秋津島皇国軍第八師団ノ実地セリシ師団規模夜間浸透襲撃ニ関スル観戦武官所見ノ報告詳報ハ後日ノ軍用郵便ニテ送付。発:帝国軍参謀本部ゼートゥーア中佐。宛:帝国軍参謀本部概要①秋津島皇国軍第八師団ハ、某日、師団全力ニテ皇国軍呼称『ウ号陣地』ニ対シ夜間襲撃ヲ敢行セリ。②攻撃側、同第八師団。(充足率約5割ニ満タズ。)防御側、連邦軍三個規模旅団。又、重砲陣地ヨリ支援アリ。③大凡、六時間ノ夜戦ニテ皇国軍第八師団ハ『ウ号陣地』ヲ奪還。戦線ヲ約七キロ突破シ、防衛線ノ再編ヲ成功裏ニ完遂セリ。『所見』総括:軍事学上、戦史ニ記録サレル価値アリトミナス。1:秋津島皇国軍第八師団ハ、師団規模デノ戦域夜間機動並ビニ組織的戦闘行動ガ可能ト証明セリ。尚、同作戦行動ハ非魔導行軍下、無線封鎖ノ徹底サレシ新月ノ環境デ達成サレタ。2:上記ノ作戦行動ハ、潤沢ナ訓練、支援、誘導、補給ヲ完全ニ欠イタ状況下ニテ完遂サレタ。本攻勢発起マデ、同師団ハ防衛線ニテ防衛戦闘任務ニ従事。極メテ優勢ナ連邦軍4個師団ト交戦シ、攻勢発起時ノ充足率ハ五割程度ノ状況デアッタ。軍事学上、全滅セリシ師団ガ、夜間師団規模襲撃ヲ成功裏ニ達成シタ、ト小官ハ判断セザルヲエズ。3:先ノアルチュール要塞攻防戦二置イテ、秋津島皇国軍ハ三個師団ヲ一度ノ攻勢デ喪失セリ。同戦訓ハ、堅固ナ要塞/陣地ヘノ攻勢ハ、重砲、工兵隊ヲ欠ク場合ノ回答デアッタコトヲ考慮スルナラバ、全滅判定ノ師団ガ僅カ三桁ノ損耗デモッテ、防衛線ヲ突破セリシ事ノ意義ハ『理想的タル戦術的ナ戦争芸術』ト称賛ニ値ス。4:本第八師団ノ攻勢ハ、大凡、望ミウル最良ノ奇襲ニ成功ニヨリ、陣地強襲ニモ関ワラズ、損耗ハ僅カ三桁ニ留マレリ。小官ノ把握セリシ数ニヨルト、概算デ1万程ノ攻勢デ、損耗ハ1千程度ナリ。追記:カクマデモ、成功裏ニ行ワレシ攻勢デスラ、陣地戦ニオイテハ損耗ヲ覚悟セザルヲエズ。『戦況判断』総括:春季決戦ヲ前ニ、全軍崩壊ノ危機ヲ一撃デ解決セリシ戦術行動ト見做ス。本攻勢ハ、純然タル戦術行動ニテ、戦略次元ノ失策ヲ補填セリシモノナリ。1:防衛線ノ再編ニハ成功セリ。2:防衛線ノ根本ニアル脅威ノ排除ハナラズ。連邦軍主力ハ未ダ健在ナリ。3:本攻勢ニテ、秋津島皇国軍右翼ノ深刻ナ脅威ハ大凡排除サレリ。4:拮抗状態ハ回復サレリ。詳報ヲ待タレタシ。~~~~~~~~俄かには、信じがたい。そんな光景を目の当たりにした観戦武官らの興奮は少しばかり常軌を逸した驚愕でもあった。まさか、『列強紛い』と笑っていた極東の小国が、『師団規模』で、『組織的夜間戦闘』を実現し、挙句、勝って見せたのだ。それも定義上仮設とはいえ要塞と呼ぶにふさわしいような重防御戦に白兵で。驚くなかれ、それを為したのは軍事学上、全滅したと認定する他にない定数2万5千が一万を割るか、割らないかの第八師団だ。それまでの、防衛戦闘で優勢な4倍の兵站状況良好と思しき敵を相手に奮戦しただけでも称賛に値するだろう。実際、秋津島皇国軍司令部の戦況判断ミスは、第八師団の奮戦で防衛線を維持しえたことで辛うじて挽回されていたのだ。それが、こともあろうに。奪取され、要塞化されつつあった要衝を、半壊の師団が奪還してのけていた。そう、半壊の師団、が、だ。極言すれば、敵と同数か、同数以下で、コンクリートと機関銃のハリネズミを打ち殺したことになる。先のアルチュール要塞攻防戦で、秋津島陸軍が積み上げた死屍を思えば『奇跡』だろう。もしも、仮にあの攻防戦の直後に聞かされていれば、絶対に信じられなかったことに違いない。実のところを言えば、誘われて実際に同行した観戦武官らでさえも、今尚見たことが信じ難いという思いを抱かざるを得ないのだ。…塹壕だけでなく、コンクリートまで投じられた防衛線。そこに、白兵で、生身で、夜に師団が…半壊したものが、殴り込み、陣地を奪取。挙句の果てに、追撃戦まで敢行し、防衛線を右翼陣地にて7キロ前進させる?率直に言ってしまえば、何かの悪い冗談だ。