ごきげんよう。親愛なる帝国臣民の皆さま。小官は、現在ルージエンフ突出部における作戦行動に従事中であります。遺憾ながら、軍務多忙につき御挨拶を正式に申し上げることが叶いません。軍事行動の詳細につきましては、後ほど軍の広報官より正式な発表があるまでお待ちください。メッセージがある方は、従兵までお申し付けください。軍務とはいえ、不在の御無礼をいたします事をここにお詫び申し上げます。サラマンダー戦闘団、戦闘団長、ターニャ・デグレチャフ魔導中佐一瞬途絶した意識が目覚めたのは、神経の焼けるような刺激が原因だった。訳の分からない感覚。久しく忘れていた感覚。衝撃波にシェイクされ廻りかけた頭がその刺激を何とか理解しようと努め、結果それが知覚される。それは、とてもなじみ深いモノ。それは、痛み。痛みを自覚した瞬間に、痛みが痛みと頭と体で理解される。そう、痛みだ。痛い。肩がズキズキと痛む。わずかに、痛みが去ったかと思えば鈍痛がぶり返す。痛い。痛い。辛うじて、意識は保っているが痛みで思考に靄がかかる。頭が回らない。ここはどこだ?戦場だ。痛い。痛い。痛い。キリキリと締め上げられている。痛覚が、ぎりぎりと理不尽な痛みを神経越しに断続的に送ってよこす。何をしている?飛んでいる。敵陣地へ向かって、飛んでいる。痛い。痛い。痛い。痛い。痛みで朦朧とした頭に浮かぶのは、簡潔な疑問。どうして、こんなに痛いのだろうか?簡単だ。右肩が吹っ飛んでいる。そこから、色々なものがだらだらと流れているのだ。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。どうして、私の肩はえぐられているのだろうか?そこまで考えて、痛みで意識が飛びかける。動かすだけで、意識が飛びそうになるが如何せん魔導師は丈夫らしい。咄嗟に、治療用の術式を全力で展開。ほとんど、条件反射で痛み止めを精製、投入。望ましくはないものの、飛行術式を乱すわけにはいかない。そのまま止血と増血のために術式を並列起動しつつ、傷口を強制的に縫合。肉がえぐられる痛みが徐々に消え失せてくることを実感しつつ、縫合を完了。今更ながら、右腕の感覚がマヒしていることに気が付く。どこか、他人事じみたような頭でそれを自覚。同時に遅まきながら、隊列後方のグランツ中尉がこちらの異変に気づいたらしい。混乱を広げないように。それを考えたのはほとんど、条件反射だった。だが、近づいてこようとする彼を手で制止しようとしてようやく右手が動かなくなっていることを実感する。神経がやられているのか、痛みで麻痺しているのか。ともかく、片手では非力なこの身がさらに非力になってしまう。そのことは、処理能力が混乱して低迷している頭でも取りあえず理解できた。右手が使えないのは、困るなぁ。神経からの情報に混乱した脳で、漠然と浮かんだ思いがそれだ。まあ、動かせるようにすればいいのだろうと即断。そして、なんとなく右手を動かすために魔力でラインを形成していた。疑似神経じみたものをわずかな間に造り出し、それを現世で自身の右肩へ固定化させる。笑いたくなるほど、単純なことだが、ライン越しに伝わってくる痛みで、つながったことを確認。ハンドサインで大事ないことを示し、突撃継続を命じる。じくじくと痛みが残る肩。コミーに傷つけられたということが、今更ながらに理解できる。ログを見れば、徹甲弾の直撃。それも152ミリ以上のソレだ。防御膜や防殻がごっそり持っていかれている。かすめただけで済んだのは、ほとんど奇跡の類だろう。我が身の幸運を噛みしめつつ、ターニャは世界のありとあらゆる超常的な存在とやらが同じ痛みを共有することを望む。苦しみを独占するのは、本意ではない。同時に、朦朧としつつある頭で軍の命令を再確認。『攻勢に出てきた敵軍集団を包囲、後殲滅。敵余剰戦力を全滅させよ』思えば、命令だった。気乗りしなかった上の殲滅命令だが、此処に至っては躊躇する気も湧いてこない。殺し合いなのだ。そうだ、殺し合いだ。ここは戦争がある世界なのだ。世界は、平和では断じてない。