※この作品にベン・トーのキャラクターは登場しません。
それでもいいという方のみ、ご覧ください。
×××
学園都市。東京西部に位置する完全独立教育研究機関であり、総面積は東京都の約三分の一に相当する、総人口約二百三十万人の巨大都市。
あらゆる教育機関・研究機関の集合体であり、都市の内外では数十年以上の技術格差が存在すると言われる場こそ、彼が本来生活する場である。
そこに、ある少年がいた。年の頃は未だ幼さが残っており十四か五といったところか。
服装こそ学園指定のものである反面、その特徴的なツンツン頭は生来のものではなく、最近になって髪型を気にし出した思春期特有のものであり、塗り慣れてないワックスからも背伸びをしていることが判る。
そんな彼が、一人で足を踏み入れたのはある意味において非常に似つかわしくない場所であった。
並べられた惣菜、パックに包まれた魚介類にややきつめに効いた冷房。
日常において主婦たちが集い、戦い、死闘を繰り広げる決戦の地……スーパー。
そんな場に少年……上条当麻は訪れた。
事情を知らぬものが見れば、家族にお使いでも頼まれたのかと訝しむやもしれないが、ここは学生であれば誰もが寮か、或いはアパートへ通う学園都市。
当然ながら親元を離れた彼がお使いなどする必要はない。
ではなぜそんな彼がこんな場所をたむろしているのか。
“ああ……くっそ。やっぱ自炊しないときついよなぁ”
ここ、学園都市は先に述べた通り学生たちは寮やアパートにて過ごす。それはつまり、一人暮らしをする学生もまた存在するということである。
そして、上条当麻はつい最近になって高校生となり集団生活の寮から一人暮らしという、ある意味これまで経験したことなない者にとってはある種の憧れともいうべき場所に移ったわけであるが……。
“けどなぁ……いきなり自炊とか無理だろ”
当然ながら、家庭科の授業ぐらいしか包丁を握ったことのない男子に料理スキルなど期待する方が酷というものである。
よって、必然的に夕食は出来合いのものとなる訳だが、ファミレスに毎日通えるほど、彼の奨学金は多くないし、仕送りもまた同様である。
当然、取るべき選択肢は限られ、朝と昼は半額のパンと学食……そして夕食は。
“今日は……ついてねぇな。二つしか残ってねえじゃん”
心の中で愚痴を零しながらも、日清のカップヌードルを手に取りつつ時間を確認する。
カップヌードルは確かに美味い。数十年以上の技術格差が存在すると言われるこの場でさえ、その魅力と信頼は絶大だ。だが思春期真っ盛りなこの身体ではカップヌードルひとつで腹は満たせない。故に、彼は静かに時間を待つ。
並べられた弁当が、一定の時刻を過ぎることによって価格を落とすその時。
お財布に厳しい学生たちが手を出すことなく売れ残りながらも、時を刻むことによって瞬時に垂涎の的として存在するその時。
────半額印証時刻を。
◇
コチコチと、デジタルの時計がまるでアナログになったような錯覚を生む。
空腹に胃が鳴りそうになるのを感じつつも、それを表に出そうとはしない。
まだだ……まだなのだ。未だ割引として張られたシールは三割引き。ここで腹の虫を鳴らせば、確実に足元を見られる。
これは意味のない行為なのかもしれない。既に常連と化している彼が、否、彼らが何を狙っているかは周知の事実だ。
だが、仮にそれがなかったとしても、ここで腹の虫を鳴らすような真似を彼はしない。
空腹は伝播する。飢えはさらなる餓えた獣の本能を掻き立て、戦いはより熾烈を極まるだろう。
余裕があれば、それもまた一興と腹を括ったろうが、残された弁当は二個……しかもここ数日の上条当麻の食事は日清のカップヌードルに絞られている。
