「フレンダという名」
その日、施設の副院長であり子供達を世話する職員の実質的リーダーである「田辺 住香」は残った職務を片付けるために一人残って仕事をしていた。書類を纏め直し、目を通して各ファイルへとしまい直す。一通り終わった事を確認すると田辺は近くにあったソファーへと体を預けた。
「んっー……! 疲れたわぁ」
昼は無限の元気を持つのかと疑問を持つほどの子供達の世話、そしてそれが終わった後は書類仕事や事務仕事。これで疲れるなというのは無理があるだろう。ましてや実務においてはこの施設の実質的なリーダーの田辺である。自然と仕事の量も相当溜まってしまうのだ。実際今週は毎日残業ばかりである。
それでも田辺は今の仕事に満足していた。遣り甲斐があって毎日が夢の様だった。ふとこの施設の事を考える。
『置き去り(チャイルドエラー)』
学園都市が有する問題の中で特に表立って目立つ最大の問題の一つである。要は学園都市に子供を編入させ、入学金だけ支払ってそのまま行方を晦ます、というものである。学園都市に残された子供はその後の学費を払えず、また帰る当てもない天涯孤独の身となってしまう。単純ではあるが学園都市の制度の穴をついたもので、今のところ対策という対策は出来ていないのが現状だ。
だが学園都市も手を打っていない訳ではない。『置き去り』の増加自体は防げているとは言いがたいが、それに対処する手段もとられている。その一つが今田辺が勤めている施設だった。親に見捨てられた『置き去り』を受け入れるための保護施設や学校、卒業した後のケア等を学園都市は行っている。勿論それで全てが解決している訳ではないのは確かだが、とりあえず飢えたり犯罪に走ってしまう可能性がある子供達を救う事は出来ている筈だ、と田辺は軽く笑みを浮かべた。
「最後にみんなを見て回ってから帰ろうかしら」
そう一人で呟いて田辺は立ち上がる。時間は既に九時を過ぎており、子供達は殆ど寝てしまっている筈だ。そんな状態の部屋に上がりこんで顔を確認しようとは思っていないが、見回って帰るというだけでも別に構わないだろう。
(それに……あの子の事も気になるしね)
そう心の中で呟き、田辺は事務室を後にする。
*
非常灯が照らす廊下は静かで、数ある部屋からも子供達の声や動いている音は殆ど聞こえない。稀に起きている者もいるだろうが、この様子だとこの棟の子供達は間もなく全員寝付くだろう。特に問題のないことを確認した田辺はホッと息を吐いて顔を綻ばせるが、一番奥にあった部屋の扉の前に立った瞬間、そんな表情は一瞬で失われた。先程の幸せそうな表情とは真逆の、何かを耐えている様な顔……しばらくそのまま立ち尽くしていたが、やがてゆっくりとドアノブに手をかけ回す。そのまま音が響かないようにゆっくりと扉を開いた。
部屋は普通の六畳一間の洋室だ。ベッドに学習机、壁と一体になったクローゼットの他にはこの部屋にいる住人の物であろうぬいぐるみや本などが置いてある。だがそれらは全て投げ捨てられており、どれもこれも散乱してしまってる。田辺は「あらあら」と優しく言いながらベッドの上にいる子供へと視線を向けた。
美しい金の髪は手入れも碌にしていないようでボサボサになってしまっており本来の美しさの半分も出せてはいない。サファイアと見紛うばかりの青い瞳は赤く腫れ上がってしまって痛々しいものがある。恐らくついさっきまで泣いていたのであろう、ベッドの上にはポツポツと染みが確認できた。
見た目はおよそ五、六歳程度の女の子だろうか?金髪と白い肌、それに目の色から日本人ではない事は明確だろう。田辺は少女を刺激しないようゆっくりと隣に移動してベッドの上に腰を下ろす。少女は軽く嗚咽を漏らすだけで特に何も言う事はない。田辺もしばらくそのまま黙って少女の隣に座っているだけだった。
「スミカ……」
「なぁに? ちゃん」
「ママはまだ迎えに来ないの……?」
その少女の言葉に田辺は胸が締め付けられる様な痛みを感じるが、表情に出す事なくゆっくりとした動作で少女を抱きしめる。少女は一瞬ビクッ、としたがそのまま田辺の方へと体を預けた。
