連合王国‐ロンディニウム「情報参謀はなにをしていたぁっ!!!」閑静な住宅街の一角にあるひっそりとした建物。外部と目立たない形で隔離されたその建物の中では静けさとは対極に嵐が吹き荒れている。中でも、凄まじいのが居並ぶ情報参謀らを面罵する対外戦略局のハーバーグラム少将だった。握りしめた拳で机をたたき割らんばかりに叩きつけ、生半可な答弁では許容する気配は見えない。立ちすくんでいる情報参謀らは銃殺前の囚人のように顔色が真っ青だ。まあ、無理もない話である。ほとんど不眠不休で整えた局面が一夜にしてひっくり返された少将の激怒は凄まじい。北海の哨戒ライン割り出しと、帝国軍巡回ルートの分析。北洋艦隊の出撃可能速度の確認と牽制を兼ねた本国艦隊の演習スケジュール作成。その労力が一瞬で泡沫の泡と消えてしまったのだ。ハーバーグラム少将ならずとも連合王国関係者は歯ぎしりして口惜しがっている。それどころか、問題の原因究明に抜本的な取り組みの必要性を認めているほどだ。機密保持の責任を担う情報参謀らは、すでに胃の負担が限界を超え始めている。「何故、あそこに、帝国軍の魔導大隊が現れる!」かねてから疑問視されていたことだが、連合王国情報部の敗北は偶然で片付けるには少々負けが過ぎていた。一度二度ならば、不幸な事故も三度となれば必然である。情報収集と観測所を兼ねていた派遣義勇部隊がピンポイントで魔導師によって砲撃された時はまだ、偶然を疑えた。観測波から逆探知の可能性ありという分析結果に基づき、機器の改善も図られている。強行偵察部隊に艦影が捕捉されたことも、不幸な事故や偶然と言えなくもないだろう。だが、今回はあまりにも偶然というには不可解すぎると受け止められた。よりにもよってピンポイントでやられたのだ。「鋭意精査中です。ですが、本当に偶然としか思えません!」「帝国情報部は優秀やもしれませんが、いくらなんでもここまで把握できるとは・・・」「では、この映像をどう説明する?」口々に疑念を否定しようとする士官らを黙らせたのは、映し出される交戦記録。かなり濃い戦闘魔力濃度によるノイズで詳細がぼけているとしても、それが物語るものは明確だ。一心不乱に単一目標へアプローチしていく帝国軍魔導師達。敵の攻撃を引きつけようと懸命に他艦が攻撃を行っているが、敵部隊はその何れをも無視している。損害に臆するどころか、度外視しているとしか思えない機動。そのまま、迎撃に上がっていく海兵魔導師を拘束しつつ一隊が急降下突撃隊形を形成。迷うことなく巡洋戦艦に対して突入してくるところで映像が途絶える。あきらかに、他艦には目もくれずに特定の船に対して突入してきている。「何故、この地域にわざわざ北方戦区で確認された精鋭ネームド部隊が網を張っていた!」ハーバーグラム少将の雷が鳴り響く。情報参謀らは、ご丁寧にも帝国軍ネームドは北方戦線の援護に専念する模様とまで分析したのだ。わざわざ中央から派遣されたネームド部隊。それが攻勢計画の後押しになるとまで、一部では分析した。だが、予想とは異なりネームドはわざわざ配置されたエリアを大幅にずれる形で出現している。当初は未確認の新鋭部隊かとも疑われたが、記録された魔力反応がすぐにその疑念を打ち消してくれた。なにしろ、記録された反応からつい先日協商連合方面で存在が確認されているネームド部隊と即座に同定されたのだ。つい先日、ご丁寧にも協商連合に派遣された義勇軍と交戦した部隊だ。本来こんなところにいるとは考えにくい部隊である。帝国軍のローテーションを勘案しても交代・休養にはあまりにも早すぎるペース。「戦闘が激化しつつある北方。まして連中は攻勢を計画中だ。そんな時にわざわざ有力な魔導師部隊がこんなところに派遣されると?」まして、攻勢計画を立案中の帝国北方方面軍が偶然精鋭の魔導大隊をわざわざこんな地域に展開させる?北方戦線に武器弾薬から兵員をできるかぎりかき集めさせている連中がだ。ここまでくれば偶然というよりも必然に近い。「なにより、見たまえ。