ルールが違うのだ。殺さなければ、殺されてしまう。躊躇していることは許されない。まず殺そう。それから、考えても遅くはない。「まず、念のために刺せ。死体に見えても油断するな。銃剣で突き刺して、反応を確認しろ。」荒れ果てた戦場の跡地。つい先刻まで、懸命な抗戦が行われていた陣地。ところどころ、泥と血と何かがぐちゃぐちゃに火力によってブレンドされた大地。いや、蹂躙されたのだ。悪鬼羅刹ですら、裸足で逃げ出すような魔女の手によって。情け容赦なく、人間としてではなく駆逐されるべき何かとして追い立てられながら。「手間であっても、足を使うな。銃剣かシャベルを使え。」大破した野戦砲が設置されている陣地。あるいは、被弾して、故障して放棄された装甲車両の陰には物言わぬ屍が累々と横たわっている。そこに乗り込んだデグレチャフ中佐の第一声は、百戦錬磨を自負する降下猟兵らですら肝が竦むほど現実的だった。いや、狂気の世界に入り込んでいたというべきだろう。わずかな生き残りすら許すつもりのない言動が物語るのは、ただ一刻も早い殲滅を願うという事。そして、眼前にて示されている世界は暴威の痕跡だ。これらが、これらが全て目の前で仁王立ちする中佐殿によるもの。軍服をどす黒く染めつつ、平然と戦い続ける魔導師。熟練の軍医が処置なしとさじを投げる重傷だったにもかかわらず、敵を殺し続けた戦闘狂。「制圧が完了次第、攻勢を再開する予定だ。時間をかけるな。手早くやれ。」泥濘をかき分けて進軍する装甲部隊をバックにデグレチャフ中佐はハッパを飛ばす。とにかく、手早くやれと撃たれた筈の右手を振ってだ。同時に、必要最小限度の用意も怠りなく手配。自走砲部隊は、すでに間接射撃を再開し直掩を除いて魔導師は先行して戦果を拡大中。潰走する連邦軍の背中に鉛玉を馳走していた。降下猟兵らにとっては、信じがたいことの連続だ。戦闘団へ配置され、初日に行われた教導以来魔導師連中の異常さは知っているつもりだった。だが、現実は遥かにそれを乖離している。デグレチャフ中佐殿からして、人間離れしているとしかいうほかにない。『本部より、サラマンダー戦闘団。左翼を第七師団が制圧中。』『サラマンダー01、感度良好。右翼敵殿軍を粉砕。繰り返す、右翼敵殿軍を粉砕。』侵入してきた敵軍の包囲せん滅作戦。その先鋒を担うサラマンダー戦闘団に課せられた任務は左翼突破部隊とのコンタクト形成。早い話が、右翼をぶち抜き左翼をぶち抜いてくる第七師団と合流、その後包囲形成任務という事だ。当然、本来であれば第七師団の突破成功によって敵防衛線を動揺させしめた後に戦力の劣る戦闘団が支援を受けて打通すべきものだろう。だが、デグレチャフ中佐は第七師団に遅れることを拒否した。「・・・戦闘団諸君、命令である以上諸君に抗命は許可されない。軍人である己を恨め。」それは、それは素晴らしい笑顔。作戦開始直前に中佐殿は可憐な笑顔を浮かべておられた。我々、降下猟兵にとっては地獄への誘いそのものに思えてならない微笑み。そして魔導師達も嗤っていた。最悪の戦場へ突撃させられるというのに、平然と笑って応じる魔導師達。「打通作戦だ。第七師団に寸土でも遅れをとれば抗命と見なす。なんとしても、なんとしても先に到達せよ。」思わず、降下猟兵どころか戦車兵ですら躊躇するような峻烈な命令。それどころか、中佐殿は黙りこくった部隊を一瞥すると指揮杖で地図を叩きつけた。押し付けられた指揮杖の先が示すのは会合予定地点。誰もがその地点を注視した時、指揮棒はゆっくりと街道沿いに動き始める。「諸君、会合地点で第七師団と合流。包囲は奴らにやらせろ。我々は殲滅戦だ。撃ち漏らしを出すなよ。」「た、単独で、でありますか?」「もちろんだ。」そして、面白くもなさそうに地図を一瞥すると地図の会合予定地点を再び指し示す。後は、議論ではなく行動が求められていた。誰もが不安げに行動する中、彼女の古参大隊はただ迅速に展開を開始。いや、いつもの如く理不尽に猛威を発揮していたというべきか。そして、今に至っている。直面した連邦軍による迎撃。