大陸に存在し、人間と呼ばれる種族は十種類ある。
天使の血族セレスティア。
冥界の血を引くディアボロス。
竜の血を引くバハムーン。
人造のボディに地霊を封じたノーム。
祖先に猫の血を継ぐとされるフェルパー。
精霊の声を聞く森人のエルフ。
高い言語能力を持つ獣人ドワーフ。
小人と呼ばれるクラッズ。
そしてヒューマンと、彼らと神を繋ぐ役割を持つと言われる妖精、フェアリー。
この十種族が共に歩むようになったのは、決して昔からのことではない。
十人十色。
好い奴があれば嫌な奴もあるように、気に食わない虫が好かないと言った事情は種族単位で存在した。
誇り高い性格が強すぎ他種族を見下す竜人や、冥界の血を引く悪魔達などが分かりやすい例といえる。
長い大陸史の中から現在に至るまで、単一種族の国家も多く存在していた。
中には自らの種族を至上とし、他種族を排斥して相対的な地位向上を目指す国もあった。
そうした国が長く続かなかったのは、それ以外の九種族の凄まじい反発と、適材適所の妙と言える。
それぞれの種族の特色の中にある得手不得手。
それらを理解し、分業して協力したときの効率と強さは、単一種族国家には及びもつかない高次元の技術と戦力を生み出した。
正に神の采配としか言いようの無い適材適所。
大陸にある十種族は力を合わせて未来へ向かっていくことを定められて生み出されたと断言する学者もいる。
種族間での交流が進み、それぞれがもつ文献が交換され、総合学問が成り立ってきた現代において、それは主流とも言える考え方である。
もっとも人見知りの多いフェルパーや、ドワーフとエルフの反り合いの悪さなど、挙げれば限が無い小さな不満は依然として存在してはいた。
誰だって自分の種族が一番であれば良いに違いない。
そうであることは、逆の立場であるよりも嬉しいだろう。
この種族だから良かった。
この種族だから駄目だった。
言うのは非常に簡単であるが、当事者達にとっては変更等しようがない以上、決して逃げることの出来ない問題である。
他種族に置いて行かれない為に、見下されないように。
自分の種族の特徴。
有利な点を伸ばし不利な点を補う研究は、時代とともに名を変えながら今もって絶える気配は無い。
しかしこちらも種族によって熱の入れようは様々であり、もともとが優秀であり寿命も長いセレスティア等は、それほどこの分野に力を入れていなかった。
もっとも研究が盛んな種族。
それは最短の寿命を科せられた、ヒューマンである。
ヒューマンは立ち居地が微妙な種族だった。
大陸十種に含まれているが、特徴の無い事が特徴とまで言われる種族。
分業をしても最高効率は生み出せず、他の種族の得意分野で当たれば幾らでも換えの効く存在。
確かにその繁殖力は凄まじく、大陸でもっとも数の多い種族である事は無視できない。
また、単一種族の国を築いたときにはしぶとい事でも知られている。
それでも、種族差別を分業によって埋めていこうと言う思想が主流のこの世界にあり、替えが効くヒューマン種の立場を危ぶんでいる者は少なくなかった。
しかし神は本当に、いてもいなくても良い種族など作ったのだろうか。
ヒューマンには、ヒューマンにしかなしえぬ何かがあったのではないか。
それが決して有利なことではなくとも、ヒューマンのみが持ちえた『何か』があったのではないか……
「……」
自分に宛がわれた研究室で、読みかけの本を閉じるグラジオラス。
卓上の時計に目をやれば、ディアーネとの約束まで後一刻程の時間だった。
そろそろ準備を始めようと、彼は引っ張り出してあった装備を確認する。
それは冒険者時代の装備であった。
現役時代、彼は素晴らしい仲間とめぐり合い、世界中を旅したものだ。
彼の装備に刻まれた小さな傷の一つ一つが、その思い出で刻まれたもの。
しかし今、彼がこの装備を持ち出したのは過去を懐かしむためではない。
自分の後から来たものが、自分の先を歩むために。
未来を託すために持ち出したはずである。
彼が好んで使用したのは、大型モンスターの皮鎧だった。
金属鎧に匹敵する防御力と、金属鎧よりはるかに軽い鎧である。
修復には専用の道具がなければ縫い合わせの針すら通らないため、皮鎧の癖にメンテナンスが自分で出来ないのが悩みだった。
そしてマント。
英雄には不可欠なアイテムだと彼は思っているが、防御性能や戦闘時に技の出所や装備を隠したりと機能面でも便利な一品である。
剣は二振り。
彼がプリシアナ学園に来てから使い出した『ミスリルソード』と冒険者時代の愛剣『イービルブラッド』。
二つの剣を見比べた彼は、教え子が魔剣を持ってくることを予想して自らも魔剣、イービルブラッドを手に取った。
同じ魔剣の名を冠する剣同士で切りあうのはちょっとした洒落と、彼の期待である。
本来の彼のスタイルは片手二刀。
彼はアタッカーだったのだ。
ヒューマンの彼は仲間の中でも素早さや力が、特に優れていたわけではない。
この分野で、ヒューマンはフェルパーやドワーフに勝てないとされている。
彼の仲間にそれらが居なかったのではない。
ただ、グラジオラスは彼らに負けないモノがあった。
それをディアーネに伝えに行く。
本当は英雄学科の全員に伝えたかった事である。
だがその時間は残されていなかった。
下地を仕込めたのは彼女だけ。
いま少し、生徒達に講義を強制すべきだったかもしれない。
生徒の自由意志を第一にするのが、今の冒険者養成学校の基本方針であったとしても。
「最終的には良し悪し……なんだがな」
