「私の所有物」
「先に帰ったぁ?」
「うん、どうやら施設から電話がきたらしくてね。用事が出来たらしいよ。」
実験を終えて食堂に向かう麦野を呼び止めた研究員の一人がそう言うと、麦野は驚きと怒りに満ちた表情を浮かべる。自分の指示よりも施設の用事が大事なのか? と言いたげな様子で、目の前にいる研究員を意味もなく睨んだ。当然、麦野の眼光に晒された男は焦った様子を見せて視線を反らす。
(折角、一緒に帰れると思ったのに……)
口には絶対に出来ないが、麦野はフレンダと帰る事を楽しみにしていた。いつも帰る車の中は無言で、運転手は決して麦野と会話しようとはしないからだ。
フレンダがいれば、今日の実験は上手くいったと伝えて話が出来る。フレンダに私の能力はどうだったのか聞いて、笑い合う事が出来る、そう考えていたのに。
そこまで考えて麦野は思考を止めた。『超能力者』ともあろう自分が今考えた事は何だ? と自問するように舌打ちをする。別にフレンダなどいなくとも、自分は何でも手に入れる事が出来る選ばれた者ではないか。この『学園都市』に三人しかいない『超能力者』なのだから。フレンダ如きに固執する必要はどこにもないはずだ。
「フレンダの奴……帰ったら オ シ オ キ か く て い ね」
なのに麦野の心は、ほんの少しの怒りと大きな寂しさに震えている。今呟いた独り言も、自らの心の平静を保つために呟かれた言葉だ。帰ってフレンダに『お仕置き』をする様
を想像すると、多少心が落ち着いていくのを感じる。
そうだ、最近ちょっと調子に乗らせてしまったのだから、少しは『お仕置き』して自分の立場を分からせるのも悪くはないのだ。そして泣いて許しを請うフレンダを優しく慰め、再度自分が上だと知らしめる。そこでプレゼントだ。最早フレンダは私の虜になる他ないだろう。
「ふふん、帝王学の基本ね……もっと称えてもいいのよ、クフフッ」
不気味に独り言を呟きながら研究所内を進む。今日のプランが決定した為、その足取りは実に軽やかだ。プレゼントは二カ月ほど前に渡しそびれたアレがある。二か月前の出来事は自分にとって、金庫にしまい鍵閉めて海中に投棄したい位に忘れたい出来事であるが、過ぎてしまった事を悔やむなど『原子崩し』たる自分には相応しくないと心の中で暗示をかけた。
そのまま研究所の玄関まで進むと、見知った姿を見て声をかける。
「あ、滝壺じゃない。どしたの?」
「むぎの……!」
滝壺は麦野を確認した途端、焦った様子で麦野へと駆け寄る。どうやら今までも走り回っていたらしく、その息は荒く肩も大きく上下していた。明らかに普段の滝壺とは様子が違う事に、麦野は眉を顰めて口を開く。
「ちょ、ちょっと落ち着きなさい。どうしたのよ滝壺」
「むぎ、のっ……ゼェ、実は、ゼェ……ゴホゴホッ」
「ほら、アンタ体はあんまり強くないんだから。少し休んでから話そう」
「そんな暇ないっ……!」
小さくも強い声。いつもはのんびりしている滝壺が放った声は、それほど大きな声でこそなかったものの、麦野の雰囲気変えるには充分なものだった。滝壺は何があろうとも自分のペースを崩す人物ではない。それは実験を一緒にやっている自分だからこそ言えることだ。
だから滝壺がこんなに狼狽するということは、何か異常事態があった証拠なのだ。そしてそれが滝壺自身には手に負えない事なのだろう。ならばこの滝壺の友人として、『原子崩し』たる自分が手を貸してやるのだ。という気持ちを固める。だが、それは的外れな思いだ。何故なら……
「何があったの? ジジイ共に何かされた、それとも苛められたとか?」
「違うっ……むぎの、聞いて。実は……」
その問題は滝壺ではなく、自分に大きく関係する事だったからだ。
*
走る、走る、走る走る走る走る。
大切にしている服が引っ掛かって破れようとも、お気に入りのブーツが泥で汚れようとも構わずに麦野は走った。道行く人々がそんな様子の麦野に訝しげな視線を向けるが、麦野にはそんな視線など既に気にもならない。何度も転んだ為、足や腕は擦り傷だらけだしいつもとかして「もらっている」美しい髪は風を受けてボサボサの状態だ。普段の麦野なら決してこんな醜態は見せない。
