『水に守られし宮殿』は、以前にも訪れたことがある。
その時はセルシア付きの執事であるフリージアに頼まれて、料理の素材を探しに来た。
多くのエリアで踝から脛辺りまで床が水没している地形のため、非常に滑りやすい迷宮。
濡れることを嫌う少女達は、浮遊種族なのを良い事に舞い上がった。
「再び此処に来ることになるとは思いませんでした」
「前の経験が生きてきそうですね。敵も地形もある程度分かっているのですから」
堕天使は以前の探索で制作した地図を見ながら進行方向を示していく。
その間やや無防備な所を妖精が警戒し、危なげなく進んでいった。
前に地図を作った時、その範囲にはなかったアイテムを探すのだ。
既知のエリアを通り抜けて未踏破の部分を探していけば、いつかはたどり着けるはず。
前回の失敗を生かして最初の階層から空白を埋めていく堕天使。
数度の魔物の襲撃を一蹴して進むうちに、迷宮に残る異変に辿りつく。
「コレは……」
二人が見つけたのは、多数の魔物の死骸。
それも非常に新しく、血が乾いていないものばかりだった。
厳しい顔で舌打ちした堕天使。
ここに誰かが先に来ているという発想はなかった。
敵であるとは限らないが、知っていれば音と振動が響くような魔法攻撃は自重しただろう。
「誰か来ている……」
「街の人がヒレ酒造りの為じゃないですか?」
「だと良いんですけれど。それにしては傷が鮮やかすぎます」
「同業者だったりしませんか?」
「まっとうな冒険者なら、こんなところに一人では来ないでしょう? まぁ二人で来ている私達も大概ですが」
「一人!?」
「一人だと思います。死因が全部太刀傷なんですもの」
嫌そうに呟くエルシェアに、ティティスが改めて死骸を確認する。
近接物理攻撃で倒すとなれば、当然相手も反撃を試みたはずである。
その痕跡を探した妖精だが、見つかるのは斬られた魔物のみ。
魔法や後列武器を使用した傷が一つもなく、また全ての魔物に一箇所しか傷がないため、堕天使が一人と判断したのはティティスにも理解できた。
「ティティスさん警戒。三割増で注意して」
「はい」
「最も……良くて生徒級最上位、悪ければ教師級でしょうから、私達でも厳しいかもしれませんが……」
「あっちは此方に気づいているでしょうか?」
「気づいていると思います。私達は無警戒に魔法を使っていましたし」
不確定要素は常に自分に不利な方向で予想する堕天使。
敵であった場合に備えて警戒のレベルを高くする。
それは先制攻撃を掛けるためではなく、相手より先にその姿を発見するため。
味方なら兎も角、どちらか分からない状態で相手に発見されるのは危険だった。
「先輩、此処は一旦出ましょうか?」
「ん……それも手ですが……」
エルシェアは渋い顔で黙考していた。
ティティスからすれば非常に珍しい光景である。
はっきり言えば、堕天使は今回の目的、『ロイヤル家系図大全』が見たかった。
せめてノイツェシュタイン王家の家系図だけでも。
その昔、悪の魔導士アガシオンと戦ったという、光のセレスティアとディアボロスの勇者。
そのディアボロス側が起こしたという王国がノイツェシュタインである。
もしも光のセレスティアが本当にいたと仮定するなら、その存在を消し去った第一容疑者はディアボロスの勇者でありキルシュトルテの先祖であった。
逆に件のセレスティアが存在しなかったなら、ウィンターコスモス家とは一体なんなのか?
同じ時代の英雄を祖に持ち、違う伝説を抱いた二つの名家の謎は、エルシェアにとって非常に興味深いテーマであった。
「どうしようかなぁ」
本音を言えば堕天使は一人で進みたかった。
自分の好奇心とティティスの安全が対立するなら、後輩を戻して一人で行きたい。
しかしティティスがそれを承知するはずがなかった。
理性では撤退を是としながらも、感情が納得していない。
ロイヤル家系図大全は貴族にとって都合の悪い内容もあるだろう。
キルシュトルテすらその在り処を知っていながら放置されてきたのは、何らかの理由があると思う堕天使である。
そんな所に腕の立つ誰かが侵入しているのだ。
先に行く何者かはロイヤル家系図大全を手に入れる、もしくは処分する為に来たのではないか……
「……っ先輩!」
「ん?」
何時の間にか小指を噛んでいたらしいエルシェア。
後輩に呼ばれるまで気がつかなかったが、堕天使の犬歯は手の皮膚を切り裂いて出血していた。
忌々しげに小指を眺めているうちに、傷はティティスに癒される。
「先輩、行きましょう」
「え、行くんですか?」
「行きましょう。行きたいです」
真っ直ぐエルシェアを見据えて宣言するティティス。
エルシェアの様子から、彼女が本に未練があることはよく解った。
そして、一人なら迷わず進むだろうことも。
もしくは今から一人になるなら……
「私が邪魔なら、置いていってください。私、勝手に着いていきます。だから――」
勢い込んで言い募るティティスは最後まで喋らせて貰えない。
堕天使はそれまでの表情とはまるで違う、寂しそうな微笑を浮かべて後輩の頭に手を置いた。
「貴女がね」
「……」
「貴女が何時までも、私をそうやって甘やかしてくれるから、私もなかなか貴女のイメージが変えられないの」
「え?」
「私、馬鹿ですね」
微笑は徐々に苦味を帯び、遂に堕天使のそれは苦痛の色が混ざり始める。
実際この時エルシェアは、呼吸困難に近い症状に苦しんだ。
心と身体がバラバラになっている時に、稀に起こる発作の一つとして。
「私が貴女を守るから、貴女はそんなに焦るんですね。貴女はずっと、私の見方を変えようと頑張ってきたのに」
「あ……ぅ……」
