その日、東方司令部の奥深くに位置する作戦室は緊迫感が漂い何者も近づきがたい雰囲気を発していた。だが重々しい雰囲気の作戦司令部内では、バルバロッサ作戦司令部要員ら額を寄せ手渡された作戦計画書を前に困惑を隠せずにいる。なにしろ、その計画は稠密極まりなかった。稠密極まりない計画は、それ故に逆に柔軟性を欠くとして冗長性を付け加えて修正されるのが常。臨機応変に対応し、各級指揮官の裁量権に依るのが、本来の帝国軍が得意とする戦術の妙なのだ。『狂っている。明らかに一つ蹉跌をきたすだけで、崩壊しかねない。』しかめっ面の男がうめき声を上げる。作戦の成功そのものが目的でないという珍しい状況。であれども、この計画では崩壊が目に見えている。『はい。ですが、逆説的に他に選択肢が無いという状況下では合理的とも言える選択かと。成功の公算は6割程度はあるかと。』だが、ひたすらに練り込まれた計画自体はある程度の可能性を有していた。確かに、緻密極まりない。だが、個別の案件を細目別に検討した男らは再び眉をひそめる。…極めて現実的な作戦目標。それどころか、演習計画並みに実行が容易なように手配が整えられている。『なるほど、悪くはない。だが、戦略目標に叶うのか?』『どこかで破綻しましょう。最低でも、パルトン将軍の介入は確定的です。故に、成功はありえません。』だが、作戦の成功自体は目的ではないのだ。誰にとっても、これはあくまでも【作戦行動そのもの】が目的の軍事行動なのだ。合州国・連合王国を強打することは、本作戦においては意味が無かった。それだけに、本末転倒を疑いかねない意見も出る。だが、崩壊のための柱は何本も仕掛けがされているのだ。『なるほど、これならば成算はあるか。』『いい機会です。ついでに、戦犯呼ばわりされそうな有為な連中も書類の上で『戦死』させましょう。』そして作戦行動に乗じて、幾人か亡命させることの提案。『…中佐、貴官は本当に冴えているな。』『光栄です、閣下。』誰かが、呆れたように溜息をつき、一人が淡々と応じる中でそれは着々と準備が整えられていく。冬のある日。列強としての帝国は、断末魔を叫ぶことになる。歴史は物語る。『ライヒの護り』作戦。それは、あまりにも無謀な攻勢だった、と。史家は訝しむ。そこに成算はあったのか、と。必然性は、そこに介在しない。誰もが、その無謀極まりない攻勢を訝しむ。少しでも、道理がわかれば単純な話だ。小康状態にあった西部戦線。小規模ながら、押し上げに成功しつつある東部戦線。そんな状況で、誰もが想定すらしていない戦局で。帝国軍は、全戦線において大規模攻勢を発起。当初こそ、攻勢を予期していなかった合州国・連合王国軍は混乱。これに乗ずることで、一定程度は前進に成功するも帝国は攻勢を維持することができなかった。状況を把握した合州国パルトン将軍の機甲軍団が緊急展開し、帝国軍の側面を打通。これを撃退ないし排除することができず、帝国軍は電撃戦に失敗。衝撃力を失った帝国軍は、数的劣位から急速に摩耗。一時的に西部戦線において主導権を掴みかけた代価として防衛戦力の大半を喪失する。本来ならば、ありえるはずもない事態。ゼートゥーア将軍の構想した消耗抑制ドクトリン。講和模索のための戦線死守。誰もが、その妥当性を認めた恐るべき戦略に真っ向から反する攻勢。消耗抑制ドクトリンと内線理論により形成された防衛戦略。敵ですら、恐ろしさに慄きつつも有効性を認めたのだ。史家はこの戦略の蓋然性を強調してやまない。それを台無しにする大規模攻勢。帝国の残された余力を根こそぎ奪う最悪の選択。あまりに、無謀な大規模攻勢。追い詰められた帝国の先走り。結果だけ見れば、誰もがしたり顔で帝国の行動を笑うだろう。だが、近年修正主義学派が提唱した分析によると恐るべき真相が現れてくるという。通称、『恐るべきゼートゥーア』。帝国軍参謀本部が産み出した恐るべき戦略家にして、『消耗抑制主義者』。彼の恐ろしさは、その実績が雄弁に物語る。世界列強を相手に一国で互し、なおかつ勝利しかけたという一事で十二分に語られるだろう。