「はははっはははっははっははっはははは!」装甲車両に乗り合わせた不運な下士官らが顔をしかめる。まあ、誰だって敵の包囲下に置かれた状況で指揮官が突然笑い出せば顔をしかめる権利くらいはあるだろう。正気を失われたらたまったものじゃないという彼らの気持ちは別段おかしなものではない。いつものロメールならば、ここで笑いを引っ込めていただろう。「いや、実に、実に愉快だ。やってくれるじゃないか、少佐!」だが、ロメールとしては笑いが止まらない事態だった。それほどに、目前で繰り広げられている光景は衝撃的だったのだ。ある程度、首輪を付けて制御できると思っていたがやはり彼女は解き放った方がよほど効果的に働く。何かを嗅ぎつけたからこそ、あんな時間帯に偵察行動をおっぱじめていた。敵の偽装を見破り、共和国軍に本隊が接敵する前に警告してくれたのはありがたいことだ。おかげで、わずかなりとも優勢な敵を相手に戦うだけの用意ができた。同時に、包囲下にない部隊が存在する事で撤退のめどがつくはず。そう考えていた自分が馬鹿馬鹿しくなるような情景だ。「まさか、まさか前に向かって後退するとは!笑うしかない。見事だ!」第203遊撃魔導大隊が、敵右翼を攻撃中という一報を受けた時は戸惑った。包囲網が完成しつつある今、はたしてどの程度の効果があるのかと。せいぜい、我々が全滅する時間を引き延ばせる程度だろう。頭の冷静な部分では、すでに壊滅を所与のものとしかけていたのだ。せいぜい、そこから逃げられれば運があるのだろう、と。だから、突然デグレチャフ少佐らが戦闘を打ち切って敵の中心部へ突撃を仕掛けたことを理解するのが遅れてしまった。右翼を叩いたのは完全に陽動だったのだ。本命は、我々が対峙している敵の主力。その大本命である敵司令部への直接攻撃こそが彼女の選択した方策だった。味方にとっては、破邪の盾として『白銀』だろう。だが、司令部にとってみれば『狂犬』そのものだ!いやはや、手綱を握らない方がよっぽど戦果を叩き出す。「いやはや。あれでは並みでは使いこなせないわけだ。」一介の野戦将校としておくには惜しすぎる才覚だ。アレが部下では、さぞ上官らはやりにくかったに違いない。自分ですら、少々持てあましかねないのだ。参謀本部が、いや、西部方面軍すら嫌々ながらも独自行動権を付託した理由がよく理解できた。敵の増援を振り切り、中央部へと斬り込んだおかげで敵は大混乱中。包囲されていたはずの帝国軍は、纏まった戦闘部隊を組織的に保持し続けたために状況を打開できるまでになっている。前に進もうと、後退しようと自由。それこそ、両翼が中央の混乱によって即座に対応しかねているのは当初の各個撃破方針を蘇らせるに足るもの。「敵左翼を叩く!機動遊撃戦だ!敵左翼を叩き、そのまま敵中央部をぶち抜くぞ!」強襲され混乱している右翼は一先ず放置。中央部はデグレチャフ少佐が混乱させている。そうであるならば、残りは左翼。現在指揮系統から孤立しているものの一番組織的戦闘力を残している左翼を叩く。咄嗟に、軽師団を後詰にすることを決断。残りの戦力を左翼にぶつけることで、包囲網の瓦解と各個撃破を図る。そうすれば、最悪でも退路は確保可能。手堅く行けば、敵の混乱に付け込むことである程度の打撃を与えることもできる。其れだけの判断を咄嗟に行えたのは、ロメール将軍の非凡さだろう。少なくとも、包囲下にあって秩序を保ったまま抵抗を維持できたことは賞賛に値する。それだけに活路を見出した彼の行動は迅速だった。「少佐に伝えろ。“自由にやれ”と。」そして、良いことなのか悪いことなのかは誰にもわからないが手綱を放り投げる。繋がれたチワワの方が、見栄えは良いだろうし可愛がられるだろう。だが、戦場では暴れ回る猟犬の方が必要なのだ。そして、彼女とその大隊は型に当てはめない方がよほど敵に災厄を撒き散らす。