デグレチャフ中佐にとって、その日はリスク分散の重要性と賢明な先物買いを実感できる一日だった。イルドア方面での制圧戦を経て南方大陸に転戦。合州国軍の火力と国力を存分に見せつけられて帰国したのがつい先日。参謀本部へ出頭してみれば、いつの間にか雰囲気が一変していた。・・・人事特有の嗅覚でターニャはそれが大規模な人事異動によるものだと即座に理解。咄嗟に、旧知の人間を探し出すべく周囲を一瞥。幸い、兵站司令部付きのウーガ中佐殿と眼が合う。陸大同期の出世頭、情報源としては理想的な人物だった。『例の店』で落ち合う事を確約し、即座に行動を開始。偽装のために、戦史編纂局で二三の資料を借りるとそのまま退庁。いかにも職務を終えたという雰囲気のまま、教会の方へ足を向ける。一応、周囲の注目を浴びていないことを確認し食堂へ入り夕食を注文。代用珈琲はともかく、以前と変わらない食事の質にそれとなく安堵する。行きつけの店の味が落ちることほど気が滅入ることもないのだ。まあ、アイントプフの野菜が小ぶりになって味も薄くなっていたのは悲しい事実だったが。ともあれまだ、帝国本国の食糧事情は良好らしい。そんな事実に当面は、本国駐留も悪くないなとターニャは軽く考える。だが、全ては情勢を見極めてからだった。何かが参謀本部で起きようとしているのだ。・・・故に、ターニャは情報を欲しウーガ中佐を待つ。食後のハーブティーという珈琲党にとっては遺憾極まりない食後の一服。だが、まあ味は決して悪くないなと考え始めた時、食堂にウーガ中佐の姿が現れた。「久しいな、デグレチャフ。本国にはいつ?」「お久しぶりです。ウーガ中佐殿。つい先日、南方大陸より召喚されたばかりです。」帰国早々の遭遇だ。向こうも、こちらが戻ってきたことは知らなかったらしい。兵站司令部が気付いていないという事は、まあ正式な辞令はあす以降だろう。ともあれ、無駄話に時間を割く趣味をターニャは持ち合わせていない。挨拶も早々に、ターニャは本題に切りこむ。「単刀直入にお伺いしたいことが。」ハーブティーを追加で頼み、ウェイターを追い払うなりターニャは口火を開く。同時に、碧眼で持って相手の挙動を一挙一動逃すことなく直視。最も、さすがに同期だ。ウーガ中佐とてその程度で動揺することはない。「ああ、わかっている。参謀本部で近々大規模な人事異動があるらしい。」「・・・らしい?」だが、それだけにウーガ中佐が口にする内容にターニャは困惑してしまう。兵站司令部ともなれば、其れなり以上に内部情報に精通しているのだ。それが随分と曖昧な表現。・・・緘口統制でもしかれていなければありえない表現だ。そして、緘口統制が必要になるほどの内容?どう考えても、大規模な人事変動以外にありえない。「・・・まさか、軍機に抵触するほど大規模な移動だと?」「肯定も否定もできない。」探索射撃に対する反応は、陸大同期がしうる最大の配慮と譲歩が為された解答だった。実際のところ、インサイダー取引と解されかねない程の漏洩だ。誰だって、もふたんが『何もしゃべってくれなかった』と叫べば査察だと理解する。はっきり言えば、それくらいシグナルとしては鮮明。ウーガ中佐からの配慮は、ターニャをして事態を理解するには十分すぎるだけの材料を提供してくれている。「わかりました。ところで、ゼートゥーア閣下の進退は?」「っ、良くわかるものだな。」大規模人事異動で自分に知らせが無いという事。そして、ゼートゥーア閣下との良好な関係を自分が有することを知ってなお機密の壁を示唆。つまるところ、ウーガ中佐のメッセージは慎重に解すれば十二分に理解できるものだ。人事担当者ならば誰だろうと、それくらいのロジックとタームは使いまわす。後方要員の言葉というものは民間の人事にとってはなじみやすいとすら言えるだろう。まあ、しばらく使っていないしゃべり方なのでいくばくか、ぎこちなくはあるが。「なるほど、感謝いたします。・・・そうなると、後任はヒンデンブルク閣下か。」「何故そう考えるのかね?」否定も、肯定もない疑問。言葉だけ聞けば、コメントしていない。だが、それは要するに軍官僚としてのタームだ。否定しない以上、潜在的には肯定している。第三者からすれば、面白がっているように見せかける雰囲気といい実に官僚具合が板についている。