合州国 国立文書管理室 『レルゲン連邦共和国軍退役中将覚書』 ※非公開 存在の照会を禁ず。理由:『原初の大隊』について直接関与したことが確実な軍人の中で、元上級将校から得られた唯一の供述である。廃墟より甦り、未来を目指して、汝に最善を尽くそう。ライヒよ、統一された我らが祖国よ。我らは一致協力して過去の苦難を乗り越えてみせる。必ずや我らは成功するのだから。暁には、太陽がまたとなく燦らかにライヒを照らし出すことだろう。取り戻そう、我らがライヒに黄金の時代を!幸福と平和あらんことを、我らがダス・ライヒに。全世界の民が平和を求める今、汝はその手を諸国民に延べよ。我ら兄弟のごとく一致すれば、ライヒの敵は打ち砕かれるのだ!平和の光を輝かそう。そうして、母親が二度と息子の死を悼まぬようにしようぞ。誓約しよう、我らがライヒに黄金の時代を!かつてないほどに耕し、建て、学び、働こう。そして己の力を信じて、自由な世代が立ち上がるのだ。ライヒの若人よ、国民団結の最良の努力者よ、汝はライヒの新しい息吹だ。太陽はまたとなく燦らかにライヒを照らし出さん。築き上げよう、我らがライヒに黄金の時代を!忌々しいナショナリズムの歌だと、民共は罵っているが由来を知っているかね?元は『バルバロッサ』作戦関係者が歌っていた祖国再建への思いが込められたもの。まあ、関係者以外が知るはずもないか。そう、『バルバロッサ』。ライヒの伝説で聞いた事くらいはあるだろう?我らが祖国の、ライヒの危機にあって、大王が救国の英雄として蘇る、と。ああ、焦らないでもらいたい。諸君がここにきて、私がここにいるという事は、話すつもりだということだ。我々が、『バルバロッサ』作戦で何を行ったかということを。そもそも、『バルバロッサ』は×××××××××××が戦争後期に構想し末期に稼働したもの。作戦が明らかにされた日の事は、良く覚えている。今でもだ。あの日、私は自分自身で何者もゼートゥーア閣下の執務室に部外者は近づけないよう手配していた。執務室への扉には、選び抜いた陸軍少佐二名をわざわざ歩哨に配置した程だ。そこまでして、初めて事が始まった。 「××××××中佐、入室いたします。閣下、ご決断を。」入室早々に一介の佐官が臆せず将軍にモノを申す。本来ならば、越権に近いとしてもこの場においてはそれが望まれていた。驚くべきことではないのかもしれないが。なにしろ、追い詰められた帝国は末期症状を呈したのだ。当然、打開策のためならばありとあらゆることが模索されていた。「やはり、もはや事は決したかね?」だから、眼前で交わされる会話は、すでにもう何ヶ月も前から囁かれていたソレだと理解できた。『戦後』についてだ。当然のことながら、現状の帝国軍において語るにはタブーに近いソレ。だが、誰もが理解している差し迫った現実としての『戦後』。なにしろ、問題があることは誰もが認識できているのだ。古参ならば、周りを見て嫌でもそれを悟らざるを得ない。かくいう私自身、追い詰められているという危機感は切実なものだった。なにしろ、事態の悪化が日に日に実感できているのだ。もちろん。ゼートゥーア閣下のなりふり構わぬ焦土作戦と、遊撃部隊を活用した外科的一撃は有効だった。だが、そもそも本土付近で焦土戦をやらなければならなくなっているという一事でもう十分だろう。そこまで、帝国は追い詰められていた。帝国は、世界に冠たる彼らのライヒは崩壊に瀕し、のたうち回っている状況。ある者は厭世的となり、ある者は享楽的となる。或いは、現実から逃避して夢の世界に行くことを望まないものは自決を選び始めた。そして、足掻こうと決断した人間というのは、絶望に向かいあっているにすぎない。そう。ここまで、帝国は追い詰められていた。だが、眼の前にいる二人は問題に対する処方箋を持ち合わせていると私には理解できていしまう程度には長い付き合いだった。たとえそれが、激甚極まりない劇薬だとしても、だ。事ここに至っては、祖国を救うために飲み干さざるをえまい。それが、当時の私が行った決断だ。「はい閣下、もはや戦後を語る時期かと。ご決断を。」淡々と、夢も希望も現実の圧倒的な質量で蹂躙されなお奴は奴だった。