そうであるらしいならば、目的を達成するための手段と割り切れる。「はっ?よろしいのですか?」「あれには、自由にやらせるに限る。狩りは猟犬に任せるべきというだろう?」ロメール自身は、同数の軍団を率いてならばほとんど誰にも負けるつもりはない。それこそ、デグレチャフ少佐を相手にするのも楽だろう。だが、大隊規模の部隊運用という意味においては彼女に劣ることも理解できる。少なくとも、制御するだけ労力の無駄だということだ。彼女は、かの大隊は猟犬なのだ。餌の取り方など教えられずともやってのける。それこそ、下手にしつけて獲物が取れなくなるよりはよっぽど野放しにした方が合理的という物。「それよりも、浸透襲撃用意を急げ!共和国の砲兵が統制を取り戻す前になんとしても、取りつかせろ!」取りあえず、運用についてはおいおい考えていけばよい。それより重要なのは直近の対応策。共和国砲兵隊を潰さなければ、一方的に叩かれてしまう。「ヤー!直ちに取りかかります。」きびきびと動きだす猟兵には賞賛を。このような情勢下であろうとも、機敏な動作を行える猟兵はさすがにライン帰りだけある。定数割れしているとはいえ、戸惑わない分よっぽど役に立つ。軽師団は、まあ、慣れてくれればもう少しは使い物になるのだろう。少なくとも、戦う術を学びつつあるとは評価しても良い。「残存の砲兵をかき集めろ!背後を突かれたくない。敵中央集団に向かって撃ち込んでやれ。制限はなしだ。」「牽制目的であれば、全ての必要があるでしょうか?」「突撃には砲兵を連れていくわけにもいかん。何より、軽師団の防御支援もいる。取りかかれ。」だが、さすがに単体で防御するのは限界だろう。防御支援抜きで包囲下に置かれれば崩壊しかねない。そうなれば、突破中の全部隊が動揺する。いや、軽師団の崩壊が波及しかねないところだ。速度が重視される機動戦。砲兵隊は連れていけないとあれば、防御を最優先に考えて使うほかにない。少なくとも、砲兵隊は攻防に役立つこと間違いなしだ。撃ってよし、牽制して良し、守って良しだ。「失礼しました。直ちに。」光明が見えている。包囲下に置かれているというのに、ロメール将軍の気分は高揚していた。不思議なことに、何とかなりそうなのだ。まったく、神々がおられるとすれば奇妙なことをなさるものである。「はははははははははははははははははははははははははは!」「はははははははははははははははははははははははははは!」共和国軍司令部。本来ならば、静謐ながらも熱のこもっているべき室内は異様な空気に包まれていた。ひきつった顔の参謀らが見つめるのは、部屋の中心で空疎な大笑いを浮かべている二人の高級将校。その片方は、彼らの指揮官であるド・ルーゴ将軍である。もう片方は、ここに居並ぶ将校らの中でも最も実戦経験が豊富なビアント大佐。自分達の最高指揮官が、頼るべきベテランが突然笑い出すのだ。戦場において、これに勝る恐怖もない。狂ったのではないか?とっさに軍医を呼ぶべきかどうか参謀らは短い間ながらも深刻な葛藤を抱え込む。その周囲の様子にも関わらず、ド・ルーゴ将軍とビアント大佐は二人そろって笑い続けていた。よくよく注意深く見れば、その笑いが半ば開き直りに近いものだとわかっただろう。完全な勝利を確信した布陣だった。三方向から、包囲下に置いた帝国軍を圧迫していくだけの簡単な作戦。戦略では完全に勝っていた。「まさか、まさか戦術で戦略を覆すとは!やってくれる。」それが、完膚なきまでに粉砕されていた。戦略レベルで何ら間違っていないにもかかわらず、戦術レベルで戦略の差が覆されるのだ。理屈から言えば、ありえるはずもない事態だ。だが、現実にはお膳立てした戦局がひっくり返されてしまっている。右翼を強襲した敵連隊はその後、こちらの増援と入れ違いになる形で中央を強襲。