冒険者とは危険な職業である。
自分と仲間のほんのわずかな実力と、多大な運を味方につけたものが勝ち残る世界。
そんな生き方を選んだ以上、学生と言えども甘やかされはしない。
自由という事は、行動の結果と責任も自分で持つということだ。
多くの学生達は、基礎もそこそこに実践に向かう。
其処で得るものは多いだろう。
失うものもまた、多いだろう。
彼らは少し勇敢すぎるとグラジオラスは思うのである。
蘇生魔法の発展で、昔よりは生還率も上がっているが、それでも少なくない犠牲者はでているのだ。
そして例え蘇生出来たとしても、その中の半分は心に傷を負う。
文字通り死ぬほどの目にあっているのだから無理も無いが、恐怖を刷り込まれた者は二度と冒険になど出られない。
冒険者など臆病に逃げ帰って来るくらいで良い。
その方が生き残る。
「……」
鎧を着込み、腰に剣を吊るし、その上からマントを背負う。
基本的にはいつもの彼と同じ格好。
だが着込んでいる鎧と、鞘の中の剣はいつもと違う。
装備が違うせいか、彼の中のスイッチが切り替わりそうになる。
教師から、戦闘者へ。
一つ息をついて肩の力を抜く。
楽しみだった。
グラジオラスは教鞭をとって日が浅い。
しかし明確な目的意識は存在した。
教えたい事は確かにあった。
今日これから、それをディアーネに渡せるか否か。
その成否こそグラジオラスが教師として在った、意義の有無に直結するはずであった。
時計を見る。
後半刻。
「行くか」
ごく自然にマントを払い、踵を返すグラジオラス。
彼が教え子の剣を直接見るのは、実はやや時間が空いている。
本当は交流戦の最後に少しだけ見れたのだが、頭の緩い悪魔の娘は剣を捨てて竜に挑んだ。
その時のことを思い出し、思わず笑みがこぼれるグラジオラス。
出来の悪い子ほど可愛いというのは、どうやら本当のことらしい。
入学当初の彼女はショートソードはもちろん、大振りのダガーすら片手で満足に扱えなかった。
本当に手のかかる生徒だった。
しかしたった一人、彼に質問を投げてきた生徒でもある。
――あの……この学科は、何故無魔法をしておりますの?
つまり気づいていたのだろう。
グラジオラスが設定した英雄学科のカリキュラムは、無魔法の底上げがなくても実現できると。
ならば何故無魔法なのか?
その先があるからだ。
初めてその質問を投げてきたディアボロスの少女に、彼はこう答えた。
「君がうちで首席をとったら、その答えを教えよう……か」
当時は彼女が自分の学科で首席を取る可能性は低かった。
実家の貴族言葉も抜けていないお嬢様が、無魔法の前衛などこなせるはずが無い。
ディアーネが他の生徒と同じように、基礎もそこそこに冒険に出れば其処で終わっていただろう。
しかしそうはならなかった。
本当に努力していたと、グラジオラスは思う。
悪魔の少女は気の遠くなる程の反復練習で基礎を固めた。
そして始めて冒険に出たとき、ディアーネが選んだのはエルシェアだった。
プリシアナ学園そのものが持て余し、誰も手を加えることができなかった才能の原石。
ディアーネは確かにエルシェアを追いかけて強くなった。
エルシェアはディアーネと共に強くなった。
宝石を磨くためには、同等の強度の素材が必要なのだ。
あの才媛を磨いたとすれば、ディアーネもまた素質はある。
今現在は差をつけられてへこんでいようと、此処で潰れなければきっと追いつけるだろう。
それに……
エルシェアは入学当初から強かった。
彼女が天才であることはグラジオラスも心から認めている。
そんな天才を、ダガーすら振れなかった所から出発した自分の教え子が超えてくれたら……
年甲斐もなく沸き立つ心を抑えようとも思わず、グラジオラスは向かう。
プリシアナ学園の訓練施設、『始まりの森』へ。
§
始まりの森の入り口に、一人の少女が佇んでいる。
赤い制服に、赤と白の千早。
背中には両手剣を背負い、腰には標準サイズの片手剣をさしている。
しかし装備よりも特徴的なのは、少女の悪い顔色と、頭から生えた二本の角。
それは少女が冥界の血を継ぐディアボロスの証である。
リリィの所でしっかりと休養を取ったディアーネは、待ち合わせよりも大分早く目的地に到着していた。
気長に待つつもりだった悪魔の娘だが、彼女の師も待ち合わせよりかなり早く現れた。
「三十分も早いっすよ?」
「そうだな。待たせるよりは、いいだろう」
「うぃっす。いきましょーか」
「あぁ」
グラジオラスが森の中へと入っていく。
その背を追いながら、ディアーネも続く。
それほど奥に行くつもりは無いが、仮にも森と呼ばれる迷宮の一種。
剣を振り回せる広場の様な空き地も幾つかあるが、その一つまで歩きでは少々かかる。
しばらく歩んだところで、彼女は師へと声をかけた。
「先生」
「うん?」
「……なんで、英雄学科は無魔法なんですか?」
グラジオラスは直接は応えず、肩越しに教え子に視線をやった。
少女の姿が昔のそれと重なった。
背が伸び、無駄な肉を削ってはいたが、確かにあの時の少女の顔である。
同じ相手から掛けられた同じ問い。
しかし今度は、グラジオラスが同じ答えを返すことは出来ない。
「はるか昔、ヒューマンは魔法が使えなかったらしい」
「おっそろしく昔の話ですよね? 神様が地上から去った直後の有史ギリギリの時代にはそうだったって聞きますけど」
「その通り。やがて他種族との混血がすすみ、世代が進むごとに魔法が使えるヒューマンが生まれてきたという」
「みたいっすねー」
