「宝物」
麦野の一日は、まず自分の部屋にある目覚まし時計が鳴るところから始まる。枕元に置いてある目覚ましが音を鳴らし、それをゆっくりとした動作で止めると麦野は眠そうな表情のまま起き上がった。時刻は現在A:M8:00。それを確認すると、麦野はゆったりとした動作で起き上がり、着替えが入ったクローゼットを開けて今日着る服を選んでいく。それら全てが有名ブランドの服であり、お気に入りの服を取り出してクローゼットを閉めた。そして扉の向こうから漂ってくる香りに表情を綻ばせる。
「今日の朝食は……目玉焼きとベーコンかな? ふふ、いつも通り頑張ってるじゃないの」
満足そうに呟き、上機嫌な手つきで着替えていく。身だしなみを軽く整え、麦野はベッドの上に置いてある「それ」を、見つからない場所にしまう為に手を伸して掴み、軽く引っ張った。
それは偶然だったのか……もしかして何処かの組織の陰謀だったのか? 「それ」はベッドの縁に引っかかり、ビリッ、という破滅の音と共に中身を溢れさせる。瞬間、麦野の悲鳴が室内に響き渡った。
*
「今日の目玉焼きも、超良い感じの半熟ですね。フレンダは毎回超良い仕事しますよ」
「いやぁ~、そんな事言われると照れるなぁ」
「フレンダ、いつもありがとう」
「滝壺さんに褒められると、俄然やる気が溢れちゃうのですよ!」
絹旗と滝壺が言った言葉に、フレンダは軽く頬を紅潮させて嬉しそうに口を開いた。そんな様子を見た二人も、まるで自分が褒められたかのように楽しそうな表情を浮かべる。そんな感じで明るく、そして楽しい朝食風景の筈だったのだが、一人だけ暗い雰囲気を発している女性がいる。三人も笑ってこそいるが、内心その一人の事が気になって気になって仕方がなかった。
「あの……麦野」
「何よ……」
「いや、超不機嫌そうですが、何かありましたか? 私で良ければ超相談に乗りますけど」
その言葉に、麦野は軽く首を横に振って応える。それを見た絹旗はお手上げと言いたげな表情で、滝壺へと視線を向けた。滝壺は絹旗の顔を見て頷くと、ゆっくり口を開く。
「むぎの」
「んー?」
「後で鮭弁でも買いに行こう」
「……いらない」
麦野がそう応えた事に滝壺は心底驚いた様子で目を見開いた。暇な時にそう言えば大体付きあう麦野だからこそ、今の滝壺の反応は妥当なものであるのだが……
部屋内に重い空気が流れ、麦野を除いた三人はだらだらと汗をかいて動く様子がない。不機嫌とはまた違う麦野の様子であるが、それがいつ爆発して機嫌が変わるのが分からないのが麦野なのである。特に金髪の少女は何かに怯えている様子でふるふると震えている有様だ。やがて麦野は軽く溜息を吐くと、ゆっくりとフレンダの方へ視線を向ける。
「フレンダ」
「ひゃい!! オシオキダケハカンベンシテクダサイカンベンシテクダサイ」
「? 何言ってんの? ちょっと買い物行ってきて。いつも食べてるケーキ買いに」
「え……? あ、はい……でも、結構遠いから時間かかりますよ」
「構わないわ……」
やはりいつもの様子と違う事に全員が首を傾げるが、フレンダは機嫌が悪くなるのが怖かったのかすぐに自分のサイフを持って玄関へと向かう。「いってきまーす」、と声をかけてフレンダは外へと出かけていく。そして扉が閉じた瞬間だった。
「絹旗、滝壺! 助けうえぇぇえぇ……」
「え゛」「?」
麦野が絹旗と滝壺に縋り付いて泣き始めたのだった。
*
「はぁ……事情は超分かりましたが……」
「……」
クスン、と鼻を鳴らす麦野の前で、絹旗は呆れたような……それでいて同情する視線を麦野に向ける。滝壺はそんな麦野の様子を見ながら軽く溜息を吐いていた。そして、向かい合っている三人の間にあるのは一つのぬいぐるみ。かなり昔の物の様で使い込まれており、持ち主が並々ならぬ愛情を持っているのが理解出来る。