もしも、帝国に開戦までいくばくかの猶予があれば。彼が、参謀本部から更迭されねば。或いは、彼がもう少し早く戦争指導の全般を司っていれば。そう囁かれるほどに、彼の戦略家としての力量は卓越している。そのゼートゥーア将軍が指揮した東部戦線。近年流出した資料によると、東部においては連邦軍こそが破局寸前だった。それこそ、深刻な戦力不足と指揮系統の混乱で帝国に強打されるほどに。一例をあげよう。今日に至るまで、大戦の英雄、ジョーコフ連邦軍元帥は連邦内部の政治的闘争によって粛清されたと考えられていた。モスコロジーの専門家たちですら、大半がそう信じていた。だが、発見された資料によればジョーコフ元帥は東部において戦死している。連邦は隠匿に努め、辛うじてヨセフ体制崩壊後にそれとなく病没と発表したというのが明らかにされつつある。おそらくは、隠されていた真実だろうと専門家らは分析している。消耗抑制ドクトリンと焦土戦術。これらは、連邦軍を強かに叩きのめす間に防衛線を東部において再編するという離れ業によって成し遂げられていた。連邦軍の陸軍大学において、幾度となく机上演習が行われたが一度たりとも再現されることすらなかったという離れ業。だが、それをゼートゥーア将軍は成し遂げていた。そして、与えられた最後の機会に彼は賭ける。西部戦線の安定化を目的とした大規模戦略機動作戦。『ライヒの護り』作戦こう着状況にあったライン戦線における主導権確保と敵の消耗極限化。大規模戦略奇襲による戦線の再編。そのためだけに、大規模包囲作戦を断行。その恐るべき構想は、たった一つの蹉跌によって躓く。パルトン・ダッシュと讃えられるパルトン将軍指揮下の装甲軍団の緊急展開。これにより包囲網が食い破られ遂に『ライヒの護り』は頓挫する。連合王国の戦闘報告書によると、帝国軍が目的を達成する危険性は6割近い。ゼートゥーア将軍自身が、指揮を取れば実に7割5分と見積もられた。非公式ながらも、連合王国・合州国は事実上の危機にあったことを報告書で認めている。ライン戦における共和国・帝国の戦闘で行われた首狩り戦術や大規模浸透襲撃も密かに行われた形跡があった。ここまでにおいて、ゼートゥーア将軍の構想は足りない戦力を如何に戦術で補うかに英知が絞られている。それは、信じがたい事ではあるが、戦略での劣位を戦術での優位で覆しかねない程に。その鬼才が心血を注ぎ上げ、柔軟性と冗長性が無くなることを覚悟で造り上げた稠密な計画。もしも、パルトン将軍がゼートゥーア将軍の想定したように数日程度遅れれば?攻勢によって大混乱に陥った司令部が正規にパルトン将軍に行動を発令したのは46時間後である。その時、既にパルトン将軍の機甲軍団が行動を開始していなければ、決定的な場面で彼の軍団は遅れる事となった。そう。独断専行寸前の行動によって、パルトン将軍は辛うじて戦線崩壊を阻止した。これがライン戦線の趨勢を決定づけ、帝都への道が開かれたのである。リンデンハート 第七章『ラインの護り』より。その日、パルトン将軍の司令部は共和国市民らによる慰問と、式典に参加していた。クリスマス前のやや浮かれた気分の中で、市民らとの交歓。和やかに進む中で、パルトン将軍と幕僚らは聖歌隊の讃美歌を称賛していた。聞けば、子供達は戦災孤児であり教会が面倒をみているというではないか。まだ年若い子供達を思い、思わず誰もがしんみりとした表情となる。パルトン将軍自身、何か提供できるものはないかと申し出たほどだ。そして子供達の中でも、やや小柄な幼い少女がおずおずとパルトン将軍に記念の花束を差し出す。曰く、感謝の言葉と激励。どうか、頑張ってほしいという思いを子供達が、市民が、各々述べはじめる。そこまでならば、いつもの話だろう。問題は、パルトン将軍が小さなレディに握手した時に当事者以外に気が付くことなく起きた。『…お初お目にかかる。小官は、デグレチャフ魔導中佐。銘は『白銀』。ゼートゥーア大将のメッセンジャーです。』