愛する保険医リリィの紹介で、エルシェアがドラッケン学園に留学して半月あまり。
学園の教師、生徒は留学生に基本好意的であり、ある一点を除けばまず満足した生活を送る少女。
元々社交性と容姿に優れ、地の性格に絡みついた皮肉の棘も、出し入れ自在のハイスペック天使である。
その場に溶け込もうと思えば、過不足無く周囲に気を使って居場所を作ることは出来た。
そんな彼女の最近の趣味は、遠くタカチホ義塾に留学した相棒との文通である。
「……」
彼女はタカチホへクエストに向かうパーティーに、手紙の配送と受け取りを頼んでいた。
そのパーティーが帰参の予定時間より、半刻も早く学生寮の玄関口で待ち続けて居たエルシェア。
これは手紙を心待ちにする心情と、郵便屋を頼んだ一団が厄介な相手だったから。
天使が溜息をついた時、寮の扉がやや乱暴に開け放たれる。
現れたのは、ディアボロスの少女。
エルシェアと同じ薄桃色の髪。
やや背の低い容姿だが顔の作りは其れなりに整っている。
そしてディアボロスの特徴たる角もさることながら、頭上に冠する王者の証が人目を引いていた。
「おお、エルシェア。今帰ったぞ」
「お帰りなさいませ、キルシュトルテ王女殿下。ご無事の帰還、心よりお喜び申し上げます」
「うむ!」
エルシェアは自分の尊厳に関わらない範囲なら、礼儀作法は必要に応じて売った。
ドラッケン学園にはこの大陸を統治する王家の、第一王女が在籍している。
王女は当然ながら学園内でも大きな勢力を持っていた。
その勢力につくか離れるかが、この学園の生徒が辿る大まかな道の歩き方になっている。
エルシェアは手っ取り早く馴染む為と、余計な摩擦を回避するために恭順を選ぶ。
自分の血統を重んじて他者を無意識に見下し、言動も幼稚に感じる少女を内心で冷笑しながらも。
「ほれ、お前の番たる少女からの手紙じゃ」
「ありがとうございます王女殿下。しかし、態々御自身で届けてくださるなど……」
「なに、あっちでそやつと意気投合してのう。お前に届けると請け負った」
「まぁ……ディアーネさん、何かおっしゃっておりましたでしょうか?」
「う、うむ……どうもあっちでは財布の紐が厳しいパーティーに入った様でな……お前を恋しがっておった」
「あぁ、きっとお腹を空かせていた事でしょう」
「最初は哀れに思ったが、装備品より食費がかさむと言われると、どちらに同情すべきか分からんのぅ……」
やや遠い目をして語るキルシュトルテに、エルシェアも心から同意する。
個人としては、キルシュトルテをそう嫌っていない天使である。
しかし王女と言う事でついて回る付属物が鬱陶しく、基本保守派のエルシェアとしては、蚊帳の外から礼を尽くしたい相手でもあった。
「あぁ……ディアーネさん……」
手紙を受け取りながら、エルシェアはさり気なく封が切られた形跡が無いのを確認する。
嬉しくてたまらないと言った表情を装い、手紙の封を指でなぞり、掲げるようなしぐさに隠して中を透かす。
そんな自分を微笑ましげに見つめる王女の視線を、まるで今気がついたかの様に意識し、照れてみせる。
「嫌ですわ……わたくしったら、殿下の前ではしゃいでしまって……」
「恥ずかしがることもあるまい。他校の離れた番を想うその気持ち、察するに余りある」
「そう言っていただけると、わたくしも気持ちが安らぎます」
エルシェアは極自然に右足を左足の斜め後ろに引くと、スカートの端を摘み、軽く持ち上げながら深々と頭を下げる。
同時に膝も深く曲げ、丁寧な礼をとって見せた。
比較的背の高い少女のカーテシーはキルシュトルテの目を楽しませ、鷹揚に頷いて微笑した。
留学当初から誰にでも好意的であり、物腰穏やかな美少女だったこのセレスティアは、王女としても存在を不快に感じることは無かった。