「私、全然気が付きませんでした。何が貴女を追い立てているのか、誰が貴女を追い詰めているのか、知ろうともしていなかった」
初めてティティスと組んだとき、エルシェアとは既に大きな隔たりがあった。
元々入学してからの年季も違うし、ティティスにはエルシェアのような、周囲を圧する程の天性は持っていなかった。
そして最初に出来た距離感を埋めるため、ティティスは色々と無理をしてきたのだ。
『歓迎の森』では堕天使ですら虐めかと思うほどの特訓に耐えた。
『冥府の迷宮』でも遅れずに着いてきた。
堕天使が留学している最中は、リリィがブレーキをかけるほどに自分の限界までアクセルを踏み抜いた。
尊敬するディアーネと、何より憧れるエルシェアの為に。
エルシェアはディアーネにした配慮を、ティティスにはしてやれなかった。
「馬鹿か、私は……」
ティティスには時間がなかったのだ。
エルシェアが卒業する前に、居なくなる前に、なんとしてでもその隣に立たなければならなかった。
プリシアナ学園という枷が無くなった時、この気ままな堕天使が誰と何処に向かうのか、全く分からなかったから。
「エル先輩は、勝手に好きに、何処にでも行っていいんです。私が、ついて行きますから。何処にだって勝手について行きますから、私を理由には止まらないで……」
「解った。解りましたから泣かないで? 貴女が、私を守ってくれるんでしょう?」
「ん……はい!」
エルシェアはプリシアナ学園で、自分が一番ティティスを評価していると思っていた。
しかしどうやら自信過剰だったらしい。
涙を拭って歩き出した盗賊風味妖精賢者の背中を見ながら、堕天使はこっそり息を吐く。
こんなやりとりをしながらも周囲警戒を優先して、後輩に意識の全てを向けてやれない自分の首を、心の中で捩じ切りながら。
「死んでしまえばいいのに……」
自己嫌悪のような自傷行為は好きではなかった。
その点は今も同様だが、どうやら彼女は一生自分が好きになれそうにない。
それは、どうにも苦い認識だった。
§
エルシェアとティティスは警戒を怠らず、未踏破のエリアを目指して進んでゆく。
其のため行軍は遅くなったが、先行する何者かも同じ方向へ向かっているらしい。
そしてその距離は、徐々に小さくなっていった。
「追いついて……いますよね?」
「そのようですね。これなら前に釣りをした辺りで追いつけるかもしれません」
方向が同じらしいことは、時々落ちている魔物の亡骸が教えてくれる。
距離はその死骸が硬直しきっていない事から、相当近いと知れるのだ。
「先行者は、魔物に出逢えば足を止められますからね」
「後をついて行く私達は、戦わないで済んでいますから早いですよね。なんだか申し訳ないです」
ライトを掛けた杖を左手に掲げたティティスは振り向かずに答えた。
この様な時、魔法で脳に細工して既存の地図を頭に焼き付ける技術も存在する。
確かにこれは便利な魔法であるのだが、何処かアナログ好きらしいエルシェアは一貫して地図を使うのである。
実際に地図を作れば、無魔法の仲間がいた場合には最後の保険になる。
今回は二人とも魔法を使えるためにあまり意味はなかったが。
「……」
しばらく進むと、またしても剣で切り裂かれた魔物の亡骸……以外のモノが見えてくる。
それは致命傷を負いながら、意識もなく痙攣している『マーフォークロード』であった。
――近い!
堕天使は地図を仕舞って周囲状況変化を警戒するが、彼女の感覚ではまだ何も感じない。
一方でティティスは、聴覚より先に背中の羽で空気の振動を感じ取った。
人でない何かの断末魔。
方向は……
「先輩!」
「お?」
エルシェアの右手を取ると、一気に飛翔の速度を上げる。
彼女の感覚で、振動を読み取ったのは通路二つ先の広間。
其処は以前三人が釣りをしたあの場所である。
「彼処にいます……たぶん」
「なるほど、見晴らしも良く戦いやすい所で接触してしまったほうが良いでしょう。賛成ですティティスさん」
「はい」
目的地が決まれば、不意打ち警戒しつつ迅速に現場に向かう。
相手が移動する前に捉えたかった。
エルシェアは翼を打って速度を上げると、一瞬でティティスと場所が入れ替わる。
手を引かれる形から、手を引く形へ。
「むぅ」
「拗ねないの。貴女の火力は切り札です」
通路を真っ直ぐ突き抜け、広い部屋を更に進む。
此処までくればエルシェアも戦いの様子が聞こえていた。
おそらく魔物と思われる何かの怒号と悲鳴。
先行している何者かの声は聞こえなかった。
更に進み、再び通路に飛び込んで奥へ。
エルシェアの瞳が半眼に細められる。
ティティスの様子に変化はないが、堕天使はこの瞬間に音が消えた事を知る。
「……」
戦いが終わった。
相手は此方に気づいている。
それは敵か味方か分からない。
堕天使は左手に『アダーガ』を握る。
それは一尺強の直径の円盾であり、持ち主の魔力で刃を展開できる武器でもあった。
全力移動をしているために直ぐに通路の先が見える。
この奥は少し高い床になっており、水面は床の下になる。
堕天使は後手に回ることを覚悟し、そのまま通路を飛び出した。
「お?」
「む……」
奇襲は無かった。
かつて三人で釣りに来た部屋にいたのは、顔色の悪い少年。
抜き身の剣を携え、ボロボロのマントの下にはドラッケン学園のものと思われる制服。
目つきが悪くかなり刺々しい印象の、ヒューマンだった。
「プリシアナで白衣の堕天使……エルシェアか」
少年は低い声で呟いたのを、堕天使ははっきり聞き取った。
これだから名前など売れないほうがいいのである。
こちらは相手を知らないのに、向こうは自分を知っている。
それがどれだけ危険か、身にしみているエルシェアだった。