連中、艦隊前衛に見向きもしないで中央部へ突入している。」不意遭遇ということも説明がしにくい。連中、前衛部の駆逐艦隊には全く手を付けていない。それどころか、巡洋艦や駆逐艦を無視して中央部上空まで隠密裏に忍び寄っていた。感知されるぎりぎりまで秘匿性を重視して接近。辛うじて行われた迎撃にわき目もくれず目標を襲撃している。これで偶然というならば、運命の女神がダース単位で帝国に微笑んだとでもいうのだろうか。「なにがしかの通信を艦隊上空で入れている記録もある。」艦隊上空で突撃隊形を構築する寸前でなにがしかの報告を入れる?会敵報告と言えないこともないが、ならばもっと早い段階で行われるべき種類の報告だ。連中が索敵部隊であるとすれば、ここまで接近する必要はない。逆に攻撃部隊であるならばそれ以前に誘導部隊がいなければならない筈だ。無誘導で、大隊規模の魔導師と突発的に不意遭遇など冗談にも程がある。知らなければ、神のみぞ知る偶然でも起きない限り遭うはずもないのだ。「迷いもせずに護衛を引きはがしにかかった上に一個中隊が巡洋戦艦に躊躇なく突入だ。笑うしかない。」対空砲火の命中率は決して高くはない。そんなことは海軍どころか陸軍ですら知っていることだろう。だが、知っていることと実践するのでは天地ほども差がある。あまり当たらないからと言われて、機関銃がずらりと並べられた巡洋戦艦に突っ込むか?躊躇の一つもあろうというものだ。よしんば、躊躇しないとしてもやり方はいくらでもある。攻撃が目的であるならば遠距離から砲撃術式を展開するという方法があるだろう。魔導師の超長距離砲撃式ならば対空砲火の大半から逃れられる。もちろん、其れをさせないための海兵魔導師だ。しかし、あの状況下で奇襲は可能だった。こちらは、敵に真上を取られるまで気がつかない程静謐な反応しか出されていなかったのだから。「見たまえ。魔力反応からしてネームドが嚮導機を務めている。」ネームドの魔力反応を発見するのが遅れたとは協商連合の無能さゆえだろうか?嚮導機の魔力同位体観測は基本中の基本だ。出力を絞って隠匿飛行でもしない限り、感知は容易。魔力の出力を索敵部隊が絞ることはまだ良い。滞空時間を延ばすために一般的であるし、被発見率を下げるとして好まれる。だが、大隊規模で急行中の部隊が行う事があるだろうか?確かに、一時的な滞空時間は延びるが消耗も跳ねあがるのだ。戦闘加入など論外。結局、奇襲目的以外で出力を絞ることなど・・・。「・・・洗い出しの結果は!?」この結論を認めることは、非常に重大なことを意味する。漏れていなければ、敵の行動に説明がつかないのだ。当然、情報部の洗い出しとモグラ叩きが急務となる。だが、泣きたいことに敵の徴候が何一つとしてつかめないのだ。担当者らはすでに半泣きである。「暗号・ダブルスパイ・内通者の何れも検討しましたが、やはり現時点では白です。」「本格的な調査待ちですが、暗号が解読されたとは思えません。使い捨ての指定コード以外発信していません。」「ダブルスパイ・内通者の線も極めて微妙です。当該情報にアクセスできた人間は二桁にも及ばないのです。」「不幸な、不幸な偶然ではないでしょうか?」もちろん、情報部や情報参謀とて手をこまねいていたわけではない。『偶然』という言葉に落ち着くまでに散々調べつくしている。調査の過程で幾人かのモグラを発見し、締め上げることまでやってのけた。にもかかわらず、事態は少しも改善しないのだ。ここまでくれば、やはり不幸な事故だったのではないのか?一部の人間がそう考え出すのは時間の問題である。だが、その考えは一蹴された。協商連合艦艇に観戦武官として派遣されていた情報部将校や海軍将校の報告書。そこに記載されている詳細な報告は、偶然の事故と主張する一派を沈黙させるに十分すぎた。「・・・亡命政権要員を乗せた巡洋戦艦に、たまたま展開していた大規模な増強魔導師大隊が不意遭遇戦闘で、たまたま攻撃して亡命政権要員の居住ブロックに攻撃を集中する?」