滝壺から報せられた内容はこうだ。
滝壺の能力は『能力追跡(AIMストーカー)』と呼ばれるものだ。対象の拡散力場を記憶し、相手が半径数十㎞以内にいるのであればどこに隠れようとも追跡出来る。『大能力者』の中でもとびきり珍しい能力で、この学園都市にいる人間であれば例え『無能力者』であろうとも拡散力場は持っているので、滝壺の能力で誰でも追跡出来るらしい。
偶然としか言えないものだった。滝壺は偶然にも、昼食時に「ある人物」の拡散力場を記憶している。そして実験中に暇になり、その人物は今どこにいるのかと検索してみたのだ。
それだけなら別に問題はなかった。研究所内にいなくても、それは何か用事が出来たんだろうと推測出来るだったはずだ。ただ、その検索をかけた人物が自分がよく知る場所に連れて行かれていたのが滝壺にとって驚きだったのだ。
『超能力開発実験場・第八支部』
かつて滝壺もいた施設だ。非人道な目的の為に設立された施設であり、現在は無人となって機能を停止している施設の筈だ。そこに彼女が連れて行かれる理由は全くない。そして本人が行く理由すらない。
そして、あの研究員は「施設からの電話」と言っていた。それは何を意味するのか?
間違いなく、麦野に隠していたい事があるからだ。
「糞ったれ……!」
――むぎの、私は行っても役に立てない
――でも、むぎのは友達だから応援してる
「分かってる……」
――それに、むぎのは大切なんでしょ?
「分かってるんだよ……!」
――ふれんだを助けてあげて
*
『超能力開発実験場・第八支部』
能力の開発が進まない事を理由に設立された施設で、表向きは『置き去り』の子供達の能力開発を進めるという人道的な施設だ。だが、勿論表向きはそれでも裏の顔か存在する。
行われた実験をザッと記すと、「能力の暴走時に起こるAIM拡散力場の個人差」、「脳の大脳皮質に改良を加えた場合どうなるのか」、「ロボトミー手術で起こる能力の強弱」等、絶対に人道的とは言えない実験ばかりだ。つい最近になって効率が悪いという理由と、技術力の進歩によりこの研究所は解体される事となった。当然、これも表向きの事実だ。
そんな研究所の中心に位置する場に、研究員が約十名集まって何かをしていた。各々がモニターや計器に向かい、それらを操作する。そしてそれらの機械が繋がれたコードの先にはひと際目立つ機械があり、そしてそこに取り付けられているのは一人の少女だ。目まで覆うヘッドギアを付けられ、体の至る所にチューブと拘束用のバンドが付けられている。ヘッドギアから除く長い金髪と白い肌だけが、少女が誰かを物語っていた。
「まだ結果は出ないのか、ね?」
「はぁ……ダメです。いくら脳に刺激を与えても、網膜に直接映像を流しこんでも反応はありません。本当にこのガキに鍵とやらがあるんでしょうか?」
「統括理事会がそう言っていたんだ。我々はそれを遂行すべきだ、よ」
男はこの少女を知っている。何せ自分が選び、そして名前まで付けたいわゆる自分が親の様なものだからだ。だからこそ、逆に実験に使う事が出来る。この娘の権利は自分にあり、そして子は親に尽くすものだという歪んだ思想からだったが。
「薬を増やして負荷をかけてみよう。それで駄目なら脳を切り開く」
「し、しかしこれ以上薬を増やすと……」
「代わりはいくらでもいる、よ。少女も、そして君も」
男は余裕すら醸し出しているが、実は焦っていた。折角自分の研究所から『超能力者』が出たのだが、他二名の能力者とは比べ物にならない程価値が低い上、能力の伸びも全く確認出来ていない。お陰で援助してくれている統括理事会のメンバーからはせっつかれ、辞任の声すら出ているほどだ。
いつも余裕そうな態度でいるのとは裏腹に、男は今回で結果を出さなければ辞任……いや、下手をすれば口封じの為に暗殺される可能性が高いのだ。だからこそ、どんな手段を使ってでも、男は今回で結果を出さなければないらない。例え少女が潰れたとしても、だ。
