侍学科の免状を獲得したディアーネは、帰還して直ぐに自室へ向かう。
盛大に遠回りした挙句、相棒とは迷宮崩落級の大喧嘩までやらかしてのクエスト達成は、この元気な悪魔をして疲労させた。
エルシェアの方もその点は同様だったらしく、プリシアナ学園についてすぐに一時解散の流れになった。
「……」
ベッドに腰掛けたディアーネは、重い気分で両手を見つめる。
両手持ちの大剣を軽々と振るい、豆が潰れて治りきらぬうちにまた豆が出来た戦士の手。
年頃の少女としては少し気分が重くなるが、冒険者としては何の不満もない。
しかし今、悪魔は自分の手がとても小さく、そして頼りなく感じていた。
剣を振るうしか能のない自分の手。
しかし彼女が振るう剣は、相棒の堕天使に届かなかった。
手練の門番と三人掛りでエルシェアに挑み、そして完膚無きまでに圧倒された自分達。
急造で連携が取れない連中と組んだことを差し引いても、堕天使の強さはお釣りがくる。
表情の消えた瞳で呟いた悪魔は、陰鬱な溜息を吐き出した。
「あいつらかなり強かったよね、剣も魔法も当たってたのにさ」
愚痴のように呟き、『力水ノ社』の戦闘を回想する。
三人で振るった剣を全て避け、其々の攻撃を一つずつ選んでカウンターを拾う相棒。
成果に満足した堕天使は、遂にモノノケの剣を素手で掴む事すらしてみせた。
ディアーネの持つ魔剣とかみ合い、刃こぼれしなかった彼らの剣を。
ディアーネは左足の腿に痺れる痛みを思い出す。
エルシェアに、おそらくは手加減して蹴り抜かれた足。
頭に血が上っていた当時は兎も角、戦闘後はしばらく動けなかった。
舌打ちが洩れそうになるが、ギリギリ踏みとどまった悪魔の娘。
幻痛を訴える左足を鋭く張って、更なる痛みで誤魔化した。
「……」
時刻は夕刻を周り、冬の短い日も落ちかけている。
そろそろ学園の講義も終わる頃か。
そんな感想を持った時、学園に響きわたるパイプオルガンの音色。
ディアーネは愛剣を背負い、ベルトで止めて立ち上がる。
訓練場で汗を流せば、多少は気が紛れるかもしれない。
とりあえず今の気分を落ち着けなければ、明日以降相棒と後輩に合わす顔がなかった。
「大体エルってば狡いっすよ。いっつも追いついた! って思ったら奥の手が出てくるんだもん」
自分の勝手な言い掛かりに苦笑するしかないが、それでも止められないディアーネだった。
傍にエルシェアがいたならば、にっこり笑って皮肉の針を刺してきたことだろう。
そんな相棒に合わせる顔がないと思いながら、その皮肉が聞きたいと思う自分がいる
自室を出た悪魔は、扉に『お出かけ中』の掛札を貼って歩き出した。
今までも、こんな思いに揺れることが無かった訳ではない。
かつて保健医が言っていたではないか。
エルシェアが本気を出したとき、心配なのは自分達の方だと。
リリィの言うことは何時だって正しかったように思うディアーネ。
しかし今までは差を感じることはあっても、同時にイメージを持てていた。
今は少し先を行くあの堕天使に、自分の剣が届く所を。
「……」
だが、今回は全くソレが無い。
ディアーネの中ではどうやっても、あの時のエルシェアを捉えるヴィジョンを持てなかった。
廊下を歩くディアーネは、自分の限界という認めたくない単語を否定するのに必死だった。
エルシェアと対等であることにずっと拘って来た少女にとって、その単語を認めるのは精神的な自殺に思える。
実力が拮抗していることが相棒の条件では無い。
あの性格の悪い堕天使が自分を選んだのだから、エルシェアと共に歩めるのは自分であるという自負はあった
しかしそれはそれとして、ディアーネは目の前に示された実力差をそのままにする事も出来ない。
