「それぞれの戦い・前篇」
日が落ち、暗闇に包まれたビル群の間で一人の女性……「麦野 沈利」は手に持った携帯を見ながら目を細める。時刻は現在P:M7:30。今日行われるであろう『絶対能力進化計画』の第10032次実験まであと一時間だ。そこで耳に装備している通信機を操作してから確かめる様に口を開いた。
「こちら麦野、報告」
『こちら絹旗、超問題なく配置に着いてます』
『こちら滝壺。私も大丈夫だよ』
『こちら布束。perfectly 問題はないわ』
「OK。田中、亭塔はどう?」
『こちら亭塔です。今滝壺さんと一緒にいますが、特に問題はなく感じます』
『田中ッス。絹旗さんと行動してますが問題ないッスよ』
ふむ、と麦野は返ってきた答えに対して満足そうに頷いた。改めて今回の作戦と配置を思い返す。
まずは全員が纏まって操車場に行くのではなく、ばらばらに分かれて行動する事になった。正面からのぶつかり合いであれば互いにカバーできる距離に全員を配置した方が良いのだが、今回は奇襲も奇襲。それも実験を始めようとした瞬間に横合いからどつくという正々堂々? 何それ美味しいの? 的な作戦である。
まずは様々な方向から操車場へ侵入。その中で各自に行動しながら正確な実験場所を確認する。その後は相手の動きを見計らって滝壺の能力により相手の能力使用を阻害。正直麦野にしてみれば滝壺に無理はさせたくないのだが、調べれば調べるほど分かっていく『一方通行』の凄まじい能力に対して使わざるを得なくなったのだ。
滝壺の能力、『能力追跡』はかなり特殊かつ強力無比な能力だ。普段使用している範囲程度(滝壺曰く学区一つ分位)の追跡であれば全く問題ない。だがこの能力の限界射程距離はそれこそ銀河系という程のものであり、それ行うためには滝壺が実験施設で関わっていた薬物である『体晶』と呼ばれる物を使用しなくてはならないのだ。麦野には原理こそよく分かっていないものの、能力の暴走を意図的に誘発する事によって限界までの能力行使を行うものであるらしい。
勿論、能力の暴走など誘発して使った本人が無事で済む筈もなく、『体晶』は相応のリスクを持っている。体調不良、能力行使による脳への負担、それこそ命に関わる程のリスクが付きまとうのだ。『アイテム』に滝壺が来た時に説明されていた事で、それに対しては滝壺に『体晶』の使用を厳重に禁止した。
だが、それでも麦野の指示で『体晶』を使用した事自体はある。驚異的な索敵範囲と合わせ、普段以上の精度で標的の位置や行動を知る事が出来る滝壺の能力は、デメリットを補うほどの力があった。だが、それと引き換えに失われるのは滝壺の命……当然の事ながら『アイテム』内の取り決めとして、余程の事がない限りは能力の使用を禁じている。
「まさに今回が、余程の時ね……」
自らを納得させる様な声色で麦野は呟くように口を開いた。
正直滝壺に負担をかけたくはないが、今回は仕方ないと思うしかない。それも第一位である『一方通行』の能力を阻害しようという前代未聞の事をぶっつけ本番でやろうというものだ。当然滝壺の体にも強烈な負担がかかると予想される。それを防ぐためには麦野が能力を阻害させると同時に、『一方通行』へ『原子崩し』を放つしかない。
(タイミングが重要ね……少なくとも失敗は許されない、か)
一度攻撃を失敗してしまっては反撃の隙を与えてしまうだろうし、こう言っては癪であるが自分では『一方通行』に対抗出来るか分からないのだ。自らの能力である『原子崩し』を過小評価している訳ではないが、第一位と第四位の差というものは漠然とだが理解している。そして自分が負けてしまったら、他の『アイテム』所属メンバーが勝てる可能性は万に一つもない。
『麦野、そろそろ時間ですよ。操車場に突入しますか?』
絹旗の声に反応して時計へと視線を向ける。時刻はとうとう7:50を過ぎた。実験開始まで四十分あると言えども、その前に実験を行う場所に行う人物達は来ているだろう。まずはそれの探索を行わなければならない。
「おっけー、全員別方向から侵入するわよ。相手を見つけたらすぐに連絡、少なくとも正面から鉢会う様な失態はするんじゃないわよ?」
