朝起きると、モーニング珈琲付きの朝食が整然と用意されている。事務手続きは順調。恐ろしいほど順調だった。普段は通すのに数時間はかかる申請が、一発で認可されすぐに補給物資が届けられる。吝嗇が仕事の補給担当士官がにこやかに干渉式封入用の特殊術式弾と発現用雷管を手渡してくれるなど、おぞましいにも程があった。にこやかな財務担当者や会計監査官に会う方が、まだ現実的だろう。手続き通りに全てが上手く行くなど、初めてみました。まさか、あんなに愛想よく補給品と書類審査が終わることがあるとは。まったく思いもしてみませんでした。心底驚愕しています。ああ、いけない。驚いてばかりでは、何も進まない。御挨拶が遅れてしまいましたね。帝国軍で魔導少佐を拝命しております、ターニャ・デグレチャフであります。まさか、官僚機構がこんな異常反応を示すとは。絶対に、何かの前兆に違いないでしょう。前例主義とことなかれ主義は、もはや補給部や書類審査時の鉄則。自然現象に近いものと形容できます。つまり、これは、異常気象の前触れに違いない。皆さん、当面のお出かけは必要が無い限りできるだけ自粛されるべきではないでしょうか。今日は、絶対に碌でもない日に違いない。そう確信し、ターニャは毅然と覚悟を決めた。塹壕の連中には警戒を厳命。部隊を第二種臨戦体制下に配置。敵情を観察し、不穏な情勢があれば即応を可能とするように手はずを整える。そして、何故か何事もなく昼となり昼食が出された。それも本物のステーキにザワークラフトである。珍しく良好な補給線によって運ばれて来たばかりの新品。部隊の連中は喜び勇んで喰らいつくが、まさかと思って少々様子を見てから食べることに。じゃがいもで「黄金の負傷」を得て安全圏に後退した部下が羨ましい。自分は、対連合王国外交政策に微妙な影響を及ぼしかねないので後送されるか怪しいだろう。食あたりで倒れたとなれば、これ幸いと生贄になりかねん。うっかり、食あたりもできないのだ。当然、部下らがすごい勢いで肉を消費していくのを眺めるのはつらいものがある。一人お預けを喰らうのは悲しいものだ。しかも、結局何もなければもはや形容しがたいほどに。もはや我慢ならん。しぶしぶ理性と欲望のバランスを取って肉に手を付けようとした時のことだった。「少佐殿、司令部からです。」まったく、貴様が常識人で無ければ門前払いするところなのだがねヴァイス中尉。せめて空気を読みたまえ。大した楽しみもない前線勤務で美食を得る機会を妨害するなぞ、よっぽどのことが無い限り許せん。信じがたい暴挙ですらある。「・・・食事時だぞ、ヴァイス中尉。」非難とまではいかないが、そこはかとなく不満げな声色。上司がそうした声を出す時は、大抵の部下ならば躊躇する。だが、よっぽどの時は彼らもそれに屈しない。そして、今はそのよっぽどの時であった。「申し訳ありません。ですが、大至急とのことです。」そして、通信筒ではなく単純に短い符牒を示してくることからして厄介事の匂い。「うん?電信ではないのか。」通常、命令は電信で送られてくる。指揮官宛である以上、通信兵を例外に指揮官よりも先に眼を通すことは許されない。だから、短い符牒とは電信で通信を送る必要が無いか送れない種類の通信に用いられる。ようするに、くだらないことか、深刻に面倒かつくだらないことのどちらか。「いえ、即時出頭命令であります。」「即時出頭命令?了解した。」ああ、なんという日だ。きっと碌でもない一日になる。毎年、この時期になると気が重くなります。皆さん、こんばんは。WTN特派員アンドリューです。本日お送りするのは、ドキュメンタリーではありません。あの戦争であった出来事を振り返る。そういった追悼番組となっております。はじめに、アレーヌ・ロイゲン地方における暴動についてお話しましょう。ご覧になっている映像は、占領された地域で住民が帝国軍に対して蜂起した時の貴重な映像資料です。画面右側に見えるのが、カレリアン大聖堂。後ほど、お話する悲劇の舞台でもありました。さて、前置きはほどほどにして現場よりの鎮圧の犠牲者追悼式典の映像をご覧ください。今年は、遂に各国大使の列席が見られています。