だが、うさぎのぬいぐるみは無惨にも片方の耳が半分以上取れかけていた。中身の綿が溢れ、耳は今にも取れそうな様子でぷらぷらと付いている感じだ。恐らくどこかに引っ掛けてしまいこうなったのだろう。元々脆くなっていたのかもしれないが。
「うーむ、しかし私達では超裁縫をする事は出来ませんよ。服とか破れても毎回フレンダにやってもらってましたからね」
「別にふれんだにやってもらえば……」
「ダメ、絶対にダメよ!!」
「あの、フレンダに頼めば超すぐにやって」
「嫌! 絶対に嫌ー!!」
これである。『アイテム』内で家事全般(雑務全般)をこなしているフレンダは裁縫も出来るのでフレンダに頼めばアッという間に仕上げてくれるのだが、麦野は頑なにそれを拒否していた。フレンダをわざわざケーキという名目の元追い出したのもこれが目的であろう。麦野は涙目&顔を真っ赤にして口を開く。
「だって恥ずかしいじゃない……あんな昔のぬいぐるみを持ってるなんて知られたら、私の面子は丸潰れ。きっと笑われ……もう駄目だ、お終いだぁ……」
「一人でネガティブになるのは超止めて下さい。というか、考えすぎでしょう」
「うんうん」
某サイヤ人王子の如くその場でorzになる麦野に対し、絹旗と滝壺は心底面倒くさそうな態度で接する。いつもなら麦野がこの立ち位置なのであるが、今の麦野はそんな事すら気にしている様子はない。
「とりあえず裁縫道具ですか……どこにありましたっけ?」
「え、アンタ達知らないの?」
「フレンダしか場所超知らないですよ」
「私も知らない」
フレンダが収納スペースのどこかにしまっているであろう裁縫道具だったが、悲しい事に手伝った事のないこの三人はどこにそれがあるのか分からない。フレンダ涙目と言えるところではあるが、現在泣いているのは麦野だけである。
「うーむ……フレンダはきっちり収納する癖がありますからね。探していたら時間がかかって超帰ってきてしまうかもしれません」
「そ、それは駄目っ! その前にどうにかしないと……」
「めんでぇ……」
「滝壺! 何か言ったかしら!?」
「ううん、何も」
顔を青くしたり赤くしたりと忙しい麦野だったが、その表情は必死そのものである。絹旗と滝壺からしてみれば対処は面倒だしどうでもいいのだが、これが仕事に影響でもしたら困るという思いもあった。滝壺は少し天井を見上げて考えていた様子だったが、やがてポン、と手を叩いて口を開いた。
「裁縫道具買ってこよう。探すより早いと思う」
「……成る程。良い考えね」
「ふむ……なら田中にでも買いにいかせましょうか? どうせ暇でしょうし」
「あんな頭も口を軽いチャラ男に任せたら何買ってくるか分かんないわ。それにアイツ経由でフレンダに知られたら本末転倒よ、私達で買いに行くわよ」
「超めんどいです」
「めんどい」
「良いから来いっつってんだろうがよォォォ!! すいません来て下さいお願いします!!」
大声を出して恫喝したかと思いきや、瞬間土下座をして頼み込んでくる麦野に対して二人は大層面倒そうな顔をするが、仕方なしに外出の準備を始める。リーダーのメンタルは繊細で気を遣わなければならないのが『アイテム』暗黙の了解なのだ。単純にいじいじとされると更に面倒な事になりそうなので付きあうだけであるが……
*
近くにある雑貨屋へ来た三人は手早く必要な物を買い込んでいく。糸、針、布など……途中で麦野が全自動ミシンに手を伸ばし掛けたが、それは滝壺が寸前で止めておいた。そんな物を買っても今回しか使わないだろうという考えからであるが、混乱しきった麦野の頭は既にそんな事も分からないほどショートしてしまっているらしい。そして必要な物をカゴに入れると、三人(二人は麦野の歩幅に合わせている)は足早にレジへと向かう。そしてレジまであと少しという所だった。不意に現れた女性が気さくな様子で近づいてくると、麦野達に声を掛けてきた。