接触することによって、魔導師適性のない人間にも語りかける接触型通信。それを、眼の前で緊張したような表情で手を差し出して来た子供が行っている?この一事は、豪胆で以て鳴らすパルトン将軍をして、思わず愕然とさせしめた。そして、目線を合わせるためにしゃがみ込んでいた為にパルトンの表情は誰からも気が付かれもしないこのような状況なれば、誰だろうとも思わずぞっとしていまうだろう。相手は魔導師、それも名乗りが事実ならば実力本位の魔導師世界においてこの年齢で佐官?『花束にカードが仕込んであります。ご一読を。』「はじめまして!私は、メアリーと言います!」状況が状況でなければ、思わず付き飛ばしで腰の拳銃に手を伸ばしていただろう相手それが、こちらの驚愕を笑うかのような笑顔で握手と共に花束を渡してくる。「・・・ありがとう。小さなレディ。私は、パルトン将軍だ。」「よろしくお願いします。将軍!」本当に、ただの子供ではないのか?思わずパルトン将軍がそう思ってしまうほどに、外見上は和やかなものである。最も、その場を離れると同時に、直ちに魔導師と工兵を呼び出しに花束を解体させ言葉通りにカードを見つける。封筒に入ったそれは、魔導師や工兵によれば特に罠の類は見受けられないとのこと。直ちに彼らを下がらせ、一体何事かと訝しむ参謀ら共に小奇麗なメッセージカードを前にする。そこまでして、初めてパルトンは先ほどのメッセージが白昼夢でないことを理解した。そして、即断を旨とする将軍としては珍しく躊躇した後に漸く渋々ながらも開封を決断。パルトン将軍は所謂信心深い部類ではない。どちらかと言えば、神よりも砲兵を信じている。そして、神よりは戦車を愛してやまない。極めつけに、自分は古代の名将の生まれ変わりだと信じるくらいに英雄願望に満ちている。そんな将軍であっても、真っ当な感覚として何か碌でもない事態が進展していることは虫の知らせで理解できたのだ。だが、だからこそ躊躇を振り切って大胆不敵に彼は行動する。2時間後、彼はメッセージカードに託された方法で『メッセンジャー』を自称する魔導師を迎える。単純に、カードの要請通り教会の聖歌隊に対して指定された名義でちょっとしたプレゼントを送ってみた時はまだ半信半疑だった。だが、堂々と警戒厳重な基地内部に平然と潜り込んできた技量からして、少なくとも餓鬼と侮るべきではないのだろう。わずかばかりのいたずらといった可能性はこれで完全に消えた。幕僚らには呆れられるどころか、休養を勧められかけたほどだが少なくとも自分の直感は間違っていないらしい。相手は、やはり直感した通り見た目で図るべきではないようだ。「…まさか、本当に来るとは。」「ふん、此処までする連中だ。逆に来なければ興醒めだろう。」驚愕を隠せていない参謀長を睨みつけ、黙らせると同時にパルトンは顔を来訪者に向ける。ごく普通の服装、強いて言えば少しばかり迷彩色が強い程度か。魔導師がこんな格好で歩いていれば、絶対に補足は困難だろう。「随分なお言葉ですな。将軍閣下のご招聘に応ずるべく慌てて飛んでまいりましたのに。」「良く言ってのける。いったい何用だ。」だが、表情と口ぶりは明らかに歴戦の兵士のソレ。パルトンに言わせれば、戦士のものだ。なにより、将官や高級参謀を前に堂々たる態度。「人払いを願いたいものですな。事情が事情であることを御考慮頂きたい。」加えて顔色一つ変えずに、厚かましくも要求してくる精神は敬意を払うに値するだろう。少なくとも、よほどの身の程知らずでもない限り慣熟している態度からしてそういう地位にあるとも推察できる。というか、パルトンにとって腑抜けて後方で威張り散らす小物らしい自軍の士官よりもよほど好感が持てると言えよう。「かまわん。諸君、退室しろ。」「感謝いたします。」相手が戦士であるという事は、すなわち闘争の原理を理解しているという事だ。名誉を重んじる帝国士官が、少なくとも抜身の刃を手にしていない以上話す余地はある。和平の使者は、少なくとも槍を持たないのだ。だが、そのパルトンの意図を完全にくみ取れた部下は絶無。