今なお、論争が絶えませんが今年はようやく両者が合同で追悼式典を行えるに至ったのは喜ぶべき和解のプロセスといえましょう。なにより、市民達の手によって瓦礫から復興されたカレリアン大聖堂の除幕式が行われる記念すべき日です。。あの燃え上がるアレーヌ市。そこから、苦難を乗り越えて人々が復旧するように努めた物語。今夜は、戦争の悲劇を語り継ぎつつ明日を思う人々の姿を追います。こちらが、廃墟となった直後のアレーヌ市です。当時、数少ない中立国であった四都市同盟諸国による報道スタッフによって密かに記録されていました。手前に見える崩れ落ちかけている建物が白い大聖堂として有名であったカレリアン大聖堂の廃墟だとお分かりなるでしょうか?事の始まりは、パルチザン狩りに端を発した武力衝突でありました。元々、反帝国感情の強かったアレーヌ市。小競り合いが本格的な暴動に発展するのはあまりにも急でした。『これは、前線で進軍中の大陸軍本隊の兵站線を脅かしかねない。』そう判断した帝国の反応は苛烈を極めます。アレーヌ市で反帝国暴動が勃発したとの一報を受け取ったゼートゥーア准将(当時)は速やかな鎮圧を参謀本部に提言。作戦・戦務の合同提議は帝国軍参謀本部緊急会議にて速やかに承認され、後方拠点にて待機中であった戦力の投入が許可されます。重要な点として、帝国軍は速やかに鎮圧を決断したという点が今日でも大きく議論されています。それは、パルチザンとの交戦中に都市暴動に発展したために非正規戦と認識したことを意味していました。動員された帝国軍は鎮圧ではなく、掃討を目的に編成されたのです。この点について、帝国側は戦時国際法による保護はパルチザン活動及び支援によって消失したと主張。かくして、あまりにも速やかにアレーヌ市が戦火に包まれる事となってしまいました。ここに、辛うじて生き残ったアレーヌ市民らの証言があります。それによれば、彼らは暴動を起こすつもりはなく抗議行動が激化したのが実態だったと語ってくれました。・・・もちろん、ことの始まりはどうであれ帝国の反応が激烈であったのは歴史が物語っているでしょう。今日でも機密指定や資料の消失によって判然としないのですが、すくなくとも大隊規模の魔導師が最初期に襲来。形ばかりの警告後、市民達に魔導師の暴威が襲いかかってきます。『曰く、射撃演習の的のように市民が撃たれた』『連中は撃った人間をスコア呼ばわりした』『立てこもっている区画ごと重爆撃術式で粉砕した』いずれも、今日血のにじむ思いで語られる悲劇。この日、判明しているだけでアレーヌ市民の半数が命を落としました。その中でも最大の悲劇が先ほど申し上げたカレリアン大聖堂の物語です。迅速、かつ過激なまでに暴れ回った魔導師らは先遣隊に過ぎませんでした。完全な掃討及び鎮圧を目的とした大量の予備部隊が鉄道輸送によって運び込まれ始めると市民らは逃げ場を失い始めます。多くは、市街地の中で絶望的な抵抗を行うものと突破を図るものに二分されるでしょう。ですが、それ以外に戦う術すら持たない市民は立て篭もるしかありませんでした。その大多数に避難場所として選ばれたのがこのカレリアン大聖堂を中心とする区画です。これに対して、帝国が取った行動は今でも多くの議論を招いています。ただ、法学者らが一致していることとしてこの虐殺は、如何なる当時の戦時国際法にも抵触しないという事実一つでも、十分に衝撃的でしょう。武装蜂起した市民は、軍服を着ていたわけでもなく非正規戦闘要員。つまり、国際法上は捕虜としての権利すら否定されています。帝国軍は、ただ遠巻きに囲んで一言勧告しました。曰く、『直ちに、無関係の一般市民を解放せよ。諸君の虐殺行為は許容できない。戦時陸戦規定第26条3項に基づき、帝国市民の解放を要求する。』これに対する市民の動きは、混乱のために記録に残されているものはわずかです。ただ、少数の帝国寄りの市民が脱出を図り、帝国軍の目前で射殺されたことは確かでした。さて、このような悲劇が起きたのは何故でしょうか?近年指摘されているのが、共和国軍のプロパガンダが予期せぬ事態を惹き起こしたという可能性です。すなわちアレーヌ市民に対して、共和国軍はすぐさま救援を派遣し再奪還する意図を表明していました。事実共和国軍の一部兵士らは、帝国と一戦交えることすら覚悟していたのです。