「アンソン中佐、お時間です。」「よろしい。さあ、諸君。忌々しい帝国と、クソッタレの政治屋共に、目にものみせてやろうぞ。」潮流へ抗う決意。「大陸軍は何処にありや?何処にありや?全西方方面軍は知らんと欲す。」待ち望まれる援軍。「国家にとって、責務を果たせぬ人間が徒に地位と報酬を楽しむことほど残酷で無意味なことがあるだろうか?」求められる才知。「焼け。そこには、『非戦闘要員』など誰もいない。」神のみが知り給う世界。「帝国は精密無比な戦争機械たりえますが、それだけです。世界の工場には及びますまい。」「なるほど、植民地人も役に立つ日があるという訳だな。素晴らしい。」古き老大国の英知…或いは老獪さ「美しい…なんと、何と可憐なのだ。ああ、悪魔よ、私の悪魔よ、お前は素晴らしい、素晴らしいぞ!」運命の片思い。つまり、出会い。「何千、何万、何十万と!ライヒの若者を積み上げてゆく気か、貴様は!?」「分かっていたことではないか。分かっていて始めたのだ。貴様も、私も。」それは、古い友人との決別「やれやれ、ルーシーの蛮族どもには困ったものです。…地雷原を『歩兵の足』で切り開くなど理解しがたい。」「だが、合理的ではあるな。突撃破砕射撃用意、突っ込んでくるぞ!」北の果て、祖国の彼方。「かえしてくれ!私の、私の部下を、祖国にかえしてくれ!!!」生き残った指揮官の嘆き「ヴァルキューレを開始する。祖国の運命に、神の御加護があらんことを。」記録に残らない一つの記憶「それで、私の部隊は如何すればよろしいでしょうか?ご命令を。」「排除だ、中佐。ライヒの内憂は取り除かねばならない。」短剣…あるいは、その一刺し。「「「ライヒに、黄金の時代を!」」」それは、唯一の誓約。終わりの始まり。それが間接的にせよ、始まったのは極東からだった。"ゼートゥーア"ハンス・フォン・ゼートゥーア古くからライヒの軍系ユンカーとしてライヒ統一以前より名をはせた家門だが、彼によってゼートゥーア家は歴史に不滅の名を刻むに至ると評される。『恐るべきゼートゥーア』という彼に対して贈られた連合王国の畏怖すら籠められた評価。事実、彼は恐るべき存在だった。参謀本部において、彼が精力的に主導した総力戦概念。純然たる軍事的勝利を戦術次元のそれと割り切り、敵国の継戦能力破壊に重点を置いた消耗抑制戦術。機動戦概念や、後方浸透による兵站破壊や司令部強襲など数々の戦術的な飛躍すら彼の指揮下によって断行されたものが多い。近年、ようやく部分的に開示されはじめた『モスコー襲撃事件』への関与も確実視されている将官だ。彼の戦歴は、あの大戦に限っても第一次ライン戦、東部戦前半、イルドア戦線、第二次ライン戦及び末期東部戦と数多に渡る。記録が物語るのは、彼は戦争を誰よりも理解している一人だった。あの時代、彼は総力戦を最も最初に意識して戦略を唱えた軍人だったのだ。ライヒの剣とまで讃えられる研ぎ澄まされた視野と頭脳は、末期にあってなお敵を震撼させ続けた。彼を拘束した時その日、これで怯えずに済むと安堵とした人間は決して少なくなかったという。『ゼートゥーアが、二人もいなかったことを私は神に感謝する。』と幾多の将軍が戦後に漏らすほど、彼は恐るべき存在だったのだ。…だが、歴史はIFを物語る。帝国軍は、本来ならば二本の剣を手中にしていたはずなのだ、と。君、それは病気だよ。そう言い捨てると、男は疲れ果てた表情で首を振ると立ち上がった。そこにあるのは、礼儀正しくも明確な拒絶。いや、厳密に言うならば拒絶ではなく対話への絶望だろうか。「ルーデルドルフ、帰国することを友人として勧める。」二羽烏と讃えられ、共に切磋琢磨し競い合った誉れの同期。その片割れに対する男の言葉は、ただ、絶望が込められたものだ。「国で休め。…ここは、少々『良くない』。」それに対して、応じたる声は疲れを滲ませながらもどこか熱狂的な響きを帯びた声だった。「君らしからぬ言葉だな、ゼートゥーア。」病臥の身でありながら、病臥することを拒まんとする強い意志。そこにあるのは、自分の理論が実証されようとしている研究者の悲願ですらある。「今、我らが文明の機器がこの地で戦場の新秩序を形成するべく砲声を轟かせているのだぞ?」ルーシー連邦と、秋津島皇国による辺境地域での武力衝突。当初は、さしたる深刻な事変たりえないと構えていた各国の予想とは裏腹に国境紛争は激化の一途を辿った。当事国以外、誰にとっても理解しがたいエスカレーション。だが、それは同時に。限定的な局地戦とは言え、列強同士の稀に見る正面衝突だ。「本国では、机上で論じるしかなかった全てが此処にあるのだ、此処だ!全てあるのだぞ!!!」医者に外出を禁じられることへの恨みつらみ。如何にも口惜しいとばかりに彼は、絶叫してのける。