「薬の注入を増やします、各員は計器の数値から目を離さない様にしてください」
その声と共に、少女の体の至る所についているチューブから薬が投入される。途端にビクン! と痙攣する少女。意識はないだろうが歯を食いしばり、口の端から泡が漏れている。目元こそ隠れていて表情こそ分からないが、相当の苦痛を感じて、苦悶の表情を浮かべているだろうことが予想できた。だが研究者達はそんなことを気にもせず計器から目を離さない。そう、彼らにとってデータこそ大事で、少女の体など二の次なのだから。
「状態は安定しています」
「こちらもです」
「心拍数の上昇を確認しましたが、まだいけます」
各場から次々と声が上がり、その報告に全員が息を吐く。数値は異常なものを示しているのだが、人間が壊れるという数値を知っている彼等にとってはまだまだ適応数値だ。少女は泡を吹き、拘束されている体を跳ねさせてはいるが。
「よし、再度さっきと同じ刺激を与え続けろ。結果を出すまでは帰れないと思いたまえよ」
それと同時にまた実験が再開される。男は近くにあったコーヒーを手にとって口に流し込んで一息ついた。後は結果が出るのを待つのみ、そして駄目なら脳を解剖して調べるだけだ……と。
コーヒーを置いて実験場へと視線を移した、その瞬間だった。
ドォン、と研究所が「揺れた」。
最初は気のせいかと思った。が、他の研究員達も顔を見合わせているところを見ると、勘違いという訳ではないようだった。次いで置いたコーヒーを見ると、波打っている。
ドォン!
先ほどよりも大きな揺れと音に、研究員達は慌てた様子を見せる。地震かと思われたが、地震はこんなに規則的な揺れを発するものではない。
そして聞こえる音……いや、声。
……フレンダ
フレンダ……!
「フぅぅレぇぇンぅぅダあああぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!!!!!」
地獄の鬼が吠えた様な声だった。その声と共に部屋の壁が赤熱し、一瞬にして砕け散る。無論壁の近くにいた男二人は、悲鳴を上げる事すら許されず塵と化した。それを行った光は威力を弱める事なく、反対側の壁を貫通してどこまでも進んでいった。
溶けて空いた風穴を通り、一人の少女が姿を現す。ボサボサになった栗色の髪と、所々に血が付着して赤くなった服纏い、そこにいる人間達を睨みつける。
少女こそ、『原子崩し』、「麦野 沈利」。
研究員達は一瞬にして麦野の視線に飲まれる。『超能力者』といえども、たかが小学生の少女の視線に、だ。
その空気の中、麦野は血走った目で部屋の中を見渡す。かなり広い部屋というよりも広間といった感じで、中心には機材やら何やら色々と置かれている。そして、見つけた。
中心の椅子の様な機材に座り、至る所にゴテゴテとして物を付けられた、自分の「所有物(もの)」を。そして「所有物」の様子を確認し、奥歯が砕けるんじゃないかと思うほどの力で歯を食いしばる。
「手前ェ等……」
麦野の周囲にある空気が歪む。『原子崩し』が発射される前兆であり、研究員達は恐怖に歪んだ顔見せた。その顔を見て麦野は嗤う。自分に不愉快な思いをさせた連中を塵にするために、『原子崩し』を放射した。
が、次の瞬間麦野は信じられない光景を目にする。突如として自分を閉じ込めるようにして現れたガラスの壁に、『原子崩し』が拡散されて消えていったからだ。
「なっ……!?」
「落ち着きたまえ、『原子崩し』」
その声の方向に麦野は視線を向ける。そこにいたのは自分を担当しているあの男が立っていた。いつも胡散臭い笑顔で自分に接してくる男で唯一自分を恐れていない男だった。だが、恐れていなくとも人間を見る視線ではなかったのだが。
男の手にはスイッチらしき物が握られている。どうやらこの壁はあの男が作動させた物らしい。
「アンタ……!」
「全く、余計な事をしてくれたものだ、よ。この研究所がどれ位の資金をかけて作られたものか分かっているのかね? 少なくとも『無能力者』一人の実験でおつりがくるものではない、よ。これは絶対に成功させなければならないね」
