軍隊というのは、無駄飯ぐらいで給料泥棒の方が仕事をたくさんするよりずっとマシだ。機動力を持ち組織された軍隊が派遣されるほどの災害というのは、碌でもない大災害。軍隊の本文である武力行使を必要とするのは、国家にとっては最悪の戦争である。常識的に考えれば、軍隊というのは訓練に邁進するばかりで暇を持て余すのが望ましい。無論、有事の備えは必要不可欠であるのは言うまでもないだろう。古の言葉にあるように、戦争を恐れるならば、戦争に備えなければならないのだ。だから、国家は軍というものを保持する。そしていついかなる時であろうとも、軍の背骨になる中核の下士官と士官は育成しておくのだ。国家が提供すべき最低限度の安全保障の一環として。当然のことながら、まともな状態にある国家の教育制度というのは『平時』の教育に主眼が置かれる。なにしろ、戦時下にない国家の軍人というのは死なれるたびに政府が揺らぐ問題と化す。訓練中の事故死など、当たり前ではないかという末期戦国家の思想など持ちこまれてはたまったものではない。最優先されるのは安全であり、かつ市民社会になじむ程度の訓練である。間違っても訓練兵を最前線に放り込むだの、冬季山岳戦装備でいきなり越冬させるなどという真似はありえない。大概の場合は、ペーパーワークが基本だ。そして、一般的に言われるように合州国という巨大な国家を運営するために不可欠な知識を学ぶこともできる。合州国の優れた政治家というのには、軍人上がりが少なくないのだ。彼らは、軍人として巨大な組織を動かすためのノウハウとルール、そして人脈を手にすることができる。なにより、最高指揮官としての大統領にとって軍の経験は貴重な判断材料だ。なればこそ、合州国の士官学校は選良達を排出し続ける。だから、ある意味で社会を学ぶには最適な場でもあると言えるだろう。ドゥ夫妻やジョンソン氏などの面々が、躊躇なく社会教育の場として選ぶほどに其処は相応しいのだ。尤も、カンパニーのMr.ジョン・ドゥ氏や連合のサー・ジョンソンにしてみれば自分の管轄下で無いというのが一番大きいのだが。…誰だって、虎穴に入りたいとは思わない。ましてや、虎穴どころの話ではないだろう。軍団規模で構築された絶対防空圏をどうやってか中隊規模で突破し、浸透襲撃した挙句に揚々と帰還?奴のためだけにいったい帝国がいくつ勲章を新設したのかぜひとも知りたいと、意味もなく好奇心を働かしたくなるような化物である。猛獣の管理は、動物の専門家に。戦争の専門家の管理は、軍人の専門家に。こうして、官僚主義に敢えて堕ちることすら厭わず情報部は英知を傾ける。そのためだけに、彼らは脅迫し、交渉し、妥協し、譲歩すら為した。尤も、たったそれだけで、あのデグレチャフの管理責任から解放されるのだとすればお安いモノ。故に、交渉を纏めたカンパニーのジョン・ドゥ課長は即日昇進が決定したほどだ。提携先のジョンソン氏と並んで、二人でバカンスを満喫したいと申請した時も、快く快諾されるほど。そうして、のこったスタッフらは祝杯を高らかに上げると共に教会へ赴き不幸な軍人たちの冥福を祈る。何故ならば、祈るだけならばタダである上に世間体が悪くないのだ。だが、情報関係者が我が世の春を盛大に謳歌している時。送り込まれた人間と、送り込まれた側は盛大にのたうち回る羽目になっていた。とはいえ。送り込んだ側にしてみれば、最早自分たちとは関係のない事なので一切考慮に値しなかった。悔やんでいては、身が持たないのだ。Ladies and gentlemen, I am glad to see all of you.新設されました合州国空軍士官学校、第一期生ターシャ・ティクレティウス少尉候補生より皆様に御挨拶申し上げます。近年の多様化する空軍任務の性質と先の大戦の教訓より、空軍は専任の士官教育施設が必要であるという見識でありました。その意味において、参戦後もない時期に開始した空軍士官学校創立プログラムが終戦直後に間にあったのは幸いでしょう。大戦の戦訓を取り入れつつ、今後は均質化の難しい魔導師戦力とは異なり安定的な運用が可能な空軍の役割が増大すると言う事を私達は信じております。以上の理由により、私達400名の新たな士官候補生を空軍が受け入れてくださることを、心より、心より、一同を代表いたしまして、心より、感謝いたします。