堕天使の隣りを死守するウチに、その他の相手には殆ど負けなくなっていた。
後はたった一人、空を翔ぶ速さで駆け上がっていくエルシェアを捕まえることが出来たなら……
目を閉じれば思い浮かぶのは、『冥府の迷宮』で見た光景。
負傷によって身体は動かず、しかし気絶することも出来ず、瞳に焼き付いたあの地獄。
あんな事が起こらなければ、それが一番良いのである。
しかし冒険者をしているならば、修羅場は必ずやってくる。
もしも次、もう一度同じことが起きたとして、その時剣を振るうしか出来ない自分が庇われる様な事があれば、自分は二度と立ち上がることはできないだろう。
「エルぅ……」
当人には絶対聞かせたくない、弱々しく甘えた声だった。
自分の状態が思ったよりも深刻だと自覚したディアーネは、訓練場の扉を開け放つ。
思ったより力が入っていたらしく、蝶番の限界にぶち当たった扉が大音響で不平を鳴らした。
「備品は丁寧に使ってくれ」
「ひぅ!?」
校舎内の訓練場というのは、時間によっては意外と人が居ないスポットである。
講義よりも実戦での単位取得がメインの冒険者養成学校では、そもそも校内に残る生徒が多くない。
常に残っている生徒は全体の五割ほどと言われており、その半数が術師系の研究屋で占められる。
其のため体育会系の訓練場が講義以外で使われていることは希であり、ディアーネも人が居ないと勝手に思っていたのであった。
「む? ディアーネ君だったか」
「ぐ、グラジオラス先生?」
「ああ。珍しいな、君がそんなに荒れているのも」
「す、すいません」
赤面して頭を下げた悪魔は、内心で自分の迂闊さを罵った。
確かに生徒が迷宮に向かっても教師は学園にいるではないか。
空回ってばかりの少女は情けなくなりながら頭をあげた。
「その様子だと、君も何かの憂さ晴らしか?」
「あぁ……えっと……そうです」
「まぁ、そんな日もあるな」
「あの、君もっておっしゃると……もしかして先生も?」
「うむ」
「……マジで珍しいっすね」
「まぁ。そんな日もあるさ」
グラジオラスはミスリル製の片手剣を用い、英雄学科で教える基本の型を繰り返す。
ディアーネはその隣につくと、同じく基本をなぞり出した。
片手剣と両手剣では型が全く違うのだが、英雄学科トップと教師が組み立てる剣の流れは淀むことなく続いていく。
しばらく無言で剣を振り続けた二人だが、やがて少女は呟いた。
「ねぇ先生?」
「うむ?」
「必殺技教えて欲しいっす」
「……どんなだ?」
「むぅ……」
剣を止めて考え込んだディアーネに視線だけ送り、そのまま剣舞を続けるグラジオラス。
ロクな答えが返って来そうにないなと思う教師の予想を裏切らず、悪魔の少女が希望を告げる。
「えっと、髪の毛が金色に逆立って戦闘力が五十倍になったり、全身に刺青が浮いて祖先のモノノケの血が蘇ったり、マジ狩るステッキに呪文を唱えて魔砲少女に変身したり……」
「全部知らん。私が見聞きした連中にもそんな事が出来る奴はいな……いや、殆どいないぞ」
「……少しはいるんだ?」
「あいつらなら出来るんじゃないかと思われるのはまぁ、何人か……」
「私にも出来るっす?」
「無理だろうな」
「えうぅー」
夢に裏切られた悲痛な少女の顔で縋ってくる悪魔を追い払い、教師は深い息を吐く。
教え子のおつむが深刻な状況一歩手前であることを確認してしまったグラジオラス。
剣を肩に担いで持つと、仕方なくディアーネに向き合った。
「必殺技等一朝一夕で身につくものではない、と君もよく知っているだろう? 身につくとしたらそれは奇剣であり、一発芸だ」
「むぅ」
「私が教える必殺技があるとすれば、これだよ」
グラジオラスは肩に担いだ剣を正面に構える。