目を通したハーバーグラム少将に至っては、手にしていたパイプを握りつぶしかけた程の代物。添付されている写真は、攻撃が一ブロックに集中して行われたことを如実に物語る。そして、通常であれば全く重要な攻撃部分と見なされないエリアへの攻撃。対艦戦闘を考慮すれば、重爆裂式なり、喫水線の下を狙う重力式なり有効な攻撃手段は少なくない。だが、わざわざ居住区に対人掃討用の爆裂術式だ。艦橋を狙うならばともかく、わざわざ居住区に対してだ。それも、中隊全ての攻撃が集中して。しかも海兵魔導師の報告によれば、目標のブロックに着弾させた後は一切の戦闘行動を取らずに離脱しているとのこと。偶然というのならば、どこまでが偶然なのだろうか?「笑える偶然だな。本当に、偶然というには、笑え過ぎる偶然ではないか!」そう叫ぶなり、ハーバーグラム少将は言葉を失ったかの如く沈黙した。冷静沈着、不動の如しとまで讃えられた傑物がである。帝国軍本営陸海軍合同会議室戦務参謀と情報参謀と作戦参謀が頭を抱えているというのは要するに不味い事態だ。政略的に問題が生じたか、或いは軍事上の問題が発生したことを意味している。当然の事として参謀らが事態の収拾に苦慮することになるのだ。まあ、誰に責任を押し付けるかを半分くらいは考え始めているに違いないが。「何?逃げられた?」居並ぶ陸軍士官らの思いを一言で言いあらわすと正にこれである。いや、全ての参加者の思いであったと言っても良い。袋の鼠とまではいかなくとも、ほぼ確実視されていた作戦だ。ここのところ、手持無沙汰であった海軍に華やかな戦果をもたらすとの期待は見事に裏切られてしまっている。「・・・北洋艦隊は再捕捉に失敗しました。」「魔導大隊が捕捉し、友軍潜水艦がコンタクトに成功したにもかかわらず?」手際の悪いことに索敵魔導師ではなく、遊撃部隊として展開していた203大隊が偶発的に接敵。不意遭遇の混乱によって大隊は海兵魔導師と敵艦に若干の損害を与えるに留まっていた。まあ、発見に成功したのだ。この時点で、さしたる戦果が無いことよりも発見の報に重きを置いたのはデグレチャフ少佐の失態ではない。次に、試験的に投入されていた友軍潜水艦が報告のあった位置から推測される航路で見事に敵艦隊を再捕捉した。デグレチャフ少佐らの報告通りの編成。雷撃位置の関係上、取り逃がしたとは言え所詮潜水艦。発見できたという時点で十分に役割を果たしている。ここまではよい。「はい、取り逃がしたようです。」だが、取り逃がすとは何事か。曲がりなりにも、北洋艦隊には其れなりの主力艦を配置してあるのだ。相応の戦果をあげることを期待している。まさか、重油の無駄食いであるというのか。そのような思いが込められた発言が陸軍側から提示されるのは当然だろう。貴重な魔導師や物資を割いて海軍が昼寝しているとあれば、陸軍は黙ってはおれない。どういうことか?暗に叱責を込めた陸軍から厳しい視線。それに晒された海軍参謀はしどろもどろになりながら、資料を提示し弁明を試みる羽目になる。どうして、自分がこんなことをしているのかと思いながらも、彼は彼なりに最善を尽くす。「いえ、悪天候下で二度もコンタクトできたこと自体が偶然でした。再捕捉は必ずしも容易ではないのです。」洋上での捕捉は決して容易ではないのだ。艦隊とはいえ、大海原では小さな点に過ぎない。面を全て制圧しない限り完全な哨戒網の構築は不可能。どこまでやれるかは、確率論に近い。それ故に、海軍士官は経験則に基づく推論を重視する。言い換えれば、経験が浅い帝国海軍は常に後手に回っているとも言えた。ハードの拡張は順調だとしても、其れを運用する兵員の育成には多くの課題を抱えているのが実態なのだ。「それをやるのが、貴官らの任務だろう。」しかし、愚痴を言っても始まらないのも真実。言われるまでもなく、軍人とは与えられた戦力の中で最善を尽くすことが求められてしまう。そうである以上、海軍としては十分なだけのハードを運用するソフト面は努力で補わなければならない。