茜に染まる夕暮れが、簡素な一室を朱に染める。運ばれた風にそよぐカーテンの音へぼんやりと耳を傾けながら、彼は上体を起こして景観を眺める。
見知っている筈の景色。幼いころに過ごした景色。懐かしい筈の景色を、そうしてぼんやりと眺めている。
「────当麻」
「あ、はい」
呼ばれた方へ振り向く。おそらくは中学生だろう。快活そうな雰囲気を纏わせたショートカットの少女は、にこやかな顔を浮かべながら彼の元へと近付いて行く。
「気分は良い?」
「はい」
「何か欲しい物とかある?」
「いえ、特には」
「あたしのこと……覚えてる?」
「…………」
その一言。何気ない会話の中の最後の質疑に彼は顔を俯かせると、少女はそっか、と軽く流した。
けれど、その表情が偽りなのだと、彼を気遣ってのものだという事は誰の目にも明らかだろう……そう、この目の前の少年にさえも。
「……ごめん」
「いいよ。当麻は何も悪くないもん」
「あの……さやかさんは、俺の幼馴染……なんですよね?」
「やめてよ、あたし年下なんだからさ、敬語なんて使わなくて良いんだよ?」
その言葉に、再び彼は俯きかけてしまう。彼、上条当麻は決して薄情な訳でも物忘れが激しい訳でも無い。
彼は───記憶喪失なのだ。
本来、彼の居場所はここではない。
ここではない都市、ここではない場所で、彼は日常を謳歌している筈だった。
『学園都市』。東京西部に位置する完全独立教育研究機関であり、総面積は東京都の約三分の一に相当する、総人口約二百三十万人の巨大都市。
あらゆる教育機関・研究機関の集合体であり、都市の内外では数十年以上の技術格差が存在すると言われる場こそ、彼が本来生活する場である。
だが、そこで事件は起きた。
この世ならざる理、常軌の枠より外れた文明にして手段にして力、『魔術』。
科学の最先端たる学園都市の中で、彼は不幸にも巻き込まれ、そして結果として記憶を失った。
学園都市の生徒は入学と同時に『超能力』開発のカリキュラムを受け、その技術の漏洩を防ぐために都市外の行動は原則として禁止されているが、彼はどういった事情からか事件後に意識を失い、記憶快復の見込みが無いと認定されるや、すぐさま地元へと送られる事になった。
それがどういった事情かは、当人に知る由はない。ただ疑問だけが残った。自分はどうして、ここに戻されたのか、と。
「あの、さやかさ、」
「さやか!」
「さやかは俺がここでどんな風に過ごしてたか、知ってるのか?」
「…………」
その言葉に、こんどはさやかが俯いてしまう。
上条当麻には特殊な能力が備わっていた。それは『超能力』開発のカリキュラムを受けたが故ではなく、彼生来の持ち物。
名を『幻想殺し』。それが異能の力であれば、超能力・魔術問わず打ち消すことができる能力。
……それが、彼を常に不幸にし続けた。
その右手は異能を打ち消すと共に、神の加護や奇跡さえ打ち消してしまう。
上条当麻は小学校に入って数年と持たず学園都市に送られた。
彼は、周りの者たちにこう呼ばれていたのだ。
────疫病神、と。
彼は生まれ持ち『不幸』な人間だった。
だがそう呼ばれたのは、子供達の悪意ないイタズラだけではなかった。
大の大人までもが、そんな名で彼を呼んだ。理由などない。原因などない。ただ『不幸』だからというだけで、そんな名前で呼ばれていた。
上条当麻が側にやってくると周りまで『不幸』になる。そんな俗話を信じて、子供達は顔を見るだけで石を投げた。
大人達もそれを止めなかった。体にできた傷を見ても、哀しむどころか嘲笑った。何でもっと酷い傷を負わせないのかと、急き立てるように。
上条当麻が側から離れると、『不幸』もあちらに行く。そんな俗話を信じて、子供達は彼を遠ざけた。その話は大人までもが信じた。
時には借金を抱えた男に追い掛け回されて包丁で刺された事もある。話を聞きつけたテレビ局の人間が霊能番組とかこつけて、誰の許可も取らずに彼の顔をカメラに映して化け物のように取り扱った事さえあった。
それは彼だけでなく、彼を慕う数少ない者らにとっても地獄だった。両親は逃がすように彼を学園都市へと送り、さやかは幼いながらに彼が居なくなった日に一人で泣いた。
親しい者が居なくなってしまったと。自分から遠ざかってしまったと。その事実を事実と認識出来ない程幼いまま。
事実を事実と知る事が出来た時には、さやかはもう一度涙を流した。
そして……彼が戻ってきたその日にも。
「悪い……ひょっとして俺、何か馬鹿な事やっちまってたか? ほら、女の子に悪戯するとか、そういう最低な、」
「ううん……当麻は優しかったよ。ドジでおっちょこちょいで、それでもあたしにとっては、頼れる兄ちゃんだった」
優しい言葉。優しい笑顔で取り繕うと、さやかは、ほんの少しだけ彼が記憶を失った事を感謝した。
たとえそれが調べればすぐに判る事だとしても……あの苦くて辛い想い出は、彼の中にはないのだから。
そして……彼の、上条当麻の不幸はここでは終わらない。
上条当麻の物語は、これより別の道へと進んでいく。
◇
「あ。さやかちゃん、今日もお見舞い?」
「うん。流石に右も左も判らないんじゃ心細いかなって思ってさ。幸い退院はまだ伸ばせるみたいだし」
上条当麻の過ごす病院は近年新設されたばかりの大病院だ。当然、当時ここに住んでいた彼の実情を知る者は居ないだろうし、仮に知っている者がいたとしても、それはごく少数だろう。
……少なくとも。ここほどではないのだ。
「えらいね、さやかちゃんは」
「……別に、全然そんな事無いよ」
親友である鹿目まどかに軽口を叩きつつも、その表情は浮かばれない。そうだ。自分は決して偉くなどない。
あの絶望の中で。あの震える日を鮮烈に覚えている美樹さやかにとって、こんな事は全然偉くも何ともないと。
そんな物思いに耽るさやかに対し、まどかは唐突に辺りを見回す。
「え?……え?」
「どうしたの? まどか」
「声がするの、助けてって呼んでる」
「あ!? まって、まどか!」
言葉と共にいちにもなく駆けだすまどかを、さやかは追いたてる。
とはいえ、体力ごとになれば見るからに大人し目な少女であるまどかがさやかに敵う筈もなく、結局同着どころか若干さやかの方がペースを合わせながら走る事になってしまった。
そしてソレは、まどかの胸に飛び込んできた。
何処までも白い体表と、兎めいた赤い瞳を持った小動物は、しかし既存の生物ではない。
耳から耳の生えたような独特のフォルム。犬とも猫ともとれぬ様な、マスコットめいた体躯に戸惑いかけたが、弱々しく震えるその生物を前に、二人は訝しむより早く安否を気遣った。
二人はすぐさまこの奇怪な生物を安静にさせようと考え込むが、そこで二人の少女が挟みこむ様に迫る。
片や黒と白、そしてグレーを基調とした衣装を纏う、黒い長髪を靡かせる少女。
片や黄を基調とした衣装を纏い、カールされた明るい髪を二つに纏めた少女。
黒髪の少女は睨めつける様に相手を見やり、黄の少女は優雅な仕草で相手を睥睨する。
「あ、あのほむらちゃんだよね?」
転校生でありクラスメイトの名を呼ぶまどかに対し、ほむらと呼ばれた少女は静かに彼女の腕の中に居る生物を指さした。
「そいつから離れて」
「そうもいかないわ。この子は私の大事な友達なの」
「貴女は黙って。私が用があるのは、」
「見逃してあげるって言わないと判らない?」
一触即発の空気。何処までも深く重い空気が辺りに満ちかけるも、やがてほむらの方が先に折れた。
そして、ほむらはその場を去る。何処までも冷たく、そして悲しげな足取りで。
「ありがとうマミ。助かったよ」
マミと呼ばれた少女が何らかの措置を施したのだろう。眼に見えて健康そうになった生物に、彼女は軽く首を振った。
「私は通りかかっただけ。お礼はその子達に言って」
