その日、彼女は決意も露わに戦場に立っていた。生き残ったわずかな、しかし恐るべき百戦錬磨の古参兵らを率いて。散々に打ちのめされた敗残兵でありながら、その屹然たる存在は敗北というものとは無縁のようですらある。「どうにもなりません。」だが、砲弾に耕された大地におかれた戦闘指揮所で彼女の副官は諦観と共に呟いた。あらゆる戦場に付き従い、将校として真っ当な常識と良識を持ち合わせる副官の言葉。「解囲されつつあります。側面が破られるのは時間の問題でしかありません。」「なけなしの予備隊が展開していますが、かき集めても旅団程度。機甲軍団の突撃を受け止めることは、叶わないかと。」次々と出される報告内容。誰もが、地図に書き込まれる前に悪化している状況を理解出来ていた。それは到底覆しようがない。「状況の悪化は覆しようもない、ということか。」参謀らが呻くような苦吟するような表情で現状認識を吐き出す姿は、悲哀すら漂い始めている。百戦の内の一戦において敗軍の覚悟を決めよ、というのならばまだ楽だろう。だが、国家の行く末を、帝国の存続を賭けた一戦なのだ。例え他で百勝しようとも、今日ここで勝たねば全てが終わる。それを理解した彼らの顔は生きながらにして幽鬼そのものと化す。「残念ながら。誘引して撃滅し得れば、まだ、可能やもしれませんが。」「論外だ。その間に敵主戦線は再編されるだろう。」辛うじて願望交じりの希望的見解を誰かが口にするも、即座に現実的な見解によって夢すら摘まれる始末。最も、薄氷の上で敢行された作戦において臨機応変に敵有力部隊を誘引して撃滅という離れ業を為すのは不可能だ。それは、無理に無理を重ねている帝国軍にとって過酷すぎる要求である。「では、側面をあらされたまま包囲しろと!?それこそ、論外だ。」だが、現状を踏まえれば最後の希望を賭けた包囲作戦が破綻しつつあるのだ。それも、単なる戦術上の一敗ではなく、後の無い悲壮な作戦における敗北である。大王以来の伝統を誇る帝国が存続を賭けた一戦での敗北なのだ。そのような屈辱、誰にとっても唯々諾々と容認などしえるはずもない相談である。「…諸君、総合しよう。つまり、側面が維持できれば良いのだな?」だから、そこにおいて壮烈な覚悟を決めたデグレチャフ中佐の表情には覚悟を決めたもの特有の晴れやかな表情が輝いていた。もちろん彼女とて、後が無いことはその卓越した技量と能力故に理解している。だが、だからこそ彼女は唯一の勝機を見出し得た。刹那というほかにない勝機。戦場において、彼女の率いる戦闘団が唯一、その役割を十全に発揮し得る千歳一隅の稀な機会。側面は、崩壊しつつあるのだ。未だ、崩壊してはいないのだ。そして、側面が崩壊しない限りにおいて作戦には依然として成算が立つ。そこまで考えれば、彼女にとって為すべきことは自明だった。「側面を圧迫しつつある敵機甲師団を押し返す。諸君、死守せよ。帝国の命運は、この一戦にある。」「中佐殿!?」軍団規模で突進してくるパルトン将軍の機甲軍団を押し返す?あまりに無謀、あまりに成算が乏しい。そんな常識的な言葉が思わず参謀らの口から零れ落ちかけ、誰もが否応なく口を噤む。いや、或いは他に選びようがないのだ。「よろこべ、愛国者諸君。我らは、ライヒを救えるぞ。」悟りきった将校の表情。部下を死地に送り込まざるを得ない将校の笑い顔。他に、どのような表情も浮かべることが許されない苦り切った表情を無理やり歪めた様な笑顔。その表情を一体誰が、浮かべたいと思うだろうか。誰が、自らの部下へ死地に赴けと命ずるものだろうか。そこにあるのは、苦渋の決断。義務を為すものに付きまとう、過酷な決断だ。それでありながら、指揮官は孤独に淡々と命じなければならない。苦渋の、いまわしい決断。それは、幾万の言葉よりも如実にデグレチャフ中佐の握りしめた拳が内心を物語っている。