そしてディアーネが見ている前で、三回程振ってみせる。
予備動作の一切ない刺突から横薙ぎに派生し、繋ぎ目の全く見えない斬り下ろし。
「え?」
「見えたか?」
「終わりだけ……」
呆然と呟く教え子に苦笑する教師。
ディアーネが夢想する必殺技に対して、なんとも地味な技である事が可笑しいグラジオラスだった。
「突きの後、横薙ぎから打ち降ろしに繋げただけだ。今まで私が最も振った剣の形が今の型だからな」
「なんというか……地味っすねぇ」
「自分でも解っているから言わんでくれ。だが剣士の技は極論すれば、早く鋭くを何処まで極められるかだ。出来るだけ少ない動作で完成させることを目指して突き詰めていく訳だから、極めれば極めるほど地味になるぞ」
「むー……」
「力の剣ならまた違うが、君がしようとすれば先ず、身体作りから必要だろうな」
頬を膨らませるディアーネだが、本当は彼女自身も分かっている。
今まで一足飛びで強くなれた事など一度もなかった。
英雄学科でトップを取った時だけは自分の感覚が追いつかなかったが、それだって以前からの積み重ねが実った結果なのだから。
しかしディアーネは見てしまったから納得がいかない。
一番身近にいた相棒が、たった一つの魔法で手が届かない世界の住人に化けるところを。
「エル……」
「うん?」
「エルは、そういうのあったもん……」
「エルシェア君が?」
「あの時のエルなら、きっと会長のパーティーだって一人で殲滅してたもん」
「はぁ?」
プリシアナ学園にて最強と言われているのが、生徒会長セルシアのパーティーである。
三学園交流戦ではギリギリでディアーネ達が競り勝ったが、両パーティーの間に実力差は殆どなかったとグラジオラスは見ていた。
あれから大した時間も立っていないというのに、エルシェアに其処までの成長があったとは考えにくい。
「何があったんだエルシェア君は?」
「ん……エルの切り札だと思うから具体的には言えませんけど」
「何でそれを交流戦の時に使わなかったんだ?」
「なんか、エルも自分の札があんなに強いって解ってなかったっぽいです。こないだタカチホ行って、ちょっと使ってみたらヤバかったって感じで」
「種別だけ教えてもらえるか?」
「んー……あれは自己強化のカテゴリーだと思うっす」
「あ、なるほど。納得した」
魔法やスキルによって自分の能力を強化する手段は確かにある。
この場合元の能力が高ければ高いほど上昇効果が大きいため、エルシェアが使えばかなりの効果が見込める。
もっとも、それだけではディアーネが言うような出鱈目な強化は望めないため、恐らくエルシェアならではのオマケがあったのだろう。
そちらの方にも心当たりのあるグラジオラスだが、とりあえず今は教え子と向き合う事にする。
「それで、相方に追いつくために必殺技か」
「うぃっす。先生、なんかないっすか!」
「無いな。私に教えられるのは通常技だ」
先程見せた斬撃が、グラジオラスの答えと言える。
愚直に基礎を繰り返し、自分の一番得意な太刀筋を極める事。
その過程において何時の間にか、それが必殺技になっているのである。
「無い……っすか」
「無いな。だが、一つ確認したいことがある」
「うぃ?」
「エルシェア君の切り札とは、魔法か?」
「魔法っす」
「やはり、魔法なのか」
苦笑いが教師の顔を滑り落ちた。
ディアーネはそれを見て、師が此処に憂さ晴らしに来たのだと思い出した。
グラジオラスがそんなことをしているところ等、一度も見たことがない。
「先生、何かあったっすか?」
「いや、大したことじゃない」
「そうは……見えないっすけど」
「……そうだな。少し、遣る瀬無い事が決まってな」
「遣る瀬無い?」
