その日、起床して日課である体操と朝食を終えたデグレチャフ少佐は迷いを振り切るようにペンに手を伸ばした。後方拠点ともなれば、郵便も通っている。当然、必要とあらば手紙は投函可能。軍用郵便なので少しばかり遅延することもあるが、おおむね普通の手紙と同様に後方に搬送されて送り届けられる。もっとも、彼女のように身寄りのない人間が出す私的な手紙の相手などいない。せいぜい、公的な手紙か非公式の手紙かぐらいの違いだ。その手紙の中では公式に属するものを彼女は書くことにした。おずおずと便箋を取り出すと、慣れない手つきでペンを走らせる。すでに何枚も書いた書類ではあった。当然、仕事と割り切りテキパキと書けたものだ。しかし、今日ばかりはそのペン先も重い。いや、すらすらと書ける人間のほうがおかしいのだろう。『拝啓親愛なるツイーテ・ナイカ・タイヤネン准尉のご家族様小官は、ターニャ・デグレチャフ魔導少佐。彼の上官だった者であります。このたび、まことに残念ながらご家族の皆様にとってかけがえのない若者であったツイーテ・ナイカ・タイヤネン准尉の傷痍退役をご報告させていただきます。彼は、作戦行動中に急激に体調が悪化。軍医の診断によって、長期の軍役に耐えかねると判断されました。おそらく、ご実家か軍病院で長期の療養が必要となることでしょう。人事局は望むところで療養することを認めております。どうぞ、彼と話し合ってゆっくりとご療養ください。お預かりしたお子様をこのような形でしかお返しできないことをご容赦ください。彼は優秀な魔導師であり、勇敢で皆から信頼されるかけがえのない私たちの戦友です。ツイーテ・ナイカ・タイヤネン准尉を私たちの戦列から脱落させてしまうことは、大きな悲しみであります。わずかばかりの慰めになることを願って、小官の名で一級野戦従軍章と傷痍メダルを申請し認められました。末筆ながら、彼の末長い闘病と回復を祈念しております。敬具第×××部隊指揮官、帝国軍魔導少佐 ターニャ・デグレチャフ』・・・まさか、部下をじゃがいもの食あたりで失う日がこようとは。やはり、あの古いジャガイモがまずかったのか。食べて、そのまま夜襲に参加したら突然帰って嘔吐し激痛を訴えた時は愕然としたものだ。てっきり、ベテランがここまでのたうちまわるとは魔導師にすら有効なNBC兵器でも投入されたのかと驚いた。あわてて治癒術式を発現するも、痛みを緩和する程度。軍医が駆けつけてきて、診断してようやく一息つけた。つまり、悪性の急な食あたり。それも運悪くツイーテ・ナイカ・タイヤネン准尉だけ。まったく、彼は腕が良い魔導師だったというのに。こんなところで戦線離脱者を出してしまうとは。それにしても良く、良く人事が傷痍扱いにしてくれたものだった。これで恩給はつくし、軍人としての名誉も傷がつかないで済む。上官としても、不名誉な部下を持ったという経歴の傷がつかない。というか、じゃがいもで部下を失った士官とか、嗤うしかないではないか。まさか、胃袋から制圧される間抜けが私の部下にいたとは・・・。ああ、失礼しました。部下に何かあった時にご家族にお手紙を出すのは上司の責任ですからね。お手紙をしたためることばかりに気が急いてご挨拶が遅くなりました。まことに、まことに申し訳なく思います。申し遅れました。帝国軍第203遊撃航空魔導大隊を率いるターニャ・デグレチャフ魔導少佐であります。本日はお日柄もよく、元気いっぱいに共和国軍の砲撃が陣地を揺るがしておりますが取り立てて他に申し上げることはないようです。朝は、ベーコンと乾パンと珈琲もどき。野菜スープは急遽廃棄されました。ジャガイモの問題がありますので。個人的には、野菜がないことを嘆きたいのですが、こればかりは致し方なし。まあ、食中毒起こすかもしれないジャガイモを食すわけにもいきますまい。