だからこそ、全員が思わず笑っていた。彼らには、わずかなりとも笑えるだけの矜持があるのだ。「諸君、ライヒの命運を我らが委ねられるのだ。帝国軍人として、これに勝る名誉はない。」「いや、欣快そのもの。愉快でたまりませんな。」「全くもってその通り。帝国軍人にとって、これに過ぎたる誉れはございません!」誰もが、口を揃えて笑っていた。糞ったれの現実に、如何ともしがたい現実に。押しつぶされることを拒絶し、最後まで懸命に足掻かんと欲し最善を尽くす彼らは笑っていた。そして、誰もなしに口をそろえると彼らは唱和する。「戦友諸君!帝国に、黄金の時代を!」「我らがライヒに、黄金の時代を!」第203遊撃航空魔導大隊に始まり、剣林弾雨に遊び、ライフルを抱いて銃剣を友に戦場を我が物顔で駆け抜けた古参の兵ら。デグレチャフ中佐指揮下のサラマンダー戦闘団は、この日、帝国軍の横腹を死守すべく展開。三度にわたり、パルトン中将指揮下の機甲軍団の攻勢を満身創痍となりながら跳ねのける。なれども遂に四度目の攻勢において、文字通り部隊が瓦解。最後の一兵まで奮戦するも、遂に彼らは大地へ倒れ伏す事となる。かくして、その英雄的な末路はかく語られる。彼らの誰もが前のめりで果てていた、と。無念を噛みしめるように、誰もが撃ち尽くした武器や壊れた宝珠を手に最期まで戦った骸を晒した、と。ミュンヒハウゼン・ブックス 『魔導猟兵伝説、サラマンダー戦闘団の最後』静寂さを突如無粋な三度の銃声が掻き乱す。ライフルを担いだ男は肩をすくめると、念のための銃剣を手に撃ち抜いた軍服姿の遺体へ歩み寄った。倒れ伏している遺体が身に付けた徽章は帝国軍魔導少佐。遺体が手にしている壊れた宝珠は、全軍でも希少なエレニウム工廠製97式後期生産型『突撃機動』演算宝珠。そして、身に付けた銀翼突撃章。そのシリアルナンバーは、帝国軍ヴァイス魔導少佐に授けられたものであることを物語っている。「ヴァイス少佐、これで今日から貴官は大佐というわけだ。」そして、その倒れ伏した遺体の傍でナイフを掲げた男の傍らに立っていたデグレチャフ中佐がニヤニヤと笑いながら遺体を蹴り飛ばしていた。問題はないだろうと判断しつつも、男に油断はなかった。違和感が無いようにと死体に銃剣をさして念を押す。「問題無しか。昇進おめでとう、大佐。」「はっ、光栄でありますデグレチャフ准将閣下。」そして、ヴァイス少佐は自分に向けられるからかい混じりの言祝ぎに応じた。「やれやれ。これで誉れあるザラマンダー戦闘団も壊滅だ。諸君、どうだね?死んだばかりの気分は。」あちらこちらに倒れ伏し、あるいは砲弾で引きちぎられた死体の山々。長距離狙撃術式で焼かれた遺体や、形をとどめない程度にバラバラになった肉片すら転がる戦場跡地。そこに、帝国軍サラマンダー戦闘団の遺棄した車両や複数の各坐した野砲がうち捨てられていた。少なくとも、誰が見てもここにあった部隊が完膚なきまでに消滅したことは理解出来るに違いない。すでに、数時間前に司令部には接敵報告を送り、苦戦していると匂わせることまで終わっている。後は、戦場で遺体を回収しタグを照会して火葬すれば全てが書類上は完了する事となっている。そう、法的にはここにいる戦闘団の残余は悉く死者なのだ。実際、彼らの名が付いた死体が回収され火葬されることも確定済み。「悲憤慷慨といったところですな。」「強いて言うならば、重かったのが頂けない。もう少し、小柄なのはなかったのですか?」「やれやれ。死んだのだから、もう少し大人しく謙虚にお迎えが来るのを待ちたまえ。」そうまでして、彼らの死は偽装される。最も、将校を除けば兵の多くは身寄りのない連中だけが志願して付いてきている。なにしろ、『特殊作戦』と称して決死の作戦に志願を募ったのだ。