後方勤務で随分とウーガ中佐殿も苦労されているのだろう。「ゼートゥーア閣下は消耗戦論者です。更迭されるならば、後任は決戦論者のヒンデンブルク閣下でしょう。」まあ、情報提供を受けた様な立場だ。これからも引き続き情報を流してもらえるように、自分が優秀な人材であるという事をアピールしておくに限る。そのためには、もっともらしく推察して見せるのが良いだろう。この世界は、一次大戦と二次大戦の入り混じった世界。つまり、参謀本部の人事は方針の争いだ。「実際、後方はともかく前線では消耗抑制ドクトリンが歓迎されているのです。」前線では、華々しくなくとも損耗が抑制できることは評価されている。実際のところ、無謀な突撃命令を下されるよりはずっとマシだからだ。ついでに言えば、自分としても人的資本投資の損害がまだ少ないだけマシだと考えている。だが、経営陣の立場に立ってみれば少しばかり視点が違ってくるだろう。彼らにしてみれば、損切りがいつ完了するのか知りたくてたまらないに違いない。帝室、政府、世論。どこかが、ゼートゥーア閣下の消極方針に不満を覚えたとしても不思議ではない。「逆に言えば、国力がすり減っていくことを目の当たりにした面々が動揺したのでしょう。」この場合、誰かと推察することは無意味だ。なにしろ誰もが、同じような疑念を抱きつつあるのだから大きな潮流と解するべきだろう。重要なのは、基本的な流れを読み違えないこと。そうすれば、保身に成功するのは間違いない。派閥闘争や足の引っ張り合いで自壊するのは馬鹿馬鹿しいが、さりとて巻き込まれるのも御免だった。だから、自分は最後の最後でゼートゥーア閣下と心中しないような方策を模索しなければ。「そこまで推察すれば、あとは問題を一刀両断に解決できそうな御仁にお鉢が回ってくる。そういう事です。」ともかく、そのためにも自分の有能さをウーガ中佐という参謀本部の知己に再度示しておく必要があった。こう言っては何だが、陸大時代に後方勤務を勧告しておいた自分の慧眼に乾杯したいほどである。良いコネになるかと期待していたのは事実だが、これほどよく育ってくれるとは。保険程度に考えていた投資が、大成功した時の気分は実にたまらない。今後とも、良好なお付き合いを考えていく必要があるだろうとターニャはそろばんをはじき直す。「いや、面白い仮説だ。」「此処までくれば、後の展開も随分と予想できます。」幸い。相手は実に気前がよい。此処まで話に付き合ってくれるという事は、評価されていると考えていいだろう。なにしろ、今回の人事異動問題でも悪くない位置を維持できる知己だ。評価を上げておくに越したことはないと判断。売り込みの機会に、自己の評価を上げておくことを怠るのは馬鹿だ。行動あるのみだろう。久しぶりに、席を共にしても陸大の同期と悟られないような容姿ダケは幼いデグレチャフと遭遇。参謀本部内部に激震を確実に及ぼすであろう水面下での政争を、建物に一歩足を踏み入れるだけで勘づくとは恐れ入るしかない。常々、その異常な戦果に周囲は驚愕している。だがウーガとしては、その嗅覚ならば無理もないだろうと思わざるを得ないのだ。卓越した戦勘といい、戦略眼といいまったく人を外見で判断すると痛い目を見るというのは彼女のためにあるような言葉である。実際のところ、ゼートゥーア中将が散々贔屓にしているというのも無理もない話だ。自分ですら、判断を迷う事があればデグレチャフの異常に鋭い嗅覚に頼りたいと思ってしまう事だろう。そんな彼女が、現在進行形の事態について関心を示すのはある意味当然の事。余計な騒動を回避するためにも、ある程度事情を匂わせる程度は、と思っていた。しかし、わずかな断片から瞬く間に全体像を把握してしまう能力には未だに驚愕させられてしまう。つい先日まで最前線で鉄火場をくぐってきたというのに。わずかな示唆で、ほぼ帝国内部で繰り広げられている綱引きの全体像を俯瞰してしまえているのだ。そればかりか。ほとんど、事情を知る者のいない筈の新作戦すら予期し得ると豪語するのだ。これは、軍人ならばウーガでなくとも興味がわかないはずもないだろう。「聞かせてもらうだけ、聞かせてもらっても構わないかね?」