私事ではありますが、私の両親は私を誇りに思ってくれていると信じています。至らぬ身ではありますが、今日ばかりは市民として誇らしい姿を両親に示すことができているとうぬぼれております。本来であれば、この場に両親の姿が見えた事でしょう。しかしながら、祖国のために挺身した父は国境警備の際に亡くなり、母も心労で後を追うように亡くなってしまいました。最後まで、母は幼い私を案じていたと孤児院で父と母の友人の方から伺った時以来、いつか天国の両親を安堵させることができればと願ってきたのです。主のご加護があればこそ、私はこうしてこの場に臨むことができたと信じて止みません。天国の両親に。そして、全てのお世話になった方々に。私は、候補生を代表して宣誓いたします。すべからく、市民としての義務を為し、神と共にある祖国を防衛せん、と。今日、この場に集った候補生一同は、すべからく国家に対する市民としての義務を自覚し、義務を遂行する仲間足りえることを願ってやみません。ご来場いただきました皆様、私達を受け入れてくださる教官の皆様、そして多くの私達を見守ってくださるお父さん、お母さん。至らぬ我々ではありますが、鋭意義務を遂行すべく邁進し、もって合州国の平和と安全、そして世界に貢献していくことを誓います。ありがとうございました。盛大な拍手と共に、壇上を面映ゆげに下りていく若い士官候補生の姿。彼女の様子は、何かをやり遂げたという上気と、安堵感だと一般の参列者の多くは好意的に捉えた。逆に、魔導軍関係者は均質化の課題と個々の質に依存している問題を改めて否応なく認識。一同揃って、微妙な表情を浮かべざるをえなくなる。対して、予算を喰われることになる陸海軍の感想は、素直に新たな競合相手が出てくることへの警戒感だ。だが、事情を知る本当にごく一部の人間はあまりと言えばあまりな展開に引き攣りそうな胃と顔面に懸命に耐える羽目となっていた。あるものは、興味半分でこの場に列席したことを盛大に後悔する。あの化け物が、どのような声で宣誓するのかと怖いもの見たさで列席した愚を彼らは精神衛生という代価で購う。義務で、或いは何が起ころうとも抑え込むという覚悟。それらと共に列席した面々にしてみれば、衝撃は覚悟していた。だが、涜神すら平然となすあの化け物がいとも清らかな、そして実に健気にすら思える演技を成すのだ。奴の実績と経歴を思えば、本心など一ミリグラムも含まれていないに違いない演説。それを、奴を知らないという制約付きとはいえ人間経験の豊富な列席者に信じ込ませる説得力。単なる化け物ならば、知恵で狩ればよいだろう。だが、遥かに力で卓越した領域に有りながら、むしろ狡猾さを増す怪物をこれから飼育しなければ成らないとすればどうか?それは、虎に翼を与えて野に放つという最悪の自体を予期させる。何よりも恐ろしいのは、気が付けば奴は自分の領域を構築しつつあることだ。何故だ…と思いつつも、関係者は自体を振り返らざるを得なくなる。事のはじまりは、単純だ。奴を魔導士官として採用するなどありえない相談である。生体情報である以上、波長が変わるとはいえ軍歴抹消を前提とすればそもそも類似する記録もまずかった。加えて、正直にいえば奴の士官学校での経歴から見て何をしでかすか怖すぎるということも挙げられる。そこで、当初は陸か海に押し付けようということを情報部と上は考えたらしい。順当に行けば、一番管理が容易な海軍に押し付けることで問題を解決する腹だったと聞く。しかし、帝国海軍の特技である通商破壊を継承する軍人を育てるという可能性に海軍は激烈に反対。曰く、こちらの手札を覚えられた士官に通商破壊されれば、護衛しきれる自信がない、というもの。まっとうすぎる反論故に、最後の最後で陸軍預かりとなるのが筋だった。しかし、陸軍には陸軍の事情というものが最後まで存在する。南方大陸以来、交戦した関係者の数が多すぎて隠匿しきれるか微妙というのが彼らの回答になる。そう、まずいことにデグレチャフは相当の陸軍軍人とも交戦しているのだ。当然ながら、陸海双方が相手に押し付けようとした挙句に交渉が失敗。そこで、この話をなかったことにしようと誰も言い出さなかったのは過去の教訓から学べばこそ。契約違反をデグレチャフにするというのは、ある種のタブーだとある程度以上に資料を学べば誰でも理解できるに違いない。