「身体的特徴は、異種族間婚では混ざらなかった。結果、形はヒューマンとまったく同じでありながら、魔法が使える種族が誕生した。これはある種の進化だろうな。それが今のヒューマンだ」
「はい」
ディアーネには師が何の話をしているのか、はっきりとは分からない。
しかしその一言一句は決して聞き漏らすまいと意識している。
大切なことの伝授はもう始まっているのだ。
「つまり歴史の一時期においては、魔法が使えるヒューマンと、使えないヒューマンが混在していた時期があるわけだ」
「ですね。今はまったく見かけませんけど」
「魔法の素質が完全に零のヒューマンは、もう居ないといわれている。まぁ、その事実こそ、魔法と無魔法の優位性の決着を示しているものと言えるだろうな」
「……でも、先生は無魔法を選んだんですよね」
「ああ、感覚が狂うからな」
「感覚っすか?」
「うむ」
歩きながら話す師弟。
遠まわしではあったが、ディアーネの望んだ答えに近づきつつある。
少女の胸が、師が見せてくれるものを期待して高鳴った。
「例えば、君の相棒……」
「エルっすか?」
「ああ、私は彼女の冒険者としてのスタイルに驚愕したことがある。私の理想に近い姿勢を、誰からも学ばずに体現していたからな」
「お、おぉ?」
「エルシェア君は、魔法を使わないんだ」
「使ってるっすよ?」
「正確には自分を超えるための魔法を使わない……いや、使わなかった……だな」
グラジオラスが思い出すのは、彼女が作ったという『冥府の迷宮』の地図である。
いまどきの冒険者は手書きの地図など使わない。
思考を分割して脳内に地図を作りこんでいく魔法は存在するのだ。
これは大変便利な魔法であり、冒険者の九分九厘はこちらを使う。
手間も掛からなければ荷物も嵩張らず、また紛失や盗難の心配も無い。
にも拘らず、エルシェアはその魔法を使わないという。
「自己強化の魔法というのは、使っていなかっただろう?」
「あー……確かに」
「驚いたよ。まさか今時、『マプル』すらしない冒険者がいるなんてな」
「地図を作るのってエルの趣味っぽいですけど」
「まぁ、それは置いておこう。エルシェア君は自分の感覚を、頭や身体を弄る魔法を使わなかった」
「……」
「自分の全てを意思と努力で制御下においてきたわけだ」
「ですね……」
「そんな彼女が初めて強化魔法を使った結果が、『化けた』というやつだな」
「はい」
ディアーネは意図せずにエルシェアに蹴りぬかれた足を撫でた。
今はもう痛く無いはずである。
しかし刻まれた一撃は身体よりも心に圧し掛かっているらしい。
ふと気がつくと、恩師の背中から少し遅れている。
小走りで追いつく少女。
グラジオラスは振り返らず、しかしディアーネが追いつくのを待ってから続けた。
「魔法は本当に便利な力だ。昨日君の話を聞いて、私はますますそう思った」
「はい……」
「エルシェア君は、既にかなり強いな。そこから魔法一つで、別の世界の住人に簡単になれる」
「……ん」
「まぁ、魔法で出来てしまうのだから、それで良いといえば良いんだがな。そんな楽な道があるために、自力で壁を越える技術が廃れてしまうのは、残念だよ」
「…………え?」
「その技術が、君への答えだな。まぁ、私の学科だけを無魔法にしても意味は薄かったかもしれん。お陰で私は、校長を説得するだけの材料を集めることが出来なかった」
グラジオラスが自分の学科で魔法を禁じても、違う学科の生徒とパーティを組んでしまえば同じである。
その生徒は仲間から強化魔法の支援を受け、底上げされた自分の力を基準に物事を考えていくようになる。
便利なものとはそういうものだ。
人は無いことによる苦境ならそこそこに耐えられる。
耐え難いのは一度でも楽な道を見つけた後、それを失うほうであった。
やがて目的地が見えてきた。
歓迎の森の中に幾つか存在する、ぽっかりと木々の存在を忘れたような空き地の一つ。
意図的にそのように管理されているのだろうその場所で、グラジオラスは振り向いた。
「始める前にはっきりと言っておこう。魔法には、無魔法による能力向上を上回る利便性がある」
「……」
「だからこそ、コレが君にとっての最良であるかは、正直私にも自信が無い」
「今さらっすねー」
「……」
悪魔の娘はにっこりと、人好きのする笑みを浮かべる。
グラジオラスにはその笑みが、肉食獣の威嚇に見えた。
彼と競うには、いささか幼い獣であったが。
「私は、この学科が好きっすよ。無魔法も含めてさ。分かりやすいもん」
「……」
「だから先生、お願い……私を、エルに勝たせてください」
「……いいだろう」
ディアーネは背中に負った両手剣を構える。
グラジオラスは片手剣を抜かずに左足を少し引く。
恩師が剣を構えない事に違和感を覚えるが、挑む立場なのは少女である。
師の姿勢に文句をつけるのは、やった後でいいはずだった。
「行きます」
律儀に言ってから駆け出した。
グラジオラスは、動く気配が無い。
もともとそう離れていない。
悪魔の娘は瞬く間に剣の射程で捕らえると、遠慮は無用と剣を振り上げ……。
視界の上下がひっくりかえった。
§
「大丈夫か?」
「あ……? っ!」
ディアーネは上から掛けられた声に跳ね起き、そのまま下がって距離をとる。
グラジオラスは追わなかった。
自分が何をされたのか理解していない悪魔の娘。
不思議そうに、しかし警戒して自分を睨む少女に苦笑し、グラジオラスは立ち上がった。
グラジオラスはディアーネを投げただけである。