サラマンダー戦闘団の中でも、比較的身寄りが乏しいものらによって構成された『バルバロッサ』大隊が戦死を偽装。他の残余戦闘団は、委細を含めてある将校らによって以後は合州国によって包囲され戦後を迎える予定となっている。「天なる国へ、でありますか。いやはや、しばらくは煉獄暮らしでしょうが。」「諸君の様な戦闘狂には三千世界をひれ伏させてみるのも、面白いだろうがな。」まあ、存在Xの手先を蹴り飛ばし銃剣で突きさすというのは想像するだけで愉快なのは間違いない。忌々しい95式を使うたびに自由が、健全な魂が蝕まれるのだ。これを思えば、確かに部下の様な戦闘狂を率いて三千世界ならぬ天なり煉獄なりを蹂躙するのも悪くはないだろう。「あいにく、この私は平和主義者である。義務は果たすが、争いは望むところではないよ。」だが、どちらかと言わずともターニャにとって平和こそが最も尊重されるべき価値観である。せいぜい、教会をブービートラップだらけにするなり、激戦を偽装するために砲弾を打ち込む的にするなりで今のところは我慢できた。まあ、手の届くところに存在Xの手先どもが湧いて来ても殴らないかと言えば、殴らずに銃弾なり術式なりを叩きこむのだが。「ああ、中佐殿はお優しい。」「時々、自らが軍務にふさわしくないのかと思うがね。」そんな軽口を叩きながら、あくまでもリラックスした感じを保つ。というより、こちらが戦意に満ち溢れていると誤解されて撃たれてはたまらない。なにしろ、全滅したという態で危険な戦場からひっそりと姿を消すのだ。回収し、収容してくれる合州国の面々とも仲良くやっておくに越したことはない。本音で言えば、収容されるという事に危惧を覚えないでもないのだ。なるほど、拘束されるのか軟禁されるかの違いは無視できない。「まあ、ヒスパニアのバレンシアオレンジでも楽しみにしようではないか。」取りあえず、両者の妥協がヒスパニアでの拘留という妥協だ。親帝国寄りながらも、合州国・連合王国に恩を売りたい彼の国。イルドア王国絡みで面倒事は避けたいルートではなく、教会を介さない独自のルートを採用してある。建前では、中立国に迷い込んだ軍人らと同様に拘留されるという事になっている。まあ、監視付きだがある程度の自由が戦後まで保障されるという密約が辛うじて結べた。彼らの黙認の元で当面は帝国の産業基盤を解体輸出するのがターニャの仕事となる。まあ、マネジメントはかつての前職であるし問題はない。むしろ、健全かつ生産的な経済活動に携わることができる分ターニャとしてはご満悦と評しても良い結果だ。ヒスパニアの大地がもたらすバレンシアオレンジとパエリアに代表されるヒスパニア料理というのも乙なもの。何より、良好かつ平和な環境下で経済活動を平和裏に行うのだ。ターニャにとってみれば、まさに本領を発揮するにふさわしい戦場である。「…平和の謳歌ですな。」「ああ、平和主義者にとって素晴らしい理想だとは思わないか?」如何にも、待ち遠しい。そんな口調で呟きながら、ターニャはこちらに近づいてくる一人の軍服姿の男性に目を向ける。「…どうやら、お出迎えの様だ。総員、傾注。」敵意はないものの、秩序だっていることをアピール。単純だが、全員が直立し捧げ銃の体制でこちらに接近してくる士官と思しき男性に敬意と注意を向ける。ここまで事が進んでいるのだ。まさか、ぶっ放す馬鹿は双方にいないだろう。そんなことを緊張しながらも、ターニャは希望する。まあ、こちらに歩み寄ってくる士官にしても、緊張は同じだろう。取引ができていなければ話題に事欠かない『ラインの悪魔』へノコノコ近づいたりしないに違いない。「…貴殿らが、平和主義なら世の中はよっぽど過酷なのでしょうな。」「失礼、無聊を厭う慰みに過ぎません。お待ちしておりました。」お互い、緊張していたとわかりつつも一定程度に慣れ合わないことを理解。