機密指定:『×××××××××××』関連口述者:イーレン・シュワルコフ少佐(当時)歴史というものは、極端に単純化されている。例えば、薄氷の勝利であろうとも勝てばそれが全てなのだ。過程への評価は、ごく少数の専門家にのみ記憶され一般には顧みられない。その代表例が西方大進撃と呼ばれる大陸軍機動戦に伴う一連の攻勢だろう。きっかけは、北東へ主力が移動した隙をついた共和国軍の戦略的奇襲であった。今日では西方への電撃的な攻勢成功以来、共和国軍による奇襲は戦略的失敗であると後知恵では語られている。曰く、準備が足りなかった。純粋に攻勢に出るのが遅すぎた。或いは、戦力が不足していた、と。だが、我々前線で当時戦っていた人間に言わせれば、どちらが勝っても不思議ではない戦いであったと思う。西方方面に配置されていた帝国軍師団の大半は、共和国軍に比べると遥かに劣勢にあった。信じられないだろうが、私の中隊は拠点防衛を担う精鋭にしてたった一つの逆襲部隊。そう、機動防御を担える魔導部隊はたった一個中隊に過ぎなかったのだ。もちろん、開戦以来急ぎ増強はされたが、限界がある。部隊の実態は平時編成のままであり、軍政組織から戦時体制への移行が著しく滞っていたというしかない。対して、共和国軍の戦力は比較的充足しており、少なくとも第一線を蹂躙できるだけの能力は間違いなくあった。大陸軍の集結・再編が間に合うか、我々が全滅するかという極めて厳しい時間との競争が実態だ。帝国西方工業地域を占領、もしくは破壊されるだけで我々は崩壊する。帝国という戦争機械はひとえに西方工業地帯に依存していた。今なお、経済の中心は西方であることを思えば容易に想像できる。ここが叩かれた場合、帝国の戦争遂行能力にはほとんど致命的な打撃が与えられる。このことは歴史が証明してきた。そして、その歴史を再現せんと共和国軍は狙って不思議ではない。奇策というよりも、手堅い戦争計画だと個人的には判断する。その共和国軍攻勢計画第224プランによる、33個師団による即時攻勢計画。これは、ほとんどその最終段階までを完璧に履行した。戦力的に劣勢とならざるを得ない帝国軍は、遅延戦闘を断念。機動防御による組織的な時間稼ぎを試みるという、共和国軍の想定は不幸にも的中。帝国の動向は、ほぼ共和国軍の想定に留まり戦局の主導権を完全に握られた。辛うじて、というべきだろうか。大陸軍の反攻はスケジュールに大幅な遅延を見ながらも成功した。最後の一線を守り抜いた西方方面軍の健闘は、正に偉大だ。だが、同時に帝国の限界はここで発露されている。帝国は、両方に敵を抱えて戦うことが絶対にできない。片方で持ちこたえている間に、もう片方で勝利をおさめるという伝統的目標は遂に破綻を示しつつあった。その現実を受け止めた帝国参謀本部は、事態を正しく認識。問題は、ここからだ。大陸軍の増強と、機動性向上により従来の戦略を改善するという提案が当初は注目された。だが、これの提案は戦争中期以降、急速に関心の対象外となる。理由は、大きく二つだ。一つは、大陸軍によってすら勝利を収めるには莫大な時間が必要となること。もう一つは、方面軍にとって単独で防戦を行うリスクはあまりにも莫大に過ぎるという認識が生じたことによる。そのため、参謀本部は2つの主要な論戦に巻き込まれる。消耗抑制戦略ドクトリンによる持久戦か、敵の損耗拡大を重視した漸減戦略による漸進戦か、だ。消耗を抑制し、敵が攻勢を断念するまで防衛を行う。これ自体は、一つの発想としては合理的かもしれない。しかし、勝利に至るまでの過程はあまりにも長くなりすぎる。そこで、敵の人的資源に狙いを定めた損耗拡大計画が提言された。誰が、提言したか?『彼女』に決まっている。知らないとは言わせない。実に、有能な、合理的な士官として彼女は名高いのだからな。まあ、狂気の合理性などとも言われたが。彼女は、かなり初期の時点で戦争は全てを動員する戦いだと見抜いていた。だからこそ、戦争においては使用し得る資源によって大きく影響されると主張したのだ。曰く、『資源と資金をため込んだところで、兵器を生産し、使用する人的資源が欠乏すれば戦争は継続できません。』