加速をつけて振りかぶった剣が振り下ろされる前に割り込み、右足を相手の足にかけながら右腕で相手の首を狩った。
そして真後ろに倒れかけた少女の落下に割り込んで、その後頭部を左手で支えて地面と接触する寸前に止めた。
それだけである。
「不用意だぞ」
「……いつ動いたし」
師の動きに感心を通り越して呆れたようにつぶやく少女。
グラジオラスは肩を竦めると、今度は剣を抜き放つ。
「君がバロータ君に勝った時、私は君が入り口に立ったことを知ったんだ」
「ほぇ?」
「あの時の感覚を思い出せ。君の呼吸を読み取ってバロータ君が仕掛けたとき、君は相手がどう見えた?」
「あの時……あの時は……」
大きく一つ息を吸い、時間をかけて吐き出す少女。
両手から伝わる剣の重さは、いつもよりやや軽く感じる。
足も軽い。
相手も良く見えている。
グラジオラスから目を離さず、しかし意識を戦域に向ければ、足元の草や石、自分達を取り囲むように控える樹だって感じられた。
戦場が少し狭く感じる。
それは実際に狭いのではなく、ディアーネの意識が彼女自身の身体能力と結びつき、そう感じさせているのだ。
三学園交流戦で、ロクロやバロータと戦った時に近い感覚。
自分自身の集中力が良い所まで高まっているのを感じる少女。
あの時は……
「遅かった?」
「だろうな。でなければアレは捌けん」
グラジオラスは鋭く踏み込み、ディアーネの剣の間合い直前で足を払うように剣を振るう。
同じショートレンジの武器でも、両手剣と片手剣である。
少女の剣が届かない所から振った所で届くはずが無い。
しかし背筋に嫌な寒気を感じたディアーネは、バランスを犠牲にして左足を引いた。
まるで其処を剣が通り抜けでもしたかのように。
左足を切られかけたかのように。
「良く避けた」
よろめいた少女が姿勢制御を取り戻したとき、少女の左足が踏んでいた草が切り払われたように散った。
屋内では分からなかった、グラジオラスの神技の一端。
教師の剣は、あそこから自分に届くのだ。
「因みに私は、いつも見本に剣を振った時は此処まで見せていたぞ?」
「……マジっすか?」
「誰も気づかなかったがな。しかし、本当に良く避けたよ。つまり君は、私の動きを捉えてはいるわけだ」
「まぁ、それだけなら」
「及第点だな。それが出来ないと話にならん」
そう言った教師は、再び生徒に踏み込んだ。
先ほどの踏み込みよりは遅い。
しかし斬撃で割り込める速度ではなかった。
少女は袈裟斬りに振るわれる剣を見極め、終わり際に切り返す為に小さく下がる。
一閃を避けられたグラジオラスは、振った剣を手首だけで返す。
両刃の剣だからこそ出来る芸当だが、強靭な手首がなければなし得ない。
振り下ろされた剣が、次の瞬間に斬り上がる。
ディアーネはさらに左に回りこむように動いて剣先を避ける。
回避は成功しているが、間合いは少女に近すぎた。
片手剣の距離から出られない。
不利な状況ではあるが、ディアーネは静かにこの状況を受け入れた。
相手は現代の英雄の一人。
そうそう有利など貰える筈が無いのである。
後ろに下がり、左右への動きを織り交ぜて徐々に振り切ろうと足掻くディアーネ。
対するグラジオラスは、刺突を軸に踏み込みながら自分の間合いに居座った。
回避に徹したことが幸いしたのだろうか。
少女のは反撃の糸口は見えないまでも、グラジオラスの剣を避け続けることには成功した。
「早いな」
「ども」
一旦退いたグラジオラスが、素直に生徒を賞賛する。
短く答えるディアーネは、まだ疲労を感じていない様に見える
あまり疲れさせると集中力が切れるだろう。
そうなっても困るのだ。
「あくまで普通は……の話だが、普通は白刃の切っ先なんぞ見てから避けるのは不可能だ」
「うぃっす」
「だが、君は今避けて見せたな。何処を見ていた?」
「あー……なんとなく……ぼんやりと?」
「……なんだねそれは?」
「いやー、改めて聞かれると、意識してどこか見てるってしてなかったんで」
要するにグラジオラスの雰囲気からなんとなく避けていたのだろう。
感覚派で天然の発言である。
教え子の無自覚なスペックの高さを再確認し、教師の口元に苦笑が浮かぶ。
「……まぁいいか。下手に意識しだすとギクシャクするだろうな、君の場合」
「あい」
「だがな、例えば一般市民がナイフをもって振るった時なら、君はしっかり見てから確実に取り押さえるだろう?」
「そうすると思います」
「そんなことが出来るという事は、君は一般人と違った体感時間を持っていると言う事になる」
「うぃっす。あくまで普通の人が相手ならっすけど」
「ああ。だが、その感覚で戦うことが出来たなら、君は誰にも負けないだろうな」
「ん……でもそれって天と地ほどの実力差がいりますよね?」
「その通りだ。それこそ、君を圧倒したエルシェア君がいる世界だろう。そして……」
その先に、グラジオラスのような一部教師の世界があるのだ。
グラジオラスは息を抜き、反れかけた話を修正する。
「英雄の伝説を紐解くと、ヒューマンが魔法を使えなかった時代にも、英雄と呼ばれる者達は存在した」
「……」
「魔法が使えない以上、彼らは剣を用いて戦ったわけだ。その時の彼らは、果たして今のヒューマンと同じ剣士だったのかな?」
「……違うの?」
「違うな」
断言するグラジオラスは、剣を持ったまま脱力する。
攻撃的な意志がまったく無い、ただ立っているだけの姿勢である。
少女は恩師の意図が分からず、自分は正眼に剣を構えた。
