非売品。
その名を『お試しぱちんこ』と言った。
「ご主人?」
「わしはドラッケンの出でね。それ、使っておくれ……ルールだから」
お試しぱちんこを受け取ったティティスは、深い溜息と共に深々と頭を下げた。
「ご主人の温情、感謝の言葉もございません」
「斜向かいの薬屋に、簡単な練金設備があるからの」
微妙な表情の老クラッズと堕天使に見送られ、妖精と悪魔の二人は練金の基礎を勉強に向かう。
概要だけなら数分で終るだろう。
彼女らの姿が見えなくなった時、エルシェアと主人は深い溜息を吐く。
「どうも……お見苦しい所を……」
「いや……何とかと天才は紙一重って言うけどアレは大物の方だろうね」
「そう思います!? 流石店主様お目が高い。わたくし、彼女は何時かブレイクするだろうとその日を心待ちにしておりまして……」
「もしかして、惚気られてるのかの?」
「中々、他人様に自慢する機会が無いものでして」
「ご馳走様」
やや引きつった笑みでエルシェアの身内自慢をかわそうとする店主。
堕天使も、この手の話題を客にされても困るだろうことは承知している。
直ぐにトーンを元に戻し、ついでに会話も元に戻す。
「とりあえず、こっちのシックルの廃品を下取りして頂いて、新品を買いなおしたいのですが?」
「練金しなくて良いんだね?」
「はい」
店主は頷くと、奥の部屋にある倉庫に一旦下がる。
直ぐに新品を用意したクラッズは、堕天使に品を手渡しながら尋ねた。
「何か、理由があるのかい?」
「壊れたものを無理に使い続けると、縁起が悪い気がしまして」
「あぁ、稀にそういう冒険者もいるねぇ」
堕天使の回答に一応の納得を示した店主。
その目の前でエルシェアは、受け取った鎌を丹念に確認する。
特に少女が見ているのは、柄と刃の接続部と全体の重心。
腕のみならず指と指の間まで使って振るうエルシェアにとって、得物の重心が何処にあるかは近接戦闘で使える戦術を大幅に左右するのであった。
エルシェアは店主から少し離れると、柄部分を右手の人差し指と中指の間に挟む。
「んー……」
そのまま高速で挟む指を中指と薬指へ、そして薬指と小指へと移して行く。
ペンを弄ぶ要領で指を動かし、その度に鎌は複雑な軌道で少女の周囲に無数の斬撃を展開する。
店主は知識として堕天使学課を専攻するものが、鎌の扱いが得意である事を知っている。
だが目の前で披露された刃の乱舞は、経験豊富な彼にしても珍しいモノだった。
初見ではなかったはずなのだが、以前その技を見たのは何時だったか?
老クラッズの脳裏に懐かしい、自らの学生時代の記憶が蘇る。
「―――先生?」
「ん?」
「あぁ……昔、その鎌の使い方を見た事があっての」
「……なるほど、店主様はドラッケン学園にいらっしゃったのでしたね」
答えながらも鎌は止めない。
エルシェアは一度だけ店主を流し見、記憶の回廊を逆走する老人を見つけた。
「お嬢ちゃんは、カーチャ先生のお弟子さんかい?」
「あの毒婦を師と呼ぶのは不本意ですが……」
「毒婦か。そうさの……清純とは、とても言えない人だった」
「昔からそうだったのですか?」
「ああ、きっと、あの先生は変わらんだろうね。昔も、そして今も、面倒くさそうに完璧な指導を為さっているんじゃろう」
どうやらこの老人は、本当にカーチャを知っているらしい。
ごく最近まで彼女にしごかれていたエルシェアとしては、なんとも妙な心地になる。
堕天使は息を吐き、やや強引な話題の変換を試みた。
「実は」
「お?」
「実は私も、あの娘の事を笑えなかったりするんですよね」
エルシェアは鎌を繰り続ける。
最早とても流しとは言えない真剣な乱撃。
刃の軌道は傍で見る者に取っては複雑怪奇な印象を与える。
対峙する敵からすれば、鎌という武器の特殊な形状も相まって、殆ど刃を認識できずに切り刻まれる事だろう。
「最初の練金の講義に失敗しまして……わたくし、学校の実験室は出入り禁止にされているんです」
「おや……」
「お試しぱちんこを頂いて、バラすまでは出来たんですが……」
「直らなかったのかい?」
「ええ。元に戻せませんでした」
苦笑したエルシェアは鎌を止め、礼を言って代金を支払う。
客がお気に召したらしい事に内心で安堵した店主は、恐らく才能の偏った学生達なのだろうとあたりをつける。
この少女達は多くの生徒が行う一般的な練金など、必要としないだけの何かを持っていた。
それ故、逆に基本的な知識を学ぶ機会を持てなかったのだろうと。
しかしエルシェアが苦笑と共に語った言葉は店主の予想を再び超えた。
「普通に合成した筈だったんですけどね……何故か携帯用カタパルトって言いますか、キャノン砲みたいなパチンコが出来ちゃって」
「はぁ!?」
「ちょっとした悪戯の心算で、私は手元にあるのがお試しぱちんこだと思っていた訳ですから、錬金術師学課の先生を狙って撃ってみた訳ですよ」
