勝敗は兵家の常だ。故に、マレンゴが物語るのは、最後に立っていた者が勝者ということだ。ピュロスは、ハンニバルは、カール12世は何れも類希な戦略家であった。同時代において、彼らに比肩しうる才覚を持つ将軍はほぼ皆無ですらあっただろう。恐らくは、アフリカヌスにとってすら、最盛期のハンニバルを食い止めることは過酷にすぎるのではないだろうか。だが、歴史は彼らを悉く敗者として記録する。ボナパルトですら、マレンゴの戦いではドゼー将軍を失うという高すぎる犠牲を払い、そしてマレンゴの奇跡は二度と起きなかった。ハンニバルは真に卓越した指揮官であり、ボナパルトは天才的な軍人であった。その能力は敵から畏怖されるほどである。彼らは、戦史にその名を輝かしく刻んだ。だが、彼らは敗れた。何故か?答えは単純だ。ハンニバルに勝てないならば、ハンニバルと戦わなければ良い。彼の指揮下にない部隊を叩き続ければ、ハンニバルの手足を削げる。そして、ハンニバルを封殺しえる国力と一体性が共和制ローマにはあった。同じく、ボナパルトに勝てないのならば、ボナパルトの手足を1つ1つ削いでいけば良い。成る程、ハンニバルと異なりボナパルトの手足は非常に有能だ。マッセナ、ドゼー、ミュラ、スルトにランヌやダヴー。その何れもが軍人として卓越した指揮官である。彼らを束ねたボナパルトは恐ろしい。だが、いかに有能な将軍とて居なければどうか?最後にボナパルトが指揮下に持っていたのは、グルシーだった。グルシーではなく、仮にドゼーかランヌがボナパルトの持つ指揮官ならば。或いは、ベルティエ参謀長さえ居れば。最後に立っていたのは、フランスだったであろう。しかし、ボナパルトに奇跡を起こしうる彼らは悉く先立っていた。勝敗は、戦略のレベルでほぼすべてが確定する。最良の指揮官を、将校を揃えるということは戦略次元の課題だ。故に、ターニャは帝国の敗北を誰よりも切実に理解し、かつ予見し得た。それは、歴史が証明した事実ですらあった。自由と市場経済を信奉する無神論者として、ターニャは自由経済を死守すべく行動を開始。ここにおいて、ターニャの戦場は戦後という舞台を見据えて戦われる。言い換えれば、戦後の秩序を見据えての行動となる。さて、平和な世界とは秩序とルールが何よりも優先される世界のことだ。お上品な、優しい穏やかな世界。その世界では、有事においては許容された行為が嫌悪され忌み嫌われる。正義が物事を評価する物差しとなる世界。ここにおいて、勝つために許容された行為は、勝者にとって不都合な事実と化す。時に、隠匿を必要とするほどに。そして戦時中の英雄は、時と場合に依っては困り種になりかねない。何よりも、統制のきかない英雄で軍内部に軋轢を生むアホは無用の長物だった。戦時中には称賛された兵士が、戦後には石もて追われるのもそこに起因する。彼らは、平和な世界において居場所のない異物なのだ。故にターニャは統制に服した。如何なる艱難だろうとも、自由の敵である存在Xにいつの日か正当な代価を支払わせるために甘受してのけたのだ。その日まで、生き延びて神と称する奴を滅さんと心に決めている。だからこそ、ターニャは軍内部において畏怖され、警戒されなかがらも最後の日に置いても軍人として評価されている。その行動原理は明瞭であり敬意を持って信頼すらされるほどだ。簡単な話だろう。いくら営業成績が良かろうともコンプライアンスを無視する社員はリスクの原因である。それを人事の経験から、ターニャは嫌というほどに理解し恐れてすらいる。なればこそ、ターニャはルールに服従した。そして、メアリーは自らをルールと定義した。自らの信じる正義と神の加護によりて彼女は確かに1つの価値観を体現するに至る。そこに、迷いは存在しえない。