「……」
とても味方には見えなかったが、雰囲気だけで全ての相手と敵対していたら身が持たない。
ティティスは自然と手を離し、エルシェアから半歩下がって身構える。
いざとなった時、半瞬の間すら置かずに古代魔法を叩きつけることが出来るように。
「私も有名になったものですが、生憎と私は貴方の顔を知りません。お名前、教えていただけません?」
「……エデンだ」
「エデン……貴方があの、エデン君ですか?」
「あぁ、おそらくそのエデンだろうな」
嫌そうに呟くエデン少年は、プライドの為か偽名だけは使わなかった。
首を傾げた妖精は囁くように先輩に問う。
「お知り合いですか?」
「私と同期にドラッケンに入学した方です。非常に優秀な生徒であったと聞いています」
エルシェアにとってほぼ唯一名前を覚えた、同期の他校生が彼だった。
他人に全く興味が無かった当時の彼女でも、同類なら意識に入る。
「大陸中央の謎を探すとおっしゃって旅に出て、行方不明になったらしいですねぇ」
「よく知っているな」
「ドラッケンには留学していたことがあるので、少し調べてみたのですよ」
「なるほどな……ん?」
エデンは不意に何かに気づき、眉を寄せる。
以前エデンの仲間であるエルフの少年が、ドラッケンで出会ったと言っていた逸材。
同じ時期にドラッケンに留学していた、目の前のセレスティア。
彼の中で断片的だった情報が、この堕天使を前にして一つの線で繋がったのだ。
やや躊躇った後、彼はエルシェアに問いかけた。
「ドラッケン学園に留学というと、お前はアマリリスに出会ったのか?」
「出会ったと申しますか、キルシュトルテ王女に逆らって捕まっていた所を、逃がして差し上げたのですよ」
「……なるほど、それは迷惑をかけたものだ」
半眼で語る堕天使に、エデンは深い溜息を吐く。
同学年だったシンパシイからか、争うよりも互いの情報を整理する方向で話が進む。
この様な時、逆にそこに加われなかったティティスの方が目的をしっかり見据えていた。
「それで、あの……エデンさんはどうして此方に?」
「それは言わなければならないのか?」
「もちろんですよエデン君。此処は一応、ドラッケン学園が管理する迷宮ですもの。三学園の生徒以外が、許可も目的もなく侵入していては都合が悪いではありませんか」
「暗黙の了解があるだろう。ドロップアウターや卒業生が、腕試しに入り込むことは珍しくない筈だが?」
「……」
それは事実であったから、堕天使は口を閉ざすしかない。
エデンが公に出来ない、もしくはしたくない理由から単身ここに来た事は雰囲気から察した二人。
しかしそれを指摘するには、この方面からでは難しかった。
最も、性格の悪い堕天使はこの程度では怯まないが。
「そうですか。でも運が良かったですよ。あの有名なエデン君にお会いできたなんて、お友達には良いおみやげ話が出来ました」
「……」
オブラートに包むことなく、この遭遇を学園側に報告する事を匂わせた堕天使。
クエスト報告ではなく、個人的な知り合いに話すと言っている所がミソである。
交渉次第では、暗に黙っていてやると持ちかけているのだ。
エデンとしては自分が此処にきた事が明るみに出るのは避けたかった。
それはドラッケン関係者のみではない。
現在彼が所属している陣営にも、忍んで此処に来ているからだった。
数秒の間にらみ合い、エデンは譲歩を飲み込んだ。
「とある書物が、この迷宮に隠されている事を知った。それを探しに来た」
「他人様の家系図を覗こうなんて、あまりいい趣味ではありませんよ?」
「それは有名税だろうな。あそこに書かれているような連中は、特に」
「まぁ、それは否定しませんがね」
やはりロイヤル家系図大全が目的だった。
小さなやり取りからエデンの狙いを確定した堕天使は、内心肩を竦めざるを得ない。
運が良いのか悪いのか、こんなところでかち合わなくても良いだろうに。
「私達もそれが欲しいのですが、一緒に行きましょう?」
「弱者と組むつもりはない」
「……何か勘違いなさっているようですねぇ」
意地悪く嗤うエルシェアに、少年は舌打ちを隠せなかった。
エデンとしては早く会話を打ち切って探索に戻りたいのだろう。
エルシェアは勿論、傍で会話を聞いていたティティスすらその事がよくわかる。
しかし目的が同じと解った今、此処でエデンを逃がすことはできない。
現在エデンは一人であり、エルシェアとティティスは二人組み。
総戦力を比較しても、二対一なら間違いなく勝てるだろう。
しかし正攻法で負けないからこそ、、相手が搦手で来ることを警戒しなければならないのだ。
「あのですね、私は貴方の都合などお伺いしていないのですよ」
「む?」
「人手でも戦力でも私達が勝っています。貴方が目的のモノを手に入れるとしたら、漁夫の利を得るか奇襲するしかないでしょう?」
「……」
勿論そのつもりだったエデン。
その為にはエルシェアとティティスの目を離れなければならない。
弱者云々よりむしろそっちの目的で別行動したかったエデンだが、エルシェアがそんな可能性を放置する訳がないのである。
「そうと解っていますのに、別行動等許す筈ないでしょう? 武装放棄して私達の監視下で行動をするか、此処で消息を絶つか好きな方を選べ、と言っているのですよわたくしは」
「エル先輩、鬼ですか……」
「え? 今の私の発言で何処にそんな要素が……」
心外だと言わんばかりの堕天使に対し、ティティスは一歩踏み出してエデンに対して頭を下げる。
「失礼します、私はプリシアナ学園のティティスと申します」
「知っている。今年度の交流戦で頭角を現した新人……だったか」