だが、ウーガ中佐としては興味半分、本当に嗅ぎつけるのでは?という疑念半分だった。なにしろ、あのレルゲン准将をして『化け物』と形容させる傑物である。南方大陸戦線の戦訓で、異例の昇進を果たしたロメール上級大将ですら一目置く野戦将校でもある。あるいは。そう、或いはある程度予期するのではないだろうか?だが、その予想は裏切られる。「はい、おそらくですがヒンデンブルク閣下ならば東部戦線での積極行動を企画されるでしょう。」「その根拠は?」・・・ある程度どころか、弩本命。驚きすぎて、逆に違和感なくそのまま訊ね返してしまえたのは僥倖だった。後少しばかり条件が悪ければ、ウーガは狼狽しない確信が持てないほどの衝撃。「包囲撃滅する上で大切なのは、敵の主力を叩くことです。我が国が直面している脅威の中では現状、東部の連邦が最大でしょう。」兵站司令部に秘密裏に命令された、補給計画。その意図するところは、慎重に隠匿されているといえども本部ならば理解できた。大規模な部隊の動員と運動戦の用意。東部において、おそらく大規模な攻勢計画をヒンデンブルク大将が検討しているのだろう。ウーガ自身を含めても、ほんの数人しか知らない筈の計画を眼の前の子供が軽々と予期していた。もはや、脱帽するしかないほど鬼才というのは卓越した戦略眼を持ち合わせている。「故に、大陸軍を活用した徹底的な攻勢ないし包囲撃滅戦を意図されるかと。」別段、どうという事もない口調。誇るでもなく、驕るでもなく、数式を与えられた人間が当然の答えを口にしているかの口調。そこにある確信は、彼女がそれを当然視していることの表れとしか思えなかった。「・・・・・・ふむ、それで?」「悪くはありません。実際、連合王国、自由共和国程度が残敵であれば一つのオプションとしては有効です。」そして、まるであたかも自分が全軍を統率するかのように言ってのける口調。垣間見られる彼女の意見を考えるならば、彼女は自分が上に立った時にどうするかという事を常に意識している。自分の階級で果たすべき仕事を全うし、なおかつ上に登った時の事を想定して検討しているというのは軍人としての理想だ。「では、何故ゼートゥーア閣下は採用されなかったのだろうか?やはり、損耗を抑制することを優先されたからか?」「いえ、合州国を警戒するからでしょう。」そして、答えに何ら淀みがない。はっきり言って、答えを知っていなければ答えようのない質問である。だが、いくらなんでもゼートゥーア中将と接触があったとしてもこれほどの機微を閣下が漏洩するものだろうか?万が一に、ありえたとしても彼女の言葉はまるで自分の答えを語っているかのようである。言うまでもなく、つい先日まで合州国軍と交戦していたのだ。「報告書は私も読んだが、正直に言ってそれほど脅威だろうか?無論、国力を侮る訳ではないが。」兵站司令部勤務の身としては、確かにあの物量、兵站概念には恐怖すら覚える。だが、それでも質に劣るという報告はウーガ中佐をしても緊急の懸念対象にするべきかと疑念を抱かざるを得ないものだった。彼にしてみれば報告書に記載されている合州国軍の働きは、はおおよそ脅威とは考えられない脆弱ぶりだったのである。だが、ターニャにしてみればあの『合州国』であるのだ。他の誰よりも、今次大戦におけるかの国の役割を承知している。「ウーガ中佐殿。私に言わせていただけば、短期間のうちに連邦を撃破できねば後背を合州国に突かれます。」「つまり、時間との競争ということか。」仮説として考え、ウーガは時間との競争という概念に嫌な響きを覚えた。あの広大な東部戦線での、速戦即決というのはさすがに難題だろう。補給計画を策定する人間からしてみれば、広大で貧弱なインフラというのは悪夢だった。それを開戦前から予見して補給の重要性を訴えていたというデグレチャフの実績。一度ならばまぐれだろうが、ここまでくれば素直にその先見性を理解できる程度にはウーガは優秀だ。だから、異常さという点においてデグレチャフを理解することができた。こんな能力を持った人材が、自分の子供と同じ程度の年齢の時にやってのけた?自分で目の当たりにしなければ、絶対に笑い飛ばしているに決まっている。「間違いなく。そして、連邦を短期間のうちに叩きのめすのは難儀な仕事です。」