「『道具(アイテム)』は闇へ……」
「おぅおぅ、久しぶりじゃねぇか。こんな無様な状態になってるなんざ夢にも思わなかったがなぁ」
「木原……貴様……!」
木原が男を挑発するように口を開くと、それに激昂した様子で男が腕を震わせる。男の殺意を込めた視線を真正面から受けても、木原は何も感じていないかのような態度で凄絶な笑みを浮かべる。それは両者の力関係を如実に表している様にも見えた。
「しかし、みっともねぇなぁ。たかが能力者一人に研究所一つまるまる潰されてんじゃねぇよ。しかも自分が受け持ってる奴ときたもんだ」
馬鹿にした様な笑みを浮かべたまま、木原はそう嘲るよう言い放つ。同じ学園都市の研究者が死んだというのに、その顔には一片の同情など見えない。そんな木原に対し、男は怒りで紅潮した顔のまま口を開く。
「黙れ! これは『統括理事会』から受けた正式な辞令、だ! それに攻めてきたのは『超能力者』だぞ、むしろこれだけの被害で済んだのが幸運と言えるではないか! 私に何の問題があったというの、だ!?」
「ハッ、甘ぇ甘ぇ。もしそういった事態が起こっても対処できる姿勢を整えるのが一流ってやつよ。たかが『原子崩し』に対処出来ない時点で、手前ェは三流ってことだ」
「なっ……!」
「いや、三流どころじゃ済まねぇかもなぁ。所詮はエリートって肩書きだけの使えねぇ野郎だったってことだ。まぁ、今回は手前ェが目的じゃねぇ」
そう言い放ち、木原は倒れている麦野へと歩み寄る。近くに来たところでしゃがみ、右手で麦野の髪を乱暴に掴んで持ちあげた。麦野の口から苦痛の息が漏れ、それを聞いた木原はニヤリと笑みを浮かべる。
「あの薬で意識を失わねぇとは大したモンじゃねぇか。喜べよ、肉体的な意味でなら、お前は今の『超能力者』の中じゃ最強かも知れないぜ。まぁ、能力に関しちゃあ絶望的だがな」
「う、る……ひゃい……!」
体全身に倦怠感にも似た痺れが走り、麦野は上手く声を発する事すら出来ない状態だった。意識失わないのは単純に、気絶してはフレンダがどうなるのか分からないという恐怖感からだ。だが、今自分が意識を失おうが失わまいがこの連中に抗う事など出来はしない。ただ自らの意思がここで気絶する事を許せないから、麦野は必死で意識を繋ぎ止める。
「ふれ、んだ……を、はなへ……!!」
「ハッ、カッコイイねぇ! 囚われの御姫様を助けに来た騎士様ってところかァ?」
「ばかに……ふんな!」
今ある力を振り絞って演算に全力を注ぐ。麦野と木原の頭上に白い閃光が迸り、バチバチという凶悪な音を響かせた。咄嗟に周囲にいた駆動鎧達が麦野に銃口を向けるが、木原はそれを片手で制する。
「いいねいいねェ! 最近はあの「ガキ」の研究しかしてなかったから、他の『超能力者』の「性能」ってのを知りたかったんだよ!」
『原子崩し』は加速し、木原を打ち抜くために収縮していく。いつもの麦野の力と比べても、それは遜色のない威力を有している。だが木原はそんなものに全く臆する様子を見せない。それどころか凄絶な笑みはますます深さを増し、顔面のタトゥーと相まって人間が浮かべる事の出来る表情とは思えない程、嫌悪感を感じさせる顔つきとなっていた。
「ひ、ね……!!」
麦野の声が合図となり、『原子崩し』は木原の顔面を貫く……いや、消滅させるために一筋の光線と化して突き抜けた。それは木原の後ろの床を易々貫通し、一瞬で地下数百mまでその身を進め、消滅していった。余波だけでも相当の威力と熱を誇る『原子崩し』の一撃である、木原の顔面など形どころか影すら残らない事は明白だった。そのはずなのだ。
「……ハッ、こいつはすげぇな!」
「な、んで……?」
だから目の前にいる無傷の男は死んでなければおかしい筈だ、と麦野は自問する。木原の顔は右半分が軽度の火傷を負っている様だが、それ以外には傷一つ見えない。麦野は目の前の光景が信じられず絶句し、言葉失う。そんな麦野の様子が楽しくて仕方ないのか、木原は興奮した様子で口を開く。
「何で俺が平気なのかって顔してるなぁ、『原子崩し』」
「ぁ……」
「単純な問題だ。手前ェの『原子崩し』は所詮「点」での攻撃だ、お前の目線と能力の動き方でどの辺りを狙ってるかなんて想像がつくんだよ」
