良い剣筋です……また上達された。まるで貴方のおじいさまの様な……。
え? どんな方だったか?
ええ、忘れもしませんよ。貴方のおじいさまは─────────────
◆
それは突然だった。少なくとも、その日のロンドンの夜はいつもと変わらぬ喧噪を見せ、帝都には幾万もの市民が日常の生を謳歌していた。
……あの狂った戦争の残滓が現れるまで。
『最後の大隊』。かつてドイツ第三帝国の手によって作られる筈であった吸血鬼による戦闘集団。
大戦期においてはその製造が間に合わず、不完全な吸血鬼達も又、当時の英国の対化物部隊HELLSINGの手によって壊滅。事実上消滅したかに思われた。
そう。消滅した筈だったのだ。あの大戦に英国は勝利し、第三帝国は滅んだ。
それが表であろうと裏の者だろうと関係ない。勝利者は自分たちの平和を信じて疑わず、自らの手で安寧を勝ち取ったと過信した。
いや、そう信じたかったのだろう。もう自分たちを脅かすモノは何もない。降りかかる火の粉を振り払い、長き戦いを乗り切ったのだと。そう信じたかったからこそ、彼らはその存在を見過ごした。
奴らがどれ程往生際が悪く、諦めの悪い存在かを理解していなかった。
その猛執も、執念も、彼らが勝者であるからこそ判らない。敗者の惨めさも、失い敗北し続けた苦衷も勝利者には判らない。
ああ、だからこそ彼らは奴らの存在を見逃した。
闇から闇に葬ったと思っていた者達は、そう信じて疑わなかった者たちは、より深き闇から真に地獄の戦奴として訪れた。
鋼鉄の騎士団、ジークフリートの再来。狂気と闘争の権化として、かつて欧州全土を包む炎として君臨した不死の戦団。
黒と銀に彩られた髑髏の軍団。
────最後の大隊は、再び現れたのだ。
◇
ああ、ぬるま湯に浸っ愚物共。我々は遂に帰って来たぞ。
この世の全てを灰に帰すため。終わらぬ闘争を、かつて見続けた地獄の残滓を追い求めて。
我々を忘却の彼方へ追いやった者たちよ。今この時我々は進軍する。終わりの始まりに向かい、敗北と勝利を手にする為に。
────その為だけに最後の大隊は、蘇ったのだ。
◇
そうして彼らは、そのツケを今ここで払わされた。念入りに潰しておけば良かった。もっと早く気付けば良かった。そんな言い訳は通用しない。
者皆全てが血に染まる。愛しい者も、憎かった者も、全てが血と肉の集まりとなる。
それを理解していたが故に、英国海軍中将、シェルビー・M・ペンウッドは奥歯を噛み締める。
英国安全保障特別指導部・本営。本来、英国の危機に備え行動するべき軍の司令部に、似つかわしくない者が二名ほど存在した。
王立国教騎士団HELLSING。対化物に特化した組織。埒外の狂気と非現実的な脅威に対抗する為に造られた組織。
その長である女性……インテグラ・ヘルシングと執事、ウォルター・C・ドルネーズの二名。
彼らがここに居る時点で、ペンウッドに出番はない。彼はあくまでも常識の範疇での戦いの専門家であり、化物の相手には特化していない。
そう。特化などしていない。彼は人間として昇りつめ、人間として鍛え上げ、人間としての強さを掴んだ。
だからこそ……。
「ペンウッド卿。ここは危険です、すぐに避難を」
同じ英国を護る同志として円卓に集ったインテグラにその言葉を言われたからこそ、彼は己の無力さに奥歯を噛み締めた。
確かにその通りなのかもしれない。ペンウッドは常識という存在から英国を護り、英国の為に動く者だ。
だからこそ、彼の出番はここで終わり。異常には異常を。非常識には非常識で対応しなくてはならない。その為にこそ専門家は存在する。
誰しもが平等に一つの舞台に立てる筈もないのだ。だが……。
「それは出来ない、出来んのだ……インテグラ卿」
既に政府中央司令部のみならず、各基地や艦との通信は途絶えた。英国には無数の吸血鬼が、髑髏の集団が訪れる。だからこそ。
「ここを────この国から離れる事など、私には出来ん」
その言葉と共に警報が鳴り響く。爆破されたドアと、押し寄せる武装集団。
そして、彼の部下達もまた、吸血鬼に与していた。
「中佐……」
「言わずとも判るでしょう? ペンウッド卿。ああ……吸血鬼とは実に素晴らしい」
人間としては有り得ぬ程に発達した犬歯を覗かせ、かつての部下はそう語る。
「そうかね……中佐、君は今でも私の部下だ。無能な私に、よくここまで付いて来てくれたね」
普通に考えれば、それは命乞いかと思うだろう。或いはそれこそがペンウッド卿の人柄であり、彼なりの遺言だとばかり、インテグラ達も含むこの場の者たちは考えた。
だが。
「────赦せとは言わん。さらばだ、友であり部下よ」
その瞬間。弧を描くように白銀が煌めいた。何時までも形の残るような鮮やかな刃の軌道。
それを、この場に居た者の何人が捉える事が出来ただろう?