「お、麦野じゃん。久し振りじゃんよ」
「げ、黄泉川……!」
「何か不満そうじゃん?」
「ソンナコトナイワヨ」
そう、麦野に劣らないほどのスタイルと美貌を持っているにも関わらずジャージ姿が眩しい「黄泉川 愛穂」である。美人、巨乳という条件を満たしているにも関わらず緑色のジャージという服装がそれらを台無しにしてしまっていた。まぁ、見る人が見ればジャージを来ている姿でも超絶的な美人である事は間違いないのだが、それでもやはり服装は重要だろう。黄泉川は満面の笑みを浮かべながら麦野達の隣へと移動してくる。それに対して麦野はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
「ていうかアンタ何でジャージなのよ。いつも着てる制服は?」
「今日は非番じゃんよ。新しい炊飯器を探すついでに細かい物を買おうと寄ったんだが……フレンダはどうしたじゃん?」
「別行動中。ていうかアンタに関係ないでしょうが」
「……はっはーん」
「な、何よ」
麦野の様子に何かを感じ取ったのか、黄泉川はイタズラを思いついた子供のような笑みを浮かべる。
「さてはフレンダに知られたく無い事でもあるな?」
「うっ」
「更に普段家事をしているとは思えないお前が裁縫道具を購入している……それ使って何かするつもりじゃ~ん?」
「ぎくぎくっ! う、うっさいわね! アンタには関係ないって言ってんの!!」
人懐っこい笑みを浮かべた黄泉川が、ムキになって顔を真っ赤にした麦野と何か言い合いを始める。そんな二人の様子を、先程まで麦野の近くにいた絹旗と滝壺は少しだけ離れた場所で見ていた。無論、これもいつもの光景である。
「滝壺さん、超賭けしませんか?」
「うん、いいよ」
「今回はどっちが超勝つか、私は黄泉川に超二千円」
「黄泉川に三万円」
「……超賭けになりませんね」
「そうだね」
そんな二人の会話が終わると同時に言い合いも終わったのか、黄泉川が良い表情を浮かべて一言二言麦野に告げると去っていった。そんな麦野はめそめそしながら絹旗達へと歩み寄ってくる。正直絹旗と滝壺からしてみれば、大の大人が泣いているというだけでも恥ずかしいのにそれを町中で慰めるなんてゴメンと言いたいのだが、前回見捨てて逃げたら延々とそれについて恨み言を聞かされていたので逃げないでおく。
「よしよし麦野。今回も超負けたんですか?」
「違うもん……負けてないもん……」
「大丈夫だよ、私はそんな黄泉川に「完 全 論 破」された負け犬のむぎのを応援してる」
「……絹旗、アンタの胸で泣いて良い?」
「え? ……」
「何とか言えよ! ていうか毎回逃げやがって……たまには私の援護でもしなさいよ!!」
麦野の言葉に二人は顔こそ麦野に向けたままだが、視線だけ反らしながら口を開く。
「いや、だって同類とは超思われたくないですし」
「よみかわはいい人だし……」
「て、手前ら……」
「それに超言い合いする様な事でもないですよね? 麦野も黙って認めれば……」
「嫌よ」
「あぁん、なんで?」
「恥ずかしいからよ!!」
そう言い放ってレジへと向かう麦野の後ろ姿を、絹旗と滝壺は軽く笑みを浮かべながら溜息を吐いた。
*
「結局こんなに時間かかっちゃったじゃない……フレンダが帰ってきてたらどうするのよ」
そう呟きながら階段を昇る麦野に対して、絹旗は荷物を持ったまま顔だけ向けて口を開く。
「大丈夫ですよ。フレンダが買いに行ったケーキ屋は少なくともまだ結構かかります。列車は時間通り動いてるから間違いないですよ」
「うんうん、大丈夫だよむぎの」
「……それもそうよね。じゃあちゃちゃっと済ませちゃいましょう」