「しかし、同時にこれ以上は言っても仕方のないことだ。」とはいえ、これ以上は無用な糾弾になる。そう判断したゼートゥーア准将はガス抜きを終えることにした。見渡す限り、陸軍側の不平不満はだいぶ口にされた様だ。海軍側の我慢もそろそろ限界に近い。これ以上は危険だろう。なにより、これ以上は単なる時間の無駄だと判断する。糾弾を切り上げ現実的な解決策の模索を提言する。「事後策の検討にかかる他にない。海軍側の提案は何かあるのか?」発言を終え、ゆっくりと陸軍側を見渡し言い足りな気な参謀らに釘を刺しつつとゼートゥーア准将は着席した。如何にも、待ちかねていたという感情を見せながら立ちあがる海軍参謀に若いなと思いつつも気分を切り替える。「我々としては、外交面からの支援で共和国との合流を阻止したく思います。」提示された資料には、外務省からの意見が付与された方策が提示されている。その案自体は特に問題があるわけではない。実際、良くまとめられているとも思う。少なくとも、道理は通っている。「中立国義務条項の活用か。しかし、連合王国が素直に履行すると思うか?」だが、国家の生存闘争において道理が全てではない。そうであるならば、今頃世界はユートピアが実現されていたことだろう。地上の楽園が不在であることが、現実を如実に物語るのだ。「外務省は、微妙だという見解を寄こしています。正直、ありえないでしょう。」おそらく、連合王国は48時間以内の出国を要求するだけだろう。中立国の義務として武装封印措置を真剣に行うとも思えない。駐在武官による確認は、手続きの遅延によって抵抗されるに決まっている。そうなれば、許可が下りる頃には船が湾外に出ているに決まっているだろう。「だとすれば、連中は悠々と共和国艦隊と合流することになる。」「面倒ですな。これでは、協商連合系の抵抗が長引く。」性質の悪いことに、連合王国の領海と共和国の領海が接する水域は少なくない。連合王国領海での交戦が禁じられている以上、実質的に共和国艦隊との合流は阻止不可能。外交上の問題を全て無視しない限り、阻止し得ない。そして、協商連合の軍艦が帝国と戦うというのは降伏を求める上で難題となりかねない。みろ、海軍はまだ健在だ、と。抗戦意欲を挫きたいところで、頭の痛い問題となりかねない。「・・・早急に沈めるほかにありますまい。」被害を最小限に留めるためにも、事態の収拾を急ぐほかにない。そのためにも、協商連合艦艇は軒並み沈めておかねばならないだろう。数隻の打ち漏らしならばともかく、そのまま逃げられたのだ。一隻、二隻沈めた程度では最早鎮火し得ない。ならば、せめてできるだけ迅速に撃沈し尽くすのが唯一の選択肢だ。そうすることによってのみ、問題の早期終結が図れる。「では、北洋艦隊への命令は速やかな撃滅という事でよろしいか。」「結構です。」海軍側としても、それらに異論はない。「増援は引き続き出す。ともかく、早期に解決してほしい。」第203大隊駐屯地‐大隊司令部そこにあるのは、純粋で静謐な結晶だ。純粋な・・・濃密で、仄暗い沈澱して膿んだ狂気。見ているもの全てを狂気に誘う悪夢の様な瞳。睨みつけられた側としては、魅入られないようにするのが精一杯。「御命令をお伺いしたく思います。中佐殿」軽く息を吐いたレルゲン中佐はようやく、肺に空気を送り込んだ。陽気が窓から差し込んでくる室内。冬にしては暖かそうな一日だというのに、全身を寒気に包まれるようである。理由は簡単だ。目の前の結実した狂気の結晶。「デグレチャフ少佐、特殊襲撃命令だ。貴官には引き続き北洋艦隊への支援行動が命じられる。」情報部が汚名返上のために掴んできた情報がある。艦隊の亡命成功に気を良くした協商連合首脳陣の一部が亡命政権樹立のために国外へ出るというのだ。当該方面に展開中の諸艦艇に対しては民間船への臨検命令が念押しで発令されている。だが、より大きな理由としては海軍の面子という問題が横たわっている。これ以上の失態は、海軍軍令部の問題に留まらず帝国の不名誉にもなりかねない。