芸術的なまでの煌めきは死を撒き散らす死神の鎌に他ならず、その軌跡に触れた者は皆すべからく死を与えられる。
痛みさえ無い。斬られた者さえ理解出来ない程の鮮やかな太刀筋。しかしその正体は凡庸な物。人間として昇りつめ、人間として鍛え上げ、人間としての強さを掴んだ者が手にした力だった。
「すまんな……君も、私を怨んでくれて構わん。インテグラ卿」
「……何故、です!? ペンウッド卿!!」
片目を押さえながら猜疑の念を向けるインテグラ。当然だ。ペンウッドは裏切り者のみならず、彼女の片目までも斬っていたのだから。
……他ならぬ、彼女の剣を使って。
「ペンウッド卿! これは冗談ではすまされませんぞ!!」
「……その傷では前線に出る事は無理だろう。ウォルター、君の主を傷付けた者の言える事ではないが、彼女を頼む。
ドーヴァー要塞ならアイランズ卿やウォルズ卿が居られる筈だ。そして彼らなら先を見越した対策も立てている筈だ。
彼らと合流し、速やかに英国を救ってくれ」
「出来ません! 貴方はどうするのです!?」
残るべきは我々の筈だ。去るべきは貴方達の筈だと、そうインテグラが口にするも、馬耳東風とばかりに聞き流す。
「インテグラ卿……君には生きて貰わなくてはならない。君が居なくなれば、今回のような事態に誰が対応するのかね?
これから先、同じような悲劇を繰り返してはならない。一家が機関を統率する時代は終わったのだと……私は骨身に沁みて痛感したよ。だからこそ、君には生きて欲しいのだ」
────もう二度とこんな事が起きないよう、新たな目を育んで欲しいと。そう言い残し、ペンウッドは扉を指さす。
「お前達もだ。ここの機能は完全に失われた。だからこそ、私は最後の命令を下す」
辺りを見回せば、己の見知った部下たち。誰もかもが自分よりも優秀で、そして素晴らしい軍人だ。だからこそ。
「インテグラ卿を護衛しろ。決して立ち止まらず、この帝都からドーヴァー要塞へと送り届けるのだ。
────それが、私からの最後の命令だ」
ここで彼らを死なせる事は、絶対に出来なかった。
「行きなさい。行ってくれ、皆。行くんだ、インテグラ。
君達は生き残って伝えるんだ。新たな芽を育てるんだ。それが、君達の仕事なんだ」
そうして、僅かばかりの沈黙の後、インテグラは立ち上がる。片目の傷を覆うともせず、ゆったりと気品のある動作で葉巻を口に咥えると、懐から一挺の拳銃と弾層を机に置く。
「法儀済みの粒化銀弾頭が入っています。ただの鉄より連中には効果的でしょう。
……御武運を、ペンウッド卿」
「ああ────そして君もな、インテグラ卿」
互いが笑みを浮かべ、それぞれの道を行く。
生き延びる為に。
戦う為に。
そして────己の仕事を全うする為に。
◇
焼け落ちた帝都に、幾つもの屍の呻き声が木霊する。まるで安物のホラー映画。
ただ一つ違う所があるとすれば、彼らは現実の存在であり、平和を謳歌する市民であったと言う事だ。
「ウォルター……本部へ帰るぞ、全速力でだ!」
それは明らかに先程とは違う会話。ここから抜け出すよう言われたインテグラが、今は真っ直ぐに敵を倒すべく向かっている。
だが、それは彼女に限った事ではない。既に人気の無くなった本部にはペンウッドの部下が再度集結し、通信の回復と生還者の救助に向かっていたのだから。
そう────彼らは誰も逃げ出さない。決して、絶対に。
己の仕事を、全うする為に。
英国を護るという、唯一の仕事を果たす為に。
◇
「馬鹿者ども……」
そして、そんな彼らを、ペンウッドは一人遠くから見つめていた。
ああ、こうなる事は判っていたのだ。彼らは皆誇り高き騎士であり、救国を胸に抱く勇士。であれば、自分達だけが逃げ出す事など、万に一つも有り得ない事だった。
────ならば、私は私の仕事を果たそう。
振り返った先に映るのは、己を取り囲む緑灰色の軍勢。死と狂気に満ちた吸血鬼、『最後の大隊』の隊員に他ならない。
「やはり英国人には荷が重かったか」
おそらくはこの場の隊長であろう男がそれを口にする。彼らの手には、既にコックを引かれたシュマイザーや、担がれたパンツァーファウスト。
一介の軍人さえ手にすれば人一人は容易く殺せるであろう武装が、数十の吸血鬼によって握られ、その殺意は余すところなくペンウッドへと向けられていた。
「彼らを……私の部下を侮辱するな、来い吸血鬼共!!」
獅子吼と共にペンウッドはサーベルを構え、己が身一つで突貫する。
それは通常であれば自殺行為。吸血鬼である彼らを以てしても、自分が相手ならばこのような愚行は犯さぬであろう。
故に彼らは哄笑と共に銃爪を引き、砲火を浴びせる。