懐を開いて付き合うには、多分に社交辞令が先行していることは双方が理解していたが。
「そういえば、今日のエルシェアの授業はどうなっておったか?」
「本日の午前中は、このように空いております。午後からは、カーチャ先生から『堕天使』の講義をいただける事になっております」
「ふむ。堕天使専攻と言うのも、この学園では珍しいからのう」
キルシュトルテの呟きに、エルシェアは曖昧な微笑で頷いた。
王家の一族が在籍し、その王女がディアボロスである以上、ドラッケン学園は自然とディアボロスが多く集まる。
対照的に相性の悪いセレスティアの生徒は減り、むしろ校長が同族であるプリシアナ学園に集まるのである。
今の時代、種族間の差別はだいぶ風当たりが緩くなったが、しこりは完全に消えることは無い。
しかしキルシュトルテが何処までそれを理解して発言しているか掴めず、エルシェアとしてはやや対応に困ったのだ。
「さて、では行く。用も済んだしな」
「態々ご足労を……」
「謝辞を述べるならせめて級友として申せ」
「お手数をお掛けして申し訳ございません。お手紙、本当にありがとうございます……キルシュ様」
「ふむ、まぁ是としようかの」
キルシュトルテはそういうと、踵を返して歩み去る。
その背中が見えなくなるまでは見送り、視界から消えたのを確認したエルシェアは、一つ大きく息をつく。
「本当に、面倒なお子様ですね」
エルシェアが面倒と言うのは、キルシュトルテの内面が未だ安定していないことに寄る。
今のように距離を嫌がることもあれば、近づくことを拒まれる場合もある。
その日その場のご機嫌しだいで望む対応が安定せず、エルシェアとしては苦労が多い。
更にその嗜好が多分に百合系な王女様は、気まぐれに自分に好奇の視線を投げてくることもある。
自身も百合系腐女子の自覚を持つエルシェアだが、今の彼女は前と上に進む事しか興味が無い。
いま少しエルシェアにゆとりのある精神状態なら、学園恋愛モノ所か、昼ドラも真っ青の火遊びを楽しんだかもしれないが……
「……」
一人寮の玄関に立つ自分に苦笑し、エルシェアも宛がわれた個室に引き取る。
午後からは講義が入っており、今のうちにディアーネの手紙を確認しておきたかった。
エルシェアはドラッケン学園での生活リズムを構築しつつあり、大分馴染めていることを自覚している。
一時的ながらも良好な交友関係も築き、不自由な思いはしていない。
不満があるとすれば、一つだけ。
彼女が慕うリリィがこの学園で紹介してくれた、校内唯一の堕天使。
現在自分が師事する相手のことが、なんとも苦手なタイプであっただけである。
§
文字には魔力があるのだと、この文通を通じて思うようになったエルシェアである。
彼女は此れまで、手紙や日記等を嗜む趣味は無く、またその様な趣味を持った友人も居なかった。
どちらかと言えば、エルシェアは用があれば会って済ませればいいと思う性質なのだが……
「時には、良いものなのですね」
文字という情報によってしか相手の想いを図れないとなると、より相手の事を考えてしまうものなのだ。
ディアーネの寄越した手紙は、白い封筒に青い蝋で封をされたシンプルなもの。
しかし中の便箋はエルシェアの髪と同じ薄桃色で、目に優しい色合いである。
紙面の筆跡は書き手の人柄を示すように、颯爽と流れる綺麗な文字。
余白に描かれたディフォルメされたおにぎりと湯飲みの絵が、エルシェアの微笑を誘う。
『
私のエルシェア様へ
早いもので、私達が留学して半月になろうとしております。
お身体に変わりはありませんか?
そちらの学校は私の其れより北寄りで、秋の訪れも近かろうと思います。
暖かくしてお過ごしください。
新しい学校には、もう慣れましたでしょうか?