「ああ……ディアーネ君は、この後何か予定があるか?」
「うぃ? いや、タカチホから帰ったばっかりっすからね。しばらく何にもないっすよ」
「そうか。では明日、少し中年の愚痴に付き合ってくれないか?」
「お、良いっすよ。今なら先生とも何回かは打ち合ってみせるっす」
「それは頼もしいな」
元気な生徒の様子に微笑ましい思いの教師だが、流石に旅から帰ったばかりの少女に疲労の影が浮いていた。
グラジオラスはある決意を込めて、ディアーネに今日の休息を命ずる。
「明日、少し君の悩みに私なりの回答を示そう。私の悩みも、もしかするとそれで解消出来るかもしれない」
「えっと、もしかして超厳しい特訓とか来ます?」
「近いものがあるな。不服か?」
「いや、大歓迎っす」
グラジオラスがどんな答えをくれるのかは分からない。
しかしディアーネにとって最初の師匠は、彼女を決して見捨てずにいてくれた恩師である。
入学した当初、ダガーすら満足に取り回せなかった頃の自分すら。
きっとこの先に自分の必要なモノがある。
そう考える悪魔の少女は、自分の赴く先に漸く希望が見いだせたのだった。
§
恩師と別れた悪魔の娘は、その足で保健医の研究室に向かう。
以前其処を訪れたとき、持ち込まれた私物によってリリィの第二の生活空間に改造されているのは確認済み。
今も部屋からは明かりが漏れ、主人の在室を示していた。
「せーんせ、リリィ先生? 開けてー」
「ん……ディアーネさん?」
「うぃっす」
呼びかけはすぐ返答があった。
鍵が開けられ、開かれた扉から出てきたのは、ディアーネと同じディアボロス。
薄い紫紺の長髪をアップにまとめ、常の無表情で出迎えた保健医リリィ。
心優しい教師であるが、口下手で表情が乏しいところから、学園生からは冷酷な印象を持たれている。
恐らくその評価は、彼女がディアボロスである事も無関係ではないだろう。
様々な意味で境遇が近いディアーネは、この学園でリリィを慕う数少ない生徒であった。
「こんばんわリリィ先生、入っていい?」
「どうぞ、あまりおもてなしも出来ませんが」
近しいモノでなければ笑みと気づかないほど小さな微笑で、リリィは生徒を招き入れる。
本棚を埋め尽くす魔法書と、仮眠を取るための簡易ベッド。
水道と簡単に熱を通せる調理器具から、リリィが此処に泊まりこんでいる様子が伺える
部屋の奥にはデスクがあり、そして椅子が一つ。
腰を下ろせる椅子が一つしかない事が、普段から此処に来るモノがほとんどいないことを示していた。
ディアーネは簡易ベッドに腰掛けると、リリィは手早く珈琲を入れてくれる。
礼を言って受け取った少女に頷き、保健医も椅子に腰掛けた。
「貴女は、確かタカチホ帰りでしたね」
「はい。侍学科の履修免状をいただいてきました」
「おめでとうございます。帰ってきたのは……」
「今日っすね。本当に割とさっき」
「そう……お帰りなさい」
「ん、ただいまっす」
静かな雰囲気の中に、生徒を労わる心情が滲んでいる。
ディアーネは居心地の良さに瞳を閉じると、リリィが煎れてくれた珈琲を一口。
ミルクも砂糖も入っていないにも関わらず、なんとなく優しい甘さを感じて息を吐くディアーネ。
「あのね先生、明日グラジオラス先生と特訓するの」
「熱心ですね」
「ん……ちょっと、エルに水あけられちゃったから……」
「そうですか」
「……驚かない?」
「はい。私は、あの子がどれだけ高く飛ぼうと意外には思いませんから」
「そっか」
リリィとエルシェアには、ディアーネの知らない時間と絆がある。
ディアーネはリリィを偏見なく慕っているが、エルシェアはまた違う。
この悪魔の相棒は、プリシアナ学園でリリィのみを寄る辺にして過ごしてきた時間が確かにあった。
