低地ライン戦線の小康状態に伴う部隊の再編・休養期間。ターニャ・デグレチャフ中佐指揮下のザラマンダー戦闘団は、他部隊と同様に帝都にて補給・再編をすべく引き上げてきたばかりだ。戦闘部隊の指揮官にとってみれば、部隊が休養中であろうとも仕事は山積しているが…それでも、一応時間を作ることは可能。事務手続きは昼前までにひと段落した辺りで、見計らっていたのだろう。軍大学同期のウーガ大佐殿から昼のお誘いを頂いたターニャは机の上に放り出していた制帽を手に取りいそいそと出る支度を済ませる。そして、昼時という事もあり昼食を求めるために外へ、そう、参謀本部の外へ繰り出す人の波へ身を投じるのだ。…参謀本部の会食室で碌でもないKパンを食べさせられるのは、誰だろうと嫌なものだから仕方がない。向かう先は、聖グレゴリウス教会傍の食堂。日に日に、連合王国、合州国の航空隊が『上手』になっていくためだろうか。記憶にある街並みとは程遠く、瓦礫と煤が嫌に目につくようになる市街地。左程も歩くわけではなく、帝都の中枢部でこれという事実が帝国の置かれた現状を表すのだろう。そして、馴染みの食堂を見渡せば先に席を取っていたウーガ大佐が老ウェイターにメニューを手に取り注文を先に済ましているところだった。「ああ、君、すまない。私にはワニ肉のフィレステーキと、そうだな、まだ熊のハムが残っていればそれとザワークラフトを前菜にもらえるだろうか。」ワニ肉のフィレステーキ?熊のハム?「ウーガ大佐殿、それは…。」なんなのですか?と言うべきだろうか。それとも、食堂楽の極みが過ぎませんかと言うべきだろうか。珍味として、食されることは聞き及んでいるが…戦時下、それも、本土決戦間近の食事ではない。というか、自分の記憶にある限りここは、良い味の『帝国郷土料理』が売りのビアホールだ。間違っても、珍味を売りにはしていないはず。というか、そもそも、慢性的な食糧供給不足に陥った帝国の食糧事情からすればありえない食事の注文である。以前、同じ店でタンザニアン珈琲を注文したところ出てきたのは代用のタンポポ根だった。常食に近いザワークラフトの味は、各地で食べるだけにどこも質・量共にお粗末になるのを実感せざるを得ないものがある。そんな帝国の食糧事情は、高カロリー食の摂取が義務付けられている魔導師とて例外ではない。無理やり、平均1万カロリーを何とか部下の食事で確保させることはターニャが日々うっとおしくも手を抜けずに悩まされる難題なのだ。実際、現実には理想の7割程度、7千キロカロリー分の食糧を確保するのがいっぱいいっぱいである。悲しいかな、卑近な悩みは航空魔導師用の栄養補助食品とビール酵母由来の補助薬剤の慢性的な欠乏だ。それを間違いなく悪化させているであろう横流しの問題に至っては、憲兵すら役に立たないので自分でわざわざ巡回する羽目になったほど。つい先日も、ショカチョコの横流しを取り押さえたばかりである。その16ピース、530カロリーの缶がひとケースも盗まれたお陰で、ザラマンダー戦闘団は栄養失調で戦死よりも餓死しかねないほど苦労した。次から、ダミーの毒入り缶でも混ぜてやろうかと思うくらい忌々しかったほどである。もちろん、混乱する最前線での食糧事情だ。戦時とは言え、兵站網が確立した後方では事情が異なるのは理解できる。それでも、自分の耳を疑うしかない。95式の副作用だろうか?深刻な疑念を頭に抱きつつ、ターニャがやはり耳に問題があるのだろうか、と自らの聴覚へ疑いの眼を向けたその瞬間。オーダーを終えたウーガ大佐殿は参謀将校用の配給券を取り出し、注文を取るウェイターにひょいと差し出していた。よろしく頼むよ、などと会話を交わしているウーガ中佐の姿は極々真面目なもの。そこにあるのは、メニューの品を頼んだという仕草。そして、オーダーを受けた側も平然と、それこそ当たり前の様に注文を取っている。