「リリィ先生が仰った事がある。大陸の十種族は理論上発揮できる身体能力を、二割から五割程しか使えていない不思議な種族だと」
「え?」
「五割使えるのは、強靭な身体を得たバハムーンや、ドワーフ達だ。二割しか使えないのは、クラッズやフェアリーといった比較的脆いと言われる種族だな」
「なるほどー」
「強化の魔法は、このリミッターを少しだけ緩くする魔法だ。この魔法は誰が掛けても、効果は常に一定している」
「え?」
それは無いと思う少女。
ディアーネのパーティにはその魔法を使いたがるメンバーがいない。
しかし今や迷宮探索の主軸とも言える強化魔法の効果は知っている。
あれらの魔法は、熟練者が使用すれば効果が増すはずで……
「あ!?」
思考が顔に出る教え子の百面相を、面白そうに見ている教師。
彼はディアーネが自分で気づいてくれた事を内心で賞賛した。
「そう、元が強いものに掛けると効果が増すんだ。新人が使っても熟練者が使っても効果は同じ。つまり受け手の力量に左右されるという特性があるんだ」
「あー、確かに」
「いってしまえば駆け出しのうちから熟練者と同じ効果が出せてしまう、大変便利な魔法だな。若いうちから多くの生徒がお世話になるわけだ」
此処までは誰もが知っている事だろう。
この魔法を主軸においているパーティは、全く意識せずにこの特性を理解して使っているのだ。
「つまり秘めたる力を解放する魔法であり、無から有を生み出しているわけではないんだ。一定の効果なのに受け手で結果が違うのは、強い者の方が力の制御に長けている場合が多いからだ」
「……」
「エルシェア君が強化魔法で化けたのもこの原理だ。彼女は常に自分の意志と能力を制御化に置こうと努力してきた。その意識が根底にあるから、自分の感覚が変わる魔法を使わなかった。制御する事に慣れているから、緩んだリミッターから多くの潜在を引っ張り出す事が出来るんだ」
頬を赤くしながら嬉しそうに頷くディアーネ。
自分の相棒が褒められているのが嬉しくて仕方ないのだろう。
そしてある意味で不気味だったエルシェアの強さの正体も見えてきた。
それさえ分かれば、追いかけることも出来るかもしれない。
「その意味では、君もそうだ。無魔法で底上げされた身体能力だけを……その感覚をひたすら磨いてきただろう?」
「うぃっす。つまり私も強化魔法を貰えば其処に届く……?」
「届くだろうな。だが、どうせなら自力で其処に行ってみろ」
「自力?」
「あぁ。もう一度見せるから構えていろ。避けてもいいし、斬り返してもいいぞ」
「うぃ――」
ディアーネは視界の正面から師の姿を見失う。
「え?」
両手で持っていた剣を取り落としていた。
違う。
落としていたのではなく、打ち落とされたのだ。
柄を握っていた筈の両手は、打ち込みで無理やり引き離された衝撃で少ししびれていた。
「此処だ」
背後から掛けられた声に振り向く少女。
其処には先ほどと変わらず片手剣を持った教師の姿……
「はぁ!?」
変わっていた。
グラジオラスの左手には、先ほどまでは無かった片手剣があった。
少女はその剣に見覚えがある。
彼女も使っている、破邪の剣だ。
痛みのせいではなく、打たれた両手が震えている。
戦慄と共にディアーネが視線を落とす。
腰には彼女が装備していた、破邪の剣が抜き取られていた。
§
「見えたか?」
「……影すら見えませんでした」
正面に立つディアーネに真っ直ぐ突っ込み、手元を打って武器を落とす。
そのまま少女の脇を抜けざまに腰の剣を抜き取った。
動きとしては、たったコレだけ。
しかし此処まで干渉されたにも拘らず、ディアーネが知覚できたのは全て事後の事だった。
冷たい汗が背中を伝う。
「ほら、打って来い」
「うぃっす!」
悪魔の娘は意を決し、教師に言われるままに切りかかる。
正面から接近し、間合いの直前で上体だけ左に振る。
グラジオラスの視線を釣ったディアーネは、上体を起こす反動で一気に右に回りこむ。
教師程の速度は出せなくとも、今の少女は調子が良い。
彼の視線も、重心も、何処にあるか全て見える。
見てから逆に振っているのだから追いつけるはずが無い。
少女は大型武器の攻撃範囲を生かすため、横一文字になぎ払う。
ディアーネの視界の中で、グラジオラスが向き直る。
絶対に間に合わない。
そう確信するタイミング。
普段なら此処で剣を止めていただろう。
しかしこの剣を振りぬけば、今一度あの動きを見れる。
グラジオラスは確かに言った。
コレは技術だと。
ならば必ず自分も覚えることが出来るはず。
教師の動きを見逃すまいと、その意識を注ぐ悪魔の娘。
今度は見失わなかった。
グラジオラスは大剣に捕らえられる寸前で、垂直に跳ねる。
そして振りぬかれる剣の腹を今一度蹴り、少女の頭上を飛び越えた。
今更何を見ても驚くまいと思っていたディアーネだが、コレには呆れるほかは無い。
背後で教師が地に下りた音を聞く。
背中合わせに立った師弟は、それ以上すぐには動かなかった。
「この技の正体は、体感時間の操作にある」
「時間っすか?」
「うむ、戦士は常に判断する。敵の武器、技量、数、味方の状況、敵の状況……上げれば限の無い数の状況判断と選択肢の中から、自分の技量の中で最善を選ぶ」
「はい」
「その判断こそ戦士の腕だ。最良の判断を最速で下せる事こそ最高の戦闘技能だと私は思う。しかし戦況が変われば最善も変わる。難しいものだ」
背中越しに教師の言葉を聞きながら、ディアーネは頬が引きつった。
彼女なりに今の言葉を整理したのだ。