だからこそ、だからこそ、損耗抑制というドクトリンが提唱されたとも言える。だが、それでは泥沼なのだとも彼女は主張し始めた。それは、防衛戦に関する損耗統計が取られたことがきっかけである。帝国軍と共和国軍は大凡1:1程度の互角の比率で持久戦においては損耗した。人口比率で見た場合、帝国は共和国を上回り状況は有利。しかし、デグレチャフは言ったのだ。何故、帝国軍人と共和国軍人が等価なのですか、と。人口で上回るならば、多少の損害を許容してでも、撃滅すべきだ、と。言い換えれば、許容し得る限界まで損害を覆うことになろうとも、早急な勝利が必要だ。彼女は、そう主張したのです。他の介入を招くような緩慢な死を選ぶよりは、帝国の意志を示すことによって共和国にカードを投げさせるべきだ、と。その結果?ええ、ご覧になっているでしょう。この通りですよ。思い出すのもおぞましい悪夢だ。「主よ、私に、羊たちを導くすべを与えたまえ。」高度8000既存の航空魔導概念を打破するその高度に響き渡る声は、純粋だった。わずかに、反抗するような気概を持った連中は死屍累々。今や、我々は従順な子羊のように死にそうな体に鞭打って空を飛んでいる。いや、飛ばされているというべきか。かなり怪しくなった時間感覚が正確であれば、あれは5日前のことだった。『諸君に選択肢をやろう。私を撃墜するか、訓練を楽しむかだ。』疲労困憊し、死体のように眠り込んでいる我々を宿舎ごと魔導砲撃で吹き飛ばしたデグレチャフ大尉は壮絶な笑顔を浮かべていた。手にしたライフルの銃剣は、迂遠にも彼女の前で意識を落とす魔導師を今か今かと待ち望むかのように磨かれている。演算宝珠は、ひたすら莫大な魔力を漂わせ、隙あらば攻撃をと腹に一物ある魔導師の自殺幇助に余念がない。『いいかね?これから一週間だ。このB-113演習域内で諸君は戦域機動演習を行う。』いつの間にか用意されていた地図には、三点のポイントが書き込まれている。演習内容の概要に依れば、開始時刻より、全力で持って第一ポイントへ移動。制限時間は48時間。この時点で、手段は一切問われない。とにかく、脱落しないことが重要とされる。厄介な問題点として、魔力反応に応じて観測砲撃と魔導誘導砲撃が行われるという注意書が付いていなければ、楽だっただろう。魔導師が纏っている魔力反応を隠匿しつつ、行軍するのは困難を極める。なにより、宿舎ごと吹き飛ばされた我々は身についていた咄嗟の防御術式で守れたものしか物資がない。水すら、欠乏してしまっている。こんな状況で、非魔導依存行軍を行う?あのときは、狂っていると思った。だが、なんとか苦労して第二ポイントにたどり着いた時、光学迎撃戦の発令を受けた。曰く、砲兵隊が暇を持て余していることもあり、演習を変更する、と。『諸君、一人の脱落者も出さないことは、正に喜びである。』珍しく、表情を満面の笑みで満たした大尉殿を見た瞬間、全員が悪寒を覚えたと認める。ああ、まだしごき足りなかったのか。こんなに余力があるとは知らなかった。もう少し、厳しくしても良いだろうな。どういう意味で取るかは、各人でやや解釈が割れた。だが、大尉殿がありがたくも我々に合わせて訓練メニューを向上させる決意を為したことだけは、誰もが認める。『そして、諸君の優秀さゆえに砲兵隊は弾丸を持て余している。』あとは、言わずもがなだ。満面の笑みを保ったまま、あの大尉殿は、我々を絶望の底に突き落とす。『諸君、仲間はずれはよくない。ここは、砲兵隊とも仲良く遊ぼうではないか。』直後デグレチャフ大尉殿から、展開された術式が熱線を放つ。その射線の先には、こちらに向かって飛翔しつつある訓練弾。集結ポイントに対する砲兵隊からの砲撃。そう、定点に対する砲兵の砲撃だ。当たらない方がどうかしているほど簡単な砲撃。諸君は、実に有能だ。私としても、大変誇らしい?実にすばらしい技量だ。よくぞ、訓練とはいえど、砲兵隊の魔導観測を回避した。それは良いとしても、対砲兵防御がなっていないのはよろしくないだろう?万が一に備えておくのも訓練だ。だから、諸君と砲兵隊との合同訓練の一環として、この拠点で防衛訓練を行おう。一応、防衛戦だ。