「過大な評価をいただいてしまいましたが、その評価に少しでも実力を追いつけるために、新しい学科を学びたいと思っています。私達はその為に、ロイヤル家系図大全をキルシュトルテ様の元に届けなければなりません」
自分の人相が良くないことを自覚しているエデンは、真っ向から対峙してきたこの妖精を芯の強い少女だと評価した。
もっとも、高圧的に出てから誠意を見せて説得するのは脅迫の手管だと気づいていないようだったが。
エデンはティティスの態度と状況から真意を読みかねたが、堕天使が笑いを堪えている所を見るにこれは天然らしいと理解する。
「それで、あの……なんとか譲っていただくわけにはいかないでしょうか?」
「……」
黙考するエデンだが、自分の選択肢が多くないことは承知している。
流石にこの状況から二対一で勝ちきる自信はない。
その上で不意打ちも出来そうにないのなら、相手の条件を飲みつつ譲歩の交渉をするしかないのである。
エデンは指を二本立て、一つずつ折ってゆく。
「一つ。此処で俺と出会ったことは他言無用」
「それはまぁ、構いませんよ」
「二つ。本は持って行って構わない。だが手に入れたら持ち出す前に、俺に読ませて欲しい」
「目的は?」
堕天使の問いかけに、これは迷うことなく言い切った。
「ノイツェシュタインとウィンターコスモス両家に伝わる、魔道士アガシオンの記録に連なる手がかりを探している」
「なるほど、よく分かりました。所でこれを拒否したら、どうなってしまうのでしょうね?」
「確実に、どちらかを道連れにしてやろう」
「……了解です」
気負うでもなく淡々と必殺を宣言した少年に、エルシェアは嫌な汗を自覚した。
この少年は自分に似ている。
かつて漠然と感じた共感が確信に変わった。
敵に回したら非常に面倒な相手になるだろう。
この場で本当に、亡き者にしておいた方が良いのではないか?
堕天使はそう思ったが、未だ其処までの話になるとはこの時思っていなかった。
あくまでも、この時は……の話である。
§
エデンが装備していた『サーベル』と『シャドウバレル』を預かり、更に魔法を一時的に封印して、三人は先へ進むことにした。
初めからエデンを半敵と見なしているエルシェアに対し、ティティスは非常に申し訳なさそうにしている。
その対比が、少年には非常に印象的だった。
「本当に申し訳ありません……」
「構わない。寧ろエルシェアの対応の方が常識的だと感じる」
現在はエデンに『マプル』を掛けて地図役にし、パーティー中央に配置している。
その後ろからティティスが背後からの不意打ちとエデン本人を警戒する事になった。
これはエルシェアの手をあけ、最前線に立たせるための布陣である。
この期に及んでエデンが裏切る可能性は低い。
攻撃能力を奪われたまま迷宮内で孤立すれば、どうなるかなど火を見るより明らかである。
目的が一致した事もあり、エルシェアとしても口に出すほど疑っているわけではない。
「此処の魔物は弱くはないのですが、もう少し連携を取って来ないものですかねぇ」
「あの、それされたら困るのは私達だと思うんですが」
「楽なのは良いのですが、余り訓練にならないんですよね……」
呆れたようにぼやくエルシェアに、一応言ってみるティティス。
前線ではエルシェアが二匹の『オルカブレード』の攻撃を盾で受け止め、アダーガの魔力刃に引っ掛けて切り裂いている。
そうやって怯ませたところを、右手の鎌を用いてとどめ。
堕天使の武器はL字という特殊な形状の為、盾の裏側に居ながら相手を刈り取る事を可能にしていた。
「見事なものだ」
その戦闘技能を素直に賞賛するエデン。
先程合流してから、エルシェアは一匹たりとも魔物を後衛に流さない。
アダーガとシックルを巧みに操り、敵の前衛を止めながら攻撃魔法で後列の魔物を直接射抜く。
危なげない必勝パターンを構築して作業のように撃破していく手際は、少年の記憶にも多くない。
今も十匹近い魔物の群れは、エルシェア一人の手によって簡単に駆逐されていった。
「なるほどな。これがお前の……交流戦優勝メンバーの後衛が見ている光景なのか」
「はい。本当は更にディアーネ先輩もいらっしゃいますから、前衛はもっと硬いんですよ」
「ふむ、参考になる」
迷宮に入り、戦いもせずに完全な観戦をするような機会は滅多にない。
エデンは最早開き直り、エルシェアとティティスの戦力把握の機会と割り切っていた。
実際にはティティスは殆ど戦わず、今のところエルシェアが一人で片付けているのだが。
「……」
スピード、パワー、バランスが非常に高い水準で拮抗している堕天使は、その三つを身体の中で完璧に制御して戦っている。
以前のエルシェアは力の不足を速度でカバーしていたが、その必要が無くなった今、無駄な動作が驚く程少ない
対峙した相手にすれば、同じ時間軸で動いているとは信じられない速度差を体感しているに違いなかった。
普段はティティスのみが見ていた堕天使の背中を見つめる少年は、笑みを浮かべずにはいられない。
これはなかなか興味深い機会を得ることができた。
「速度でも技量でも力でも守れる時は、敢えて力技で押し返す傾向があるか?」
「そうみたいですね。たぶん力技を身につけたのは最近だから、いろいろ試しているんだと思うんですけど」
「なるほどな」
エルシェアは基本的に相手の攻撃を盾で受け止め、足の止まった敵の首を鎌で刈り取る戦法を繰り返している。
受け止めてしまえば堕天使の足も止まってしまうが、受けるとほぼ同時に相手の首が飛んでいるので殆どリスクになっていない。
更に攻撃魔法によって敵後衛も同時に崩していくエルシェアは、まさにやりたい放題の蹂躙を進めていく。
「もう少し嬲るのが趣味だと思ったが、意外に必殺を躊躇わないな」