当然、北洋艦隊は使える資源をすべて活用したがっている。だからこその援軍。だからこその支援。「・・・名誉挽回の機会というわけでありますか。」しかし、目の前の小柄な少佐はそのすべてを理解しようとしない。狂っている責任感だが、彼女は自分自身の責任に慄いていた。ただの、ただの少佐風情が全ての責任を背負い込んでいる。寒気どころか、おぞましい何かが室内に吹き荒れているかのような違和感。あるいは、正常と異常のはざまに放り込まれたような気分だ。「敵部隊の捕捉には成功したのだ。少佐の責任ではない。」「怨敵を目前に、取り逃がしたのであります。次は、次は確実に。」取りなしの言葉は、全く意味を持たない。別段、空疎な言葉を吐いたわけではないのだ。悪天候下で敵部隊を捕捉しただけでも十分すぎる功績。まして、部分的とはいえ敵海兵魔導師にも損害を与えている。パーフェクトではないがベターな結果だったと唯一人を除いて誰もが認めるだろう。「少佐?」「ご安心を。過ちは繰り返しません。絶対に、過ちを繰り返さぬとお誓いしましょう。」だが、その唯一人はパーフェクト以外を受け入れない。恐るべきことに、殺意と愛国心の塊を純粋に軍人という形に成型したかのごとき思考。軍人というよりも、彼女は軍人の形をした人形に近い。うわ言の様に繰り返される言葉の端々には奇妙なまでの切迫感すら漂う。ただ一度、ただ一度ベターな結果を取っただけでこのありさま。完璧主義にも程がありすぎる。命令を字句通りに遂行することにしか関心が無いのだ。狂っているとは思っていたが、いったいどういう教育をすればこれほど歪に育つのだろう?「・・・気を張るな少佐。貴官の功績は評価されている。貴官は、任務を果たせばよい。」「ご安心ください。一隻たりとも残すつもりはありません。」全く言葉が通じない。会話が成立しているようで、何か致命的な齟齬が横たわっている。私は、ただ任務の遂行を励行しただけのはずだ。それが、何故この狂気の塊は撃滅の意図高らかに戦意を満ち溢れさせている?戦争狂にも程がある。帝国軍が産み出した最高にして最悪の戦争狂に違いない。唯の人が、これほどまでに同族殺しを嬉々として行い得るものか。あるいは、躊躇なく軍務を何処までも忠実に行いうるのだろうか。人として、根本がずれていない限りありえない齟齬だ。「参謀本部も敵部隊の排除を期待している。」名目上、伝達に従事する者として伝えなくてはならない事実。慣習上部隊長に敵部隊の排除を期待する旨の通達は、一般的な行為である。時候の挨拶に等しい。だが、だが、どこかで理性が警告を発するのだ。目の前の化け物じみた戦争狂は字句通りに実行しかねないと。「貴官と部隊の武運長久を祈る。幸運を。」うすら寒いものを感じつつ、レルゲン中佐は職務への義務から激励を口にする。少なくとも、彼女と彼女の部下は友軍なのだ。矛先が向かうのが、愛する祖国で無い以上何を恐れることがあろうか。自分を誤魔化すように心の底で疑問を押しつぶす。「ありがとうございます。」それを知ってか知らずか、答礼するデグレチャフ少佐の姿は見事なまでに模範的ですらあった。大隊駐屯地‐大講堂ひやひやしていたが、結局参謀本部からの通達は事務連絡であった。てっきり、任務失敗の叱責かとも危惧していたのだが。上は思った以上に寛大らしい。ありえないくらいに寛大だ。私ならば、部下が無能であればリストラを勧告する。誰だってそうだろう。リストラできないと軍だと考えてもペナルティは覚悟しておくべきだった。だが、上は二度目の機会を与えてくるつもりらしい。言い換えれば、最後の機会に違いないだろう。これ以上の寛大さを期待するのは無理がある。だとすれば、面識のあるレルゲン中佐殿がわざわざ事務連絡で来てくれたのは上の配慮だろう。中佐殿が仰っていることは、上はまだ私を見捨てていないという事の婉曲な表現に違いない。何とか、取り持つから戦果をあげて見せろという心配り。「ふむ、近いうちにお礼をしておかねば。」よい上司だ。