『超了解しました。田中、行きますよ』
『こちらも了解です。滝壺さん行きましょう』
『ういーッス』
『ていとう、待って。歩幅広いよ』
緊張感の欠片も無いな……と麦野は溜息を吐きながら感じる。緊張していない事も大事ではあるが、これはこれで緊迫感に欠けるのだ。別に言えば全員が緊張する事もなく任務に臨めるのだから悪い事ではないが……と、そこで一人から連絡が入ってない事に気付く。あの根暗め……と麦野は表情を険しくして舌を鳴らす。
「おい、布束。きちんと返事しろ。ただでさえ足手纏いだけどそれでも今は協力関係なんだから報告しないと困るんだよ。さ、返事」
イラつきを隠そうともせずに麦野はそう口を開いた。瞬間、少しのノイズ音の後に通信機から布束の声が響く。
『待って……! 妙な奴が……うぐっ……!』
「!? おい、どうし……!」
麦野がそう言おうとした瞬間、足元に何かが転がってくる。それに目を向けた麦野は驚愕に目を見開き、慌てて近くの建物の影に飛び込んだ。
それとほぼ同時に起こる閃光と爆音。それを直撃こそ避けたとはいえども近くで受けた麦野の目と耳の機能が一時的にとはいえども失われる。苦痛に呻くよりも先に、麦野は『原子崩し』を放射して飛び上がりその場から離脱した。瞬間、先程まで麦野がいた場所に銃弾が撃ち込まれてコンクリートに無数の穴が開く。
「くっ……そ!」
着地した麦野はマズルフラッシュが見えた場所に向けて『原子崩し』を発射する。だが悲鳴も何も上がらなかった所をみると、どうやら外れたらしい。普段ならば暗闇といえどこの距離は必殺の距離であるが、目と耳が上手く機能していない麦野では確実に当てれる保証は無く一度物陰に伏せて状況を確かめる。あくまで麦野の「勘」ではあるが、敵は六人ないし七人程。能力を使って攻撃してこなかった所を見ると『無能力者』である事は間違いないだろう。そしてマシンガンやスタングレネードでの先制攻撃。不用意に自分に接近してこず、かつ最初に自分の目と耳を潰してくるという周到な戦法……そして各所に配置している自分達を同時に襲い掛かるという連携。
「『猟犬部隊』、か……!? 何でこいつ等がここに居やがる!」
麦野は歯を食いしばるといらだちを混じらせた口調で怒鳴り声を上げた。本来『猟犬部隊』とは自分達と同じく暗部に所属している武装集団である。『アイテム』の様な暗部組織が『風紀委員』の闇だったとすると、『猟犬部隊』は『警備員』の闇と言えば分かりやすいだろうか? 大きくは違うがそういった認識で良いと思われる連中である。
そして基本的には自分達の様な小組織とは違い、一つの大きな部隊として運用される事がほとんどだ。無論その中にも大なり小なりの組織はあるであろうが……
そんな麦野の耳には通信機から次々に聞こえてくる声が更に焦燥感を煽る。亭塔の焦燥した声や田中の慌てる声、絹旗の悲鳴や滝壺の息を飲む音。全てが麦野に焦りを与えている。そして、実験開始までもう時間がない。
「クッ……ソがぁぁあああああぁぁぁ!!」
麦野の周囲から全方位に向けて『原子崩し』が発動される。その光は建物の壁や鉄筋など最初から無かったかのような勢いで周囲に放射された。当然周囲で展開していた『猟犬部隊』の一部は巻き込まれて赤い花を咲かせる。徐々に回復してきた目と耳の調子を確かめながら、麦野は凄絶な笑みを浮かべて口を開いた。
「何だテメェ等……この私を誰か知っててやってるんだよなぁ!? なら……どうやって自分達が死ぬのかも分かってんだろうなァァ!!?」
『原子崩し』が次々に発射され、その度に物言わぬ肉塊が量産されていく。『猟犬部隊』も負けじと撃ち返したり物陰に隠れて応戦しようとはしているのだが、いかんせんそれらの目論見は全て打ちのめされた。銃弾は麦野に届かず目の前で『原子崩し』に晒されて消失し、勘に任せた麦野の一撃は障害物ごと隠れた人員を狙い撃っていく。