エルは何でも器用ですけど、偶に毒が厳しくなるから心配です。
保守派と言いつつ、気に入らない相手には損を承知で反抗する気質は、愛すべき美点だと思いますが。
どんな学校にも、心無い生徒は居るものです。
くれぐれもご自愛ください。
こちらの近況ですが、タカチホで幾人かの友人が出来ました。
また、こちらの教師も独特な文化を持ちながらも興味深い技巧を持ち、私も日々勉学にいそしむ日々を送っております。
充実した毎日を送れていると胸を張り、この手紙に書き記すことが出来る今が幸せです。
しかし中には、あまりに私の中の常識と違う文化に戸惑う事もございます。
一例を挙げますと、留学当日に生徒の有志の方が、私の歓迎会を開いてくださったのですが……
その食材の費用と調達が、何故か被歓迎者の負担であった事など、開いた口が塞がりませんでした。
しかも要求された食材の一つは、普通に死者の出る火山の一角にあると言うのは、どうなのでしょうね?
生息していた緑の不定形生物に絡まれたときは、あまりの腐臭に生きていくことを諦めそうになりました。
このような事を、この地方の伝統芸能、スモウの隠語では『可愛がる』と言うそうです。
エルも雌雄同体のタカチホ産フェアリーにはご注意ください。
ティティスの素直さと優しさが、身に染みる思いでございました。
此処で少し友人の事を書こうかと思います。
ティティスと同じ金色の髪を真っ直ぐに伸ばした、本当に綺麗なエルフの女の子です。
明るく朗らかな娘さんで、留学して間もない私に、何かと気を使ってくれる優しい子です。
どうやら彼女はアイドル学課志望らしく、ウチの学校の事を知りたがっていました。
エルが一時その学課にいた事を話したら、とても興味を示しておりました。
恐らくエルの好みのタイプだと思うので、何時かそれぞれを紹介できる日が来ると良いと思っております。
私は現在、そのエルフの方のパーティーと一緒に研修させていただいております。
例のタカチホ産フェアリーもおり、如何ともし難い日々ではありますが……
此れもエルと共に歩む為の修練と思えば、むしろ遣り甲斐も増すと言うものです。
今一人ドワーフの少年が居り、自称『班長』を名乗っております。
実権はどうもエルフの子が握っている印象ですが。
このドワーフも中々にお調子者らしく、ピンチに駆けつけた時、『其処まで言うなら手伝わせてやっても良い』だそうです。
何故か憎めない子なんですけれどね。
しかし、やはりパーティー全員が尊敬できる相手ばかりとは限りません。
分かっていたことではありますが、貴女やティティスの貴重さをこの期に及んで痛感する毎日です。
最後になりましたが、此れより秋も深まり、木々の色付きも益々栄える季節となってまいります。
お互いに顔すら見えない日々が、今しばらくは続きますが……
木の葉が紅に染まるように、私達の友情も深く色付いて行きますように。
それでは地元プリシアナの地で、出来れば雪が降る前に再開出来ることを祈っております。
その時まで、是非ご壮健で。
貴女の行く道に、女神の祝福がありますように。
貴女のディアーネより
』
手紙を何度も読み直したエルシェアは、相棒も相当に苦労していることを察する。
せめてお腹いっぱい食べさせてもらえれば、ディアーネも幸せなのだろうが……
エルシェアは自分のパーティーのエンゲル係数が凄まじい数値になっていた事を思い出し、其れも難しいのだろうと息を吐く。
彼女がディアーネを養えたのは、それ以前のパーティーで蓄えた貯蓄がそれなりにあったからである。
普通に学課をこなしているだけの学生では、中々そうも行かないのだろう。
苦笑した天使は、今一度手紙を流し読みして首を傾げた。
彼女はディアーネの仕草の端々から、行き届いた躾の良さを感じたことが多くある。
そしてこの流麗な手紙に、以前『冥府の迷宮』で見せた絵心。
「もしかして……彼女、何処か良家の子女だったり……?」