其れ相応の敬意を払ってしかるべき人物ということになる。上官を選べない軍でこういう上官に恵まれたのは幸いだった。そのことに若干気分を改善させつつターニャは呟く。業務連絡のために召集していた大隊要員はすでに集合済み。適度に緊張感を保って耳を傾ける姿勢は好感が持てる。「大隊諸君、私は神を信じない。微塵もだ。」いるならば、私に存在Xを切り刻みシュレッダーにかけた後、豚のえさにする力を与えたまえ。其れができないのであれば、せめて存在Xをこの世からけしてほしいものだ。口にはしないが、思いを心中で述べておく。できもしないのだろうが。そう思い心の中で嘆息。居並ぶ私の部下の方が、よほど役に立つし忠実だ。実にすばらしい飼い犬である。まあ、手綱を緩めると戦場に突撃していくので頭が痛いのはどっこいどっこいであるが。ともかく、失態を取り繕う機会だ。壇上に立ちあがり、名誉を挽回するためにも部下を懸命に鼓舞することにする。「神よ。貴様が偉大だというならば、倫理を実践して見せろ。」其れが倫理というものだ。法の支配や、一般的普遍原理に反抗するというならばそれ以上のことを示す必要がある。それもせずに、神の存在を主張するのは片務的な契約履行要求にも程がある。軍人として命令を受けた。そのために、給料やもろもろの待遇で養われているのが私の身分。一応、敵部隊発見には成功しているとしても当初の任務には失敗している。いうならば、救急車が消火活動に参加して失敗したようなものだ。確かに、火は消し止められても人を救えなければ本末転倒。我々は発見したならば、同時に海兵魔導師を排除しておかねばならなかった。それが仕事なのだ。他の所など取り繕う暇があるならば、まず敵海兵魔導師を排除しておくべきだった。レルゲン中佐殿や参謀本部がオブラートに包んでくれてはいるが、これは我々の失態だ。意気消沈する部下らには、このことを徹底して自覚させなくては私が不味い。中間管理職とは、こういう機微を部下に解らせなくてはいけないのだ。部長がそれとなく伝えてくれたミスを、課長が修正せずに放置していることはありえないだろう。「人は、矮小な存在にも其れを期待しない。」当然、上は我々に失望するとばかりにターニャとしても思っていた。無能とすら思い定められても仕方ない。製造の人間が、何を狂ったのか営業に出た挙句に在庫管理に失敗したら?営業にいくら成功しようと本末転倒だ。無能と罵られる事を甘受せざるを得ないだろう。「だが、喜べ。軍は我々に機会を与える意思があった。」わざわざ、参謀本部から人を派遣してくださるほどにだ。このことは、まだ見捨てられていないことを意味する。懲罰大隊送りの危険性は残っているが、戦果をあげることで克服するしかない。「煉獄だろうと赴き、征服することこそ軍人の本務」行けと言われれば、何処までも行くしかないのだ。いまさら言うまでもない基本ではあるが、基本を確認しておくことは常に大切である。ハインリッヒの法則は、細かいエラーの積み重ねに警告を発している。事故防止のためにも、過激なくらいに念押しをするのが基本だ。「なれば、今一度任務を行おう。我らだけでも行おう。」「大隊長?」副官のヴァイス中尉が口を挟んでくるとは。正直、くど過ぎたのだろうか?やや躊躇するが、やはり部下の前で動揺するなという士官学校の教育が頭をよぎる。ただ漫然と過ごして後悔するよりは、やって後悔する方がまし。そう判断し、気にも留めないという表情を辛うじて維持しながら周囲を一瞥する。たぶん、大隊要員はまあ念押しの確認にそれほど飽きてはいないらしい。基本を大切にできる人材とは、本当に持って帰りたいくらい素晴らしい連中である。「番犬は優秀であるという事を教えてさしあげよう。」きちんと、認識を確認。要するに、暴力装置としての軍隊は番犬だ。国家の統制から暴走する意志は全くないことを示しておく必要がある。どこで、誰の目が光っているかわからないのが世の中。多少あざといくらいに忠誠心をアピールすることの方が良い。