やがて周囲から音が消え、それと同時に麦野は軽く息を吐いた。周囲で感じ取れるのは濃厚な血の匂いと死にかけている人間の呻き声だけだ。麦野はゆっくりと音が聞こえる方向へと近づいていき、そしてその音を立てていた人間の襟首を掴んで持ち上げる。その人間は黒づくめの戦闘服を着込んでいるが、右手は綺麗さっぱり消失していた。麦野の『原子崩し』の直撃を受けたのだろう。既に虫の息だ。だが、今すぐ病院に連れて行けば助かるかも知れないと麦野は思っている。幸いにも右手は焼き切れた状態になって出血もしていないのだ。
「アンタ達。どうして私……いや、『アイテム』を襲った? 答えろ」
「はっ……はぁっ……!」
「大人しく答えたら病院に連れて行ってやる。さぁ、言え」
麦野の言葉に対し、男はしばらくの間沈黙を貫いていたがやがてゆっくりと口を開いた。
「地獄に落ちろ……クソがっ」
「なっ!?」
それと同時に男は懐に隠していたであろう手榴弾のピンを抜く。瞬間、麦野と男を中心として爆発が起こった。
*
「麦野、どうしたんですか!? 麦野、超返事してください!」
「絹旗さん、これやばいッス! 超やばいですよ!」
「言われなくても分かってます。少しは静かにしていてください!」
近くにあった壁に身を潜めながら、絹旗と田中はそう言い合う。突如として絹旗達に攻撃を仕掛けてきた謎の連中……絹旗としてはこの緊急事態に麦野から指示をもらいたいのであるが、全く連絡が着かず、ノイズ交じりに相手側からの音だけが響くだけだ。どうやらジャミングか何かを受けているらしくどこかにある機材を壊さないと連絡はとれまい。
絹旗は大きく舌打ちをして通信機の電源を切る。連絡をとれない以上雑音は集中力途切らす要素にしかならない。麦野や滝壺達、そして最初に攻撃されたと思われる布束の事は気になるが、まずは自分達がここを突破しない限りどうしようもないだろう。幸いだが、自分ならばこの事態でも容易に突破出来ると思っている。
「田中、私が仕掛けます。超フォローを……」
「……了解ッス」
普段からこう真面目なら良いのに、と絹旗は溜息を吐きつつ田中を見やる。かなり有能な人材ではあるのだが、普段はチャラけてるだけの頼りない男なのだ。それ故に凡ミスを多発する為に麦野から頻繁に折檻を受けている人物でもある。
絹旗は一度大きく深呼吸をして壁の影から飛び出す。突然生身で飛び出してきた絹旗に驚いたのか『猟犬部隊』の動きが一瞬だけ鈍る。その隙を見逃さずに、絹旗は一番手前に居た男を強引に掴み上げて相手に投げつけた。男はもう一人の人間に勢いよくぶつかり、ゴシャッ! という人体が上げる音とは思えない異音を上げて二人とも崩れ落ちる。その戦果には目もくれず絹旗は近くで茫然としていた男の顔面目がけて全力の拳を放った。どうなったかはあえて説明はしないが、絹旗の顔面が相手の返り血で染まる。
『猟犬部隊』も絹旗に接近戦を挑む事が無謀だと理解したのか、距離を取ってマシンガンを撃ってきた。何発かは絹旗に命中するが、絹旗の『窒素装甲』は小口径のマシンガン程度では貫く事は出来ない。それこそ対装甲用のショットガンや対物ライフル辺りが必要だろう。
「ぐぁ!」
「な、貴様は……ぐぉ!」
そんな絹旗に気を取られ過ぎたのか、『猟犬部隊』は突如横合いから受けた攻撃に反応できずに次々と散らされていく。絹旗が倒した『猟犬部隊』の装備であるマシンガンを使った田中からの攻撃であった。それを避けようとして動けば絹旗に接近される。が、絹旗に気を取られ過ぎては田中からの攻撃に晒されてしまう。そんな泥沼に落とされた『猟犬部隊』は、結局数分後に壊滅をする事となった。
男達の死体から何かが出ないか確認する絹旗だったが、特に証拠になりそうな物が出なかった事に舌打ちする。捨て駒だったのか何かしらの本命だったのかは分からないが、少なくとも自分達は足止めを受け、そして通信手段を封じられた事に変わりはあるまい。
「絹旗さん、これからどうします~?」
『猟犬部隊』の装備を漁りながらのんびり訪ねてくる田中に対し、絹旗は一度考える様に顔を伏せたがすぐに拳を握って口を開いた。
「私達だけでも行きましょう。もう実刑開始時刻は過ぎていますし、例え間に合わなくてもやれる事は超あります」
「で、でも麦野さん達を助けに行かなくていいんスか? 特にあの布束って奴なんかは一人でいますし……」