いや、素晴らしい緊張感だ、とターニャは素直に喜びを覚える。「結構。」「では、世話になります。」慣れ合うでもなく、見下すでもなく淡々とした職業意識による扱い。まさに、理想的な人間関係のソレである。意味のわからない八つ当たりで突き落とされて以来、絶えて久しかった人間関係でもある。実に、実に嬉しかった。やることは、山の様にある。例えば、こちらの誠意を示しつつコミーの脅威を示すために有名なスパイでもこっそり密告しておくべきだろう。でも、ある程度出し惜しみも大切。取りあえず、最後まで取っておくべきKFさんの事は黙っておこう。いざとなれば、彼を密告するだけで十二分に功績として連合王国がかくまってくれるだろうし。そこまで、思い至った時、ターニャは自分が珍しく高揚してマナーを忘れていたことを思い出す。「以後、よろしく。」そう呟き、ターニャは喜んで手を差し出す。渋々返される握手の手を握り、ターニャは満面の捕食者の笑みを浮かべて呟く。「では、契約を果たすとしよう。」基本的に、下々の者どもについて干渉しないというのは原理原則である。もちろんその原理原則を、森羅万象を司る面々は重んじている。なにしろ、従属と自発性という問題は尊き方々が真摯な議論の末に善導すべきものと結論付けられているのだ。信徒は、その自らの内発的な動機により信心を問われるべきである。これを強制することは、形式的信仰の誘発につながりかねない悪行に等しい。なればこそ、下々の事柄は善導すべきとされるものの直接的な介入は原則として望ましくないとされている。「天に捧げる灯、でありますか?」故に、とある地上を担当する存在が、申し出たと提案は珍しいものだった。捧げるべき灯について、善導したいという提案は、介入を意味するのだ。最も、提案という行為には相応の理由も存在している。なにしろ、天に何かを人が捧げる儀式は、近年絶えて久しい。忘却の彼方に忘れ去られ、形式的な言葉だけが送られているのが悲しいかな、実態なのだ。「ええ、大変謙虚で素晴らしい。火の祭典を人の身でありながら、地上の子らが意図したのです。」そして、彼らにしてみれば意思を内発的に示した時点でそれらは介入とは別のモノとなる。為すべき行為を強要する訳にはいかずとも、迷える子羊が道をゆき始めれば、障害を取り除く。彼らにしてみれば、そうして善良なる信徒を幾度にわたり導いてきたのだ。使徒を使わすことが、奇跡を使わすことが、例外だとすればこれは存在にとって常道ですらあった。善き行いのために、人々を導くという崇高な使命感と義務感。それらが充足されることを、英知と共に彼らは言祝ぐ。「それは素晴らしい!ようやく、祭壇に火をともし、神の奇跡を願うのですな。」「祈りの言葉、救いを求める健気な子羊らの改心した声が届いております。実に、実にすばらしい。」彼らとて、人の世が求める奇跡が変化し、同時に信仰が移ろいつつあることは認識していた。なればこそ、なればこそ状況の改善のために何を為すべきかを真摯に議論しているのだ。その存在らにとって、これはまさに福音ですらありえた。「未だ、迷いや逡巡が見られるのも悲しい事実ではありますが。」「弱く迷えるものを灯の光で導くのは、使命でありましょう。」もちろん、誤りなき人間などありえないというのが真理だ。人々が、例え正しい行いを為そうと動き始めたとして力強く為し得るとは限らない。種は、茨に囲まれ、岩場に播かれれば、芽を出すことが叶わないのだ。その問題を乗り越えるために、善き種の芽を存在らが護り、そして導くのである。「異端どもも悔い改めましょう。それにしても、こたびの使徒はよくやっていますな。」故に、存在らは労を惜しまない。それどころか、状況をここまで改善させしめた新たなる使徒を大変評価する。なるほど、信仰の言葉を人々に思い起こすべく派遣された前任者はある程度実績を上げている。