久しい勢力均衡政策による牽制と、費用対効果の観点から躊躇され、結果的に回避されてきた列強間の交戦だ。なればこそ各国共に、挙ってその俊英を観戦武官として送り込んでいる。帝国が参謀本部より派遣されたゼートゥーア中佐とルーデルドルフ中佐も、その例外ではない。帝国軍の次代を担うと期待される彼らに対し、本国は全てを見て来いと意気高らかに送り出していた。「信じがたい老体どもめ、これを極東における極限環境が生んだ限定的かつ局地的な現象などと分析している!!」「聞いたとも。何処も変わらないさ。連合王国のハーミセン中将に至っては報告書を読んだかつての同僚から呆けたかと案じられたそうだ。」だが、意気込んで派遣された彼らの報告に対する本国の態度は余りにも懐疑的なもの。言い換えれば、前線で、塹壕で弾雨を潜りながら集めた彼らの報告書は本国にとって『極端な事例』に偏った報告と取られている。全く予期しえない新しい戦争形態。しかし、それは当事者以外には決して理解しえないもの。百聞は一見にしかずの典型例。「は!あんなドン亀どもはそれでも良いのだろうさ。所詮、奴らにとって陸などそんなものだ。」「…ライヒは、些か状況が異なると言わざるを得ないのは認めよう。」「そう、そこだ。参謀本部ですら半信半疑だった平面から立体での戦闘に移行すると確信できた。ここに立てば、誰でも分かる。」彼らは、本国からあの俊英たちがどうしたことかと呆れ半分、憂慮半分の態度に直面しつつも確信を深めているのだ。ここに、全てが、今後全ての戦争形態の原型があるのだ、と。「驚くばかりだ。連邦は、航空機と砲兵でひたすら物量と火力で押す物量戦。秋津島は、魔導師の機動防御を活用しつつ火力の効率的な運用特化だ。」「戦訓は本国に申し送ってある。」戦地で目の当たりにするもの。それは、ベテランで固められた各国の観戦武官らをして愕然とさせしめるものだ。発展著しい火砲の能力の前に、従来論じられていた塹壕線の脆弱さは完全に覆されている。馬に跨り、誉れ高らかに敵陣に突撃など自殺行為だと機銃と鉄条網の前に積み上げられた死屍が教えてくれていた。一方で、厳重に防護された要塞陣地ですら攻城砲の一斉射撃の前にはあっけなくベトンの瓦礫と化している。ルーシー連邦の圧倒的な火力・物量に対し、秋津島皇国の展開する魔導師による機動遊撃戦は従来では不可能と考えられていた機動防御の実戦ですらあった。なにより、観戦武官らを唖然とさせるのは消費される砲弾と人命の桁だ。それは、彼らの想定を一桁どころか、下手をすれば二桁上回る。信じがたいことに、起った一度の要塞攻防戦で師団どころか軍団が融けることすら彼らは目撃した。錬度・装備ともに本国の第一線級師団と差異のない秋津島の軍団。それが、重砲の支援を受けて突撃してそれだ。「ふん、この目で観なければ実感できんよ。みたまえ、あの戦死者の山を。後送どころか、安置すらままならないありさまだ。」積み上げられた死体の山々。銃弾の、砲弾の前に人間の肉体は余りにも脆弱だ。騎士道精神など、どこにも介在する余地のない機械と鉄の時代。その時代にふさわしい戦争形態とは、すなわちそれ相応に無慈悲たりえる。だが、それは同時にみなければ理解できないもの。報告書に、死体の数をいくら記載してもそれは数字でしかない。人間は、目に見えるものからしか学びえない魯鈍があまりにも多いのだ。「あれが新しい戦争だ。そう、そこにまで来ているのだ!私は観てしまったのだ!」それ故に、ルーデルドルフ中佐は心の底から天に対し呪詛の言葉を吐かざるを得ない。直ぐそこで、野戦病院からほんの数キロのところで。彼らが、参謀本部の不味い会食室で激論を交わしていた戦争形態が実戦という形で表れているのだ。「次は、次の戦争では神が死に果て、鉄と血が全てを喰らうのだ!」「…科学と魔導をもって大地を焼き尽くす。君の言葉だ。少し、精神が過敏になりすぎているのではないか?」だが、同輩にとってその有様は余りにも異常だった。参謀本部で共に机を並べて、働いた切れ者友人が示す狂態。些か、過敏な神経を持っていたと言わないでもないが繊細な人間に極東の事変はよろしくないと言わざるをえない状況だった。加えて、観戦武官に対する秋津島の対応は余り良好とは言い難いものでもある。まあ、補給線の維持で四苦八苦している受入国にあまり求めるのも無理な話ではあるのだろうが。だが、だからこそ療養ためにせめて後方に友人を下げたかった。そんなゼートゥーア中佐にしてみれば、唯一の厄介さはルーデルドルフ中佐の頑なな態度である。「ゼートゥーア、君はこれが戦術、いや軍事戦略次元で収まると?君は全てにおいて優秀だが、応用力だけは並だな。」