「知らぬ所で交錯するっていう話」
『学園都市』中心部。
いつも多くの学生や大人達がショッピングを楽しんだり、食事をしたりして往来するこの場所で、特に目立つ女性の存在があった。美しい茶髪を靡かせ、着ている服もそんじょそこらの安物ではなく見る人が見ればすぐに一流ブランドの物だと分かる代物。またその美貌に多くの人間が振り向き、男性ばかりではなく女性までもがすれ違う度に頬を赤くしていた。が、女性はそんな事にも構わず手に持ったメモを見て眉を顰める。
「あ゛~、めんどくさい。フレンダの奴……ついででこんなに用事頼みやがって」
彼女の名前は「麦野 沈利」。『学園都市』が誇る『超能力者』の一人であり、その中でも破壊力だけならばトップレベルに位置する能力、『原子崩し』の使い手である。そんな彼女が不機嫌そうな顔でぶつぶつ言いながらここに来ているのには訳があった。本当は服を見に来ただけだったのだが、ついでという事で自分の奴隷である少女に食料の買い出しと銀行での用事を頼まれたのだ。最初はついでだし良いかな、と思っていたのだが徐々に面倒臭くなり、今や麦野の機嫌は下がる一方である。
「フレンダの奴は帰ったらオシオキ……そうなったら風呂の準備誰にさせよう? 滝壺も絹旗も下手だしなぁ」
ああでもない、こうでもないと唸りながら歩いている姿は、彼女を良く知るメンバーの三人が見れば「怖い」という感想が出るだろう。が、周囲にいる人間から見れば、今の麦野は悩んでいる純真な乙女に見えるらしい。男達は声をかけようかどうか迷っている様子で、女達は憧れた様な……頬を赤らめて潤んだ視線を向けたりしている。
「よしっ、決めた。風呂に入ってからオシオキしよう。我ながら名案だわ」
そう言うと、悩みが完全に消えたらしくにこやかな笑顔を浮かべて郵便局に向かう。その足取りは先程と比べると、遥かに軽やかにステップを踏んでいた。去年高校生(学校は行っていないが)になった身でステップを踏むのは如何なものかと思うが、麦野にとっては些事でしかないだろう。そのまま目的地である郵便局の自動ドアを通り、ATMへと向かう。麦野の前には結構な人数が並んでおり、先程までの不機嫌な麦野ならば消し飛ばしてでも自分が先にやろうとしただろう。並んでいる人達は尊い犠牲(となる予定)になった、とある金髪の少女に感謝すべきかもしれない。
と、その時麦野は腰の辺りに軽い衝撃を感じ、視線を向ける。そこで麦野が見た物は頭に咲いている花の山。一瞬自分の目がおかしくなったのかと思い、何度か瞬きしてもう一度視線を向けると、今度は頭に花を咲かせた少女が慌てた様子で麦野へ視線を向けていた。どうやら目の錯覚ではなかったらしい。
「あわわわ……す、すみません!」
(何、この子? 頭がお花畑ってこういうのを言うのかしら?)