あの精鋭共が、ゲリラ戦なり局地的に浸透するなりしてくればそれだけで重大な脅威と化す。それは、手に負えない事態ということを意味するだろう。誰だって、そんな事態を招きたくはない。当たり前だ。爆弾の解体は、爆破が一番確実だとしても。誰が、わざわざ核地雷を踏み抜きたいと思うものか?だから、爆弾は安全な施設に保管しておくべきだろう。…そして、幸いにも。このとき、合州国にはひとつの受け皿たれる組織が立案されていたのだ。大戦中に存在感を増しつつあった、空軍。その基幹要員である士官育成のための、士官学校を求める声は当然のこと。無論、予算の兼ね合いや遅々として進まない調整から暫くは設立までに時間を要するはずだった。だが、怪物の檻が必要となってしまう。だから、そのために銀で檻を作り上げるために一切の遅滞が許されずに空軍士官学校は創立されることになる。ここで、デグレチャフを入校させるために手を裏にまわそうと考えていた関係者は愕然とする。いや愕然とさせられた、というべきだろう。空軍の士官教育とは、教養と幅広い戦域認識が不可欠。この命題に立った組織作りは、一見すると単なる野戦指揮官上がりで合格できない水準のはずだった。なにしろ、オークスブリッジ級の知性と運動能力を要求するという桁外れの要求を拙速ゆえに彼らは当初通してしまう。そして、最悪なことに。いざ、試験を行い、所定の成績を収めたほんのわずかな中で主席だったのがデグレチャフだった。そればかりか、早くも指導的な立場に収まりつつすらあるという。最悪の被害をばら撒いてくれたカリスマ的な指揮官に、未来の基幹要員が掌握されるという恐怖。あの、デグレチャフの影響下に置くためだけに空軍士官学校を作るというわけにはいかない。それもまた、断じて許されるわけにはいかないのだ。だから、彼らは人事に最善の注意を払う。せめて、猛獣の檻を守る番人の人選には万全をきたそう、と。もっとも、選ばれたほうにしてみれば堪ったものでもないだろう。だが、選んだ側にしてみればほかに選択肢はない。選ばなければ、猛獣が放し飼いになるのだ。番人が噛まれようとも、知ったことではない。こうして、設立された空軍士官学校は大学の学び舎だった。そこで、士官候補生らが専門的な知識を必要に応じて学ぶ。これこそ、まさに人的資本投資のあるべき理想的な姿だとターニャならば評しただろう。その意味において、ターニャが放り込まれた空軍士官学校は『学校』としてはよほど上等な類だった。授業料は当然免除であるし、給与すら支払われるのは帝国と同じ。しかしながら、教育期間は短期速成とは真逆の4年。しかも、リベラルアーツを重視するという重厚な教育姿勢。その場において、記憶する限り三度目の大学生活はターニャにとってすら想定外なほどに有意義なものだった。まず、軍隊の学校というからには散々戦闘訓練を行わされるかとの思いは完全に外れる始末。なにしろ、航空力学や高々度実験、はたまた医学といった実用上の知識がただで学べた。そればかりではなく、心理学・統計・科学知識といった幅広い分野まで学べるのだ。士官学校に放り込まれると知らされたとき、思わず裏切られたかと考えたのは早計だったとターニャとしては考えざるを得ない程。そして、少なくとも契約通りに満足しているという姿勢を見て上層部は安堵できる。ゆえに、ターニャにしろ軍上層部にせよ状況はかなりの程度満足しうる範疇に分類できるだろう。なにしろ、ターニャにしてみれば入ってみると自分の要求がかなりの程度叶えられていたのだ。空軍という組織は、かなりの程度高度な科学的知見と教養を重んじなければ成立しない。故に、そこで必要とされる知識を学ぶということはかなりの程度応用が利く。特に、電子機器周りの知識が必要とされるということは、今後成長が確定している電子機器産業に身を投じられるということだ。技術者としてではなく、使う側、投資する側としても学んでおいて一向に損はない。なにより、膨大な予算を惜しみなく軍事技術に投じられる高等研究局との縁故が作れるのは素晴らしい環境だろう。研究開発の方向が分かっているのだから、あとは技術者を囲い込んで資金を政府からもぎ取ってくれば成功は確定。まさに、自分の望んだようにコミーを技術的にぼこぼこにしつつ、文明的な生産活動に従事できるという寸法だ。ここまでしてくれた合州国にはいくら感謝しても、感謝しきれないほどである。