だが、だからこそ既存のルールと相容れないとき、彼女は自らのルールを余りにも容易く適用しすぎた。それは勝つために黙認されこそすれども断じて、歓迎されない。いや、苦々しく辛うじて許されているに過ぎないだろう。何よりも彼女にとって不幸なことに、彼女には影響力があった。それこそ、『合州国』が手にした『神の炎』を照らせるほどに。メアリーの中において、完全なる正義と信仰は政治による秩序に優越する。それは、ロリヤという連邦の謀略家にしてみれば容易に攻撃目標を誘導し得ることを意味していた。共産主義者に踊らされる、影響力の大きな制御できない魔導師。所属国にしてみればこれ程百害あって一利も無い存在も無いだろう。故に、戦後の秩序にはメアリーの席が用意されないのだ。メアリーに勝者が望むのは都合の良い『退場』である。「同志ロリヤ、党より至急の召喚であります。」そして。どうして同じことを連邦が考え付かないことがあるだろうか?血塗られた歴史は、彼らが常に血を血で洗う事を示してすらいるのだ。只でさえ、独裁者にとっても危険なまでに国内の権力を掌握しつつある秘密警察のトップ等は余程のこともない限り長生きできるわけもない。それがために、多くの秘密警察トップは生き残るために極めて複雑な事象に留意し続ける必要があった。その典型例がフランスの誇るもっとも有能な警察長官と言われるオトラント公だ。オトラント公こと、ジョゼフ・フーシェに至っては風見鶏とあだ名されるほど変化自在に立場を変えている。彼は、驚嘆すべきことにあのフランス革命期において、すべてを生き延びた政治的動物である。彼をギロチンに送ろうとした人間は、逆にギロチンで裁かれる羽目となった。彼を罷免しようとしたボナパルトですらフーシェの有能さゆえに度々苦々しい思いをする羽目となっていた。そして、ボナパルトが失脚したのちも彼は辛うじてながらも自らの爵位を保つことには成功している。驚嘆すべきことに、彼は何時如何なる時も勝者と共に合った。それは、全て慎重さと異常なまでの嗅覚に支えられての結果である。ロリヤもまた、フーシェの同類であった。少なくとも、彼にとってのイデアに出会うまでは。だが、彼は変わった。変わらざるを得なかったのだろう。それはロリヤにしてみれば必然だ。しかし、彼の数少ない同僚や上にしてみれば困惑ではすまない。 恐ろしいが理解できていた怪物が、今や理解しがたい怪物に化したのだ。経験則から、連邦指導部は結果的にロリヤを切り捨てることを本能的に決断する。彼がここまで手をつけられなかったのは簡単な理由による。戦後に責任を取らせるために過ぎない。生け贄の羊は、そのために保存されるものだ。なればこそ、この戦争で生じた失策を押し付けて封印できる。その過程は、機密の分厚いベールに覆われ全貌は容易にうかがい知れないものだ。そして、誰にも知られることの無い後始末が帝都のやや西方で皮肉な組み合わせによって行われていた。化け物は所詮化け物。滅することが能わない神話の存在とは程遠い。成る程、規格外であることは事実。だが、結局のところ。人の規格で測れる以上、人智の範疇に留まるのだ。そう、何時だって、化け物を倒すのは人間の仕事である。「エンジェルより、FAC! 繰り返します、エンジェルより、FAC ! 」救援を、それも至急要請する広域無線。爆炎と立ち込める煙に紛れながら途切れ途切れにもがく人影は、メアリー少佐が指揮する長距離偵察隊の残骸にすぎなくなっている。救助を求める声には、焦りの色。逼迫した感情がありありと脈打つそれ。それは、今宵こそはと意気込む猟犬らに歓喜をもたらす。彼女の小隊に割り当てられた無線の暗号形式と周波数は明らかにされており、帝国軍のジャミングはほぼ完全に封殺に成功。何しろ自軍の周波数だ。ドレーク大佐にしてみればわからない方が可笑しい。