慌てた様子で謝罪する少女とは裏腹に、対する麦野は自分にぶつかられた事よりも頭の花が気になって仕方がない。ぶっちゃけ、いくら麦野でも年下の女の子が故意ではなく事故でぶつかった位で怒ったりはしないし、謝られたのが最初何でなのかが分からなかった位だ。だから少女を落ち着かせるためにニッコリと微笑んで頭を撫でる。無論、頭の上にある花には極力触れないよう注意する。少女はというと、あわあわ言いながら顔を真っ赤してされるがまま状態だ。そんな少女を見て、微笑ましいなぁと麦野は思う。
(んー可愛いわねぇ。ウチの絹旗と一日くらい交代してくれないかしら)
「何してるんですの、初春?」
幸いにも誘拐したところで、誰にも自分は止められないしやっちゃおうかなー。と、麦野は本気で考え始めたが、その瞬間聞こえた声に麦野は思考を止めた。視線を向けると、そこには茶髪でツインテールにした少女の姿。見たところ、今麦野が撫でている少女と同年代……小学5、6年生といったところだろうか? その後ろには眼鏡をかけた女性の姿もある。
「あ、白井さん! ちょ、ちょっとドジを踏んでしまいまして……」
「ドジィ? 全く……どこまでいっても初春はそんな感じですのね。で、どうしたんですの?」
「あぁ、大した事じゃないわよ。この子が私にぶつかっただけ」
初春に代わって麦野がそう応えると、白井と呼ばれた少女は軽く溜息吐いた。眼鏡の女性も苦笑して軽く頭を下げる。
「んぅ、貴方達一体何? 家族か何かなの?」
「いえ、私達は『風紀委員(ジャッジメント)』です。この二人はまだ研修中で、私が指導してるんですよ。私は「固法 美偉」と言います」
「わたくしは「白井 黒子」と申しますの」
「あ、「初春 飾利」です!」
固法、白井、初春がそう応えるのと同時に麦野は軽く眉を顰めた。麦野……というか暗部全般は『風紀委員』に対して、あまり良い印象を持っていない。何故ならば、麦野達暗部にとって地味に邪魔な存在となっているからだ。『警備員(アンチスキル)』は事前に『統括理事会』からの命令で、仕事現場に近づく事がないようにされているものの、『風紀委員』は連絡漏れ等の理由によって極稀に仕事現場に現れる事もある。その場合の対処が非常に面倒な為、麦野は『風紀委員』が苦手なのである。
「もしかして、『風紀委員』がお嫌いですの?」
そんな麦野の様子が気に入らなかったのだろうか? 白井と名乗った少女は鋭い視線でそう麦野に問いかけた。その目に貫かれた麦野は、心底面白いと言いたげな顔になって口を開く。
「えぇ。昔の話なんだけど、『風紀委員』にセクハラされかかっちってね」
「な……ほ、本当ですの!?」
「ひぇぇ」
「ありゃ……」
無論嘘である。また、麦野は先程の白井の一言と態度に対して、全く怒りを覚えていない。普段は睨まれただけで相手をフルボッコにする麦野だが、実は『風紀委員』は苦手なだけで嫌いではないのだ。逆に好きなレベルになるだろう。
自分達とは違い、闇に落ちずに一般人を助けるその姿はある意味嫉妬する物で、麦野はそういった姿勢が嫌いではない。そう、まるで自分の奴隷(ヒーロー)の様だとも思っていた。
「身体検査とか言われてねぇ。あれはトラウマものよ」
「た、確かに『風紀委員』も年に何人かはそういった事を起こして、除名処分を受けたりしますからね……」
固法が生真面目に言うのを見て、麦野は心の底から笑いを抑える。こういった生真面目な人間が集まるのも、『風紀委員』の特徴だろう。稀にだが本当に変な奴もいるけど……
「まぁ、もう気にしてないわ。ちょっと思い出しちゃっただけだしね」
「本当にすみません。ほら、貴方も謝りなさい」
「ほ、本当に申し訳なかったですの……」
嘘なんだけどね、と麦野は心の中で舌を出した。そこで初春が「あっ」と声を上げる。
「忘れてました、用事があってここに来たんですよ。すぐに済ませないと」
「あら、引きとめて悪い事しちゃったわね。大丈夫?」
「はい! すぐに済みますから」
本当に可愛いなぁと麦野は思う。少しは絹旗もこうなればいいのに、と頭の隅で考えた。
「本当にすみませんでした」
「いいのよ。でも貴方鈍くさそうだから、気を付けて行動しなさいな」
「ど、鈍くさいは酷いですよ~」