誰もが認めたがらない敗戦という事実、それを所与のものとして奴はそこに存在する。こちらを見据える碧眼は、もはや信じがたいほどに無機質な印象を見るものすべてに与えて止まない。信じがたい事に、奴はこの段階に至ってなお行動が一切変わっていないのだ。祖国の勝利のために貢献し、祖国の敗北が確定するならば再起のために奮起する。おおよそ、軍人の義務と責務からすれば完璧極まりない軍人像だろう。最も、傍にいれば奴のおぞましさが嫌でもわかる。人間として壊れていなければ、そもそも此処まで淡々としえるものだろうか?今でも、私にはそれが理解できない。「…我らは、売国奴と罵られるだろうな。」「卑劣漢、変節漢、或いは二度と日のあたる道を歩けますまい。」帝国将校にとって、将校団の一員たることはほとんど存在の証明と同義だ。今となっては、少々理解されにくいかもしれないがね。ともあれ、知っておくと我々帝国将校の思考様式を理解出来るだろう。否定され、名誉を剥奪され、売国奴、卑劣漢と罵られることは自決の方がはるかに容易とされること。誇り高き将校にとって、名誉を汚される事、自ら汚すことは耐えがたいほどの苦痛なのだ。いや、おそらくは大半の将校にとって死すら選びかねないほどの代物。だが、だからこそ奴は異常だった。平然と言ってのけるどころか、気に留める素振りすらない。奴は、軍人としておおよそ理想的な献身性を持ちながら、同時に一切名誉に関心を示さしてこなかった。謙虚という次元の問題ではなく、そもそも価値を見出していないようですらあっただろう。…あるいは、本当に価値を見出していないのやもしれない。そんな××××××という軍人はやはりどこか狂っていたのだろう。狂っていないとすれば、戦争という形態に生態を最適化された別種の存在かもしれない。少なくとも、帝国にとっては仇なす存在でないことだけが救いだろう。なにしろ、忠誠心に関しては疑念の余地が無かった。今でもおそらくは、完璧だろう。「結構だ。中佐、反逆者と呼ばれようとも我らは、責務を果たさねばならない。」「御命令とあれば、小官に否応はございません。行け、と言われればどこへでも参ります。」だが、ならば、いったい、何故奴はここまで身を呈して奮戦するのだろうか?義務に忠実だというのは結構な話だが、義務を重んじる理由は何処にあるのだろうか?通常であれば、将校の義務というのは将校が将校であるという一事によって正当化される。だが、奴は将校であるとはいえ将校であるという事に名誉を抱いているようには見えなかった一体、何故?だが、その疑問はゼートゥーア将軍が一笑することで混乱へと変わる。気に留める様子すらない姿から、そこにはなにがしかの理由があるのだろうと伺われてしまう。なんなのだろうかと思わざるを得なかった。「ああ、貴様ならばそう言うだろうとわかっていた。」そこにあるのは、理解と共鳴の顔。誰よりも、誰よりも帝国軍人として名誉と規範を重んじていたあのゼートゥーア閣下が、である。「この日があることを、予見していたのは貴様と私だけか。はっはっはっ、この戦争に負ける訳だ。」「なればこそ、戦後に備えねばなりますまい。歴史に、責務を果たさねば。」孫と祖父ほども年の離れた二人。にもかかわらず、この二人は同じ種類の人間だ。おそらくこの二人ほど軍人として同じ視野を有している軍人は帝国軍といえどもそうはいない。レルゲンという一個の軍人。自身に欠落した、野戦将校としての根底にある何か。その紐帯が、おそらくはこの絶望的状況にあってなお二人を結びつけているに違いない。もっとも、やや偏りがちな現場の見方とも異なる何かだ。そこにあるのは、高度に観念的ながらも現実に即した戦略なのである。なにしろ、今日の情勢をみれば異常さが理解出来ようという代物。「歴史への責務、か。参謀本部もまんざら、間抜けばかりではないのだろうがな。」間抜けばかり、だから此処まで持ちこたえた持久策が崩壊した。おそらく知っていると思うのだが、戦中の消耗抑制ドクトリンは実に有効だったのだよ。可能性程度であれども、戦争を拮抗状態に封じることができそうな程度には。暗に、参謀本部の決戦論者を批判したいであろうゼートゥーア大将の地位。だが、だからこそ破綻に直面する事になにがしかを思わざるをえないはずなのだ。