超理論である。麦野の放つ『原子崩し』を初めて見る者は、その威力に少なからず警戒心と恐怖感を抱く。ましてや目線を気にしつつ能力の揺らぎを確認するなど、人間では絶対に不可能だ。だがこの「木原 数多」という人間、まだ数年先の話となるが、素手で『一方通行』の反射を理論的に破るという超絶技能を発揮する。その理論たるや、まさしく神業。麦野の『原子崩し』一発程度を避けるなど、この男からしたら簡単な事なのかもしれない。
「んじゃあ……コイツはお釣りだぜぇ!」
「え……ぐぇ!?」
木原はそう言って麦野の髪を離し、左手で顔面に掌をぶち当てた。麦野の口からは普段の麦野からは想像も出来ない様な声を上げて地面を転がる。数回地面を転がると、ようやく麦野は停止する。体中ホコリと血で汚れ、いつもは美しい顔は鼻血とボサボサになった髪がかかり見る影もない。
そんな状態になっても、麦野の目から闘志は消えなかった。激しい怒りが身を包み、それのせいで気絶する事さえ出来ない。不思議と自分が殴られた事に対して怒り感じなかった事に麦野は一瞬だけ苦笑するが、すぐに先ほどの獣の様な表情に戻って木原を睨みつけた。それを見た木原はまた嗤う。
「いいねェ……最ッ高じゃねぇか! 第一位や第二位よりよっぽと手前ェの方が面白れぇなぁ『原子崩し』ァ!」
「隊長、そろそろ……」
「あン? 今良いとこじゃねぇか」
「作戦終了時刻が迫っています、遅れれば『統括理事会』から何と言われるか……」
「チッ……しゃあねぇな。じゃあ本命の目的をちゃちゃっと済ますとするか」
そう言って木原は歩を進める。向かう先は麦野……ではなく、何とフレンダが座る機材の方向だ。それに気付いた麦野がギョッとした視線を木原へと向け、口を開く。
「ひ、かふく……なぁ! そい、ふは……わらひのだ!」
「おーおー怖い怖い」
そう言いながらも木原は足を止めず、とうとうフレンダの目の前に辿り着く。付けてあるヘッドギアを手順も踏まずに強引に外すと、蒼白な少女の顔がそこにあった。意識はないようだが薄く眼を開けており、いつも明るく空の様な青を持つ瞳は光を失っている。その様子を見た麦野が息を飲むのを確認すると、木原はフレンダの頭に銃口を突きつけて口を開く。
「さて、いらねぇモンは処分しねぇとなぁ。『学園都市』もゴミを置く余裕はねぇし」
「や、やめろぉ……!」
「ハッ、そういう訳にもいかねぇな! 使えないモンは処分しろって命令を受けてるんだよ!」
「やめ、やめて! おねがい、やめてよぉ……」
その声に、木原以外の誰もが息を飲んで麦野へと信じられない物を見るような視線を向けた。先ほどまでどんな事があろうとも折れず、引かず、そして不遜な女王とも言えた『原子崩し』が、まるで捨てられた子供の様な声を上げた事に驚愕を隠せないと言いたげな顔を全員が浮かべている。
だが、木原だけはそれを見て口角を釣り上げる。そう、まるで待っていたと言わんばかりの顔だった。
「止めて欲しいのかぁ、『原子崩し』ァ?」
「う、ひっぐ……やめて、くら、はい……!」
嗚咽を隠そうともせず、何時もの高飛車な態度を取ろうともせず、麦野は必死に懇願する。
別に麦野は汚く生き残りたいわけじゃない。麦野自身だけならこんな連中に頭を垂れるよりも、戦って死ぬ方を選んだはずだろう。こんな無様に許しを請うこともなかったはずだ。
だがここにいるのは麦野だけではない。ここには麦野自身が最も大切に想う「奴隷」がいる。そして彼女は戦う力など一切持っていない。だから自分が守らなければならないんだ、と麦野は自らに言い聞かせた。痛くても、苦しくても、どんなに辛くても……
だが思い出して欲しい。「麦野 沈利」は完全無欠の『超能力者』であり、無慈悲な女帝であり、そして……まだ小学生の女の子だということを。
「おいおい、泣くんじゃねぇよ。これじゃあまるで俺が悪者みたいじゃねぇか? 俺は殺すのを悩んで「やってる」ココロヤサシイお兄さんだってのによぉ、なぁ『原子崩し』?」
「うぅぅぅ……グスッ、うええぇぇ……」
木原の挑発的な一言にも反論一つ返せずに、麦野は泣き声を上げ続けた。閉じた瞳からは延々と涙が溢れ続け、先ほどまで罵倒の言葉しか出なかった口からは、子供らしい泣き声が上げられている。
「そうだなぁ……条件次第じゃ助けてやってもイイ、かもなぁ」
「!?」
木原の言葉に、麦野は驚愕の表情を浮かべて目を見開いた。そんな麦野を見て木原は笑みを浮かべる。悪魔すら可愛いと思える笑みを浮かべ、木原は口を開く。