朝一で補給を受け取りに行っているので昼食には缶詰の野菜を食べる機会があるという知らせくらいでしょうか。とまあ、戦場とはいえある程度生活はパターン化が避けられません。しいて気になることと言えば、前線にて研修中の補充兵らが元気にやっているかどうか。まあ、昨日送り込んだばかりなので一週間ばかり塹壕でモグラの真似でもやってくれば俊敏になるでしょう。ならなければ、送り返して再教育を申請する方がよほど良いかと思います。それと、変な命令のことぐらい。この前、夜戦をやれと偉い人が言ってよこすものなのでしぶしぶ夜戦をやりましたが、補充兵2人を失ってしまいました。いやはや、30秒で行くよといったのについてこられなくて砲撃で吹き飛んだのを部下が確認しています。ツーマンセルごと吹き飛ばされるとは、運のない補充兵達でした。おかげで、私の評価が微妙に下がるかもしれないと思うと頭を抱えたくて堪りません。まったく、だからまだ彼らに夜戦など早いと上申したというのにと嘆きたくなるもの。しかも、上層部に至っては夜戦を命じた記憶などないと白々しくこちらに責任を転嫁しようとしてくるありさま。きちんと、『ワレ、ショテイノ、メイニ、シタガイ、ヤセンヲ、キョウドウス』と上申し『リョウカイ、ブウンヲ、イノル』と頂いているというのに。こちらはきちんと証拠をもって、抗議したいと思う次第。責任を転嫁するのは、まったくもって嘆かわしい。民間企業から始まって、ヤンキーの軍隊に至るまで実に微妙な歴史の繰り返しでしょう。たとえば、マッカーサーなるおっちゃんが、アイゼンハワーなる若者にパレードの準備を命じておきながら、そんな記憶はないと強弁するようなろくでもない歴史です。本当に悲しくなる。ああ、涙が出そう。だって、女の子だもの?・・・・・・・・・・??失礼、所用を思い出しました。今日のところはこれで終わりにさせていただきたく思います。私も、軍医にかからなければ。帝国軍参謀本部、戦務・作戦合同会議「では、定刻となりましたのでライン戦域における攻勢計画の是非を巡る戦務・作戦合同協議を開催したく思います。」議事進行を務める士官が口を開くが、それに続くものはなく沈黙がその場を支配した。壮麗な外見の建物とは裏腹に中では思いつめたような表情で高級軍人たちが頭を悩ませている。状況は刻一刻と変化し、その実態を把握するだけでも至難の業。加えて状況は全体からすると悪化の一途を辿っている。積極的な攻勢による早期終結を狙った対協商連合の全面攻勢は頓挫。補給線に対するゲリラ的な襲撃によって兵站が悲鳴をあげている。かろうじて、海軍の支援によって補給状況が改善したとはいえ攻勢を継続できる状況ではない。大陸軍主力が抜けたために、戦線を立て直す時間を与えたのは高くついてしまった。方面軍は、戦力でこそ押している。しかし、厳寒によって拘束されたままだ。主戦線であるラインに増援を派遣できるほどの余裕はない。おそらく、来春までこの戦線は硬直したままだ。翻って、対共和国は海軍が優勢に海峡の制圧権を獲得しつつあるがこれを是認するべきかどうか海軍と陸軍の見解が一致しない。空軍・魔導軍は支援を求められればどちらでも応じるという構えだが、海軍と陸軍は懸念材料が異なりすぎた。海軍としては、海峡を突破したくてたまらない。なにしろ、優勢にあり共和国軍艦隊撃滅の好機である。だが、陸軍としては仮に海峡を突破してしまえばどうなるかを憂慮せざるを得ない。連合王国がおとなしく黙っているだろうか?あの海峡を取るとなれば、連合王国はなりふり構わず勢力均衡のために介入してくるだろう。そうなれば、以前参謀本部内に出回った『今次大戦の形態と戦局予想』や『総力戦理論』といった懸念が本物になる。そう、世界大戦だ。終わりのない連鎖的な戦争の拡張となることが避けられない。