お互いに過去を好んで語ろうとはしなかった。
エルシェアはあながち無いとは言えない可能性の一つに、彼女の家柄を追加する。
天使にとって、彼女が大貴族の出だろうがスラムの貧家だろうが一切関係ない。
あの悪魔が、彼女の相棒である今こそが、最も貴重なことのはずであった。
「それにしても……女神の加護かぁ」
其れは確かにエルシェアの事を思って書かれた一文に違いない。
セレスティアは信仰心に熱い、天使の血を引く一族である。
しかし中には例外もあるもので、エルシェアは神を嫌っていた。
そのことは、触りだけとは言え語ったこともある。
何の心算で書かれた一言なのか考え、しかし正解と確信できる答えは見つからない。
このようなもどかしさが、天使に手紙の面白さを感じさせる。
「……」
天使は手紙を丁寧に畳み、封筒に仕舞う。
そして備え付けの机に入れて鍵を掛けると、一つ背伸びして窓から空を見上げる。
日が高い。
もうじき昼休みが始まり、食堂がごった返すに違いない。
折角午前中が空いたこの日、どうせならゆっくりと食事を取って午後の授業に備えたかった。
「さぁ……行きますかね」
私服の『貴婦人の服』を脱ぎ捨て、天使は翼を黒く染める。
そのまま服を衣装棚に戻すと、プリシアナ学園指定の学生服に身を包む。
ドラッケン学園の制服も貸与されているのだが、彼女は一貫してこの制服を使っている。
プリシアナに残した後輩は勿論、恐らく遠い地の相棒も同じ服を着ているであろうから。
§
ドラッケン学園の保健室が、現在のエルシェアの学び舎である。
セレスティアの少ないこの学園で、更にその専用学課である堕天使を選ぶものは珍しい。
現状は留学生のエルシェア一人だけであり、其れを教えることが出来る教師も、保険医兼務の堕天使しか居なかった。
「失礼します」
一言掛けて、スライド式のドアを開ける。
其処はプリシアナ学園の保健室と同じ、消毒用のアルコール臭がした。
部屋の奥に回転式の椅子があり、一人の教師が足を組んで座っている。
純白の白衣から漆黒の翼を広げ、妖艶な微笑でエルシェアを見つめる堕天使・カーチャ。
誰もが認める美人ではあるが、エルシェアから見るこの美しさは、毒婦の其れだと感じていた。
「いらっしゃい」
「よろしくお願いします」
エルは一つ息を吐き、知らぬうちに強張っていた肩から力を抜く。
相変わらず、苦手意識が抜けてくれない。
「……」
彼女はこの教師と始めて会ったとき、いつの間にか震えていた自分に気がつかなかった。
そんな留学生に苦笑したカーチャは、エルシェアをあやす様に緩く抱き寄せた。
何時も、彼女がディアーネにするように。
この時のエルシェアは内心の恐慌を制御できず、膝が崩れそうになるのを必死に耐えた。
エルシェアと言う堕天使は、カーチャという堕天使には絶対に勝てない。
彼女は自分の遥かな上位互換であり、彼女が居れば自分は敢えて必要ない。
そんな思いに囚われるほど、その存在は衝撃だった。
器用なエルシェアに取って、おおよそ初めての経験だったろう。
目に付くあらゆる分野において、相手に勝てないと意識したのは。
「まだそんなに緊張する?」
「しますよ。貴女は其処にあるだけで、私の存在意義が全否定されるのですから」
「どう考えても、私のせいじゃないわよねぇ」
「その通りです。私が弱いから、貴女を怖がっているだけで」
彼女はエルシェアの人となりを、リリィから書面で知らされていた。
その内容はあまりにもかつての自分と酷似しており……
過去の自分の姿をエルシェアの影に見出し、若干の哀れみを持って接している。
「少し肩の力を抜きなさいな? 私に勝てないのはそんなに悪い事かしら?」
「貴女に勝ちたい訳ではありません。貴女を意識する私自身が、なんと言うか……許せなくて」
「むしろその方が病気であると、自覚は……あるんでしょうねぇ」
「はい、自分でも馬鹿な拘りだと思っています」
カーチャが、そしてリリィが感じるエルシェアの病。