だが、同時に森羅万象を司る存在にとって満足すべき結果とは程遠い。対して、新たなる存在の使徒は能う限りの才を持って信仰に挺身を為している。そして、遂に火の祭典を、清めの灯を為すのだ。絶えて久しい典礼。それらの復古という事の意味は、計り知れない。「実に、結構。素晴らしい限り。主の御心も安らがれましょう。」故に。存在らは事象を歓迎してやまない。混乱まみれの連邦主戦線。間抜けどもと、任務を果たせなかった護衛を口封じがてら、人間の過去形にする作業を陣頭指揮する同志ロリヤの表情はすぐれない。彼が、多大な期待を込めて梃入れした冬季大攻勢は、確かに一定程度成功を収め得ていた。しかし同時に、成功し過ぎて大いなる災いをもたらしてしまう。指揮系統が一変し、ゼートゥーア大将が帝国軍東部戦線の防衛指揮権を獲得。なりふり構わない焦土作戦と、首狩り戦術の組み合わせは頼りになりそうだった連邦の英雄を奪っている。情報統制と、ある程度の口止めでなんとか秘密を維持しているものの敗北という事実は響いてくる。「…党中央の、同志書記長の不興。やはり、どう考えても不味い。」実際、かなり無理を言って親衛軍の動員を認めさせていた。戦果に見合った犠牲と言えば態は良いだろうが、損耗を嫌うのは誰だろうとそうだろう。そして、前進出来ているとはいえ事態が悪化しているという事は譴責こそされずとも危険な事態に違いない。もちろん、有力すぎる部下を嫌う同志書記長の前で勢力を落すというのも保身上は良いだろう。だが、責任を取らせたいと同志書記長が思われるほどの失敗は不味すぎる。功績と失態を比較すれば、今のところは地位を保ちえるのだろうが。だから、なにがしかの行動が必要だった。成果を上げる必要があるのだ。そうして、適当に人間を過去形にしつつ時間を過ごしていたロリヤに衝撃的な知らせが飛び込んで来る。「何、帝国が西部で攻勢発起して大敗しただと?」「はい、連絡官らの報告を総合すると、数日前の衝突が本格的な会戦だったと。」執務室に使用している旧ルルマルシャ王国貴族の城館の一室。その室内で受け取った通信文を読みあげたロリヤは絶句する。敵残存戦力を分析しているロリヤや連邦首脳にしてみれば、東西両戦線で帝国が攻勢を発起できること自体が想定外も良いところ。そもそも、残存戦力が乏しいからこそ焦土戦で遅延戦を行っているに過ぎないのではないのか。「連合王国や合州国はなんといっている!」「多大な犠牲を払ったが、一先ず連中に大打撃を与えたというニュアンスでしたが。」だが、疑念まみれとしてもとにかく不明な点を明らかにするために交戦した『同盟国』からの知らせをロリヤは欲す。そして、秘書官から差し出された報告書の束に眼を走らせ、損耗度合いの把握に努める。見る限り、かなり大規模な攻勢だろう。投入された戦力の規模、動員されている後方要員の規模をみる限り帝国にとって余力を振り絞っての攻勢に違いない。そして、多大な損害を連合王国や合州国に与えることにも成功している。しかしながら、それらの代価としてほとんど余剰戦力は瓦解してもいるのだ。これらを勘案すれば、わずかに進軍ペースが鈍ろうとも最終的な終戦はより早期になりえる。「ううむ、報告通りならば良い。良いのだが・・・何か、匂わないかね諸君。」戦争の重荷に直面している連邦にしてみれば、早期終戦や敵の弱体化は歓迎すべき事態である。報告通り、大きな会戦があったという程度ならばロリヤもこれほど引っ掛かるものを覚えることは無かっただろう。だが、この状況下でなけなしの戦力を振り絞って攻勢を行うという点に違和感があった。帝国軍というのは、ロリヤの認識ではもっと狡猾でしぶとい反体制派並みに諦めが悪い。最悪の反動勢力であると言ってしまってもよいほどだ。そんな連中が、追い詰められた破れかぶれの攻勢を発起し得るのだろうか?