そうなれば、現在共和国軍のなりふり構わない抵抗に直面しながら何とか進めているライン戦線が頭をよぎらざるをえない。共和国軍だけで手を焼くライン戦線。まだ、まだ共和国だけならば勝算はある。しかしそこに連合王国部隊が参加すればどうなるか?現在優勢にある戦力比がひっくり返りかねない。帝国海軍は連合王国海軍を阻止しえるか疑わしい上に、残存の共和国艦艇も加われば防衛で精いっぱいとすらなりかねん。もちろん、時間をかけて放置することも許されない。どのみち、時間をかけすぎれば帝国とて消耗しきってしまうだろう。横合いから連合王国なり他の列強なりに殴り倒されるのも耐えがたいのだ。このジレンマをどうするべきか。誰にだって簡単に解決できる方策があれば苦労しないだろう。そして、幸か不幸か一人だけプランを知っている人間がそこにいた。ゼートゥーア准将は、知っていた。少なくとも、負けなければ良いのだと。彼すらも躊躇せざるを得ない内容であったが、ついに意を決して発言を求めて認められる。「視点を変えるべき命題であると認識します。」これから、自分の発言がもたらすものを思えばどうしても緊張せざるを得ない。そう思いながら、准将はあくまでも淡々と口から自ら言葉を紡いでいた。絡み合った複雑な糸を一撃で解きほぐす秘策は血腥いものだ。快刀乱麻を断つというのは、諺にすぎない。良く切れる刀というのは、誰をでもよく切れる刀なのだ「従来のドクトリン、価値観では厳しいでしょう。パラダイムシフトが必要です。」敵の城下に攻め入り、降伏文書に署名させるといった方式で勝利を得ることはもはや不可能だろう。帝国と協商連合のように圧倒的に国力差がある事例以外で全面降伏を求めるのは難しい。現在の恐るべき戦争を見れば、列強間の戦争は出血にどちらかが耐えられなくなるまで血を流す必要がある。「勝利ではなく、敗北を避ける。これ以外に、最後に立っているのは困難でしょう。」「・・・ゼートゥーア准将、つまり攻勢計画に反対と?」作戦の人間がいぶかしげにこちらへ質問を投げかけてくる。彼らの発想は、所詮その程度にとどまるのだ。いや、逆にいえばそれが常識だろう。彼らにしてみれば、攻勢計画とは敵を突破し、蹂躙し、戦争を終わらせるためのプロセス。しかし、それは違うのだ。「いえ、私は攻勢計画を立案し支持します。ただし、目標を変更するのです。」「目標の転換とは?」続けてくれ、いや、やめてくれ。そのどちらの意図も込められた質問に、ゼートゥーア准将は爆弾ともいえる内容をあっさりと口にした。「突破ではありません。出血の強要です。言い換えれば、できるだけ敵を消耗させるための攻勢計画です。」『徹底的に敵に敵の血を流させることを貫徹し、敵の戦争継続能力を粉砕します。』今でも、陸大の図書館で幼い軍人が語った言葉が一言一句はっきりと思い出せる。恐るべき世界を淡々と語られた時の衝撃は今なお忘れがたい。いや、現実が彼女の言葉通りに進展していることを考えればその驚きはむしろ強まってすらいるだろう。彼女は、デグレチャフ少佐はこの事をいったいどこまで予見していたのだろうか。戦争の先を予見するのは極めて困難だ。常識なぞすぐに切り替わり、新しい戦理が戦場を支配することだけが共通の原則。その変化に適応することができる軍人なぞそうそう存在しない。だが、変化に適応するどころか変化を予見することができる軍人がいるとは!「つまり、瀉血戦術によって敵を出血多量で崩壊させる。これこそが、唯一の解決策です」誰かが、思わず身じろぎして椅子が揺れる音が静まり返った室内に妙に響いた。完全な沈黙。それにさらされる彼の気分は、実に淡々としていた。いや、厳密に言えばデグレチャフ少佐に対して共感を覚えてすらいたのだ。図書館で淡々と語るあの口ぶりは、きっと理解していたからこそとわかってしまう。