「どうもありがとう! ぼくの名前はキュゥべぇ!」
そして。キュゥべぇと名乗る生物はぺこりとお辞儀をすると、
「鹿目まどか。それに美樹さやか」
知らない筈の二人の名を呼び、
「僕、君たちにお願いがあって来たんだ」
何処までも可愛らしい、作り物の様な声で、
「僕と契約して、魔法少女になってよ!」
────そんな事を、口にした。
◇
そしてマミ、本名を巴マミという少女とキュゥべぇは彼女たちに説明する。
キュゥべぇに選ばれ、契約をした少女はその証明として魔力の源にして魔法少女の証である卵型の宝石、ソウルジェムを与えられ、どのような願いや奇跡でも一つだけ叶えてくれるという。
しかし、その代償もまた存在する。
魔女と戦い続けるという宿命……願いから生まれた魔法少女と対を為し、絶望を無辜の民へもたらす存在である魔女を狩る事こそ、魔法少女の務めだという。
それは命を賭けた戦い。決して安易な道でも選択でも無いのだとマミは釘を刺し、同時に二人に自身の魔女退治に付き合い、危険を冒してまで願いを叶えるべきかどうかを考えてみる様に説得した。
そして……。
「まさか病院とはね」
「…………」
マミの言葉にさやかは沈鬱そうに項垂れる。何故ここなのか。よりにもよって、どうしてこんな場所を選んだのかと、見た事もない魔女に内心歯軋りする。
「さ、さやかちゃん、大丈夫?」
「あたしはね。けどマミさん、ここにいる人たち、まだ大丈夫なんでしょうか?」
「今はまだ。けど急いだ方が良いわ。唯でさえ弱っている人の集まる場所に取り憑いてるんですもの」
そうですね、とマミの言葉に、さやかはこの日の為に用意したバットを強く握りしめると、マミはくすりと笑って光の輪と自身の腕からバットへと移らせる。
「気休めにだけど、身を守る位にはなるわ」
そう言われつつも、白いステッキと化したバットを、さやかはまじまじと見つめ、次いで現れた魔女の使い魔に対してやたらめったらに振りまわす。
お菓子を模る使い魔はそれに対して殆ど効果を得る事はなかったが、マミは手にした白銀のマスケット銃で狙い過たずその全てを撃ち抜いた。
「マミさん、カッコいい!」
そんなさやかの声援に、マミはもう、と困った顔を浮かべつつも、満更では無い様に進み、
そこで、逢いたくはない相手に出くわした。
「今回の相手は私が狩る。貴女は引いて。それと、鹿目まどかは契約させない」
「この子の素質に気付いてたから邪魔しに来たって訳? 自分より強い相手は邪魔者って事かしら」
ほむらとマミ。二人の少女は再度互いを敵対し合い、
「……貴女とは戦いたくはないのだけれど」
直接手を出したのは、マミが先だった。
「こんなことやってる場合じゃない! 今度の魔女はケタが違うの!!」
光の帯に拘束されながら責め立てるほむらに対し、マミは行きましょうと二人を促した。
◇
「よかったの、マミさん」
「敵が来たら外れる様にしてあるわ……ごめんね。貴女達の前じゃ年上ぶってるけど、本当はそんなに強くも、完璧でも無いの」
カッコつけてるだけ、と。そう語るマミにさやかは微かに口を開く。
「けど……カッコつけるってすごい事なんだと思いますよ」
「え?」
「あたしも今、凄く怖くて不安なんです。もしかしたら死んじゃうかもしれないんじゃないかって。自分だけじゃなくて、この病院に居る人も。
けど、あたし知ってるんです……どうしようもなく辛くて、誰にも助けてくれない、助けても違う事実で塗り潰されちゃう。
褒めてもくれなくて、痛い思いばっかりして、それでも手を伸ばしてくれるヒーローがいるって事。カッコつけて、清々しい位に頼もしいヒーローがいるって。
だから、なんとなくマミさんに憧れちゃうんです。あたしの知ってるヒーローみたいにカッコいいから」
何気ない言葉。何気ない独白。だが、その言葉はこれまで一人で戦い抜いてきた巴マミにとっては特別な物だった。
誰も知らない。誰からも気付かれない。ただ一人、たった一人で魔女と戦い続けた彼女にとって、その言葉は何よりも希望に満ちていた。
「だからあたし、マミさんと一緒に戦っていきたい! 魔法少女になってもならなくても、ずっと一緒に!!」
「────本当に?」
その言葉。憧れに満ちた眼差しに、マミの声は微かに震える。
「本当に、傍にいてくれるの?」
「はい……といっても、足手纏い確実ですけど」
苦笑しつつ頭を掻くさやかに、マミはありがとうと呟くと、魔女の創りだす結界、巨大なケーキの中へと飛び込んだ。
「「マミさん!?」」
慌てて遥か下へ落ちたマミを見やるさやかとまどか。
しかし、マミ動きはこれまでとは明らかに違っていた。
無数に現れた銃を取りかえ、持ち替え、身に迫る悉くを舞うが如き動きで撃ち落とす。
まるでここが魔女ではなく己の領域であり、舞台なのだというように踊り終え、止めとばかりに白銀のマスケット銃を大砲へと変化させる。
「ティロ・フィナーレ!!」
その言葉と共に、最後に現れたぬいぐるみめいた魔女は撃ち抜かれ、光の帯に拘束されると、息絶えたかのように項垂れた。
「「やったぁ!!」」
魔法少女の勇姿にはしゃぐ二人の少女と、その喝采を受けて微笑む魔法少女。
ここまでの内容を見るならば、間違いなくハッピーエンドである物語はしかし、
「え?」
突如斃した筈のぬいぐるみから現れた怪物によって、状況は逆転する。
巨大な、それこそ大きさだけなら竜か何かと見紛うような口だけの怪物は、マミをそのアギトに捉える。
死に逝く一瞬。己の生がここで終わる事をマミは本能で察した。
“……いや”
友達と呼べる者達が出来た。もう一人ではないと、一緒に居られる筈だった少女達の顔が頭によぎり、次いで先程まで交わした言葉が思い出される。
『けど、あたし知ってるんです……どうしようもなく辛くて、誰にも助けてくれない、助けても違う事実で塗り潰されちゃう。
褒めてもくれなくて、痛い思いばっかりして、それでも手を伸ばしてくれるヒーローがいるって事。カッコつけて、清々しい位に頼もしいヒーローがいるって』
彼女の人生に、そんな者は居なかった。両親は交通事故で他界し、自分もまた事故によって死に逝く筈だった命を契約によって長らえさせた。
そこから先は辛いだけだった。死んで止まるか、生きて動くというだけの違い。
誰にも理解されず、ただ孤独なまま過ぎて行く日々を諦観する事で過ごすだけ。
だから、彼女は死の間際でこんな事を想うのだ。
もしヒーローが居るのなら、どうか彼女たちを救ってあげて欲しいと。
そして、
「二人とも、今直ぐ僕と契約を!!」
決して間に合わない筈の窮地に白い生物は少女に契約を持ちかけ、
「う、うん、それじゃあ、」
それに同意しかけた時、
「ここか──────────────………………!!!」
ガラスの砕けるような音が、辺りに響いた。
「「「え?」」」
空間が罅割れる。この異界に亀裂が走る。
鹿目まどかも、美樹さやかも、既に牙が喉元に食い込んでいた巴マミさえ、この声を聞いた。
どうしようもない絶望。どんな状況でも手を伸ばしてくれるヒーローはその右手を固く握りしめ、
「女の子にかぶり付いてんじゃねえぞ、悪食野郎………………!!」
決して助かる筈の無かった少女を、その手で救ったのだった。
◇
「えっと……当麻。どうやってここに?」
全てが終わった後、寝巻から私服に切り替わった上条当麻に対し、さやかは問う。
「いや、俺の右手、『幻想殺し』っていうんだけどさ、こいつは異能なら科学だろうが魔術だろうがお構いなしに打ち消せるんだわ、これが。
で。病院を退院する段に当たってさやかと連絡しようと廊下に出たら、こいつが何か壊したみたいで、中に入ったら女の子が縛られててさ。助けたついでに、さやか達が奥に居るって聞いたから急いで駆け付けたんだけど」