少女は『置き去り』である。他の子供達と同じように学園都市の扉をくぐり、そして同じように親に捨てられた。学園都市の中ではどこにでもある悲劇で、探す事なんてしなくても目に付くもの。違ったのは少女にとって両親は絶対的なものだったということ。
『置き去り』の子供達は遅かれ早かれ自らは親に捨てられたのだと理解する時が来る。その時どんな事を思うかはその子供達によるが、大抵の子供達はそれを乗り越えていき、大人になっていくのだ。だがその大抵に入れない子供達もいる。自分は親に捨てられてなんかいないと、両親はいずれ迎えにきてくれるのだと信じ続ける子供達の数は決して少なくはないのだ。
この子はなまじ理解するのが早すぎた。下手に聡明な頭脳がそれを理解した途端、少女の心を壊すほどの衝撃が彼女の心を蝕んだ。救えるはずの両親は二度とここには来ない。そんな少女を田辺は優しく抱きしめた少女を慈しむ様撫で続ける。少女から少しずつ力が抜けていった。
「大丈夫よ、私はここにいるわ」
「……」
少女から静かな寝息が聞こえ始めたところで田辺は少女を静かにベッドへ寝かせる。自分の服をしっかりと掴んで離さない少女の手を苦笑しつつ優しく外すと、「おやすみなさい ちゃん」と声をかけ部屋から出た。
*
さぁ荷物を持って帰ろう、と事務室に戻った田辺を待っていたのは一本の電話だった。まるでここに帰ってくるのを見計らったかのように鳴る電話に一抹の不安を覚えるが、まさか無視するわけにもいかず電話をとる。
「もしもし、希望の園です」
『おおー、まだいてくれたか。いやぁ良かった良かった!』
聞き覚えのある声、いや……あり過ぎる声だった。その声を聞いた瞬間田辺の体が硬直し、受話器を持つ手に力が入る。そんな田辺の様子を知ってか知らずか電話の相手は捲くし立てる様な声で矢継ぎ早に言葉を発した。
『いやぁ、もういなかったらどうしようかと思っていたんだよ! 何せもうこんな時間だからね、いやぁ私は友人が少ないから苦労したものさ。そうそう肝心の頼みごとを言うのを忘れていたよ。』
「……一体何の用でしょうか?」
田辺は内心気が気ではなかった。今会話してる相手はここに勤める前まで一緒に働いていた上司である。電話の相手が何の用事があるのかさっぱり分からないが、恐らく禄でもないことに違いない。
『聞いてくれたまえ! 新たな『超能力者』が発現したのだよ!』
その言葉に田辺は目を見開いた。
『超能力者(レベル5)』
この学園都市には能力者というものが存在する。そもそも学園都市は能力者というものを生み出す巨大な施設であり、実験場でもあるのだ。そしてその最終目標が『神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの』、『絶対能力(レベル6)』といわれる能力者である。
即ち『超能力者』とは学園都市が目指すものに最も近い存在であり、また絶対的に数が少ない存在でもある。現状『超能力者』として確認されているのは幼いながらも強大な力を持つ『一方通行(アクセラレータ)』、つい最近確認された『未元物質(ダークマター)』の二名しかおらず、互いにまだ能力者としてはとんでもなく幼い存在だ。田辺も直接実験に関与していないので詳しく知るところではないが、この二名は聞いただけでも背筋が凍るような能力を有している。そんな怪物に等しい存在がまた生み出されたのか、という事実に田辺はグッと出掛かった言葉をしまい込んだ。
そう、既に自分はこういった事とは無関係な場所にいるのだ。好奇心猫を殺すということわざがある様に、不用意に口を出す事もない。田辺はそう考えて一度深呼吸をして口を開く。
「それは素晴らしい事ですね。学園都市が目指す目標にまた一歩近づいたことでしょう」
『全くさ! そうそう、もうコードネームも決まっているんだよ。『原子崩し』と言うんだがね、驚く事にまだ少女さ』