病床のルーデルドルフから取り上げてきた煙草で、ようやく一服し、参謀本部への興奮混じりの緊急報告を書きあげたゼートゥーアの思いは、ここで頭を捻って本国へ至急報を送ろうとする観戦武官ら共通の思いだろう。連邦軍に包囲されて、観戦武官として両手を上げて国際法に従っての捕虜宣誓をしている方が、まだ違和感が乏しいほどである。軍隊を計画通りに行進させるだけでも、素人には想像がつかない程難事なのだ。それを、夜に、計画通り、なんら遅滞も混乱もなく、師団規模で隠密裏に動かすなど辰巳将軍の計画は…実行前に聞けば絶対に否定しただろう。無謀で、過去に成功の例が、ない、と。通常、良くても大隊規模の夜襲が統制の危機に瀕することを考えれば、師団規模など、と。まったく、過去に列強間の本格的な衝突が絶えて久しい影響は、軍事技術の顕著な進歩で想像もできない程に戦争形態を変えているらしい。これでは、ルーデルドルフ中佐がベッドからこっそりと抜け出そうとするのも無理はないだろう。そう、僚友のことを思い出し彼に詳しく説明してやろうと明るくなりつつある戦場を眺め直すためにゼートゥーアは煙草を抱えると立ち上がる。「おや、ゼートゥーア中佐殿、お出かけですか?」「やあ、アーネスト少佐。少しばかり、明るくなった戦場を見ておこうと思ってね。君もかね?」「ええ、私のところは上がたくさん頭を寄せて議論していますからね。若手は、外を眺めておこうか、と。ご一緒しても?」多数派遣されている連合王国軍将校の中では若手のアーネスト少佐。最も、彼は海軍士官として派遣されたのだがちょっとした理由から陸軍に引っ張られてこの大陸の奥地で不運にも泥濘に塗れて走りまわされていた。が、無理もない話ではある。なにしろ彼は、外交官の父の影響もあり数少ない秋津島語話者の観戦武官の一人だったのだ。懇願されて海軍から、無理やりに強制連行された、というのが観戦武官団の共通見解である。だが、実際に話せる人間がいると便利ではあるのでかなり各軍の派遣団に顔が効く一人だ。「ああ、そうしてもらえるとありがたい。」そういう意味では、渡りに船だった。各国の観戦武官らの要望に大わらわの観戦武官付通訳連を引っ張っていくのは無理そうだったから尚更に。なにより、このアーネスト少佐は帝国語も、連邦語も母国語並に使えるという事を着任早々に示していた。ゼートゥーア中佐とて、連邦語、連合王国語が使えないわけではないが、それでもネイティブ並に流麗とはいかない。「いえ、こちらこそ、失礼ながら帝国軍の俊英がどう見るか興味がありましたので。」「大変結構。どうだね、友人から取り上げたものだが、一服しないか。」連れ立って、つい先ほど奪取したばかりの丘陵地帯を視察がてら歩く彼ら。弾痕塗れとなっているトーチカ内部は、さすがに清掃されているが一歩外へ踏み出せば未だに戦闘の痕跡も生々しい。だが、久しく各列強が経験してこなかったそれらも今となってはこの秋津島戦役では珍しくもなんともないものだ。「では、お言葉に甘えまして。・・・おや、良いご趣味だ。」煙草を受け取り、ライターで流れる様に火をつける所作には、風景を極々自然のものと受け止めるものしか浮かんでいない。なにしろ、アーネスト少佐も、ゼートゥーア中佐も、もうずいぶんとこの戦場を見つめ続けているのだ。「…今尚、このコンクリートの山に、歩兵で襲い掛かって成功したという事実が私には信じられませんが。」だが、だからこそ。多数の歩兵による要塞や防衛線への肉弾攻撃の無謀さを彼らは観てきたのだった。教訓として、重砲と、工兵を。誰もが、そう簡単に結論付けられるほどに機銃と魔導師に援護された防衛線は堅固なものだ。挙句、重砲に陣地が支援されている日には艦砲でも攻城砲として用意しなければ、陣地の突破は困難ではないかと議論されている。一度だけ、試みられた坑道戦術も有用ではあるのだが、時間が掛かりすぎる、というのが一般的な見解だ。