ごくごく、普通の所作にあるのはそれが常の仕事と変わらないという事。中々に、混乱せざるを得ないとはこのことだろう。「誘っておいて悪いが、先に頼ませてもらった。」呆然と突っ立っている間に、自分に気が付いたのだろう。すまんな、と軽く手で謝意を表すウーガ大佐の表情には他意はうかがえない。彼は、つまり、ごくごく日常の感覚でワニ肉なるものを頼んでいるというのだろうか。「ああ、いえ、ウーガ大佐殿、問題ありません。」礼儀正しく、将校としてあるべき端然とした返答。が、いかんせん最前線でいつもどうしようもないくらいに部隊に喰わせる食糧の調達で頭を悩ませていたのだ。普通どころか、並外れて珍奇な食事を平然と配給券で調達するのを目の当たりすれば幾ばくかは驚かずにはおれないだろう。「何を食べるか決めているか?今ならば、最高級の鹿肉があるが。」勧められたのは、最高級の鹿肉。士官学校時代のそれこそ、晩餐でもなければお目にかかれないようなものだ。そして、なんだかんだで鹿の放牧は「この戦時下、狩猟でもしたのですか?」「いや、放牧されていたやつだ。それでいて、この戦時下で餌は戦前と同じものだから味は落ちていないぞ。」将校クラブの会話といえば、狩猟とカードは外せない。ライヒの伝統的なユンカーらにしてみれば、それらは生き甲斐なのだ。その持ち込まれた体質は、将校の伝統と化して久しい。そして、帝国において伝統とは法によって否定されない限りにおいて美質なのだ。中流階級出身の両者だが、ともに参謀将校として振る舞う将校連の一員として影響された、と言うべきだろうか。「まあ、ヴィルトのようなものだ。ワインとすのきの実のソースで絶品だが。」「はぁ…では、そのお勧めを小官は頂きましょう。」自信満々に進めてくるウーガ大佐の言葉。ならば、と代用品か切れ端でも出てくるのだろうと期待もせずにターニャは自分の配給券をちぎるとウェイターに手渡す。そして、注文を抱えた老ウェイターが立ち去ると両者は久々の再開を言祝ぐ。とはいえ、軍人で、しかも同期だ。ほんの職務儀礼の範疇程度の社交辞令後は二、三、の近況交換と戦友に関するちょっとした会話に内容は移る。もちろん、場所を弁えて機密に抵触しない程度の範囲で、だが。それでもターニャとしては、やはり東側から押し寄せてくるアカの奔流がどうしても頭に重くのしかからざるを得ない戦局だ。が、それらは帝国の将校連中にしてみれば世間会話である。なにしろ、四六時中悩まされている問題なのだから。そして、それは長期的な課題だ。将校と言うのは、戦術次元の問題にも頭を働かせなければならぬ。そう、ままならない現状に向き合っている将校連というのは、現実を直視しつつも足元を固めなければならぬのだ。もっと言えば、ぼさぼさのKパンではなく、ほかほかのお肉で胃を満たすことが遥かに重要という事である。そういう次第で、ターニャらの談笑は供された料理によってあっさり忘れ去られるところとなった。温められた皿に盛りつけられて出てきたのは、確かに肉だった。熊のハムを使った前菜は些か独特の風味。そして、メインの鹿のステーキはご丁寧にもラードが足されて不足しがちな脂質まできちんと補間。はっきりと言えば、本物だった。思わず、自分は此処まで餓えていたのか、と愕然とするほどまでにそれは舌が求めていた味。「代用品ではなく、本物とは。…驚きです。」戦時下にあって、食べられるだけ魔導師や参謀将校の栄養事情はましな部類。前線勤務ともならば、それこそ食べられる幸運を味わうしかない次元だ。それが、前線から後方に戻った途端こんなにも食事が。「だろう。その熊のハムも臭みがなくて、中々のはずだ。」「ええ。しかし、…一体、何処から持ってきたのですか?師団辺りで山狩りをしたところで、パルチザンは狩れてもワニは取れないはずですが。」「ああ、このヴィルトはもらい物だよ。我々がハントした訳ではない。」