「自分の不始末は自分で片付ける。暗部の超常識です……それに、私達が助けに行ったら本当に超間に合いません。他のメンバーを信じましょう」
「……ういッス」
絹旗の言葉に対し、田中は渋々ながらも頷いた。絹旗としても心配で助けに行きたいのは山々だが、そんな事をしていては実験が終わってしまう。時刻は既に8:45。間に合ってくれ……と絹旗は祈りながら走る。
*
「ふっ……!」
「ぐぁ!」
亭塔の蹴りが男の顎を性格に捉え、男は白目を剥いてその場に昏倒する。その度に攻撃しようと銃を向けるのだが、既にその場に亭塔はいない。『猟犬部隊』は完全に追い込まれ、既に倒れていない人間は二人しかいない状態だ。
「くそっ、奴らはどこに……ぐぇ……」
そして更に一人、後ろからそっ……と近づいた滝壺が近くのゴミ箱で見つけたコード紐で思い切り首を絞める。男はしばらく暴れていたが、やがてゆっくりと力が抜けていき反応すらしなくなった。気絶した事を確認して滝壺は男を蹴って距離を離す。そして残った一人も亭塔が始末したらしく、周囲は元の静寂に包まれた。
「一体、こいつ等は何だったのでしょうね?」
「わからない。けど、明確に私達を狙ってた」
ならば少なくとも『絶対能力進化計画』に属する連中だろう、と滝壺は目細めながら考える。どこから情報が漏れたのかは分からないが、自分達『アイテム』がこの実験を潰そうと動いているのを察知されたのであろう。
「ごめんね、ていとう。私がしっかりレーダーを張っておけば接近に気付けたのに……」
「いえ、滝壺さんは今回の作戦の要。下手に消耗されてはそれこそ本末転倒です。心配なのは私達よりも……布束さんでしょうか」
「うん、ぬのたばが心配」
麦野、絹旗と田中コンビはこの程度の強さしかもっていない相手ならば余裕だろうが、布束はそうもいかない。人員が足りなかったのがそもそもの問題であるのだが、布束は一人で操車場近くの路地に待機させていたのだ。襲撃されたのであれば、『無能力者』で特に何の戦闘訓練も受けていない布束は……
「幸い通り道に布束さんが待機していた場所があります。通って行きましょう」
「うん、そうだね……」
滝壺はそう言って立ち上がる。正直、自分が能力を張り巡らせておけばこんな襲撃を受ける事はなかったし、何より全員を危険に晒さずに済んだ。確かに負担をかけて自分が使い物にならなくなっては作戦そのものが破たんしてしまうが、だからといってそれが全ての免罪符になる訳ではない。
(ぬのたば、待ってて。無事でいて……)
そう心の中で思いながら滝壺は亭塔に続いて走る。既に時刻は8:45。実験は始まっている。
*
今走っている男、上条 当麻は不幸な人間である。
記憶喪失となってしまい、今までの生活や家族、友人全ての記憶を失って生活しているという時点で如何に常人と違うレベルの不幸かが分かるだろう。しかも記憶喪失になってすぐに巫女服を着た少女関連の事件に巻き込まれ、下手をすれば死ぬ思いまでしたという凄まじさだ。
もしかしたら今の状況も不幸なのかも知れないな……と上条は思った。自分は全く覚えていないがライバル視してくる中学生「御坂 美琴」。彼女の闇を掃う為に上条は操車場まで急いで向かっている。
『絶対能力進化計画』
聞いただけで震えあがるほどおぞましい実験内容。『超能力者』である御坂 美琴のクローンを二万体製造し、それと『一方通行』と呼ばれている第一位の『超能力者』と戦わせて殺害し、『絶対能力』という位置まで上げる実験だ。最初この研究内容を見た時、上条は己の目を疑った位だ。確かに法律に背いた実験を少しはやっているだろうと思ってはいたものの、まさかこんな狂気じみた内容だと思っていなかったのだ。
すぐに御坂の場所を突き止めて問い詰めた。御坂は最初は自嘲気味に嗤うだけで何も説明しようとはしなかったが、やがてポツリポツリと話し始めた。自分のせいだということ、もう自分が死ぬしか方法が無いのだということ、そして……一番辛そうに話してくれたのが、せっかく助けに来てくれた友達を傷つけてしまったという事だった。その時の御坂の顔を見た時、上条が思った事は唯一つ。人はこんなにも悲しい顔が出来るのかという事だった。