「倒せる機会を先に送ったりしませんよ先輩は」
「……貴方たちは私の採点係ですか?」
敵を全滅させた堕天使が、苦虫を噛み潰して言ってくる。
後ろで自分の戦い方を逐一観察されているのでやりづらくてしょうがない。
人に見せて恥じ入る程無様な動きはしていないつもりだが、試験でもされているようで居心地が悪かった。
半眼の堕天使に、肩を竦めるエデン少年。
「採点というなら六五点か。動きは良いが魔法の威力が足らないようだな」
「申し訳ありませんね頭悪いもので。そうまで仰るなら、湿気った爆竹の次位には役に立って見せたらどうですか元優等生」
「戦闘行為に参加することが許可されていないんだ。見学くらいしかすることがなかろう」
「図々しい事ですね? 今の貴方は私達の捕虜であることをお忘れなく」
「捕虜だというならしっかりと、その身柄を保証するのが捕らえたお前らの義務だろう」
「……」
「ま、まぁまぁ……」
ティティスに諫められたエルシェアは些か気分を落ち着けて探索を再開する。
幾らエルシェアの性格が悪かろうと、自分の指示を素直に聞いて武装解除した相手に暴力を加える程横暴ではない。
エデンが理性的に交渉と契約に従っている手前、先に手を出したら負けであることも理解している。
ただなんとなく、この状況で怯えた様子もなくふてぶてしいエデンの態度が可愛げのないモノと感じられて鼻につく。
エルシェアは手を出さないが、それを少年に見透かされているようで気に入らないのだ。
「そのT字路は右だ。そっちのほうがスペースが大きい」
「了解しました」
不機嫌なオーラを隠そうともせず、エルシェアが迷宮を先導していく。
エデンは不意に服の裾を引かれて振り返る。
其処には困ったような顔をしたティティスが、『めっ!』と視線で語っていた。
苦笑したエデンは、両手を上げて降参を表明する。
「悪かった。少し調子にのったようだ」
「エル先輩もエデンさんもどうしてそんな刺々しいんですか……」
「それは仕方ないだろう。俺達のような人種はな?」
其処まで言ったエデンは言葉を切り、続きを待ったティティスは不思議そうにその顔を見上げている。
エルシェアが気づいているように、エデンも気づいていることがある。
この堕天使が自分と同じものを探していること。
自分が弱いという認識を許容出来ず、強さという形も正解も無い何かを探し続ける求道者。
もしくは愚者と言い換えてもいい。
本当はそんなもの無くても人は幸せになれるのに、強くないと生きていけないと思い込んでいる自分達。
真面であり正気であるこの妖精に、そんな異常者を理解する事はできないだろうと思う。
「人種は?」
「いや、何でもない」
不思議そうに見つめてくる妖精から、先ゆく堕天使へ視線を戻す。
自分の前を歩む背中があることがひどく新鮮であり、ある意味では違和感すら覚えるエデンだった。
「なぁ、ティティス嬢」
「はい?」
エルシェアに聞こえないように、囁くように呼びかけるエデン。
釣られたように、ティティスも小声で聞き返す。
「お前はずっとあの背中を追っているのか?」
「はい。ずっと追いかけていくんだと思います」
「そうか」
この妖精の少女は、エデンがまだドラッケン学園に在籍したいた当時、痛切に希求して遂に得られなかったモノを持っている。
心から憧れ、尊敬し、真っ直ぐに目指せる先逹。
もしもそんな背中があれば、きっとエデンは間違えなかっただろう。
今でもドラッケン学園にいて、光の陣営の一人として闇の勢力と戦う道があったかもしれない。
悪の魔導士アガシオンの存在を知っている彼としては、何も悩まず戦えたかもしれない可能性に思いを馳せずにはいられなかった。
しかし現在、彼は闇の陣営の尖兵を纏める立場にある。
そしてアガシオンが自分達を使い捨ての道具にするつもりであり、魔王復活の為に手段を選ばない現状、彼は自分自身とモーディアル学園に集った生徒達のため、アガシオンの弱点を探し出さねばならなかった。
エデンの視線の先では、再び接敵した魔物達と堕天使が交戦を開始する。
ざっと見るに二十匹。
今度は数が多かったが、進み出たティティスから飛んだ古代魔法が十匹以上の敵後衛を巻き上げる。
「『セイレーン』」
水球に閉じ込められた魔物達は、内側に荒れ狂う高速高圧で撃ち出された水流の刃に切り裂かれる。
最初に巻き上げた水球の内部で惨殺し、その外側に破壊力を微塵も漏らさない精密な魔法構成は、エデンをして感嘆に目を見開いた。
「欲しいな……」
この妖精も、そして先を行く堕天使も、闇の生徒会にぜひ欲しい。
彼は闇の勢力を纏めて戦うことそれ自体に不満はなかった。
しかし戦うからには納得のいく戦いがしたいのである。
魔王アゴラモートの使いっぱしりのアガシオン……その捨て駒として戦うなど、惨めすぎるではないか。
アガシオンは時は近いと言っていた。
まもなく予言の通り、『始原の学園』を巡って光と闇が争う事になるだろう。
その時までに、彼はアガシオンの支配を食い破るだけの切り札を手に入れなければならなかった。
もしくは、アガシオンと戦って勝てるほどの戦力を……
しかし現状、彼は闇の生徒会数人の足並みすら揃えることが出来ていない。
みな其々、自分だけの目的を近視眼的に追い求めるため非常に仲が悪いのだ。
エデンとしては自分の求心力と主導力の不足を痛感する思いであった。
もしも闇の生徒会の全員が手を携えることが出来れば、アガシオンとて自分達を使い捨てには出来ないだろうに。
「ティティス嬢は核を固める娘で、核には成れない。だがもし、あの堕天使を引き入れて……」
闇の生徒会を統率させたらどうだろうか?