平然と事情を説明する上条当麻であったが、ついでという言葉が痛くお気に召さなかったのか、さやかは目に見えて不機嫌になった。
「そっか。当麻はついでだから、あたし達やマミさんのとこに駆け付けたんだ、ふうん」
「いやいやいや!! そこで思いっきり足を踏まないで下さい!! ていうか上条さんがさやかさん達が居るって知ったのはついさっきの事で、正直何が何だか判らなかったんですのことよ!?」
そして、そんなやり取りを見て巴マミはというと、
「ヒーローか……さやかさんが羨ましいわ」
そんな事を口にするも、さやかの方はそれを慌てて否定する。
「え!? ちょ、ちょっと待って下さいマミさん! あれなし!! お願いですから忘れて下さい!!」
「ふふっ……いいの? そんな事言って。私が取っちゃうわよ」
「あの、できればそろそろあのメルヘン空間や、そちらのコスプレしたナイスバディで美人なお姉さんを紹介、ぎゃああああああああああああ!?」
「あんたは中学生にそんな事言うのかァ!!」
え!? うそ!? 中学生!? と驚きつつも絶叫する上条当麻とその足をぐりぐりと踏み付けるさやか。
そしてそんな二人を横目に笑うまどかとマミ。
これをきっかけに、この物語は本来の姿を大きく変えて行く。
◇
「一体何者なの、あの人」
今日の事態を振りかえり、ほむらは明らかに異質だった少年を思い返す。
魔法少女でも無く結界へ押し入り、右手の一撃で魔女を粉砕せしめた存在。
その存在は、彼女は一度として知り得はしなかったのに。
「気になるかい? お嬢ちゃん」
「!?」
声の主へと振り返る。アロハシャツにサングラスという何処までも軽薄そうなスタイルで決め込んだ金髪の少年は、あっけらかんとした口調で口を開く。
「あの男、上条当麻はつい最近まで学園都市に居てにゃー。
ま。あの右手に関しちゃ天然ものなんだが、それはさておき、こっから先は交渉だ。お互い有益な感じで行こう」
「有益?」
見ず知らずの人間である事に加え、余りにも胡散臭い事この上ない。が、一応話ぐらいは訊いてやろうという気構えで手にしていたベレッタM92Fの銃爪から指を離す。
「最近の女子中学生は過激だにゃー。外も少し見ない間に変わっちまったって事か?」
「帰るわよ?」
冷淡な声で拒絶を示すと、男は悪い悪い、と片手で謝る。
「学園都市の親玉から直々の申し出だ。活躍次第では、あんたら魔法少女を元の身体に戻す手助けをイギリス清教に掛け合う。その見返りは、」
その言葉に息を飲む。本当にそんな事が出来るのかという疑念と、その見返りとして求める物を同時に想像したが故に。
「インキュベーターの捕獲。無論、生死を問わず で構わないぜい?」
◇
それからの日々は、慌しくも充実した時間だった。
魔法少女やらキュゥべぇやらの説明を終えた後、結局まどかもさやかも契約の為されないまま、魔女たちは巴マミと上条当麻によって倒されていった。
時折怪我もしたし、他の魔法少女───杏子というらしい───と鉢合わせする事もあったが、一般人である上条当麻の協力と仲裁の甲斐もあってか、それほど悲嘆するような事態に陥る事は無かった。
“けど……”
事件が解決するその度に、新たな一日を迎えるその度に、さやかは上条当麻との間に溝があるように感じていた。
いや、それは溝という物ではない。単に距離が開いているだけ。
さやかという少女と行動する以上に、上条当麻と巴マミとの距離が近付いているように感じているだけ。
だからこそ、時折あの日の言葉が脳裏に蘇る。
あの日、巴マミが上条当麻に救われた日に、巴マミが悪戯交じりに言っていた言葉。
『ふふっ……いいの? そんな事言って。私が取っちゃうわよ』
「ッ……」
思わず唇を噛み締める。きっとあれは嘘偽りの無い本音だったのだろう。
少なくとも、あの時は本気で無かったにせよ今の巴マミを見れば満更でない事位は判る。
だから……
「悔しいのかい? 美樹さやか」
その可愛らしい言葉に、
「もし願いがあるのなら、僕はいつでも叶えてあげるよ」
彼女は首を縦に─────
◇
「ようカミやーん、やっと見つけたんだぜーい」
奇怪な猫ボイスが飛んできた方向へと振り返ると、上条の前に身長百八十センチはあろうかという大男がダッシュで接近してきた。
「つ、土御門で良いんだよな?」
土御門元春。上条の学生寮の隣人にしてクラスメイト……、らしい。記憶のない上条当麻には良く分からないが、少なくともカエル顔の医者が用意してくれた資料には写真付きの物が多くあり、一通りは目を通してあるので名前と顔位は記憶喪失でも知っている。
「って、ちょっと待てよ。何でお前がここにいるんだよ! どうやって学園都市の『外』に出たんだ!?」
「そこはまあ、ちゃんと許可を貰って。それよりカミやん、この子の事に見覚えはないかい?」
そうして土御門の背後に佇む少女は、一礼の後に上条当麻へと進み出る。
「暁美ほむらと言います。その節はお世話になりました」
「なーんて他人行儀な対応だが、大好きな友達には内心デレデレな……って、いだだだだ!?」
「時間がありません。あの悪魔は隙あらば契約を結ぼうとしてきますから。
上条さん、鹿目まどかと美樹さやかには連絡がつきますか?」
ああ、と応える上条当麻。彼の携帯は学園都市で壊れたまま買い換えていないが、それでも横にある蜘蛛の巣が張った電話ボックスを使えばすぐに連絡がつく。
「そうですか……では私の話を聴いた後にでも……いえ、連絡をしながら話を聴いて下さい。貴方には知って貰う必要があります。
────あの悪魔の契約の真実を」
そうして彼女は語る。この世界の影。閉ざされた環の真実と、その背後に潜む存在を。
◇
「……嘘だろ」
「残念だが真実だぜい、カミやん。あの悪魔が契約の際に叶える希望は絶望になって返ってくる。決して奇跡なんかじゃない。金を貸した後で破産前提の利息を強引に取り付ける悪徳商法だ」
奇跡にはそれに見合う代償を。希望には絶望を以てバランスを保つ悪魔の契約。
一度契約したが最後。魔法少女という犠牲者は金利という戦いと、返済という絶望の二重苦を味わうしかない。
しかも。
「戦って倒して行ってもいつかは魔女になる……魔女とは元は魔法少女、私達だった存在です」
「なら……一体何が目的でそんな事を!?」
「エネルギーだ」
「土御門……」
「あれはこの世界の住人じゃない。奴らは自分たちの世界のエネルギーを賄う為に感情をエネルギーに変える手段を得た」
だが奴らに感情はなく、それこそが最大の課題となったと土御門は語る。
「だからこそ人間……特に感受性の強い二次成長期の少女を槍玉に挙げたんです。絶望と希望は、奴らにとって最も効率の良いエネルギーだから。
奴らからしてみれば、それは些細な問題なのでしょう」
人が家畜を見る様に、奴らもまた人を人としては見ていないのだとほむらは付け加える。
「お前は、それを何処で……」
「私が魔法少女として契約によって得た奇跡は、『やり直し』を繰り返す事です。
もう何度も経験して……その中であの悪魔は全てが終わった際に淡々と語りました。
手品の種をばらすように……」
そして、そこまで訊き終えて上条当麻は拳を握りしめる。
「あの野郎は何処にッ!?」
「カミやん!?」
「上条さん!?」
バチン!! と、火花の弾ける音と共に彼の右手から煙が立ち込める。
「っづあ……!?」
「契約だ……」
「え?」
土御門の呟きに、ほむらは顔を歪める。
「カミやんの右手は特別性だ! 奇跡を使って無効化したかった奴が居るみたいだが、どうやら種のある奇跡じゃダメージを通すのが関の山だったらしいな!!」
「そんな、じゃあ契約は、」
「まだだ! 契約は完了していない!! それが終わるまでソウルジェムに魂を持って行けないのは、奴が定めたルールだ!