そして今は操車場へと向かっている。御坂から少しの電撃は受けたが、最後に放たれた一撃は寸でのところで止められた為それほど大きな負傷はしていない。恐らくその友達を傷つけたという記憶が自分を救ったのかな? と上条は思っている。
「時間はもう8:25か……間に合わせねぇと!」
上条は全力で走る。操車場までもう大した距離はない。このままいけばギリギリ実験には間に合う筈だ。自分の力が第一位に通用するかどうかは分からないが、上条はこのままで終わらせる気は毛頭ない。勝てるかのではなく、勝つしかないのだ。
だから上条はどこかに寄り道する時間はない。急いで操車場へと向かわなければならない……もし間に合わなければ御坂との約束が守れないからだ。だが、今の上条はもう一つ気になる事に遭遇していた。
「何だ、今の悲鳴……?」
突然路地裏から聞こえてきた悲鳴らしき声に、上条は足を止めてその先を見やる。路地裏は暗闇で覆われており、その先は全く確認出来ない。
正直、上条にはここで何が行われていたとしても全く関係ない。それどころかここで時間を取られてしまっては実験には絶対に間に合わないだろう。だからここは勘違いで済ませて先に急ぐのが正解の筈だ。そう考えて上条は一歩踏み出すが、そこで止まってすぐに踵を返して路地裏を走る。
「チクショウ、放ってなんておけるかよ!」
すぐにこの悲鳴の原因を突き止めて操車場へ向かう。それ以外に方法はないんだと考えて上条は路地裏を走る。そして、とうとう少し開けた場所へとたどり着くと、その光景に息を飲んだ。
そこにいたのは倒れ伏す傷だらけの女性と、その前に立つチンピラらしき男が一人。そいつは上条に気付いたのか、楽しそうな顔して口を開く。
「おいおい、獲物が二つに増えちまったのか? 俺が受け持つのは一人だけと聞いていたんだけどなぁ」
「what、……誰だか、知らない……けれど、逃げ……うぐっ!」
「喋るんじゃねぇよ」
倒れている女性は蹴り飛ばされ、少し離れた所に転がる。
「あー、まぁ無関係だとしてもこの現場を見たからには生かして帰す訳にはいかねんだ。まぁ運が悪かったと思って「ぐちゃぐちゃうるせぇぞこの野郎……」……あ?」
右手を握りしめて上条は口を開く。女性はぱっと見ただけでも相当の怪我を負っている事がわかる。そしてそんな彼女をこの男は躊躇なく蹴り飛ばした。上条にはそれだけで充分だ。
「オマエは何も感じないのか……人を傷つけてそんなに楽しいのか?」
「はっ! 何言ってんだよ!? あぁ、楽しい……楽しいねぇ。自分よりも弱い奴を虐めて遊ぶのは本当に楽しいぜ! それが無能な『無能力者』なら更に良いじゃねぇか!」
「……もう何も言えねぇよ」
上条が一歩踏み出す。男はニヤリと笑みを浮かべると、その手に風邪の渦を生み出した。男は『強能力者』の『風力使い(エアロシューター)』であり、今回は妙な男から多額の金を受け取ってこの女を殺せと頼まれたチンピラだった。案の定楽勝でこの仕事を終えると言う時にまた出てきた獲物に対し、男のサディズムが刺激される。
「手前ぇも吹っ飛んで無様に這いつくばれよ、なぁ!」
「に、逃げ……」
女性が何かを言う前に男が能力を放つ。直撃すれば数mは跳ね飛ばされ、下手をすれば大怪我を負いかねない威力の風……男も、女性さえもこれで終わったとしか思えない程のものだ。
だが、上条はそれに対して軽く右腕をかざす。何かが弾けた様な音と共に風のうねりが収まり、上条はそのままの勢いで突っ込んでいき右手を振り上げる。男は驚愕の表情を浮かべる事すら出来ず、ただ茫然と上条の右手を見ている事しか出来ない。
「いいぜ……お前がそんな事を楽しんでやってるって言うんなら……」
「なっ、待っ」
「まずは、その幻想をぶち殺す!!」
上条の右手が男の顔面にぶち込まれる。鼻の骨が折れる音と無様な悲鳴が周囲に響き、遅れた吹き飛んだ男が地面に落ちる音が響き渡った、上条は倒れている女性へと駆け寄り、傷に響かない様にしてゆっくりと体を起してそこに座らせる。
「大丈夫か?」
「だい、じょうぶよ……」
そう言う女性だったが、その場に座るだけでも苦痛の呻きを上げるのは大丈夫ではないだろう。本当ならばこの場に残って救急車と『警備員』が来るまでいたいのだが、上条にはそんな時間はない。