エルシェアにすれば心底嫌に違いないが、この堕天使が持つ一種の華は、上に立って引っ張っていく事こそ向いている。
幾ら個人戦闘能力を上げようと、こればかりは別の領域の話である。
優れた能力を持ちながら道を外れた闇の生徒会が、一つの目的のためにその素質を結集させることができたなら、おそらく最強の組織が出来るだろう。
そうなって初めて、自分達はアガシオンに物申す事が出来る。
エデンが何時の間にか握りしめていた拳を解いた時、最後の魔物がアダーガの魔力刃に射抜かれた。
返り血すら避けて飛翔し、宙を舞うエルシェア。
この堕天使は青空の下よりも、闇の夜空を飛んでこそ映えるのではないか……
「終わりました。道は?」
「……真っ直ぐで良さそうだ。部屋があるとすれば、残りの空間的に一つがせいぜいだろう」
「さっきのT字路の左って、何もなさそうですか?」
「あっちはその奥に部屋を作れるスペースが乏しい。おそらく通路の行き止まりだろう」
三人は目的地が近いことを確認し、其々の想いで進みだした。
§
ロイヤル家系図大全がなぜ放置されていたのか。
それは部屋に踏み込む前から明らかになった。
なんと作者は処刑されたあとも亡霊となって生き続け、今なお最新の家系図を記してはその成果を守り続けていたのである。
悪霊とは未練が強いほど寿命も長く、強力になっていく。
一体何がこの作者を駆り立てているのか、半ば本気で気になった三人だった。
「まぁ、それも今日でおしまいな訳ですが」
エルシェアとティティス、そしてサーベルのみ返されて前線に立たされたエデン。
三人は亡霊を囲んで未練尽きるまでボコボコにした後、彼が書き上げた最新版ロイヤル家系図大全を手に入れたのである。
「なんというか、どちらが悪者だったか分からない結末でしたね?」
「人様が生涯に渡って書き続け、死後も情熱を注いでいたものを奪い取ったのですから私達が間違いなく悪者でしょう」
「生まれ生きる以上、対立と抗争を避け続けることはできない。これもまた、世の倣いだろうな」
恨みを抱いて現世から強制成仏させられた作者を思い、やさしい妖精少女はたったひとり手を合わせる。
エデンとエルシェアはと言えば、早速本を開いて王家の系譜を確認していた。
「あ、ディアーネさん凄い。四代前の当主様に、お姫様が降嫁してますよこれ」
「本当ですか!?」
「コレは……ノイツェシュタインでは割と有名な恋愛話だな」
ディアーネの四代前、未だ男爵家であったその当主は、ケタ違いの商才を持った人物だったらしい。
下手な伯爵、子爵等よりはるかに富を集めたその当主は、王家の末娘と出会って大恋愛をしたという。
「その時、彼は姫を娶る代わりに財産の半分を王家に寄贈したらしい。これによって家は傾いたが、その代の間に持ち直している。家格も子爵に進んでいるな」
「流石ディアーネさん。まさか本当にお姫様の器であったとは……」
「普段の様子からはなかなか想像できません……」
「基本的に大食らいの体育会系ですからね」
堕天使は一通り流し見ると、別のページを開く。適当に開かれたページには、見たこともない別大陸の王家の系譜が記されている。
「ちょっと失礼いたしますねー」
「何をする気だ?」
「細工を少々」
『……え?』
ティティスとエデンが顔を見合わせ、その隙に本を確保したエルシェアは筆記用具を取り出し、加筆していく。
唖然としている人間と妖精の目の前で、ティティスの家系が勝手に王族関係者にされていった。
「えっと、ティティスさんは二千年前に沈んだとされる、ヌー大陸最後の王族の生き残りのお姫様の末裔で、この大陸に流れ着いて地元に根付いた……こんなところで完璧ですね」
「何しちゃってくれてるんですかそんな事実ありませんよ!?」
「だから本気で何がしたいんだお前は……」
更々と書き込まれる線と、適当な名前の数々。
未だ存命の両親の名前すらでっちあげられ、最後にティティスと書き込まれる。
「あ、ご兄弟とか姉妹はいらっしゃいます?」
「いません……」
「ではコレで完成です。おめでとうプリンセス!」
「あ……、あぁ……」
肩を叩くエルシェアに震えた声音を搾り出すティティス。
エデンも表情を引きつらせているが、とりあえず何も言ってこなかった。
「王女はロイヤル家系図大全で、王族の末裔と分かったらと申しました。証拠品がこれしかないのですから、書かれていることこそ正義です」
「無茶苦茶だ……」
「いいんでしょうか……」
「正直苦しいのは承知ですが、かすりもしていないではごねることもできませんので。やれることはやっておきましょう」
そう言ったエルシェアは、本命のノイツェシュタインの系図を再確認する。
エデンも興味はそこに向かったようであった。
ティティスもエルシェアの背中に張り付くと、肩越しに本を覗き込む。
「始祖は男性、王族は男系の家系ですねぇ……」
「女王が出たのは、わずか一回。当代はこのまま王子が生まれなければ、キルシュトルテが歴代二人目の女王になるな」
「珍しいことなんですねぇ」
三人はキルシュトルテの苦労を偲んで息を吐いた。
男系の王家に女性のキルシュトルテは、さぞ肩身の狭い思いをしただろう。
現在彼女に勝る王位継承権を持つ者はいないが、今後もそうとは限らない。
キルシュトルテが女王の位をどう考えているかは分からないが、例え即位したあとも親戚から男児が生まれれば廃位される可能性もある。
何より遣る瀬無いのがその場合、彼女の敵になるのが肉親や親族という身内であるという事実だろう。
