交易所の老店主と少し気まずい再会をした三人娘は、『釣竿』を三本と餌を購入して『水に守られし宮殿』にやって来た。
店主の情報に拠れば、幻のヒレ酒の材料は『オルカブレード』と呼ばれる魔物魚の背びれ。
それは、かの魔物が身を護るために進化の過程で磨き上げた、まさに凶器と言っても過言ではない部位であった。
一応根魚に分類されており、水底を走り回る事で知られている。
こいつが魔物と呼ばれる理由はただ一つ。
水が無い陸地も、構わず走り回るのだ。
近年ヒレ酒はその材料を入手するためのコストが掛かりすぎ元手が取れず、ノイツェハイムの中でも殆ど出回っていないらしい。
交易所にも在庫は無く、少女達は仕方なく素材集めから始めることにしたのである。
「そりゃ、廃れるよね。なんせ釣りの餌からしてステーキ用牛肉だっていうし」
「これ、ボウズに終ったら大赤字ですねぇ」
「まぁまぁ先輩方、そこはフリージアさんに必要経費として請求すればいいのです」
「流石は我が後輩ですねティティスさん。発想が私の好みになってきました」
「ありがとうございます!」
「あぁ……ティティスちゃんの羽まで黒く見える……」
さめざめと泣く悪魔には目もくれず、愉快気に笑い合う堕天使と妖精。
ティティスにとっては愛する先輩二人とそれ以外の人間には明確な差異があり、その扱いの落差は傍から見ると恐ろしい所がある。
極論すればこの妖精に取っては、エルシェアとディアーネが居れば良い。
ティティスには今少し、視野と興味を広く持って欲しいというのは、堕天使と悪魔の共通した思いである。
出来れば外に友人を見つけて欲しいと思うのだが、それはティティス自身が決めていかねばならない事だ
「それにしても、歩きにくいなぁ此処」
「ディアーネ先輩、大丈夫ですか?」
「ん、平気だよティティスちゃん」
水に守られし宮殿は、その名の通り床に水が張られた迷宮である。
今は歩く者の踝程度の水なのだが、床に群生している藻等のせいでとても滑る。
普段は初動の取りやすさから地に足を着けているエルシェアと、その教えを忠実に守るティティスすら、此処では浮遊能力を使っていた。
そうなると歩いているのはディアーネだけなのだが、此ればかりは仕方なかった。
「それにしても、こんな足場で襲われたらかなり不利になりますねぇ」
「だね……正直此処で立ち回る自信ってないよ」
今はそれほど深くない水であるが、此れが腰の高さまできたらどうなるか。
悠長に歩いているときに、下半身に肉食魚が群がって来るという可能性すら考えられた。
そもそも少女達の狙うオルカブレードにしても凶悪な肉食魚である。
群れで遭遇した場合、水牛程度なら解体して餌にしてしまうというのだから。
ティティスは盗賊として不意打ち警戒技能を持っているが、空気の流れが無い水中に対して違和感を感じにくかった。
不利になる要因だけが幾つも思いついてしまう中で、少女達は重い溜息を吐く。
「これ、飛べるフェアリーかセレスティアが居ないと釣りどころじゃないっすよ?」
「ですね……後は浮遊能力のある装備でも量産されない限り、難しいでしょう」
「こうやって幻のお酒が本当の幻になるわけですね」
ディアーネが少しずつ足場を確認するように、慎重に歩を進める。
行軍速度は非常に緩やかなものになったが、安全には変えられない。
このような時、後ろから急かされる心配がこのメンバーに限って言えば無い。
前衛のディアーネに取ってはそれが非常にありがたかった。
「お爺さんが教えてくれた釣り場って、この先だっけ?」
「はい。一つ先のフロアに水より高い床と、広く深い水場が隣接する絶好のポイントがあるそうです」
「陸地に居るときに捕まえるって出来ませんか?」
「……この足場に来るまでは、それも考えていたんだけどね……」
「まず無理でしょう。相手の足は速いらしいですし、この足場も苦にしないそうです。攻撃魔法で吹き飛ばしたら材料が痛みますし、状態異常魔法って効きが悪いですからね」
凶悪な切れ味を誇るオルカブレードのヒレ……
反面そのヒレは折れやすく、しかも本体から切り離されたヒレは急速に劣化して萎れてしまう。
結局ヒレ酒を造るためには、水中に居る時に釣りあげて生け捕りにするしかない。
エルシェアは底引き網を複数ばら撒く方法を考えていたのだが、老店主に網がズタズタに切り裂かれるだけだと言われて納得し、諦めた。
白地図を埋めつつ進む堕天使。
その白衣を、後ろの妖精が緩く引く。
「先輩、右……」
ティティスの声に視線を向ける。
其処は直進と右折の分かれ道になっており、目的地は直進の方向にある。
右手の通路には、現状で用事は無いのだが……
「ティティスちゃん?」
ディアーネが足を止め、しかし振り返らずに確認する。
妖精は腰から魔力を持った短剣『パリパティ』を抜き放ち、中級魔法を速射した。
「『ダクネスガン』」
闇を繰る少女の術は影を介して通路へ伸び、適当な位置で爆破をかける。
爆ぜた闇は通路に潜む魔物を巻き込み、悲鳴と怒号が聞こえてくる。
「お見事」
「流石ですねぇ」
ディアーネは背中から大剣『魔剣オルナ』を抜き放ち、エルシェアはその左手に盾『アダーガ』を構える。
購入したばかりのシックルも右手に握るが、使う機会が在るかどうか……。