突破は絶対に不可能。よしんば、突破しえたところでこちらの消耗も甚大だろう。そして、戦局悪化を危惧した連合王国が急遽参戦してくればすぐに押し戻される。そうなれば、帝国にとっては最悪の結果だ。血だけ流して、得るところが皆無どころか押し戻されるとなれば兵の戦意が崩壊する。少なくとも、私はそのような部下を再び戦線突破に投入できるとは到底思わん。そんなことは、命令するだけ無駄だろう。ならば、その失敗を敵に犯させればよい。無様に共和国が出血多量で自らが流した血の海で溺死するのを待つ。これこそが、我々帝国軍の採用しえる唯一の選びうるマシな選択肢なのだ。つまり、戦争とは英雄や騎士道精神の発露ではなく、究極的にはいかに無駄なく敵を殺すかという一事に集約された。つまり、言い換えれば今次大戦は総力戦となるのが不可避。「故に、敵兵を、敵の物資を徹底して叩きます。そのための攻勢計画を立案することを要請し、発言を終了させていただきます。」きっと、ほぼ確実に予見される未来がある。居並ぶ同僚・部下らの表情がそれを物語っているのだ。『狂っている』誰もが口にしかねない状況。遅かれ早かれ彼らも理解するのだろう。これ以外に道があるとは思えないことを。彼らがいつ、気がつくかはわからない。だが、私や、私と同じ考えに至ったものは間違いなく後世において厳しく指弾されるだろう。糾弾され、虐殺者と罵られるのだ。多くの前途ある若者を、ただお互いに出血を競って殺し合わせる狂気の世界。その元凶として、私たちは歴史にその汚名を刻むことになりかねない。それは、さほども的を外した予想とは思えなかった。なにしろ、初めは自分がデグレチャフ少佐に感じたことが狂気なのだ。静謐な狂気を携えているという印象は、間違いではない。いや、あれこそがこの狂気の戦争に一番適合した進化なのやもしれん。総力戦理論を耳にした時感じたおぞましいという恐怖感。この狂った戦争の中で正気であるということは、きっとあまりにも贅沢に過ぎるのだろう。ああ、神よ。あなたはきっと、最悪の阿婆擦れに違いない。・・・・・・神よ、どうしてあなたはこのようなことをお許しになられるのでしょうか。一通り胃液を吐きだし、昨晩の食事を吐き出し尽くしたヴォーレン・グランツ魔導少尉は宿舎の一角で天に嘆いていた。思い出すだけでも、おぞましい経験をつい先ほどしたばかり。シャベルで名も知らぬ共和国軍兵士の頭蓋骨を叩き、正気をなくしたようにシャベルを振り回し続けていた。そして、命令によって現実に引き戻されると直後に離脱命令。無我夢中で空を駆け抜けるべく全力で魔力を演算宝珠に注ぎ込む。そのすぐ直後に、いくつもの機関銃がこちらに向けて放たれ始めた。泡を食って防御膜と防殻を形成。ともかく、逃げるのだ。そう思い定めて、一目散に援護も忘れて逃げる。そんな時だ。運命のいたずらか、悪魔の仕業かぐんぐんと上昇する大隊長の姿が見えた。闇夜の帳にもかかわらず、いっそすがすがしい声で讃美歌を歌う大隊長。信じられないものを見る思いだったが一人だけ離脱されるのか、置いていかれるのかとおびえて付いていこうとする。置いていかれないように。そう思って高度を上げようとした瞬間だ。気がつかない間にヴァイス中尉殿に掴まれて高度を引きずりおろされていた。帰還後、囮になっている大隊長に接近するとは正気かと散々罵られたが助けていただけねば、今頃私は同期2人と同じくミンチになっていたところだろう。あの時、ともかく逃げ帰ることばかり考えて、安全な軌道に乗れるまでの間の記憶はひどくあいまいだ。自分の演算宝珠が記録した光景をみれば、良くあんな所から生きて帰ることができたと、神に感謝したくなるほど信じられない密度で砲撃が降り注いでくる。ほんの数秒。たったそれだけの間、反応が遅れた7班の2名は瞬時にその代価を命で払わされた。