「否定出来ませんの……」
「酷いですよ白井さん~」
その光景を見て麦野は微笑み、そして少しの嫉妬をした。
もしも……もしもの話だが、あそこにいたのは自分達だったのかもしれない。絹旗が先導し、滝壺がふらふらと着いていき、私が指示をして、奴隷が笑う……そんな生活。
(まぁ、無理なんだけどね)
自分にとってはあまりにも眩しい世界だ。麦野達にとって、既に『学園都市』とは大きすぎる闇……それに片足どころかどっぷり浸かってしまっている自分達は、既に普通の生活には戻れないだろう。だからこそ、それが酷く楽しそうで……羨ましく見えた。
(私らしくないわね、こんな事考えたって意味ないし。さて、用事を済ませて早く帰らないと)
そう考えて視線をATMへと戻した。
*
(うーむ……)
麦野は目の前の光景を見て悩んでいた。普段から悩むという行為からかけ離れている麦野であったが、流石に目の前で銀行強盗が起こっているのを見てどうしようか考えている。ぶっちゃけ時間の無駄なので、自分がささっと終わらせても良い。だがここには『風紀委員』がいるし、何よりこれ以上疲れる行動はしたくないというのが本音だ。勿論『風紀委員』がいるから大丈夫だろうという考えではなく、『風紀委員』がいるから派手な真似出来ないしなぁ、という理由である。
そんな事を考えていたら、先程話した白井が突撃していく。小さいながらも『風紀委員』仕込みの体術であっという間に相手を床に押し倒すと、そのまま気絶させてしまった。
(へぇ、やるわね。アイツももう少し才能があればいいんだけど)
随分長い時間自分仕込みの体術を教えてやってるのに、伸びが悪い奴隷を思いだす。流石に今の白井よりは強いだろうが、恐らく奴隷と同じ年齢になれば負けるだろう。仕事でも正直役に立った経験はない。まあ、車の中に持ってくる軽食やら飲み物作りと持参が仕事かもしれないが。
(でも、詰めは甘いわね……お嬢ちゃん)
そう麦野が考えていると、突然初春と呼ばれていた少女の後ろに男が現れてその首にナイフを突き付けた。突然の事に白井は混乱している様子で、他の客や従業員も慌てている様子だ。
「やっはりか。一人でこんな事する程、頭の良さそうな奴じゃないとは思っていたけどね……」
そもそも銀行強盗は単独犯で行うと、大体は成功しない。綿密な計画や逃走手段の確保等、馬鹿には出来ない事が満載なのだ。『学園都市』ではそれすら可能にしてしまう『能力者』という者達も存在するが、拳銃を取り出した所を見ると今の奴は『無能力者』だろう。要するに、二人目がいる可能性は充分にあったのだ。
(さぁ、どうする『風紀委員』? 人質がいて、足手まといの客や従業員が周囲にいる中で、どう切り抜けるのかしら?)
すると突然警報機が鳴りだし、奥から警備ロボットが一台出て来た。どうやら従業員の一人が警備装置を作動させたらしいが、ハッキリ言って邪魔である。人質がいる状況下では相手を刺激する様な行動は慎むべきであるはず……この従業員はそれを見誤ったと言えるだろう。
(やっぱり足手纏いになったか……って、オイオイ)
警備ロボットの後ろに続き、突撃する白井の姿を見て麦野は思い切り眉を顰める。いつもメンバー同士で決めている事なのだが、相手がどんなに弱くても能力がどんな物か確認するまでは、単独行動は避けるのが自分達の取り決めだった。以前それを破って前に出た絹旗が、『精神感応系』の能力者に一発で昏倒させられた事がある。その能力者は『強能力者』であり絹旗よりもレベルは下であったが、能力の強さが全てがではないと全員に感じさせた出来事でもあった。その中で奴隷だけは毎回毎回どんな相手でもビビってるのだが。
男が何か小さな金属をロボットに投げつける。そんな物でロボットが壊せるとは思えないが、それを行うという事は破壊できるという自信の表れだろう。事実、目の前のロボットに当たった金属はゆっくりとめり込んでいき、それに耐えきれずロボットは爆発した。周囲の客がどよめき、パニックを起こす中で麦野だけは腕を組んだまま思考にふける。
(『念動力(テレキネシス)』か? 見た感じ球の速度は大した事なかったから、直接的な破壊力を出す能力じゃないわね……多分、投げた物体が失速せずに進むとかそんな感じかしら?)