「鎌を試してみたいのですが……」
「それは時の運って事で」
「ですね。無理に狙うのは止めておきます」
丁度その時、ティティスが放った闇を抜けて現れた七の影。
事前に交易所の老店主が教えてくれた、この迷宮ではポピュラーな魔物『マーフォーク・ロード』である。
体長はヒューマンの成人よりやや低く、二足歩行。
その全身からは鱗が生え、手には三叉の銛を持った半魚人であった。
「来いよバケモノ。刺身にしてやる」
オルナを脇構えに構えつつ、三歩進んで左膝をついたディアーネ。
この時悪魔がどれ程好戦的な顔をしていたか、後ろに居た堕天使と妖精に知る術はない。
ただ、本能的な恐怖を刺激されたらしい魔物が、躊躇うように一歩を退いた事から推測するのみである。
通路の中央に片膝をつき、横薙ぎに払う構えを見せる悪魔の少女。
魔物の群れは待ちの姿勢を見せる相手に攻めあぐね、状況は一瞬膠着する。
この一瞬で決着はついた。
「『ダクネスガン』」
「『シャイガン』」
後衛の堕天使と妖精の声が順に響く。
膠着に拠って稼がれた時間は、二人の魔法の完成に費やされた。
ディアーネは足場の悪い場所で自ら切り込むリスクを避け、相手の足を止めながら後衛の援護を待ったのだ。
闇と光が交互に爆ぜ、五匹のマーフォーク・ロードを仕留めた。
その影にいてダメージの少なかった二匹が、無謀な特攻をかけてくる。
速度としては遅くないが、ディアーネに取っては早くも無い。
「……さっさと逃げりゃいいのにさ」
嫌そうに呟く悪魔は、それでも全く躊躇せず片膝をついたままオルナを振るう。
銀の閃光が一筋奔り、剣の間合いに踏み込んだ魔物を、手にした銛ごと胴斬りにする。
切り裂いたなどと生易しいものではない。
斬撃の勢いは苛烈すぎ、二つに別たれた魔物の体が、紙の様に吹っ飛んだ。
その間隙に悪魔の脇を抜けようとしたもう一体の半魚人。
大型武器は振った後の硬直が長い。
巨大な質量と慣性に拠って生み出される破壊力は、最終的には持ち主の負担となって代価を強いる。
ディアーネにしても例外は無い。
少しだけ普通と違うとすれば、彼女はその負担すら利用し、次の斬撃に繋げる技を知っているだけである。
「んっ、しょっと」
それは冗談のような光景だった。
一体の魔物を切り飛ばした悪魔の魔剣は、振り切った慣性をそのままに旋回。
刃は少女の頭上に昇り、その勢いに従い自然に立ち上がる悪魔。
半瞬の間すら置かずに薙がれた剣は、少女の頭上に大上段で構えられていたのである。
斬りと返しが早すぎた。
呆然と足の止まった半漁人。
堕天使は容赦なくその首を鎌で刈り取った。
一方的な殲滅が終わる。
「お爺ちゃんの話だと、こいつらは此処で強いほうの魔物だったよね」
「ですねぇ」
「あの感じですと、古代魔法なら一発だったと思います」
圧勝の末にまだ余力と切り札を残す三人娘。
しかしその表情には余裕も油断もありはしない。
むしろ何かに追い詰められたかのように、真剣な表情を交し合う。
「まぁ、『冥府の迷宮』の例がありますから……何事も安全を第一に、油断せず、確実に……息の根を止めて行きましょう」
「うぃっす」
「異議なしです」
物騒な半眼で呟く少女達。
過去に迷宮探索で死に掛けた彼女らは、このような場所で魔物に容赦は無縁であった。
無縁にならざるを得なかったと言った方が正しいが。
それぞれの決意を持って頷きあった三人。
その時、悪魔はそれまで無かったはずの白金の箱に気がついた。
「お? さっきの奴らが落としたのかな?」
「その様ですね……ティティスさん」
「お任せください」
この世界、魔物はその強さに応じて宝物の箱を落とす事があった。
実は冒険者に取っては『真の敵は宝箱である』などという教訓や、それに纏わる有名な逸話が数多く残されていたりする。
それは屈強な冒険者が、宝箱にかけられた致死性の罠であっさりと命を落すという事故が、未だに後を絶たない為であった。
しかし今回は盗賊技能を修めたティティスの手により、比較的……
あくまで比較的だが、安全に宝箱を開ける事が出来る。
「……」
妖精は慎重に箱を調べ、罠の有無を特定する。
箱自体に仕込まれた呪いの様なものを感知したティティスは、今度は罠の種類を確認する。
「『堕天使の気まぐれ』だと思います」
罠を特定したティティスは、とりあえず即死する危険は少ない事を伝える。
返答は無い。
首を傾げて周囲を見渡したティティスは、十五メートル程離れて盾を構えたエルシェアと、その背中に張り付いた悪魔を発見した。
「先輩方! それはちょっと、なんていうか……!」
「いやほら、致命の罠に掛かって全滅とか洒落になっていませんし」
「ティティスちゃん、骨は拾ってあげるからね」
「はぅ……先輩が最近冷たい……」
涙目で箱に目を戻したティティス。
一つ息を入れると、罠の解除を試みる。
箱に描かれた自然な模様の様に見えた魔法文字を、手にした薄刃のダガーで削る。
呪いの意味を書き換えて無効化し、箱から微弱な魔力が抜けた事を確認した。
後ろで警戒を続ける先輩コンビに、無言でOKサインを出す。
「流石ティティスさん。信じていましたよ」
「頼もしく成長したね、ティティスちゃん」