デグレチャフの解答は連邦の意外な強靭性を理解した上での言葉である。もはや、その程度では驚かないが冷静になって考えればつくづく異常極まりない。いくら魔導師の精神が早熟とはいえこれはレベルが全く異質だ。自分と同年代であっても、ここまで合理性を追求できるかどうか疑わしいほどだ。子供の皮を被って古参兵がしゃべっていると言われた方がまだ現実味がある。「いつも思うが、デグレチャフ。君は前線将校にはもったいない。今すぐに参謀本部に帰ってくるべきだ。」「厳しいでしょう。私とて、祖国に奉仕するのは厭いませんがゼートゥーア閣下の色が付きすぎている。」これだ。単純に能力が卓越しているとあれば、単なる天才と無理やり片付けることもできる。世に言う天凛というやつだろうと、自分を納得させることもできるだろう。だが、こんな自分の半分程度も生きていないような奴が。派閥力学といった経験則がモノを言うような世界まで俯瞰できるとなれば。もはや鬼才としか形容しがたい。これでいて、軍人として卓越しているのだ。容姿だけ見れば、デグレチャフはそこらの愛くるしい子供を平凡に見せるほどずば抜けている。まあ、強すぎる碧眼の眼光が全てを台無しにしてはいるが。まったく、天から愛されているとしか思えないほどデグレチャフは卓越していた。「ヒンデンブルク閣下の一派とはウマが合わないと?」「おそらく、私の提言は突拍子もないモノと解釈されるのが落ちです。実際、理解されないことの方が多い。」自分の提言が受け入れられないことへの反発ではなく。単純に、それを事実として受け入れるという諦観。それでいながら、所与の条件で最善を“眼の前の軍人”は達成してきたのだ。「・・・・・・貴官が、あと10年早ければ。」それは、ウーガの嘘偽りない本音だ。デグレチャフが将官クラスに上り詰めていれば。この戦争は、根本からひっくり返っていただろう。それは、この傑物と、鬼才と、化け物と幾多の俊英から評される人物を見てきたウーガの実感なのだ。「無意味な仮定でしょう。ともあれ、情報提供に感謝いたします。」淡々と。無意味な仮定と切って捨てられる想像。だが。ウーガ中佐はそれでも思わざるを得ない。帝国に時間があれば。もしも、帝国に10年の余裕が与えられていれば、と。だが、彼の願望は叶わぬ夢である。数日後、彼はデグレチャフ中佐がノルマルディア方面司令部付きに左遷されたことを耳にし、嘆息することになる。栄枯必衰とはよく言ったモノ。まさか、参謀本部直轄から転がり落ちて方面軍の方面司令部付きに蹴りだされるとは。都落ちどころか、地方営業本部から地方支所に蹴り飛ばされるようなものである。曲がりなりにも相応の実績を上げているというのに、まったく派閥抗争の余波をくらうとは。実に嘆かわしいことであるというほかにない。人材のマネジメント能力が無い連中と、派閥争いをする連中はまったくけしからん。寡頭支配の鉄則が組織論的に仕方ないとしても、我慢ならないことは我慢ならないのだ人的資本投資を全く無視する愚行には、ほとほと愛想が尽きる。だが、ターニャにとってそれ以上に気に入らないのは場所だった。よりにもよって、ノルマルディア地方への配属。これが、誰かに意図的に組まれているならば最悪の配慮だ。誰が考えたのかは知らないが、すりつぶして豚のえさにしてソーセージの原材料にしてやりたいほどに気に入らない。ただでさえ、代用珈琲に煩わされイルドアで豆を確保できたと思えば転戦で手放す羽目になっていた。本国でなんとか調達しようと考えていたところに、早々の転属命令が飛び込んでくるとは全く運が無い。せめて。なんとか、直卒する部隊だけはまともなモノを。そう考えて旧知のところに泣きついたデグレチャフ中佐だが、直面するのは散々な結果だった。「・・・まさかとは思いますが、これから選抜せよと?」「その通りだ。これでも、まだマシな部類だと覚悟してほしい。」参謀本部から蹴りだされつつある消耗抑制派。その中では、比較的影響力を行使し得る立場にまだ留まっていたレルゲン准将をしてできることは乏しかった。「分散進撃もできない素人で、マシ?自爆させるぐらいしか、使い道はない気がしますが。」なんとか捻りだされたリストに記載されている魔導師一覧。