実は大体合っている麦野の考察だが、一度見ただけでここまで分かってしまうのは仕事柄と、絶対に油断しない姿勢から来るものだろう。白井は先程の固法に助けられたらしく、固法は背中に傷を負って倒れていた。
そんな様子を麦野は黙って見ていた。別に自分が助けるのは簡単だ、ちょっと『原子崩し』を撃ちこんで脅してやればそれで済む。だが麦野はそんな事をする気は毛頭ない。こんな所で暗部の自分が騒ぎを起こしては、それこそ上から何を言われるか分からないし面倒だ。確かにあの少女達を気に入ってはいるが、そこまでする義理もない。
麦野がそう考えている間に、白井は顔面を蹴られて倒されて足を思い切り踏まれていた。その光景を見た麦野の頭に、過去の記憶が蘇る。何も出来ず、顔面を殴られ、暗部に堕ちた理由が……自然と組んでいる腕に力がこもった。
「白井さんっ! 白井さん……!」
『フレンダ……フレンダ……!』
ギリリと麦野は歯を噛みしめる。忘れもしないあの記憶、自分の無力さを思い知らされ、闇の底へと堕ちてしまったあの記憶が、どうしても思い返されてしまう。麦野の周囲にいた客はその異様なほどの殺気に襲われ、強盗よりも麦野へと恐怖の目を向けていた。
その時、白井は精一杯の力で初春へと手を伸ばし、そして初春がかき消える。それを見た麦野は一瞬だけ怒りを忘れて驚きを覚えた。『空間移動(テレポーター)』は驚くほど数が少なく、またその時点で『大能力者』とされるからだ。幼いながらも『風紀委員』として将来有望だろうな、と麦野は思う。だがそれで状況が好転した訳ではない。
男は抵抗が出来ない白井を一度蹴り飛ばし、ゆっくりと何かを話している。そして先程の金属を扉の方向に投げると、その壁が無残にも壊れていった。どうやら自分の能力がどうとか、そういった事を言っているらしい。だが麦野にとってそんな壁を壊すなんて事で自慢されても、白けるだけだ。先程の怒りも少しずつ収まっていき、後は『警備員』の到着を待つだけと考える。だが、その時だった。
「俺と組まないか? 俺とお前が組めば無敵だぜ、どんな相手でも怖くねぇ。なぁに、お前ならどんな犯罪(こと)したって捕まらねぇさ。断れば周りの人間がどうなるか……分かってるだろ?」
その言葉に、麦野の動きが止まる。思いだされるのは昔の、『超能力者』というのがただの肩書にすぎず、自分の無力さを思い知らされた出来事。
『そうだなぁ……条件次第じゃ助けてやってもイイ、かもなぁ』
『今回の研究所を破壊した事は不問に流すとして……人員はどうにもならねぇ。特にさっきお前がぶっ殺した二人組は『暗部』っていう奴にいた連中なんだわ。つまり、お前がその代わりをすれば、このガキの命は助けてやってもいい』
『諦めな『原子崩し』。手前がここで断るのなら、このガキはここで死ぬだけだ。そいつを防ぎたくてここまで来たんなら、やらなきゃ駄目な事は分かるよなぁ?』
麦野は思い切り歯を食いしばる。
先程自分は何を考えた? この子達が……普通の生活が羨ましいと思ったのか。それは決して手に入らなかった物じゃない。自分に力があれば、あの時もっと己の超能力が強力であれば、こんな所には堕ちてこなかった筈だ。そして、奴隷も巻き込む事なんてなかった筈なのだ。
(嫌な事思い出させやがって……!)