取るに足らぬ猪武者だと、家柄だけで上がって来た詰まらぬ将校だと、そうペンウッドを罵倒しながら跡形もなく消し飛ばした。
否、消し飛ばした筈だった。
「な……」
爆発と衝撃で撒き上がった土煙が晴れると同時、隊長格の男の首が血飛沫と共に宙を舞い、のみならず前線の兵の身体が縦に爆ぜ割れた。
「にぃぃぃ……………………!?」
驚愕と困惑の伝播。まるで悪夢か何かを見たのかと彼らは自身の眼を疑ったに違いない。
当然だ。ペンウッドはあくまでも人間でありその域を出る者ではない。
彼らと同じ吸血鬼でも無ければヴァチカン13課のアンデルセンのように何らかの改造を施されている訳でもない。
だからこそ、彼らは己の眼を疑う。一体何故!? どうして自分達がただの人間に後れを取るのかと。
しかし、その疑問も次の一言で氷解する。
「人間だからだ」
言葉と共に、左手の剣で十の兵士が胴を横薙ぎに切断され、
「化物を斃すのは、人間でなくてはならない」
その背後の兵は、右手の銃で心臓を貫かれた。
「人間でなければ、ならないからだ」
己を囲んでいた兵を一掃した後、虚空を見上げる。先程から己を監視していた視線。
その存在を射抜くように。
「13課の人間だろう? 姿を見せろ」
言葉と共に、聖書の頁が吹き荒れる。
この裏の世界において、決して知らぬ者はいないであろう存在。『銃剣』『天使の塵』『殺し屋』『斬首判事』『再生者』『聖堂騎士』……数多くの異名を持つ神父。
名を─────
「……アンデルセン」
「ほう……貴様の様な骨のある男がまだ英国に居たか。
それでこそ、我々の怨敵にして宿敵たる資格があるというものよ」
「ならどうする? ここで戦うかね? 私と」
かちゃりと、サーベルの柄を握り直し、ペンウッドは問う。
一触即発の空気であり、ともすればこれからの一挙一動で火薬庫に火を投げ入れるかのような激闘が繰り広げられるかと思いきや、アンデルセンはくつくつと、より深く傲岸な笑みを見せるに留まった。
「……貴様を斃すのも良いが、HELLSINGを動く死体に取られる訳にも行かん。
あれを倒して良いのは我々だけだ!! 誰にも邪魔はさせん、誰にもだ!!」
言って、アンデルセンは踵を返す。おそらくペンウッド自体は興味本位で見に来ただけであり、本来の監視目標はHELLSINGなのだろうと、そう考えペンウッドもまたその場を後にした。
……そう遠くない内に、再び相見える事をお互いが気付かないまま。
◇
一体何時までそうしていたのか。背後に広がるのは吸血鬼の屍。本来であればその一体一体が一騎当千の怪物であるにも拘らず、その全てがただ一振りの剣によって絶命し、その全てが驚愕に目を見開いたまま絶命していた。
尤も、だからと言って小休止などしては居られない。生き残った僅かばかりの市民を倒壊していないビルなど、比較的安全な場所へ移動したり、警官達に怪我人を運ばせたりといった措置を取らせなければならない。
そして、ようやく暁が訪れる。吸血鬼にとって太陽は天敵だが、奴らはそれに備えた準備もしてくる事だろう。
だからこそペンウッドは、遥か高みより顕れた無数のヘリを見やる。
明らかに民間機とは違うその威容。無数のライトの光芒が闇を切り裂き、機銃やロケット砲が一つ余さず地上へと向けられていた。
「……全員伏せろ!!」
ペンウッドが叫ぶと同時、無数の弾雨と砲火の地獄が吹き荒れる。
地獄の夜は終わらない。敵は最後の大隊のみならず、化かし合いとはいえ一応の共同戦線を張っていた筈のヴァチカンさえ裏切った。
だが、その事に対してペンウッドは呪詛の言葉を撒き散らすには至らない。戦において騙撃・裏切りは当たり前。それどころか元が敵同士であった事を考えれば、称賛さえされるだろう。
故に。
「貴様らが討たれる事も、弁えているのだろう?」
剣を構える。目の前には隊伍を組み、方陣を布きながら迫る騎士団。攻撃ヘリと共に輸送機によって運ばれてきた彼らに不退転の覚悟を以て立ち向かう。
己の後ろには市民が居る。未だ通信の回復を図る部下がいる。状況の打破を望むHELLSINGが居る。
充分だ。意味や意義などそれで充分すぎるのだと、ペンウッドは口元を三日月に歪めながら、一人戦場を駆けた。
◇
「ハハハハハハハハハッハッハハハ!! 被告『英国』! 被告『化物』! お前たちは哀れだ! だが許さぬ!!」
罪人よ、実を結ばぬ烈花のように死ね。蝶のように舞い蜂のように死ね。
お前たちは異教徒である限り罪人にして家畜以下の死刑囚なのだと、狂気と嘲笑の混じった声でマクスウェル大司教は告げる。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……!!