それが故に、アーネストも、ゼートゥーアも、こうして無事に攻略に成功したばかりか、損害が軽微…比較して、という意味ではあるが、軽微であるという事実に困惑せざるを得なくなっている。防御線を、こうも簡単に、突破などできるのか、と。固定概念に縛られるべきではないのだろうが、彼らは戦訓として防衛陣地の強固さを見ているのだ。「実際、否定はしない。まあ、そもそも、師団規模夜戦が出来たことが驚きだがな。・・・しかし、そうであるならば、少し話も分かってくる。」「と言われると?」が、しばし考えていた事実とある面で符合する観察結果がゼートゥーア中佐の口からちょっとした納得というニュアンスの言葉を漏らさせる。そこにあるのは、観察者としての半信半疑とはいえ、事態を説明できることへの理解だ。師団規模夜戦というもう一つの、異常事態。しかし、それが成功しているのであれば、要塞や防御陣地への攻撃が成立したわけがなんともなしに、理解できるのだ。「…見たまえ、部分的に敵砲兵の仕事があったにせよ、先の戦闘では極至近戦闘だ。」そう、最後の瞬間に数度、敵砲兵がこちらを狙って砲撃しようとしたようだが、彼我の入り乱れる近接戦で誤射の問題から結局ろくな効力射は浴びていない。だから、という訳ではないだろうが攻撃した秋津島皇国軍の損耗は基本的に敵との極近接戦闘に限られている。「しかし、奇襲にもかかわらず10%近い損耗を第八師団は出している。」「激戦でありました。」その通りではある。だが、とゼートゥーア中佐は思うのだ。白兵戦にもともと一日の長がある秋津島皇国軍だ。確かに、防衛線内部の白兵戦は血を血で洗う激戦であったが…一般にはやはり圧倒していた。実際、壕に取りつくまでが全てのようである。「と、思うがな。実際のところ、撃ち合っていたのはほんのわずかで、後は追撃戦だ。最初に、持っていかれたのだよ。10%の多くはな。」逆にいうならば、その取りつくまでのわずかな防衛戦闘で連邦軍の反撃は部隊の1割近くを持っていくことが出来たのだ。此れほどまでに、成功裏に攻撃できた戦いにも関わらず、である。「…確かに、そうですね。」「つまり、アルチュールで我々が目の当たりにしたように、陣地は非常に恐ろしい牙を歩兵に向けるのだ。相変わらず。」だからこそ、やはり防衛線を突破することの軍事上の困難さを参謀としてのゼートゥーア中佐は噛みしめるしかないのだ。最も、帝国軍の参謀としてみるならば決して悪いことばかりでもないのだが。なにしろ、各方面軍の持久可能性が高まることで大陸軍本隊来援までの時間的猶予が生まれるのだから。「僅か、数分の戦闘でこれだ。ここまで、近付けなければ接近阻止の砲火に全滅させられる。まあ、逆にいえば此処まで近づけば別なのだろうな。」とはいえ、やはり、脅威は間違いない。そういう意味では、どうにか、敵防衛線を突破するドクトリンが求められるのだろう。そこまで考えたとき、ゼートゥーア中佐の脳裏を占めていたのは、如何にしてこの問題に取り組むべきか、という軍事上の疑問だ。防御側が優勢となるのであれば、攻撃側の主導権は大幅に制約されることになる。当然ながら、防衛が優勢という事は戦線の停滞、強いては帝国にとっての望ましくない多方面戦線を複数抱え込むという危険性も無いわけではないのだ。「どう近づくか、という問題ですね。興味深い。…おや、あれは?」「師団長と幕僚かな?ふむ、彼らも戦場視察か。一言、あいさつしておくべきかな。」「そうですね、では、少しお邪魔してみましょう。」興味深い夜襲を成し遂げた秋津島皇国軍の幕僚らと指揮官。彼らも、わずかばかりな距離を経たところで、自分達と同じように検分と思しき辺りを見渡している。それに気が付いた彼らは、一先ず儀礼的な挨拶…そして、あわよくば少しばかり行動について検討できれば、という当然の思いから其方へと足を向けた。もっとも、そそっかしい秋津島衛兵に、連邦軍人と間違われて撃たれてはたまらないので帽子を取り、ゆっくりとした足取りで、だが。