一瞬、静まり返ったのはパルトンが何を言わんとしているのかを将校らが理解できなかったからだ。「閣下!せめて、護衛をお付けください!相手は魔導師なのですよ!?」彼らにしてみれば、敵の魔導師相手に将軍を相対させるなど論外。まして、パルトン将軍だ。事の弾みによっては、殺し合いに発展しかねかった。「良く言う。餓鬼の悪戯と笑ったのはお前らだろう。」「しかし!」確かに、餓鬼が来ると言われた時は困惑した。なるほど、確かにまともに受け取らずに護衛も手配していない。だから、そもそも護衛は今更だ。しかし、だからといって唯々諾々と従うべきなのだろうか?「良いからさがれ。どの道変わらん。」「は?」だが、葛藤する彼らの悩みをパルトンは一蹴。どころか、にやにやとこちらを眺めているデグレチャフ中佐とやらに視線を戻す。そして、貴様の腹は読めているぞとばかりに、眼光で答えるように促しておく。「ここまで、魔導師を入れ込んだ時点で敵意があれば小官は発砲しておりましょう。要するに、撃つ気があればとっくに撃っております。」「…気に入った。敵陣に乗り込み、そこまで言ってのけられるとはな。」「名高い闘将に言われるとは光栄でありますな。」どうという事もないような会話。そう、これが戦士の会話だ。腑抜けて機械に依存しきった貧弱な兵士とは違う存在。ドレークといい、デグレチャフといい、まったく魔導師という連中は悉くパルトン好みの戦士である。実に、実に、素晴らしいことだと関心すら覚えてしまう。それに比べて、自分の直属の部下の何たる腑抜け具合か。思わず、全く違う事に腹を立て懸けるも動物的直観で話がそれることを思い出して珍しく彼は自制。「結構。そういうわけだ。さっさと出ていけ。」さもなくば、蹴りだしてやろう。そんな表情の上官を見れば、長い付き合いの士官らは説得を断念せざるを得ないことを理解する。しぶしぶ、本当にそういった表情で参謀長が各員に退室を命じる。さすがに交渉の性質から、知る人間が少なければ少ない方が良いという事は彼にも理解できるのだ。まあ、こんな形で唐突に敵国の魔導士官と話をしたいかと言われれば全く別なのだろうが。「…それで?一体、何用か。」「時間が惜しいので、単刀直入に申し上げたい。」頷き、続けろとパルトンは目線で促す。「閣下、我々は取引を望んでいます。帝国軍の一部は、貴国に対して協力する意図が。」「取引?一部とは?」「率直に申し上げれば、帝国はその身を連邦ではなく合州国に委ねたい。そのために、西方において撤退する用意があります。」だが、続けろと促したパルトン自身でも、ここまで淡々と語られれば一瞬だが理解が遅れる。取引というが、これはほとんど『戦後』に関する外交交渉に近いものだ。パルトンにしてみれば、この状況下でいきなり交渉に入る有効性が理解し得ない。なにしろ、ここで降伏するのならば国務省なり関係機関に一報入れてもらえばよい。野戦指揮官同士の戦域を限定した停戦交渉なり、撤兵交渉なりならば軍使を正式にだせばよいだけのこと。つまり、そもそも秘密裏に士官を派遣してこのような危険かつ大胆極まりない交渉など無益でしかない。「…ほう、ならば即刻武装解除してもらいたいものだ。」故に、パルトンにとって降伏ならば交渉の余地はほとんど皆無だろうと思われてしまう。どのみち、この状況下で悠々と帝国軍主力の撤兵を許す必要があるとも思えない。放置すれば、それらはやがて進撃するであろう合州国のボーイズの前に立ちふさがってくるのだ。逃げる敵は、明日の敵なのだ。パルトンにしてみれば、今日撃てる敵を、明日撃つのは馬鹿のすることである。怠けものとは程遠く、臆病とは無縁の彼にしてみれば、論ずるに値しないほどに。「それは、できません。少なくとも、連邦の脅威が現存する以上我々は貴国が東部国境に至るまで自衛権を保持するつもりであります。」「どういう意図だ?」時間稼ぎか?だが、それにしては無駄に手の込んだ時間稼ぎだ。なにより、戦士として、闘士としてのパルトンの直感がもう少し話を聞く価値を見出している。