その雰囲気は、アレーヌ市民にも感染していた。一部の歴史家は、そのように指摘します。暴動発生直後、少数の共和国軍魔導師が来援し加勢していたことも、判断を過たせました。共和国の救援まで持ちこたえられる。そんな展望があったと、多くの生き残った人々は証言しています。そこに、帝国が最後となる勧告を行いました。曰く、『武装蜂起セリシ非正規戦闘要員ヘ勧告ス。諸君ガ不当ニモ拘束シ捕虜トセリシ帝国臣民ニツイテ戦時陸戦規定第8条5項ニ因リ担当官ヲ接見サセヨ』これに対するアレーヌ市の解答は『我らアレーヌ市民。捕虜などおらず。ただ、自由を求める市民あるのみ。』というものでした。帝国は、戦時陸戦規定により、捕虜及び自国市民が存在せず非正規兵によって占有された都市攻略戦をその場で決行。それも、市街地へ突入し個々の兵員が目標を視認することによって責任を回避するために遠巻きから、砲撃による延焼を狙ったものでした。一部の資料では、火災旋風の実証実験として意図的に火災を拡大させる地点が割り出されていたと言います。一般には『アレーヌの屠殺』として悪名高い帝国軍による虐殺行為です。帝国の軍人というやつは、合理的思考がことのほかお好みである。言い換えれば、現象に対してとにかく理屈を付与したがるのだ。曰く、戦略的に考えて云々。そんな連中にとって、西方管区軍が占領した地域での暴動はどういう意味を持っていると理解されるだろうか。当然、帝国内部がレジスタンスやパルチザンという火種を抱え込んでいた西方管区アレーヌ・ロイゲン地方での反帝国派を扇動。これを蜂起させることによって、西方帝国軍後方地域を遮断。第一目標は鎮圧部隊として出撃する前に西方軍を拘束。第二目標は、第一目標が叶わずとも、アレーヌ・ロイゲン地方に橋頭堡を確保。補給線を圧迫。その間に、消耗戦によって帝国を摩耗させるという二段構えの作戦。これは、帝国にとって恐るべき最悪の事態をも惹き起こしうるものだ。それくらい帝国側が考えたところで別段不思議でもないくらいの事象であった。事実、アレーヌ・ロイゲン地方の反帝国運動が蜂起した時に帝国が受けた戦略的衝撃は計り知れなかった。後方連絡線の機能不全化は誰にとっても想像することすら、恐ろしい。早急な排除が求められるも、共和国軍の魔導師が合流し抵抗も激烈と予想される。加えてただでさえ戦力の不足する前線と、後方の安定化要求はほとんど同時に満たし得る要求ではない。この二つの難題によって帝国は大きなジレンマに直面することになる。唯一の幸い、或いは災厄であったのは遊撃用の魔導師部隊が増強されていたことだ。当時司令部が手持ちで温存していた魔導師部隊は、帝国軍予備戦力として一定の戦力を保有。帝国軍はこれによって分離独立運動の鎮圧を選べる状況にあった。もちろんのことではあるが、これらを動員すると浸透襲撃に対抗する予備部隊を使用してしまうことを意味する。当然、そうなれば主戦線の崩壊すら危惧された。加えて、魔導師部隊ではせいぜい威嚇と牽制程度しか都市制圧戦には活用できない。だが前線の敵部隊を撃滅するか撃退する事は可能だ。攻勢に出てきた共和国軍の撃退を優先すべきだろうか?その場合、兵力的に空白となりえる後方地域での暴動が、完全に拡散しかねない状況である。そうなれば、補給線にも著しい悪影響をもたらし消耗戦において絶大なる損害を出しかねない。かろうじて拮抗している前線には耐えられるとは思えない規模の損害となるだろう。では、先に蜂起を鎮圧すべきか?しかし、唯一の予備戦力が蜂起鎮圧に時間を取られるのは致命的だ。拘束され、時間を失うとすれば突破した共和国軍の浸透突破を放置し、損害を計り知れないほどに拡大しかねない。せっかく戦略的な奇襲を跳ねのけここまで押し戻した犠牲が全て無駄になるのは許容できない話。逆に、共和国軍にしてみれば、成功は約束されたものとみられていた。帝国がどのような方針を取ろうとも、結局は一定の成果を達成できる、と。ここに至って、帝国軍は、歴史に残すべきでない明らかな悪行に手を染めた。それは、誰が命令したのかは不明だ。誰が実行したのかすら、明確な記録は残されていない。まさに、この軍人は記録に残せない人物だった。