だからこそ、というべきだろうか。誰も、彼らに注意をそれ程払わなかったが故に。そして、もっと重要な関心があったが故に。ノコノコと歩み寄っていく二人の観戦武官の前に、興味深い光景が繰り広げられる椿事となっていた。遠目からは、何かを言い争っているような気配。だが、それとしてみなければやはりわからない程度だろう。「…兵士らは、勲章ものだろうな。」「何をおっしゃるかと思えば、筋違いも甚だしい。戦線を危機にさらされた挙句、勲章ものですと!?」「ほたえおったな、この大ばか者が!そもそも、貴様らが、貴様らが誤ったのが原因だろうが!!」「敵情を最大限、推定しての判断でした!挙句、独断で夜襲して、戦線を混乱させた挙句敵主力を無傷で取り逃がした方にはいわれたくありませんな!」「よくぞ、ほざいた、この小賢しいエセ参謀が!貴様ら、ふんぞり返った間抜けの失態を、兵隊が血肉でもって、取り返したのだぞ!」「独断行動を良しとされては困ります。なにより、小官個人への侮辱は、撤回願いたい。」「この状況下で、追撃せよとでもいうのか。」「小官ならば、もちろんそういたします。師団全力で、敵の追撃を行えば、敵防衛線の混乱に着け入り、天佑も露わに一挙に撃滅する好機たりえたでしょう。」「師団単独で、全連邦軍を相手取れとでもいうのかな?」「まさか!それこそ、緊密な各軍協調作戦でもって、ただちに全面的な大規模攻勢を開始し、もって全線戦での敵蹂躙を為し得る千歳一隅の好機だったとしか申し上げようがありません。全く、愚かなことを為されました。敵の脆弱部を叩き、これほどで済ませてしまうなど。」「ここが脆弱部と、良く言った。抜いて、そこに立て。私が、20発撃ちこんでやるから、それから私を切り殺せれば、貴様が今日から師団長だ。」「ふざけるのはやめて頂きたい。」「出来もしないことをほざくな、この無能が。二度と参謀モールを着けて私の前に姿を見せるな。貴様の顔など、見たくもないわ。」「うん?」「いや、どうも、言い争っているようなのですが…」だが、さすがにある程度の語学力があるアーネスト少佐はその言葉、言葉の言葉尻に含まれる不穏な言葉を拾うことが出来ていた。秋津島の独特な言い回しがあるとはいえ、それは、将校同士の物言いですらない。否、上官に対して部下が許される限度を越えている。アーネスト少佐の知る限りにおいては、間違いなく。そして、観察しようと咄嗟に言い争っている将校同士を見つめた両者が気が付くのは幕僚らと師団長は一つに固まっているという構造だ。「…参謀と、師団長殿か?」「ですね。しかし…幕僚ではなくどこの参謀でしょうか?」部下と上官の言い争いではなく、どちらかと言えば外部の人間との罵り合いか?そう考えたとき、好奇心と統制上の疑問から二人が抱いたのは辰巳将軍と上級司令部の不和という懸念だった。最前線。それも、あまり余裕のないそれ。そこにおいて、有能な前線指揮官が、後方と揉めているのは明るい兆候ではない。「小官個人への罵詈雑言、謝罪していただきたいものですが。」「貴様に謝罪?…うん、まあ、あれだ。貴様に謝るならば、連邦軍に師団まるごと投降する方が、まだ愉快だろうよ。そう思わんかね?」「さっさと帰れ、この口だけの無能が。貴様など、そこらの兵卒にも劣る無駄飯位だ。」「い、言うに事欠いてッテ」「津甚大佐!上官への反逆と、反攻の現行犯だ。重営倉にぶち込んでやれ。」「…一応、確保しておきますか?」「どうせ、自決する気概もない屑だ。短剣と銃だけ取れば、そのご自慢の参謀モールとやらは、つけさせておけ。」「はっ。」が。「の、ようだが…抜いた!?」そんな不安と懸念の予想とは裏腹に。彼らには予想もしがたい形で、事は終わる。「し、師団長に…切りかかろうとして、蹴り飛ばされたと。」咄嗟に身をかわした辰巳将軍と思しき将校が、すれ違いざまに背中を蹴り飛ばし、次の瞬間には斃れたその参謀にめがけて幕僚らが飛び掛かっていた。