「成功って……フレンダに何しやがった!」
「彼女に何かするというのではないよ。それに君に怒鳴られる筋合いもない、ね」
「どういう意味だコラァ!」
「まだ分からないのかね、『原子崩し』。これは君の為に行っている事なんだよ」
その言葉に麦野の動きが止まった。その事を気にせずに男は続ける。
「『統括理事会』の指示でね。彼女の脳を調べる事により、君の能力が上昇するという事が伝えられた。」
「無論我々は『統括理事会』の指示に従わなければならないし、君の能力を上げる為には多少の犠牲はやむ負えない。」
「それに君も、能力が上がるのは喜ばしいことなのじゃないのか、ね?」
それを聞いた麦野は最初茫然としていたが、すぐに怒りの表情を浮かべて全力の『原子崩し』を発射する。だがそれもガラスの中で拡散され、少しずつ力を失っていった。
「やれやれ、別の新しい人間なら用意するよ。何なら同じ金髪の少女を用意するとしよう。今度はもっと従順な子がいいか、ね?」
「手前ぇぇええええぇぇぇぇ!!」
「無駄だよ。そのガラスは『拡散支援半導体(シリコンバーン)』という物で作られている。まだ試作段階だが、君の『原子崩し』を拡散して受け流す性質を持ったもの、だ。君の能力ではそれを貫く事は出来ない。君の能力を一番よく知っている私が言うのだから、間違いはない、よ」
実際、麦野の『原子崩し』は全く貫通する様子もなく拡散して消えていく。自分の能力が効かない事、そしてフレンダの様子がどんどん悪化していっている事に麦野は歯噛みするが、壁は壊れるどころか歪む様子すらない。能力が通用しなければ、麦野などただの子供の一人に過ぎず、この場で出来る事などない。諦めてこの場を見ているしかないはずだ。
(だからって……)
そんな考えを振り払うように首を振る。目の前にいる自分の「所有物」を諦める、なんて考えが浮かんだ自分の頭に渇を入れる。そして次の瞬間、麦野は迷いもなく手を振り上げてそれを壁に叩きつけた。
「諦める訳ねえぇだろうがよぉ!」
何度も何度も壁に拳を叩きつける。自分の能力が通用しないのであれば、最後に信じられるのは自分の体のみ。そう心に決めて自らの全力を以って壁に拳を叩きつける。拳を叩きつけるたびに麦野の脳に激痛が伝えられ、麦野の顔が苦悶に染まった。
そんな麦野の様子を見た男は、呆れて溜息を吐いた。確かに自分の能力が通じなければ、単純な物理攻撃で……という事は理解できる。だが数発殴ったところで気づかないものなのであろうか? と男は呆れ果てた。「拡散支援半導体」は確かに物理攻撃を防ぐ術を持たないが、単純な耐久力なら強化ガラスに匹敵する強度を誇る『学園都市』の特殊素材だ。無論、少女程度の腕力で敗れる代物ではない。
「さて、実験を続けよう。『原子崩し』は後で搬送するとして、今は目の前の事に集中しなければいけない、よ」
「は、はい……」
そう言って実験を再開しようと自らの位置へと戻る。後はこの拳をぶつける音をBGM代わりとしながら実験を進めるだけで、『原子崩し』の能力が上がるはずである。『統括理事会』の決定には間違いなどないからだ。
どれほど能力が上がるのか分からないが、上手くいけば『一方通行』や『未元物質』を超える可能性だってある。そして自らは今までの事態を拭う事が出来る。男はそう信じて疑わない。『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』がどういった変化を及ぼして進化するなども、考えた事がないのかもしれない。
最初に聞こえたのは本当に小さな音だった。
――ピシ
ガラスの破片を踏んだような、そんな小さな音。誰もそんな音を気にする事はせず、実験の計器から目を反らす事もない。
次に聞こえたのは少し大きな音。
――ピシィ……!
この音には流石の研究員達も気づく。男も何事かと、未だに無駄な行為を続けている筈の哀れな『超能力者』へと視線を向ける。
そしてまた聞こえたのは本当に大きな音。
――ビキィ!!