今から、15分は陣地構築の準備もして結構。なに、訓練用弾薬の備蓄が少ないのでね。そう心配する事でもない。36時間も打ちあえば、砲弾も尽きると思う。そうのたまいやがった。まるで、ピクニックの予定を告げるような朗らかな口調でだ。『さあ、諸君。死にたくなければ、迎撃するように。なお、ルートを外れると“私”が魔導砲撃を行う。』ああ、あれは本当に死にそうになった。今思えば訓練弾という名目で、一部に『目覚まし用』の弱装弾が含まれていたのは、驚くにも値しない。なにしろ、大尉殿だ。有言実行の姿勢を貫くに決まっている。死にたくなければ、という言葉にウソ偽りはなかった。ただ、大尉が、どうということもないように傍に立っていたのが油断を招いた。てっきり、散発的に砲撃が来るのかと思ったのだ。ようは、ライフル競技の様なものか、と。いや、甘かった。本当に、砲兵隊が釣瓶打ちしてくるとは、予想していなかったのだ。『主よ、汝の僕を守りたまえ。その誉れを、全能を、我に示したまえ。』神々しいまでの防殻を全力展開した大尉殿を除き、全員が降り注いでくる砲弾の迎撃に狂奔した。距離からして、数分の迎撃時間はある。観測し、迎撃可能軌道にある砲弾を空中で撃墜するのだ。言葉にするのは簡単だが、恐ろしく消耗する。訓練生は、合計で72名程度はいただろうか。しかし、二個大隊とはいえ観測し、稠密な迎撃網を構築するとあれば砲兵相手は不得手。なにより、撃ち漏らしが即重大な損害につながる。近隣の砲兵隊を総動員したと思しき釣瓶打ち。辛うじて、紛れ込んでいた実弾を見分ける識別作業を考案していなければ、本当に全滅していた。また、夜間も断続的に飛び込んでくる砲撃は、疲労と視認領域の限界から絶望を覚える。なにより、自分の仕事をしたところで、仲間が失敗すれば連座し吹き飛ばされることだろう。かといって、自分の防御を固めると、誰かが吹き飛ばされる。仲間を信頼するしかないが、できない奴は容赦なく『間引かれる』。結局、拠点防衛中、ほとんどまともに一睡だにできなかった。そして、ようやく36時間が経過した時、大尉殿が申し訳なさ気な表情で無線機を指さす。『諸君、砲兵隊がまだ弾を余らせているという。』直後に、聞き覚えのある空間飛翔音がこちらに接近。事態は、ごくごく単純なものだった。砲兵隊が砲撃を再開したに過ぎない。だが、わずかに気が緩んだところへの砲撃。ここまで、辛うじて連帯を保っていた魔導師達にも動揺が走る。自己保身に走ったのは、本能だろうが高くついた。喜び勇んで、大尉殿が宣言を忠実に履行するのを我々は、再び目の当たりにする。結局、この砲撃そのものはすぐに終了したものの、この時点で候補生は60名程度に絞られた。そして、第三ポイントへの移動が開始される。条件は、それほど複雑ではない。ただ、進むだけなのだ。条件は、時間以外何も示されなかった。つまり、情報が全く皆無。『注意して、行軍するように。』これだけ言われた我々は、何が起こるかという警戒を緩めずに、びくびくしながら行進した。時折、爆弾を実装した急降下爆撃中隊が上空を索敵航行していたが、見つからなければよい。何故か、放し飼いにされている軍用ドーベルマンが目撃されたが、これも回避すればよい。すべからく、回避は可能なものだった。なにか、何かあるに違いないと警戒していた我々を嘲笑うかの如く、何もなかった。本当に、ただ行軍しただけなのだ。もちろん、疲労困憊しきった我々が全力でやっと間に合うかどうか、という程度の時間制限だったが。そして、体力を使い果たした我々を一瞥した、大尉殿は対尋問訓練を宣言する。ある意味で、自分自身で肉体を拷問したような我々だ。死んだ方が楽だということを、良くよく理解した。そのまま、疲労困憊が深まった状態でアルペン山脈に放り出されるのは思い出したくもない悪夢。もはや、我々が死にそうになっている傍で平然と行軍する大尉殿は悪魔か神の手先に違いないと確信したものだ。ああ、敵よりも恐ろしい味方というやつがいるとは。おまけに、大尉殿は人ではないのだ。心臓を賭けても良いが、私と幾人かが見ている。訓練中、息絶えたはずの戦友を大尉殿が蹴飛ばし、気がつけば彼が復帰していた。