これが我々の、ヴァチカンの力だ! 虫けら共、哀れな連中よ! 死んだプロテスタントだけが良いプロテスタントだ!!」
未来永劫死に絶えろ。貴様らは罪人である限り我らが裁く。異教徒よ、鮮烈にして壮烈にして凄絶なる死を配ろう。
我らは死の天使であり裁判者なのだから。
自らこそ神に仕えていると信じてやまぬ狂信者。故にマクスウェルには判らない。
気付いてさえいない。自らが仕えているのは神でなく、神の力なのだという事を。
故に……。
「ありえないアリエナイ有り得ない………………!!
何だこの報告は!? 信仰心があるなら原因をさっさと付きとめろ!!」
第九次十字軍……総勢一六〇〇名死亡。うち『クールランテ剣の友修道騎士会』、『カラトラバ・ラ・ヌエバ騎士団』、『聖ステパノ騎士団トスカナ軍団』は全滅。
『マルタ騎士団』は各分隊長の死亡により指揮系統が乱れた状態で、『最後の大隊』との交戦中。
……神はその勝利を、彼らに齎す事は無かった。
「ふざけるな……フザケルナフザケルナフザケルナ………………!!
アーカードが居る訳ではないだろう!! 奴らの、プロテスタントの豚どもの何処にそんな戦力がある!!」
口角泡を飛ばしながら無線に怒鳴るも、それと同時に自らを護衛していた武装ヘリが爆破される。
「ナチ共か!!」
先程の爆発はパンツァーファウスト。ならばまず奴らを殲滅するべきかとマクスウェルは考え、弾道の先に視線を向けた所で。
「な……」
吸血鬼から鹵獲したパンツァーファウストを、こちらに向けるペンウッドの視線と交差した。
「……莫迦な!!」
貴様が、貴様だというのか!! あのロンドンの王室別邸で出逢った将校風情が、我々を……。
「さらばだ。狂信者」
言葉と共に放たれるパンツァーファウスト。回避など間に合う筈もない。
死の槍は真っ直ぐに突き進み、マクスウェルの乗るヘリを爆破した。
◇
「あ……ぐ、いやだ。俺は、こんな所で死ぬのか。
先生……アンデルセン先生。どう、して…………………」
地に落ち、無数のガラス片の突き刺さった状態で地を這いながら、マクスウェルは息絶えた。
その手に、幼いころに過ごした神父の裾を握りながら。
「馬鹿だよ、お前……大馬鹿野郎が」
ただ一度も亡骸と目を合わす事も無く、アンデルセンは膝に乗せたマクスウェルの瞼を下ろして立ち上がる。
「アンデルセンより全武装神父隊に告げる。第九次十字軍遠征は失敗。事実上の壊滅だ。
ヴァチカンへ帰還し、未来永劫法皇とカトリックを護れ」
其処まで言って無線を切る。これより先は己の私闘。相も変わらず泣き虫で意気地のない馬鹿を……マクスウェルの元へ行ってやらねば、どうしてあの大馬鹿者を救えよう?