ビアント大佐直轄の部隊が迎撃にでているが、驚くべきことに迎撃を受けた瞬間敵は後退し始めた。これによって共和国の最精鋭集団で喰い止めつつ、組織的抵抗の再編を図ろうとする試みはあっさり崩れる。敵が攻勢に出てくるならば、一部で拘束し防御しつつ本隊で帝国軍残存部隊を叩けば良かった。だが、敵が後退するとなればこちらが攻撃を行わなければならない。当然理屈は逆になる。かといって、放置するわけにもいかない。叩かれた右翼の混乱は目に余るものだし、左翼は突破を図る敵主力と激戦中。こんな戦況で敵に一個魔導連隊を自由にさせるのは許されない。そして。まさかとは思ったが。誰もが頭で一度は予想しても、否定していた事態。「敵魔導師、複数に散開!?これは、きゅ、急速反転!?」思わず、誰もが唖然としてしまう。そんなバカな、と。そんな事が可能なのか、と。「「まるで、鬼ごっこだ。」」2人が呟いた通り、躊躇いつつも迎撃にでた部隊が敵の追撃に移った瞬間だ。わずかな隊列の乱れが産み出した寸隙を帝国軍が待ち構えていたように突破する。双方が加速した結果、相対速度はほとんど交戦困難な領域。駄目で元々とばかりにこちらの魔導師が攻撃するも、ほとんどかすりもしない。「ええい、予備の部隊を出せ。追撃中の連中と合わせて挟撃しろ!」形だけ見れば。形だけならば、帝国軍の突入部隊は複数の魔導師に包囲された形になる。一見すれば、包囲殲滅は時間の問題だろう。「駄目です!早すぎます!」だが、早すぎた。予備の部隊が上がる前に、追撃中の部隊が追いつく前に奴らは目的を達するだろう。たった一人を排除するために、わざわざこんなところまで突入してくる連中だ。「対魔導師防御急げ!直撃来るぞ!」慌てふためく周囲を余所に、躊躇なくビアント大佐はド・ルーゴ将軍を退避壕へ押し込む。直後に、退避壕に飛び込めた参謀らは幸運だった。彼らが飛び込んだ退避壕で、体をどこかにぶつける直前。「・・・ッ!!!」何か声にならない警告を叫び、咄嗟に全員が身を伏せる。直後、つい先刻まで指揮所が置かれていたエリアへ魔導師による蹂躙が加えられた。対人仕様の爆裂式に散発的ながらも擲弾と50キロ爆弾による襲撃。ほとんど、完膚なきまでに指揮所を叩き潰した魔導師達はそのまま速やかに離脱を開始。懸命に追いすがる共和国軍の魔導師を退避壕から見守る司令部の前で軽やかに振り切っていく。そのほんの一瞬の出来事に、ほとんどの参謀らは唖然としてしまっていた。その数少ない例外であるビアント大佐は即座に状況の確認を行う。司令部は全壊。あの様子では、予備指揮所を使うしかないだろうと判断。「・・・ご無事ですか閣下?」「聖母の御加護だな。あと、少しずれていれば危ないところだった。」幸いにも、ド・ルーゴ閣下は退避壕に飛び込んだ際の打撲程度。まあ、飛び込んだというかビアント大佐に突っ込まれたようなものだが。それにしても、辛うじて最悪は避けられたとビアント大佐は判断する。見れば、ド・ルーゴ閣下が何かに祈るように目を瞑っていた。あの閣下が、と思わざるを得ないがそれとて無理もないだろう。なにしろ、後わずかな差で共和国軍の頭を持っていかれるところだったのだ。ラインでは未知であったために行動が遅れたが、二度目はない。「損害は?」「混乱していますが、辛うじて限定的です。撤退を?」まだ、戦える。少なくとも、次があるのだ。ここは、南方大陸。帝国の本拠地ではなく、共和国と連合王国の縄張りである。長期戦の分は決して悪くない。なればこそ。戦力の温存と敵の消耗拡大に立ちかえるべきだろう。その思いから、ド・ルーゴは損害の抑制と撤退を決断する。促されるまでもなく、戦略家としての彼はこの事態を既に受け止めて解決済みだ。「ああ、いた仕方ない。退くぞ。」会戦で戦っても勝てない。ならば、戦わなければ良いのだ。