頬を膨らませながらも褒められた事に顔がにやけるティティスは、針金を二本用いて簡単に箱を開錠する。
箱の中から現れたのは、一振りの片手剣。
それはディアーネの持つ魔剣には及ばぬものの、エルシェアが買った既製品は上回るであろう業物だった。
「此れは……『破邪の剣』ですねぇ」
「おお、割とレアだね」
武器そのものに呪いがない事を確認し、ティティスは堕天使に手渡した。
少し考え込んだエルシェアは、剣をディアーネに回す。
「ディアーネさん、サブウェポン欲しがっていましたね。これなんか如何です?」
「ん……いいの?」
ディアーネは両手で大剣を使うため、基本他の武装は持たない。
しかし以前、此れを堕天使に貸してしまい、自分は強敵に素手で立ち向かってしまった事があった。
その場の勢いで無謀な戦いをしてしまった事を反省した悪魔は、予備の武器を探していたのである。
「はい。持っているだけで魔法に打たれ強くもなりますし、前衛が持つのが良いでしょう」
「ありがとう。それじゃ遠慮なく使わせてもらうね」
破邪の剣はその威力もさることながら、本当の価値は対魔能力にある。
邪を退けるその力は、強力な魔法防御となって現れるのだ。
この剣ならば例え普段使わなくても、装備していれば魔除けの加護は有効に活用できる。
その意味で、ディアーネと相性の良い剣と言えたかもしれない。
「此れで多少ディアーネ先輩を巻き込んで、攻撃魔法使っても大丈夫ですよね?」
「ぇ!?」
「そうですねぇ……今度敵が現れたら、二人して『ビッグバム』共演と行きましょうか?」
「待って! 死ぬから。私それ死んじゃうから!」
楽しそうに物騒な発言を繰り返す堕天使と妖精に、悪魔の少女が縋りつく。
その姿はとても先程、魔物の群れを一蹴した冒険者と同一人物には見えないのだった。
§
探索は順調に進んでいた。
水位は悪魔の膝を超える事はなかったし、強力な魔物も出てこない。
ディアーネは此処での基本的な戦闘スタンスを待ちに決めていた。
大剣を構えて相手を威嚇し、それでも飛び込んできた相手だけを切る。
相手が警戒して止まれば、最初のように後衛が魔法で突っかける。
魔法に煽られて強制的に動かされた魔物を、ディアーネが一つずつ切り倒すのだ。
魔物の中には魔法で応戦してくるものもいたが、三人の魔法防御は高く大きな傷が入らない。
結局かすり傷を入れたそばから妖精に治され、堕天使の魔法で崩される。
そうして群れから分断された魔物は、悪魔の大剣の餌食になった。
では誰も躊躇せず、一度に多くの魔物が前衛に押し寄せたらどうなるか?
その時は堕天使が悪魔と並んで前列に入る。
そうして前衛が凌いでいる間に、妖精の強力な古代魔法で一蹴するのだ。
「まるでイージーモードっすねー」
既に相当数の魔物がこの戦法に掛かって駆逐されている。
その際には本命のオルカブレードが混ざる事もあったのだが、敵意むき出しで襲ってくる相手を無傷で捕獲するのは簡単ではない。
必殺の機会を見送って不測の事態を招かぬために、三人は釣り場を待たずして遭遇した相手は全て倒す事にしたのである。
「この分だと、もう直ぐ釣り場につけるでしょう」
「うぃっす。……ティティスちゃん、その盾どう?」
「私には少し重いんですけど……魔法使いとしては、とても良い物を頂きました」
ティティスの左手には此処で拾った盾が装備されていた。
『魔法の盾』と呼ばれるその盾は、物理防御力に咥えて対魔処理された材質が魔法の防御にも優れている。
更には受けた魔法の魔力をある程度盾に溜め込み、持ち手の魔法使用時に上乗せする事で武器にもなる。
金属の盾であるためやや重量が厳しいが、その性能は正に魔法職の為の盾と言えた。
もっとも妖精に取っては性能よりも、武器と盾を持ったスタイルが堕天使とお揃いになった事の方が嬉しかったが。
「宝箱って凄いですね、先輩」
「本当だね。いい物がいっぱい入ってるよ」
「それ故に欲を出し、痛い目を見る冒険者が多い事も事実ですがね」
迷宮探索は明確な目的を持ち、その途上で手に入ったモノはあくまでオマケと割り切る。
そして最初の目的を達したときは、執着せずに帰還する。
それを忘れた時、最悪の事故が起こるのだ。
目的を達する前にその様な事が起こったなら、それは運の問題ではなく実力の不足である。
堕天使の言葉に頷いた悪魔と妖精。
エルシェアは以前所属していたパーティーで宝箱の処理で痛い目にあっており、その言葉は重かった。
「とは、言ってみたものの……」
「お?」
「そろそろ私が使える装備が出てくれても良さそうなものなんですけどねぇ……」
「あ、あはは」
拗ねたように呟く堕天使に、後輩が乾いた笑みを浮かべる。
ディアーネの剣もティティスの盾も手に入ったのに、エルシェアが使える装備だけ出てこない。
剣は相棒が持っていたほうが有意義だし、盾に関してはエルシェアの方が既に強いものを持っている。
決して装備で不遇な訳ではないのだが、何となく冒険先で手に入れた装備と言うものが羨ましい堕天使だった。
「何言ってるの? エルだってほら……凄いのあるじゃん」
「っちょ!? それ近づけないでください怖いですからっ」
ディアーネが不思議そうに道具袋から取り出したのは、身の丈程の大きさの凶悪なフォルムの両手鎌。