ああ、救ってやらねばならぬ。寂しい想いをさせぬ様、友と呼べる者が無く、一人ぼっちで居る事を許容したあの大馬鹿者の元へ自分が行かずに、果たして誰が傍に居てやれるというのだ。
「そうだろう? ペンウッドよ」
「アンデルセン……」
再会と呼ぶにはあまりにも早い時間に、再び二人は相見える。
片や、両手に銃剣を。
片や、右手に銃を左手にサーベルを。
それぞれが武器を手に、相見えた。
許してくれ、悪かった。そんな言葉は両者の間には存在しない。
だってそれぞれが自分の大切なモノを奪われたから。
愛する民を。
愛する生徒を。
無論、だからと言ってお相子だ、などという選択はない。倒さねばならぬ。乗り越えねばならぬ。
その先にあるモノを、どちらも手にする為に。
そうして、戦いの鐘が鳴り響いた。
◇
飛び交う銃剣を銃弾が叩き落とすと同時、その隙間を掻い潜るように疾駆する神父とペンウッドの剣が交差し火花を散らす。
「シィィィ!!」
「ハッ……!!」
鍔競り合いに持ち込まれ、僅かばかりアンデルセンの膂力が勝ったと判った時、ペンウッドは彼を蹴り飛ばし、同時に三発の銃弾を叩き込んで弾層を入れ替えた。
「見事だ将軍」
「見事だ神父」
この戦いにおける賛辞を。躍動感など欠片も無く、互いが失った者のために下らない争いをしているだけ。
しかし、だからこそ彼らは引く事は出来ない。己が失った者、失わせてしまった者の為に、ここで引く事だけは如何しても出来なかったから。
だからそう。もし賛辞を送るとすればその在り方。失った者、掛け替えの無かった者を真に愛していたというその行動にこそ、両者は賛辞を送るのだ。
そして両者はただ駆ける。前へ、前へ、前へ……!!
己の全力を以て迎え撃て。
己の全力を以て相手取れ。
それが、それこそが亡き者たちへの鎮魂歌。涙を以て死を悼むのでなく、行動によって彼らを高みへと導くのだ。
私は貴方達を愛したと、これ程鮮烈にして壮烈にして凄絶に、私達は貴方達を愛したと。
その愛に報いる為に、我々はこうして戦うのだ。
永劫に、永遠に。那由他の彼方まで駆けて行こう!!
互いが全力にして全霊。もし勝敗が付くのなら、それは両者に何らかの違いがあるだけであり、
その違いがあったからこそ────この戦いは、幕を下ろした。
◇
「ぐ……」
四肢の全てを根から奪われ、アンデルセンは地に転がる。彼の再生能力を以てすれば三分もあれば回復できる。
尤も、その三分さえあればペンウッドは敵の本陣に斬り込みをかけるなど造作もないだろうが。
「何故殺さん……俺はカトリックだぞ? 貴様らプロテスタントの、英国の怨敵だぞ」
情けなどかけてくれるなと、怒りの中に何処か懇願する様な音色を混ぜながら、アンデルセンは問いを投げた。
「そうしても良いが……君が居なくなれば、君を待つ子が泣いてしまう。
親を失う愛児の顔など、私は見たくないのだ……」
言って、ペンウッドはアンデルセンの後方を見やる。修道服を纏った者の、その一人一人が汗を滲ませ、こちらへと向かってきていた。
「この……大馬鹿野郎共」
どうして戻らなかった。帰らなかったのだ? ヴァチカンを護れと、未来永劫カトリックを護れと、そう言った筈なのに……。
「このままヴァチカンに帰ったら……ここで貴方を失ったら、私達はイスカリオテの13課では無くなってしまう。ただの糞尿と血の詰まった肉の袋になってしまう」
私達は、貴方を愛していたのだからと。そう誰もが瞳で訴える。ここに集う誰もがアンデルセンに育てられ、育まれてきた愛児達だった。
ああ……そうだ。これなのだ。アンデルセンが負け、ペンウッドが勝った理由。
失った者だけを見てしまった者と、これ以上失わせないようにと行動した人間。
どちらもが正しく、そして悲しいだけの戦いは、だけどその違いによって勝敗が変わってしまった。
違いがあるとするならば、それはその一点だけだったのだ。
「マクスウェルの亡骸は持って帰れ。この地で弔った所でカトリックには土が合うまい」
「……礼は言わんぞ?」
構わんよ、と。まるで応年来の友に語りかける様な口調でペンウッドは応えた。
そうして彼ら、イスカリオテの面々は物言わぬマクスウェルに十字を切る。
幼少期、妾の子であるが故に捨てられ、流れ着いた孤児院で友などいらぬと、誰もかもを偉くなって見返すと、そう言っていたあの頃の少年に、彼らは静かに祈るのだ。
ここに居る誰もが、友として貴方を見ていたと。決して貴方は一人では無かったのだとそう告げる様に祈るのだ。
────Amen.
彼らと共に十字を切り、ペンウッドは踵を返そうとしたところで。
「くだらん。人は死ねばゴミとなる」
『死神』が、絶望をもたらした。
◇
「人が死ねばゴミとなる。そうだろう? ペンウッド卿」
暁の廃墟。死者の積み上がった死都に、死神は降り立つ。
マクスウェルの亡骸を駒切りにし、その身を踵で磨り潰しながら。
「ウォルター……ウォルターなのか……?」
鷲鼻やモノクル、服装などは確かにウォルターと一致するものの、ペンウッドは信じられないといった瞳でその姿を見やる。
当然だ。何故なら今の彼は全盛の姿を保っていたのだから。
「だったらどうしたのです? 私が奴らに捕えられ、吸血鬼にさせられ、洗脳されて無理やり戦わされていると、そう言えば満足ですか?」
「いや……」
思えば前から嫌な予感はあったのだ。インテグラが幼いながらに家督を継ぐ段になった時、彼女の父であるアーサーの弟が危険だと真っ先に忠告したにもかかわらず、インテグラは窮地に陥り、結果アーカードを復活させた。
その時、この男は何処に居た? 何故インテグラを護らなかった?