そんな会話を続けている内に自分達の部屋の前に到着する。麦野が電子キー用のカードを取り出して読み取り部分にかざすと同時に、ピーという電子音が鳴り響いた。それを聞いた三人は訝しげな表情を浮かべて首を傾げる。何故なら、今の音は既に開いている扉に対しての音だったからだ。しばらくそのままで黙っていた三人だったが、やがて麦野が顔を真っ青にして扉を開け放ち中に入り込む。絹旗と滝壺もそれに続いてのんびりと入室し、玄関に置いてあるある物を見付けた。それは、金髪の少女が愛用している靴だ。
靴を投げ散らかすように脱いだ麦野は慌てた様子でリビングの扉を開け放つ。そこにいたのは……
「あ、麦野さんおかえりー。滝壺さんと絹旗も」
硬直したまま動かない麦野を押しのけて入室した絹旗の目に映ったのは、テーブルの上に準備されているお茶とケーキ……そして、フレンダが愛用している裁縫道具箱と、それの隣に座るような姿勢で置いてある完璧に修繕されたぬいぐるみの姿だった。耳はまるで何事も無かったかのように直され、所々にあったほつれ等も修繕されて見違えるほど綺麗になっている。
「いやー、そんなに遠くには行ってないと思ったから準備しておいて正解だったね。買ってきたからみんなで食べよー」
「あの、フレンダ。質問しても良いですか?」
「ん、どしたの?」
「いえ、どうしてこんなに早く帰ってこれたのか分からないので……」
その言葉に、フレンダは「あぁ」、と納得したように声を上げると苦笑しながら口を開く。
「実は途中で小萌せんせーに会ってね。せんせーもケーキ食べたいって事で車で送り迎えしてもらっちゃったんだ。今度何か御礼しておかないとねー」
「あぁ、それで。超納得しました」
「こ れ は ひ ど い」
絹旗は麦野に哀れみの視線を向けつつそう言い、滝壺は何か残酷な物を見たかのような顔で呟くように口を開いた。が、二人ともよくよく見ると口許は歪み、ぷるぷると笑いを堪えるかのように震えているのが分かる。が、フレンダはそんな様子に気付かず、麦野に視線を向けて口を開いた。
「あ、麦野さん。これ直しておきましたよ。耳が取れたなら朝に言っておいてくれれば……というか、これって私があのクリスマスの時n」
「せいっ!!!」
「おゥふ!」
フレンダが何かを言おうとする前に、麦野はフレンダの顔に手を伸ばしてそれを180°回転させた。哀れフレンダは奇声を上げながらその場に崩れ落ちる。麦野は無言でぬいぐるみを部屋へと持っていき、定位置であるベッドの上に置いた後外に出てドアの鍵をしめると、ゆっくりとした動作で絹旗と滝壺へと視線を向ける。
「今日は何も無かった……フレンダは何も見てない。そうよね?」
「映画の一ヶ月無料券」
「最上級黒豚トンカツ定食御飯大盛り」
「ぐ、ぎっ……! 分かったわよ……奢れば良いんでしょ奢れば!!」
「超ごちになります」
「ごっちー」
『学園都市』は今日も平和である……
<おまけ>
「ハッ……!?」
「おはよう、ふれんだ」
床に倒れたまま微動だにしなかったフレンダは突然起きあがり周囲を見渡す。滝壺はそんなフレンダを見たままケーキを頬張っていた。
「い、いやぁ……怖い夢見たよ」
「どんな夢?」
「いや、何か回転王とかいう人に色々とぐるぐるにされちゃう夢……っていうか、私なんでこんな所に寝てたんだろう?」
「ケーキに買いに行って疲れたんじゃないかな? ふれんだ、晩ご飯のおかずは買っておいたからね」
「あ、ありがとう滝壺さん。んう……おかしいなぁ……」
首を傾げながら冷蔵庫を確認しに行くフレンダの後ろ姿を見ながら、滝壺はのんびりとお茶を啜った。
<あとがき>
今回は番外編かつ、こんなお話です。麦のんは大切に保管しています。
そして今回一番不幸なのはフレンダに違いない。そしてちゃっかり初登場した人もいますが、彼女との出会いもいつか番外編にて書く予定です。では、次の番外も楽しみにしていてくれると嬉しいです。