ただ、消耗戦に引き込み鑢ですりおろしてやる。ここで生き延びたという事が、すでに一つの転機なのだ。負けない。それこそが、勝利となる。「はははっ、見ましたか少佐殿?あの連中の間抜け面ときたら!」「はっはっはっ、気持ちはわかるが少々自重したまえ。」珍しく、本当に珍しいことだがターニャはご機嫌だった。ころころと年頃の子どものように笑いながら、彼女は大隊の先頭に立って愉快気に爆笑している。まあ、テンションが上がればどんな堅物でもニヤリとしたくなるというもの。「いやぁ、少佐殿をエスコートできないとは無粋なエスカルゴ共ですな。」「なに、連中が遅すぎるのさ。仕方ないでしょうな。」演算宝珠の中でも、97式は特に高度と速度に優れる。当然、襲撃して一撃離脱という保身第一主義の戦術には最適なタイプ。95式は大欠陥品だが、97式は使える。なにしろ、普段は安心安全の97式を使うほどだ。やばくなったら、色々と心の自由を泣く泣く放棄せざるを得ないが。ともかく、今回はご機嫌になるほかない。「最もだ。なにしろ、帝国のトレンドは早い。流行遅れの共和国軍人ではね。」故に、柄にもなく冗談を嘯く気にもなる。いつも、いつも神を讃える歌とやらを勝手に詠唱させる呪いと無縁でいられることの素晴らしさ!「なんにせよ、97式に乾杯だ!」「全くですな。こいつのおかげで、鴨撃ちも随分と楽になったものです。」形だけ見れば、我が大隊は大いに奮戦した。ほとんど、我が大隊だけで敵をかき回したと豪語しても良いほどだ。一個大隊で、包囲下にある友軍の包囲網を打通!敵増援を翻弄しつつ、敵主力部隊を誘引し足止め!そして、反転強襲し対地襲撃まで行った!適当に逃げ回っていただけで、実は全く戦果がでていないことも美辞麗句で飾ればこの通り。敵を避けていただけだとまずいと思い、最後に適当に対地攻撃を行ったので言い訳も完璧だ。まあ、ちょくちょく飛んでいるだけの新兵がいたのでスコア稼ぎも行ったが。しかし、正直飛べるだけのひよっこを撃墜スコアに数えるとマイナス評定が来るのでむずかしいところ。まさか、今回警戒もほとんどしていないひよっこをダース単位で我が大隊が狩りましたといっても自慢にもならんだろう。これをスコアとしてカウントすると、これまでの撃墜スコアが水増ししたのではないかと疑われかねない。きちんと、ターキーシュートのスコアですと表記しておかねば。ほら、WW2でも言うじゃないですか。東部戦線でろすけ相手のスコアと西部戦線で米英軍相手のスコアでは意味が全く違うと。「しかし、敵も執念深い。どうやら、まだ追尾されているようですが。」手元のレコードをキズものにしたくはないなぁと思いつつ、後ろを見ればどうやらやる気満々の敵兵。一瞬思案するが、さすがに送り狼を連れて離脱するのは気だるいことこの上なし。なにより、さすがに追撃で追いすがってくる部隊はやり手らしい。ほとんど加速限界で飛んでいるのに振りきれないのも、少々癪である。ストーカー規制法でも提言するべきなのだろうが、戦場にそのような規定もない以上自力救済するほかにないだろう。「よし、遊んでやろう。諸君、釣り野伏せだ。お客様を遊んでやれ!」離脱するためにも、送り狼を伏撃しておきたい。せっかく疑似シマーズ・モードなのだから、ここでも倣っておいて悪くないはず。「「「ヤー!可愛がってやりましょう!」」」大変結構なことに部下の戦意は旺盛だ。おかげで、大変難しい偽装敗走とおとり役を簡単に得られる。「フェアリー01より02及び05、諸君は囮だ。殿軍を装い、偽装敗走せよ。」まず、二個中隊で殿軍を務めさせるフリをする。ポイントは、フリだ。敵の追撃に敵わないフリをして後退。同時に、統制を乱したかのように他の部隊が逃げるフリをする。そして逃げる真似をしながら左右に散らばるのだ。