「済まねぇ、ちょっと俺はすぐに行かなきゃ駄目な場所があるんだ。『警備員』と救急車を呼ぶからそれまで一人で……」
「extremely、それは、駄目……『警備員』は呼ばないで頂戴……!」
「そ、それは駄目だろ。コイツの事もあるし、何より君は怪我を」
「私も行かなきゃ駄目な場所があるの!」
今まで冷静な声色で話していた女性が上げた突然の怒声に上条の言葉が止まる。女性は鬼気迫る表情のまま口を開いた。
「私がしてしまった事の後始末をしなくちゃならない……だから、私は……痛ッ……!」
「お、おい! 無理すんな!」
無理矢理立ち上がろうとする女性を上条は押しとどめるが、それでも女性は立ち上がった。が、上条の素人目で見ても怪我の具合は芳しいものではないとすぐに分かる。休んでなければいけない程の怪我だ。
「anyway、私の事は気にしないで……貴方は自分の用事をする為に行きなさい。助けてもらった事には礼を言うわ……」
「……放っておけるかよ」
「え……?」
「放っておけるかって言ったんだ! 確かに俺はここでのんびりしている時間はねぇし、すぐに行かなきゃならねぇ! でも、それがあんたをここに置いていいって事にはならねぇだろ! そんな怪我までして、あんたがそれで取り返しのつかない事になっちまったらどうするんだ! それで悲しむ奴だっているだろ!?」
その言葉に女性……布束は顔を伏せて押し黙る。上条は言いすぎたか? とも感じていたが、ついで布束が上げ始めた嗚咽にギョッ、とした表情になった。が、そんな事にも構わず布束は涙を溢れさせたまま口を開く。
「じゃあ、どうすればいいのよ……! 私が『学習装置』なんてものを作らなければあの子達はこんな目に会わなかった……私が計画を拒否していれば、もしかしたら計画自体が無くなってたかもしれないのに……!」
「計画……?」
「私は、死んでもあの子達を助けなきゃいけないの……! でも、どうしたら、どうしたらいいの……!」
ここで上条は直観だが悟る。この女性は恐らくだが、『絶対能力進化計画』に関係してる人物で、それがどうしてこうなったかは分からないものの、命をかけてまで実験を止めようとしているという事が。無論上条の勘に過ぎないが、何となく確信があった。
「あんたが言ってる計画って、『絶対能力進化計画』の事か……?」
「!?」
「やっぱりか……」
涙を流しながらも驚愕の眼差しを向けてきた布束に対し、上条は納得したように頷きながら立ち上がる。
「だったら、余計ここで待っててくれ。すぐに終わらせてくるさ」
「な、何を言って……」
「御坂から全部話は聞いてる」
その言葉に布束は押し黙る。上条はそんな布束を真っすぐ見据えると、ゆっくりと口を開いた。
「俺には、第一位に勝つ秘策がある。必ず終わらせるから……あんたはここで休んでいてくれ」
「……」
短く、当人達には長い沈黙が続く。やがて布束は嗚咽を上げながら顔を上げ、上条に向けて口を開いた。
「私は、貴方がどんな人か知らないし……第一位に勝つ秘策なんてものがあるか分からないわ……だけど、私がここで行ったからって役に立てないのも、分かるの……だ、から……」
「……」
「お願い……もし本当に出来るのなら、あの子達を助けて……!」
「……約束する。必ず助けてみせる」
それを聞いて上条は背を向け、言葉だけを返して走り出した。時刻は既に四十分を過ぎた。だがまだ時間は有る筈……そう信じて上条は操車場への道をひたすらに走り続けた。
「ここか!」
何かの看板、そして内部には無数のコンテナがある。操車場と大きく書かれているものもあったので、間違いなくここであろう。ここにミサカのクローンをあんな死体にした第一位がいる。そう考えると膝が震えるが、恐怖を押し殺して上条は一歩踏み出して内部に潜入……した瞬間だった。
とてつもない爆音、舞い上がる火柱、吹き飛ぶコンテナ。遅れて熱風だけが上条の体に襲い掛かった。まるで一気に灼熱の砂漠へと追い込まれた様な熱で、上条は一瞬何が何だか分からず混乱する。
(何だ、今の爆発!? これも第一位がやったってのか!?)