そんな彼が、目の前に存在する弁当をみすみす逃すという選択肢があるかと問われれば、それは間違いなく否だ。
こってりと脂の乗った豚の角煮……黒ゴマと梅干を載せられた白米は、レンジで温めればさぞ芳醇な香りが鼻腔をくすぐるに違いない。
来るべき時を待つ。一秒、一分……時間が恐ろしいほど長く感じられながらも、しかし確実に刻まれているのを感じる。コンマ一秒の時差も許さぬ腕時計が来るべき時刻を刻んだとき、それは訪れた。
おそらくは五十は過ぎているであろうエプロン姿の……しかし日頃の作業によって逞しく発達した二の腕を半袖から覗かせ、シャツの内からはち切れんばかりの大胸筋をアピールする男が、シールを片手に現れる。
────同時、店内の空気が変貌した。
効きすぎた冷房では、このこめかみを伝う汗を止められない。一切の埃も許さず、完全に磨き抜かれた床が電灯によって幾人もの客の姿を反射させていながらも、ここがまるで魔獣の胃袋の中にいるのではないかと言うほどの黒く淀んだ空間を幻視させる。
忘れてはならない。ここは既に狼たちの領域だということを。
そして刻め。あのシールが張られるその時こそ、この地が地獄と化すことを。
電子の機械の如くレジ打ちを高速で行い続けるパートの手が震え、経験不足なアルバイターは失神さえしかねない。
ペタリ、と。ただシールを張るだけの単純な行為が、この場の重圧を格段に上げる。
僅か二つ……ただそれだけの数にシールが張り終わり、しかしここで飛び出す者はいない。
戦いの始まりは、店員が完全に姿を消したその時なのだから。
────そして、地獄の釜の蓋は開いた。
◇
二メートル級の巨漢が、痩せぎすな学者風の少年が、個々人の戦力の彼我にかかわらず高らかと宙を舞い、或いは雪崩に巻き込まれるように踏み潰される。
いったいどれ程の人間がこの限られたスペースに存在していたのか。そしてそんなにも弁当が欲しいのかこいつらは!?
と、店員たちはレジからこの地獄絵図を眺める。
当然だ。自炊もできず金もない。料理を作ってくれる彼女もいないという哀れな男たちにとって、半額弁当をたかが弁当と罵ることなど断じてしない。
血走った眼光はさながら猛禽。駆ける足は四足獣の如く、この僅かな決戦の時、彼らは餓えた獣と化すのだ。
そして……この学園都市において何よりも恐ろしいのは、体格に優れた人間ではない。
「ぬお……!? 電撃かよ!?」
全身を痺れさせながら床を転がる男が、無情にも後続の者たちによって蟻のように踏み潰され、止めとばかりにスーパーの入り口まで敗者は去れと言わんばかりに吹き飛ばされる。
超能力……この学園都市は、一部でこそあるものの、そうした能力を使用することのできる者が存在する。
とはいえ、そうした者らは多大な奨学金や上位の学校への進学が決まっているため、こうした場に来ることはまずない。能力者のレベルでいえば、精々1か2程度だろう。
だが、そうした者らだからこそ油断はならない。火力が低いからこそ、他の商品に飛び火することはない。小規模だからこそ、発見は困難。
平時であれば中途半端であり、上にも下にも見向きされない者たちは、しかしこの場において真に恐るべき影無き暗殺者へと変貌する。
ある者は火傷を負い、ある者は金縛りに遭いながら、一人また一人と脱落していく。学園都市における大半は無能力者……レベル0であることを考えれば、これほどまで待つ者と持たざる者の差を痛感したことはなかっただろう。
弱者は餓えていればいいのか? ただ床を舐め、スーパーの軽快な音楽を鎮魂歌に地に沈むしかないのか?