今までも、そしてこれからも、彼女が権力の腐臭から遠ざかれる日は見えていない。
「まぁ他人事ですけれど」
「その通り。我ら庶民にはどうでもいい話だ」
「本当にドライですね先輩方」
二人が興味深いのは、始祖王の生存年代である。
ディアボロスということは、かなり長い寿命で生存しているはずである。
建国の年数は分かっているが、彼が何時生まれ何時死んだかは気になる所であった。
「王家の伝承では、生年と没年が不明なんですよね始祖様は」
「あぁ。だが生年は兎も角没年まで分からないというのはどういう事なんだ……」
「この本にも、載っていませんね……」
他の王族の殆どには生年と没年が記載されているにもかかわらず、ノイツェシュタイン建国の王は、その没するところ知らずと書かれている。
その後、彼の子孫が現在に至るまではっきりと、現在のキルシュトルテの名前まで書き込まれているにも関わらず。
「二代目の王子は二十歳で即位している。ディアボロスの王家にしては相当の早さだな」
「王様は息子さんに後を託して旅にでも出たんでしょうか……?」
「三代目以降なら兎も角、創始者の時代にそれをやったら国が危ないですよね?」
「うむ。二代目がよほどの賢王だとしても、部下の忠誠心はまだ、国より先王個人に向いている時期だと思う。まとめ切れたのかと言われれば怪しいものだ」
「……もう少し吟味したい所ですが……そうですね、ちょっとお待ち頂けますか」
エルシェアは白紙の地図を数枚取り出すと、そこにノイツェシュタイン王家関連の系図を書き写す。
家系と共に、その人物が成した主な功績、闇に葬られた悪行までかなりの角度で書き込まれているため、数十ページに及ぶ作業になるが。
「ティティスさん、ちょっと雑貨屋に飛んで紙を買い足して来てください」
「あ、わかりました」
元々エデンをあまり警戒していなかったティティスは、特に反対意見もなく『バックドアル』で脱出する。
堕天使は残ったエデンに本を渡すと、効率化のためにページ捲りと朗読を任せようとした。
エデンは本を受け取り、ページを開く。
しかしなかなか読み始めないため、エルシェアは批難の視線で切りつけた。
「こんな時に済まないが、お前はアマリリスから何を聞いた?」
「ん……まぁ闇の生徒会とかいう、ネーミングセンス零の不良集団があるという事は聞いていますよ」
「そうか。名づけたのは上の連中だからそれは気にしないでくれ」
「ドラッケン学園のドロップアウター……君もその一員ですか?」
「あぁ。生徒会長を務めている」
「へぇ?」
少女は読むつもりがない少年から本を取り上げ、自分で書き取りを進めて行く。
興味なさげに、実際全く興味のないエルシェアは写本作成を続けていった。
「悪の魔導士アガシオンは、今なお生きて魔王復活を目論んでいる」
「何年前の人物だと思っているんですか? アガシオンを名乗る別人の可能性は?」
「あるな。ではそう名乗れる程の力を持ったものが、魔王復活を目論んでいる……としておこう」
「君でも勝てないのですか?」
「論外だ。今のところ相手にもならん」
エデンの実力は、エルシェアも承知している。
此処の魔物をたった一人で相手にし、先程の亡霊退治でも卓越した剣技を披露した。
一対一で真面に勝負した場合、エルシェアも勝ちきる自信がない。
そんな男が、勝てないと断言する相手がいる。
「アガシオンが言うには、こちらの準備はもうじき整うらしい。おそらく三学園の方も、交流戦で上位の成績を収めた生徒からパーティーを組んで戦う事になるだろう」
「はっきりとこの場で、そしてそうなった場合学園側にもお伝えしましょう。私は行きませんから勝手にやってくださいなと」
「お前の仲間も、これには参加すると思うぞ」
「知りません。そもそもそんな面倒な事、生徒に押し付けるのが間違っています。学園の教師が真っ先に矢面に立つべきでしょう」
「全く持ってその通りだが、どうやら決戦場は『生徒』しか入れないらしい。断言するが、お前は必ずその面倒事に巻き込まれる」
「お黙りなさい。何で私の未来を貴方に決められなければなりませんか?」
「光の陣営に参加しなくても、こっちはお前を放っておけない。敵に回る可能性があるなら……と考える連中が必ず出るだろう。俺一人では抑えきれん」
「……」
説得力がありすぎて黙り込んだエルシェア。
心底嫌でたまらないが、彼女は今年度の交流戦優勝メンバーの実績がある。
書き写す作業の手は止めず、しかしその瞳からは感情が消え失せた。
堕天使の内面は現実味の乏しい、恐ろしく過激な破壊妄想が荒れ狂っているには違いなかった。
誰を何処まで葬りされば平穏を勝ち取れるのか、そんな思考遊戯で憂さを晴らしているのがエデンにはよく解る。
背筋が凍る思いをねじ伏せ、エデンは勧誘を続けていく。
「気の毒だとは思うが、お前の近未来に平穏はないんだ。だからどうせなら、お前は自分を優遇する陣営につかないか?」
「……闇の生徒会が私を優遇ですか? ディアーネさんも、あの子もいるプリシアナ学園より? 戯言も程々にしなさいな」
「……確かに実質お前に有益なのはそちらだろう。だが、権限としてなら話は別だ」
「権限?」
「光の陣営は三つの学園から人材と物資を集められ、その戦力は潤沢。そこにお前が参加しても軽く扱われるだろう。だが闇の陣営は劣勢であり、其処に参加すれば重く扱われるのは必定だ」
「……負け馬に誘うとか辞めて頂けません? 本当に迷惑なんですから」