なるほど敵部隊の抵抗は、まさに強烈の一言につきる規模だった。機械化された連邦軍の機動力は決して低くはなく、かつ火力に至っては相当充実していたほど。最近、情報部から警告が出されていた連装ロケット砲による面制圧火力は驚嘆に値した。対して、我が方の火砲は自走砲が辛うじて展開できた程度。あの中佐殿をして、防殻を撃ち抜かれるほどの密度と火力が構築されていた。152㎜だ。いやはや、かすめただけとはいえ人間が152㎜とぶつかったのだ。まともな人間ならば、当たっていれば死んでおくべきだろう。ところが、中佐殿はそれをさして気にもすることなく突撃を継続されていた。そうして、今凱歌を上げているのは我ら帝国軍。奮闘むなしく、連邦軍は粉砕され、蹂躙され蹴散らされている。全ては、面制圧を無視して魔導師による強行突破が敢行されたことが契機だった。増強一個魔導大隊による浸透強襲。個々が一個の生命体の様に浸透した魔導師による敵火力陣地蹂躙。被弾したとわからないほど、平然と突撃を率いた中佐殿が接敵して事が決した。たった、一瞬の出来事。連邦軍は、瞬きの間にその火力による援護を喪失。後は内側に入り込んで暴威をふるう魔導師らに混乱し降下猟兵が機甲部隊と進撃。混乱しきった敵兵は、あっけなく蹂躙される。戦闘は、いや、戦闘と形容された一方的な殺戮はあっけないほど簡単にそれで為された。『サラマンダー01より、本部。打通に成功。繰り返す、打通に成功。現在、敵残存戦力を掃討中。』通信要員ならば、きっと交信先の相手が浮かべているであろう困惑の表情を鏡に見たことがあるだろう。友軍の師団が突破に手間取っているという時に、戦闘団はあっさりと敵部隊の抵抗を粉砕。残敵掃討中と言われて、素直に飲み込むには、やはり衝撃が大きすぎるのだ。『ほ、本部了解。第七師団を援護可能か?』『魔導師のみならば、再編が完了済みで可能だ。』半信半疑という声に対するデグレチャフ中佐殿の解答は明瞭だ。誤解の余地が無いほどに、明瞭だ。まるで、彼女は今日の天気について語るように平然と信じがたいことを淡々となさる。それどころか、いや、おそらく。それを、当然であるとしか見なしていない。『り、了解した。敵魔導師部隊が抵抗の核となっている。これを諸君には担当してもらいたい。』『結構だ。直ちに、排除する。』B集団司令部を司るエルンスト・ウィルヘルム上級大将は、その日晴れやかな気分で朝を迎えていた。なるほど、ルージエンフ突出部への増強という決断は苦渋の末に下したもの。決して軽々しく行えるものではなかった。だが、少なくとも突出部へ挑んできた連邦軍は待ちかまえていた帝国軍に完全に包囲されている。支援行動を命じられた第四軍団のヴィクトール・フォン・シュラー大将ですら、この地で敵予備戦力を拘束し得たと判断するほど。つまり、東方派が夢に見た敵予備兵力の完全拘束という状態が達成し得ている。「勝ちましたな。」「・・・ああ、ようやくな。」誰ともなしに呟かれた言葉。参謀らの誰もが、連日眠れない夜を過ごし事態に一喜一憂していただけにとりわけ実感が込められている。ウィルヘルム上級大将自身、肩の重荷がようやくおりたという気分である。中央からは、さんざん危惧が表明された上に東方派自身も決して一枚岩ではなかった。決戦候補地を巡っては、激戦の続くヨセフグラードと不穏な動向のルージエンフ突出部で誰もが悩んだ。だが、やはり読み切れたという喜びが司令部には充満していた。戦前に情報部が予想した以上の敵部隊を既に包囲下に置き締め上げているところなのだ。あと、敵の組織的な抵抗は既に崩壊しているとの報告も入り始め参謀らの緊張も解きほぐれ始めた。少しだけ、時間がかかってしまうのだろう。しかし、何れにしても敵部隊の降伏は時間の問題に思われている。そんな時だった。「閣下、第七師団のヴェルゲルン少将より緊急であります。」「何?こんな時にか?」険しい顔をした通信将校が、声を潜めてウィルヘルム上級大将へ耳打ちしてきた。明らかに、重大事が起きたことを物語る表情と緊張。それらをウィルヘルム上級大将は瞬時に察知し周りの参謀らが訝しむ間も与えずに、さっと通信室へ抜け出した。