殺す、と麦野は明確に殺意を露わにする。目の前にいる『風紀委員』がどうなろうが知った事ではない、これから暗部での仕事に支障が出ようがどうでもいい。目の前にいる自分を不愉快にさせた男を一瞬で塵芥にする。麦野の頭にあるのはそれだけだ。決して目の前の少女に、自分と同じような道を辿って欲しくない訳ではない。と心に言い聞かせる。そして麦野が一歩踏み出そうとした、その時だった。
「ずぇ~ったいお断りですの」
その言葉に、麦野も男もキョトンとした様子で動きを止めた。白井はそのまま不敵な笑みを浮かべて言葉を続ける。
「仲間になるぅ? 生憎と、郵便局なんか狙うチンケなコソ泥はタイプじゃありませんの!」
その言葉に男の表情が憤怒で歪み、逆に麦野は先程までの殺気の籠った目付きではなく、楽しげな表情を浮かべ始めた。そして白井は強気のまま声を吐きだす。
「それにわたくし、もう心に決めてますの! 自分の信じた正義は……」
そこで一つ息をつき、白井は真っすぐな瞳を男に向けて言い放った。
「決して曲げないと!」
その言葉を聞いて、麦野はブチブチと口を真横に引き裂くように嗤った。そう、目の前の少女のヒーローっぷりがあまりにも現実を見ていない言葉で、何より羨ましいと思ったからだ。あの時、自分に力があればあの男に対して、あのような言葉を吐く事が出来た。奴隷を救えた。だからこそ嫉妬し、そして白井を好ましく感じた。
(良いわね……最っ高のヒーローじゃない、アンタ!)
恐らくあの少女は負けるだろう。男の能力は極めて単純ではあるが、決して凡庸で弱い能力ではない。テレポーターとはいえども、あの年齢では咄嗟の判断は出来ないだろうし、何よりテレポートは少しの演算ミスが命取りになると聞いている。ならば傷を負った少女では精密な能力使用は期待出来まい。
麦野は己の能力を発動する。狙いは男の足……もしかしたら足が一本おしゃかになるかもしれないが、そこは自己責任だろう。この後で『風紀委員』と上から何を言われるか分からないが、麦野は白井を助ける事に決めた。決めたったら決めたのだ。『原子崩し』がループし、狙いを定める。男が手を振りかぶって金属を投げようとした瞬間に麦野は『原子崩し』を発動しようとし、その瞬間感じた強い『AIM拡散力場』に一瞬気を取られた。そのせいで能力の発動が遅れ、男が白井に無数の金属を投げつける。
(しまっ……!)