契約不履行でもとぼけて強引にされちまったらお手上げだが、それでも奴を捕まえればイギリス清教と取引が出来る!
カミやん、心当たりがあったらそいつの電話番号を! 学園都市の衛星ならそれだけで捕捉出来る!」
「ああ、ある……!!」
言われるがままに土御門に電話番号を教え、ほむらの用意した軍用車に乗り込む。
「ここから南西、五キロ先だ!!」
◇
「それで、君は何を望むんだい?」
「あの人の不幸の元凶を消して欲しい……それが出来れば、あたしと当麻は」
「叶えよう」
切実な吐露。何処までも悲痛な声に、白い悪魔は坦々と契約を為そうとし、
「莫迦な……奇跡が消える?」
本来ではあり得ぬ事態に、声を微かに震わせる。
そう。誰もがあの少年の右手を、ただの特殊な能力としてしか考えていなかった。
あの右手の神秘を何処までも軽んじた。高々タネも仕掛けもある紛い物の奇跡で、アレを何とか出来ると過信した。
それが異能である限り────神の奇跡さえ打ち消す右手を。
そして、その右手を持つ主人公は拳を振り上げ、
「さやかァァァァァァァァァァ……………………………!!!!」
固く、何処までも強く握りしめた右手が、白い生物の顔面に突き刺さった。
「が!? ぐぅ……」
回復が出来ない。本来のキュゥべぇであればたとえ銃弾で蜂の巣にされようとも傷を癒せる筈が、この少年の一撃だけは癒せない。
「な、にを……」
「何を、だと!? ふざけるんじゃねえ!! 助けに来たんだよ、クソったれが!!」
その声は何処までも大きかった。その拳は何処までも力強かった。その背中は何処までも逞しかった。
────上条当麻は、美樹さやかの想い出と何一つ変わっていなかった。
「いい加減にしろよ! 有りもしねえ希望で幻想持たせて、そのうえ死ぬまで戦えってか!?」
「君が何処で何を知ったのかは知らないが、少なくともその考えは間違い……いや、浅はかと言っていい。
全てはこの宇宙の寿命を延ばす為、君たちにとってもこれは非常に有益だろう?
数えられる程度の命で己の種族が生き永らえる事が出来るんだ。なのに何故君たちはそんな風に語るんだい?
事実を事実と知った時、君たちは『騙された』と言うね? けど僕らからすればそれはただの判断ミスだ。契約は合意に基づく物でしかないし、取引を持ちかけている以上良心的と思って貰いたいな」
何処までも平坦で、何処までも冷たく、何処までも嘲るようなその声に上条当麻は理解する。
目の前に居るモノはそういう存在であり、そういう価値観しか持たないのだと。
損か得か。ただそれだけを主軸とした価値観しか持たないのだと。
「それでも俺達は生きてんだ! お前らにとってはちっぽけで、それこそそこいらの石か何かと変わらないのかもしれない!!
けど皆生きてんだよ。魔女になっちまった奴も、今戦ってる奴も、皆希望を持って生きてんだ! 絶望なんか望んじゃいねえ、手を貸しただの願いを叶えただの、押し付けがましいこと抜かすな!!
俺達はここに生きている! 世界には希望があって、絶望を乗り越える為にもがいてんだ!」
確かにこの世には絶望が満ちている。救いたいモノは掌から零れて行くし、涙や嘆きなんて、それこそ星の数ほどあるだろう。
けれど。それでも生きたいという意思を、生き抜こうとする意志を、かけがいの無い者を守ろうとする意志を、ちっぽけだなんて上条当麻は言わせない。
たとえ地獄の底に落ちても、そこから引きずり上げてやると。
かつて救えない者を救った彼だからこそ、何処までも力強く宣言する。
「テメェらが何でも思い通りに出来るってんなら、」
その声は高らかと。世界の全てに響く様に。
「まずは────その幻想をぶち壊す!!」
「……わけが、判らないよ」
だが、それさえもこの相手には届かない。敵対だの何だのという関係も、恐怖も怒りも無縁の存在。
インキュベーターは、訥々とソレを繰り返す。
「生きている? だから何だい? 生まれ死ぬのは生物のプロセスだ。円環の輪は壊せない。
君は知らないかもしれないが、僕らはずっと君たちの歴史と関わり、有史以前からその繁栄を促した。僕達と契約し、犠牲となった事で人の歴史が紡がれてきたという事実を忘れていないかい?」
「……そんな事、ただの結果論じゃねえか」
犠牲となった少女達。その一つ一つの絶望を見る事は、今の上条当麻には適わない。
もしかしたら、そうする事が正しい選択だったのかもしれない。けれど。
「─────誰だって、絶望になんて染まりたくはなかった筈なんだ」
たとえインキュベーターと拘わらなかった事で文明が築けなかったとしても、人は少しでも前に進もうとしただろう。
何故ならインキュベーター自身が目的として挙げている。
人の感情こそがエネルギーなのだと。そこにある希望と絶望こそが糧なのだと。
「絶望があるから、横に居る奴が助けに行く。希望があるから、手を取り合える。
お前らはそれを────理解出来ないまま、遠いとこに行っちまったんだな」
憐れむような、悲しむ様な声。怒りも敵対心も知らないまま、事実かそうでないか、何処までも合理性だけを突き詰めてしまった存在に、上条当麻は握りしめていた筈の右手を開く。
彼は知ったのだ────こいつらには、拳を握る意味さえ無いのだと。
だから、上条当麻とインキュベーターの会話はここで終わる。
これより先、この特殊な生命体と相見えるのは上条当麻以外の誰かだ。
もう二度と、二人が出会う事はない。何故なら。
「あッ!? な!?」
「ご苦労だったにゃー、カミやん。この手の相手は会話に持ち込んで足止めって言うのが常道パターンだからにゃー」
「……別に、計算でやってた訳じゃねえよ」
「そいつは良い。人間ってのは感情で動くもんだ。一々機械みたいに計算してちゃ、人生には面白みってもんが無くなっちまうからにゃー」
言いつつ、土御門は捕獲用のケースに入ったキュゥべぇを覗きこむと、この白い生物にしか聞こえないように囁く。
「アレイスター=クロウリーが『窓の無いビル』の理念を元に再構築した特別性。
内側は常に一定の細胞を破壊するように作られたおまけ付きだ。光栄に思え、この世界の科学の親玉が、お前の為だけに拵えた物だ」
◇
それじゃ、積もる話もあるだろうから俺達お邪魔虫は一時退散するぜい、という言葉を残して土御門達は去る。
後に残されたのは幻想殺しの少年と、膝をついて呆然とする少女。
「どうして……?」
どうしてなのか。何故来てしまったのか、と少女はうわ言の様に繰り返す。
「……あたし、あたしは当麻に不幸になって欲しくなくて、その右手が無くなったら幸せになれるんじゃないかって、」
「……ばっかやろう」
泣く様な、掠れるような少女の懺悔。決して不幸になって欲しくないと、その願いの裏に愛憎が隠れていたとしても、確かに事実だった奇跡の願いだった。
だが、上条当麻はそれを否定する。
「確かに俺は不幸だった……けどな、俺はたった一度でも、後悔なんてしてないんだ」
もし上条当麻が『不幸』が不幸で無ければ、巴マミは助かっただろうか?