失笑を買う方が、警戒されて罠にはめられるよりも百万倍ましである。何れ、失笑した奴を蹴り落とせばよい話だ。「どこへ逃れようとも、我々が喰らいつくことを教えてやろう。」しっかりと追撃戦を今度はやります。そういう表現では、戦意不足と判じられかねない。だから、微妙に軍人的に鼓舞するような発想で作文。協商連合の艦艇をウサギに見立てれば、我々は猟犬。忠勇な猟犬として軍から認識される事が理想である。上は、我々にウサギの排除を希望している以上猟犬としては頑張るしかないのだ。「大隊長!越権です!我々には、越境攻撃権は認可されておりません!!」・・・おいおい本当にどうしたのだろうか。気配りと常識と良識に私の中で定評のあるヴァイス中尉が訳の分からないことを叫び始めた。越境攻撃なぞ誰がやるというのか。私か?私が、越境攻撃をしかけるといつ口にした?それとも、軍人の常識で越境攻撃を独断で敢行するのがデフォルトなのか?・・・落ち着け。まず状況を確認しよう。手早く知識のパズルを並べて状況理解に努める。①ヴァイス中尉は常識人だ。②私は、模範的な軍人の真似をしているところだった。OK、ここまでは何ら問題が無い。今の私はつじーんのごとき模範的な軍人。誰からも批判されるいわれ・・・・・待て待て。もう少し、踏み込んで考えよう。私は、つじーんの真似をしている。さて、つじーんは常識人から好かれる存在だっただろうか?いいや、そんなことはありえない。むしろ、嫌われている気がする。何故か?つじーんと言えば独断専行?・・・そんなのは、決まっている。私の様な常識人が、つじーんのような部下を持てば即首だ。なにしろ、すぐに独断専行する奴である。使えないにも程があるだあろう。そして、私の副官は常識人?つまり、私はツジーンじみて暴走しかねないと常識的に判断された?ううむよろしくない事態だ。私は恥を知る良識人である。独断専行で他人に責任を押し付けることなぞ、やりたくもない。まして、ルールを守ることこそ生きがいである。ルールは破るものではない。潜るものである!そんな基本的なことも私が分からないと思われていたとは・・・。「中尉。落ち着きたまえ。誰も、連合王国に喰らいつくなどとは言っていない。」ううん、困ったことになった。内心でまったく見当違いの汗を流しながらターニャは苦吟する。正直に言って、つじーんやきちくぐち将軍のような人間だと思われるのは避けたい。というか、そう思われていたならばヴァイス中尉と話をする必要がある。内心で思いつめつつも、とにかく場を乗り切ることに専念。「はっ?失礼いたしました。」「まあ、簡単だ。協商連合艦艇は共和国艦隊と合同で行動すると予想される。そこを狙うぞ。」のこのこ出てきた連中を叩く。ただそれだけの仕事。それ以上は給料分以上だ。もちろん、出世のために頑張るという発想もありだ。だが、軍での出世は必ずしもハッピーを約束してはくれない。そうである以上、私は取りあえず給料分の仕事に留めたいのだが。一体、どうしてこうなったのか?いや、もちろん存在Xの悪意が根本なのだが、とターニャは歎いた。確かにツジーンの真似をし過ぎるとアレかもしれないと反省。今度、部下と腹を割って話をするべきかもしれないと思う。「では?」「ああ、海兵魔導師の真似ごとだ。喜べ、海軍の食事の方が旨いぞ?」取りあえず良い知らせが一つある。海軍の食事は、陸軍のそれよりもはるかに恵まれている。正直、ハードに予算をかけすぎだと酷評される海軍だが料理というソフトは陸軍を遥かに上回るのだ。福利厚生の観点から見た場合、職場としては海軍の方が望ましいに違いない。あとがき①一言で言うと?⇒駆逐艦ではなく巡洋戦艦でした。②で、どうした?⇒襲ってみたら、偶然お偉いさん吹っ飛ばしてました。③皆はなんと?⇒知らぬは本人ばかり。連合王国inパニック。④ところで?⇒更新速度につきましては、鋭意善処し解決に向けて関係者一同最善を尽くしていきたく考えておりますところであります。(〃゚д゚;追伸誤字修正ZAP