つまりグラジオラスに取り、ディアーネが剣を一振りする間に上方に飛ぶ選択と併せ、動き続ける剣に合わせて足を乗せ、其処を足場にもう一度跳ぶ選択を選ぶ時間があったのだ。
「はっきり言って、高速移動等おまけに過ぎんぞ? 私はそんなに早く動いているつもりは無いんだ」
「人間辞めてますって位には早いっすよ……」
「あぁ、外から見るとそうらしいな。説明すると、引き伸ばされた体感時間に合わせるために、身体に掛かっているリミッターが外れるんだ。結果として強化魔法と同じ事が身体に起こる。人は魔法を使わずとも、壁を破ることが出来たんだ」
この時既にディアーネは理解していた。
全ては異常なまでの集中力のなせる技だと。
少女は教師と剣の修行をするものだと思っていたのだ。
しかし此処までグラジオラスは一つ一つの動きを見せるだけで殆ど打ち合っていない。
全てはディアーネに疲労をさせないためである。
疲労によって集中力を削られれば、霞の向こうにおぼろげに見えるような遠い境地に届かなくなる。
最も、この先は実践の中で壁を破るしかないだろうが。
「先生はさ……」
「うん?」
「先生は、誰にコレを教わったんですか?」
この技は使い手の感覚に依存する所が大きい。
遠まわしなように感じた説明も、一つ一つの仕組みを理解させるためだろう。
この神技に近道などがあるとすれば、その境地が存在すると知った上で其処を目指すことだ。
出来るか出来ないかを疑ったまま、暗中模索する過程ではおそらく此処には至れない。
「いや? 私の剣も技も、自己流だよ。無論、誰にも出来ない等と大言壮語するつもりは無いがな」
「そっか……せんせー、苦労したんすね」
「おお。解るか?」
「そりゃ、こんなの見せられりゃ……」
ディアーネにはどちらかと言えば、この領域は辿り着いたというより間違って来てしまった類に感じるのだ
普通に冒険をしていて、こんな境地に至れるはずが無い。
グラジオラスは常に死線をくぐって来たのだろう。
何度も何度も生きるか死ぬかの中で選択肢を選んできた。
彼はその中で、おそらく自分自身すら気づかぬうちに磨き上げていた。
彼自身が最高の戦闘技能と称した究極の判断能力と、それをなしえる体感時間を。
はるか昔、古の時代に生きた魔法の使えないヒューマン達……
彼らは皆、グラジオラスが今やって見せた事が出来たのだ。
魔法の使えないハンデから、何度も死地にさらされたが故に。
「現役時代、私はそれなりに長い期間役立たずだった事がある」
「先生が?」
「ああ。近接戦闘能力ではドワーフやフェルパーの仲間に勝てず、かと言って魔法も苦手でなぁ」
「あー……」
「私の仲間達は良い奴らばかりだった。私を責める事などなかったが、忸怩たる思いはずっとあった。本当に自分が情けなかった」
背中から聞こえる恩師の声は、思い出話というにはほろ苦すぎた。
当時の彼の苦境は、今のディアーネの悩みでもある。
ディアーネはエルシェアに近接戦闘能力で負けることは許されないのだ。
自分には魔法が無いのだから、其処ですら勝てなくて何が対等か。
エルシェアに言ったら何を馬鹿なと笑われると知っていても、コレだけは譲りたくないディアーネだった。
「ひたすら修行に打ち込んで、冒険では危険に飛び込んで、遮二無二剣を振るったよ」
「……」
「何度も死に掛けては、セレスティアやノームの仲間に癒されて、小言を言われ……いつの頃からか、私が最初に敵に飛び込めば殆ど戦いは決着がつくようになっていたんだ」
「……そのヒーラーさん達って女っすか?」
「――そうだが?」
「ふーん」
獲物を見つけた猫の声音だった。
グラジオラスの背中が悪寒で粟立つ。
女の勘を甘く見た自分の失言に内心で舌打ちしつつ、話題を変えようと続ける教師。
「ま、まぁ……そうやっている間に自分の感覚が仲間からずれ始めていると気づいてな。それは戦闘者としては有利なことだったんだが……」
「ほぇ? 何か問題あったっすか?」
「当時は安定してその状態に至れなかったんだ。私は自分に何が起きているのかを調べるために、最新鋭の学問を掲げるプリシアナ学園を尋ねたわけだ」
「おー……そこで校長先生にスカウトされた?」
「ああ。丁度こっちも貴族だったメンバーが家を継ぐために引退してな。パーティも一旦解散した直後だから引き受けたんだ」
「なるほど、人に歴史ありっすねー」
「そんなに大げさなものではないんだがなぁ」
一つ息をついた教師が振り返る。
その気配を感じた生徒も、また教師と向き合った。
ディアーネの瞳が活き活きと輝いている。
目指すべきものが、今日はっきりと形になった。
「ねぇ先生」
「なんだね?」
「私が勝ったら、先生とヒーラーさんのお話、詳しく!」
「構わんぞ? むしろ一太刀でも入れてくれれば質問には全て答えようか」
「っしゃぁ!」
自身最速の踏み込みと共に真っ向から大剣を振り下ろす。
グラジオラスは自分の感覚でギリギリまでひきつけ、後ろに下がってコレを避ける。
ディアーネには確実に当たると思った距離だ。
この差が二人の判断にかかる時間の差だった。
少女は剣が地面を叩く前に脇を絞り、寸前で止めて突きに繋ぐ。
早く見えるのは最短距離を真っ直ぐ飛んできているからだろう。
教師はまたも引き付けてサイドステップで身を逃がす。
突いた先からなぎ払うのは少女の得意連係である。
即座に薙ごうとした少女だが、教師は不意に右手の剣で胸の前を払って見せた。
ディアーネには教師の剣が、一瞬盾のように見えた。