もし上条当麻が『不幸』が不幸で無ければ、絶望を撒く魔女を止められただろうか?
もし上条当麻が『不幸』が不幸で無ければ────美樹さやかを救えただろうか?
もしも『幸運』にもこれらの事件に巻き込まれなかった時の事を考えるだけで、上条当麻は恐ろしいと感じずにはいられない。
「俺が『不幸』じゃなければ、もっと平穏な世界に生きていられたと思う。
けど、そんなもんが『幸運』なのか? 自分がのうのうと暮らしている陰で別の誰かが苦しんで、血まみれになって、助けを求めて、そんな事にも気付かずに!
ただふらふらと生きている事の何所が『幸運』だって言うんだ!?」
誰から見ても『不幸』だった少年。誰にも理解されない理不尽な毎日を送り続けた少年。
決して消える事の無い『不幸』な日々を生き抜いた少年は、自分の手を固く握る。
「こんなにも素晴らしい『不幸』を俺から奪うなよ! この道は俺が歩く。これまでも、これからも、決して後悔しないために!」
『幸運』なんて欲しくない。すぐ側で皆が苦しんでいる事にも気付けずに、ただ一人のうのうと生き続けるぐらいなら、『不幸』に苦しむ人々にいくらでも巻き込まれてやると上条当麻はひたすらに叫ぶ。
「『不幸』だなんて思っちゃいない! 俺は今、世界で一番『幸せ』なんだ!」
そして、そんな彼だからこそ────
「莫迦……」
────美樹さやかは、上条当麻を好きになったのだ。
「莫迦だよ……覚えてないんだろうけどさ。ずっと変わらないんだもんなぁ」
苦笑交じりに涙を拭い、さやかは当麻を抱き締める。
今もはっきりと覚えている。借金苦に陥った男がさやかと当麻を攫い、追い詰められた男が上条当麻を刺した事を。
あの日────本当に刺される筈だったのは、さやかの方だった。
自棄になり、血走った目と荒いだ息で四つになるかという少女に迫った男を前に、震える事もなく身を呈して守った少年。
何の力もない、自分と同じ小さいだけの、それこそ少ししか歳の違わないただの子どもは、倒れる事無く立ち続けていた。
怖かったと思う。本当は倒れたかった筈だ。どうしようもない絶望。大人でさえ諦める状況で最後の最後まで諦めなかったヒーローの背中を、さやかはずっと想い続けていた。
「ありがとう────当麻兄ちゃん」
正直、キュゥべぇの事や、契約の事なんて判らないままだ。
何の説明もなく、ただ状況だけが過ぎて行った中で、何一つとして要領をない。
それでも、一つだけ判る事がある。
助けると、そう言ってくれたあの時の言葉が何よりも温かかったという事ぐらい。
「あの……正直呼び付けられた矢先にラブシーンを見せられちゃ、どうして良いか判らないんだけど」
「え!? うそ、マミさん!?」
バッ!! とその場を飛び退いたさやかに突き飛ばされる上条当麻は、ゴロゴロとアスファルトを転んで電柱に後頭部を打ちつけられ、くぐもった声を上げて仰け反っていた。
「味噌が、味噌が出る…………」
「あの、当麻さん。痛いのは判りますが、正直どうして良いか判らないの。
その頭の風通しを良くしたら、会話がスムーズになるでしょうか?」
「ノーですマミさん!! 何で怒ってるのか判りませんが、上条さんは改造手術を受けてる訳でも、アンドロメダに行ってもいないのでそういうのは勘弁して下さい!!」
即効回復しつつ直立不動の体勢を取る上条当麻だったが、その横でさやかが先程までのしおらしい状態から一気に不機嫌なモノへと変わっていた。
「判らないって……ソレ本気で言ってんの?」
「え? いや、なんで?」
「私が言えた事じゃありませんが、さやかさんの事には気付いているんでしょう?」
「そりゃまあ、幼馴染的なあれでしょ? 抱きつかれたのは驚いたけど、兄みたいに慕われるのは悪いもんじゃないし」
「「「…………」」」
さやかやマミのみならず、まどかさえこの時ばかりは絶句した。
正直、何で気付かないのか全く分からない。そしてさやかとマミの怒りのボルテージも上限が分からない。
「いっぺん、」
「死んで出直しなさい」
振りかぶるマスケット銃の銃床と拳。己の身に迫る暴力に、上条当麻は乾いた笑みを零す。
「「この朴念仁!!」」
とてつもない快音が、日の暮れた夜に響き渡った。
◇
「つまり暁美ほむらは時間遡行者で、これまでは同じような事態が起きても信じて貰えなかったけど、新たに現れた上条さんや学園都市の介入によって成功の兆しが見えたから打ち明けたと。そういう事で良いのかしら?」
「は、はい……」
顔面を腫らし、頭に巨大な瘤と作りつつ正座モードならぬ土下座モードで待機する上条当麻に、巴マミはティーカップを口に運びつつ説明を纏め上げた。
「けど、不思議ですね。さやかちゃんはともかく、わたしまで魔法の才能があるなんて」
「まあ……それに関しては本人に会って話をしてやってくれ。多分もうじき、」
「もう着きました」
唐突に、これまでの流れを断ち切るかのような声で現れた暁美ほむらに一同は振り向くと、まどかを置いてその場を離れようとする。
誰も語らない。何も語らない。それがこの暁美ほむらという少女に対する誠意だという様に、彼らはその場を立ち去ろうとするが、暁美ほむらはそれを止めた。
「いいの。私はまどかが魔法少女にならない結末になった事が嬉しいから、だからもう充分……それに、今まで親しくもなかった転校生が、実は友達だったんだって言っても、」
「友達だろ」
本当に、何でもない事の様に、自虐的になったほむらを上条当麻は制した。
「お前にとって鹿目は友達だったんだろ? 何回も何回も繰り返して、救えなかった友達を救う為に頑張ってきたんだろ?」
それは遠い過去。行く度のやり直しを繰り返してきた少女の始まり。
本当の自分はただ身体の弱い内気な少女で、そしてまどかが輝く魔法少女だった。
けれど運命は残酷で、最後の最後。最強にして最悪の魔女によって死んでしまったまどかを救う為に、暁美ほむらは戦うと決めた。
繰り返す環。閉じられた時間は彼女とまどかの間に溝を作り、ついには今の様な冷たい関係になってしまった。
……けれど。
「誇って良いんだ。友達になれなくっても、これから先でなれば良いんだ」
「けど、私は間違い続けた。あの白い悪魔は言ったわ……私がやり直しを重ねた事で、螺旋状の並行世界を束ねてしまったって。
そのせいで、まどかは魔法少女の才能にあふれちゃった……私がまどかの安否を気遣っちゃったから、まどかを中心軸に世界が一つになっちゃったって」
失敗ばかりを重ねた時間。繰り返される『やり直し』の中で、事態はより深刻になって行くばかりだった。
気付いた時にはもう遅い。避けようのない現実と絶望が、徐々にその壁を高くする。
魔女を倒し、その絶望を引き受ける事で魔法少女は新たな魔女になる。
あの悪魔はここでは無い世界で言った。
『君が、まどかを最強の魔女に育ててくれた』と。
「だから……俺がここに居るんだろ?」
「え?」
「お前の望んだ幻想は、こんな所で壊れやしない。だって鹿目は魔法少女にならなかったじゃねえか。