後は、引き込むだけ。「残りは各個に散開。空域D-3に敵を誘導後、三方向から撃滅する。」囮の二個中隊がD‐3空域に敵を引きこんだ瞬間、逃げ惑っていたはずの全部隊が反転攻勢に出る。そうなれば、敵は袋のねずみ状態。楽して圧倒的な戦果が上がるという素敵仕様である。「はっはっはっはっ、笑いが止まらないな!」偶には、楽もしてみるものだ。これからも、こんな感じであれば楽なのだが。とある次元、とある存在領域。そこである存在が、歓喜に震えていた。「ふっふっふっ。素晴らしい!」喜びのあまりに、思わず主の栄光を讃えかねない程だ。最も、ここにはそれを咎めるよりも同調しそうな存在しかいないのだが。「智天使様。いかがされました?」「おお、大天使か。聖務御苦労。いや、良い勢いで信心が高まっておってな。」素晴らしい知らせだ。そう言わんばかりの智天使。そして、当然のように微笑みを浮かべる大天使もそれに賛意を表す。当たり前のことを、当たり前のように言祝ぐ。「それは、よろこばしいことですな。しかし、妙ですな。はて?」だが、同時に大天使は疑義を顔に浮かべる。しばし前に、自分が聞き及んでいた事と違うような気がしたからだ。彼らは、全なる神の前には等しく、職務に関する上下以外は比較的寛容である。其れゆえに、上役の言葉にもふと疑義を呈する事は許されているのだ。「おや、どうかしたのかね?」当然、智天使は丁寧に善き意図で持って疑問に答えようと声を優しくかけた。彼にしてみれば、共に主の栄光のために戦うものに力を添えるのは善なる行いである。「かの世界には無神論者なる邪悪がはびこっていると聞きますが。」「はて?わたしの 管轄はそのようなことはないのだが。どなたか、御存じか?」だが、大天使の口からこぼれ出てきた言葉は彼にとってみれば聞き覚えのない事柄だった。彼の担当するエリアでは、人々は確実に神の存在を感じ始めている。そう、みな敬虔に神の声に縋ろうと熱心に願っているのだ。謙虚な信徒たちを守り、導くことこそ喜びである智天使にとってこれほど喜ばしいこともない。なればこそ、喜びで笑みを浮かべるに至ったほどだ。無神論者なる連中の跳躍跋扈など耳にするだけで、秀麗な顔に影が差す。自分の管理下にそのようなことがあれば、それは大いなる憂いに他ならないだろう。故に。完全に善意と義務感から、訊ねるのだ。誰か、そのような問題に直面しているものがいれば手を差し伸べねばと。「ああ、お恥ずかしい限りだが其れは私の管轄だ。」そして、当然ながら彼らは不都合を隠し立てするよりも共に解決する事を望む。なにしろ、導き手としてそのものたちは義務を負っている。喜びとともに、誘う事こそが存在意義であるのだ。それを怠る輩は、堕落した邪悪にして救いのない存在と見なすほかにない。だから、助力の申し出が歓迎されたことは当然。しかし、その問題を抱えている管理担当に思わず居並ぶ存在が驚くことになってしまう。「熾天使様に導かれた者達がでありますか!?一体、何事が。」最も、最も父なる存在に近侍するはずの熾天使。その導きが人々に及ばなくなっているというのだ。信仰に厚く、父なる神の信頼も厚い熾天使の導き。其れで持ってしても、救えないとなれば困惑せざるを得ないだろう。「ああ、嘆かわしいことに彼奴らめ、信仰を捨てるどころか冒涜しつつあるのだ。」冒涜とはいかに?基本的に、寛容というよりは個々の羊たちに無関心なまでの存在達。それが、集団としての無神論者に直面するばかりか冒涜とまで断じられるような行為が報告される?全体に広がるのが、良くわからないなという感じの疑問であった。「ありうべからざることなのだがな。統治者を神格化しようという不届きな動きすら見られるとのことだ。」だが、口にするのもおぞましいとばかりに熾天使が吐き捨てた言葉がその疑念を吹き飛ばす。