その言葉に田辺は驚きを隠せなかった。今まで発現した『一方通行』と『未元物質』は二人とも幼いが男子であり、女子の『超能力者』というのは初めての事である。その『原子崩し』というものがどういった能力か細かい事は分からないが、『超能力者』という区別をされる以上、他の二名と比べても遜色ない能力なのだろうという事は理解出来た。
そして驚きと共に這い出た感情がある。それは漠然とした不安だ。
電話の相手の用心深さはよく知っている。何せ数年間同じ部署で働き、相当な「汚れ仕事」を行ってきた間柄だ。そんな相手が何故こうもペラペラと自分に情報を話すのか、既に部外者である自分には既に関係のないことであるのにも関わらずだ。その理由は一つしかない。
『おっとと、また話に夢中になって用事を言うのを忘れるところだったよ。すまないねぇ、なんせ私の研究所から出た初めての『超能力者』だ、興奮するのも分かってくれるだろう?』
この相手は
『その用事なんだが……』
今現在の私の立場を利用して何かをしようとしているのに違いない。
そしてそれはおぞましく、また田辺にとって決して逃れる事の出来ない要求でもあった。
*
電話から五日後……
田辺は「とある施設」にいた。いつものエプロン姿ではなく、学園都市の研究者達が着込む白衣を身につけ、施設の中をゆっくりとした足取りで進む。その足取りはまるで田辺の心の中を現したかのように重く、そして辛い足取りのようでもあった。やがて田辺は一つの部屋の前で立ち止まり、気持ちを落ち着けるかのように一度大きく息を吐いてドアを開いた。
そこにいたのは田辺の施設にいるあの金髪の少女であった。あの時と違い金色の髪は美しい輝きを内包したままふんわりとした状態で、サファイアと見紛う瞳はキラキラとした輝きを放っているかのように見えた。少女は田辺に気がつくと、座っていた椅子を下りて小走りで近づき、ぬいぐるみを抱いていない方の手で田辺の白衣の裾をギッと握る。そんな少女に田辺は平静を装いつつも微笑みながら頭を撫でた。
「待たせちゃったわね ちゃん。用意が出来たから一緒に行こうか?」
「……うん」
そういって手を握り、田辺と少女は歩き出した。施設内は静かで、機械の音以外には二人の足音以外殆ど聞こえない。田辺はまるで自分と少女以外の全てが消えてしまったのかな、と馬鹿げた考えをする。そんなことはあるはずもないのだが、この時だけはそうなってほしいという感情が勝っていたのかもしれない。
沈黙は続き、二人はそのまま実験室へと続くエレベーターに入り田辺は地下のボタンを押した。学園都市の技術で作られたエレベーターは揺れや重力を感じさせないもののかなりの速度で降りていき、すぐに二人を目的の階へ送り届ける。
辿り着いた部屋はまさに妙な部屋という他ない。卵の様な形をしているカプセルが何個か並んでおり、その周りには大量の機材が置かれている。また研究員らしき人間もかなりの数がおり、少女は怯えるように田辺の後ろへ身を隠した。そんな少女に田辺は気持ちが揺らぐのを感じるが、それでも笑みを作ると少女の目線に合わせるようしゃがむ。
「ここが今日の実験をするところよ、あの機械に入って少し我慢するだけだからすぐに終わるわ」
笑みを浮かべがらそう言うと少女も落ち着いたのか、ゆっくりと頷いた。
少女と田辺がカプセルの前に移動すると、研究員達が近づいてきて少女にコードやヘッドギアの様なものを次々に付けていく。少女はそのままカプセル内の椅子へと座らされ、手や足を固定された。そんな様子を田辺は歯を食いしばり、ポケットの中に突っ込んだ手が血がにじむ程握り締めて見ていた。
*
『その『原子崩し』の子なんだが、物凄く情緒が不安定でねぇ。能力が安定しなくてとても危険なんだよ』
「はぁ……」
『上からもせっつかれていてね、一体いつになったら能力の実験が出来るのかってさ。ほとほと困っていてね』
そこで電話の相手はゴホンと咳をする。
『そこでかねてから開発されていた試作型の『学習装置』の実験ついでに『原子崩し』のパートナーを作ろうという事になってね』
その言葉を聞いた瞬間、田辺の顔から一気に血の気が引いた。