少女が叩き続けた場所を中心に、蜘蛛の巣状にひび割れが広がる。この事態に誰もが声を出す事が出来ない。
何故ならばこんな事はあり得ないから、自分達を確実に守ってくれるはずの完全なる防壁が、ただの少女の腕力で捩じ伏せられるなど考えられない事「だった」から。そして次の瞬間、限界まで損傷を受けた壁がついに悲鳴を上げるかのように
「んるぉぉああああああぁぁぁぁぁああああ!!」
砕け散った。麦野が大振りで放った拳の一撃に耐え切れず、壁は粉々に砕け散った。周囲へ散らばったガラスの様な「拡散支援半導体」はキラキラと輝いて、この状況にも関わらず不思議な美しさを醸し出し、幻想の様な空間を生み出す。自らが開けた穴を通って出た麦野が血走った目で全員を睨みつけると、どこからともなく悲鳴が上がった。
「ば、馬鹿な……」
男が初めて狼狽した声を上げる。どれだけ腕力があろうが、少女としか言えない麦野の体格で強化ガラスに匹敵する壁をぶち破るなど、常識的に考えてあり得ない。あんな体格ではどう殴ろうが、蹴ろうが物理的に不可能なはずなのだ。
男は混乱した様子で麦野を見やり、その理由に気づく。血まみれボロボロになっている麦野の右手に青白い光がループしているのを。
「き、貴様にそんな能力はなかったはずだ! ただ破壊力だけしか能のない閃光を発するのが貴様の能力だったのではないの、か!?」
「知った事じゃ、ないわよ……今から死ぬアンタに、そんな事を伝える必要性も感じないわ……」
ゼェゼェと息を荒げる麦野の言葉に、男はギリリと歯を噛みしめる。たかが実験動物に自分の命を握られているという事に怒りを覚え、激情のまま口を開いた。
「猪口、砂郷! 『原子崩し』を捕えろ! 多少は手荒な真似をしても構わない、よ!」
その言葉が合図となったのか、壁際で待機していた二人の人物が麦野の前に立ちふさがった。スーツを着込んだ筋肉隆々の男と、緑の服を着てバンダナを口元に巻いている華奢な女だ。麦野は知らないが、この二人がフレンダを浚った張本人だ。
「邪魔すんじゃねぇぇぇ!」
麦野の『原子崩し』が発動し、周囲の空気が歪む。目の前にいる男に発射しようと麦野は照準を合わせ、能力を発動しようとする。が、次の瞬間襲ってきた頭痛に演算が狂い、放とうとした『原子崩し』が霧散した。何があったのか、と麦野が認識する前に男の蹴りが、麦野の華奢な体を吹き飛ばす。
吹き飛ばされた麦野は蹴られた痛みよりも、頭の中をかき回されたような不快感に顔をしかめた。それはすぐに終わったが、敵の攻撃は収まらない。男は時を開けず麦野へと肉薄し、叩きつぶそうと拳を振るってくる。麦野がそれを防ごうと『原子崩し』で盾を作ろうとするが、それも謎の妨害で演算が中断され、男に吹き飛ばされた。受身が取れずに顔面を強打し、一瞬意識が飛ぶが歯を食いしばって耐える。
「何が、起こってるか、分からんだろう、『原子崩し』」
男が途切れ途切れの不器用な言葉を発する。麦野はそれに対して返事はせず、ペッと血の混じった唾を吐いた。男はそんな行動も気にせず言葉を続ける。
「俺は、猪口、あっちの女が、砂郷。どちらも、『強能力者(レベル3)』だ」
「へぇ……その『強能力者』サマがこの『超能力者』「如き」に何の用? 自分の力自慢がしたかったら、お家に帰って鏡に向かってすればいいと思うのだけど?」
「何も、分からずに、やられるお前が、忍びなかった、だけだ。自分を、倒した、能力者の名を、覚えておいても、いいだろう?」
そう言うと、顎で後ろにいる華奢な女も前に出てきた。
「俺は、『過剰運動(フイジカルオーバー)』、単純な、身体強化能力だ。そして、砂郷が、『意識妨害(マインドジャマー)』だ」
「ふぅん……どんな能力なのかしら?」
「対象の意識を、刈り取ったり、様々な、応用がきく、能力だ。だが射程距離や、精度に問題がある。ここまで、近ければ問題は、ないがな。お前が能力を、撃てないのは、意識的な妨害を、一瞬だけかけて、演算を妨害してる、からだ」
「ああ、それで……」
「お前の能力は、照準に時間がかかる、と聞いている。不便な能力を持った、事を後悔して、俺たちに負けるといい」