「こちらです。」辛うじて確保されている有線による通信回線。受話器を握ったウィルヘルムの耳にはすぐに声が飛び込んでくる。あの豪胆なヴェルゲルン少将らしからぬ動揺した声。『閣下、今すぐに戦闘団を止めてください!連中、殲滅戦を行うつもりです!』『何だと?どういうことだ。』すでに、連邦軍主力の残存は重包囲下にある。連中にできる事と言えば、せいぜい白旗を上げるか全滅するまで撃たれるかのどちらか。まあ、つまり連中にできることはさっさと降伏する決断を誰が下すかだろう。そんな情勢下だ。すでに、帝国軍の各部隊は進軍を停止し相手方の動向を伺うように進撃停止命令が出されている。『連中は停戦命令を受諾していません!それどころか、魔導師部隊が殲滅に出ています!』だが、最も難しい任務である打通を完遂したヴェルゲルン少将は信じがたい光景が目前に広げられていた。困難な打通を援護してくれたサラマンダー戦闘団。確かに、その戦闘力は参謀本部中枢が評価するように圧倒的だった。まさに、戦場の神とすら形容し得た。だが、突破支援への感謝は即座に戸惑いと困惑にとって代わる。第七師団にとって、事態はほとんど理解しがたいモノでしかない。悪夢と形容してもよいだろう。『・・・すぐに引き戻せ。包囲した連邦軍の降伏は時間の問題なのだぞ。』『駄目です、我々の要請ではまったく受け付けません!』打通を祝い共に進軍していたのはごくわずかだった。進撃停止命令が下った瞬間、デグレチャフ中佐は即座に独自行動権を発動。咄嗟に制しようとする第七師団に対しては指揮系統というごく真っ当な理屈で持ってこれを拒絶。ヴェルゲルン少将の勧告も、戦闘団長はあっさりと謝絶。彼女は、しかめっ面を浮かべながら“敵は速やかに排除されねばなりません”とだけ呟き部隊を進めてしまう。それを見送る間もなく、ヴェルゲルン少将は確保されたばかりの有線に飛び付き司令部へコール。かくして、ようやく事態は司令部の知るところとなったのだった。『戦闘団司令部を呼び出せ!今すぐだ!』思わず、怒声をあげる上級大将の声に慌てた通信兵がかつてない速度で戦闘団へコール。早く出てくれと願う通信兵の内心を天が汲みとったのか、わずかな呼び出し時間で戦闘団司令部とコネクト。わずかな符牒のやり取りの後に、通信兵らは面倒事を上官らに押し付けることを決断する。『繋がりました、デグレチャフ中佐です。』そういって、受話器を渡すなり極力目立たないようにと隅へ移動。正直、戦地にある野戦指揮官と怒り狂った将軍の論争になど誰だって巻き込まれたくはないだろう。直接怒りが向けられるわけではないにしても、通信兵らも巻き添えは御免だった。そして、その退避行動が賢明であったことが次の瞬間に早々と証明される。『中佐、直ちに全ての戦闘行動を中止しろ!停戦交渉が行われるのだぞ!?』開口早々、ウィルヘルム上級大将の口から飛び出る怒声。並みの佐官ならば、将軍から怒りに満ちた叱責を受けるだけで肝が冷えることだろう。加えて。加えて、今のウィルヘルム上級大将は怒りのあまり受話器を握りしめる手が痙攣しかけている程なのだ。傍にいる通信兵らがおっかないと思うほどの怒りを向けられれば、生半可な佐官程度では肝をつぶすに違いない。実際、通信室の雰囲気は張りつめきっている。『閣下、失礼ながら誰と停戦交渉を行うおつもりであられますか?』だが、その怒りの矛先を向けられた佐官は平然とした口調そのもの。まるで、日常で単なる会話を楽しんでいるのではないかと思えるほど平然としたそれ。大凡、戦地で暴れている士官の声とは思えないほど、日常の会話そのものの口調だった。『・・・敵軍の指揮官とだ。』それ故に、あまりの違和感に誰もが戸惑う。一瞬、怒り狂っていたウィルヘルム上級大将らですら気勢を削がれる思いに駆られる程だ。もちろん、進軍停止命令に関して問い詰めようという思いはある。だが、彼らにしてもあまりの平然と語る中佐の声に怒りよりも戸惑いを覚えてしまった。・・・なんだこれは?と。だから。