今から金属に『原子崩し』の照準を合わせても間に合わない。麦野の『原子崩し』は強力無比の能力ではあるが、この照準に時間がかかるという弱点こそが最大にして唯一のものであった。今からでは近くにいる白井が危険すぎる。
「クソッ……」
麦野が最悪の結末を想像した、その次の瞬間だった。突如外から放たれたと思われる閃光が、全ての金属を薙ぎ払い、破壊を止めず反対側の壁を破壊してようやく収まる。その光景に麦野はおろか男も白井も茫然としていたが、一寸白井が素早く動いた。男の懐に飛び込み、先程昏倒させた男と同じようにして床へと引き倒す。そして男が金属を取り出すのと白井が相手を掴むのはほぼ同時だった。しばらく静寂が続くが、やがて白井はニヤリと笑って口を開く。
「貴方の鉄球と、わたくしのテレポート。どちらが早いか勝負します?」
「ッ……クソッ」
男が手を下ろす。瞬間郵便局内に完成が巻き起こった。中心いる白井は周囲の反応を見て照れくさそうに頬を染め、倒れていた固法も上体だけ起こして苦笑している。麦野は一度溜息を吐き、外へと視線向けた。
(さっきの能力……あれだけ強力な力場と電力を発動させる能力者……)
同じく電気系統に関わる能力者だからこそ分かる事実。まぁ、結果的に白井が助かったし、自分か能力を使わなくても良かった事は感謝するべきだろう。麦野は顔も見た事がない、自分を超えた第三位に少しだけ感謝した。
視線を白井に戻すと、周囲の人間から感謝の言葉をもらって多少照れている姿が目に映った。それを見た麦野は若干目を細めて羨むような視線を向ける。
「ヒーローはいいわね……柄じゃないんだけどさ」
麦野はそう呟いてそこから去ろうと背を向ける。そして見た。
最初にやられた方の男がゆっくりと立ち上がり、懐の拳銃に手を伸ばす姿を……あの目は既に何かをなそうと目的を持っている目ではない。暗部でよく見た目付き……ただ恨みをぶつける為に持った狂気の眼差しだ。無論、狙いは……
「チッ……!」
舌打ちし、全力で走りだす。この時になってようやく他の人間も男の動きに気付き、悲鳴を上げる一般人も出てきた。拳銃を向けられた白井は咄嗟の事に頭が回らず、ただ自分に向けられた殺意に一瞬だけ怯んだ。まさにそれが致命的な隙であり、発砲音と共に銃弾が弾き出される。が、それは白井と男の間に割って入った女性の太ももへと吸い込まれた。
「て、てて手前ェ、邪魔すすんじ」「あ、貴方は」
「痛ェじゃねぇかこの<ピーーーー>野郎がああああぁぁぁ!!!」
男の罵倒も、白井の驚愕の言葉も、全て麦野の怒声にかき消された。拳銃で撃たれたとは思えない程のスピードで男に接近すると、そのデスクローで顔面を思い切り掴む。ミシミシという人体から出るとは思えない音が響き、男が絶叫を上げるが麦野の攻撃はそれで収まらない。そのまま地面になぎ倒し、股間めがけてその足を振りおろした。男は短く「フッ……!」という悲鳴を残して意識を失う。この間、僅か数秒の出来事。あまりの事態に『風紀委員』である白井や固法ですら言葉を発する事が出来ない。そして麦野の一言。
「租チン野郎が、誰に向けて攻撃してんだ。死ね」
辛辣な一言だった。
*
「だから私は大丈夫だって言ってるでしょうが!」
「いいえ、いけませんの! 怪我をしたのですから、絶対に病院へ行ってもらいますわ」
「家に応急処置得意な奴いるから良いって!」
「駄目ですの!」
麦野が白井の手を振り払おうとし、白井がそれをさせまじと必死でしがみつく。あれから麦野は撃たれた足にも構わずに帰ろうとしたのだが、白井がそれを必死で押しとどめた。どうやら病院へ行かそうとしているらしく、強情にして譲ろうとしない。
「だから、大した傷じゃないから平気よ。銃も小口径だったしね」
勿論大口径であれば麦野は歩くこともままならないので当然であるが、それでも白井はギュッと麦野の手を握ったまま話そうとしない。その体は少しだけ震えていて、麦野はそんな様子に眉を顰めた。
「わたくし、調子に乗っておりました」
「……」
「皆さんに褒められて、初春を助ける事が出来て、浮かれてましたの。『風紀委員』ならば詰めもしっかりしていなければならないのに……」