私自身、一度は見えた拮抗状態が崩壊したことに対する憤りは抑えがたかった。本来ならば、まだあのライン線で、東部防衛線で帝国軍は持久しえたはずなのだ、と。それでも、ゼートゥーア閣下も、奴も淡々と現実に適応して最善策を模索している。この事実だけでも、淡々と語る二人の異質さが理解出来ようというもの。そして、次に交わされた二人の言葉によって理解を放棄した。所詮は自分の様な常人が、理解し得るものではないのだ、と。「フライコール構想だ。最悪に備えるという意味で、連中は敗戦後の軍事力維持を模索しているようではあるのだよ。」「悪くはないのでしょうが、所詮は常道です。」そう、フライコール構想。結局戦後すぐに、破綻してしまった義勇軍構想だ。初めて聞いた時は、絶望的状況下の打開策にも思えたのだが。信じられるかね?奴は、実に常識的で面白味も何もないと笑ってのけたのだ。「常道?」「国破れ、山河ありと詠えるのならば、まだよいでしょう。」焦土戦を平然と立案した奴の心理?異常かもしれないが、恐ろしいまでの目的合理性に支配されていたとしか思えない。理解しがたい人格なのは、保障できるが同時に目的合理性を酷く重んじていたとも記憶している。だから、常識や希望的観測を徹底的に排したものの見方ができたのだろう。「ですが、現状でライヒを待つものと言えば分割されどん底に突ちるしかない。」信じられるかな?奴は、戦争後期で既に今日の世界情勢が如何なる形になるかという事を予見してのけた。10年どころか、1年後の世界情勢すら読み違えるのが人の世だというのにだ。「このように狂気の世界で、常識的であるという贅沢は事後に楽しむべきかと。」「大いに結構。ならば、今次大戦の汚名は全て私が被ろう。貴官の、帝国に対する献身に期待する。さて、説明してもらおうか。」私は、今でも思うのだ。あの日、あの場所でゼートゥーア閣下が奴を解き放ったのだ、と。間違いであったとは思わない。奴は、間違いなく救国の英雄だろう。陳腐な表現だが、赤の脅威から世界を守っていたと言い換えても良い。だが、それでも、私は言わざるを得ないのだ。神というものが実在するならば、それは救い難い存在に違いない、と。グーテンターク。親愛なる帝国臣民並びに、帝国友邦の皆様。千年帝国も999年目くらいに突入いたしました。我らが帝国の長寿を言祝ぐべきか、終わりの始まりを嘆くべきかは自明でありましょう。日々絶望的な消耗戦でジリジリと押し込まれる毎日ですが皆様いかがお過ごしでしょうか?申し遅れました。誉れある帝国軍魔導将校にして、サラマンダー戦闘団戦闘団長、ターニャ・デグレチャフ魔導中佐であります。皆様に帝国軍の一員として、再び相まみえ御挨拶を申し上げるにすぎる名誉はございません。伝統と実績を誇る国防の柱としての、帝国軍より御挨拶を申し上げる機会が後幾度あるかと思えば殊更に。まあ、早い話が。敗軍の将校ほどみじめな者もいないだろうという事は、良くお分かりいただけるかと。規律の崩壊、下克上の発生、抗命の頻発と、将校としての権限の消滅。この程度であれば、頭痛程度に収まりうるかもしれない問題。だが、不味い事に魔導師は今次大戦において少々以上に暴れ回りすぎた。そう、やり過ぎたのだ。帝国が戦局をコントロールできないことが自明になった時点で、ターニャにとってそれが意味するところは明白。なにしろ、勝者が敗者を裁くのだ。当然、報復感情に駆られた有権者に応じるために、盛大に行われることだろう。いや、下手をすれば政治的事情によってそもそも裁判抜きで処刑されることすらありえる。公正な裁判さえ受けられれば、一切国際法と陸戦条約に違反していない自分の無罪は明らかだ。良心に照らし合わせても、法を順守し、職務を与えられた裁量権の範疇で忠実に遂行したに過ぎない。だが、そんな真っ当な議論も道理と法を理解しない連中には無意味。何より、東からコミーの大津波が接近してくる状況下において、帝国に留まる事はあまりにも危険すぎた。そこまで、一瞬で理解できたターニャの行動は当然の事として国外逃亡となる。他に、選択肢はありえない。亡命するにしても、どこかの軍に投降するにしても、とにかく帝国と心中するのは御免なのだ。