其れは自分が弱いという認識を、どうしても許容することが出来ない事。
強迫観念にも似た強い思いが、彼女を高みへ駆り立てている。
今までのエルは、全てに本腰を入れない事でその病気と折り合いをつけていたのだが……
「あまり生き急ぐと、振り返ったとき何も残っていないわよ」
「のんびりして置いて行かれても、結局一人になることに変わりありません」
「どちらにしても一人になるなら、誰よりも高みを一人で飛びたい?」
「はい。それに、私は一人にならない事を知っています」
エルシェアは相棒と後輩が、自分と同じかそれ以上の飛躍をすると信じている。
だから、自分も其処へ行かなければならないのだ。
今の彼女にとって、祈るのは神ではなく自分の力。
そんなエルシェアはある意味で、最も堕天使らしい堕天使であると言えたかもしれない。
カーチャは苦笑して椅子から立ち上がる。
「まぁいいでしょう。リリィが寄越した生徒だもの……望みどおりにしてあげる」
「少し……気になっていたのですが、リリィ先生とのご関係は?」
「情婦」
「死ね(『デス』)」
「ちょっと!?」
無詠唱で放たれた即死魔法。
身の丈程の闇球体が現れ、ゆっくりとカーチャに迫ってゆく。
速度はヒューマンの徒歩ほどで避けるのは難しくないが、例え間違いでも当たってしまうと、問答無用で死に至る。
カーチャの冗談は、エルシェアの逆鱗に触れた。
サイドステップで回避したカーチャを、エルシェアの指先が追いかける。
「待ちなさい! もう少しジョークの受け幅を広く持たないとモテないわよ」
「別に、いいです」
「威嚇もなしに即死魔法を使っちゃいけませんって、リリィに教わらなかったの?」
「即死魔法は乙女の浪漫だって、先生はおっしゃっておりました」
「あいつは……」
真偽の程は定かではないが、ありそうだと言うことは納得したカーチャ。
背中に冷や汗を感じつつ、舌先三寸で窮地からの脱出を試みる。
「今私を殺したら、答えは聞けなくなるんじゃない?」
「貴女が失踪してしまえば、どんな答えだろうと、後でリリィ先生にお聞きすれば良い事だと思いませんか?」
「この子は……」
この少女は、確かにリリィの教え子である。
その確信を持ちながら、カーチャは両手を挙げて降参を示す。
やや複雑そうにしながらも、指先を下ろしたエル。
「リリィは、若い頃……いえ、私は今も若いけど、相棒だったのよ」
「うぅ……聞かなければ良かったと言いますか……もう一度デスしたい……」
カーチャはエルシェアを見て、かつての自分に似ていることを既に認めている。
そしてリリィからの手紙によって、エルシェアとディアーネが『かつての自分達』に似ている事も、やはり認めているのである。
複雑そうな少女を見つめるその瞳の奥に、若干の危惧と期待をない交ぜにした光がある。
「さぁ、時間が惜しいわ。魔法の基本をひたすら詰め込みましょうか」
「基本ですか?」
「魔法の構成を正確になぞる事。此れが出来れば、魔法の完成が早くなるわ」
「ある程度なら、既に速射も出来ますが……」
「そういう魔法は次の段階に行きましょう。発動遅延を付加できるように構成を組んでいきなさい」
「遅延……? 態々遅くするのですか」
「堕天使は所詮器用貧乏だもの。普通に魔法を使ってもダメージは望めないでしょう?」
「はい」
「堕天使が魔法でダメージを出したいなら、詠唱完了から遅延十秒の時間差で発動した魔法を直撃させる。相手が魔力抵抗するタイミングを外すのよ」
「あの……詠唱完了から十秒後に相手が存在する座標を、正確に先読みしておけと?」
「どちらかと言えば、効果発現までのタイムラグの間に、相手を魔法の発生ポイントに追い込む感じかしらね」
「……なるほど、罠師の発想になるのですね」
内心で、カーチャは苦笑を禁じえない。
リリィは彼女に、とても厄介な生徒を宛がった。
しかし、初めて自分の全てを教え込める素材を手に入れた。