その名を『命を刈る鎌』と呼ばれる一品だった。
勿論、此処の魔物が落とした宝箱に納められていたモノである。
材質は分からないが相当な業物であり、見た目の雰囲気もシックルとは比べ物にならない。
少女はその鎌を手に入れ、嬉々として一振りし……その場で派手に倒れこんだ。
持ち手の生命力を代価に真の力を発揮するらしいその鎌は、知らずに振った堕天使の体に予想外の変調を与えたのだ。
「とりあえず其れは封印です。なんというか、真の強敵と戦うときまでっ」
「そっか。でもさ、この鎌だったら、会長との戦いは逆に楽になったんじゃない?」
「そうですねぇ……全く違うアプローチも出来たでしょうね。それで勝てたかは微妙なところでしょうが……」
つき返された鎌を再び道具袋にしまいつつ、ディアーネは相棒に尋ねる。
命を刈る鎌は確かに持ち手に消耗を強いる。
しかしエルシェアが三学園交流戦の優勝決定戦で大きな傷を追い始めたのは、セルシアに武器が壊された後の事。
あの時この鎌であればセルシアと言えども簡単には破壊出来なかったろうし、そうなればまた違う展開もあっただろう。
先程堕天使自身が言ったように、最終的に勝てたかどうかは別の話だとしても。
「ですが私、自分が凄く可愛いですから、ああいう自虐入った武器を使うのは好みではないのです」
「私もエル先輩が突然倒れるとか、心臓に悪いです……」
「そだね。でも身を削って使う切り札ってなんかこう……熱くなるね!」
「私はノーリスクでハイリターンが好みなんですが、中々そういうのも無いんですよね」
テンションの高い悪魔に苦笑した堕天使は、喋りながらも地図の記入を怠らない。
やがて三人は目的の釣り場に到着した。
長い通路のつきあたりはちょっとした広場のようになっており、周りの床より一段高く浸水を免れている。
ディープゾーンに囲まれたその場所は完全に行き止まりであるが、確かに釣りをするには向いていた。
「此処のようですね……」
「結構広い足場っすね。私が剣振り回しても余裕かも」
「広いに越した事は無いですよ。それじゃ結界張りますね」
陸地に上がったティティスは自分の荷物を一度置き、『厄除けの塩』を四方に配置し、其処を起点にして結界を張った。
迷宮内で小休止を取るときの常套手段であり、此れでよほどの事が無い限り魔物は近寄ってこない筈である。
「ん……靴乾かしたいんだけど火って不味いかな?」
「此処は随分広いですし、私達の焚き火くらいで酸欠にもならないでしょう」
「真冬の水ですもんね……先輩、足大丈夫ですか?」
「正直寒いよー」
「エル先輩も、寒くないですか?」
「……寒いに決まっています」
待ちのスタイルで戦って来たディアーネは無論だが、一度半失神して床に倒れたエルシェアもずぶ濡れである。
濡れた衣類は二人の少女の体温を容赦なく奪っていた。
本当に浮遊できる者でなければ、こんな所へ釣りになど来るものは稀だろう。
悪魔はさっさと靴を脱ぎ、妖精は手早く火を起こす。
その横では、堕天使が早速釣りの支度を始めていた。
「えぇと? 釣り糸に釣り針を結わいて……浮きと呼ばれる仕掛けをつけて、餌を針に引っ掛けて……」
「その餌こっちで焼いちゃいたいなー」
「ステーキ用のお肉ですからねぇ……贅沢です」
ティティスが魔法で起こした焚き火に、ディアーネが寄り添っている。
足を暖め靴を乾かし、エルシェアに手渡された釣竿を確認した。
今回は根魚狙いの為、釣り糸は底に届くように相当長くなっている。
とりあえず交易所の店主から教えて貰った形にはなっていた。
「此れを水面に沈めて、水中で餌に食らいつくのを待つんだね?」
「そうらしいです。すると餌の中に在る釣り針が刺さって、その時浮きが沈みます」
「その時にビシッて竿を合わせて、相手を弱らせながら釣り上げるんですよね」
手順を確認する三人娘だが、実際に釣りを経験した事があるものはいない。
理屈が分かっても実際にはやって見なければ何とも言えない部分が多すぎた。
思い思いの位置にエサ付き釣り針を飛ばす少女達。
浮きの沈みさえ見逃さなければいいと言う事で、このまま自分達の食事に入る。
定番のおにぎりと、此れだけはエルシェアが常に切らさない紅茶。
今回はノイツェハイムで仕入れたアイスクリームも用意してある。
「それでも、魚より質素って言うのは何となく負けた気がするなぁ」
「そうでもありませんよディアーネさん。だってこのお肉、彼らに取っては最後の晩餐になるのですから」
「そっか。それなら贅沢させてあげるのも優しさだよね」
とりあえず納得した悪魔は、既に三つ目のおにぎり攻略を開始していた。
今回の探索で用意したおにぎりは五十個。
そのうち六割は此処で悪魔のお腹に消えるだろう。
「……」
堕天使は常と変わらぬ健啖振りを発揮する相棒に目を細め……
ふと気になって眉をひそめた。
ディアーネは体型的にはスレンダーであり、背が高い事もあって非常に締まった印象を受ける。
エルシェアは自分が贔屓目で相棒を見ている自覚もあるが、客観的に見てもこの悪魔は痩せ型の美人であろう。
摂取しているカロリーは桁違いにディアーネが上のはずである。
なのに、この悪魔は何故太らない?