『と、まぁ……聡明な君の事だ、これ以上は説明しなくても分かるだろう?』
「し、しかし『学習装置』はその危険性と処理の複雑さから完成していないはずで……!」
『だから試作型と言っているだろう? それにこれは決まった事なのだよ、君が何を言おうとこの決定が覆される事はない』
その言葉を聞いて田辺は必死に考えを巡らせる。が、混乱した頭では全くといっていい程いい考えが浮かぶ事はない。それ以前にこの相手が「ここ」、しかも自分に対して電話してきたという事は、つまりそういうことなのだ。
この男は自分の施設の子供の誰かを『学習装置』の実験及び、『原子崩し』の情緒安定させるための道具として活用しようとしている、と。
「が……」
だが田辺は最後まで諦めず口を開いた。
「『学習装置』はその演算の複雑性から一定の負荷を精神に与えます……情緒が安定しない子供達では『学習装置』に耐え切れず確実に崩壊しますよ? 実験は失敗し、『原子崩し』の相方は作られません。」
『そうだね、そうなるだろう』
その言葉にも相手は動じない。
『『学習装置』にかけられた『置き去り』の子供達は今まで精神崩壊や自我崩壊等成功例は少ない。そうなってしまっては私の立場も危ういかもしれないね』
「では……」
『だが例外というものも存在する。成功例は少ないだけで成功している事もあるのだよ田辺君』
田辺が無言のままというのを返答代わりに男は言葉を続ける。
『そもそも人間の精神構造など学園都市の技術を以ってしても未だ完璧に把握し切れてはいない。そんなものの中に『学習装置』で無理矢理知識やら経験をぶち込んだ所で崩壊するのは当たり前だ、まして成長しきっていない子供の脳など特に、ね。実際『学習装置』を使っての実験は失敗続きだ』
そこで男は一度言葉を区切る。田辺はというと真っ青になった顔を隠そうともせず電話を握り締めたまま動かない。
『ならば数少ない成功例とは何なのか? 答えは簡単さ、心が空っぽの人間という単純な事だよ』
「心が、空っぽ……」
『今までの成功例の一つとして『置き去り』にされて心が弱りきった子が上げられる。その子は親に捨てられたという事実が受け入れられずに……まぁ壊れてしまった訳だな。他にも様々な要因があるのかもしれないが、その子は『学習装置』に適応した。今では何をさせられているのか分からんがね』
それでも確実という訳でもないが、と男は付け加える。
『つまりそういうことだよ田辺君、そして君の施設にはそれを満たす子供がいるだろう?』
親に捨てられた、心が弱っている……確かにそんな子供がこの施設にはいる。だが田辺は猛然と抗議する。非人道的であると、人間の所業ではないと、何故私がいる施設からなのかと……
だが電話の向こうにいる相手はせせら笑うように鼻を鳴らした。
『何を言うのかね、田辺君とてつい一年前まで私の部下として同じ実験をしてきたじゃないか。それが今更非人道的などと虫が良すぎやしないか?』
「それとこれとはっ……」
『そしてもう一つの質問の答えだが……君がいる施設だからこそだよ。』
その言葉に田辺の動きが止まる。
『学園都市の暗部から簡単に足抜け出来たとでも思ったのかい? 今君がいる平穏は私が作り上げてあげたものだという事を忘れないで欲しいものだ。君という優秀な人材を手放して今の施設に入れてあげたのも、いつかこういった事があると便利だからという事に他ならないんだよ』
その言葉を聞いた田辺はその場にへたり込むように崩れ落ちた。そんな状態でも受話器を耳から離さなかったのは、最後まで話を聞いていなければどんな事を後々言われるか分からないという恐怖心からだったが。
『まぁそういうことだからね、納得はしなくても構わないし興味もないよ。もしこれに拒否するのであれば君がいる施設が「どんな事」になるかも興味がない。君はそうはいかないだろうがね』
「……は、い」
『詳しい書類は明日届けさせるよ。実験は五日後だ、それまでの準備の方はよろしく頼むよ田辺君。ではな』
それを最後に電話が切れる。ツーツーという機械的な音が田辺の耳に響き、受話器を落とした音が甲高く響き渡った。