私自身、死の深淵を覗きこんだはず。アルペン山脈で、高度7200より雪崩に巻き込まれ肺をやられた。軍医殿に言っても、絶対に信用されない筈だが私は知っている。光臨を見たのだ。確かに、神は、主はおわします。気がつけば、私は戦友の背中に担がれていた。『無能め。雪崩すらかわせない間抜けが、味方の足を引っ張る気分はどうだね?』悪態を、罵倒を口から吐き出す大尉殿。だが、私は知っている。見ていたのだ。俯瞰した視座で主が牧羊犬と讃えられた大尉殿が私を救うべく雪崩に突入したのを。いくら、戦友がずたぼろになった貴様を、大尉殿がゴミ雑巾のように放り投げてよこしたという事実を伝えてくれてもだ。大尉殿がよい指揮官なのは間違いない。人間としては、全く評価のしようも無いが。笑うしかないだろう。実際のところ、全員が笑いながら上司をぼろくそに言っているのだ。狂った連中だと思う。大尉殿の狂気が感染したのかもしれない。だけれども、私には帝国を救う事を神が啓示してくださったのだ。汝、神国を守る使徒の尖兵たれ、と。全くもって、狂った世界だ。大尉殿が神の使徒だというならば、この世には悪魔しか存在しないというのに。いや、だからこそか。だからこそ、神話の世界の神々が実態を伴った存在として我々に感じられるのだ。教義は、神のためのもの。別段、かのかたがたはひとのためにおわしますのではない。だからこそ、だからこそ、我々はその手で以て存在を、人間の、人間としての、尊厳を示すのだ。第601編成委員会:編成官執務室こんにちは。成長期なのに、身長が伸びません。ターニャ・デグレチャフ大尉であります。周りが、がちむちの軍人や如何にも歴戦という態の女性魔導師(少数)だと威圧感を覚えました。いやはや。頭脳労働者とはいえ、多少は体力も必要な元ホワイトカラーとしてはいささか危惧せざるを得ません。健全な労働成果は、健全な健康あってのもの。疲れ果てた頭でプレゼンなど、やるだけ無駄ではないですか。いや、無駄以外の何物でもありません。そのようなこと、本意であるはずがないではありませんか。つまり、一個人として、無駄を嫌うならばまず成長しなくては。そういうわけで成長期なのに、成長しない理由を軍医殿に聞きに行きました。ええ、気がつけば、どうすれば成長できるだろう?と軍医殿に聞いていたのですよ。軍医殿から、成長が遅いのは訓練と筋肉のバランスがあれだからと忠告を受けました。あとは、適切な睡眠時間と、適切な食事で成長できますよ、と。ほほえましげな顔をされたので、訝しむことしばし。直後、手元のライフルで記憶を抹殺するべく頭蓋骨を吹き飛ばしたい衝動に駆られる。女性としては、ふくよかな軍医殿。嫌なところに気のきく参謀本部に災いあれ。私に、よりにもよって私に、女性らしい気遣いを、同性として女性に?忌々しいことに、男性ゆえに信仰という名の強制に反抗してきたと決めつけられたのがことの始まりだ。まさかとは思うが、私は女性として成長したいと洗脳されたのか?いや、状況証拠だけで決定するのは非常に危険だ。今までも、エレニウム95式で不快な思いを多々してきたのは事実。しかし、思考制御は限定的な起動中のはず。記録を確認する限りにおいて、自身の思考に持続的な制御が働いているという事実は確認できていない。だが、何か、極めて遺憾な事態が進展しているようにも思えてくる。悪魔よ、おまえは、おまえたちは、自由を愛する一個の人格をもてあそぶというのか。・・・気がつけば、首元に全く覚えのないロザリカ一つ。聖母様?ええ、よく教会にある奴ですね。わかりますとも。よくシスターが配っているのを見たことがあります。ええ、見ているだけです。・・・現実逃避を止めて現実を直視。何故、覚えのないロザリカを?いや、それ以前に私はいつから記憶を失った?いかん。本格的に、記憶が信じられない。教会でもらったものにしては、あまりにも使いこまれている。言葉にすれば、歴史的な風格と存在感があるというべきか。はっきり言って、世が世なら教会の聖遺物として保管されているような代物とも言える。できることなら、私からさっさと遠いところに隔離してほしいほどだ。