奇跡の防衛戦を成し遂げた最良の軍人であると同時に、帝国の名誉を汚泥に叩きこんだ最悪の軍人であるのだ。戦後であるために、今ではその軍人を批判するものは多い。だが、私個人としては、その立場に立った人々を擁護する。当時の状況においては、他に代替選択肢が存在し得ず、かつそれは命令という形で下されていた。確かなことは、確かに帝国の戦線は救われたということだ。ウォルター・ハルバーム ロンディニウム大学教授忠勇な帝国軍魔導師として、名誉を捨てよという命令に、名誉で以て答えざるを得ない、という状況であったのではない。極論ではあるが、そうすべきでないと我慢していた人間に、愚かにも許可を出してしまったのだ。殺したくて、壊したくてしょうがないという衝動。言ってしまえば、狂気が一番適切な表現だろうか?あるいは、「『合理性』の極端な追求」と彼女ならば評するかもしれない。とにかく軍司令部は、箍を外してしまった。賢明にも、勝利のために彼女の制約を取っ払ってしまったのだ。軍の、帝国の命令であり、軍人として従わざるを得ない。そういう大義名分は、理性で抑え込んでこれた衝動を解放してしまう。あるいは、躊躇する理由が消滅した、ということ。獣が、目前に投じられた食事に喰らい付くことは誰の責任だろうか?飢えた獣の前に、生贄を投じた連中の責任以外の何物でもないと、私は信じる。帝国軍参謀本部ゴミ箱より発見された走り書きのメモ「参謀長、このような事態は想定されているのかね?」呼集された参謀団を見渡すと、軍団長は事態の深刻さに舌打ちしたくなるのをこらえ、鷹揚に訊ねるふりをした。内心は煮えくりかえっている。共和国軍の動きは、本国の予想をはるかに上回り素早い。すでにごく少数とはいえ、増援の魔導師がアレーヌに入ったという情報が飛びこんでいる。おそらく、時間の経過とともに防備も整えられるだろう。対するこちらは、計画が完全に破綻。ようやく混乱が収まりつつあるとはいえ、帝国軍の混乱は目を覆いたくなるほどだ。さらには参謀本部が約束した制圧部隊の来援すら、滞る始末。鉄道課の士官は何をしていたのかと散々罵倒したい気分である。この情勢下で、野戦憲兵がまともに反乱分子を扱えないとは!憲兵連中ご自慢の野戦憲兵達がどこで昼寝をしていたのかは知らないが、怠慢もいいところだ。シェスタの習慣があるならば、引っ込んでいればよいものを。我らの忠勇な魔導師一個中隊もあればこのような醜態は防ぎ得ただろうに。今や、事態は加速度的に悪化し始めている。それは、ほとんど最悪の事態を予期させてならない。後方地域での暴動。それによって、補給部隊は身動きが取れない状況に追い込まれている。前線を動かせば、共和国軍が呼応するのではないか?その不安が絶えない以上、前線の兵力を動員するのは最小限に留める必要がある。。まして、共和国軍の魔導師が合流したとあっては、この排除を行うのは至難の技となる。「はっ、されております。戦務参謀、説明を。」だが、さすがに、というべきだろうか?参謀団はこういった事態に対する分析を短時間でまとめあげてきた。事前の想定は全てではないにしても、物事に取り組む際の助けとはなる。「はっ、その、あくまでも純軍事的な観点から、極めて限定された目標を達成するという想定で、戦略研究の一環として行われたものがございます。」「何だね、それは?使い物になるのか?」問題は、まとめあげてきた其れが使えるのか、使えないのかということに尽きる。なにしろ、ここまで事態が悪化したのだ。生半可な方策では、問題を解決し得るようには思えない。・・・しかし、彼らの口ぶりを思えば、どうも期待薄だ。「使えるか、使えないかで言えば、間違いなく一定の成果はあります。」「ですが、その、非常に重大な決断を必要とするものでもありまして・・・。」はきはきと答えろ。そう怒鳴りつけたいのをこらえる。「時間が惜しい、とにかく説明しろ。」「はっ、本想定は極めて短時間に、市街地にて魔導師を含めた防衛線構築中の敵部隊を排除することを念頭に、陸軍大学戦略研究委員会に提出された想定であります。」少なくとも、聞く限りにおいては有効な提案だ。陸大が戦略研究委員会に提出させるという事は有用性が認められればこそ。