横薙ぎを中断し、再び上段から切り下ろす少女。
グラジオラスは左の剣を無造作にディアーネの顔の前に突き出すと、少女は弾かれたように後ろに跳んだ。
そのまま振っても両手剣は、まして片手剣など届かない間合い。
しかしグラジオラスがその場で剣を振り下ろすと、少女は即座に左へずれる。
まるで右腕を落とされかけたとでも言うように。
「っち」
「……」
舌打ちと共にグラジオラスの側面に回り込もうと動く少女。
阻止するのは容易いが、あまり動きを縛ってしまうとディアーネが硬くなるだろう。
あえて右側面を取らせたグラジオラスは、視線だけ送って剣の位置を確認する。
横薙ぎがくる。
試しとばかりに少女の剣に合わせるように右の魔剣を軌道上に配置する。
ディアーネは師の剣をかいくぐる様に斬撃の起動を修正した。
体幹を逆に捻って攻撃を止めつつ、手首で剣を跳ね上げる。
横薙ぎから打ち下ろしに繋げた教え子を見て、感慨深げに頷く教師。
先ほどからディアーネはグラジオラスが剣を送った所に決して自分の剣を入れない。
少女には自分の剣ごと切り裂かれるという明確なイメージが見えていた。
そしてこの場合、それは完全に正解だった。
ディアーネは動きの小さい突きから、攻撃範囲の大きい斬撃へと繋げてグラジオラスを攻めている。
十重二十重と続くそれら全てが避けられた時、少女は大きく退いた。
はっきりと荒い息をつき、肩が大きく上下している。
「息が上がって来たな」
「……」
「集中力を研ぎ澄ます……言うのは簡単だが、実際には難しい。ましてや私達は、種族的な壁を越えようとしているのだから尚更だ」
「……うぃっす!」
ディアーネは一つ息を吸い込むと、地を這うような高速の跳躍でグラジオラスに迫った。
一足で剣の間合いに捕らえると、両手剣を下から振るう。
身の丈に近い刀身は半ば以上が地面に沈む。
大地そのものに剣を隠すという、魔剣の切れ味と剣腕にモノを言わせた奇襲である。
グラジオラスは高速で足元から伸びてくるような剣閃を、身を捻るだけで避けてみせた。
しかしもとよりディアーネもこれで仕留めるつもりは無い。
悪魔の娘は避けられた瞬間剣を翻し、掬い取った土を斬撃に合わせて撒き散らす。
顔の付近で散った土塊に、さしもの教師も片目を瞑る。
ディアーネは師が見せた反射行動に即応した。
一瞬つむった左目の死角に滑り込み、渾身の一刀を叩き込む。
会心の斬撃であることは、振るった当人も理解できた。
理解できなかったのは師の行動で、彼は頭上に落ちかかる刀身を左の拳で殴りつけた。
剣握っているのだから、その拳は唯の素手よりはるかに硬い。
しかし少女の手元に返った衝撃は、そんな次元の話ではない。
取り落としそうな程の衝撃とともに軌道がずらされ、剣はグラジオラスを捕らえることなく地面を叩く。
全力で振った剣を逸らされ、少女の動きが止まる。
其処へ悠然と踏み込んだグラジオラスは、左右の剣を用いた反撃に転じた。
顔の高さに振られる右の剣を、足元を払われる左の剣を、少女は受けずに足で避ける。
グラジオラスは剣の間合いの外から、右の剣を振り下ろす。
ディアーネは半歩右に動いて避ける。
ただのサイドステップではなく、相手へ距離をつめながらの踏み込みだった。
教師の左の剣が、再び生徒の足元を薙ぐ。
避けることには成功したが、折角つめた半歩を押し戻された少女である。
今度はグラジオラスが踏み込むと、顔の高さに剣を振るう。
少女は素早く屈んでコレを避け、頭上に掲げた大剣を手元で繰って身体の間近をなぎ払う。
その防御動作は教師の放とうとした突きを牽制した。
強引に打ち抜くのを大人気ないと引いたグラジオラス。
しかし生徒は教師が退いた空間に倍する速さで踏み込むと、突き気味のモーションから振るう斬撃に繋げて来た。
「ぬ!?」
両手剣を振っているとは思えないほどコンパクトなモーションで、伸びるように振り切られた少女の魔剣。
ディアーネが無心に放った斬撃はグラジオラスの予想を僅かに超えた。
外から見るものがあれば、悪魔の剣が教師の頭部を捕らえたように見えたろう。
しかし実際はその剣すらも紙一重で見切り、逆に繰り出された教師の左の剣がディアーネの顔面に襲い掛かった。
グラジオラスの背中に冷たい汗が浮かび上がる。
腕には鳥肌が立っていた。
教え子の鋭い剣と闘気に当てられ、反射的に返した攻撃だった。
頭で考えた行動ではないが故に、その斬撃は殆ど加減の無いものだ。
当たれば怪我ではすまない。
そんな斬撃に、しかし少女は身を捻る反応を見せていた。
結果顔に食らう剣を肩で受けた悪魔の娘。
素材に魔法を織り込むことよって防御力が水増しされている千早と学園指定の制服を貫抜き、ディアーネが吹き飛ばされて転がった。
§
「っと! すまん、大丈夫か?」
手元に返った衝撃から傷は浅いと知りながら、グラジオラスは声を掛ける。
ディアーネは肩を抑えて座り込み、下を向いていた。
駆け寄りかけた教師だが、それは生徒の手に止められる。
「んぐぅ……」
「分かった、分かったから抑えていろ」
「うぃーっす」
師を制するために伸ばした左手で、再び右肩を抑える少女。
顔を上げられないディアーネだが、それは痛みによるものではない。
この時少女が肩を抑えていたのは経験から来る反射的な対応に過ぎない。
彼女はこの時痛みなど感じていなかった。
ディアーネが俯いていたのは、単に自分の顔を見せたくなかっただけである。
油断すればだらしなく緩みそうになる、今のだらしない自分の顔を。