これから二ヵ月半の時は、退屈しないで済みそうである。
日々を惰性で生きているカーチャにとって、暇を潰せるという事は何よりも意義のあることだった。
§
「……あの、堕天使……何時か……殺……」
虚ろな瞳で学生寮に這いついた留学生。
彼女がカーチャの講義から解放されたのは、日が落ちてからである。
講義の最初は集中力が切れるまで魔法制御の特訓。
コンセントレートが出来なくなると、今度は保健室の地下に備えた訓練施設に通される。
其処はかつてこの学園で、まだ少数ながらも堕天使学課が存続していた頃……
カーチャが生徒達を集めて使っていた、今では知る存在も少ない施設である。
ドラッケン学園の七不思議の一つ、保健室から響く謎の悲鳴のモデルでもあるのだが、其れは今は関係ない。
「うぅー……」
講義の後半は、エルシェアが力尽きるまで筋力トレーニングに費やされた。
この時間まで掛かったのは、なまじエルシェアが意地を張り、粘ってしまったためである。
全身が筋肉痛でひたすら痛い。
夜と言うこともあり、這いずる姿は誰にも見られなかったことが幸いであった。
もしこの姿を見たものがあれば、万難を排して口を封じねばならなかったろう。
「あれ、エルシェア……何してるの?」
「しゅとれんさん?」
這い蹲ったまま、顔すら上げられないエルシェアは、声のみで相手を判断した。
クラッズのクノイチであり、キルシュトルテのパーティーのメインメンバー。
実はこの学校でエルシェアが最も懇意にしている相手であり、郵便も本当は彼女に頼んだものだった。
「何を……しているように……見えまして?」
「……負け犬ごっこ」
「反論出来ない所が、なんとも癪です」
「ほら、肩貸すよ」
「……お姫様抱っこお願いします。浮きますから」
「ああ、其処まで辛いか」
苦笑したシュトレンは、うつ伏せのエルシェアをひっくり返す。
肩と膝裏に腕を回し、軽々と抱え上げる。
エルシェア自身が浮遊を使うまでも無く、特に重さを苦にしている様子も無かった。
「あんた軽すぎ。ちゃんと食べてる?」
「……基本、セレスティアは見た目より軽い種族柄です。飛ばないといけませんからね」
「そうらしいねー。女の敵めっ」
「負け犬の遠吠えが耳に心地よいです」
「三階から捨てるよ?」
「其れこそ敗北宣言と認識しても宜しいので?」
お互いに言い合いながら、心地よい緊張感に包まれる。
シュトレンは無条件に甘い少女ではなく、やる時はきっちり止めまでさす少女である。
エルシェアはそんな相手の性格を承知した上で、やるなら相手の喉笛も噛み切る心算で挑発している。
双方を簡単に御せないからこそ、二人は対等に付き合っていた。
「……カーチャ先生さ、あんたが来てから楽しそうよ?」
「私は、自分がサディストの玩具になる日が来るとは思いませんでしたよ」
「あんたも相当だもんねー」
「貴女に言われたくはないのですが……」
笑いながら、シュトレンは堕天使を個室に運ぶ。
身長の低いクラッズが、セレスティアを抱かかえる図と言うのも珍しい光景であったかもしれない。
「うぅ……身体が痛いです……」
「あんた、ずっと保健室で何してたの?」
「最初魔法の制御で、後ずっと地下で筋トレを……」
「何、その地味なの」
「重箱の隅を突くような基礎鍛錬ですよね。基本は間違いの無い成果を得られますが」
「まぁ……留学生をどうかしちゃったら不味いしねぇ」
「……あの堕天使がそんな事気にすると思います?」
「……しねぇか」
「はい」
エルシェアは深い溜息をつき、シュトレンも苦い笑みを漏らす。
シュトレンは天使を抱えたまま軽々と階段を上り、三階にたどり着く。
捨てるためではなく、エルシェアの部屋が三階にあった為だと思われる。
「何が恐ろしいかって、あの先生保険医じゃないですか?」
「うん」
「たとえオーバーワークで私が壊れても、治せてしまうんですよね……ご自分で」
「そりゃ、ちょっとした悪夢だねぇ」