「お前に取ってはそうだろうが、正直今のままではこちらは一方的な殲滅を待つのみだ。必死にもなる」
「そんなに不利なの?」
「かつて此処まで戦力差のついた光と闇の闘争も珍しいだろうな」
エデンはこの戦いの帰趨は闇の敗北であると読み、現状でそれは覆らないと考える。
アガシオンは全ての準備をアゴラモート復活に捧げ、エデン達と光の生徒達との戦いは始源の学園に至る鍵を運ばせる布石でしかない。
かの魔導士からすれば持ってこさせた段階で勝ちであり、そこで命懸けで戦い、神話を再現しなければならないエデン達など用済みの駒に過ぎないのだ。
戦う当事者である少年に取ってはたまった物ではない。
しかしそれを拒否するには、彼は少々アガシオンに借りを作りすぎた。
本来仲間の筈だった生徒会もバラバラである。
彼らを纏め、その力に方向性を示せる人材が一刻も早く必要なのだ。
「このままでは俺達の戦いも全てアガシオンに利用され、あいつが一人勝ちするだろう」
「アガシオンが一人勝ちした場合、出てくるのは魔王アゴラモートですよね?」
「だろうな」
「その場合、こちらも三学園の教師陣が無傷で残る訳ですけど魔王は止められませんかね?」
「恐らくは止められるだろう。だがそれ以前に戦い、敗死しているであろう俺達には意味がない」
「……」
「このままでは俺達の死すら、あいつの予定調和に組み込まれてしまう。俺達は、古き魔道士の軛を断ち切れる存在が必要なんだ」
エルシェアは書き写す手を止める。
話を真剣に聞く気になったわけではない。
紙が尽きたから止まっただけ。
十頁程を写し終えたエルシェアは、肩を回して息を吐く。
「……光のセレスティアも、ディアボロスの勇者もいなくなった今、旧時代からアガシオンだけが生きて好き放題しているのも気分が悪いです。最早彼の時代ではありません」
「あぁ、俺もそう思う」
「ですが、それと君に協力することの回答は別です。私には君達と共にあることが、ディアーネさん、ティティスさん、そしてリリィ先生の手を振り払う価値があるとは、とても思えません」
「……」
ある意味で予想出来た回答だった。
しかしエルシェアが光の陣営に残す未練はたったの三人だけである。
コレを諦めるほど、エデンは達観していない。
「また後日、改めて勧誘に伺おう」
「お好きにどうぞ。しかしこの先は私も、対応に学園を介入させますので」
「……女狐が」
「堕天使です」
一対一で話し合える機会など、今後はエルシェア側から提供するつもりはなかった。
勝ち目の薄い陣営に自ら飛び込むほど酔狂ではない堕天使である。
「この写本、書き上げたら君に預けます。私が所持していても、恐らく王女に所持品と預かり所等を調べあげられるでしょう」
「ありがたいが、写本の筆者というだけでも面倒ではないのか?」
「筆跡の癖、ページ毎に変えてますから」
「……器用だな」
「一人が長いといろいろ身につくものなのです。君もこれくらい出来るでしょう?」
「どうだかな」
二人の会話はそこで終わる。
それはティティスを待つ間にあった、ほんの数分の会話だった。
堕天使エルシェアと闇の生徒会長エデン。
そして彼らの敵と仲間達。
幾人かの未来を少しだけ変えた、ほんの数分の会話だった……
後書き
この物語でゲームシステム的に主人公なのは転入生のティティスです。
作者が書く時に主人公補正を意識してるのはディアーネです。
ではエルシェアは……
今まで散々立っていた彼女のフラグが遂に形になってきましたねーw
とまぁこっちの事情はおいといて、お待たせいたしました、天使と悪魔と妖精モノ外伝3後編お届けいたします。
宿題というか借金を返し終えたような、晴れやかな気分ですわー♫
学科開放クエストの最終話いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
ファイナルでウィンターコスモス家が王家とは関係ないらしいことをフリージア君が言ってくれたので、エルシェアの事情の処理が楽に片付いたので結構早く書けました。
執事超GJですw
このクエストはなんというか、本当に勿体無いクエストだと思いました。
ノイツェシュタインとウィンターコスモスの食い違った伝承や、キルシュトルテの祖先の正体を生徒達自らの手で真相を解き明かしていく鍵になるクエストになり得たのに……
結局肝心なところはスルーして、敵が勝手に全部ネタばらししてくれましたしね。
このゲームでの主人公PTって単なる戦闘要員でしかなかったなぁと思うわけです。残念なことに。
この辺り言いたいことが溜まってきたのでまた後書きその二を書くかもしれませんw
作者の愚痴とも言いますがw
とりあえず一区切りついたところで、今後考えていますのは……
ファイナルの設定の関係から出番が一切無くなった哀れな主人公ディアーネ嬢の一方その頃的なお話と、エルシェアの二年前期の頃の話(ディアーネ入学の半年前)を考えています。本編暗黒校舎編も考えていますが、こっちは結構きな臭くなってて書きづらいです……w
まぁ予定は未定!
今のところいつ書こうという明確なヴィジョンはなかったりしますw
ファイナル放置してやってる刻の学園もやらないとだし、しばらくは休眠かなぁ。
まぁ学科開放クエストも年単位かかってここまで来てた訳ですがorz
とりま、またこうやって何か書いて、皆様にご挨拶できたらいいなと思います。
ここまで読んでくださって、ありがとうございましたー^^