堕天使は目前に突如として顕現した世界の不思議に、或いは不公平に、思考を半ば強奪された。
「ん?」
ディアーネは正面に座る相棒が、自分を凝視している事に気がついた。
小首を傾げて視線で用件を問いかけるが、エルシェアは自分の世界に入り込んで反応が無い。
しばし無言のにらめっこが続いた末、堕天使は唐突に問いかけた。
「ディアーネさん」
「んー?」
「貴女は何故太らないのですか?」
「あぁん?」
おにぎりを頬張ろうと大きなお口を開けたまま、悪魔の少女は固まった。
悪魔の瞳が相棒と後輩の間をせわしなく行き来する間に、堕天使は再び問い詰めた。
「ディアーネさん、私の数十倍の栄養を取っているじゃありませんか? にも拘らず私が横に成長するのに対し、貴女は縦に育っています。不公平です」
「数十倍とか……いや、其れより横って……私からすりゃ羨ましいっすけど……」
ディアーネは堕天使の豊かな胸元に視線を落とし、自分の慎ましやかな其れと比較してややめげる。
相棒はどうやら自身の体型について悩んでいるようであった。
しかし悪魔の目から見たとき、堕天使の身体は出る部分とへこむ所がはっきりとした、理想的な型だと思うのだ。
「エルは胸にお肉がついてるから、周りも大きく見えるだけだと思うよ」
「むぅ……」
「まぁ、それでも納得行かないと言うのなら……」
ディアーネは手にしたおにぎりを食べ終え、次のおにぎりを手にする前に右手を差し出す。
其れは少女らしい柔らかな手ではない。
重い剣を振り回してマメが出来、更に其れが治らぬうちから剣を振るい、マメが潰れた上から更にマメが出来てしまった手。
堕天使は相棒の手を取ると、その平に視線を落す。
パーティーの前衛として、この上なく頼もしい手だと思う。
この手に守られているのだということが、エルシェアには誇らしい。
「私はこの後も帰ったら、英雄学課でひたすら血マメ潰すまで剣振り回すのね?」
「ほう?」
「エルってばどうよ? 帰ったらコタツに潜ってポテチ摘んで紅茶すすって、魔導書読むだけでしょ」
「ぐふっ」
「それで色んな事を覚えちゃうエルはマジぱねぇっすけど……毎日そんな食っちゃ寝繰り返してたら、そりゃぁ……」
「あうぅ……言わないでください言わないでください言わないでくださいいわないでくださいわないで……」
悪魔の精神攻撃に、早くも心を折られ掛けている堕天使。
この時今まで黙っていた妖精が、悪魔の言葉に待ったを掛けた。
「あの……エル先輩は決して食っちゃ寝とかしてないと思います。と言うか私、先輩がいつ寝てるのか不安になる時があるんですけど……」
「ん?」
「……え」
後輩の言葉に疑問符を浮かべた悪魔と、崩壊寸前の心を気力と言う名の接着剤で埋めて復帰した堕天使。
それぞれの表情で後輩を注視する。
ティティスは一息に言葉を紡ぐのではなく、自分の中の記憶を辿りながら話していたため、続く発言はかなり遅くなった。
「えっと……交流戦の優勝決定戦の後って、私達全員ボロボロで臨時にお休み貰ったじゃないですか」
「あぁ、あったねー」
「私その日の深夜、エル先輩の部屋に行ったんですけど……」
―――何をしに?
先輩コンビは素早く視線を交差させ、瞳で意思の疎通を図る。
目で問うた悪魔。
首を横に振る堕天使。
二人は同時に後輩を見るが、当のティティスは当時を思い出そうと視線を上に向けていた。
本来なら怪我で休んでいるはずのエルシェアの元へ何をしに行ったのか?
しかも深夜……
「えっとティティスさん?」
「はい?」
「幾つか問い正したい所はあるのですが……貴女もしかして、アレを見ましたか?」
「見学させていただきました」
「そんな……人の気配なんて感じた事は……」
「私盗賊もやってますから」
「やだ、この子怖い」
事も無げに語る後輩。
徐々に手強くなって来た妖精に、堕天使は深い溜息をつく。
別にティティスなら見られても構わないのだが、自分がその事に気がつかなかったというのは大いに困った。
エルシェアにも盗賊学課の経験はあるのだが、今一度復習しておく必要があるかもしれない。
主にプライバシーを守るために。
「そしたら先輩、夜中に『歓迎の森』で色々練習してたじゃないですか!」
「エルってば秘密特訓を!?」
「何か勘違いなさっているようですが、秘密特訓ではなくて通常メニューです。冒険者に必要最低限の」
ふて腐れたように言い訳を重ねる堕天使。
ティティスは一度エルシェアの顔を確認するが、別にその話題を嫌がっている節は無い。
ディアーネもその事を敏感に感じ取り、ティティスに内容を聞いてみた。
「どんな事してるの?」
「えっと……結構高い木の枝に自分の足を結わえて、逆さ吊りで腹筋と背筋を随分と……」
「その後はひたすらイメージの相手とシャドウです」
「先輩凄いんですよ! ちゃんと相手の人もいるみたいでした!」
エルシェアが今も続けているその内容は、ドラッケンの留学中にカーチャに仕込まれた筋力トレーニングだった。
腹筋と背筋は体全体のいかなる動作にも使う為に重点的に鍛える。
それ以外の筋肉には、必要なものと不要なものがある。
不要な肉をつけてしまうと、其れは関節稼動域を狭める上に無意味に重量を上げてしまう。
では必要な筋力だけを付けるにはどうするか?