「行くぞ、少佐。」気が付けば、二人とも駆け出していた。そして、咄嗟に駆け寄る姿はさすがに目を引いたらしい。「失礼、ご無事ですか、辰巳将軍閣下。」「…うん?ああ、観戦武官の方々か。お騒がせした。」いかにも、という態度ながらも取り繕い平静さを装う辰巳将軍の顔色は、しかし前日からの作戦行動の疲れと、苛立ちで酷く乱れたものだった。「いえ、ご無事で何よりです。…しかし、閣下、如何なれましたか?」「そこのおんすぐねぇ、おんつぁげすが、くれそべりおったが。」端正な、普段は落ち着き払った将軍の零した一言。幸か不幸か、おそらくは将軍にとっては幸運なことに。吐き捨てられる将軍の感情に満ちた一言は、酷く訛っていた。「は?」咄嗟に聞き取れず、聞き返そうとしたアーネスト少佐だが、さすがにそれ以上外部の人間に秋津島皇国軍の不祥事を語る気にも、見せる気にもならなかったのだろう。「いや、なんでもない。失礼する。」さて、秋津島皇国がその緊張の限界まで各将兵を摩耗させているとき。対戦相手である連邦軍の指揮官らは、秋津島皇国の指揮官と程度こそ違えども同様に戦力が足りないという問題に直面していた。厳密に言うならば、『攻勢』にでるための戦力が足りない、という悩みだが。「ロパトキン将軍閣下。」「ああ、ジョーコフ准将、どうだね?前線は。」「率直に申し上げれば、親衛師団を例外に他の戦意は高くありません。」端正な表情を少しだけ歪ませ、将校らしく憮然たる態度を保ちながらもジョーコフ准将が告げるのはモスコーの無理難題に答えるすべが乏しいという事実だ。マトモな戦力を寄越してほしい、という嘆願が表向きは十二分に配慮されるはずだったのだが。確かに、極東方面軍には珍しく新鋭の師団がいくつか配属されてはいることはいる。だが、ロパトキンにとって憂鬱なことに敵に倍する優勢な軍団でもって、敵を圧迫するという大戦略は描けていないままだ。挙句の果てに、戦争になるや否や、言っていることを上層部は180℃変更するのだから現地としては堪ったものではない。縦深陣地に引き込むという戦略案を机の上では称賛しておきながら、攻め込まれれば、それを問題視したくなる上の面倒さとったらありゃしないのだ。「…そうか、で、送られてきた数合わせの連中は使えそうか?」「特別混成義勇兵部隊は政治将校殿らが叱咤激励しない限り戦力足りえないでしょう。」そして、十二分に引き込んだだろうと。一方的に告知された挙句に、本国が送ってよこしてきたのは『特別混成義勇兵』なる代物だ。各少数民族やら、反体制派やら、面倒な連中やら。早い話が、さっさと戦場で死んでほしいと上が願うような連中を押し付けられたに等しい。督戦用に出張ってくる不愉快な政治将校を配属することが、これほどまでに『どちらにしても愉快』となる部隊だ。政治将校という連中は、めったに戦死しないと思っていた自分の誤りを認めてよいくらいである。そんな兵力を与えられて、戦争するのは不愉快この上無いのだが。「止むを得ないだろうな。…砲兵は使えそうかね?」「其方は大丈夫かと。」が、ロパトキン将軍にとって不幸中の幸いと言えるのは赴任に際して徹底的に強化を条件に懇願した砲兵が健在という事だ。大量の砲兵用装備に加えて、縦深陣地特有の蓄積し尽くした多数の砲弾デポから順次必要な砲弾を取り出せる体制は整えられている。「ならば、親衛師団さえ摩耗しなければ戦争に問題はないだろうな。」「はい。ですが…秋津島魔導師の存在は無視できません。」が、ジョーコフ准将が頭の痛い忠告をしてくれる。「対抗魔導戦は論外だ。赤軍教本通り、航空機と重火器で対処するように徹底するほかになかろう。」そう、連邦の『特殊な内政事情』により連邦は一般的に魔導師という兵科を有していない。お陰で、知識としては知っていても、実戦運用している経験は恐ろしく乏しいのだ。その割には、対魔導師戦闘の教本だけは実戦経験で充実しているので対応はできるのだが。