その答えがこれだ。一体何時からそうだったのかは判らない。だが、この男は少なくともアーカードを復活させる段から裏切っていたのだと、そうペンウッドは理解し、納得した。
「君が何故裏切ったのか、そんな事は私にはどうでも良い。しかし感謝している。
こうして君が私の目の前に現れてくれた事を」
────インテグラの前に、その姿で現れなかった事を。
「イスカリオテ。君達には悪いが、これは英国の問題だ」
言葉と共に、サーベルで石畳を横一文字に斬りつけた。その線よりこちらに来れば殺すと、そう言外に告げる。
「君を止めよう。円卓の一員として」
────この国を護る者として、と。そう告げようとした所で。
「いいえ。ペンウッド卿、彼の相手は私がしなくてはなりません」
この場に、最も現れて欲しくない者が現れた。
「……インテグラ」
「ペンウッド卿、ここは私とセラス・ヴィクトリアが引き受けます。
これは、私の責任なのだから」
握りしめた拳。手袋から血が滲み、奥歯が砕ける程きつく噛み締めながら、しかしインテグラは前を向く。
決して目を逸らさない。逸らしてはいけない。
「何があったとは聞かない。私はお前を倒す……徒為す者は、討たなくてはならない。
たとえそれが、お前であっても……!!」
今にも泣きそうな顔で、インテグラは決意を露わす。そして、その横で吸血鬼であり彼女の部下であるセラスもまた、一歩前に出る。
「ペンウッドさん、征って下さい。行って、終わらせて下さい」
ここは私達が引き受けますから、と。そうセラスもまた泣きそうな顔で、ペンウッドの背中を押す。
「ああ……行ってくる。インテグラ……君は君の仕事を果たせ」
「はい……」
ペンウッドは振り返らない。彼の仕事はまだ終わっていないから。
この長い夜の夢を、終わらせなくてはならないから。
「さらばだウォルター……地獄で会おう」
「それは無理な相談だ、ペンウッド卿」
貴方と私は別の場所へと逝くのだからと、何処か遠くを見る様に、ウォルターは返した。
そうして彼らは動き出す。それぞれの仕事を、全うする為に。
◇
「来るが良い少佐、敗北を与えてやる」
遠い空。未だ飛空艦に乗ったまま姿を見せぬ指揮官に、ペンウッドは言い放つ。
それは本来であれば口先だけの攻撃、取るに足らぬと耳を貸さず、降りてくるような発言ではない。だが。
『面白い』
少佐はその発言を是とした。やれるものならやってみろと、幾つものビルを薙ぎ倒し、飛空艦を地上に降ろす。
開かれる虎口。顎を開いた魔城の門に、ペンウッドは踏み入る。
『運命はカードを混ぜた。ようこそ、魔城へ。勝負だ。円卓の騎士よ』
「ああ……勝負だ」
ペンウッドを呑みこむと同時、飛空艦は再び空へ舞う。敵の航空勢力は未だ衰えず、本営と共に、彼らは行動を開始する。
シェルビー・M・ペンウッドを殺すという、一つの目的の為に。
◇
銃を、スコップを、角材を。目に見えた武器からそうでない物まで、各々が一心不乱に迫りくる。
彼らは歓喜と共にペンウッドに襲いかかり、歓喜と共に死んでいく。
当然だ。彼らは勝つために来たのではなく、死ぬ為にここに来たのだから。
「勝手に死ねばいいものを……」
思わず口にしたその言葉を、無線から流れる声が否定する。それは駄目だと、それだけは駄目なのだと。
『そういう訳にはいかんのだよ。我々はそれほどまでに度し難い。
世界中の全ての人間が我々など必要として居ない。
世界中の全ての人間が我々を忘れ去ろうとしている。
それでも我々は我々の為に必要なのだ。そうやってここまでやって来た、来てしまった!!』
声に狂気が入り混じる。言葉と共に、意志がより強くなっていく。
『そうだ、もっと何かを、と求め続けた! 世界には我々を養うに足る戦場が存在するに違いないと! でなくば我々は死ぬ為だけに無限に歩き続けなくてはならない!!
だから君達は愛おしい、愛おしかったのだ! 英国の騎士よ!!