それは目的とする動作を繰り返す事である。
エルシェアの場合は冒険者としての戦闘に耐えられる力が欲しいのだ。
ならば自分のスタイルでの戦闘行為を繰り返した時、そこで使う筋肉こそが本当に堕天使が必要とする部分と言う事になる。
「……」
堕天使の脳裏に蘇るのは、留学中の地獄の日々。
マットの上に仰向け寝かされ、ひたすら重いゴム球を腹に落とされた。
飛行能力を封じられ、逆さ吊りにされて下から火で炙られた事もある。
その訓練の直後、床を這ったエルシェアに掛けられる師たるカーチャの嘲笑。
筋肉痛を怒りが凌駕し、手にした鎌でひたすらカーチャに襲い掛かってはあしらわれる日々だった。
「うぅ……」
「え、エル! どしたのっ?」
辛い思い出に涙ぐんだ堕天使を気遣い、相棒が駆け寄ってくる。
俯いて肩を震わせるエルシェアの背中を、ディアーネが優しく擦る。
今ならばあの修行の意味は分かるが、当時は本当に潰されるかと思ったものだ。
そしてもし潰しても相手は保険医。
例え本当に死んだとしても、過労による心停止くらいなら簡単に癒せてしまう。
先への不安と、死すら安らぎになりえないと知って本当に心が折れかけた。
暗闇を照らす光は三ヶ月という定められた期間があったことと、その間に先に進むであろうディアーネとティティスへの意地に他ならない。
今の堕天使の身体は、そうやって作ってきたモノである。
ティティスが知っている事は、留学から戻った後のエルシェアの姿のみ。
しかし努力している姿は、しっかりとその目で見ているのだ。
「ディアーネ先輩が頑張っているみたいに、エル先輩だって頑張っています。体重が増えたって言うのは、筋肉がついたってことだと思うんですけど……」
「……其れも年頃の女として、どうなんでしょうね?」
「あ……えっと……」
背の低い妖精を更に下からすくい上げるように見据える堕天使。
どんよりと濁った半眼でねめつけられたティティスは、思わず言葉を飲み込んでしまう。
言われて気がついた事は、贅肉だろうと筋肉だろうと嵩が増えたと言う事それ自体が、少女に取っては死活問題だということだった。
ティティスが言われるまで気づかなかった理由は一つ。
彼女もディアーネに近い細身の身体であり、小食な事も手伝って体重増加現象を経験した事がないからだった。
「でもさ、深夜にそんな事してるって……毎日でしょ?」
「それは……こういうことは繰り返さないと意味ありませんし」
「いつ寝てるの?」
「だから昼間コタツでグダグダと……セレスティアは眠りの仕組みが他種族と少し違いますから、寝溜めも余裕なのですよ」
堕天使の言葉に、ディアーネは苦笑と共に理解した。
エルシェアは自分なりに時間を有効に使っていたのである。
昼間のグダグダを良く知るが故に、自分が休んでいる夜に相棒が何をしているのかを知らなかった。
要するにこの堕天使は、何故か一般人と昼夜の使い方が逆転していたのである。
「ね、ね! 今度一緒にやろ? イメージより本物の私と勝負してみよう。私もエルとやってみたいよ」
「私は一度も貴女をイメージしているなんて言っていませんが?」
「でもエルが其れをするって言ったら私か、さもなければ会長くらいしかいないでしょ」
「……偶に、貴女にしてもティティスさんにしても、私以上に私の事を知っているんじゃないかと思うときがありますよ」
「エル先輩、愛されているんですよ」
ディアーネとティティスは顔を合わせ、同時に拳を突き出して親指を立てる。
苦笑した堕天使は、顔を上げると何時もの拍子を取り戻した。
とりあえず体型の問題は保留にする事に決めたのだ。
何時もの雰囲気に戻った三人娘。
幸せな少女達は気づかない。
三人の釣竿は、当の昔に一度浮きが沈んでいた事に。
野生のオルカブレードは水面下で芸術的な餌外しを披露し、最後の晩餐を思わぬご馳走に換えて悠々と巣穴へ引き上げていたのであった……
§
三人娘がその場を後にしたのは、到着から二刻後の事だった。
あれから釣りに集中しだした少女達だが、オルカブレードの神業のような餌外しに悉く食い逃げを許し、結局一匹の捕獲も叶わなかった。
「いやー。凄かったっすねあいつら、魚の癖に! 釣りが此処まで奥深いものだとは!」
帰り道、興奮したように話すのは前衛たる悪魔の少女。
初めて体験した釣りでその難しさに触れた彼女は、今まで其れを為してきたノイツェハイムの住民を心から尊敬するのであった。
「釣れなかったのは残念でしたが、装備は随分と充実しました。特にティティスさん、『それ』帰ったら着て見せてくださいね?」
「……本当に着ないといけませんか?」
「勿論ですよ。その防具は正に、貴女の為に神様が下さった贈り物としか思えません」
「エル先輩、神様なんか信じていないくせに……」
怒ればいいのか、それとも泣けばいいのか……
感情の選択に迷ったティティスは疲れたように肩を落とす。
その手にはマニア御用達のネタ防具、その名も『レオタード』が握られていた。
既にその製法はロストしており、練金レシピの存在しない奇跡の一品。
それは引き上げの際、最初に遭遇したマーフォーク・ロードが落としたモノだった。
「まぁ……性能だけなら本当にティティスちゃん向きだよね。品物がエルの趣味だったのはご愁傷様だけど」
単なる服としてのレオタードであれば、現在の技術でも再現は可能である。
しかし本当のレオタードとは、使用者に対する様々な恩恵をもたらす戦装束。
今回手に入れた品は、間違いなく本物である。
しかも此れは並の本物とは訳が違う。
「既に八段階もの強化が施されておりますから、防御能力もそれなりになるでしょう」
「素材に使ってる繊維にも魔力篭っていたしね……此れは出すところに出せば、一財産になるんじゃないかな?」
「じゃあ売りましょう? 売って幸せになりましょう?」