はっきり言ってしまえば、ターニャにとって理想とするべきはオトラント公爵の英知である。確かに、風見鶏と批判されることも当てはまらなくはないが、彼の人物は激動の時代を生き延びる上で最適な人間だ。船を乗り換えるためには、彼のオトラント公爵が激しい政争を如何に乗り越えたかという英知に頼るべきだろう。この場合は、紛れもなく厄介事から大義名分を得て逃げ出すという危険回避がベスト。そのためだけに、ターニャは誰からも疑われることなく、批判されることもない計画を造り上げた。いや、他の全てを投げ出し言い訳のためだけに『バルバロッサ』計画を造り上げる。そして、如何にも国家100年の計とばかりにそれを関係各所に売り込んでのけた。結果として、遂にゼートゥーア閣下に召喚されて説明するに至ったのだ。この状況下において、ターニャは必死だった。「状況を勘案するに、ライヒの統一性を維持するために帝国は可能な限り分割されることを回避しなければなりません。」「分割、というのはありうるのか、中佐?」「間違いなく、ほぼ確実でしょう。コミー共の行動原理を勘案すれば、衛星国を欲することは確実。」歴史を知っているターニャにしてみれば、類似の状況下でコミーが類似の行動を取る公算は極めて高いものだった。おそらくは、偉大なる指導者こと同志ヨセフも恐るべき恐怖を衛星諸国にもたらすだろう。答えを知っている数学の問題を解くようなものである。答えさえわかっていれば、いくらでも辻褄は合わせられた。「対して、合州国はともすれば感情先行で帝国に対し懲罰的対応を望みかねない。」如何にも、真摯に国家を憂うるという態度ながらも熱弁を振るうターニャ。そこにあるのは、風見鶏と呼ばれながらも誰もが踊らされたオトラント公爵の英知に縋らんばかりの危機感だ。彼の人は、必要に応じていつでも纏っている服を切り替えられた。そして、切り替えた時はその役割を誰よりも上手く演じることで生き延びてきたのだ。つまり、真なる愛国者として今のターニャは行動している。行動や言葉だけならば、おそらく古今東西のありとあらゆるライヒの愛国者にすら劣らないだろう。まあ、その内心は一刻も早く崩壊する帝国の国土から逃げ出したいだけなのだが。「長期的にみれば、共産主義の侵略性に直面する旧大陸防衛の必要性から彼らが問題を認識するでしょうが。」「だが、それまでに、帝国は分割統治されると?」「というよりも、おそらく傀儡国家をコミーが造り対抗する形で合州国が独立させるという構造にならざるを得ないでしょう。」状況推察は、ターニャにとって帝国の将来をして絶望的だと判断せざるを得ないものだった。参謀本部の知己から入手してのけた合州国の新聞報道を読む限り奴らは、駄目としか思えない。なにしろ、忠勇で素晴らしい同盟者として連邦を称賛している始末だ。確認してもらったが、動物たちが農場経営を行うだけの心温まる物語も出版されている気配が無い。つまり、一般的に言ってコミーに合州国が今のところ同盟者として共感してしまっている。資本主義が、共産主義と共存できるというおぞましい幻想に蝕まれていると言ってよい。当分は、期待できないだろうというのがターニャの見方だ。そこから、知っている内容を加味して推察すればあっさりと恐るべき未来は語りえた。つまり、連邦に祖国は割れるという警告だ。この恐るべき警告を耳にして、誰もが思わずふるえあがるのだ。まあ、さすがに程度の差はある上に信じるか信じないかは個人の知性に依るのだが。「大胆極まりない予想だ、という自覚はあるのだな?」「小官にしてみれば、自明の帰結であります。むしろ、必然というべきでしょう。」そして、ターニャの信頼通りゼートゥーア大将という人間は傑物だった。現状を俯瞰し、将来がどうなるかを見通すという点において卓越していると言える。それだけに、彼はターニャの言葉が極めて現実味を持った言葉だと理解してのけた顔をしていた。現実に対する、極めて優れた洞察力。それは、合州国の人間が彼の人ほど理解が早ければ冷戦構造も随分と楽になるのだが、とターニャをして思わしめるほど。「…そこまで大胆に論じるのだ。ライヒにとっての最良の方策も案があるのだろう?」「分割は不可避という前提で申し上げます。」