「周波数のジャミング良好。」「カバー展開は維持できています。」加えて。電磁ノイズを複数方向に展開している要員が発生させることで作戦行動圏内部は高出力の短距離通信以外を阻害。完璧を喫するべく外部からの介入を阻止するために近隣部隊は然り気無く配置転換まで行われている。特にシンパ共は念入りに。これで外部からの助けは、絶対にあり得ない。その上で、ノコノコと前進してきたアホが隠匿されていたとおぼしき帝国軍施設の調査に入った瞬間に吹っ飛ばした。使用した爆薬は、出撃する燃料を欠いた戦艦群の主砲弾1200発を流用。そこに、88ミリ高射砲やら何やらの炸裂する弾丸をありったけ詰め込み吹っ飛ばすという剛毅な初撃である。化け物が相手なのだ。出し惜しみは一切なし。文字通り、要塞を爆砕できる鉄量を投じた一撃。戦艦どころか、戦艦からなる戦隊すら一蹴できるそれ。「驚きました。あれで、生きているとは。」故に、連合王国の海兵隊上がりにしてみれば俄には信じがたかった。戦艦の総弾薬量を上回る規模の鉄量。それに巻き込まれ、人間が原型を保っているどころか、生きているというのは奇跡に等しい。海の人間にしてみれば、それほど非現実的に過ぎる光景だろう。「なんのために集積地を誘爆させたか再認識すべきだな。全く、普通ならば生きているのが奇跡のはずなのだが。」「…あれでくたばらないとは。成る程、閣下ですら殺し損ねるはずだ。」だが、だからこそ。皮肉げに笑う帝国・連合王国の指揮官らは改めて嫌でも相手の非常識さを再認識させられる。メアリーは、あの糞袋はアホだ。戦略面で見れば、恐ろしい迄に無能だろう。戦術規模で、指揮官として見れば全くとるに足らない素人同然。その意味では、デグレチャフというある種の傑物とは、比べるまでもない。「ラインの悪魔が殺し損ねているのだ。覚悟してはいたのだが。」だが、戦略・戦術といった部隊行動ではなく単独の戦闘力に関してだけは別なのだ。卓越した、恐らくは当代随一の発現力にものを言わせるだけの力業。それでいて、ラインの悪魔が仕留め損ねているという事実が規格外さを際立たせている。恐らくは、個人で討ち取れる魔導師ではない。ある程度の技量を持つ魔導師を集団でまとめて初めて対抗できるというレベル。「波状で刈るしかあるまい。」なればこそ。なればこそ。帝都が焼き尽くされようとしている今、バルバロッサ司令部は手持ちで尤も精鋭を『戦後のライヒ』がために投じている。連合王国の部隊は、大佐級の将校が直卒する特殊戦部隊が特派されている。その上で、数の暴力を組織的に束ねてかかる必要性をドレーク大佐は認めているのだ。「化け物退治だ。磨り潰す。」「同意です。損害を度外視し強襲を?」「あれはしぶとい。我々以外の鑢で磨り潰すしかない。砲撃を手配した。」グランツという若い帝国の魔導大尉。突撃宝珠をかの怨敵に突き刺したくて堪らないという戦意は見事なものだ。部隊の練度も高く、恐らくはネームドも少なくない。東部帰りの魔導師を侮るべきではないのだろう。「砲撃を?飽和量の鉄量が?」そして、何よりも徹底しているのは戦力の情け容赦無き活用。無駄を一切排し、極限まで可能性なことを行わせる思考方法は究極の功利主義。刺し違える事を、平然と戦術に含み得る異常さ。ドレーク大佐にしてみれば、ラインの悪魔が持っていた非人間的な匂いを嫌でも意識してしまう。だが、物思いにふける時ではない。報告される迄もなく、耳が聞きなれた砲弾の飛翔音を捉えた。その戦場音楽がドレーク大佐を戦場に引き戻す。「弾着今!」特注の誤射。制限なしの盛大な釣瓶打ちを最精鋭に行わせる。それも、わざわざ榴弾と指定して撃たせているのだ。当然だが、一番強力な203ミリに撃たせている。少なくも、削るには有効だろう。「降り注いだようだな。」着弾は見事なものだ。