誤算であったが、君は私達が死ぬ甲斐のある存在であり、私達が殺す甲斐のある人間だった!!』
愛しいと、もっと早く気付けば、もっと早く出逢えればと。
まるで夢見る乙女の様な声で少佐は告げ、目の前の存在が殺意と共にペンウッドを見やる。
長剣かと見紛うかの様な銃身を持つ二挺のモーゼルを提げ、北アフリカ戦線のコートを纏った長身の軍人。
『最後の大隊』最高戦力……大尉。
彼の背後には行き先の書かれた案内板があり、その先に少佐が待っていると指をさす。
尤も。
「勝者のみ通す、という事か」
足元に転がるグロスフスMG42機関銃を蹴りあげ、構えると同時、大尉もまた二挺のモーゼルを引き抜く。
互いが銃爪を引き合い、銃声と硝煙が聴覚と視覚を狂わせる。
そして、その硝煙の霧からサーベルを構え、ペンウッドが斬り込むも、大尉が投げつけたコートが彼の視界を覆い、弾雨が確実に息の根を止めにかかる。
しかし。
「甘い!」
「……!」
弾雨に曝されるよりいち早くコートを切り裂き、ペンウッドが安全圏へと逃れると、先程の意趣返しとばかりに銃弾を叩き込む。
だが、その瞬間にこそペンウッドの顔が驚愕に歪む。目の前の存在、大尉の顔の半面が、既に人ではなく狼へと変わっていた事に。
「狼男か……」
既に人としての姿は其処にない。身の丈虎をも凌ぐ巨大な狼は牙を剥き、ペンウッドの肩口を捥ぎ取ると同時に霧となり、再び人間となって彼の頬肉を蹴りで切り裂く。
「づッ……」
奥歯が数本宙を舞い、頬肉を抉られた痛みを堪えつつ、ペンウッドは己の抜け落ちた歯の一本を掴む。
ここより先はある種の賭け。現状は最悪だが、他に打開策がないのなら、と投げ遣り気味に覚悟を決める。
「さあ……来いッ!!」
言葉と共に大尉が迫る。霧となって迫る時では攻撃できない。しかし、攻撃する時は話は別。
それは先程の攻撃を見ても明らかであり、今己の身体を手刀で斬り裂こうとしていることからも明白だ。
この瞬間、この時こそが絶好の好機なればこそ。
「ぬおォォォォォォォォォォォォォォ!!」
わざと強引に手刀を脇腹に貫かせ、そのまま堪える。
腹部が弾け飛ばなかったのは僥倖だ。片手の剣で肩口から肋にかけてまでを切り裂き、開いた身体に自分の歯を叩き込む。
「歯医者には……通っておくものだな」
心臓に叩きこんだのは銀歯。
その素材は言うまでもなく、狼男である大尉には絶好の武器である。
「さらばだ……狼男」
背後で声もないままに笑いながら斃れる大尉に一瞥もくれる事無く、ペンウッドは歩き出す。
────さあ、物語を終わらせよう。
◇
「少佐……」
「やあ、ようやく直に御目見え出来て嬉しいよ、ペンウッド卿」
既に誰も居なくなった一室で、少佐は椅子に腰かけている。
その余裕、その傲岸さにペンウッドは呆れる事も無く、黙したまま少佐に近づくと、彼の横にあるテーブルを見やる。
「チェスか……」
「ああ、嗜むのなら相手をして貰えないかね?」
冗談じみた口調で問う少佐に、ペンウッドは良いだろうと用意された椅子に腰かける。
「さて、どうしたものか……」
こつこつと互いが駒を動かし、兵士が女王 に変わった所で少佐の手が止まる。
「間違いなく負けだな。ここにはルークもビショップもナイトもない」
「そう。これは君の完全勝利だ。ここに在るのは王のみ。
いやいや実に強いな」
「良く言う」
そう勝つように手を打った男が何を言うのかと、呆れ交じりにペンウッドは応え、しかし次の瞬間には眼前の相手の顔に薄気味悪い笑みが無い事に気が付いた。
「何故こうならなかったのだろうか……? 全ての駒は私の掌から零れ落ちた事など無かった。このゲームは俺の全てを奪われ、奴を俺が斃す事で終わる筈だった」
だが結果はこれだ。少佐は今まったくと言っていい程、意に介す事の無かった存在に追い込まれ、為す術無く立ち止まっている。
一体何がいけなかったのか、何がこうさせてしまったのかが、最後まで判らないという様に。
「化物を倒すのは、何時だって人間だからだよ。少佐」
────それこそが全てだったのだ、と。ペンウッドはそう言い放つ。
「それには私も賛同するよ。ああ……だからこそ、お前はここまで来たのか。
人間として吸血鬼の群を、人間として神の力を打ち倒した……素晴らしい、素晴らしいぞ騎士よ」
成程、それでは叶わぬ筈だと、そう少佐は納得する。
幾ら吸血鬼を集めようと、幾ら狂信者を指し向けようと、所詮彼らは化物に過ぎない。