ここまで、先を見通せる人間の思考は誘導すべきではない。頭の良い人間にとって、この状況で取るべき方策など自明なのだ。そう判断し、ターニャはただ歴史から得た答えを如何にも推論という態で語り始める。狭い室内で、鬼気迫る表情で睨みつけてくるゼートゥーア大将と聞き入っているレルゲン准将。ターニャにしてみれば、この状況下は望んでやまないものだ。なにしろ、彼らならばターニャが確度の高い推論を述べるだけで信頼し、さらに行動を支援してくれると期待できた。持つべきものは、やはり人脈と信頼である。「コミーの統治は、収奪的かつ非効率的な行政機構と官僚主義の押し付けにならざるを得ません。おそらくですが、秘密警察も氾濫しライヒは侵されるかと。」だから、ターニャは敢えて帝国崩壊後の国土保持という観点から論じ始める。帝国は、ライヒという基盤によって立つ概念。それがライヒに存在する一つの政体に過ぎないという極端な割り切りも素直に明かした。その上で、コミーの脅威を論じる。ターニャにとって、東西ドイツの統合がどれほど波乱含みだったかという知識は大きな助けだった。計画経済でそもそも経済を運営し得ると考えた連中程度に運営されれば、国家がどうなるかは恐ろしい現実が教えてくれるだろう。不作為よりもなお恐ろしい、経済の摩耗と破局が待ちかまえているのだ。「この被害を最小化するためには、極力連邦占領地域を最小化することが理想です。」「…つまり、合州国・連合王国にライヒを明け渡せ、と?」下手な対応いかんでは、撃ち抜かれかねない程厳しいゼートゥーア閣下の眼光。ここで、答えに詰まるわけにはいかなかった。「その通り。極言すれば、それを連邦に悟られずに行う必要があります。」だから、下手なところで口にすればそれだけで反逆と断じられない内容を淡々とターニャは口にしてのける。相手を信頼しているという事もあるが、それ以上に愛国者としてどうすべきかを考慮してのけた結果だ。祖国の被害を最小化すべく考えに考えた結果を論じるという態でターニャは語るべきだと判断していた。「具体的には?」「我々が、乾坤一擲の大反攻を発起し挫折すればよろしいかと。ついでに、その攻勢で親コミー連中やライヒを損ないそうな輩を纏めて処分しましょう。」狂気の沙汰。常識的に考えれば、ありえない提案。それを、ターニャは敢えて行う。自分が如何に、冷静に狂っているか、目的合理性のために手段を選ばないかという事をアピールするために。同時に、潜在的な脅威の排除という実利の追及も忘れない。「結構。こちらで手配し得る範疇だ。それで、まともな将兵で東部を守るということか?」「はい。そして同時に、攻勢開始直後に合州国軍と接触、以後交渉のチャンネルを確保します。」策自体は単純だ。全軍で東部戦線を押し返す努力を行いつつ、保護してもらう。矜持の高い帝国軍人は唾棄するだろうが、それが現実的なのだ。そして、こうしておくことでコミーの拡大を抑制できるのであるならば。方便としてこれに勝る方策もありえなかった。「貴様のことだ。成算はあるのだろう。続けろ。」「はっ、極力合州国・連合支配地域でライヒを覆い戦後を迎える。これが、計画の第一段階です。」自己保身と、ライヒの利益が相反しないように極めて慎重に配慮してのけたのだ。ライヒの利益を追求するべく行動し、自己利益には興味すら示す必要すら今はない。なにしろ、ライヒの利益が自己の利益というインセンティブにおいては疑念の余地すらない愛国者として行動し得る位置にいる。「第二段階は、分割が固定化される前の段階におけるライヒ市民の保護になります。」当然、自分がリスクを犯さない限りにおいてターニャは方便を単に方便とする必要もなかった。祖国のためにという大義を掲げ、その信頼性を増すための努力は一切惜しまない。「ライヒの財産である人材を極力連邦支配地域から脱出させることを目的に行動します。」そして、あくまでも自分の目的はライヒのためだという態を一切崩さずにターニャは注意深く本命へと近寄っていく。だが、その目的はあくまでもライヒの利益という文脈で語られるのだ。「それだけか?」「いえ、同時に、占領下におかれる帝国施設から可能な限りの軍需関連産業と関連人員を友好的な中立国へ移転させます。」