だが……それに異を唱える者はいた。
「どけぇぇぇぇぇぇ………………………………!!!!」
金縛りを、電撃をものともせず、突き進むのは幼さの残る少年。支給されたばかりの制服を擦切り、焦げ付かせ、髪を乱れさせながら、それでも彼は突き進む。
そして、背後から掌に込められた電撃を右手で払いながら、カウンターとばかりに素人くさい拳で迎撃しつつ、地に伏せる者らに言い放つ。
てめえら、それでいいのかよ、と。
「確かに俺たちは無能力者だ。だけどな、それで止まっていいのかよ!?」
地に伏せる者らは未だ戦いながらも叫ぶ少年を見る。お前もまた敵だろうが、敗者の屍は越えていくべきだろうと。
「判ってる。確かにここにいるのは自分以外全員敵だ。だけどな、なに途中で諦めてんだよ!? なに中途半端にギブアップしてんだよ!?」
これがただ勝負に敗れた問いだけならば、上条当麻は何も言わない。
弱肉強食はスーパーの掟。限られた中だからこそ、勝利の味はかくも美味い。
だが、だからこそ。
「能力が強いから? 一度膝を折ったから? ふざけんなよ! 俺もお前らも、能力者も無能力者も、皆同じだろうが!」
彼は強く、これまで殆ど喧嘩さえしてこなかったその拳を、おそらくこの時初めて握る。
諦めるなと。最後まで戦い抜いてから、この舞台を去れと。
でなければ、納得などできない。勝利の味を噛み締められない。
「立てよ────腹が減っているんだろうが!!」
同時、放たれた右拳によって、巨漢が宙に浮き、重い音を立てて沈む。
空腹による限界を越え、裡に眠る身体能力が解放される。これまで、ただ能力を消す程度の力しかなかった、それこそ平凡なだけだった右手。
何の力もなかったその右の拳が、今このとき真価を発揮した。
それを見たとき、無能力者たちはよろよろと立ちあがる。既に弁当コーナーからは遠く、どうやって間に合わない。
だが、もしかしたら。もしかしたらという一念が彼らを突き動かす。
元よりここに集った理由は一つ……そうだ、彼らは………………
「────ただ腹が減ってるだけ。その通りだ、カミやん」
天啓の如く光の差し込んだスーパーに、何処までも軽快な声が響く。
「……土御門」
数多の能力者を地に沈めながら、上条当麻の友人、土御門元春はそこにいた。
己こそが、この決戦の舞台の最後の敵だと言うように。
◇
「おまえ……何で。つか、舞夏はどうしたんだよ。あいつなら料理ぐらい!?」
「何処でうちの妹と知り合った!? つか、さり気に名前呼びする仲かこの野郎!!」
「うお!?」
プロボクサーもかくやという拳を放つのを紙一重で回避しつつ、弁当を狙うべく位置を切り替える。
「舞夏は二日はこれねえんだよ!! そんな訳で弁当は頂いていく!!!!」
「大人気ねえなオイ!? つか二つあんだろ!?」
「生憎ルールがどうとか言ってられないんだにゃー……!! 弁当一個で持つかこの野郎!!」
痛烈な連撃を致命傷にならない範囲で回避しつつ、しかし土御門以外の連中が弁当を手に取ろうとするのを阻止する。
やがて埒が開かないと思ったのだろう。何より閉店まで時間はない。土御門の空気が変わり、かつてない重圧を見せる。
「────悪いが潮だ。こればかりは確実に頂いていく。
十秒。耐える事ができたら、誉めてやる」
瞬間、これまで目にしたことのない独特の歩法で間合いを詰め、のみならず四方より迫る男たちが地に沈む。
同時、ガクン、と上条当麻の身体が沈む。狙いは顎……プロボクサーが敵の脳震盪を狙うのと同じく、正確無比に捉えた一撃は地面との抱擁を確定的にさせ……。
「な、めんなぁ…………………………!!!」
「な!?」
寸でのところで持ちこたえた上条当麻に、土御門は驚愕する。脳への衝撃を最小限に抑える為、当たった直後に顎を肩で固定したのだ。
無論、格闘技の経験などない上条当麻にそんな知識があったとは思えない。おそらくは咄嗟の判断だろうが、だからこそこの少年の裡に眠るセンスには感嘆の念を禁じ得ない。
だが、土御門は手を緩めない。起き上がろうとする上条当麻の後頭部へと肘打ちを決め、今度こそ意識を刈り取らんとすべく追撃の蹴りを放つ。
そして、誰もいなくなった戦場で、土御門は弁当を二つ取ろうとする。
先の言通り、次の日の分も考慮してのことだろう。通常の人間であればその行為に問題はない……しかし、この決戦の舞台においてそれは重大なルール違反。
二つ以上の半額弁当を取ってはならないという暗黙の了解に反している。
それをこの場の空気から知ってなお、土御門元春は二つ取る。戦いにおいて、勝利こそが全てだと知っているから。
如何にルールに反してでも勝利を掴む。それが土御門元春の戦闘スタイルなればこそ。
土御門元春は────この舞台では決して勝てない。
「ここの掟が……判ってねえな」
「……………………!?」
既に死人と化した者らがむくりと起き上がり、土御門を拘束する。無論、それは彼の実力をもってすれば瞬時に振り解けるものだ。だが、彼は背中に冷たい汗を感じ取る。
今、蹴り飛ばした相手の瞳が、まだ生きていることに………………!!