一瞬の油断。それが意味するところはあまりにも高い。安全な後方の基地についた瞬間に、自分の手に人の頭を殴り飛ばす触感がよみがえり吐き気を催す。いや、それは私に限った話ではなく補充兵一同の共通した思いだった。なにか、自分が許されざる罪人になったかのような罪悪感。どうしようもないほど苦しみながら、私たちが悩んでいるそばで先任らは連行してきた捕虜を平然と尋問し始めていた。『素直にしゃべりたまえ。そうでないと、うっかり手がすべりかねん。』『安心したまえ。我々は戦時国際法を順守する。諸君が捕虜宣誓を行えば、相応の権利を認めよう。』『案ずるな。我々は虐殺者ではない。きちんと常識をもった人間だよ。』・・・信じられなかった。この光景が、こんなことが、人間が行えることが信じられなかった。戦場だ。ありとあらゆる残虐な、非道なことが行われると知っているつもりだった。私とて軍人だ。軍人である以上、義務を果たすことに躊躇しないはずだと思っていた。・・・思っていたのだ。だが、これはなんだろうか。これが軍人の、祖国を守るために果たすべき義務だというのだ。私が、果たすべき義務が!耐えがたい気分。自分が、自分でいられなくなるような奇妙な嫌悪感。初めて、初めて本当に自分の手で人を殺す経験は思い出したくもないものだった。あまりにも、あっさりと人が死んでいく戦場。つい先ほど夕食をともに囲んでいた人間が、次の朝食にはあっさりと姿を消している。ほんのわずかな間に、人を殺し、仲間が殺されていた。ライン戦線は本当に、本当に地獄だ。思わず、逃げ出したいという衝動すらかすかに頭をよぎった。そんな時だ。当番兵らが朝食の用意ができたことを知らせに来てくれた。後方拠点ゆえに、士官である自分には一応士官食堂を使う権利が認められている。言い換えれば、士官食堂で食べねばならない。しぶしぶ水で口を漱ぎ、軍装を整えるとやつれた顔が鏡に映っていた。たった一日でまるで幽鬼のような変貌。これが自分の顔だとは到底信じられない。「・・・戦争に来たんだなぁ。」ぽつりと。口が勝手に心の中身を漏らしてしまう。洗面台に手をつき、再びこみあげてくる吐き気をかろうじて堪えると天を仰ぐ。本当に、本当にどうしてみんなこんな狂った世界で平然としていられるのだろうか。その思いは、食堂に入った瞬間にさらに強くなった。203所属士官らで混み合う士官食堂。すでに、大隊長殿は朝食をすますと執務を取られているらしい。大隊士官らは、ゆっくりと食後の談笑だ。あんなことがあった後だというのに、笑い声さえ飛び交っている。にこやかな表情で、穏やかな談笑。浸っていた狂気の戦場と、ここのギャップに気持ち悪い何かを感じてしまう。当番兵に給仕され、食事が出てくるが食欲などあるはずもない。それでも、軍隊生活で身に付いた無理にでも食事を喉に押し込む習慣は健在だった。珈琲で乾パンをほぐしながら、無理やりベーコンと共に喉に押し込む。味なんてわかるはずもないが、とにかく体が生きるために必要だと割り切って飲み干す。こんなときでも、人間は食べなければならないのだ。士官学校でへとへとになって無理やり喉に押し込んだのと同じ。そう自分に言い聞かせながら、なんとか食事を終えたのは随分と時間がたってからだった。気がつけば、いつものように午前中の座学を受けるため小講堂へ足が向いているところである。繰り返し、繰り返し習慣によって叩きこまれた命令遵守の精神。こんな腑抜けてしまった時ですら、しっかりと自分は軍人であるのだ。気がついたとき、いっそ笑い飛ばしたくなる。「・・・いやいや、どうしたのだろうか。」笑えるんだ。そのことが、すごく驚きを伴う発見だった。こんなときにでも、というべきだろうか。「っと、遅れるわけにはいかない。」随分と朝食に時間を使ってしまっていた。