次の瞬間に放たれる言葉は、瞬時に意味を理解しえなかった。『すでに、排除済みでありますが。』『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだと?』口にできたのは、意味のない疑問。いや、精神の均衡を保つために取りあえず口から吐き出されたというのが正しい。排除済みとは何か?排除済みとは、つまり排除したということか?『司令部ごと爆殺いたしました。取り逃しを現在掃討中です。』誤解の余地のない言葉。では、通信機越しに先ほどから響いている爆音は紛れもなく交戦音かと誰もが理解できる。掃討中と言ってのけたのだ。要するに、司令部を吹き飛ばして生き残りを刈り取っているのだろう。『・・・貴様らは、貴様は、何をしているのだ?』『はっ。御命令通り、包囲後殲滅戦に移行しております!』よくぞ聞いてくれたとばかりに、声に張りが出てくることに誰もが信じられない思いだった。敵軍の包囲に成功し、降伏させるばかりかと思ったところへの殲滅戦。誰もが、誰もが想定していない作戦行動を当然視する狂犬。『中佐、貴様は何を言っている?』『はっ、敵軍を包囲後各部隊は迅速かつ速やかに敵残存戦力を無力化せよとの軍令を遂行中であります。』・・・確かに、軍令はそうなっている。だが、敵残存戦力の無力化とは何か?『直ちに戦闘行動を停止せよ!』恐るべき事態。誰だって、ここまでくればこの狂犬が言わんとするところが理解できる。ライン帰りの狂犬め。南方大陸で一層血の味を覚えた狂犬め。『そのような御命令は、軍令に違反いたします。迅速かつ速やかに排除すべきであります。』いや、壊れた精密機械か?平然と軍令に忠実なだけだと主張してのけるこれはどこかおかしい。確かに、戦闘団は参謀本部直轄だ。なるほど、戦闘団の任務は参謀本部の発令した計画による。嫌々とはいえ、正式な命令が発令されれば誰でも従う。そこまで考えて、一つ理解できる事があった。なるほど、命令だった。疑問の余地なく、理屈では奴に理がある。だが、だから何だというのか?つまり、優先されるべき命令がそうだからという理由によって。『中佐、貴様はまさか、迅速かつ速やかに皆殺しにせよとでもいうのかね?』『・・・失礼ながら、小官の任務は字句解釈にはありません。発せられた命令に従うのみであります。』暗に否定しないところに、この化け物の本意があるのは明白。いや、あまりにも明白すぎて自明のことを語っているかのようですらある。一体誰がこんな凶暴すぎる狂犬を野に放ったのだ?罵る言葉か。叱責の言葉か。それとも、解任の言葉か。ともかく、何かを激怒に駆られたウィルヘルムが口にしかけた時。血相を変えた通信兵の怒号によって口から零れかけたソレがかき消されることになった。本来であれば、こんな場に割って入ることなど誰だって考えもしない。だから、叱責しようと通信兵を睨みつけた全員が顔面を蒼白にして叫ぶ通信兵を直視していた。だが、彼はその全ての視線に気がつかないほどに動顛し悲鳴の様な声で叫んだ。「ヨセフグラード駐留部隊より緊急!想定をはるかに上回る大規模な敵部隊による攻勢を受けています!」言葉の尽きる思いとは、このことだろう。≪外伝≫それは、数年前のこと。最後の平穏な日々の物語。少尉候補生なる使い物にならないお荷物を背負わされるのは、何処の部隊でもお断りだ。新任少尉が現場の事を何も知らないボンボンになるのも困るので、現地研修自体は支持されているとしても。世の中というのは、総論賛成、各論反対というのが基本である。誰だって、自分の隊に未熟な厄介者を抱え込みたいとは思わないだろう。いや、まして緊張が緩められない国境線ともなれば!列強の利益が複雑に錯綜する国境線というのは、それだけで現地部隊の対応に求められる要素が格段に跳ねあがる。係争地域の国境線ともなれば、駐留する陸軍部隊の指揮官らはそれだけ気を使わざるを得ない。そんなところに、何をすべきでないのか、これすらも理解できていない士官候補生を受け入れろと言われれば?堪ったものじゃないというのが、嘘偽らざる本音だ。