軍需基盤と関連人員。つまるところ、関係者の亡命を手配しておくという事に他ならない。そして、ひとたび確保されたルートをどうしてターニャが使えないことがあろうか?ばかりか、関連産業を持ち出せば影響力を行使して失業の危機も回避できるに違ないない。産業界に恩を売るという意味でも、有意義なのだ。「長期的に祖国防衛に必要な軍事基盤は、工業力でしょう。これを温存し、長期的な発展に備えます。」そして、同時にマーシャルプランに類似した復興計画に乗じて成長産業に投資。後は、投資のリターンでターニャは金銭的利益を享受し祖国の経済は復興する。もちろん、win-win関係と断言し得る。理想的と言えるかもしれない。「以後は、おそらく経済的優位を確保するための経済戦争となるかと思われます。それも、体制の優越を証明するための。」そして、資本主義陣営の経済的成功は必然的に失敗だらけのコミー経済に現実を突きつける。幻想世界に生きている連中だろうとも、否応なく認めなければならない現実という奴を突きつけてやるのだ。なるほど資本主義は崖っぷちだとしよう。そして、常に革新的に資本主義へ一歩先んじる共産主義というわけだ。何処まで落ちていくのかは知らないが、偶には奴らも真実を語るのである。「この点に関しては、50年程度で連邦に対して勝利を収め得られるかと思います。」かくして、連邦に対峙し資本主義陣営が勝利を収めることで世界はよりターニャにとって望ましい形に近づく。まあ、存在Xへの怨讐を思えば無神論陣営が減ること自体は嘆くべきかもしれないが。それでも、狂信的な連中が策動して撃ちあうのは総括という素晴らしいものだと割り切っている。さすがに、ターニャの余命を逆算してもそのころには残りの人生を楽しむころ合いに違いないのだ。「その根拠は?」「あの国は、巨大であるがために崩壊に至るには時間が必要でしょうが、同時に巨大であるために改革も困難です。」さすがに、狂った国家運営のまずさを理解した連中がいないわけでもなかった。だが、共産主義の改革派は挫折している。おそらくは、唯一可能性があったアンドロポフという例外がこちらでもないとは限らない。それでも、彼ですら指導的地位に上り詰めるまでに生命をすり減らしていた。つまり、まともな改革派が失政をリカバリーするだけの執務期間は高齢化と硬直した組織が与えないだろう。「つまり、徐々に崩壊すると?」「はい。本質的に、恐怖で統治する連邦です。非効率性と硬直性に蝕まれれば、自壊すらありえるかと。」つまり、恐怖だけで動く国家という点で連邦の未来は詰んでいる。というか、成立したこと自体が奇跡だろう。仏革命すら、最後は恐怖だけでは維持できなかったのだから、とターニャは苦笑する。「この段階で、第三段階に移行します。弱体化した連邦から、ライヒを回収します。そのための費用は莫大なモノとならざるを得ないでしょう。」どちらにしても、此処まで語ればターニャにとってゼートゥーア大将が導き出す結論は望ましいものだと理解できた。「再統一のコスト?」「非効率的な統治と恐怖で統治された土地の回復です。おそらく、膨大な社会的コストを支払う事になるかと。」避けるべき最悪の想定の提示。最悪を回避するための方策の提言。必要な諸方策と、段階的なビジョン。これらを提示し、ターニャは毅然とした愛国者の仮面をかぶってゼートゥーア将軍の結論を待つ。「…貴様は、随分と長期的なビジョンでものを見るな。」「帝国軍人として、帝国に為すべき義務を為しているにすぎません。」愛国者として満点の解答。だが、真に愛国者であろうとなかろうとターニャは確かに口にしたことを実行してのける決意があった。である以上、遂行に対する専念義務は一切後ろめたいことが無い。故に、こちらの内面にまで踏み込んできそうな視線にもきっちりと睨みかえしえた。「・・・よろしい。本提言を採用する。必要な支援は全て提供しよう。」そして、遂にターニャは望みえていた答えを手にする。「おめでとう中佐。貴官は帝国を救う。」「感謝いたします、これに勝る誉れは他にありません。」あとがき更新復帰。デグさん、足掻く。それにしても、オトラント公爵といいビスマルクといい、欧州の政治家マジ魑魅魍魎。