「……行けそうっす」
「だろうな。交流戦の時には、もう入り口に立っていた」
「うん……うんっ!」
最後の攻防を思い出し、全身を沸き立つ高揚感を必死で押さえつける悪魔の娘。
無意識の中でも手加減はされていただろう。
しかし確かに、自分は師の剣が見えていた。
いま少し慣れれば、あの状態を標準としてさらに上を目指していける。
そうした修行の先に、きっと師の背中があるのだろう。
それがはっきりと感じられた。
「より集中を深く出来れば、次第に自分の速度も釣りあがるぞ」
「なんとなく、そう感じました」
「後の課題は再現能力だ。何時いかなる場合、どんな相手であろうと安定してその状態に入れなければ技としては手落ちだろう」
「はい!」
「繰り返し慣れろ。本来は実戦で死に掛けるのが最善なのだが……」
「え?」
「君の場合は、エルシェア君辺りと試合うのがいいだろうな」
そう言われた少女は、一つの悪夢を思い出す。
冥府の迷宮で死に掛けたあの時を。
自らの血の沼におぼれたように重い手足。
相棒を切り刻む魔物達。
走馬灯の様に乱舞する記憶の中で、あの時見た縫い包みの斧と烏賊の化け物の触手は、はっきりと覚えている。
どの軌道でどの速さで、それがどうやってエルシェアに当たるのか。
何故そんな事をおぼえているのだろう。
それは、見えていたからで……
「あ――」
致命傷に近い傷の中で見たあの光景を持って、ディアーネはこの技の雛形に辿り着いた。
あの感覚こそ、今自分が習っている事だ。
悪魔の娘の中ではっきりと、最後のピースがはまり込む。
「先生」
「ん?」
「見てて」
陽炎のように揺らめく少女の影。
音もなく、いや音すら追い越す速度の踏み込み。
グラジオラスの頭上に煌く魔剣。
笑みと共に左手で振り下ろされるその剣は、グラジオラスのもつ魔剣に止められた。
「良い攻撃だ」
「うぃっす」
「どんな感じだ?」
「……やりにくいっす。寧ろいつもより自分が重い。遅く感じる」
「そうか、概ね私と同じ感覚だぞ」
「ねぇ先生! 私これで、先生の一番弟子名乗っていいっすか!」
剣を合わせた物騒な体勢のまま、無邪気な笑顔で語る少女。
興奮しているのか、自分の剣を無自覚に振り下ろそうとしているため、止めている教師は引きつった。
まともに受けるには、少女の両手剣は重いのである。
「……あぁ、卒業したらな」
「ありがとうございます!」
正直なところ蹴り飛ばしてでも離れたいグラジオラス。
しかし自分の失態で怪我をした教え子にそれは出来ず、教師は重さを支えかねて膝を突いた。
「ディアーネ君?」
「なんすか?」
「そろそろ引いてくれないか?」
「イヤっす」
まさしく悪魔の笑みで答えた少女は、痛むはずの右手も剣に添えてグラジオラスを押しつぶしにかかる。
教師は左の破邪の剣を離し、自分の剣を両手で支えてディアーネの圧力に対抗した。
「折角捕まえたのに逃がすわけないっすよ? 私にはせんせーのロマンスを後世に伝える義務と権利が……」
「いつそんな話しになった! というか伝えるな」
「あーあー、きこえなーい」
このまま押しつぶせば、グラジオラスの提示した条件を満たせる。
此処まで不利な姿勢からディアーネを押し返すのは、グラジオラスでも難しかった。
まして今の少女は好奇心と謎の執念で負傷の影響をものともしない。
「出血しているぞ! 早く治療しないかアホの子がっ」
「アホの子結構! エルに鍛えられた私の悪口耐性なめんな先生!」
「何の自慢にも――ぐっ!? 何処にこんな力を……」
「先生に力入ってないの。そんな姿勢から全身筋力を連動させるなんて出来るわけないっすよ? ……さぁ」
「ぬぅ……」
「楽になっちゃおう? きっとジャーナリスト学科の連中も大喜びしますって!」
「っ!? 絶対に断る!」
……結局師弟の意地の張り合いは四半刻程続くことになる。
勝利したのはグラジオラス。
決まり手はディアーネの、貧血による自爆であった。
心底から疲れきったグラジオラスだが、仕方なくディアーネを背負って帰った。
学園では心配していたリリィが予定を空けて待っていた。
負傷して気を失ったディアーネと憔悴したグラジオラスの様子から、奥義伝授の厳しさを察した保険医。
リリィから労いの言葉と共に回復魔法を貰ったグラジオラスは、誰にも言えない黒歴史が一つ、自分の中に増えたことを苦々しく思うのだった……
後書き
一方その頃後編をお届けします。
間に39度熱出してぶっ倒れました。
お仕事は休めましたけどメガネの付けはずしだけで悶絶する頭痛生活はもういやでしたorz
前と合わせて難産でございました;;
ディアーネさんの覚醒イベントはこれを含めてあと一個在ったのですが、システム的な問題からそっちが使えなくなりました。
そのため残ったこのエピソードをこね回して、一本のお話として肉付けして作ったのがこのお話になります。
結果としては、グラジオラス先生の人柄は昔話を予定より掘り下げて書き込めたのでこれはこれで満足していたりw
本文では役立たず期間長かったとおっしゃっている先生ですが、あくまで自己評価です。
一般的な冒険者PTのアタッカーとしては十分以上の戦士だった先生が、一般人から逸般人になる過程で自身をそのように評価していたというだけで。
とりあえずこの話しはやりきったかなー感いっぱいで作者的には満足しておりますw
他にもネタはあるので気が向いたら出力してみようかなと思っています。
それでは、もっとととモノ。のSS増えないかなーと祈りつつ、失礼いたします