「……人にむけて撃っちゃいかんよ?」
「そのお言葉、もっと前に頂きたかったです。まぁとにかく反動が凄くて手元が狂って、結局先生には当たらなかったんですけれど。実験室の壁に大穴空けちゃいました。最近の学校は、設備が脆くて嫌ですよねぇ」
当時の様子を思い出し、懐かしさと共に気恥ずかしさを覚えたエルシェア。
そのほろ苦い微笑を呆然と見ていた店主だが、直ぐに入店してくる二つの気配に正気に戻った。
「戻ったよエル。いやぁー、凄いね練金! 戻ったら私も本格的にやってみよう」
「成果は上々のようですね」
「いいえ、あの……ディアーネ先輩、お試しぱちんこ壊しちゃったんですけど……」
「え、これ違うの?」
悪魔が差し出したパチンコは、明らかに原型を留めていなかった。
それは『奇跡のぱちんこ』と呼ばれる勘違いの産物。
かつてエルシェアが生み出したモノと全く同じブツが、今その相棒の手に拠って再現された。
「ディアーネ先輩、どうやったらそんな魔改造出来るんですか!? お試しぱちんこで家の壁粉砕するとか在り得ないんですけど」
「え、ティティスちゃんと薬屋のおばちゃんが教えてくれた通りに分解して、合成したらこうなったんだけど……」
「私そんなレシピ知りません!」
「ふむ、ディアーネさんがやってもそうなりましたか」
「あ、エルもこうなるよねやっぱり。ほら、じゃあ此れで合ってるんだよ」
「エル先輩も!?」
「私も始めての練金の講義では此れを作ったものです。懐かしい……所で、お店の壁どうしました?」
「それは『メタヒール』したら戻りました。回復魔法って壁とかも直せたんですね」
この妖精も、何やら在り得ない事を平気で言った。
最早何が普通で何がおかしいのか分からなくなりつつある老店主。
考え込んでいた彼は、三人娘に尋ねて来た。
「プリシアナのお嬢ちゃん達、お名前を伺っても良いかな?」
「ディアーネっす」
「あ、ティティスです」
「エルシェアと申しますが、何か?」
素直に応える三人娘に店主は深く頷いた。
「いや、ありがとう。覚えておこうと思ってね……何時か冒険者としてその名前の噂を聞いたとき、今日を思い出せるように」
店主の言葉に、それぞれの顔を見合わせた少女達。
その発言は自分達を認め、期待をしてくれたのだと気づいて最初に反応したのは悪魔の少女。
「ありがとうございます。何時か、きっと三人でそうなって見せます」
「ああ。楽しみにしているよ。頑張ってな」
ディアーネは店主と握手を交わし、先程借りたパチンコを返却する。
「此れお返しします」
「良いのかい? 此れはもう商品価値すらある立派な武器だが」
「元々おじさんのだし」
そう言ってパチンコを手渡すディアーネ。
店主は二人の仲間を見るが、特に気にしている様子は無い。
その間に、エルシェアは購入したシックルを白衣の下に収めた。
「それでは、失礼いたします」
「お邪魔したっす」
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
それぞれに別れの言葉を残して去った三人娘。
一人店内に残った主は、ディアーネの生涯最初の練金作品を手に取り呟いた。
「天才か……?」
それなりに長く生きてきた店主は、それが軽々しく使って良い言葉ではない事を良く知っている。
しかし人生の終盤を迎えてから、その常識を覆す才能を目の当たりにした時、他にどのような言葉を用いるべきか分からなかった。
「……」
冒険者は流れ行くもの。
もしかしたらあの少女達とは、二度と会うことは無いかもしれない。
店主は物寂しさを感じ、ポケットから煙草を取り出し……
火をつけずに箱ごと、屑篭へ捨てた。
酒も止めようかと考える。
後十年、彼は生きてみたくなった。
「さて、どんな冒険者に育つ事やら」
センチメンタルな呟きが、無人の店にとけ消える。
老クラッズと三人娘の再会は数分後。
後輩妖精が目的のヒレ酒を買っていない事に気がつくまで、年老いたクラッズの感傷は続くのであった。
§
後書き
お久しぶりでございます。
天使と悪魔と妖精モノ。外伝の前編を、此処にお届けいたします。
お前なんぞまってねーよという方も、体感時間にして5万年まったぜという方も、我慢大会だと思って読んでくださると嬉しいですorz
扱いは外伝ですが、時間軸では最新話になります。
三学園交流戦を終え、一気に増えるサブクエストを消化して行く彼女達の一幕。
原作にもある冥土、執事学課解禁の為のクエストを題材にしたお話で、恐らく後編も此れくらいの分量になるかと思います。
今しばらく、耐久レースと思ってお付き合いくださると嬉しいです。
後編ではこのイベントの個人的な思い出も色々語りたいので今はこの辺にして置きます。
それでは、此処まで読んでくださった方、本当にありがとうございましたー(*/□\*)