「白井さん……」
近くにいた初春が申し訳なさそうに口を開く。麦野はそんな様子の白井の話を黙って聞いていた。
「もしわたくしがしっかりしていれば、貴方が怪我をする事もありませんでしたの……」
「アンタ……」
「わ、たくし……『風紀委員』失格でずの゛……!」
「アホか」
「ぴぃっ!」
「し、白井さんんんん!?」
嗚咽を上げてそう言って白井に対し、麦野は容赦なく全力のデコピンで応えた。想像してみてほしい、大の男の顔面を掴んで悶絶させる程の怪力持つ麦野の全力デコピンである。哀れ白井は軽く吹っ飛び、それ見た初春がガビーンという効果音と共に悲鳴を上げる。白井は額を押さえて悶絶しているが、そんな事には構わず麦野は続ける。
「アンタさっき言ってたでしょ? 自分の信じた正義は決して曲げないって」
「ぬ゛お゛お゛おぉぉぉ……そ、それがどうしましたの?」
「アンタはさっきその正義を実行してたんでしょ? それで『風紀委員』失格って、アンタの正義はそんなもんだったの?」
「い、いえ……決してそういう訳ではありませんが……」
「なら良いじゃないの。確かに今回はそういう失敗もしたけど、今後の糧にしていけば良いのよ。失敗がない人間なんてのは、この世に存在しないのよ」
その言葉に白井も、初春も聞きいる。麦野は自分らしくないなぁ、と一度頭をかいた。こういう説教は自分の奴隷こそが相応しいんだけどね、と心の中で考えながら。
「それに私、今日は大切な用事があるの。研究関連でね。だからそこで治療受けるから心配しないで」
「し、しかし……」
「だから気にしないでって、平気だから安心しなさいな。ここの処理は『風紀委員』に任せるわ」
そう言って麦野は背を向ける。白井は急いで立ちあがると、その背に向けて口を開いた。
「お待ちください! せ、せめてお名前を……」
「んー?」
「あ、いえ……べ、別に深い意味はなく、始末書に書かねばならないものですから……」
その言葉を聞いて麦野は笑い、そして応えた。
「麦野 沈利、『学園都市』第四位の『原子崩し』よ」
*
「ただいま……あ゛~疲れた」
「おかえりなさい、超遅かったですね麦野。滝壺さんがお腹の空き過ぎで死にかけてますよ」
「む、ぎ……の、おか……え、り」
「悪かったわね。色々あったのよ」
そんな麦野の足に視線を向けた絹旗は、血が付着している事に気付いて眉を顰める。
「超珍しいですね、麦野が傷を負うなんて。暗部の誰かに超襲撃されたんですか?」
「まぁ、そんなとこ。大した傷じゃないから、後でアイツに処置してもらうわ」
「超了解です。しかし麦野に一発入れるなんて、相手も超使い手だったんですか?」
実はただのチンピラです、と絹旗に言うとずっと話のネタにされそうだったので、麦野はその言葉をスルーして台所に向かう。そこには長くてふわふわな金髪をせわしなく振り回しながら料理をしている奴隷の姿があった。その姿を見て麦野は思う。
あの白井という少女が信じる正義が『風紀委員』としての正義であれば、私の正義はここにいる皆と戦う事が唯一の正義なのかな、と。麦野に気付いたのか、金髪の少女はニコリと笑って口を開いた。
「おっかえり~麦野さん! 遅かったね、御飯は冷蔵庫の余り物で作ったけどいいかな?」
「いいわよ、御飯にしましょう」
「フレンダー、超お腹空きましたよー」
「は、やく……」
「はいはい、じゃあ盛り付けするから待っててね~」
そう言うメンバーを見て麦野は微笑む。ヒーローにはなれずとも、こいつ等と戦っていく力だけは持っていたいものだと……心の中だけで呟きながら。
「あ、言い忘れてた。フレンダ風呂の準備したらオシオキね」
「……え?」
おまけ
はふぅ、と白井は悩ましげな溜息を吐いて空を見やる。続いて自分の額を軽く撫でると、頬を染めてもう一度溜息を吐いた。
「白井さん、どうしたのかしら?」
固法がそう呟くと、初春は明るい表情のまま。
「固法さん、乙女には複雑な感情があるんですよ!」
「へ……ま、まぁ別に問題はないんだけどね」
「麦野、さん……」