だが、なんだかんだと現地部隊は嫌がりながらも最終的には受け入れてきた。そこにある理由は結局必要だと理解しているからに他ならない。厄介事だとはいえ、誰もが士官に必要な経験だと渋々ではあるが認めているからである。当然、国境警備研修を受け入れる部隊の選定は中央が念入りに行う。関係者ならば、誰だろうとも受入部隊については一定の配慮を行うのは常識といえる。たいていの場合、ある程度緊張していても小康状態にある国境警備隊からローテーションで選出。新人研修中は、部隊の負担が過大にならないようにやや後方に配置されなおすことまでやっている。とまあ、これほどまでに本来ならば様々な措置が施されるべきものが国境警備研修である。だから。だからこそというべきか。「・・・・・・・・・何だと?」ヴァルコフ准将は唖然とした表情で中央から臨時に配属されてくる研修生の資料を放り出した。いや、ほかにどうしろというのだろう。御歳9歳にお成り遊ばす士官候補生を配属するという通知。それもよりにもよって、小規模な国境紛争が頻発しているヴァルコフ准将の旅団にだ。配属を考えた奴らは、どこかおかしいとしか思えない。取りあえず、馬鹿な真似はやめろと散々中央へ吠えてみたが何とも驚いたことに人事は撤回されなかった。それどころか、『野戦将校として使用に耐えうる』という中央のお墨付きすら飛んでくる始末。どうにかしようと思っているうちに、何故か眼の前には随分と小柄な軍服を着こんだ人影が立っていた。「デグレチャフ少尉候補生、ただ今着任いたしました。」「ヴァルコフ准将である。貴官の着任を歓迎しよう。」その時、准将は素直に考えを決めた。魔導師としてのキャリアを考えれば、後方に温存して出さないのが一番だろう。だが、上の連中がこの娘を戦地に投じるというならばいっそのこと軍人として不適格であると証明してやるほうが良いに違いない、と。「少尉候補生、貴官は隊附だ。つまり、率いる部隊は通常ない。」そう、大抵は経験させるという事に留まるものだ。現場の感覚をつかませて、それをもとに何とかまだマシと皆が我慢できる程度の新任少尉を造るための工程である。だが、そもそも9歳児に軍務を経験させようという方がどうかしているのだ。ならば、早々にその事実を突きつけてやるのが大人の道理というもの。そう判断してヴァルコフ准将は敢えて厳しい対応を選んだ。「だが、国境での小競り合いで将校の抜けた小隊がある。」野戦帰りの長距離偵察小隊に将校の欠員がちょうど出ていた。普通ならば、まともに考えて叩き上げの少尉かよほど資質のある若手でもない限り任せられないような部隊。だが、穏便に潰すのであればこれほど適した部隊もないだろう。「長偵の小隊を2ヶ月預けよう。これを2ヶ月指揮したまえ。」少々酷だろうが、まあ、結局は彼女のためにはこれが一番だろう。そうヴァルコフ准将が判断したのは、基本的に善意からだった。さすがに、こんな幼い娘のような軍人を前線に放り込むほど彼は良識が乏しいわけはない。だから、手荒い歓迎を受けてすぐに帰るだろうと、そう思っていたのだ。ちょっと、脅してお家に帰らせろとの御意向だ。そんなことを、中隊長殿に仰せつかったベルグン軍曹は正直気乗りしない事この上ない気分だった。全員が、よかれと思っているのだろうが子供を泣かせるのまで隊付き軍曹の仕事と誰が考えたのだろう?新兵をしごいて、教育し直すのは得意でも子供の教育は保育士にでも頼みたい気分だった。なにしろ、名目とはいえあの不幸な少尉候補生が与えられるのはつい先ほどまで実戦下にあった長距離偵察部隊。気が荒れているだろうと、誰でも予想ができるところに補充要員が追いつかず劣悪な要員が臨時で配属されているはずだ。抗命の処罰歴があるような、札付きの問題がある兵らを分隊規模とはいえ補充しているというのは気がかりな事実。つまり、中隊長殿のご配慮としては少尉候補生をつまみだしつつ、問題のある兵隊もついでにつまみだしたいという腹。そこまでは、わかるが要するにその実行者となるのは自分なのだ。「第346長距離偵察中隊付き、ベルグン軍曹であります。