「お金には困っていませんから却下ですね。私は其れを着た貴女を視姦する方が幸せになれそうです」
「ティティスちゃんの防具って此れと言ったモノがなかったし、安全を考えると着てもいいんじゃないかなぁ」
「み、味方はいないんですね私……」
結局の所エルシェアとディアーネに言われた事に、最終的に否は無いのがこの妖精。
しかも今回は自身の守備力という、ある意味では至上命題とも言える部分に直結する装備であった。
その性能を鑑みた時、確かに有用であるのは間違いないのだから。
「まぁ、普段から其れを曝せと言っているわけではありませんよ? 幸いにもデザインはシンプルですから、制服の下に着込めばいいのです」
「え!? 此れを着て首輪をつけて四つんばいになって散歩に付き合えとか言わないんですかエル先輩!」
「……貴女が私をどんな目で見ているのか、今の発言でよく分かりました」
「いや、私も其れくらいさせるのかなと思ってたよ?」
「ディアーネさんまで……其処まで期待されると、応えてあげたくなるではありませんか……ねぇ、ティティス?」
「ひぃぃ!」
艶然と微笑む堕天使の横顔に、真剣な身の危険を感じた妖精さん。
エルシェアがその気になったなら、ティティスを社会的に抹殺した挙句に自分の下で飼い殺しにするくらいは出来るだろう。
もっともその場合でも恐らく、大事にはしてくれるだろうなという確信めいたものがティティスにはあるのだが。
「すいませんエル先輩。私も少し人並の青春を謳歌したいので、あまりにマニアックな事はちょっとご勘弁を」
「最初から素直にそういえばいいのです。少し甘くすると直ぐ調子に乗るんですから」
其れはマニアックな事でなければ何をされてもいいという発言にも取れる。
その可能性に思い至ったディアーネだが、敢えて何も言わなかった。
きっと自分が考えているくらい、頭のいい相棒は気づいているはずなのだから。
だからこそ、悪魔が語るのは別の事だ。
「それにしてもあの魔物……宝箱に後生大事にレオタードなんかつめて、しかも小児用でしょ此れ?」
「まぁ……妖精か小人か、はたまた子供でないと着難い大きさではありますね」
「どう考えてもまともな趣味をしていたとは思えないっすねー」
「同感です」
実はティティスが着るのを渋っていた一番の原因は、羞恥心よりもむしろ此処にあったりする。
半魚人が家宝にしていたレオタードを着るのは、心理的にとても嫌だった。
しかし其処は打たれ弱い虚弱妖精の宿命か、背に腹は変えられないのである。
この件を諦めたティティスは、本来の目的に話題を戻す事にした。
「ヒレ酒どうしましょうか……手に入らないと、困るんですよね?」
「ん……別に困りはしませんよ」
「え?」
ティティスに答えた堕天使は、一つ息をついて苦笑する。
意外そうな視線を向けてくる後輩に対して、堕天使は悪戯っぽい顔で語る。
「無くて困るのはフリージア君であり、私達ではありません。少なくとも私の不利益は、リリィ先生に売る媚が一つ無くなったというだけです」
「あれ、でも手に入れてあげる約束したんじゃないの?」
「していません。私は偶々貴女が両方持っていたことを思い出し、『分けてもらえるように頼んでみる』と言っただけです。その結果三色団子は確保してあげましたし、ヒレ酒が無いからと言って恨まれる筋合いはありませんよ」
あっさりそう言い切った堕天使。
彼女の目的は執事競技会の体験コーナーであり、フリージアの事情など他人事だった。
それでも一応頼まれた事は果たしたし、その先も自分の都合と被る部分までは考慮してやったのだ。
これ以上を求めるのなら、フリージア自身による対価が必要だろう。
執事競技会に付属している体験コーナーは、別に彼の手柄ではないのだから。
存在を教えてくれた事には感謝しているが、其れは三色団子で相殺である。
「ええ。やはりこれ以上の義理もありませんね。私は鎌も買えましたし、皆さんと一緒に遊べて楽しかったですし、装備も色々手に入って、良い旅でしたよ」
「同感」
「異議なしです」
微笑みあう三人娘は、襲い掛かってくる魔物をひたすらにビッグバムで蹴散らしている。
行きはどの程度の消耗が必要か未知である為に、魔力の消費を抑える必要があった。
しかし帰り道はどの程度で終るか既に分かっており、温存を考える必要がなくなったのだ。
戦術を構築する手間と力押しで終らせる手間を考えると、後者の方が簡単だという結論に達した少女達。
彼女らと此処の魔物は其れを許してしまえるだけの実力差があった。
ディアーネがかなり暇になったが、この足場で近接戦闘を仕掛ける事こそ、事故に繋がる要因になりかねない。
此処は大人しくしている事がパーティーの安全に繋がると判断した悪魔の少女は、トーチ持ちの役目に徹していた。
「ねぇ、エル? 戻ったらさ、一緒に練金やろうよ! あれ面白かったし」
「ディアーネさん……ご一緒したいのですが、私学校の実験室は出入り禁止にされておりまして……」
「む……エルは学校の生徒なのに学校の設備が使用禁止って、其れは学費納めてる側からすると納得行かない所じゃないかな?」
「そうですね。何時か練金を必要とする日が来た時に、その理屈で強請ろうと考えていました」
「今は特に必要無いから、大人しくしている?」
「はい。んー……それにしても、練金かぁ……」
エルシェアはしばし足を止めて思案にふける。
遅れてディアーネとティティスも足を止め、堕天使の顔を伺った。
「……よし、いけるかな」
「今度はどんな悪い事考え付いたっすか?」
「遂に世界を征服する日が来たとか?」
「貴女達……いや、まぁ良いんですけれど。やっぱり、フリージア君が困る事を見過ごすのは、後味悪いと思いません?」
悪魔と妖精は顔を見合わせ、突然方針を翻そうとする堕天使に疑問符を浮かべた。
しかし裏を考えず質問だけに答えるのなら、話は決して難しくない。