革命時に最大の反革命派として奮戦した魔導師相手の経験は、下手な列強よりも整っていると言えるだろう。が、いかんせん連邦にあって航空機材は比較的にせよ制限が厳しいもののひとつである。亡命されてはたまらないという訳なのだろうが、前線の指揮官と、後方のお偉いさんの意見が一致しない珍しくもない事例だ。「同意いたします。ですが、兵站線の確保に支障が出る始末です。増援を頂けねば兵站線の確保は覚束きません。」「参謀長、機械化師団では足りないか?」「遺憾ながら、秋津島の弱体な機甲部隊ならばともかく、対魔導師戦となると火力が不足しがちです。」なにしろ、航空部隊の数は限りがあり、上は不熱心この上ないのだ。困ったことに、秋津島の連中、魔導師を歩兵の援護に回さずに遊撃に回してくれている。コサックスが、警戒線を構築しているのは良いのだが、タフな騎兵だろうとも火力で押し負けていては小柄な秋津島騎兵にも手が出ないという。機甲部隊も、纏まっていないがために弱くては、戦争にならない。「加えて、航空機も足りていません。」「…再度、クレムリンに増援を嘆願する他にないな。仕方ない、一筆したためよう。君が、直接現地の情勢を党中央に説明してくれ。」「了解しました。」かくして、ロパトキン将軍の依頼と状況説明の資料を携えたジョーコフ准将は何度目になるか分からない状況説明のためにモスコーへと飛ばされる。だが、どちらにしてもだからこそ彼らは幸運なのだ。増援を要請できることが、当たり前なのだから。某日某所「…閣下。東部方面軍から、至急報です。その、なんともしあげますか、」「どうした?大佐。」モスコーに少数ながら魔導師部隊が浸透襲撃。最初の知らせは、東部軍から飛び込んできた中継の報告だった。陽動を命じてあった大隊が、連邦の首都を襲撃し、旋回飛行という報告。よくぞ、交戦国の首都にアプローチできたものだと感嘆せざるをえないものだ。「モスコーの主要政府機関を徹底的に、叩いた、と。」だが、そのうちに事態が少しずつ明らかになるにつれてゼートゥーア少将の感嘆は色合いを変えていく、決定的だったのは、その破壊規模と徹底したインパクトだ。それを惹き起こしたのは大隊規模魔導部隊だという事実。相対的には少数部隊の浸透奇襲とも形容可能なレベルでの攻撃。だからこそ、ゼートゥーア少将はかつての経験をもとにただ、愕然とするほかにない。秋津島の時同様に、劣勢の戦力が想定外の戦果を…この場合、デグレチャフという鬼札故に、ある程度覚悟していたとはいえ、肝を抜かれたのだ。「…間違いないのか。」「モスコー上空で、記念撮影までやらかしたとか。赤の広場を、国際空港に加工してやった、と豪語しています。」「・・・・・・・・・・分かった、ご苦労。少し待て。」ある種の、奇跡、というやつが戦場にはある。例えば、想像もできないような戦果、というやつだ。極端な劣勢の部隊ですらも、時と場合によってはことを為し得るという教訓。だから、彼は『まだ』知らないのだ。劣勢の戦力で、『奇跡を為さねばならない』事態が必然となる意味を。彼は、ゼートゥーアは、たった一つだけ見落としていたのだ。その『奇跡』は、ほんの執行猶予にすぎないのだ、と。綱渡りから、落ちずに済むことに安堵するべきではないのだ。安堵すべきなのは、渡り切ったときだけなのだ、と。が、神ならぬ身には、それだけは察しえない。あとがき津甚大佐…いったい、何者なんだ?という呆けはさておき、ご無沙汰してます、カルロ・ゼンです。なんとかかんとか、原稿も仕上がり、無事に本作はエンターブレインさんから出版できる運びとなりました。事前にお知らせしていた通り、「幼女戦記 第一巻(Deus lo vult)」です。神様ならぬ読者さまのご希望を裏切らないようにと願うばかりになります。近々、出版予定日のお知らせが出せるはず…筈です。たぶん。めいびー。もうなんか、長いこと不明確でご心配をおかけしましたが、出ますぞー!