居ない筈の俺がここに居るじゃねえか。お前の幻想は、絶望なんかに染まっちゃいない。
ここから始めればいいんだ。間違いでも失敗でもねえ。希望を知らないなら俺が教えてやる! 俺達が魔女を倒せばいいんだ!!」
下らない現実も、絶望も、全部壊して進めばいい。暁美ほむらの幻想が奇跡を呼んだという事を証明すると、その決意と想いを込めて。
「本当に?」
「本当だ」
「倒せるの?」
「倒すさ」
「怖くないの?」
「怖くねぇ」
強がりでも、行き当たりばったりでもない。ただそこにある奇跡を叶える為に。
歪んだ幻想を砕く為に、上条当麻はほむらの想いに応える。
奇跡を絶望で返す存在としてでなく、奇跡を奇跡で叶えるヒーローとして。
「なら……貴方を信じて見ようと思います」
そうして、暁美ほむらは一歩前に進み出る。
自分が友達として想ってきた少女。どんな事をしても救いたいと願った少女。
いつか必ず救うと誓った少女の前に、初めて会った時の様な、おどおとした態度で。
「……今の話を聴いてても、実感ないって思うだろうし、貴女にとっての私は、ただの転校生だって事も判ってる」
けれど。その想いは本当だから。
彼女の信じてきた幻想は、今もしっかりと残っているから。
「判らなくてもいい……何も伝わらなくてもいい。それでも」
どうかお願いだから、と。震える手で彼女はまどかを抱きしめる。
「────貴女を、私に護らせて」
その言葉に、一体どれ程の重みがあるのか。どれ程の時間が込められているのか、まどかは判らない。
ただこの時、彼女に判った事がある。
「ありがとう……ほむらちゃん」
自分はこの時、ようやくこの友達と、再会する事が出来たのだと。
そして、ゆったりとした動作で、名残を惜しむ様にまどかから離れたほむらは、上条当麻に頭を下げた。
「ありがとうございます……本当なら、上条さんは私達魔法少女とは関係ない筈なのに」
「関係ないって事はねえよ。あのマスコットに踊らされてたのは俺達人間皆なんだ。
それに、お礼にはまだ早いしな。最強の魔女を倒してハッピーエンドって訳でも無い。その後は地道に頑張って行かなくちゃならないんだ。すぐに解放されるって訳でも無いんだろ?」
「はい────もしその日が来たら、その時は改めてお礼を。上条さん」
「………またか」
「……この野郎」
これまでに見せた事の無い青春まっしぐらな、ほむらの笑顔にマミとさやかはコメカミに青筋を立てる。
「ところでさ」
““しかも流すのかよ””
思わずため息をつく二人だったが、それも仕方が無いかと思う。
こういう風に自分にも他人にも鈍感だからこそ、彼はここまでこう言う風に在る事が出来たのだろう。
それを否定した所でどうにもならないし、欠点ぐらい受け入れてやるような甲斐性も無ければ、この相手と過ごすのは無理だ。
だから、いつかは自分がという思いを胸に、彼女達は意中の相手へと耳を傾ける。
「その最強の魔女、何て言う名前なんだ?」
その、あまりにも基本的な問いに、そう言えば語っていなかったと彼女達はくすりと笑みを零す。
「『ワルプルギスの夜』…………それが、私達が倒す魔女の名前です」
◇
『ワルプルギスの夜』……あまりにも強大であるが故に結界に隠れる事無く現出し、しかし人の目に映る事が無い故にその破壊は災害としか見なされない。文字通りの意味で最強最悪の魔女を前に、彼女達は立ち向かう。
嵐の様な空。暴威を具現化した存在は突発的な異常気象と多くの者らに見なされ、市井の人間は避難を余儀なくされた。
だが、ここに例外は存在する。たとえ戦えずとも、見守ろうとする少女。
奇跡の結末を見届ける為に、何の力もない二人の少女は戦地に立つ者を見届け、その期待に応えるべく彼女達は死力を尽くす。
「行くわよ!!」
「まかせて!!」
炸裂した大砲が豪雨の如く降り注ぐコンクリートの瓦礫を消し飛ばし、大型のタンクローリーや塗料で満たされたトラック、果ては輸送機までもがワルプルギスの夜に突っ込んでいく。
彼女達の目的は一つ。上条当麻の右手が触れられるようにお膳立てをする事。
上条当麻は人間だ。異能ではない物理的な破壊や暴力には対応できないし、右手だって手首から先までしか効果が無い。
右手以外は何処までも普通な、ごく有り触れた高校生に過ぎない。
「ぐっ……あっ」
吹き飛ばし切れなかった瓦礫の破片が肉を裂く。塗料を被った所以外、見えない相手に焦りを感じる。
だが、それでも。何度傷つき、何度倒れかけても、上条当麻は駆け抜ける。
辛くないと言えば嘘になる。あれだけの啖呵を切っても、全容の捉え切れない程に巨大な魔女を恐ろしいとは少しは思う。
けれど、ここで止まる事だけは出来ない。
絶望が運命だというのなら、運命を砕く。
神が定めた理だというなら、その理を砕く。
踏み出す一歩は万感の思いを込めて。倒れそうになっても前を向き続けて。
だが。
「な!?」
「え!?」
二人の魔法少女が、今度こそ絶望に顔を歪める。倒壊するビル群。如何な奇跡を以てしても、この全ては決して砕けない。
上条当麻は人間だ。どうしようもない位ただの人間だ。
だが、ここで諦める事だけは、絶対にしない!!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
間に合えと。ただ駆け抜け突き進めと前に出る。
どうしようもない『不幸』。何かが悪かったのではなく、運が無かったというだけの事。
しかし、上条当麻は言った。誰かが絶望に倒れたなら、それを横で起こす者がいるという事を。
「まったく……ド素人がなに熱くなってんだか」
風に靡くは赤髪のポニーテイル。燃える様な深紅の装束に身を包んだ少女は、片手に携えた槍でビルを吹き飛ばし、のみならず少年の為の道を作る。
「話は土御門とか言う奴から訊いてるよ……さっさと行きな、ヒーロー」
「ったく、どっちがヒーローだよ!!」
真紅の魔法少女に軽口交じりに礼を述べ、上条当麻は最後の一歩を踏みしめる。
たった一つの能力。日常を生きる上で、何一つとして役立たない右手。
だが、この右手には確かなチカラがある。誰かを救う事が確かに出来る。
強く、強く、強く────
この右手を届かせる為に、上条当麻は手を伸ばす。
この右手はその為にある。この右手は立ち向かう為にある。
「お前がどんな道を進んで、何に絶望したのかは判らない。
けどな、お前の作った希望は確かに世界に届いたんだ! その絶望と同じだけの希望が、確かに世界に響いたんだ!! だからもう……お前は苦しまなくて良い!!」
そして────この右手は、魔女を救う為にある!!
「絶望も後悔も要らねえんだ! お前が行かなくちゃいけないのは、もっと暖かくて幸せな場所なんだ!!」
だから、上条当麻は拳を振り上げる。嘆きと悲しみで前の見えなくなった少女の為に。
「教えてやるよ、この世には奇跡も魔法もあるって事を!!
お前が救われねえってんなら、絶望なんていう幻想に閉じ込められているって言うなら────」
絶望という、真っ暗な穴に落ちた少女を引き摺り上げる為に!!