愉快げなようで、どこか皮肉気なウーガ大佐。それは、ターニャの知る善良というかお人よしなウーガ大佐にしては酷く珍しい表情だ。荒んでいる、とまでは言わないが。末期下にあっては無理もない話なのだろう。誰も彼も、なにがしかの鬱屈を抱え、眼前の避けがたく見える帝国の行く末に頭をかき乱されてしまう。「どういう事でしょうか。」「簡単なことだ。ハンティングが最近お上手になっている連中が動物園を空爆した。」ならばこそだ。ヴィルトとは、よく言ったものだ。それでは、原義通りならば、自分達こそが狩られているということになる。実際に、その通りなのだから余程性質が悪い暗喩だろう。「…ワニ肉も鹿肉も、それこそ熊肉もという訳ですか。」「そういう事だ。加えて、脱走した餓えたライオンが騒ぎを起こしてね。馬匹以外は食肉加工になった。」「お陰で野生のものにつきものの臭みはない訳、と。」動物園が今の今まで開いていた、と言う事実。ということならば餌は、残飯や綺麗な草木を選んでいたのだろう。動物愛護の精神豊かな係員が懸命に餌を調達していた、ということだろうか。「ああ、動物園を作っておいてよかった、ということだ。娘には、大いに渋られたがね。」まあ、それも市民に親しまれる動物園なればこそできた、ということだろう。その市民の親しみの対象を食べる羽目になっていることこそ、帝国の現状なのかもしれないが。「まあ、そういったところ由来の肉は別としても…知っているかね、中佐?今、配給券で受け取る肉は一人当たり週一キロだ。」「一キロ!開戦時の配給規定の倍ですありますか!?」「そうとも。一部の連中は、戦局改善の兆しと考えているらしいが。」兵站司令部にいるウーガ大佐は、ある意味で配給関係を専門に扱う部門の関係者だ。その言葉を疑う根拠は、ターニャとして持ち合わせてはいない。が、足りないという実感と兵站からの供給量欠乏という前線の経験は本物だ。ただでさえ保管が難しい肉類など、どこから引っ張り出していることか。幾ら空爆好きな連中が爆弾を帝都に落とすとしても、動物園は既にやられているのだ。そうそう何度も、馬匹や家畜が余剰なお肉に化ける理由は見当たらない。配給を倍にできるほどの肉など、どこをどうひっくり返しても思いつかないのだ。「ありえません。帝国全土にはそのような余剰は…無いはずですが。」「その通り。そんな余裕は帝国のどこにもない。」「では、どこから?」「種もみに手を付けただけだ。東西前線付近のすべての子牛、牝牛を緊急屠畜。焦土作戦の思わぬ副産物だ。」疑問その一。帝国のお肉は、何処からくるか。解答。繁殖用ならびに、乳牛を加工することで。簡単な話だ。それは、帝国の畜産業にとっての種もみに手を付けることによって生まれる余剰である。どのみち、連邦なりに持っていかれるくらいならば、自分で食べてしまえ、と。「では、仕方がありません。」故に、ターニャが口にできるのは損切を肯定する一言だけ。それは、悪手だとわかっていても、最悪よりもほんの少しマシなのだ。ほんの、ごくわずかな差やもしれないとしても。「そう、仕方がない。」それに同意するウーガ大佐の表情。浮かんでいるのは、デグレチャフ中佐同様にちょっとした諦観と納得。兵站に関わる将校と言うのは、嫌でも自国の現状を裏側から目の当たりにせざるを得ないのだ。そして、疲れ切った表情は帝国の置かれている環境を雄弁に物語る。「しかし、ウーガ大佐殿。だからこそ、足掻かねば。」「…いやはや、後ろは後ろで楽ではないよ。未だに、勝利を求める連中はごまんといる。」一言、ぼやかれる言葉。それは、ありていに言えば少しの愚痴だ。が、愚痴というには、それは余りにも『抑制』された一言。『勝利を求める連中』それは、単純な話だ。戦争において、勝利を国民は望む。当たり前すぎる話だろう。だが、それが悪いこととはウーガ自身、とてもではないがそうは想えないのである。