そう言って二人が麦野へと一歩踏み出す。そんな様子を見て麦野は軽く溜息を吐き、痛む右腕へと視線を向けた。皮が破れ、血でまみれ、恐らく折れてはいなくともヒビは入っているであろう自分の右手。そしてこんな怪我を作る原因を作った少女は、目と鼻の先にある機材に座り込んでいる。体中に取り付けられた計器やチューブを見ると、麦野は怒りが再燃するのを感じ取る。それは目の前にいる連中の事だけではなく、少女に対しての怒りだ。
(奴隷の分際で、私が怪我してまで助けに来てあげたのよ)
猪口が麦野に突進する。それに合わせて砂郷からの妨害が麦野に襲い掛かり、演算がかき乱される。
だが麦野はそんなこと気にしていない。そもそも目の前に迫る相手など見てもいない。麦野が見ているのはただ一人。
(帰ったら、やっぱり オ シ オ キ ね)
瞬間、膨大な白い奔流が猪口ごと麦野の周囲を飲み込んだ。暴れまわる破壊の光は余波だけで、離れて見ていた研究者数人を巻き込み荒れ狂う。猪口は元より、近くにいた砂郷などちょっとだけ触れた『原子崩し』の一撃で木っ端微塵に吹き飛んだ。その光景を見て茫然とする男を見て麦野は嗤う。
「確かに、私の能力じゃあ演算を乱されると正確な狙いは付けられない」
だから麦野は集中した。ただ一点、自分が連れ戻しに来た少女の場所にだけは能力の余波が飛ばない様に。
「でもね、それは狙いを付けられないってだけで能力を放てない訳じゃないのよ」
声を発することすら出来なくなった肉塊に、麦野は優しく語りかける。
「と、これが私の『原子崩し』。貴方達がご丁寧に能力の解説をしてくれたから、私もし返してあげたわよ? これが『超能力者』よ。死んでも忘れるな、この<ピー>野郎」
さてと、っと麦野は残った研究者に視線を向ける。先ほどまで住人近くたはずだが、どうやら余波で七人は吹っ飛んだ様で残りは三人しかいない。その中にはあの男もいた。
「運が悪いわね。さっきので消し飛んだ方が幸せだったと思うけど」
「く。来るな……」
麦野は嗤う。目の前の男を始末するために能力を発動し、限界まで原子を圧縮する。まずは足だ、動けなくしてから傷口を焼いてやる。そして腕だ、惨めに這いつくばる己を自覚させ、そして殺す。麦野の頭にあるのはそれだけだ。
「もがいて苦しむ様を見せてもらうぞこのクソ野郎がぁぁあああぁぁぁ!」
麦野が腕を振りかぶり、『原子崩しを』放とうと意識を集中させる。瞬間、チクリと痛んだ自分の足に違和感を感じ、麦野は視線を向けた。そこに刺さっていたのは注射針の様な弾丸。麦野が見ている目の前で、内部の薬物が自らの体へと流し込まれる。
不味い、と思った時には既に遅かった。一瞬で全身から力が抜け、無様に地に這いつくばる。演算しようとは考えているが、上手くする事が出来ない。
「な、なによ……ほれ……?」
「おーおー、好き勝手やっちまいやがって」
周囲から黒い駆動鎧を着た人間達が現れる。次々とその数は増していき、最終的に十人以上が麦野を囲んだ。麦野はそれらを睨みつけるが、どうしても体に力が入らない。
「無駄無駄ァ、そいつは対能力者用に開発された新薬だからな。消耗してる今のお前じゃあ動く事もままならねぇだろ?」
そう言いいながら、駆動鎧達を掻き分けて現れたのは一人の男。顔半分にタトゥーを入れ、駆動鎧の人間達とは違い白衣着込んだ科学者らしき人物。だが麦野には、他のどんな強力な武器を持った人間達よりも、目の前のこの男の方が余程危険な人物に見えた。それは見た目とかそういうものではなく、本能的に察したものだったのかもしれない。
「あんた……はれよ……!」
「うーん、まぁ別に教えてやってもいいんだがなぁ」
そう言いながら、男は麦野へと視線を向ける。その視線は麦野さえも震えさせるほどの眼光と狂気に満ちたものだった。
「「木原 数多」、だ。よろしくなぁ、『原子崩し』」
おまけ
「フレンダちゃんと麦野ちゃん遅いわね……」
「二人とも初めての遠出だから、楽しくやっていけてるのかしら?」
「……フレンダちゃん、本当に楽しそうだったから心配ないわね」フフッ
ピピピ ピピピ
「あら、電話」
「もしもし、希望の園ですが」ガチャ
「えっ……?」