監視している限りにおいては、猛獣が懐く気配を見せているのだ。檻に入れた連中にとっても、餌を与えて懐いてくれるならば安いものだと満足すらできる。実際のところ、ターシャというカバーネームの安直さ位は寛容な気分で許容できるほどにターニャは現在満足していた。多重に監視され、プライバシーが侵害されているという事実は証人保護プログラムの性質上やむを得ないのだ。そう割り切れば、現在の環境はすこぶる理想的ですらあるのだから。故に、ターニャは学ぶ。自費ではなく、国費で学べるのだから時間こそが惜しむべき要素。つまり、ぶち込める限りすべての時間に何かをぶち込む。そして、合州国の国費で勉強しているのだからきっちりと還元しようという意識もある。ある意味で、理想的な給費学生でもあった。まあ、本人にしてみれば会社の費用で研究しているという感覚の延長線上なのだが。当然ながら、パテントの一部はもらうが盛大に使ってほしいとすら考えていた。猛獣が暴れださない限り檻にぶち込んだ人間はひとまず安心していられるという寸法である。そして、猛獣は存外知恵が回り大きなリターンをもたらす気配すらあったのだ。この状態は、少なくとも檻に入れられたターニャと、入れたお偉方にとっては理想的だろう。ただ、押し付けられた番人役にしてみれば堪ったものではないということだけが問題だった。「つまりだ、少尉候補生。君は、原子炉が欲しいのかね?」「はい、校長。」学び研究するというのは思考だけでは貫徹しえないもの。当然、その過程においては研究のための施設が必要になるのは言うまでもない。空軍には原子力関連の施設が乏しく、そのため原子炉が必要だと感じればターニャとしては即座に行動せざるを得なかった。なにしろ、今後のコミー対策において大陸間弾道弾は必要不可欠。そして、ロケット工学とならんで原子炉は技術者育成のために必要なのだ。そう信じればこそ、好奇心と完全な合州国への善意でもってターニャはそう進言している。ただ本人は、その発言がどう解釈されるかについてひどく無頓着である。いや、会社への忠誠心と似たような心理状態で、スポンサーに貢献している意識すらあると言ってしまってもよい。それは、提案を受ける側、校長にしてみればたまったものではないのだ。…遥かな高みから監視されている方々から、散々警告されていたとはいえ衝撃は酷いもの。「研究の目的は?」「言うまでもなく、原子力関連の理解のためであります。核を理解しないで、戦略空軍の意義が成立し得ましょうか。」心中、穏やかでない提案を受けて胃が激痛を叫び始めるのを意思で押さえ込む。このとき、なぜ空軍において士官学校の校長席が非常に高く評価されるのかを彼は理解していた。素人でも、校長職というのがどれだけ過酷なものかということは手当の額だけで理解できるに違いない。彼だけは、空軍士官学校においてデグレチャフという化け物のことを嫌というほど警告されて知っているのだ。そんな化け物じみた戦争中毒に、核の知見を与えるなど論外中の論外。なによりも、この化け物に核を近づけるなというのは経歴を見れば三秒で理解できる。そもそも、奴に掌握されないように注意するということも彼の職責なのだ。だから、本来ならば一切奴に便宜を供与しないということが一つの解決策たり得る。ただ、上にしてみればこの猛獣、飼い殺しにするには少々もったいなさすぎるとも認識されているらしい。なにしろ魅力的すぎるので、奴の知恵と研究結果を可能な限り引き出せ、とも命令されているのだ。命令されたときは、相反する命令を投げつけられたような思いで相当ひきつった感情を抱かざるをえなかった。「検討だけはしてみよう。まだ他に?」故に、彼は話題を変えることを試みる。誰にとって幸いだったのかは不明だが、少なくともターニャはいくらでも改善を提案する意図があったことを彼は知らない。要求が、ひとつだけかと思ったその愚を彼は自らの胃の健康によって支払う羽目になる。なにしろ、ターニャにとって提案すべきことはいくらでもあるのだ。現状と知っていることとの比較を行えば、いくらでも改善の提案は可能。そして、善意から求められれば行うという意思があるのだ。「…航空機製造メーカーとの人材交流を提案します。空軍士官にとって、必要不可欠な知見かと。」現状において必要なのは空軍に配備する航空機に対する士官の知見向上だろう。