誰も、負け戦などやりたくはない。戦争において、負けたいと考えることはほとんど稀だろう。帝国の国民も同様に勝利を懇願して久しい。「勝利の定義次第でありましょう。帝国政府は、ライヒの代行者であって“ライヒ”其の物ではありません。」「割り切りすぎだろうな、それは。」ライヒとは、帝国だ。帝国政府とは、本質的には帝国の代理人にすぎない。そのことを、誤解されてはたまらないだろう。帝国政府の勝利と、帝国の勝利は必ずしも同一ではない。それは、帝国の生存にとって帝国政府の存在が十分条件にすぎないことに由来するものだ。帝国政府が存在するならば帝国もまた、実存だ。だが、それは、ライヒが実存であることが現行政府の存在の必要条件であるということにすぎないのだ。だからこそ、デグレチャフ中佐の割り切りがウーガ大佐にとっては羨ましい。ライヒの生存。それが、バルバロッサの最後のあがきだ。他のすべてを諦め、それだけを模索する窮余の結論。理性では納得できても、感情で戸惑うのはどこにでもある話だろう。知覚できる世界が揺らぐとき、その護持を望むのは人の常だ。厳密に言うならば、帝国そのものには愛着がないカッコウのようなターニャならばこそ、割り切れるのだ。ターニャ・デグレチャフ中佐とて、本質的には『自由主義/資本主義世界』の揺らぎを許容できないからこその反共である。「ですが、だからこそ我々は種を捲くのでは?」「捲いた種は、刈り取らねばならんのだ。分かってはいるのだがな。」ならばこそ、その感傷はウーガ大佐をして戸惑わざるを得ない次元のものとなる。敗北を、国家の、軍の崩壊を前提としての事前行動計画『バルバロッサ』。それは、大多数の前線の将兵にとってみれば夢想だにしない方策。「ふむ、話せて楽しかった。」「いえ、こちらこそ。」ウーガ大佐は知っている。それは、見様によっては裏切りなのだ、と。勝利を求める大多数の市民と、諦めきれない将兵ら。彼らは、ただ、ひたすらに祖国が勝利することを望んでやまない。そんな時に、彼は、彼とその属するグループは敗北を前提に行動し始めているのだ。彼は、知っている。現状では、帝国に破滅しか先がないと。彼は、諦めている。他に、現実的な選択肢は存在しないのだ、と。彼は、諦めていない。ライヒを。彼は、望んでいるのだ。我が子に、我が子供らの世代に、再び、ライヒが昇る日が来ることを。それはライヒの子供たちが餓えることなく、そして食べきれないほどに好きなものを食べられることなのだろう。皮肉なものだ、と思わざるを得ないのは…その子供たちの人気ものだった動物園の動物たちを食いつながねばならぬ我が身。否応なく、自らの招いたふがいなさを彼は食事のたびに味わう。だが、それでも。それでも、諦めても諦めきれないものがある。否、諦めようもないのだ。彼は、娘に、自分たちの祖国を誇りたいのだ。否、誇っているのだ。祖国よ、汝、祖国よ。壮健なれ。願わくは、我らの死屍を越え、黄金の時代のあらんことを。ならばこそ、食後の乾杯の音頭に彼はただ、短く唱えるのだ。「ライヒに。」あとがき管理人様の見解で、一先ずこちらでお知らせできるようなのでぼちぼちお知らせは理想郷様でも出せるのだろうと安堵しております。早速、イラスト関連のお知らせをば。担当さんが、ついーとしてますが、イラストは『篠月しのぶ』様にお願いさせていただいております。一応、イメージイラストは入ったそうです。ぼちぼち、デザインの修正はまだあるみたいなんですがなんか形になりつつある喜び。追伸オムツの後、食事の話を入れる不手際、ご容赦ください。カルロ・ゼンは皆様の心の平穏を心より願うものであります。ただ、末期戦の匂ひを仄かに漂うはーとふるな要素が必要だという天啓にどうしても、抗うことが出来ませんでした。さしあたり、次回は朗らかなオトラント公爵辺りでも書いて、心の洗濯をしようと思います。