「今回の研究所を破壊した事は不問に流すとして……人員はどうにもならねぇ。特にさっきお前がぶっ殺した二人組は『暗部』っていう奴にいた連中なんだわ。つまり、お前がその代わりをすれば、このガキの命は助けてやってもいい」
「……それをやれば、ふれんらをたふけてくれるの?」
「そう、だがそれだけじゃ駄目なんだな、これが」
「なんれよ……!」
「お前がやったのは二人だっただろ? 要するにもう一人堕ちる奴がいなきゃダメって事だ」
その言葉に麦野は眉を顰める。今のはもう一人自分と共に暗部へと行く者を用意しなければ駄目だという事なのだろうが、麦野には木原が何を望んでいるのか分からない。自分以外はここにいないはず……そういう考えしか思い浮かばないからだ。そんな麦野に対し、木原は呆れた様な、そして楽しそうな表情のまま口を開いた。
「おいおい、分からねぇのか? 鈍い野郎だな、ここに「もう一人」いるだろ?」
「……まひゃか」
「察しの通りだと思うけどな」
「らめ、らめよ!」
木原の考えに気づいた麦野は、青ざめてその考えを否定する。「暗部」というものがどんな場所なのか麦野にも詳しい事は分からないが、碌なものではないことなど容易に想像出来る。自分は良い、余程の事がない限り大丈夫な自信はあるし、何より『超能力者』としての力がある。 だがフレンダは違う。特に強力な力を持つ訳ではない『無能力者』で、どんな事があってもニコニコと微笑んでいるただの少女なのだ。あの笑顔が「暗部」とやらに堕ちていい訳はない。
「おねがい……わらひはいいから、ふれんららけは……」
「駄ぁ目だ。損失には相応の代償を払ってもらう、「暗部」の常識だぜ、コイツはよ」
「うぅぅ……」
「諦めな『原子崩し』。手前がここで断るのなら、このガキはここで死ぬだけだ。そいつを防ぎたくてここまで来たんなら、やらなきゃ駄目な事は分かるよなぁ?」
木原の言葉に麦野は呻く。最早これ以上の譲歩や交渉など不可能……いや、最初からこうなるよう仕組まれていたとしか思えない結末に、麦野は涙を必死に堪えて歯を食いしばった。
「わ、かっら……らから、ふれんらをたふけ、て……」
「オーケーオーケー、交渉成立だな。手前等、『原子崩し』とガキを病院に搬送しろ」
その言葉を合図に、周囲を囲んでいた駆動鎧達が動き出す。麦野をストレッチャーの様な物に乗せると、しっかりと能力者拘束用の特殊拘束具を取り付けた。フレンダは付けられていたチューブや機材を乱暴に取り外されて、ストレッチャーに乗せられる。ただし麦野とは違い拘束具は付けられていなかったが。そのまま二人が搬送されていくのを、木原は楽しそうな表情のまま見送った。
(ハッ、これでメインの仕事は完了か。あとは、っと……)
心の中でそう呟きながら、視線をとある方向へと向けた。そこにいたのはフレンダを誘拐し、麦野の担当「だった」男と研究員二人だ。研究員二人は木原の眼光と先ほどの光景で完全に怯んでいるが、男は怒りの眼差しで木原を睨みつけている。そんな様子をせせら笑う様に木原は口を開く。
「これから『原子崩し』はこっちの研究所系列が担当になる、手前はお払い箱だなぁ」
「き、さまっ!」
「『超能力者』相手の対応が甘すぎるぜ、そんなんじゃいつまで経っても研究から「その先」へ行くのは不可能だな。まぁ、次はないんだが」
「? ど、どういう……」
返答はなかった。
木原が素早く引き抜いた拳銃はから放たれた銃弾が、男の両隣りにいた研究員二人の眉間を撃ち抜いた。銃声と共に二人の頭から鮮血と脳漿が飛び散り、そのまま糸の切れた人形のように崩れ落ちた。恐らく死んだ事にも気づいていないであろう。突然の行動に、男は最初茫然としていたがすぐに我に返って木原を睨みつける。
「い、一体何のつもりだ!」
「そのままの意味だろ? 次はないって言っただろうが」
その言葉を聞いた瞬間、男は喉が干上がったような感覚に襲われ、体中から汗が噴き出るのを感じる。そんな男には既に興味がないような態度で、木原は欠伸をして口を開く。
「『超能力者』の反乱を許し、あまつさえ実績が出せない手前ェに『統括理事会』のお偉いさんはキレちまったらしいぜ。まぁ、俺としても今回の事件を隠蔽する為に手前ェを始末するのは大賛成なんだがな」
「ま、待てっ! 私が結果を出せなかったのは『原子崩し』に問題が」
「あ、俺としちゃあ別にどうでもいいんだわ。それより帰って『一方通行』のデータを纏め直さなきゃならねえんだ。これから暇になる手前ェと違って、俺は忙しいんだよ」