「昨今の情勢を勘案するに、戦後の帝国の運命は望ましくない。おそらく、貴国と連邦の二ブロックが世界を分割するでしょう。」おもえば、餓鬼相手に舐められた口のきき方だと思う。だが、不思議と話していて許容できた。事の本質を見誤るべきではないのだろう。「我々は、かかる情勢下において我らがライヒの分割を真剣に憂慮している。」口に出している内容は、合州国において将官やその上の人間が密かに論じているに過ぎないテーマについてだ。それだけでも、十二分に話題の深刻さが理解できるというものだろう。碧眼に事の重大さを憂う色があるのは、愛国者故の葛藤が眼の前の魔導師にもあるからに違いない。糞忌々しいあの聖女とやらよりも、よっぽど部下に欲しいタイプだった。帝国が交換に応じるならば、一個機甲大隊を払っても良い位だろう。「故に、西方から撤兵し、直ちに東方の戦力として使いたいと考えています。」「面白い提案だな。だが、知っているとは思うが連邦と我々は一応同盟国なのだが。」提案自体は、単純なものだ。西側で撤兵し、合州国が進駐してくるまで東部で防衛に徹するので速やかに行動を要請。仮にも、交戦中の国家が出してくる提案でなければ平凡極まりないと評しえる提案だろう。逆に言えば、国土防衛が主任務であるべき軍からこんな提案が出る事があるはずもないのだろうが。奴ら、よほど連邦に支配されることが嫌と見えるらしい。わからない話ではないし、個人的感情を加味すれば悪い話でもないだろう。ただ、一応とはいえ気に入らない国家でも同盟国でもある。なにより、パルトンにとって連邦も気に入らないが帝国軍も現存する敵なのだ。甲乙つけがたいと言えば、つけがたい。「失礼ながら、パルトン将軍の御言葉とも思えません。共産主義の危険性は、感じられておられることでしょう。」「…それで?貴様ら、一部の人間とやらは何を望む?」「迅速かつ、速やかな進駐を望みます。可能であれば、今すぐに。」揺さぶってみても、結果は変わらず。パルトンは、一先ず相手の要求は理解した。要するに、保護しろと言ってきているのだ。それも、連邦に占領されるよりも早く。自分のところに話を持ってくるのは、反共主義者としての評判を聞きつけての事だろう。そこまで、こちらの事を良く調べているということはそれなり以上に本気だ。使えるものは全て使うという視点から見れば、悪い話ではない。自分の部下を死なすことなく、戦果を確保できるという提案は魅力的ですらあるだろう。だが、承諾できるかと言えば微妙だった。「補給線が伸びきった状況で伏撃されるのは御免だ。何より、信頼という言葉を教えてやろう。」提案自体は、魅力的なものだ。だが、逆に帝国軍残存部隊を温存したまま撤退させることは潜在的なリスクも多い。何より、信じて進軍すればどうしても速度を優先せざるを得ないだろう。それは、必然的に兵站に激甚極まりない負荷を与える事となる。本国からの兵站線は、ライン低地線を巡るガーデンマーケット作戦以後かなり混乱してしまっている。もちろん、通常の状況であれば問題はないが進軍となると話は違う。リスクもまた、無視し得ないほどに高いのだ。半信半疑という状況で、手を出せるほどには帝国軍という相手を信頼できる道理もない。直観が、進軍を、速やかな進軍を豪語しているとしても、だ。そして、相手もこちらに信頼されないだろうという事は予期していたに違いない。「で、あるならば、我々としては次善策に移らざるをえません。」「ふむ。」断られたということにもかかわらず、淡々とデグレチャフ中佐は小冊子を取りだし机の上に放り出す。外面だけ見れば、年相応の絵本の表紙だが、まあ中身は絶対にまともなものでもないのだろう。奴にしても、そう単純に信頼されることは期待していなかったに違いない。だが、この小悪魔見じみた来訪者はパルトンを良く驚かせる。「ここに、帝国軍最後の反攻計画、『ライヒの護り』作戦の作戦原案を用意いたしました。」「何?何と言った?」「『ライヒの護り』作戦です。我々は、手札をお見せいたしましょう。