心に傷と迷いを抱え、進むことも退く事も出来なくなった時期。
エルシェアの傷を少しずつ癒し、いつの日か羽ばたいて行けるように見守ってきたのがこの保健医である。
なんとも言えないむず痒い気持ちになりながら、ディアーネはカップを空にした。
「此処に来たということは、身体の変調でも感じましたか?」
「いや、おかしな所ってないっすけど、マッサージお願いしたくって」
「疲労を抜けば良いんですね」
「うぃっす」
ディアーネは大剣を外し、制服の上着を脱いでリリィに預ける。
保険医が受け取ったそれらをデスクに置くと、悪魔の少女は簡易ベッドにうつ伏せになった。
「……」
リリィはディアーネの肩から、背中を通って腰まで指を滑らせる。
その途中途中で手を止め、静かに押して反応を見つつ。
悪魔の少女は肩の付け根を押した時以外は特に痛そうにしてはいない。
触れた感触では背骨周りの歪みも殆どなく、純粋に筋肉をほぐす事にする。
骨格矯正までするとなれば、悲鳴が外に漏れないよう措置が必要になったろう。
「両手でひとつの重さを支える武器の使い方をしているせいでしょうか……思ったより骨が歪んでなくて安心しました」
「そんなに簡単には歪まないっしょ?」
「いいえ? 結構簡単に歪むんですよ。何時の間にかバランスが崩れていたり、無意識にそれを補おうと更に歪な癖がついたり」
二足歩行する生物が立位のバランスを取るのは、本来は非常に難しい事である。
両手両足の長さは厳密には違うし、普通に立った時の重心も変わってくる。
特に冒険者のように身体を酷使する職業では、その歪みも顕著に出やすい。
大人のように身体が出来切っているならともかく、成長期の子供には特に定期的な診察が必要だろう。
リリィも生徒達に呼びかけてはいるのだが、そもそも冒険者養成学校の生徒はあまり学園に居着かない。
更に保健医自身の不人気もあって、その辺りをしっかりとリリィに管理させているのは、エルシェアとティティスしかいなかった。
「肩を回すとき、違和感はありますか?」
「んー……突っ張って少し痛い」
「やや酷使しすぎですね。もう少し労わりましょう」
「むぅ」
「弾性の強い良い質の筋肉がかなりカバーしてくれていますが、これ以上の負荷がかかると怪我になりますよ」
「そんなに痛いってわけじゃ無いっすよ?」
「それは、まだ怪我をしていないからです」
怪我をする前なのだから、痛みが少ないのは当たり前である。
ディアーネのような直情型は、我慢できる痛みは鈍感になる。
この段階で無理せず止まれるかというと、これがなかなか難しい。
「いい時に来てくれました。肩周りと腰周り、重点的にほぐしましょうか」
「うぃーっす」
リリィが本格的なマッサージをしようと右手に魔力を集めた時、棚に置かれた水晶が鈍い光を放ち始める。
「内線?」
「おお?」
急な仕事でも入ったならば、ディアーネには悪いが引き取ってもらうことになるだろう。
一つ息を吐いた保険医は、発光する水晶に手を触れる。
そのまま瞳を閉じ、水晶から送られるメッセージを聞き取った。
「グラジオラス先生? ……はい。明日までにですか? はい……」
「おやま?」
連絡を寄越したのは、先ほど別れた恩師らしい。
グラジオラスの声は聞こえず、リリィの返答からでは内容までは読み取れない。
しかしディアーネには、師が保険医を呼び出す事の意味がなんとなく予想がついてしまう。
「ええ、今来ていますよ。……はい、大丈夫です。わかりました。はい……お疲れ様でした。それでは」
リリィが水晶から手を離すと、発光は消える。
ディアーネは頬を引きつらせつつも、確認せずには居られなかった。
「あの……先生はなんて?」