市街戦で短時間に敵魔導師を含めた防衛部隊を排除できるのであれば、有用性は計り知れない。「・・・実に画期的ではないか。何故、全軍配布に至らなかったのね?」「ヴォルムス陸戦条約に抵触するのかね?」同じ疑問を覚えたのか、参謀長が懸念材料と思われた国際条約を口にする。短時間に市街地を制圧するとなれば、重砲かガスでも使わなければ頑強な抵抗を突破できそうにもない。そして、市街地にガスなぞ許可できるわけもないだろう。「いえ、法務士官によれば、既存の如何なる国際条約にも矛盾しないとあります。」「なおさら、素晴らしい。一体何が課題なのかね?」だが、合法だというならば躊躇する理由はないはずなのだが。正直に言って、一刻を争う状況なのだ。こんなところで、法務士官の法学論争に付き合っている時間はない。苛立たしげに机の上を叩きつつ、軍団長は躊躇する参謀に続きを視線で促した。「想定では、都市において、純軍事的観点より、敵戦力のみ存在し、非戦闘要員が存在しないという想定で立案されております。」「なんだ、それは?そのような架空の想定で、使えるのか?」馬鹿げていると叫びかねない状況想定だ。敵の軍事的戦力のみが住んでいる都市など存在するはずがない。大半は、民間人だ。せいぜい、民兵が混じっている程度。まして、アレーヌ市は占領時点で多数の市民が確認されているのだ。「いえ、このような状況を法的手続きにより創出します。」答える方も、問いかける方も、感情を敢えて感じさせないフラットな声になる。「つまり、これは一種の欺瞞です。法務士官によれば、非戦闘員の存在を除外したことによってのみ正当性を保証できると。」「・・・老若男女を問わず、殺すということかね?」誤解のしようがないほど明瞭な事態だ。市街戦。ああ、市街戦。碌でもない市街戦を本気で行えというのだから、法的合理性云々以前の問題なのである。「都市を全て焼き払うという極めて、単純かつ明快な方法です。」早く終わらせてしまいたい。そう言わんばかりの口調で参謀が続きを始める。いっそ、続きがなければと思ったのは彼一人ではない。「火攻め?しかし、古典的だが、魔導師を相手にかね?」「火災旋風というものに、聞き覚えは有るでしょうか?」狂った報告書と悪魔の考えた計画書。このプランを考えたのは悪魔が勧誘に来るほど狡猾な弁護士か、犯罪者に違いない。思想が、ほとんど人間離れしている。技術的に可能であるという事と、実際に行うということを同義で考えられる人間がいようとは。「いや、初耳だが。」「過去の大規模火災の事例を本想定は検証したうえで、立案されたとのこと。」各種制約に縛られる市街戦。少なくとも、如何にそれを対応するべきかという命題は研究対象だった。だが、だれも法的制約を取っ払う方策の模索に至る思考は持ち合わせがない。極端なことを言えば、警察が人質を取られている時に人質もろとも犯人を吹き飛ばせる方策を模索するようなものだ。確かに、犯人逮捕は最優先であるだろう。しかし、そのためには人質を救出するのではなく排除してしまおうという発想に至るか?常人ではありえない発想としか形容しがたい。おおよそ、軍人の合理的思考様式とすら適合しない目的合理性の追求のみを求める思考様式。「魔導師による火攻はかくあるべきだとの一つの到達点に至った模様です。」「理論はともかく、実践は?」「陸軍演習場で試行した結果、想定に近い現象まで至りました。複数地点から調整して火攻を行えば、十分に実現し得ます。」・・・おお、神よ。何故、何故私がこのようなことを。何故、悪魔の計画書を私が命じねばならないのですか。呼び出されたので出頭してみれば、大尉の階級章を付けた情報将校が出迎えてくれた。要するに、良くないお知らせを彼が持ってきたということだろう。そう判断し、ターニャはごくごく穏当に深呼吸して悪い知らせに備える。いつでも、冷静沈着に。しかし、その思いは即座に崩れ去る。「後方地域が遮断された!?」嫌な知らせをもたらされた時、人間は良い面に気がつけるかどうかが肝心だと、私の先達は助言してくださった。以来、その助言を忠実に守りぬいている。そう、例えば今、手にしていた本物の珈琲を飲まずにいて良かった。