その上で、貴国の信頼を得たうえで進駐を望みます。」聞いたことのない作戦名。欺瞞か何かだとしても、最後の反攻計画というのは気にかかった。誰もが、帝国軍が消極的な遅滞戦闘に徹するという予想をしていることを思えば尚更に。「…まとめろ。何が、望みだ。」「ライヒを連邦の統治から逃すために、貴国に占領していただきたい。そのために、我々は東部において持久の用意を行っています。」そう。奴の話からすれば、東部で連邦を抑えているうちに合州国に保護されたいというのが奴らの望みだ。だが逆に言えば、本来はそれをわざわざ合州国に伝える必要があるのだろうか?放置しておいても、帝国が撤兵すれば自然と合州国は進軍するはずだ。「わざわざ伝える意図は?」「確約が必要なのです。我々は、貴国が妥協し、帝都入場を連邦に譲りかねないことを危惧しています。」・・・なるほど、少なくとも一定以上の筋は通っている。損耗を抑制しようとして、名よりも実を取ってもおかしくはない。「貴国が現在からの進駐を確約してくれるならば、我々は直ちに攻勢を中止いたします。だが、信頼できないというならば死体を積み上げて覚悟を証明してご覧にいれます。」「…死体で語るというのか?本気か、貴様ら。」「我々は、貴国の進駐を心から望むのです。それが、祖国を保持し、防衛する軍人の義務でありましょう。ライヒ防衛の次善策は合州国占領領域極大化以外にありえません。」これは、戦士か?いや、紛れもなく狂った愛国者だ。健気なまでに、祖国のために挺身してのけた挙句の破局に直面した愛国者だ。その上で、為し得る義務を遂行しているというのは信頼に値するだろう。手段を選ばず、こちらを必要とあれば撃つだろうが、少なくとも合州国の庇護を必要としているのは間違いない。そうである以上、奴は間違いなくライヒのために信頼し得る。「これらの情報を渡すに当たり、望むのは徹底した機密保持をお願いしたい。」「殊更に言ってくれる。信用ならんというのか。」「はっきり言えば、貴国の機構内部に相当数のモグラが潜り込んでいます。我々は、真剣にソレを憂慮してやまない。」ふむ、用心深いというのは悪くはない。まあ本心から警告しているのか、保身からかは知らないが。奴らが独断専行で交渉してくるのであれば、微妙な問題も多いに違いない。それらを考慮すれば、余計な妨害が入ってくることを阻止したいというのはわからん話でもないだろう。しかしながら、鷹揚な気分でパルトンが快諾できたのはそこまでだった。「手土産に一つ。貴国の財務次官補。洗ってみることをお勧めします。」名指しで、一人の人物を洗うように奴は言って残す。本国の財務次官補?洗うとは、どういうことか?「まさか、そんな馬鹿な話が」「黙れ!」動揺し、ありえないと口走りかけた参謀長を一喝。確かに言葉通りならば、重要な意味を持つ。背信者だという告発なのか!?パルトン自身、衝撃を受けていないかと問えば嘘だろう。汚らわしい裏切り者が、背後で策動していると思えばそれだけで怒り心頭となる。もちろん普通ならば、猜疑心をあおるための囁きと一蹴すればよい。だが、取引のための信頼を得ようとする相手が差し出すもの。或いは、可能性に過ぎないにしても本当にありえるのか?混乱と疑念に包まれたパルトンの表情はこわばらざるを得ない。それを知ってか、相手もそれ以上言葉を重ねようとはしてこなかった。そして、仕事を終えたとばかりに一礼。「以上が、ゼートゥーア大将の御言葉になります。パルトン閣下にお伝えいたしました。」だが、そこで奴は豹変した。それまでの傍若無人な態度から、一転。困惑したような表情と、躊躇し、ようやく口を開く。「…将軍、筋違いなのは理解しておりますが。ライヒを保持していただきたい。その限りにおいて、我々は合州国に忠誠すら尽くしましょう。」…当分、忙しくなりそうだった。あとがきパ○トンは激烈な反共主義者。というか、ナチと組んでソ連と戦争しようとか平気で言う人。よく、そもそも将軍になれたなぁ・・・。ZAPしました。誤字修正を続けていく所存です。