教本に見本として載せたいほどに見事な、誤射である。遮蔽物すら存在しないエリアへ着弾は非常に効果的という他に無いだろう。だが、それを見るグランツ大尉とドレーク大佐の表情には楽観の色はない。「有効打足りえるとお考えでしょうか?」グランツ大尉が口にする疑問がその象徴だろう。魔導師の防御膜は小銃程度の弾丸には抵抗し得る。ネームドの防殻に至っては、至近で炸裂した手榴弾や40ミリ対戦車砲にすら対抗し得るだろう。無論、飽和攻撃ではその限りでもない。しかしグランツの知る限り、ネームド相手には122ミリ以上の砲か、余程の高速貫通弾でない限り撃破は確実ではない。稀有な例だが彼の上官は大口径砲の徹甲弾を被弾した上で平然と飛び続けた。その上官が制限下とは言え仕留め損ねる獲物である。率直に言えば、打撃力のために戦艦の主砲による援護すら望みたいところであった。だからこそ、初撃には戦艦の砲弾を持ってきたほどである。ドレーク大佐も同様に打撃力の不足は認めている。「それこそまさかだ。だが、奴の余力を削ぐことはできるはずだろう。」防御のために、防殻を強化すれば疲労の度合いは高まらざるを得ない。被弾しないために、回避機動を取っても消耗するというには違いがない。とにかく、奴を自由に行動させずに削り続ける。その意味では、砲撃は大変有効だろう。出血多量で動けなくなるまで撃てばよいだけの話。「確かに。」有効性については、グランツもまたそれを理解し得た。削るために、制圧下に押し止めるというのは戦術としては正しい。だが、同時に戦術としては押し止める為に奴を、ネームドの中の化け物を拘束する必要がある。「ですが、奴を制圧下に留めるためには猟犬が必要となるでしょう。我々が猟犬を務めようと思うのですが。」故に、軍人としての経験からグランツは申し出る。忌々しいメアリーという雌狐に見立て、追い回すことを。その獲物は遥かに狂暴であるものの、やってやれないことはない。部下は死ぬだろう。自分も死ぬやもしれん。運が良く、死神に嫌われていれば或いは手足の一本ですむやもしれなかった。元より、撃たれることなく撃てるとは思っていない。だが、自らの価値は少なくとも証明はできる。「感謝する大尉。よろしく願えるか。」「お任せを。我々が、何度も通ってきた任務です。」ライヒのために。祖国を、傾かんとするライヒのために。バルバロッサの要員は全てを賭けたのだ。ライヒに、黄金の時代をもたらすために。「盛大に遊んでやりますよ。帝国の真髄をご覧ください。」何より、相手は化け物だ。所詮は化け物に過ぎない。化け物は、何時だって最後は人に狩られて終わるのだから。滅びゆく帝国への餞に化け物退治を司るは軍人が誉れ。さぁ、のたうちまわれ化け物め。我らが、帝国の誉れが、遊んでやろう。南半球の暑さもカフェの中までは入ってこない。約束の時間にカフェで待ち合わせ。未だに抜けきってはいない帝国訛りのヒスパニア語に男は待ち人が来たことに気がつく。同時に、『予想以上に』訛りが少ないことに内心で眉をひそめる。ある程度の訓練を受けるか、現地人でも注意しない限りあまり違和感のない発音。偽装の必要上、帝国訛りを直そうとするのは予想できていた。しかし、長年の母国語に由来する発音の習慣が簡単には変えられるだろうか?言い換えれば、相当以上に訓練されていなければ語学というものの発音はなにがしかの形で残るのだ。相当長期のヒスパニア語学習者?一体、自分の交渉相手の経歴はどうなっているのだろうかと思わざるを得ない。駐在武官か、ヒスパニア系帝国人か?だが、先入観に頼りすぎるのは危険でもあるだろう。想像はそこで留め、彼は静かに客人がウェイターに案内されるのを待つ。「カンパニーのジョン・ドゥ課長です。」「カンパニー?改編されていたとは存じませんでした。いつ、改革を?」