技術を軽視して、スペックだけを叫び始める士官が出たら最悪だ。そう考えるや否や、提案を行うというのはある意味でまっとうな提案だろう。「まあ、それはそのとおりだ。」だから、校長しても拝聴せざるを得ない。だが、彼は知らないのだ。止められない限り、野戦上がりの軍人は少しでも無駄を省こうとする癖があるということを。そして、次世代の戦争を知っているターニャは自重する気が一切ないということも。こうしてさえぎるには、最も過ぎ、聞き続けるには危険すぎる提案を彼は延々と聞かされる羽目と化す。不幸にも、その日に限って彼に急用がなくかつターニャにとって急ぎの用事もなかったことが文字通り終日の提案を実現してしまった。航空機の空戦ドクトリン研究が必要という提案。それは、最もだった。ミサイル万能説に対する懐疑的な見解。なるほど、確かにミサイルを撃ち尽くした航空機や、ミサイルが使用できない状況下の考慮は必要だった。超長距離爆撃機計画に対する疑念。ああ、そうだろうとも。現在研究中の弾道弾とやらをどうして嗅ぎつけたのかは知らないが、その通りだ。空中給油の実現化。アイディアとしては面白いし、実現の可能性を一考することもできるだろう。前線航空管制官という構想。確かに、近接支援の効率化という意味では大いに考えさせられる提案だ。対地爆撃の新システム。いわれてみれば、空中飛散型の爆弾というのは研究価値がありそうだろう。早期警戒機開発プラン。レーダーの穴を埋めるという意味においては、確かに可及的速やかに検討する価値があるに違いない。「最後になりますが、空挺戦術の見直しを研究させていただければ、と。」淡々とデグレチャフは提案を行い続けているが、そのいずれもが空軍にとって無視しえない貴重な提案だ。特に、実戦経験をもとにした奴のたぐい稀な戦術眼から生み出されるプランは金言と言ってしまってもよいだろう。確かに彼我の戦力が混在しがちな状況で、管制官の果たす役割が明確化すれば航空支援はより有意義になる。空中給油が実現すれば、より長期間エアーカバーを地上部隊に提供できるだろう。何より、レーダー網突破の専門家が提唱する対応策は今すぐにでも実装する価値があるに違いない。故に、彼は論破され、説き伏せられ、ついにターニャに研究費用を与えることに同意してしまう。無論、説き伏せられたというのは論理に説得力を認めればこそではある。しかし、だからこそ。デグレチャフが厄介だという事実を、否応なく認識させられるのだ。すべての研究機関に、呪いのように奴が関与してくるという事態。事情を理解している人間にしていれば、その意味が恐ろしく理解できる。否応なく、突きつけられた現実は、奴が確実に力を養っているということを物語っているのだ。帝国技術廠・教導隊上がりで実戦経験豊富という経歴は伊達ではないらしい。高等研究局において、奴が推薦を付けた研究プランは無条件に承認されかねないほど奴はすでに信頼を得ていた。「…どうしろというのだ。」吐き捨てるような思いで、机の上に残された計画の山に目を向け彼は思わず天井を仰ぐ。これが、あと3年も続くのだ。どう考えても、長生きできるとは思えないような日々が3年も。そこまで考えかけたとき、彼の心は完全に砕けることとなる。候補生らの集う食堂。ターシャは人の輪に溶け込みこそしないもののそれなりの付き合いを周囲とは保っていた。もとより技量は教官らにすら一目置かれる上に、主席様だ。周囲にしても、疎むというよりはそれなりに扱いが難しいとはいえ頼れる同輩という認識を抱いている。なにより、彼らは空軍士官学校の創立時に集められた創設期のメンバー。これからの空軍を担うという仲間意識は強く、存外多様性に対する寛容さも養われていた。そのため、ターシャが同期らとまずまずの夕食を平らげ食後の珈琲を楽しみながら談笑するのもそれなりの頻度で見られる光景だ。まあ、少しばかり変わっているなという同期の認識ではあるが、話せない人物でもないというのが周囲の評価。なにより、秀才にありがちな規則礼賛という態度が強くないのが彼らには受けている。いや、厳密にいうならばターシャは別段規則破りを認めているわけではない。それに、違反を見つけた場合きっちりと規則に従って対応する。故に、最初はうるさ型かと思っていた周囲だが、しばらく付き合っていると存外融通が効くことも分かってきた。