「─────その幻想をぶち殺す!!!!」
そうして響いたのはガラスが砕ける様な音と、姿を保てずに崩れて行く魔女の叫び。
真っ白に染まった世界の中で、しかし上条当麻は確かに見た。
魔女は泣いている。
ただ冷たく、重く、何よりも悲痛な声で鳴き叫んで暴れている。
止められない自分を嘆いて。
暴れるしかない自分を怨んで。
今にも崩れる姿で、身動きの取れない上条当麻に手を伸ばす。
「く、っそ」
だが、上条当麻には何も出来ない。それが右手を使っても完璧には崩せなかった幻想が原因なのか。
それともこれがゼロ秒以下の世界だからかは判らない。
ただその結末に、上条当麻は歯ぎしりした。敵わないからではない。泣いている女の子を救えないという、それだけの理由で。
「俺は、助けられねえのか……!?」
血を吐く様な叫び。力の及ばない自分自身を、上条当麻は嫌悪し、
「いや。君は確かに救ったよ、幻想殺し。彼女を────そして私をな」
その男とも女ともとれぬ声の先を、静かに見据えた。
腰まで届く、色の抜けた銀色の髪。表情の窺えぬ端整な顔。緑色の手術衣だけを纏った特異な姿。男性にも女性にも、大人にも子供にも、聖人にも罪人にも見える奇妙な雰囲気の存在を。
「ここから先、彼女の苦痛を拭うのは私の役目だ。
君は君の護る者の為に死力を尽くした……魅せられたよ、完敗だ。
君の存在は私の人生における二度目の敗北であり、そして立ち上がる契機となった」
声の主は構えさえ取る事は無く、手の指を動かして、ゆっくりと見えない物を掴み取った。
パントマイムのような仕草の中に、上条当麻はおかしなものを知覚した。ある筈のない杖が滲み出た気がするのだ。いや、確かに現実世界には存在していない。にも拘らず気配や雰囲気といった未分類情報のせいで、『銀』という色までついた幻覚があるように見えてしまう。
「直接会う事は、もう二度とあるまい……故に君には感謝を、彼女には謝罪を送ろう」
そうして、声の主は杖を軽く振るだけで魔女に引導を渡すと、静かに声を漏らす。
ありがとう。
さようなら。
ごめんなさい。
子供の様にも、大人の様にも聞こえる声で、たどたどしい言葉を紡いだ。
まるで遠い日。まだ幼かった頃に帰る様に。
世界が再び色と景色を取り戻し、上条当麻が自分は瓦礫の上に寝転がっているのだという事をようやく知覚した時には、あの声の主は何処にも見当たらなかった。
◆
「……わけが、判らないよ」
夥しい機械に埋め尽くされた一室。より高度な次元と技術のもとで生きてきたであろう白い生物、インキュベーターは己の及びもつかない世界に言葉を零す。
この部屋には窓がない。
ドアもなく、階段もなく、エレベーターも通路もない。建物として全く機能する筈のないビルの中、インキュベーターはこのビルと同じ論理で創られた黒い半透明のケージに拘禁されていた。
「その問いには疑念が含まれているようだが、何を以てそのような言葉を紡ぐのか訊きたいな」
声は部屋の中央にある巨大なビーカーから響いた。
直径四メートル、全長十メートルを超す強化ガラスで出来た円筒の器には、赤い液体が満たされていた。
ビーカーの中には、緑色の手術衣を着た人間が逆さに浮いている。
それは『人間』と表現するより他なかった。銀色の髪を持つ『人間』は男にも女にも、大人にも子供にも、聖人にも囚人にも見えた。
『人間』としてあらゆる可能性を手に入れたか、『人間』としてあらゆる可能性を捨てたか。
どちらにしても、それを『人間』以外に表現する言葉は存在しなかった。
「君たちは何故僅かな犠牲に目を背けられない? 他者を犠牲にする事で発展を遂げる事を苦とも感じないというのに、何故僕らには『敵対』という感情を示すんだい?」
『敵対』……その言葉の意味を知りつつも、理解する事の叶わない生物は、疑念という形で問いを投げた。
「私には繁栄も未来も興味として持ち得ない。
私が望んだのは君達という種の『打倒』であり『根絶』だ」
「それこそ、わけが判らないよ。君たち……否、君は『繁栄』にも『未来』にも興味が無いと言う。なら望むのは世界の破滅かい?
だが、それなら君は何故『ワルプルギスの夜』が倒されるのを是とした?」
「破滅が望みではない」
その疑問にさえ、声の主、学園都市統括理事長、『人間』アレイスターは否定した。
「私が望んだのは、先に述べた通り君達という種の『打倒』であり『根絶』だ」
「…………」
「君は恨みという感情を知っているかね?」
「人間が自らの過ちを認められなかった際に起こす、感情の爆発、或いは蓄積だろう?」
さも当然だと、それこそが全てで有り真実だろうと、機械の様に坦々と語る。
「ふむ。それもまた一理。
しかし君は大前提が抜け落ちているな。そも、恨みとは憎むべき『対象』が居てこそ初めて形を為す」
「それが君にとって……僕らだったと?」
そうだ、と。これまで一切の感情を欠いた声の、ある意味目の前の白い生物と同じ視点で語っていた筈の存在が、そこに確かな感情の起伏を見せた。
「私は君たちを知っていた……その存在を知り、知覚し、認識した時、私は一度目の敗北をした」
◆
それは厳格な十字派の教徒、俗世の欲を棄てたと自称する近代魔術結社の中で生きてきたアレイスターの過去。
アレイスターは敬虔なる十字教徒であり、歴代最高の魔術師だった。
誰よりも苛烈な修行と研究を重ね、世界を混沌から救おうとする青年だった。
弱き者、貧しき者に手を差し伸べ、世界に神の愛を広めんとした信徒だった。
そんなアレイスターが、自らと同じ志を持った少女に出会えた事は、確かに奇跡だっただろう。
少女は自分の様な天才でも、秀才でも無かった。ただ優しく、暖かい心のまま、教会に孤児として迎え入れられた少女は日々の祈りと献身に身を捧げ、いつの日か世界を救おうと外へ出る事を胸に誓っていた。
その在り方……その存在が何者よりも美しいとアレイスターは感じ、そして少女の夢を共に歩みたいと誓い、願い、許しを乞うた。
少女にとっても、それは幸運であり幸福あったのだろう。
途方の無い夢であっても、そこに同じ志があるのなら進む事が出来ると。そう笑う少女に、アレイスターは歓喜した。
……だが。その夢は思わぬ形で叶い、そして絶望を与えた。
魔術の薫陶を受けたアレイスターにとって、見えざる物を見る事は容易い。
そうして、何時の間にか少女の方に乗った白い生物を見、その真相を尋ねた時、彼の胸には言い知れぬ不安がよぎった。
何事にも対価という物はある。確かに死すべき時まで戦う事は苦痛だが、決して救われぬ程の悲劇に彩られた国々を救う事など、果たしてできるのか、と。
……そして、その疑念は正しかった。
希望に満ちた国々は疫病と紛争で死都と化し、少女は魔女になってしまった。
アレイスターは膝をつき、白い生物を探す為に奔走するも、一度として見つけ出す事は叶わなかった。
当然だろう……本来あの白い生物は知識も何もない無垢な一般人こそを標的とする。
魔術師などという専門家を前には、タネが見破られてしまう事が判る位の脳は持ち合わせている。
故に、アレイスターは挫折しかけた。今の自分では駄目だと、如何に天才だの何だのと言われようとも、結局はこの程度だったのかと膝をつきかけ、そこではたと思い至った。
何故あの生物は、結社の結界の中を自由自在に入ってこれた?