あんな爆発を人間が起こせるなんて考えたくもないが、あんな爆発が自然現象で起こる訳もあるまい。
まさか間に合わなかったのだろうか? と上条は走る。確かに寄り道をしてしまったし、実験開始時間には間に合っていない。最後の望みをかけて上条は急ぐ。そして、とうとう爆発が起きたと思われる場所に到着し、コンテナの影から飛び出した……瞬間だった。
「関係ねぇよ! カァンケイねぇんだよォ! 何が寝てろだ、何が命だけは助けてやるだ……! 俺の手足が折れようが、鼓膜が破れようが、そんなのは関係ねぇんだ! ミサカは俺の友達だ、絶対に助けるんだ! つけ上がるなよ、『超能力者』! ミサカを殺したきゃ俺を殺してからにしろよ!」
聞き覚えのある声だった。昨日出会ったばかりの、金髪が眩しかった女の子の声。昨日みたいなのほほんとした声なんかじゃなくて、絞り出した怒りとも必至とも取れない怒声。
上条が視線を向けると、そこにいたのは確かに昨日の少女だったが状態が違いすぎた。体の至る所が傷だらけで、それでいて血も相当流している。右手に関しては確実に折れてしまっているだろう。足も見ただけでは分からないが折れているかも知れない。
息を飲んで言葉が出ない上条と少女の視線が交差する。それは何を思ったのか、どうしてそんな表情を浮かべたのかは上条には分からない。だが、フレンダは薄く笑みを浮かべ……その場に倒れ伏した。
「フ……フレンダぁぁぁぁぁ!!!」
漆黒の空に上条の声が響き渡り、新たなゴングが鳴る。
<おまけ>
「ハッ、所詮寄せ集めた連中か……まともに抑える事も出来やしねぇ」
「しかし時間稼ぎには成功しました。ひとまずは成功かと思います」
「よーしっ、撤収だ……これ以上こんな下らない仕事やってられっかよ」
そう言いながら男は立ち上がる。顔面の半分にタトゥーを入れ、身にまとう空気は周囲にいるフル装備の『猟犬部隊』以上に禍々しい。男は最後に映像を見ながら、呟くように口を開く。
「はっ、接近戦から手榴弾で傷一つねぇか……流石は『超能力者』と言いたいところだが……もう間に合わねぇよ。これで俺達の仕事は終わりだ」
そう言いながら映像のスイッチに手を伸ばす。最後に馬鹿にするような笑みを浮かべながら呟く。
「オマエじゃあ何も守れねぇよ。前と一緒だな、『原子崩し』ァ」
ブツン、と監視衛星から送られている映像のスイッチが切られた。
<あとがき>
Q:幕間は一つだけじゃなかったの?
A:何ぃ? 聞こえんなぁ~?
嘘です、すみません。異様に難産で、この段階で既に10ページを超えてしまった為、今回は全編後篇に分ける形となりました。前回の超電磁砲編の最終話では急ぎ過ぎではないか? との意見も頂いたため今回はこのような形となってしまいました。本当にすみません。
そして今回は全員がいる場所で仕方ないのですが、視点変更がとても多く読みづらいかもしれないですね。これもいつかは改善してみたい点ですので、生温かいめで見守ってもらえたら嬉しいです。