第一印象は、自己紹介を拒む頑な態度と此方について強い関心を有しているというもの。交渉相手の重要さから、相手が慎重になるのは予期されていた。わざわざクリアランスを四重の機関にチェックされたあげくにメッセンジャーとしてカンパニーの課長を派遣するのだ。彼らから提供された情報が、緊急の課題を暴露したのだから、その慎重さは内部でも理解は得ている。「ご親切なご助言を頂けたお蔭でしょう。感謝状を贈呈しても良いのですが。」「我々の仲ではありませんか。ご無用に願いたいものです。ご用件を頂戴できるでしょうか?」だが、それもこれに比べればまだ可愛い。「ケーキと水道管の商談に。」奪取された新型爆弾。あれは、不味すぎた。はっきりとした影響は、分析官が匙を投げるほどという。口が裂けても口外するなと念押しされた後告げられたときは思わず唖然としたことを今でもはっきりと覚えている。みすみす奪取されたアホも、軽々しく投じた糞も、死んでくれと切実に願ったほどだ。だが、おお!ありがたきかな!!上によると、そんな愉快な爆弾を軽々しく投下して、厄介事を惹き起こした人間でもう患う必要も無いだろうとのこと。後の課題は、過去の合意に戻りつつ引き渡されるのを待つことになる。その交渉の為に、彼はわざわざ、交渉のためのメッセンジャーとして派遣されたのだから。「我々としても、喜んでお話したいところです。」解答は、ポジティブ。大変結構なことだと男も一先ずは安堵。ここでしくじれば、大惨事だった。「結構です。商談に入っても?」「勿論ですとも。私共の上司からはすぐにでもお会いしたいと。」少なくとも、第一段階はクリア。接触に成功し、かつ先方に交渉の意図があること迄は予想通り確定。制服組の軍人らが畏怖する割には実に話しやすいほどであった。「期待しても?」可能であれば先方の心情を探れ。与えられた命令通りの仕事に対するレスポンスも完璧。「契約が順守される限り、何時でも喜んでとのことです。」行動対行動の原則。信用を第一に重んじるという態度。実に、分かりやすい対応ですらある。一般論だが、普通の対応といってもよいほどだ。「言うまでもない事。すぐにでも、交渉のための担当者を派遣いたしましょう。」「ありがとうございます。当分はお世話になるのでしような。どうぞ、お手柔らかに。」差し出される手。にこやかに握り返し、そこで漸く相手が野戦上がりであるのだなと男は気がつく。柔らかな物腰にはひどく不似合いな手。その手だけが、快適なカフェにある戦場の記憶だった。銃を手に取ることに慣れた手。そして。ジョン・ドウゥと名乗った男が忙しげに報告のために帰国する姿を彼らは見送った。連邦から、いや、厳密にはロリヤから各国に張り巡らされた眼。その多くは、共産シンパからはじまり、ごくまれに国内の少数民族等も加わっている。少なくとも、ロリヤにとってのイデアを手にするための努力には並々ならぬ経費と時間が投じられているのは限られた連邦高官レベルでの秘密である。単なる情報収集者である彼らは知り得たこと、見知ったことをロリヤへ宛てて送り出す。本来ならば。こうして収集された情報は大いに活用されるだろう。何しろロリヤは、人間性以外では連邦有数の有能な党員でもあった。故に、大きな皮肉が起こる。ロリヤの単独情報収集は、明らかに個別の根回しが足りてりていなかった。故に、猜疑心の肥大化した連邦官僚機構はロリヤの行動を不審なものと糾弾。これがきっかけとなり、ロリヤは本国に召喚されることとなるのだ。だからこそ、ロリヤを通じて知る機会がありながら彼の『妖精』は見落とされてしまうのだ。あとがき出先からスマホです。カルロ(云々)通り、ちょっとリアルの都合で携帯から。とにかく、やりにくい。後で、余裕ある時に誤字修正の予定。でも、あとちょっとね。