常在戦場を謳われる軍人としては、とにかくテキパキと手早く済ましておくべきそれを。おかげで、朝の時間にはほとんど余裕がない。考えごとにふけっていは、午前中の座学に間に合わないだろう。あわてて、駆け足で小講堂へ駆け込む。「グランツ魔導少尉、入室いたします!」「グランツ?かまわん、入れ。」だが、そこにはガランとした机と幾人かの中隊長たちと主要な士官らがいぶかしげな表情を浮かべているだけだった。遅すぎたのか?一瞬、そんな不安が頭をよぎるが壁にかかった時計ではまだかろうじて5分前。全員がそろっていなければいけない時間だ。逆に言えば、自分だけがここに駆け込んでくることは、本来あり得ない。「どうした?貴様らは、今日一杯休養が許されているはずだが。」こちらの戸惑いを理解したのだろう。ヴァイス中尉殿が口を開いてくださって、私はようやく気がつく。「はっ、恥ずかしながら座学があるものと。」昨晩の衝撃が大きすぎて何も耳に入っていなかったらしい。ヴァイス中尉殿が苦笑しながら説明してくれるところによると、帰還後に休養が許可されたとのこと。頭が他のことで一杯だった私は、何も気がつかずにふらふらと起き上がってのんびりと食事を楽しんだとみられていたらしい。要するに、休養が与えられたからゆっくりと食事をしているのだろうと上官らも判断したので確認しなかったのだ。もっと早く気がつくべきであった。「失礼しました。」「なに、構わん。ついでだ。参加した所見を述べてみろ。」そう言ってヴァイス中尉殿が席を指さす。居並ぶ他の上官らも異論がないようなので、その場にご一緒させていただくことに。・・・まあ、いい機会ではあるし、ある意味自業自得だ。「率直に申し上げると、無我夢中でした。とにかく、気がつけば基地に戻っていたのです。」ともかく、死にたくないと思って無我夢中に行動していた。自分が、何をしたのかと言われれば正直記憶はあいまいなのだ。恥ずかしい思いで率直にそのことを口にする。「まあ、普通はそうだろうな。」「いや、良くやったものだ。初めての実戦であれならば次からは随分と楽になるはずだぞ。」だが、上官らはそのことを別段咎めるという風ではなかった。士官学校であれば、意識を明瞭に保てと雷の飛んでくるところだ。しかし、前線では建前ではなく現実論として生き延びたことが認められていた。むしろ、当然のこととしてそれとなくこちらを気遣ってくださる。「一度は全員が通る道だ。まあ、大隊長殿の教導を生き延びれば大抵は何とかなると思ってよいぞ。」「ありがとうございます。」思わず安堵の息が口から洩れそうになる。つい先ほどまで、信じられないほど動揺していた自分の精神が少しばかりは落ち着きを感じ始められるほどだ。誰も口にはしないが、きっと初めて人を殺す時は動揺したのだろう。自分たちも、銃殺をした時に動揺した。だが、今ではその記憶を持っているがその記憶だけで動揺することはない。「少尉、考えすぎるな。ともかく、生き残ることを考えたまえ。」誰かにぽんと肩をたたかれて解放される。それが、殻のついたヒヨコよりは多少まし。そんな風に私が先輩・上官らから認められた証だった。あとがきタイトル変更無用とおっしゃってくださったふ~せん様ありがとうございます。おかげで、こんなとんでもないタイトルで続けていく気力がわきました(^^ゞというか、皆さんの感想のおかげでこんな作品も続けることができています。本当にありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。あと、新人可愛がりが強かったので勢いにまかせて一本書きました。グランツ少尉には未来に幸あらんことを。ちなみに、本話に登場する某准尉はフィンランドの某パイロットとは一切無関係です。本作は、完全にフィクションです。ZAP