「そりゃあ、手に入るものなら持って帰ってあげた方が良いんじゃないかな……とは思うよ」
「私も、そう思います」
「ですよねー。やっぱり皆さんもそう思われますよねー。それでは、後一頑張りだけして見ましょうかねぇ……うふふ」
右手の甲で口元を隠し、悪戯っぽく嗤う堕天使。
その顔はエルシェアにあまりにも似合いすぎて、相棒も後輩も思わず魅入る。
この笑みは向けられた相手を必ず不幸にするモノだと、二人は分かっていた。
もしも今のエルシェアをリリィが見ていたら、ドラッケン学園の保険医に似てきた事を認めて複雑な顔をしたに違いなかった。
「どうするの? 餌補充して後一日粘ってみる?」
「いいえ、少し寄り道しながら帰ります」
「寄り道とおっしゃいますと、海沿いの町で普通のヒレ酒を買うんですか?」
「それでは面白くないでしょう? ティティスさん、少し急ぎますので『バックドアル』お願いします。此処を出たら『スポット』も」
「えっと……どちらまで?」
可愛らしく小首を傾げ、小さな後輩が尋ねてくる。
楽しい事を思いつき上機嫌の堕天使は、その頭を撫でてやりながら答える。
「ドラッケン学園まで。其処で実験室をお借りして、少し練金で遊んでいきましょう」
「おお、エルがやる気を出しているっ!?」
「はい。何となく、クリエイティビティとイマジネーションが湧き上がってきたんです。この感じ……私、今ならヒレ酒を創れてしまいそう」
「……今、作るの発音おかしくなかった?」
「気のせいです。其れよりもティティスさん、早く。私の熱が冷めない内に」
「は、はい!」
迷宮脱出魔法を唱える後輩を横目に、堕天使は道具袋の口を開く。
取り出したものは、先程まで自分達が使っていた釣り針三つ。
ヒレ酒の練金調合。
今の堕天使なら、多分出来る。
同質同成分同素材のモノは確かに届けてやろう。
しかし同時に肥える等とほざいた男への復讐も忘れてはならない。
「オ ボエ テ オ キナ サ イ」
堕天使の呪詛を聞いたのは、本人以外にいない。
丁度その時ティティスの魔法が発動し、三人は迷宮を後にした……。
―――その後
エルシェアは図書室で、フリージアが必要とするモノを手渡した。
フリージアは執事競技会で、若手でありながら見事入賞を果たす。
堕天使はエルフの快挙を仄暗い微笑で祝福し、彼女自身はメイド、執事体験コーナーで望みの学課の基礎を学んだ。
此れは競技会終了後、プリシアナ学園の片隅で交わされた会話である。
「今回は本当にありがとうございました。ヒレ酒は手作りとの事でしたが、本当に素晴らしい味でした」
「間に合って良かったです。ディアーネさんがもう少し残して置いてくだされば、直ぐにお届けできたのですがね」
「とんでもございません。セルシア様も、此度の創作料理はお気に召してくださいまして、正式にメニューに載せたいと考えております」
「そうですか。気に入ってくださいましたか、彼」
「はい。それで大変申し訳ないのですが、そのヒレ酒のレシピを、どうかご指南いただけないでしょうか?」
「へぇ、聞きたいんだ?」
「え、えぇ……」
「うん、いいよ。教えてあげる」
堕天使の圧倒的な腕力で肩を掴まれたエルフの少年。
エルシェアに引き摺られたフリージアが、実験室に連れ込まれる姿は複数の学園生が目撃している。
すれ違った生徒達は、何故か全く甘さを感じない美男美女の組み合わせに、首を傾げながら見送った。
その数分後……光の古代魔法と集団殲滅用爆裂魔法が飛び交い、学園施設の二割を瓦礫に変えた。
実験室で何があったのか、生徒達に知る術はない。
当事者達も硬く口を閉ざしている。
ただ、二人が一緒に保健室へ運ばれた事。
両者に謹慎一週間が申し付けられた事。
そしてエルシェアに続いてフリージアまで実験室出入り禁止にされた理由を、当事者達がいない所で噂するのみだった。
§
後書き
此処まで読んでくださった皆様、真にありがとうございます。
外伝Act1後編、此処にお届けいたします。
現在9人で2PT作って、同時進行させるプレイを続行中です。
それで三学園交流戦を終えた頃に、メインストーリーなどのおさらいをしながら、また書きたい衝動が沸き起こってまいりました。
しかしメインを進行させて完結させる自信もないので、此処は思い出深いサブクエスト等を『実話も交えて』書いて行きたいと思いました。
今回のお話はその第一弾と言う事になります。
このゲームの初回プレイ時、フリージア君に頼まれたヒレ酒が何処にあるのか分かりませんでした。
いや、同じ迷宮でほぼ同じ場所を目指すドラッケンのお姫様のクエストは出来ていたんですけどね……
一度埋めたマップにもう一度潜りなおすという行為がやや苦痛で、そんな意識でやってたから恐らく探索も雑になって、ヒレ酒見つかりませんでしたw
行き詰った時、道具袋の中で勝手に増えていたアイテムがあります。
此処の敵が落す属性付与アイテム『釣り針』。
ある時呪われた装備を解体して呪いを解こうと、学園待機組みのアサミン(公式キャラ)を実験室へ。
適当に弄っている内に、釣り針三つがヒレ酒になる事が判明しました。やってくれるぜアクワイアさん!
その後三色団子を探し周り、交易所で売っている事に気がつくまで10時間。
合計17時間ほど掛かった長丁場のクエストでした。
辛かった分思いでもいっぱいですorz
それにしても、釣り針三つを煮詰めて作ったヒレ酒ってどんな味なんでしょうね?
しかも摂取するのはフリージア君本人ではなくそのご主人様……
ぼくしーらなーい(*/□\*)
今回は思い出深い装備も幾つか出せましたので、近日中に設定資料を更新したいと思います。よろしければ、其方もご覧いただけると嬉しいです。
それでは、またの機会にお会いできる事を楽しみに、ここらで失礼いたします。
ありがとうございました。
追記
(7月2日、設定資料を更新いたしました)