希望するならば、今すぐ何処にでも寄贈するほどにどこかにやってしまいたい。・・・そんなものが首元からぶら下がっているとはいよいよ重体だ。確かに、訓練を行ったという事実は認識できる。選抜という名目で、適格者無しという報告を行おうと思ったところも正しい。一ヶ月間の記憶は、はっきりとあるのだ。だが、どこか、どこかがおかしかった。「・・・高度8000で無意識に起動したのがまずかったか。」だが、高度を上げる関係でエレニウム95式を起動したのは致命的だった。精神汚染が備蓄される可能性を考慮しておくべきかもしれない。認識としては、短期的に口を操るというよりも鉱毒が蓄積するのとおなじか。「精神汚染検査を受ける?だが理由は?」軍の精密検査機関では、魔導技術関連で思考分野への働きかけを研究している。連中の技量を信じる限り、異常な思考誘導程度は見抜けると対尋問技術研究会で公表していた。今、正常な判断ができるうちに検査を受けておくべきかもしれない。しかし、問題は理由だ。精神に問題をきたした指揮官とみられることは、キャリア以上に今後の生活全般を脅かしかねない。なまじ、中途半端に男女平等の発展した帝国において女性管理職は珍しくないが当然質を問われる。ホワイトカラーとして勤務するためには、なにがしかの問題を抱いていると見なされてはよろしくないのだ。頭を抱えての煩悶を打ち切ったのは規則正しいノックの音だった。即時性のない思考を即座に、破棄。頭を一先ず、仕事へ切り替える。「大尉殿、ヴァルトハイト通信兵、入室を願います。」「入れ、軍曹。」珍しく、通信兵が手紙を抱えてこちらにやってくる。通常、電信か戦域魔導通信で処理される帝国軍としては珍しいことに書式が紙だ。こういう公式通達が紙で行われる時は重要な命令書や、辞令の時のみ。「大尉殿、参謀本部よりです。」宛先は、編成官ターニャ・デグレチャフ大尉殿。つまり、私個人宛。個人宛に参謀本部が手紙を出すということは一般的ではない。せいぜいが、営門将官への昇進を伝える退職勧告ぐらいだ。あとは、ほとんど制度外の要求を伝える時に使われる。要するに、碌でもない手紙だ。「御苦労。返信は急ぎか?」碌でもない用事ならば、できるだけ対応に時間が欲しい。逆に、退任を勧告し軍から解放してくれるならば、今すぐにでも逃げ出したいが。さすがに、それは甘すぎる考え方だろう。「はっ、公用使がお待ちです。」「何?」そして、公用使が待機しているという事。つまるところ、意味するところはとにかく読んでみるしかない。・・・なに?早すぎる。一瞥したデグレチャフ大尉は即座にペンをとり、軍用通信便に走らせる。宛先は、参謀本部。件名は、再考の具申。優先度は、与えられた権限を最大限に活用。「大尉殿?いかがされましたか。」「・・・早すぎる。まだ、あまりにも早すぎる。軍曹、至急参謀本部を呼び出してくれ。」訝しげな軍曹に機密電信で参謀本部を呼び出すように指示。同時に、手元の受話器を取り上げようとした瞬間に招かれざる知らせを持って、客人が訪れる。まるで、こちらがそのように行動するのを見越したかのような出番。いや、間違いなく予想していたのだろう。だからこそ、わざわざ一介の大尉相手に参謀本部から高級参謀が来るのだ。「いや、それには及ばない。デグレチャフ少佐。」「っ、レルゲン中佐殿。こちらにいらしていたのですか。」相手は、実に常識的なことで有名なレルゲン中佐殿。常識的であり、ついでに子供を前線に送ることを忌避する善良な軍人だ。是非とも、私個人としては心情が適合するといえるだけに親しくなりたいのだが上手くいかない。まあ、子供が勲章ぶら下げて近づいてきたら、所謂常識人は忌避するのだろう。能力主義の徹底した概念からすれば、常識は良識という固定概念に過ぎない。だが、自分がそれを活用する側に立つとすれば、いくらでも利用する。常識とは、一般的に広範な支持を受けているに過ぎない概念だ。同時に、大衆世論の支持を得ているという事実はある。つまり、活用の仕方次第ではある程度有益になる。とはいえ、そのハードルは高い。こんなところに来るということは、少なくとも彼も今回は味方ではないということだ。「ああ、昇進おめでとう少佐。