化物を打ち倒すのは人間であり、幕を下ろすのも人間であればこそ、この結果は必定だったのだ。
「ああ、憎らしく、そして愛おしいな怨敵よ。ならば────」
「ああ、ならば――――」
両者は銃を構え合う。この距離ならば間違っても外さないと、お互いが納得できる一で着きつけ合う。
「「────この物語に、終焉を」」
重なり合う銃声と共に、二つの薬莢が乾いた音を立てて落ちていく。
片や、肩口へ。片や、心臓へと。
それぞれの銃弾を浴びて。
「ふふ……初めて当たったぞ。勝利は得る事が出来なかったが、素晴らしかった。怨敵よ、いずれ地獄で……」
最後まで言い切る事無く、少佐は床に崩れ落ちる。その顔は、何処か残念そうで、しかし満ち足りた笑みだった。
◇
「終わった、か……」
思わず地に崩れそうになる所を辛うじて堪える。
まだ己にはやるべき事が残っている。少佐は倒したものの、空中にはまだ他の飛空艦が残っているのだ。
『この……放送を聞く、全ての者に告げる』
ノイズ交じりの声が、帝都一体に響き渡る。
それは戦いを終えたインテグラ達やイスカリオテ、さらには別飛空艦から待機していたナチまで余すところなく伝えられていた。
『最後の大隊……ミレニアム指揮官少佐は、死亡した。夢は終わったのだ』
その声に歓喜する者、怒りに震える者などそれぞれの念が放送される飛空艦に向けられる。
当然ながら、その飛空艦を堕とすべく、集まる者達も。
『夢は……終わったのだ』
朝日が昇る。暁の光が世界を満たす。
その世界をぼんやりと眺めながら、ペンウッドは過去の記憶を追想する。
まだ幼かった頃のインテグラ。アーサーが死んで、もう振り回される事の無い安堵と寂しさを覚えた時、その娘も又自分を振り回し続けてきた。
ああ、覚えている。何処までも慌しくて面倒で、けれど掛け替えのないと思えるほどに退屈な日々。
そんなありふれた日常という幸福を、護るべき国民に与える事こそが己の役目なればこそ。
『私は私の仕事を果たそう』
────それが、自分に出来る唯一の事だから。
『────さようなら、インテグラ。私も楽しかったよ』
その言葉を最後に、飛空艦が爆発する。その余波にペンウッドを討つべく近寄った他の飛空艦が巻き込まれ、一つ余さず燃え落ちて行く。
夢を終わらせる為に。暁の世界を……、生き残った者たちにもたらす為に。
◆
「……と、いった具合でして」
「本当ですか……それ」
信じられないといった風に、髭を蓄えた青年が投げ掛けるも、彼に話をした女性は本当ですよと、どこか寂しそうに告げた。
「本当ですので新しいヘリの代金をお願いします」
「またですか!?」
叫ぶ青年────ペンウッド卿の孫にあたる青年に、女性は睨みを利かせると、彼は泣きながら退出していった。
「大変ですね……あの人も一族も」
殆どマフィアのやり口じゃないですか、と冷や汗交じりに投げ掛ける婦警、セラス・ヴィクトリアに、女性は笑みを零す。
「良いのだ、苦労して貰わねば。
ペンウッド卿の言う通り、一家が機関を統率する時代は終わったのだから」
だからもっともっと苦労して貰うのだと、そう笑いながら女性―――インテグラは陽光の照らす世界を見る。
「あれから……三十年か」
長いようで短かった日々。未だヴァチカンとの小競り合いは絶えないが、アンデルセンもあれ以来何処か落ち着いたらしく、以前ほどの対立は無くなっていた。
「ペンウッド卿────私も、楽しかったですよ」
幼かった頃の日々を思い返しながら、インテグラは微かに微笑む。
どうか貴方の救ったこの国の民が、この日差しの下で笑顔を振りまけるようにと、そんな事を願いながら。
×××
あとがき
やってしまったぜ英国無双。本来ならチラ裏に来るのはゼロ魔板の作品が行き詰った時だけなのですが、おだてられて調子こいちまった作者です。
前回の短編が評判良かったせいか今回はモチベーションを維持して書けたのですが、作者的に出来そのものはこれで良いかな? と不安がある所です。
まあモブキャラ最高! が信条の作者としては、ペンウッド卿はいつかは書きたいと思っていたキャラなので、今回のは渡りに船といった感じです。
しかしペンウッド卿無双過ぎ!! こんなんの何処が無能だよ! と突っ込みが来そうで怖い。
いや、指揮官としては無能か? 何気に部下とか全員命令違反してるし。と書き終わった後で思わなくもない。
次回の更新は未定、というか、これから先は忙しくなりそうなのとネタがないので期待しないで待って頂ければ幸いです。
それでは、失礼致します。