正直に言って、開戦前ならば魔導師候補にすら上がらなかったような資質劣悪ないし諸問題付きの連中だ。いや、問題が多く能力が乏しいというほかにその数すら乏しいと付け足すべきだろう。訓練期間が極端に短縮された結果として、無い無いづくしの現実が横たわっている。「使えないとみるか?」「論外です。長距離飛行術式すら碌に使えないのですよ!」航空魔導師として使えなければ、三次元機動を確保できる魔導師である意義が激減する。塹壕戦用の魔導師も使えないことはないが、ノルマルディア地方で戦う事を考えるとダウトだった。「だが、魔導師としての火力は確保できるだろう。」「魔導師反応を垂れ流し過ぎです。国境に配置した時点で、即座に悟られます。」火力を確保できるといえども、この程度ならば野戦砲をかき集めたほうが隠匿性は高くまだマシ。むしろ、位置を露呈し艦砲射撃の鉄嵐に巻き込まれないだけそちらの方が安全性はベターだろう。そうなれば、何のための自分の護衛用の部隊なのか全く意味がわからない。「これならば、むしろベテランの古参兵をかき集めて浸透襲撃班を編成する方がまだ有益かと。」「非魔導師でか?」「長距離偵察部隊ならば、最適でしょう。火力は、私がいれば事足ります。」単純に、海岸線警戒程度の部隊ならば自分とベテランの歩兵で事足りた。左遷した連中の意図する程度の任務ならば、確かにこの程度で十分だろう。まあ、正直に言えばとてもじゃないがD-DAYには耐えられないだろうけれども。「悪くはないだろうな。まあ、ベテランなぞどこにもいないが。」「基幹要員程度で構わないのですが。」別段、自分の護衛用に流用するのだ。中佐級の人間が指揮する部隊の基幹要員程度いれば事足りる。その意味において、ターニャの発想は清々しいまでに自己保身主義に依拠していた。なりふり構わず、自己防衛に努める意図しか無いと形容してもよいだろう。誰だろうと、まあ、あのD-DAYの矢面に立つことを考えればそうなるしかないだろうが。「そんな余裕はないのだ、中佐。」「・・・大陸軍に根こそぎ持っていかれましたか。困ったことだ。教導隊は?」なんとか、なんとかアテが無いだろうか?大規模攻勢計画が立案されているという事は、まあ根こそぎ動員されたことくらいは想像が付く。本国待機中の部隊は、真っ先に動員対象なることだろう。こうして、ターニャは次々と駄目になっていく候補に愕然とするほかなかった。・・・当てにしていた技術廠の研究要員すら引き抜かれていたことを思えば、最後に残るのは教導隊しかない。だからこそ。今日は旧知のレルゲン准将に請願しているのだ。「これ以上は引き抜けないし、引き抜けば帝都防空に穴が開く。」だが、実際問題としてレルゲンにもできることは何もなかった。なにしろ、彼とて近々転出することが確定しているのだ。このような状況下において、取り計らえることには限度がある。そのため、ターニャとしては途方に暮れざるを得ない結果だった。一方で、レルゲン准将にしても困惑せざるを得ない案件である。帝都防空網は相当疲弊しているのだ。ここでローテーションが崩壊すれば、防空網がマヒしかねない。そうなれば、参謀本部が責任を取って済む話ではなくなる。とてもではないが、レルゲンとて要請できる話ではない。「参りましたな、レルゲン閣下。せめて、イルドアヌス戦闘団から何人か持っていきたいのですが。」子供にもわかるに違いない話。そして、その程度デグレチャフも理解しているはずだとレルゲンは訝しむ。言われずとも、その程度の事は理解しているに違いないとレルゲン准将はデグレチャフ中佐を評価しているのだ。その程度も理解できていなければ、単なる狂犬でありそこまで恐れる必要もない。だが、理解できる上に狡猾だからこそ厄介なのだ。にもかかわらず、先ほどから聞いていれば『とにかく戦力を』の開き直りである。率直に言って、レルゲン准将にしてみれば異常だと考えざるをえないほど物分かりが悪かった。「中佐、はっきり言うが左遷されているのだぞ?無理だとわからないのかね?」言いたくはないが、技量未熟の魔導師であってもデグレチャフ中佐なら教導できるのではないか?ある程度、所定の練度まで錬成することは可能だと考えればこそ何とか見繕える連中を提示しているのだ。