少尉候補生殿の補佐を中隊長殿より命じられております。」せいぜい、歓迎していないという表情で敬礼しつつ、どうにも嫌な任務だと心中愚痴をこぼしても無理はないだろう。「結構。よろしく頼む軍曹。貴様が小隊の最先任か?」「はっ、その通りであります少尉候補生殿。」随分と、年齢不相応なしゃべり方をするとは思う。とはいえ、くりくりした青い瞳で前線をみるよりも絵本でも読んでいればよい。要するに子供だ。「よろしく頼む。では、仕事の話だ。今後の予定は?」少しは、気張っているのだろう。あるいは、早熟さゆえに中央の誰かが使い物になるのではないかと言いだしたに違いない。元々、魔導師は早熟な傾向があるというのもあるのだろう。どう考えても、9歳児で採用するのが適切だとはベルグン軍曹には思えないとしてもだ。とはいえ、あまり長居させて脅かし続けるつもりもない。さっさと、無理だと悟らせて帰らせようというのが中隊長の意向であり、さらにいえば准将閣下の御意向らしい。「はっ、夜間定時哨戒任務が1800より、明朝0600まで予定されております。」「・・・随分と長いな。それも匪賊が徘徊する係争地域でか?」しょっぱなから、通常ならば躊躇するような規模での演習命令が出されている。匪賊がうようよ徘徊する危険地域、それも係争地域だ。何かあったとしても、大規模な戦力は紛争の拡大につながりかねないので早々動かし得ない地域である。何かあっても現地部隊は通常自力で対応しなければならないだろう。「夜間長距離行軍演習を兼ねており、中隊本部の命令であります。」「そうか、命令か。」「はっ、命令であります。いかがされますか?」暗に、怖いなら参加を見送ってはどうだろうかと示唆。これに乗れば、そのまま戦意不足と能力不足で穏便にお帰り願う。無理をしてついてくれば、適度に脅しあげて肝をつぶさせるという計画だった。「軍曹、貴様は馬鹿か?いかがされるとは、どういう意味だ?」だが、ベルグン軍曹はどうにも困惑する事になる。「は、・・・その。」「侮ってもらっては困るな軍曹。私は、これでも軍人だ。」そう口にしてにやりと笑う少尉候補生殿。少しは、根性がある。そう思ったが、すぐにベルグン軍曹は自分が見誤っていた事に気がつかされることになる。初めて会った時、うっかり見かけで誤解していた。そう、気が付いた時、ちょっとおやっと思っていたが誤りだったと理解する。それは、夜間行軍演習中に下士官のいうところの『ちょっとした問題』が起きた時だった。「・・・暴発事故だな。いや、実に不幸な事故だ。」なんともはやと言わん表情で立ち尽くす少尉候補生殿。だが、ベルグン軍曹は見ていた。見てしまったのだ。「候補生殿!?」なるほど、札付きの問題兵らが反抗して隊内の喧嘩沙汰で銃を取ろうとしたのは理解できる。それを、抑えるために将校が力を行使するのもまた不文律ながら認められてきた。「事故だ。」「し、しかし。」「整備中に弾を抜き忘れたのだろう。不注意な奴らだ。」だが、騒ぎを起こした馬鹿が銃に手を伸ばした瞬間には撃たれていた。つまり、少尉候補生殿は端から騒ぎを起こす馬鹿には眼を付けていたのだ。この闇の中で、初めての前線だというのに?こんな、こんな小さな子供が?まだ、背の小さい野戦将校だと言ってもらった方がよほど信憑性があるというものだ。あとがき師走というけど、12月の忙しさは殺人級(´・ω・`)意地と気合で更新して見せる!と言いたいけど、何処までできるか・・・。土曜までのデスマーチを生き残れば、生き残れればorzいや、月曜が本場ですが。とまあ、こんな感じで世界中に愛好者の多いデスマーチです。神様、一日はどうして24時間なのでしょうか?クリスマス以降には時間できるかもしれないのだけど。タブンちょっと次回予定は不明⇒そういうわけで、ご希望のあった国境研修時代を外伝として追加しました。いや、実は書きかけで結局放置していた奴をごちゃごちゃといじっただけなので、余裕ができ次第ちょっと手直しするかもしれません。誤字修正もやりました。あと、コメントに感謝を。ZAP