「弱きは叩く────」
「────豚は潰す────」
「────それが────」
声が唱和する。この舞台にて、上条当麻が最初に受けた洗礼を、己もまた一匹の狼として口にすべく、呼気をため、拳を握る。
「────この領域の掟だぜ、土御門」
突き上げた右拳と共に、半額弁当を高らかと掲げる。
この日、この時を以て上条当麻の拳は完成した。
神の奇跡さえ砕き、これより幾多の窮地を踏破する右手────
────幻想殺しは、こうして完成したのだった。
◇
満身創痍となりながら、上条当麻は帰路に着く。さすがに体もボロボロであるし、寮に返れば土御門から再度襲撃を受ける可能性もある。
既に体は限界であり、気を抜けば意識が飛びかねない。よって、公園で食べるべく歩を進め、
「あーもう! 黒子の奴、しつこいのよ、お陰で夕食も食べ損ねちゃうし。って、あ! ごめん!」
曲がり角にてぶつかった少女によって、完全に崩れ落ちた。
「ちょっと、大丈夫!? ていうか……え?」
力尽き、地に伏せる上条当麻。しかしその手は弁当を守り抜こうとしたのだろう。
ヘッドスライディングを決めるがごとく受け止めた半額弁当は、見様によっては少女に手渡そうとしているようにも見える。
「え、その、何で? ひょっとして、くれるの?」
「ああ、」
喉から声を出すのも限界だっただけなのだが、少女はそれを了承と見たのだろう。戸惑いからか気恥ずかしさからか、そっぽを向きながら慌てて駆けだす。
「一応お礼言っとくわ……! 今度会ったら、なんか奢るわよ!」
たったった、と軽やかな足音と共に少女が去るのを失意と共に見送り、アスファルトに身を投げ、倒れ伏す。もはや口癖である『不幸だ』などと呟く余裕はない。
上条当麻がこの日より心からあることを誓うのだった。
────明日からは、自炊しよう。と。
◆
夥しい機械に埋め尽くされた一室。窓も、ドアも、階段も、エレベーターも通路もない。建物として全く機能する筈のないビルの中、直径四メートル、全長十メートルを超す強化ガラスで出来た円筒の器は、赤い液体が満たされていた。
ビーカーの中には、緑色の手術衣を着た人間が逆さに浮いている。
それは『人間』と表現するより他なかった。銀色の髪を持つ『人間』は男にも女にも、大人にも子供にも、聖人にも囚人にも見えた。
『人間』としてあらゆる可能性を手に入れたか、『人間』としてあらゆる可能性を捨てたか。
どちらにしても、それを『人間』以外に表現する言葉は存在しなかった。
その中で、『人間』アレイスター・クロウリーは静かにコンソールを動かし、映像を見やる。
己が計画の要、上条当麻の拳に力が宿ったことを確信し、満足げに頷こうとして……。
「……………………」
ふと、それが目に付いた。土御門元春が必殺の右拳によって吹き飛ばされ、錐揉み回転しながらも『ここが逃走経路だ!』と言わんばかりに掴み取った品が収められ、置いてきたスーパーの袋。
そこに込められた意味と、究極的なまでの汚れ役を負わされた仕返し。
「箸が…………使えん……………………………………………………………………」
────この日、アレイスター・クロウリーは人生二度目の敗北を迎えたのだった。
×××
※当然かつ納得の突込みがあったため、最後の部分だけ修正しました。烏賊様刻様、ありがとうございます。