私が公用使としてきた。聞きたいことも多いだろう。」すでに、内示を規定事項のように通達する中佐。わざわざ、私の部下がいる前でいうということは、訂正させる気が無い。何より厄介なことは、公用使としての彼の発言だ。ここで、下手に抵抗すれば最悪抗命とも取られかねない。「・・・ご配慮、ありがとうございます。軍曹、下がれ。」「はっ、失礼いたします。」即座に、第三者の眼を排除。空間を可能な限り密室に持ち込むことで本題に踏み込めるようにする。とはいえ、すでに押されている。私の昇進。その意味するところをそれとなく、大隊は察するだろう。言い換えれば、大隊は戦闘を覚悟させられる。錬成不足や、組織形成の必要性を説いたところで、時間は稼げるだろうか。「さて、中佐殿。これは、どういうことでありましょうか?」本来であれば、あと半年は後方で安全に過ごす予定だった。訓練が、なぜか完遂してしまった案件は深刻な問題だが、ひとまず無視する。それでも、部隊を実用に耐えうる水準に持っていくには数カ月は不可欠。通例では、半年は与えられたはずなのだ。こんなにも早く、編成官を解かれる理由が不明確に過ぎる。「48人になった。上は、これで編成したと見なしている。」「ええ、編成は終了であります。ですが、まだ部隊としては完成しておりません。」素人は誤解しがちだが、編成の完了と部隊の完成は同義ではない。意図的に無視されてはたまらないので断っておくが、相手も端から承知しているに決まっている。どこまで、厚顔無恥に要求を出すか。命令ではなく、要求なあたり、最悪の性質だ。一体、どこから出てきた提案だ?政治が原因だろうが、こんなことまで介入されるとは甚だ不愉快にも程がある。「兵員、装備。問題はない。」「御冗談を。現状では、連携訓練、応用教習課程、指揮官基本合意形成すらおぼつかないのが実態です。」確かに、兵員、装備ともに問題は起きていない。だが、ここで下手に問題ないと肯定すれば反論の余地もなくなるだろう。なにしろ、こちらの迂闊な発言をひたすら狙ってくる相手だ。ここで、口実を与えるわけにはいかない。「つまり、部隊として運用するには制限があると?」「当然です。実戦投入には、最低でも半年は頂きたい。」常識というものは、先入観だ。だが、少なくとも先入観を形成する程度には理由がある。言ってしまえば、経験主義上の人間理解も内包されているのだ。組織を生きたものにするためには、当然のことながら、時間がかかる。「一か月で大隊を仕上げた貴様だ。明日にでも、前線に赴けると上は信じている。」「正気でおっしゃっておられるのですか?編成された部隊と戦える部隊は全くの別物です。」書類の上では、完全編成の2つの部隊は同じかもしれない。だが、片方が新編直後で、もう片方が戦地帰りだとすれば、差は歴然だ。同じサラリーマンでも、個人差はあまりにも大きい。いや、言い換えよう。同じ営業部の営業マンは成績が同じことなどありえない。絶対に、経験豊富で成果を上げるものと、訓練せざるを得ないものがいるのだ。こんなことは、人事の常識どころか、組織の常識だ。先入観というものを排除し、一般原則化すると言っても良い。つまり、組織にとって、大抵の場合は不可避な時間だ。「編成後、すみやかに訓練するとしても、錬成期間を設けるのは、常識です。」「編成され次第投入できるはずもない、か。貴官だからこそ、上は言っているのだよ。」答えにも、理屈にもなっていない解答。「単独戦力としての小官をお考えならば、それでもよろしい。」独りで戦地へ投入されるのもいやだが、単独で派遣されないとわかっているからこそ言える発言。まあ、確かに、私には戦歴がある。実戦経験も割合豊富な部類だろう。だからこそ、錬成に時間が不要と判断されるのも、不本意ながら納得いく。中途採用の様な存在なのだ。即戦力が期待されている。「ですが、大隊としての戦力発揮を望まれるならば、まったく事情が異なることを御存じのはずだ。」だが、新卒採用の群れを、まるで即戦力であるかのように期待するのは論外極まる。もはや、新卒どもを育てる余力が無いばかりか、ベテランがいないと告白するようなもの。