それは噴き出すか、むせてしまうには、もったいない貴重品だ。・・・よりにもよって後方が遮断される?「はい、デグレチャフ大隊長殿。パルチザンによる蜂起であります。」「この時期にか!」明らかにパルチザンと共和国軍が示し合わせている。こんなことぐらい子供にですら想像し得だろう。帝国軍の主力が拘束されている状況で、パルチザン運動が激化?共和国がその火種に油を注がないわけがない。同時に、パルチザンが注がれた油で火遊びをしないわけがない。「はい、この時期にであります。」この事態を理解しているのだろう。報告を受け取ったデグレチャフ少佐の顔にも、何かを噛みしめるような苦渋の表情が浮かんでいる。部下の前でそうすべきでないのかもしれないが、叶うならば知らせを聞いた全ての将校が同じような表情を浮かべたに違いない。「状況は?」「駐屯していた憲兵隊や駐屯部隊の一部が辛うじて抑えるべく試みてはいますが、急速に情勢が悪化している模様です。」「まずいぞ、鎮圧できるのか?」それは、つまり最悪の事態だ。足元に火が付いたも同然。放置すれば大やけどを後方が負い、消火に手間取れば前線が抜かれる。「わかりません。ですが、即応に備えねばならないかと。」「そうだな。待機命令だ。命令あり次第動けるようにしろ。」希望的というか願望としては、落ち着いてくれというものがあった。だが、えてして落ち着くのではという希望的観測は外れる。実際、願望空しく情勢は急激に悪化。共和国軍が攻勢にでる前兆が確認され、遂に司令部は決断を迫られていた。結果、最終的には純軍事的合理性のみを追求することに至る。その事態を決定的にしてしまったのは、共和国軍増援がパルチザンに合流したという一報。ここに至って、軍は実に明快な結論に至る。譲歩し得ない一線がある以上、その保持を優先する。「空挺降下!?しまった!魔導師です。共和国が空挺作戦を!アレーヌの叛徒と合流する模様!」管制からの悲鳴。ただの武装蜂起した魔導師も含まないような叛徒であれば、鎮圧は容易だ。だが、逆に魔導師を相手とした市街戦となると、重装の歩兵師団とてとんでもない犠牲を覚悟せねばならない。なにしろ、遮蔽物と障害物にまみれて、立体的な戦域なのだ。大きな声では叫ばれないものの、市街戦こそが魔導師の本領を最も発揮し得る場であるとすらいわれている。「迎撃は?」だからこそ、魔導師が都市防衛に加わるということが持つ意味は格段に大きい。武装した暴徒ならば、集結中の予備部隊から抽出した歩兵旅団でもあれば、鎮圧しうるだろう。しかし、平地や防衛拠点での迎撃と異なり、魔導師が防衛を固めた都市攻略となると物量で蹂躙するのは効果が薄い。故に、魔導師が最も苦手とする空対空戦闘によって阻止すべきであり、そのための西方防空網が整備されているはずであった。本来ならば。「間に合わず、迂回されました!」だが、想定と異なり、帝国軍の航空艦隊はその全力をライン航空戦に充てざるを得ない状況に追い込まれていた。航空優勢を確保する以外にも残敵掃討や進撃妨害といった航空部隊の任務は少なくない。それだけに、帝国軍航空戦隊は、前線付近の制空権獲得に全力を投入し、航空優勢の確立を図った。結果、戦線を安定させることには成功していた。だが、後方地域への奇襲を妨害するにはあまりにも手薄となっていたのだ。「拙いな。このまま橋頭堡を確保されるのは避けねばならない。」「対魔導師戦ですか?よりにも寄って待ちかまえている魔導師相手にやる羽目になるとは。」そう、それなのだ。鎮圧が遅れるほど、事態は致命的に悪化するだろう。送り込まれた魔導師の規模は不明だが、少なからず抵抗を組織だったものにすると予想される。「・・・デグレチャフ少佐、直ちに長官室へ。」故に。誰かが明確に決断したのではなく状況に流された。案外、歴史とは誤算の繰り返しだ。あとがき・・・更新速度を上げようと頑張りたい次第。あと、負傷というかジャガイモは所謂「黄金の負傷」元ネタは、湾岸の時に食中毒です。いやあ、ネタが通じるって楽しいですね。今回、色々と難産ですがちょっと次回は頑張ります。次回、ドレスデンとアレーヌの共通点?お楽しみに。追伸色々とコメントでネタに応じていただきありがとうございます。励みに頑張ります。ZAP