なにがしかの成算があってのことだろうか?だが、そうだとすれば連中はリスク計算を行い損害の最小化に努める筈だ。「いや、考え過ぎだろうか?我々への影響は?」だが、一先ず深刻な疑念を抱いているとしても影響を算定する必要がある。疑念への対応を先送りし、分析を持参している補佐官にロリヤは顔を向け問いかけた。「はっ?・・・これで、主戦線で一息つけるかと思われますが。」「不幸中の幸いでしょうな。これで、時間が稼げる。」だが、そこでロリヤは引っ掛かるものを同定する。そう、それだ。刹那のひらめきであり、何故思い至ったのかはロリヤ自身説明できないものである。何かが、ロリヤの頭に答えを囁いていたかのような唐突なひらめき。「・・・・・・何!?今、何と言った!」「じ、時間が稼げると。」突然豹変したロリヤに、あからさまに言えば怯えつつも補佐官が言葉を繰り返す。時間、時間が稼げる。そして、なるほど時間が稼げるというのは連邦にとってだろう。だが、何も連邦だけではなく帝国にとってでもないのだろうか?「それだ!時間だ!してやられた。何たることだ!」「は?」「わからんのか、この無能どもが!時間稼ぎだ。奴ら、結託したのだ!」帝国軍が、あの忌々しく狡賢い連中が。敗北を拒絶しようと足掻くのではなく、敗北を前提として足掻くとすればどう動くか?当然、連邦よりは連合王国なり合州国なりと何処かで手打ちするに違いない。だが、何をするにしても交渉するための時間が、連邦を遠ざけておくだけの時間が必要になるに違いない。「同志ロリヤ、まさか、帝国と連中が手を結んだと?」そう、そう考えれば全て辻褄が合う。なるほど、大打撃を受けた帝国軍の部隊が後退して再編するとしてどこに送られる?いや、そもそも必要無い攻勢で統制しにくいアホどもを粛清しがてら誠意の証明とすれば?この程度の発想ならば、連邦にとってむしろ馴染みのある思考方法だ。「間違いない。帝国は裏口を開けて庇護を求めるつもりだ。それ以外に、ありえん。」裏口を開ける。そして、ボロボロになった連邦軍が再編している間に、帝国が時間を稼ぐ。これは一見すると、連邦のための時間的猶予であってその実逆だ。連邦の世界戦略に対する、明確な痛打。「そんなことがありえるのでしょうか?何より、帝国と連合王国や合州国がそれほど信頼しあえると到底思えないのですが。」「交戦は、連絡官らが直接確認しています。ファニーウォーとは程遠いという報告ですが。」無能どもが囀る中で、ロリヤの頭脳はむちゃくちゃな思考過程ながらも、正しい答えに辿りつく。それはあたかも、ジャングルの中をむちゃくちゃに駆けまわって奇跡的に出口に至るような確率だった。だが、それでも出口に至ったのだ。「馬鹿か貴様ら。私の妖精だぞ。それくらい、やってのけるに違いない。」戦後を見据えて、帝国が秋波を合州国に送るための貴重な時間稼ぎ。それらに、連邦が知らぬ間に付き合わされて進撃を留めてしまっていた。つまり、悠長に再編などしている場合ではないのだ。「前線の軍人どもを突け。今すぐに、前進させろ。今すぐにだ。」損耗を顧みず、今すぐに前進することこそが最善だとロリヤは確信する。手段は、結果によって正当化されるという連邦の哲学はロリヤに行動を求めているのだ。「いいか、損害に拘泥するな。直ちに、帝都まで進軍せよ。停止は認めない。」後書きあとちょいで、東部の大空襲とか。というか、そろそろ本格的に帝国が蹂躙されるだけです。当分、ターニャじゃない人たちの活躍が多くなると思います。本作は、取り合えず帝都攻防戦とその後の戦後処理で完結する予定となっています。なお、完結後に【試作】背教者の兄(歴史物・ローマ帝国)というのを頑張って書こうかと思っています。まあ、他にもいくつか候補があるのでご指摘等あればぜひよろしくお願いします。ZAPしました。