つまりは、末期症状の露呈だ。或いは、ごく例外的なベンチャーくらいだろう。「・・・少佐。帝国軍には余裕がない。」「・・・訓練不十分の魔導師大隊を投入せざるを得ない程に、でありますか?」「大陸軍の魔導師が西方にごっそり引き抜かれたため北方が手古摺っているのだ。」確かに、西方に魔導師は重点配置された。だが、それは大陸軍所属の魔導師が大量に移動したからこそだ。北方軍の魔導師とて少なからず残存する。なにより、協商連合は死に体だ。北方方面軍だけで、十分に対処は可能。無理に訓練不足の魔導大隊を投入する必要もない。むしろ、それは資源の浪費に等しい愚行だ。寝かせておけば価値が上がるワインを駄目にするような愚行。或いは、チーズの保管を怠るに等しい。「つまり、北方の安定、それによる余剰戦力を西方に投じる必要があると。それも、速やかに。」まるで、信じてもいないことだが、北方方面に増援が必要な情勢だと力説する中佐殿。実に、明白な参謀本部からのメッセージだ。少佐への内示と、大隊長への辞令。意味するところは、単純に『戦えると言え』と強制しているに等しい。さっさと、前線へ行けと言われているのだ。不愉快にも程があるし、その背後の政治的なメッセージが読めるがために拒めないのが忌々しい。「行けと?」「ああ、行ってもらう。すでに標準以上の練度はあるはずだ。」「標準の大隊をお望みならば、いくらでも融通が効きましょう。」無駄な抵抗だとは思う。だが、標準的な大隊ならば、それこそ東部軍からでも中央軍の他部隊でもいけるはずだ。せめて、何か意図するところを、所在を把握したい。「それはそうだ。要するに、上は貴様らに戦果を求める。特に、東部軍がな。」、っ、。そうか、東部軍か。求められるは、戦果。ようするに、費用対効果に疑問の声が出ていると。まったく、給料泥棒どもが良い身分だ。無能な同僚ほど厄介な存在が無いというが、これは厄介どころか害悪そのものかもしれない。一体、何が悲しくて戦争ごっこが大好きな連中に、戦争にいけないと妬み事を言われる必要がある。それどころか、親切でお宅の部隊は改善が必要だと報告してやったのに。まさか、それを根に持って逆恨みするとは全く非合理的な対応を言わざるを得ない。東部軍の人員を再訓練してやっているというのに、その費用対効果に疑問を提起するとは。まったく、理解に苦しむ思考だ。私が、なにか問題行動をしているというならばともかく、東部軍のためにも働いているというのに。「早い話が、錬成費用分を証明せよと。随分根に持たれたものです。」一体、何がそこまで彼らに無理難題と逆恨みを誘発させたのやら。いやはや。そういう事情を呑みこめば、北方への派遣も意味がだいぶ理解できる。ここで戦果をあげれば、参謀本部もかばってくれるのだろう。戦果をあげたが、課題点の洗い出しとか言う名目を付ければ時間も稼げる。一石二鳥の可能性がある。「良く言う。そういうことだ。実戦演習と思い諦めろ。」ああ、素晴らしい。素晴らしいですぞ、レルゲン中佐殿。わざわざ、実戦演習という実態を暴露してくださるとは。「了解であります。・・・わざわざお膳立てしていただいた戦場。楽しみにしております。」「結構。では、改めて。昇進おめでとう。デグレチャフ大隊長。」不本意だが、派閥人事だ。これもまた、軍という組織の厄介さではある。だから全体主義的で視座の狭い同僚など持ちたくないのだが、今回ばかりはまともな同僚のために頑張るとしよう。そうすることで、軍全体の無理を押しとおす連中の力が弱ることを期待する。そうすれば、もう少し、私にとってもやり易い時代が来ることだろう。取りあえずは、北方でピクニックとしゃれこむことにしよう。あとがきこんな時間に、更新できるとは。意外と、人間やれば、できるものでした。m9(・∀・)『鋭気を養って火曜日から頑張りたい』そういう発言があったはずだ!(`・ω・´)月曜日に更新しないと言ったことはない。キリッ_φ(* ̄0 ̄)ノ 月曜日に頑張った結果ですね。(・ω・)ノ うん、やればできるもんだ。では、次回もこうご期待。たくさんの応援・コメントありがとうございます。ZAPしてます。ZAPZAP.ZAP