「はい。壊すも治すも自由自在なんですよあの人たち。絶対に敵に回してはいけない人種は、保険医なんだと学びましたね」
「ああ、其れドレスデン先生も言ってた。青ざめた顔してたなー」
鬼教官として名高いドレスデンだが、苦手なものもあるらしい。
意外な共通点を見つけたエルシェアは、今度その先生と話してみたいと思うのだ。
それに、彼女には確信もあった。
相手が鬼であろうと妖怪であろうと、今師事している堕天使に勝る化け物は絶対に居ないと。
「エルシェアはさ、辛くない?」
「辛くは……ありません。辛くはないんですが、もどかしいです」
「もどかしい?」
「はい。私の仲間は、私を実像以上に評価してくれているんです。私は、現実の自分をその評価のほうに追いつけたいので」
「倒れてる暇も無いってか」
「ええ。第一からして私のお友達だって、私よりずっと強いんですよ?」
「その辺ちょっと信じられないんだけどね。あんた以上のがゴロゴロしてるって、プリシアナは化け物の巣窟か」
「……そして、そんな私達よりも先に居るのが、生徒会長なんですよ」
「溜息しか出ないわぁ」
実際に深い溜息を吐き、シュトレンはエルシェアの部屋のドアを足で開ける。
そのまま備え付けのベッドに降ろすと、自分はデスクの椅子に座った。
シュトレンの位置からは、窓から空を見ることが出来る。
遠くに煌く星に向かい、手を伸ばしていた。
エルシェアはそんなクラッズの姿を、どこか眩しそうに見つめている。
シュトレンも、大切なものに手を伸ばし続けている。
つい最近その道を歩き始めた天使とは、きっと思いの桁も違うのだろう。
「……私さ、今月はクラティウスにもベルタにも勝ったんだ。本当に最近、やっとだったけどさ」
「……」
「一番になったっていう実感があった。だけど、留学初日のあんたに負けた」
「相性の問題ですけどね? あのお二人は近接特化、私は中、遠距離からはぐらかすのが得意でしたし」
「うん。それでもあんたに負けたのは事実で、しかもあんたの学校には、それ以上の奴らが居るんでしょ?」
「はい」
「……私も、少しは強くなったって、思ったんだけどなぁ」
「貴女も、そして私も進歩はしていると思いますよ。それにしても……」
この世界は強さの天井が知れない。
追い着いたと思えば、あっという間に水をあけられる。
どうやってもこいつには勝てない……そう思い知らされた相手が、別の誰かに完敗する。
そんな事が日常茶飯事に起こるのである。
星屑に手を伸ばすシュトレンは、そんな現実に軽い眩暈すら覚えるのだ。
「ま、いいんだけどさ。やり甲斐が増すってもんだ」
「ええ……目指し甲斐がありますよね」
この二人の道は違えど、目的地は同じ。
少女達は強くなりたい。
だから温度差無く付き合える。
「運んでくれてありがとうございますね?」
「いいって、あんたは目下、私のターゲットなんだからね」
「せいぜい高い壁であろうと思いますよ」
「……言ってなよ」
微笑と苦笑を交換し、しかし心地よい空気が部屋を満たす。
エルシェアは遠い地にある二人の仲間に想いをめぐらせる。
プリシアナに残ったティティスに不安は無い。
しかしタカチホに行った相棒が、多少気掛かりではあった。
彼女は、自分にとってのシュトレンのような同志を、あちらで見つけることが出来たのだろうか?
此処で気に病んでも仕方ない事ではあるが、やはり気になってしまうのだ。
「ディアーネさん……元気かな」
「……」
意図せずに呟いた天使の、それは弱音だったかもしれない。
シュトレンは丁重に聞こえない振りをして、再び星を見上げたのだ。
§
後書き
エルシェアの魔改造編でした。
彼女はゲームシステムと戦闘スタイルが作者の趣味と合致した稀な例でしたので、それほど派手なルール違反はしないですみそうですw
PS
この板を教えてくれた知人から、板移動勧められました。
非常に光栄なことなのですが、どうしたもんだろうかこれ……
胃が痛いです。・゚・(ノД`)・゚・。