「待」
返答はなかった。
*
後始末を部下に任せ、木原は自らの研究室へと戻ってきた。至る所に印刷された資料や、データらしきものが乱雑しておりどれがどれだか分かるのか? という様な状況になっている部屋で、木原はいつもの定位置である椅子に腰掛ける。
今日の仕事は奇妙な内容だった、と木原は思い返す。『原子崩し』の暴走を未然に防ぐ……てはなく、追跡して一定の時間が経ったら捕縛せよとの命令だった。
そう、木原率いる『猟犬部隊(ハウンドドック)』は麦野が研究室に向かう段階で、既にその姿を補足して追跡していたのだ。その気になれば、麦野が研究所に突入した時点で身柄を押さえる事は出来た。だが『統括理事会』から下った命令は、「『原子崩し』が何らかの強い能力行使をしたところを確認した場合のみ身柄確保を行え」というもの。
「ハッ、キナ臭ぇ」
これは木原の勝手な想像だが、恐らくこの作戦を指示したのは『統括理事会』などというものではない。その上……想像に過ぎないが、『統括理事長』が指示をしていたに違いないだろうと推論づける。あの何を考えているのか分からない人物であれば、今回の意味不明な作成内容も何となくだが理解できるような気がした。
(まぁ、俺には関係ねぇな。詮索しすぎると命を縮めるだろうし、この考えはここまでだ)
そう考えて木原は一つの資料を手に取る。そこにはこう記されていた。
*
『暗闇の五月計画』
~『一方通行の演算パターンの解析、及び被験者の『自分だけの現実』の最適化について』~
「被験者」
1:増田 孝太 男 (置き去り)
2:水舞 流 女 (置き去り)
3:絹旗 最愛 女 (置き去り)
…………
*
滝壺は窓から外を眺めていた。既に時間は十二時を超えており、施設内はシン……と静まりかえっている。その中で滝壺は不安そうな表情で祈る様に手を組んだまま動かない。
(むぎの……大丈夫かな?)
あれから何の連絡もない。麦野に報せた身として滝壺は心配で眠ることすら出来なかった。麦野は確かに『超能力者』だが、決して無敵ではない事を滝壺は知っている。だからこそ何かあったのか? と想像することしか出来ない。
もしかして報せない方が良かったのではないか? と滝壺は一瞬浮かんだその考えを首を振って打ち消す。
麦野は自分の友達で、そしてその麦野が連れてきたフレンダもとても優しい人だった。早くから『置き去り』にされた滝壺にとって、あの二人との時間は心休まる時間だったのだ。フレンダとはたった一日……それも昼の間だけの時間だったが、それでも彼女が良い人だったということは理解できている。だから、その二人を失う事だけは、滝壺にとって絶対避けたい事だ。
「むぎの、ふれんだ……」
滝壺は祈る。どうか二人が無事でありますように、と。滝壺は知らない、二人が既に闇へと堕ちてしまっという事実を。
そしてこれから知る事になる。自身の運命を崩す『体晶』との出会いが、滝壺を待っているのだから……
「作者からの簡単な後書き」
こんにちは、カニカマです。
これでようやく話の一区切りとなります。正確には、ここから主人公達が「暗部」に入ってからの仕事。そして話の本筋へと突入していきます。言ってしまえば、今までのはプロローグに近いものだったのかもしれませんね。
幕間が二つ続いてしまった事については、このタイトルが使いたかったからなんです……二つともくっつければ良かったのにというツッコミもあるかも知れませんが、どうか寛大な目で見ていただけると嬉しいです。
次からは目覚めた主人公の視点……本編の話となるかと思います。目覚めた主人公がどんな判断をするのか……そしてどう対処していくのかはまだ分かりません。ただ一つ言えば、主人公はお人よしで人間らしい性格と思考をしています。決して禁書の主人公達の様な力や勇気、素質を持っている訳ではないです。ヒーロー達の中では浜面が近いかもしれませんね。
そしてこの話のもう一人の主人公は麦のんです。麦のんは力も素質も持った主人公らしい人物かもしれません。禁書のヒーロー風に言えば、「守りたいものの為ならば、いかなる犠牲をも厭わず戦い続ける事が出来る者」でしょうか。この犠牲とは自分の事も含めています……中二病です、すみません。
では、次の展開にご期待頂けると幸いです。またお会いしましょう。