その位の事は、奴ならば言われずとも理解するだろう。いや、或いは言われずとも察してそれに対応して行動する筈なのだ。「准将閣下、その程度理解したうえでお願いしております。」「却下だ。…上は、貴様に精鋭を預けると何をしでかすかわからないことを危惧している。」まさか、ターニャはD-DAYが怖いので即座に盾にできる部隊が身辺に欲しいというだけで陳情しているとはつゆ知らず。レルゲン准将は、目の前で敢闘精神豊富すぎると評された中佐が一体何を意図しているのか理解しかねていた。彼自身、デグレチャフの危険性を人一倍理解しているのだ。一方で、その能力も高く評価している。いや、能力が高いがゆえに危惧してもいるのだ。故に、密かに上が危惧していることを漏らすことで反応を探ることにする。「危惧?ロンディニウムを襲撃するとでも?」「その通りだ。」実際、デグレチャフならやりかねない。そう思わせるに足る実績が、嫌になるほどあるのだ。「ご冗談でしょう?」「冗談などではない。上は、限定講和を模索し始めている。そこで、貴様に水を差されたくないのだ。」だから、大人しくしていろ。暗にそう含みを持たせる言葉。まあ、半分以上は参謀本部の総意だろう。何とか状況を改善したい一派にしてみれば、状況を悪化させることが確実なデグレチャフという鬼札を発動させるわけにもいかない。「では、イルドア方面にでも回していただきたい。なにも、ロンディニウムが狙えるところに置くこともないでしょう。」「防空任務程度は期待しているという事だろう。」同時に、デグレチャフならば単独でも十分に防空くらいは可能だろうという評価もあった。なにしろ、ネームドである。単独であっても浸透襲撃を試みてくる連合王国王立空軍部隊と魔導師を排除することが期待できた。なればこそ、東部ではなく単独でも最大のパフォーマンスが期待できる西部に回されるのだ。デグレチャフというネームドの代わりに幾人かが既に東部に再配置されている。上も、この戦力が如何に卓越しているかという事を勘案していない訳ではないのである。「敵航空拠点の排除は、航空優勢ならびに総合的防空の観点から必須です。」「そういうと思えばこそ、精鋭を取り上げるに決まっているだろう!私とて本意ではないのだ!」だが、そう言えばこういう奴だった、とレルゲン准将は盛大に嘆息する。わずかでも口実を与えれば、即座に盛大に噛みついてくるのがこの魔導師の本性だ。任務に忠実であると言えば聞こえはいいだろうが、本質は任務の遂行に際して手段を選ばないところにある。敵であればこれほど恐ろしい敵はいないのだろうが、味方であってもこれほど厄介な味方も珍しいだろう。「ああ、イルドア方面軍に御転任でしたね。でしたら、少々イルドア方面軍から御融通頂きたい。」おまけに、酷く頭の回転が速い。そして、状況を嗅ぎつける能力に至っては化け物だ。異常な嗅覚で、どこからか嗅ぎつけてくる。「一体何が目的だね?話次第では、相談くらいには応じよう。」「閣下、小官の想像ですが笑い飛ばさないと御確約いただければ。」ゼートゥーア閣下からも、奴の勘を信じろと言われているのだ。・・・聞くだけなら、タダだ。「よろしい、言いたまえ。」あとがき本作は、末期戦モノなのでそろそろデグレチャフ苦労指数を跳ねあげていきます。デグレチャフ苦労指数については、作者の独断と偏見で調整するとしか申し上げられません。実は、書き始めた時はゼートゥーアさんのモデルはエーリッヒ・フォン・ファルケンハインでした。しかし、いろいろごちゃごちゃしてしまいました。でも、やっぱり大戦末期のゴタゴタを出すためにヒンデン・ルーデンコンビを投入することにしました。あと、D-DAYに向けて突っ走る予定です。『決戦!オッバマビーチの死闘!合州国史上最大の上陸作戦!』を近々予定しております。でも、ロリヤも頑張っているので『バグラーチオ作戦!君は、生き残ることができるか!?』でグランツ君らの活躍も予定しております。色々な意味でギネスブックに載る戦いを再現できるように頑張っています。思い付きで始めた本作ですが、なんとなくですがそろそろ終わりが見えてきました。今しばらく、お付き合いください。やっぱりZAPありましたorzZAP