一瞬のうちに静まり返り、一呼吸おいてその言葉の意味が染み渡ると驚愕が生まれる。「恐れを知らぬにも程がありましょう!一体、どのような輩がそのようなことを!?」「口にするのもけがらわしいが、神を阿片と片付ける輩らしい。」しぶしぶ、という形で補足される説明。よりにも寄って、世界の根源がけがらわしいものとされるのだ。あまつさえ、父なる神に取って代わろうとする不逞の輩。過去に堕落した存在ですら考えつかなかったおぞましい行為に他ならない。「なんですと!?おぞましいにも程がありましょう!」それは、ほとんど総意。言葉にされない思いは、唯一つ。“いったい、どうしてこんなことに?”「まったく、上手くいかないものですな。」思わず、智天使が溜息を漏らしつつ歎く。いや、それはここに居合わせる全ての総意でもあった。そこには、つい先刻喜びに満ち溢れていたのが嘘のように悲哀に満ちている。「世界の半分は、救いを求める子羊で満ち溢れつつあるというのに。」ようやく、神の声を信徒に届けることができようかというのにだ。「残り半分は無神論なる邪悪に落ちているとは。」世界の半分が闇に落ちていては福音も届かないとは!「・・・信じられません。世界の半分を無神論が覆い尽くすなどありえるのですか?」同時に、大天使や他の天使らから溜息のような疑問が吐き出される。本当に、本当に、本当に考えられない事態。まだ、個人がそのような狂気にとらわれるという事はヒトの歴史にも例がある。そのような個別の事例については、基本的に大事ないというのがこれまでの方針であった。なにしろ、集団に対する関心とは裏腹に個々に対してはほとんど無関心なのだ。だが、同時に集団で狂ったような事態になれば憂うのも事実。なにしろ、ほとんど過去に例のない事態だ。新しい信仰の形式や信仰心の低減ということであればいくらでも例がある。それに対応してきた経験も豊富だ。しかし、このような事例は過去にはなかったし想定されてもいない。「確かに、奇妙なことではあるが。やれやれ、どうしたものだろう。」とはいえ、歎くだけで行動を怠るわけにもいかないと知恵が絞られる。「信心の回復ということであれば、例の個体を遣わすのはどうか?」完全なる善意から、導き出された結論は信心の回復という既定のソレ。手段については、智天使がこれまで成果の出つつある方法を取ってみることを提案し受け入れられる。「なるほど、神のしもべとして戦う栄誉を与えれば、あの者も回心いたしましょう。」なにしろ、個々の事例に無関心である存在達が注視している個があるのだ。それによって、実際に人々の信心が高まっているというのは行ってみる価値があると判ずるには十分すぎる。加えて、善意があった。その者に、神の栄光のために戦う事を与えるのは完全な善意から提言されているのだ。神の加護と栄誉を理解できない光を忘れた羊を回心させてやらねば。と。「では、その方向で。詳細は?」それは、もろ手を挙げて歓迎される意見。個の言い分など、そもそも聞く耳を持たない以前に聞く必要性が何処からも指摘されない。いや、それは視点が違うからだろうか。人間とて、人間以外の意見にはほとんど耳を傾けないのだから。「座天使様にお願いするのはいかがでしょうか?」「よろしい。主には私から申し上げよう。」故に、反論すら提出されずに事は決する。あとがき初めに心やさしい、教皇特使アルノー・アモーリの言葉を思い出してみてください。神への溢れんばかりの信仰心は、きっとあなたの心の安らぎをもたらしてくれると思います。である以上、笑顔が大切です。\(^▽^)/ヾ(=^▽^=)ノ\(o⌒∇⌒o)/本作は、皆笑顔で幸せです!「市民、貴方は幸せですか?」※誤字修正こんどのはもっとうまくやってくれるでしょう。※誤字再修正こんどこそ、もっとうまくやってくれるでしょう。