「今日貴女の所へ行って、身体の疲労を抜いてやって欲しいと」
「あ、丁度良かったんだ」
「そのようですね。魔法も併用して重点的にやっておきましょう」
グラジオラスもディアーネも、回復魔法が使えない。
これは幾つかの学科で採用されている『無魔法』の処置によるものだった。
大陸に住まう十種族は、その全てが魔法を使用出来る。
その機能を外的手段によりあえて封印し、その魔力を別方面に回して特殊な身体機能を身につける技法。
それが無魔法と呼ばれる技術であった。
「……あの、こんなことって初めてなんですけど、明日何かするんですか?」
「訓練だと思うんだけど私も自信がなくなったっす。主に今のやり取りで」
複雑な内心を無表情の下に押し殺し、リリィは一つ息をつく。
取り敢えず、ディアーネの処置をしてしまいたい。
『フレアエッジ』の応用で緩い熱を宿した両手で、生徒の指圧を進めていく。
温めることによって血管を広くし、疲労物質を血流で押し流す。
基本的にこれだけでだいぶ楽になる。
「……ねぇ先生」
「はい?」
「なんかね、グラジオラス先生が元気なかったの」
「……そうですか」
「うん。先生、何か知らない?」
「思い当たる節はありますね」
少し迷ったディアーネだが、此処は聞いておきたいと思う。
グラジオラスのあの様な姿は、少女の記憶に無いものだった。
元々公正な人柄の教師であるが、無用の地雷は踏みたくない。
それで彼が怒ることは無いだろうが、傷つける事はあるかもしれないから。
そんな少女の心境をどう読んだか。
リリィは指圧を続けながら、自分の予想と他言無用を前置きして語りだした。
「――来季から、かなり大掛かりなカリキュラムの変更が決まりました」
「あぁー……毎年少しずつ変わってますよね」
「はい。ですが今回はとても酷いです。過去十年分の変化を一度にすませる……そんな次元の変更です」
「うぇ?」
「そう出来るほどの技術革新があった……ということなら、喜ぶべきなのかも知れませんがね」
「んぐぅ……」
「変更点も一つではないのですが、目玉としては先ず無魔法がなくなります」
「は?」
魔法とは非常に応用力の高い技術である。
無魔法の学科にはそれを犠牲にしてまで、身に着けるべき技法があるのか。
その技術自体を魔法によって代用することは出来ないのか。
それぞれを模索する研究は確かに行われていた。
しかしどうやら、遂に一つの決着を迎えようとしているらしい。
「すると、私も来期から魔法使える?」
「戦闘能力を犠牲にしては意味が薄れますから、学科に即して相性の良い魔法を吟味して覚えていって頂くことになるでしょう」
「むぅ……そっちでのブレイクスルーが期待出来るか? あ、でも……それで何で先生がへこむん?」
「グラジオラス先生は、無魔法撤廃を一番反対していた教師の一人だったのですよ」
「先生が……?」
背中を押される度に感じる微妙な痛み。
そして圧力を掛けられているにも関わらず、その下を巡る血流は勢いを増していく不思議な感覚。
ほぐされていく部分が熱を持つのを感じながら、悪魔の娘は思考する。
グラジオラスは既に身を立て、名を上げた英雄として著名な冒険者である。
そんな彼が教壇に立つ事を選んだのは、最新鋭の技術と近代教育を模索していく事を目指すプリシアナ学園。
他の学園が彼の獲得に動いたかは知らないが、彼の人柄と能力であれば志願を蹴られる理由がない。
おそらくはどの学園でも教鞭を取れた筈である。
ディアーネから見ても、グラジオラスは常に新しい技術を吟味していた。
新しいもの全てが良いものとは限らないがゆえに、苦労しながらも停滞に足を止めることをしない教師。
そんな彼が、無魔法撤廃という革命的な変化には反対だという。