まず、この小柄な主席殿は効率を重んじる口らしい。故に馬鹿話には乗ってこないが、バカバカしい形式も鼻で笑い飛ばす口なのだ。無論、規則であるからして遵守はしているのだが規則に対しては別に信仰心があるわけでないらしい。『要するに、礼儀作法の問題なのだから守るべきところで守れば問題ない。』口にこそ出していないものの、話せる意識らしいということは薄々察することができる。実際、実績さえ上げていればターシャは必要最低限度以上の干渉は行なってこないのだ。前期の試験明けに、干渉しないどころか存外仲間思いなところも見られたと彼らは思っている。パイ投げを行なっている面々を発見した時には、規則が禁じていないの一言で注意しようとした教官を制したほどのだ。だから、その日食堂に急ぎ足で駆け込んできた候補生は仲間内で耳にしたばかりの話を早速ターシャにもたらす。「フォーレスタン校長が長期休暇に入られたらしい。教官らの話では、復帰は相当厳しいという話だ。」「校長が?何たることだ、やはり相当御加減が悪かったのか。」練達の士官であり、常に公正な態度を誰に対しても保っていた校長。だが彼について、候補生らが一番知っているのは赴任後、急速に体調を崩していったということだ。開校式で、脂汗を流していたという話は誰もが最初はでっち上げだと笑い飛ばしていたが今では少しも笑えない。航空医学を学んでいる候補生らが、医務室でげっそりとやつれた校長を亡霊だと見間違えた話すらあるのだ。一体、どんな病気なのかというのが口さがのない候補生らの好奇心の対象だった。…まあ、同時にひどく心配してもいたのだが。「…まあ、無理もないだろうな。フォーレスタン校長には、ゆっくりと療養をとっていただきたいものだ。」「おや、主席殿。心当たりでも?」「憶測だがね。」実際、ターニャにしても心配しているのは同じだった。なにしろ、まともに改善計画を評価しかつ行動してくれる士官というのは貴重な要員だ。加えて、話す限りにおいてだがフォーレスタン校長は冷戦構造化におけるコミーの脅威を認識されていた。遅々として進まない戦後ボケした合州国の軍備と、ひたすら軍拡にいそしむ連邦との対比を考えれば誰でも頭を抱えたくなるはずだ。なにより、ターニャは未来をおおよそ確信できるが、そうでない責任ある立場の人間にしてみれば相当の重圧だろう。「昨今の情勢。気に病まれないほうが、難しいのだ。人一倍、責任感を感じられる校長ならば、言うまでもないに違いない。」空軍の近代化と、組織機構の改編は対連邦政策上必要不可欠。そして、その実現を担う校長ならばかけられる重圧も想像を絶するものがあるに違いない。それでありながら、空軍士官学校という組織を作ったことに対する世論の風当たりや、他軍の牽制は胃に答えたことだろう。現状が行き詰まり、自らの義務を遂行できなくなっていると感じた軍人が追いつめられるのはよくあることだ。そして、まともな軍人ほど思いつめやすいというのも理解できる。「本当に、惜しい方だった。一日でも早く、現役に復帰されればよいのだが。」故に。本心から、ターニャは有能な反共の闘士が戦列から落ちることを嘆く。衷心から、その不幸に同情すらする。ロメール閣下といい、優秀な人ほど長生きはできないものなのだなぁということに気が付くと思わず顔が引きつるほど。運命の皮肉を苦々しい思いで見やると、ターニャとしては嘆かざるを得ないのだ。「まったく、本当に得難い立派な校長先生だった。」「ああ、良い方だった。」そして、士官候補生らも素直に同意する。短い付き合いだったが、わざわざ一人一人と話す努力までおこなってくれた校長のことを皆相応に好いているのだ。「…せめて、安堵いただかねばな。次代は、我々がしっかりと担うと。」せめてもの反共の戦友に対する餞だ。完全に、善意からターニャはそうつぶやく。完全な、善意から。あとがきお久しぶりです。最近というかここ2週間くらいで転居いたしました、カルロ・ゼンです。時差があると思いますが、理想郷、海外からも更新できるようになってよかったなぁと安堵する思いです。ちょっとどころでなく、デスマーチ気味だったので、更新が遅れてしまいましたorz多分、今月中の完結は無理かなぁ…、いや、無理だと思ったらそこで試合終了だし頑張ることは頑張ってみます。2017/1/24こっそりと誤字修正しますた。2017/1/29 誤字修正