ゼートゥーア中佐にとっても、友人の言わんとするところは理解できる。自分は、学究肌ではあっても現実理解の方面に特化するあまり『創造』となると実にお粗末だ。「私は参謀将校だ。軍務を考える以上それに収斂させがちなのは否めんがね。」だが、とゼートゥーアとしても思わざるを得ない。そもそも、自分は軍人であって哲学者でも、思索家でも、思想家ですらないのだ。「政治だ、ちがうか、世界だ。世界が変わっているのだ。戦争が変わるのではない。…いや、違う、戦争が全てを変えるのだ。」「ルーデルドルフ。我々は軍人だぞ。哲学論争がしたければ、哲学家相手にでもやってくれ。」そう、軍人なのだ。祖国が、参謀本部がゼートゥーア・ルーデルドルフ両中佐に期待しているのは実戦に関する知見とデータだ。当然、戦争形態の変化という事象について主観的、或いは哲学的議論を行うことは求められていない。必要なのは、客観的な報告だ。それだからこそ、哲学論争に走った過敏な友人の神経を想いゼートゥーア中佐は後方地域へ下がってはどうかと促し続ける。「ははは、違いない。だが友よ、ではせめてこの野戦病院まで連れてきてくれないか。」「暗に帰国を進めたつもりなんだがな。」「此処で帰れるわけがない。」だが、ルーデルドルフにとって後退などありえない相談。彼は断じて後方に下がることを肯じない。否、それは、そもそも検討にすら値しないのだ。研究者に、探求者にとって、真理を前に引くことなど、死することよりもつらいとばかりに彼は断じて後送を拒絶して久しい。ある意味では、無理もないことだ。戦理を追求する者にとって、戦理とは結局所実戦での検証程もっとも確実な手段もないだろう。一方で、実戦経験とは当然ながら戦争でもない限り得難いもの。そんな状況にある探求者にしてみれば、従軍武官は祖国を危機に陥れることなく自分の理論を検証・発展させるための唯一の機会に他ならない。後方に下れと言われ、下れる筈もないのだ。そんなルーデルドルフ中佐の心境はゼートゥーア中佐にしても理解できないこともない。彼にしても、戦争の形態が変化しているのではないのか、という兆しを感じ取ることは同じなのだ。しかし、それ以前にゼートゥーア中佐は良しにしろ悪しきにしろ『良き軍人』である。「…だからといって、野戦病院を抜け出すどころか『無人地帯』を彷徨うなど自殺行為も同然だ。やめておけ。」当然、無為な蛮勇を良しとまではしえないのだ。勇気と蛮勇は全くの別物でしかないというのが、ゼートゥーアの見解だ。「従軍武官にしてみれば、現地情勢を知るのも仕事。」「死ぬぞ?無人地帯の損耗率を知らないわけではなかろう。」「知ったことか。誤るよりも、誤りを正す過程で斃れる方がまだマシだぞ!」だが、世の中にはそれらを知った上で平然と無視する衝動を抑えかねる軍人というのも少なからず存在する。歴史を紐解けば、蛮勇としか形容しがたい行為が歴史を変えることもままあるのだ。アルプスを越えたハンニバルは、ハンニバルというローマにとっての災厄と化したのだ。アルコレを越えたボナパルトは、ボナパルトであると同時にボナパルトを超越したのだ。関ヶ原を敵中突破した島津義弘は、島津氏を遺し、結果的に徳川幕府を転覆しえたのだ。数多の躯の上に、戦理が微笑むのであれば、敵中に倒れようともそれはルーデルドルフにとって本望でしかない。「と、すまんな。そろそろいかねば。」「また訪ねてくれ。無聊を囲っている身だ。」大戦より10年前。ライヒより遥か彼方、地の果てとも言うべき極東の地。その地にあって、彼らの瞳は観戦武官としてその『戦争』を見つめていた。…彼らは、未だ自分達の祖国に待つ運命を知らない。あとがき兼報告ドーモ。ドクシャ=サン。カルロ・ゼンです。気が付けば、祖国では『アイサツ』が大切になっていて伝統の大切さを実感するしだい。|ω・`)やあ、ごきげんよう。随分とご無沙汰してます、カルロ・ゼン的な生物です。今回は、進捗状況の報告がてらゼー閣下の昔話を。幼女が出てない、とか女っ気足りない!という批判はご容赦アレ。一応、改稿しているやつには改稿前)ハンバーガーのピクルス程度から、改稿後)ドイツ料理のザワークラフト程度には増量しておきましたので。でも最近、妙に忙しかった…イースター休暇?ショッギョ・ムッジョどした。ヤバイ級の忙しさ。で、何とかなるだろうと甘く見てましたよorzええ、イースターって時間確保どころじゃなかったorzまあ、なんとか原稿(仮)は終わりそうです。頂戴した多数のご意見、ありがとうございました。担当さんと、相談しながらぼちぼち良い感じに進めればなぁという次第。コメント、なかなか返事もできずに申し訳ない限りです。ちょっと余裕が出来ましたらば、また更新したいと思っとります。