古いモノへの固執だとすれば分かりやすいが、もしもそうでないのなら……
「無魔法じゃないとダメな理由……んぅ……」
「どうも、私には戦士畑の方の事は分かりません。分からないからこそ、その手の議論には中立でいたのですけれど……」
「ふぃー……あ、でも……」
「なにか?」
「んー……」
話題について思考するうちに、ディアーネにとって懐かしい記憶がよみがえる。
それはどちらかと言えば黒歴史に分類され、あまり思い出したくない類のものだったが。
「私昔聞いたことあった……先生に、なんで英雄学科が無魔法なんだか」
「ほぅ?」
「あれは……先生なんて言ってたっけ……?」
「ディアーネさん?」
「いかん、頭がまわんない」
ディアーネは一つ息をつき、うつ伏せの状態から起き上がる。
リリィの手が離れるのは惜しかったが、このままでは強制的に寝かされる。
湯浴みと洗顔一式を済ませなければまだ寝れない。
後は寝るだけになってから……
そう言い聞かせた悪魔の娘は、不思議そうに首をかしげる年上の同族に抱きついた。
「ごめんねせんせ、ちょっと身支度済ませてきちゃう」
「此処で寝る気ですか貴女は」
「それもゴメンナサイ。私たぶんマッサージの後起きてられそうにないっす」
「……まぁ、クエスト帰りに免じて今日は大目に見ましょうか」
「邪魔じゃない?」
「かまいません。どうせ私用で徹夜のつもりでした。でもマッサージの最中は、頑張って起きてくださいね? 眠ってしまわれるとどうしても効果が落ちるので」
「ありがとせんせ!」
教師とは、教え導くものである。
自分の培ったものを、これから同じ道を歩むものに伝える。
どのような教師でも必ず何か、伝えたいモノがあるはずだった。
リリィは魔法畑の人間である。
戦士畑であるグラジオラスの気持ちを、どの程度理解出来るのかは当人にとっても疑問であった。
だが、幾度となく見てきたものがある。
此処へ至るまでの職員会議や、無魔法撤廃が決まってからの彼の落胆。
一度無魔法が撤廃されれば、再び日の目を見ることはなくなるだろう。
魔法とはそれほどまでに便利であり、応用性の高い技術である。
しかしそれが今まで存在してきたのは、無魔法がなくては極められない技術があったからだ。
そしておそらく、それは無魔法の消失に伴って失われていくのだろう。
グラジオラスが自分の学科の中で本当に教えたかったもの、守っていきたかったもの……
それは今後のカリキュラムでは教えられなくなるのかもしれない。
そういう意味で、彼の本当の教え子と呼べる最後の存在が、ディアーネになるのではないか?
「じゃ、ちょっと行って来るね」
「……」
リリィから離れて踵を返し、寮へと向かう少女。
ディアーネはリリィの表情から穏やかな微笑が抜けていた事に気づかなかった。
あくまでも少女の視線は、前を行く相棒の堕天使に向けられていたのである。
§
後書き
お久しぶりです。
りふぃです。
一方その頃ディアーネサイドをお送りします。
難産でございましたーorz
流れとしましては、外伝3完成→ディアーネ編ほぼ完成→ファイナルで無魔法消失→総没→りふぃ逆切れ→脳内での再構成から栗山さんと妖女さんとの交流モノ作成→ネトゲ三昧→やっと完成(NEW!)
の流れになります。だめな子でほんとスイマセン;;
交流モノの詳細につきましては、よろしければピクシブの方でご覧ください。
こちらには無いお話も幾つかございますので!(宣伝
少し短めなのですが、導入部分みたいなもんですので限が良い所で出させていただきました。
後編も一応書けてはいるのですが、もう少し手直ししたいのでお時間下さい。
それでは、失礼いたしますー。