*
「スミカ……」
「なぁに? ちゃん」
固定され、全ての準備が整った。後は蓋を閉めて電源を入れるだけで全ては終わる。そんな状態で田辺は少女から声をかけられた。今まで自分から殆ど外部に対して話しかける事のなかった少女の声に、田辺は心が痛むのを押さえつけて優しく微笑む。
「実験はすぐ終わるんだよね?」
「……えぇ、すぐに終わるわ」
「じゃあ……」
少女はいつもの無機質な表情でもなく、いつもの泣き顔でもなく、ぎこちなく微笑んで
「終わったら、いつもみたいに『実験を開始致します 各職員は所定の位置について指示をお待ちください』
ゆっくりとカプセルがしまり、淡い微笑みを浮かべた少女の体がすぐに見えなく
なる。
それが田辺と『少女』だった者の最後の会話となった。
*
その後、実験は問題なく終了した。
『学習装置』の数少ない成功の為か、全てが終わったときに起こったのは実験室から上がる歓声だった。無論ここにいる全ての人間が非人道的な考えばかりの人間ではないだろう。少女の心を変えてしまったという事実を喜んでいる訳ではないだろう……
だが田辺にはそれらの歓声の全てが恐ろしいものに感じた。今自分達は一人の人間を殺してしまったというのに、それが無視されている様に思えた。その日、研究室のベッドで田辺は吐き気と頭痛の為一睡も出来ず、何度も洗面所とベッドを往復する羽目となった。
次の日はあの電話の相手に呼び出された。少女はこのまま目を覚ませる事なく、二日おきに『学習装置』で三度調整をした後に目を覚まさせる、その間にやるべきこと、『原子崩し』のプロフィールなど様々な話と資料が田辺へと渡された。その資料の一つ一つを隈の出来た顔で確認していく。
「え……」
その中の一つに田辺はめくる指を止める。そこに書かれていたのは四つの文字で形成された「名前」。
「ん? あぁ、もしかしてそれが気になったのかい」
男は笑みを浮かべてそう言い、田辺は男に視線を向ける。
「『学習装置』の記憶形成が一体どうなるか分からん。万が一の為、元々の名前でこの子を呼ぶ事は禁止するよ、それは新しい名前といったところかな」
「新しい、名前……ですか」
うむ、と男は頷く。
「これから『原子崩し』の友達となってもらうんだ。フレンドでは直訳すぎるから「フレンダ」、さ。良い名前だと思わないかね?」
*
そしてそれから一週間……
昨日最後の調整を受け、この施設に運ばれたフレンダは薬の影響でそろそろ目を覚ますはずだ。田辺はそう考えると憂鬱な気持ちで部屋へと足を進める。窓の外に先程到着した男と『原子崩し』が乗ってきた車が目に入るが、田辺は興味ないと言いたげな様子で視線を外した。
結局自分には一人の少女すら守る事は出来なかった。暗部から抜け出す事が出来ないことも十分に理解出来た。仕方なかったという言い訳も出来る。田辺があそこで折れていなければこの施設そのものが無くなってしまったはずだ。
だからといってそれが少女を見捨ててよかったのかという事にはならないだろう。これは一生田辺の心を蝕んでいく十字架となっていく。本人もそう感じていた。
やがて一つの部屋の前に辿り着く。前から少女が使っていた部屋、そして今は「フレンダ」という少女の部屋。
明るいが機械的な反応を返すようなってしまっているだろう少女の姿は田辺に深い傷を与えるであろうが、だからといって田辺はそれから逃げる気などない。それも全て自分の罪として背負っていこう、そう考えてドアに手をかけて開く。
「フレンダちゃん、あなたに頼み事が」
扉を開けたその先、そこにいたのはピョンピョンと鏡の前で跳ね回る少女だった。
「……何してるの?」
<オリジナル用語・設定>
『試作型学習装置』
「布束 砥信」がまだ関わっていない頃に開発、使用されていた『学習装置(テスタメント)』の原型。
能力者に基礎的な知識や都合のいい記憶を埋め込む為に使われていたが、成功例は少なく危険性が高い代物だった。「 」に対しては記憶の改竄と一定の知識や反応行動を付与する予定であったが……