疑問を形にするより早く己が出た教会より戻り、そこで新たに憑かれた少女を見た。
そう……結社の人間も噛んでいた。
彼らは世界中から効率の良い素体を集め、その白い生物を研究せんがために犠牲を是とした。
結社は……悪魔に魂を売ったのだ。
結果だけ見るならば、何と言う事は無かった。教会の有象無象は元より、未知の技術、未知の文化を持つ生物とて、所詮は生物でしか無かったと。
死に体の生物に杖を突きつけ、その意識を直接脳から死ぬまで覗きこんだとき、アレイスターは今度こそ絶望した。
この一匹だけではない……そして、この生物は今のままでは打倒出来ない。
有史以前より人間へ干渉してきた影の支配者。人という種の侵略者。
これらを打倒するには既存の法則では不可能だと悟る。魔術も科学も、その全てがこいつらの劣化コピー。如何に知識を付け、新たな法則を導こうと、土台そのものが歪んでいる以上勝ち目はないと、アレイスターは完全に膝を折った。
そう……アレイスターはこの時敗北し、そして立ち上がる事さえ出来なくなった。
やがて時が過ぎた。世界最高の魔術師であったアレイスターは、『ワルプルギスの夜』が如何なる存在かに気付き、その絶望諸共心身を引き裂かれた。
アレイスターには彼女を狩れなかった。魂を抜かれた少女を救う事は出来ても、どうしても彼女だけは狩れなかった。
思い出されるのはかつての笑顔。アレイスターにとって彼女は被害者であり、害悪を撒き散らすしかないと知っていても、どうしても狩る事は出来なかった。
死に絶える筈だった命。無為に消える筈の命は、しかし一人の医師に助けられる。
カエル顔のその医者はアレイスターを助け、そして人生の指針を示す。
それは何気ない一言。もし今までの技術が無意味だと知った時、医者ならどうするかという単純な問い。
それに、カエル顔の医者は真顔で応えた。
『既存の法則が無駄なら、新しい法則を作って旧い物を壊せばいい。ボクなら、決して諦めはしないよ』
その言葉に、アレイスターは天啓を得、再び立ち上がる為の力を得る。
────そうして、アレイスター=クロウリーの復讐が始まった。
◆
「人は絶望に至った際、自ら起きる事が叶わずとも横に居る誰かが手を差し伸べてくれる。
私は友からそれを学んだ。
そして……この都市によって君たちを超える存在を作ることにも成功した」
それこそが超能力者。契約でも魔術でも無い第三の存在。新たなる法則を生みだす為にアレイスターが求めた存在。
そして『幻想殺し』。アレイスターが求め、アレイスターが欲した究極……やがてアレを用い『神上』に至る事で既存の法則を破壊し『神浄』となることでこの星、否、宇宙からインキュベーターを駆逐する。
それこそが、アレイスター=クロウリーが描いていた筈のプランだった。
「馬鹿げている……僕達を超える何かで僕達に勝つつもりかい? 僕達なしでは未だに洞窟の中で裸で身を寄せ合っていたかもしれない君たちが?」
その言葉、傲岸としか取れない発言に、アレイスターは確かな笑みを作る。
そう……何者にも見える表情では無く、確かな笑みを。
「確かに君たちからすれば、我々は家畜も同然だろう。だが、君たちは過ちを犯した」
「過ちなんて犯していない」
そもそもインキュベーターにあるのは理に適うか否か。過ちなどという物は、所詮精神疾患か何かでもない限り起こり得ないと考える彼らにとって、起こり得ないと思いこむが故に、気付く事は決してない。
アレイスターにとって、それは何よりも痛快だった。
「君たちは私達を知的生命体だと認識した……そして、感情という物を持つという事も」
それがどうしたという目でインキュベーターはアレイスターを見、
それこそが答えなのだとアレイスターは語る。
「人は成長する……起こした過ちも、失敗も、涙さえも、それが次へと進む為の礎となる。
自称『完璧』な君たちでは───決して判るまいがね」
そうしてアレイスターは、ここに最大のタネをばらす。
「暁美ほむら……因果を束ねた彼女は結果として、鹿目まどかという存在を宇宙の法則を捻じ曲げるまでに昇華した。
だが、鹿目まどかの力は未だ残ったままだ」
コンソールが動き、そこに新たな画面が切り替わる。
内容は『転入手続き』。
そして……『「最終能力」移譲化計画』
「まさか……彼女の力を!?」
「宇宙の法則さえ捻じ曲げかねない力。二百三十万の頂点に立つ『一方通行』の二つ上。
『神上』の工程さえ飛ばし、『神浄』へと至る奇跡の存在」
その計画。その道筋を、インキュベーターは否定する。
「不可能だ。あれは鹿目まどかという存在が並行世界の集合体として存在しているから内包出来ているに過ぎない」
「所がそうでもない。確かに力を得た事によって私という存在は消えるだろう。
だが、私の奇跡までは消えんよ。力は確実に作用する。
さらに言えば、今の彼女は魔術よりでも科学よりでも無い『才能の塊』。
『開発』が失敗する事もなく、能力の移譲も大能力までは成功した」
後は機を見て無能力者扱いにする事で日常に送り返せば誰も苦しまない結末だと、そう楽しげに語るアレイスターに、感情からでなく本能でインキュベーター戦慄を覚えた。
「狂っている…………何が君をそこまで動かすんだい?」
それに対し、アレイスターは何処までも楽しそうなままだ。歓喜と喜悦に歪んだ、それこそ真の意味で『人間』足り得るアレイスターは、勝ち誇ったように語る。
「それが『感情』だ」
勝利宣言と共に、土御門がイギリス清教の神父を連れて入ってきた。
インキュベーターの身柄と詳細の収められたデータを確保しに来たのだろう。これで魔法少女との約定は果たされたも同然となった。
どうやらこの長く無駄な話もここまでという事らしい。最後にアレイスターは、こんな事を口にした。
「君たちが魔女にしてしまった存在だが……イギリス清教のみならず他の魔術結社にも危険だと判断された。倒滅されるのは時間の問題だろう。
尤も、私が私のプランを完成させた暁には彼女たちの救済の道も用意しておくがね」
だから安心して滅びろと────アレイスターは不敵に笑う。
後に残された場所には何もない。
『人間』アレイスターは静かに目を閉じ、『ワルプルギスの夜』に……最愛の少女に引導を渡した日を思い返す。
あの日……アレイスターは必要のない事をした。この培養液の外に出ればアレイスターの存在は明るみになる。
態々危険を冒してまで出て行く必要は何処にもなかった。
だが……もしあの選択をしなければ、アレイスターは自分が失敗し続けただろうと確信が持てる。
あの日、自分は自らの足で進む事を選んだ。そうする事で、救えなかった少女を救う為に。
鮮明に思い出せる。あの幻想殺しの少年の言葉。何気ない一言で、自分は動くと決めたのだ。
「奇跡も魔法もある……か」
そうだ。奇跡も魔法も確かにある。絶望など用意せずとも、それだけで確かに人は確かに救える。
それに気付けたからこそ、自分は幻想殺しを利用する事を止めた。
その道には犠牲があり、絶望があり、苦しみがあると知っていたから。
だからこそアレイスターは、この選択を悔いてはいない。
この選択にこそ胸を張って進めるのだと、そうアレイスターは言い切れるのだ。
◆
これより先の物語を語る意味はない。
アレイスターは勝利し、インキュベーターは敗北した。
それが正しいのか、間違っているのかは第三者の判断に任せよう。
最後に言える事は一つ。『人間』は『侵略者』に勝利した。
これはただ、それだけの結末なのだ。
×××
はい、ツッコミどころ満載な内容で言いたい事は色々とあると思いますが、取り敢えず短編集も三作目(ネギま!のトサカさんが主役の別枠のも入れれば四作目ですが)になります。
まどかと禁書は上条さん繋がりで想像した方も多いのではと思いますが、作者もその例にもれずやっちまいました。
しかし、結末を見ればアレイスター勝利エンド。ぶっちゃけ、上条さんよりこいつの方が目立ってんじゃんと思われそうですが、この作品を書くに当たってどうしてもやりたかったのは
○魔法少女全キャラ救済ルート
○キュゥべぇへの右ストレート
○アレイスター勝利エンド
の三つなので、作者的には意外とやりたい事をやれた感じです。
特にアレイスターは原作を見るとどんどん追い詰められてる感じだったので、どうしても活躍させたかったというのが大きいです。
しかし……ハーレムって書き辛い。一体どうすれば納得のいくハーレムが出来上がるのか。上条さんの求心力と説教がナチュラルに書けない駄作者っぷりが恨めしいです。
次に上条さんを書く機会があれば出直して来ます。
最後に。今回まどかと禁書をクロスさせるに当たって、設定を多く変えていますが、気に触った方がいらっしゃいましたらごめんなさい。
……特に幻想殺しと幼少期上条さんとアレイスター。
ほむらなんかはラストで時間停止使ってませんでしたし。
本当に申し訳ありません。
それではまた機会がありましたらお会いしましょう。失礼致します。